2009年05月21日 02:53
フルトヴェングラーBOXの予約がamazonで始まりました。熱っぽいですが頑張って音楽について徒然と書きます。20世紀の三大指揮者とその政治状況について。「第三帝国で指揮するものはすべてナチです!」発言の真意と思うことについて。
フルトヴェングラー・コンプリート RIAS レコーディングズ
もえ☆スリーブ とある魔術の禁書目録
東京都・神奈川県で新型インフルエンザ感染確認したそうですが、おそらく既に首都圏全域に感染は拡大しており、見つかった本ケースは氷山の一角でそれほど騒ぐことではないような気がします。前回のエントリで書きましたとおり、僕は今現在非常に体調が良くなく、酷く熱っぽいのと喉が痛いのと頭痛がするのと咳が出ていて、体温計をなくしてしまい体温が測れず、大変な状況です。まさか、新型インフルエンザなんてことはないとは思うのですが…。お医者さんに行くお金がないので、熱があったとしても僕は寝ているしかないです…。
後、テレビニュースで八王子の女子高生で東京初の感染確認ときいて、その瞬間「とある魔術の禁書目録」のヒロインのインデックスたんが速攻で頭に浮んだので(「とある魔術の禁書目録」は八王子が舞台のライトノベル、メディアミックスによりアニメ化、コミック化、グッズ化、僕はインデックスたんファンです)、八王子の女子高生が新型インフル感染と聞いて突然こんな思考が浮ぶとは、頭が熱っぽくて上手く作動していないようです。いつも上手く動かないですが、熱っぽいと一段ととりとめない思考になって、まとまった思考ができないのが辛いです。
今日の本題は新型インフルエンザのことでもなく、はらぺこ魔道書図書館インデックスたんのことでもなく、クラシック音楽の話題です。以前少し紹介したフルトヴェングラーの12枚組BOXの予約受付が日本のamazon.co.jpでも始まりましたのでご紹介致します。以下のリンクです。
フルトヴェングラー・コンプリート RIAS レコーディングズ
amazon.co.jpの輸入盤クラシックBOXセットは毎回早めになくなってしまうので、amazon.co.jpから買う場合は早めの予約をお勧め致します。
20世紀、すなわち録音技術が本格的に始まり、音楽がサロンのものから、万人へに開かれた前世紀の三大指揮者と言われるヴィルヘルム・フルトヴェングラー、アルトゥーロ・トスカニーニ、ブルーノ・ワルターのうち、以前書きましたように僕は情熱的なトスカニーニの指揮が一番好みなんですが、最も伝説的でスケールの大きい演奏をしたのはフルトヴェングラーであると思います。この三人はやはり別格です。
ちなみにトスカニーニとワルターは親友です。大指揮者ブルーノ・ワルターはナチスに弾圧され、こういうところでは冷たいところの出る「差別があっても音楽と関係なければ我関せず」なフルトヴェングラーが傍観しているなか、熱狂的な反差別主義者・自由主義者のトスカニーニはナチスにぶち切れながらワルターを助けて、二人の絆は深まりました。正義感は人一倍強いけれど、かんしゃく持ちで情緒不安定なトスカニーニを、穏健で温和な人柄のワルターが上手く宥めたいいコンビだったといわれています。20世紀クラシック界のちょっといい話です。下記エントリさんがとても詳しいです。
補足しますと、フルトヴェングラーの渡米を知ってそれを無理矢理阻んだのはゲーリングです。ゲーリングがいなければトスカニーニがフルトヴェングラーをナチスから助けようとして助け舟をだした渡米作戦は無事成功していたといわれています。
ナチスの最高幹部である空軍元帥ゲーリングはありとあらゆる芸術のフェチだったので(ナチスが頽廃芸術として弾圧し破壊を命じた芸術も密かに収集していたことは有名です)、他のナチス幹部があまり気を配っていなかった頃の音楽界にも眼を光らせており、フルトヴェングラーのニューヨーク行きを知ったゲーリングが、フルトヴェングラーをベルリン国立オペラ音楽総長に任命して、渡米行きを潰したのです。これさえなければ、第二次世界大戦中にフルトヴェングラー指揮ニューヨーク・フィルという夢の演奏が聴けました…。
ゲーリングというナチスの一将校の意向(フルトヴェングラー渡米妨害は総統命令ではなく、ゲーリングの権限による判断です)、それがクラシック音楽の歴史を変えてしまったわけで、歴史について思いを馳せずにはいられません…。
