2009年08月29日 07:08

もうすぐ選挙ですね。なるべく大勢の人々が選挙に行ってくれたらいいなあと思います。

「騙されない!」ための経済学 モリタク流・経済ニュースのウラ読み術 (PHPビジネス新書 55)

もうすぐ選挙ですね。なるべく大勢の人々が選挙に行ってくれたらいいなあと思います。民主主義の根幹はどんな人にも各人公平な一票の権利があることですので…。投票率が上がるといいですね。

僕は失業しておりお金がなくて生活に困っているので、現行の弱肉強食社会を引き続き行うとしている自公与党政権、特に自民党に投票することは自殺行為なので、共産党に入れますが、どこに投票するかは最終的に各人が決めることなので、一人一人が良く考えて、一票を投じて欲しいなと思います。少なくとも、僕も含めて、大勢の市井の人が自公与党政権を支持することは生活の苦しみをいや増すだけだと実感から思いますが…。自公与党政権が一部の特権階級のみを優遇して他の人々を苦しめる江戸時代の悪代官(「越後屋、そちも悪よのう」みたいな)の如き政権であることは以下の森永卓郎さんの文章が詳しいです。

総選挙直前の今こそ、小泉構造改革の総括をすべきである
http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20090825/176258/

小泉内閣時代に国民全体の手取りは14兆円も減った
 では、小泉構造改革とはなんだったのか、まず数字から見ていくことにしよう。

 小泉純一郎氏が総理大臣の座にいたのは、2001年4月から2006年9月までのことである。その5年半の間に、構造改革の進行によってわが国の経済は高成長を遂げたと言われているが本当だろうか。そこで、2001年1〜3月期と2006年7〜9月期と比較すると、実質GDPは507兆円から550兆円へと43兆円増えていることが分かる。伸び率にして8.5%増。年平均成長率は1.5%である。振り返ってみるとたいした成長ではない。

 ところが、昨年のリーマンショック以降のたった半年間で、実質GDPは40兆円も減少してしまった。5年半をかけて痛みに耐えてようやく43兆円をかせいだのに、そのほとんどが一瞬で吹き飛んでしまったことになる。構造改革派の人びとは、その原因を構造改革の後退あるいは不徹底というが、そもそも構造改革自体が砂上の楼閣だったのではないか。バブルでふくらんだ成長が、バブル崩壊によってしぼんだだけなのである。

 では、その間の雇用者報酬はどうなったのか。雇用者報酬は名目値でしか発表されないので、名目GDPと比較してみよう。

 名目GDPは、小泉構造改革時代に、501兆円から507兆円へと6兆円の増加。伸び率は1.5%であり、年平均成長率は0.3%にすぎない。ほとんど増えていないのだが、雇用者報酬の数字はもっと悲惨である。小泉内閣の5年半で、雇用者報酬は271兆円から266兆円へと5兆円の減。マイナス1.9%になっているのだ。GDPが6兆円増えても、労働者の収入は逆に5兆円減ったのである。

 しかも、その間に、厚生年金や健康保険などの社会保険料の負担が4兆円増え、定率減税の廃止や配偶者特別控除の廃止などで5兆円の増税が行われた。収入が5兆円減って、負担が9兆円増えたのだから、国民全体の手取りは、合計で14兆円も減ったことになる。これでは、いくら景気が回復したといわれても、国民が実感できなかったのは当然のことだ。

構造改革論者によれば労働者は単なる部品にすぎない
 雇用者報酬が減少した理由について、構造改革派の人たちは次のように説明していた。「激しいグローバル競争のなかでは、価格競争力を高めないと生き残ることはできない。人件費抑制はやむをえないことなのだ」。

 だが、それは完全な偽りであった。2000年度と2005年度の決算をくらべてみると、大企業の経常利益は52%も増加しており、大企業の1人当たり役員報酬は85%も増えている。さらに、企業が支払った配当金は159%と、大幅に増えているのだ。なんのことはない。人件費が減らされた一方で、経営陣や金持ちの所得は大幅に増えたのである。

 しかも、庶民が増税や社会保険の負担増にあえいでいるなか、株式配当の減税、研究開発減税、IT投資減税、連結納税制度の創設、欠損金の繰越期間の延長など、主として金持ちや大企業向けの減税が3兆円も実施された。財政が厳しいからやむなく庶民の負担が増やされたのだと思っていたら、金持ちと大企業を減税するための増税だったわけだ。

 これが小泉構造改革の姿である。庶民に厳しく大企業や金持ちへの分配を手厚くするというのが、その本質なのだ。だが、小泉構造改革がよって立つ経済学的な立場を考えれば、それも不思議ではない。いわゆる構造改革論者が信奉している新自由主義というのは、新古典派経済学に立脚しているからだ。

 新古典派経済学がそれまでの経済学と大きく違っているのは、付加価値創造に関する考え方である。新古典派経済学によれば、付加価値をつくるのは資本家である。資本家は、財の市場からトラックや製造機械などの資本財を調達し、労働市場から労働力を調達する−−この2つを組み合わせた瞬間に付加価値が生まれると考えるわけだ。

 これに対して、それまでの経済学では、付加価値をつくるのはあくまでも労働者であった。労働者が、一生懸命努力していい製品やサービスを創造することで、付加価値をつくっていくと考えてきたわけだ。

 要するに、新古典派経済学によれば、経済成長の担い手は資本家なのであって、けっして労働者ではない。だからこそ、資本家を大切にすべきだという論理になり、彼らへの分配を手厚くするわけだ。資本家にとって、労働者は付加価値を生むための部品に過ぎない。だから、道具と同じであって手厚く処遇する必要はないと考える。できるだけ低い報酬でこき使い、稼いだ報酬からも徹底的に税金を搾り取る。使えなくなったら、使えるものと交換すればよいだけのことである。

小泉構造改革が残した2つの大きな禍根
 小泉構造改革が進展していった結果、わが国に2つの大きな禍根を残してしまった。

 1つは、格差社会だ。2001年1〜3月期に27.2%だった非正社員の比率は、2006年1〜3月期には33.2%と、6ポイントも高まった。日本では正社員の賃金を下げにくいので、非正社員をどんどんと増やすことで、一人当たりの人件費を減らしていったわけだ。国税庁の「民間給与実態調査」によると、2007年には年収200万円未満の給与所得者数が1023万人となった。1000万人を越えたのは21年ぶりのことだ。

 付け加えれば、所得の低い人が増えればモノが売れなくなるのは当然のこと。賃金の下落と物価の下落が悪循環を繰り返してデフレ経済に陥る。それが、現在の日本の経済状態である。

 2つ目の禍根は、金融資本の暴走を許したことだ。新自由主義は資本家が付加価値をつくると考えるため、金持ちはどう金を使おうといいという発想になる。人の頭を踏みつけようが、足を引っ張ろうが、基本的なルールを守りさえすれば何をやっても構わないし、誰も責められない。そうしたやり方が、極端な金融資本主義につながっていった。確かに、それで一時は非常にうまくいったように見えていた。金が金を呼んで、金持ちがますます金を増やしていったのである。

 だが、小泉構造改革で強くなったように見えた経済というのは、リーマンショックによって、単なる金融バブルであったことがわかった。だからこそ、5年半もつらい思いをして積み上げた付加価値が、一瞬で吹っ飛ぶという現象が起きたわけである。現在の政権は、日本の不況の原因を米国に押しつけているが、それは正しくない。確かに米国にも問題はあったが、日本もまた同じようなことをしていたのである。(中略)

 今から数年前、自民党をぶっ壊すことで庶民の暮らしが豊かになり、抑圧から解放されると誰もが思っていた。だが結局は、支配者が自民党田中派から構造改革派に代わっただけで、生活はむしろ前よりもひどくなってしまったのである。極めて急ぎ足ではあるが、これがわたしなりの小泉構造改革の総括である。

 そして、総選挙を前にしてまた思うのである。新しい政権は、普通の人が幸せになれる政策を、どう打ち出していくのだろうかと。仮に民主党が政権をとったとして、また同じことが起きる可能性は十分にある。だが、そうしてはならない。そして、そうならないように、わたしたちはきちんと新しい政権を監視していく必要があるのだ。

自公与党政権、特に自民党の本質が『資本家の、資本家による、資本家の為の搾取の党』であることを見抜いている、慧眼の文章と思います。21世紀ここ十年において自民党やその追随者達はトリクルダウン理論(資本家が富めば、資本家が自主的に富を社会に再分配することにより、社会全体が豊かになる)を唱えましたが、そのような事象は21世紀において世界的にも全然起こらなかったどころか、資本家達はトリクルダウン理論とは逆に富の一極集中・富の反再分配化を強めて、逆に世界中に格差・貧困が増大することになりました。資本家個人の倫理観に期待するなどという理論は全く逆のこと、資本家の倫理観の無さしか示さないということを如実に表す結果となり、トリクルダウン理論はもはや世界中から捨てられた理論となっています。

資本家の完全に全てではないにせよ、歴史的に実在したほぼ全ての資本家は、倫理観・貧しい者への共感いたわりなどというものは大概1ミクロンも無い冷酷な行動を取っており(逆に言えば、冷酷無比な人間ほど、資本家として大成してきた例が多い)、これからもそれは変わらないあろうと、そのことを歴史的実例の数々を挙げてはっきり断言しながら書かれている「資本主義黒書」は今現在から見ると、トリクルダウン理論の崩壊を予言した、真に歴史的な的を得た書物でしたね…。黒書は西欧経済の歴史について書かれていますが、自民党のことが書かれているように読めます。

ウィキペディア「トリクルダウン理論」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E7%90%86%E8%AB%96
トリクルダウン理論(trickle-down theory)とは、富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)するという経済理論あるいは経済思想である。「金持ちを儲けさせれば貧乏人もおこぼれに与れる」ということから、「おこぼれ経済」とも通称される。現状では、マクロレベルでのパイの拡大が、貧困層の経済状況を改善につながることを裏付ける有力な研究は存在しないことから「トリクルダウン仮説」とも呼ばれる。(中略)

トリクルダウン理論に対しては、次のような批判がしばしばなされている。すなわち、トリクルダウン理論の考え方によれば、投資の活性化により、経済全体のパイが拡大すれば、低所得層に対する配分も改善するというはずである。しかし、現実にはパイの拡大が見られても、それは配分の改善を伴わず、国民全体の利益としては実現されない。つまりは「富が低所得層に向かって徐々に流れ落ち、国民全体の利益となる」はずであったものが、一部の富裕層の所得の改善を持って「経済は回復した」ということにすりかえられているに過ぎない、というものである。

トリクルダウン理論は、発展途上国のように一般市民の所得が圧倒的に少なく一般市民の消費が国内経済に大して貢献しない場合、もしくは人口が少なくて国内市場規模が小さい小国家の場合は現在も有効である。ただ、先進国や人口が一定の規模を超える国々では一般市民の消費が国内経済に大きく貢献している為、トリクルダウン理論は必ずしも有効ではない。近代国家は経済構造が複雑化しており、「富は必ず上から下へ流れる」という単純な概念が当てはまらないのである。トリクルダウン理論は、一般市民の消費が企業を支え、経済を回し、国家を成り立たせ、「富が下から上へ流れる」という状況を想定できなかった時代の理論ともいえる。

自民党の政策は現在も新自由主義に則した経済の自由放任主義ですが、自由放任主義だと、政界・資本家が専制的に振舞って資本家以外の層、特に力のない層(労働法にて守られない非正規雇用者や僕のような失業者、既得権益を持たない若い年代の層など)に対し非常に残酷な政策を行う歴史的な繰り返しを自民党もまた繰り返しています。国民の大勢は自由放任主義で利益を得る特権階級ではありませんから、国民の多くは悲惨になっていくだけと思います。

例えば自民党政権下で累進課税は85%から50%以下にまで30%以上下がりましたが、これによって利益を得たのは日本国民の1%に満たないと言われています。年収が千数百万円以上の人だけが累進課税減税対象となって利益を得て(一番減税利益を得たのは年収が数千万〜一億以上の資本家層です)、それ以下の年収の人にとっては逆に増税になりました。僕の見る限り、これまでの政治を鑑みて、僕のような貧しい人が自民党に投票することは自殺行為以外のなにものでもないと思います。国民の大勢を貧しくして、一部の特権階級のみ優遇するような政策を行ってきた政権は、最悪の政権だと思いますね…。

投票率が上がってくれればいいなと心から思います…。特に若い人、20代の人の投票率が上がって欲しいですね。いま、一番キツイのは、若い層ですし…。日本の22歳〜24歳の失業率は約1割にまで達しており、これは自殺者数とともに、先進国中最悪の数字です。どこに投票するか、誰に投票するかは最後は各人が決めることであり、各人が、生活に関わってくる政策というものを良く考えて、投票してくれることを心から望みます。

参考作品(amazon)
「騙されない!」ための経済学 モリタク流・経済ニュースのウラ読み術 (PHPビジネス新書 55)
強いられる死 自殺者三万人超の実相
資本主義黒書 上―市場経済との訣別
資本主義黒書 下―市場経済との訣別

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