クラシック音楽好きとして、あのナチスの芸術フェチ元帥(ゲーリング)さえいなければ、トスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーの3人が仲良くなって、ファシズムのためではなく、自由のためにタクトを振るう連合国バージョンのフルトヴェングラー演奏が聴けたのにという無念の思いに駆られます。20世紀の三大指揮者の3人が自由の側だと良かったのにと心から思います…。
トスカニーニとワルターは面白い話が一杯あって、ちょうどこの二人は指揮の両極なんですね。トスカニーニはリーダーシップ型指揮者(その激烈な性格でオケを強力に引っ張ってゆく)の極北で、ワルターは協調型指揮者(その温厚な性格でオケをメンバーに任せる)の極北といわれました。
ただ、オケメンバーにとっては、リハーサルで失敗したとき、激怒してかんしゃくを爆発させる激情型のトスカニーニの激しい叱責より、ワルターに「私の指揮が足らず君に失敗があった。指揮者として申し訳ない」と言われて涙を滲ませられると、失敗した楽団員にとってはそちらの方(トスカニーニの叱責よりワルターの涙の方)が辛かったという逸話も伝わっています(トスカニーニ全集及びワルター全集より)。
トスカニーニもワルターも人間的な逸話が沢山あるんですが(トスカニーニは良くも悪くも激烈な人柄で知られ、ワルターは穏健温和な人柄で知られました)、フルトヴェングラーはあまりそういった逸話がなく、良くも悪くも、フルトヴェングラーは音楽の神に自らの全身全霊を捧げており、「音楽以外はどうでもいい」という感じのする、ひたすら音楽を追求し、あまり人間的な部分を感じさせない求道者的指揮者です。フルトヴェングラーの家がドイツの富裕な名門であることも音楽以外に気を払わない彼の求道的スタンスに関係しているのかもしれません。結果、そのスタンスからナチスに協力することになるわけですが…。
ただし、フルトヴェングラーの場合、以前紹介いたしました、積極的にナチスに協力した20世紀古典派最後の天才作曲家にして政治的には最悪の馬鹿であるプフィッツナーとは違い、音楽以外はどうでもいいというスタンスがナチスに利用され協力することに繋がった感じです。
最近のエントリ繋がりで、マリリン・マンソンどんな感じかなと思ったら相変わらずで吹きました。ハンス・プフィッツナー。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/835332.html
上記エントリで書きました通り、プフィッツナーはナチスに取り入るためユダヤの人々を庇った親ユダヤの作曲家ヒンデミットを積極的に攻撃しましたが(プフィッツナーは音楽は天才ですが、政治的には最悪の出世主義者かつ差別主義者でナチスに取り入る為になんでもやりました)、フルトヴェングラーはヒンデミットを「ヒンデミットは音楽的に優れている」としてナチスから庇いました。このことはフルトヴェングラーの後の無罪に繋がっています。
ただ、ここで庇う理由がトスカニーニがワルターを助けた時の「人々の自由、音楽家の自由の為に協力しよう!」ではなく「ヒンデミットは音楽的に優れている!」という理由なのが、フルトのフルトたるゆえんですが…。後世から見ると、ああ、これはなんて、いついかなるときも音楽のことを純粋に考えているフルトらしい行いなんだという感じです…。
ちなみにこのとき、ナチスの尻馬に乗ってヒンデミットのことを「音楽シーンにおいてヌードシーンがあるなど絶対に許されぬ非道徳的行為である!けしからんエロ野郎ヒンデミットをドイツから追放せよ!!」と攻撃していたどうしようもないクズの馬鹿が天才作曲家プフィッツナーです…。音楽史に残る馬鹿であるプフィッツナーの最悪な行為です…。戦後、プフィッツナーが芸術家枠では異例の一級戦犯(最も重い責任がある戦犯)として裁かれたのにはこういった経緯(プフィッツナーが積極的にナチスの尻馬に載った経緯)があります。
ナチスは性道徳的に異常に潔癖であることが売りのポピュリズム政権、まるで日本の与党政党のような政権でして(ナチスの性的な潔癖主義はホロコーストを引き起こしたナチズム優生学の理論に繋がっています)、性的に非道徳的という言いがかりな難癖をつければ、気の毒な作曲家ヒンデミットのように、誰でも邪魔者を簡単に弾圧できましたので、ナチスに必死で取り入る政治的愚者の作曲家プフィッツナーは必然的に政治行動として道徳的潔癖主義に走ってゆくことになりました。プフィッツナーは音楽の天才でしたのに、その行動は歴史上最悪の政治ナチズムにコミットすることに明け暮れ、天才でありながら最悪の行動家であったとしか言いようがありません。
余談ですが、性的な物事に対し、異常に潔癖であることにこだわる人々の一部は歴史を余りに知らなすぎるとは常々思います。この点において語るときは最低限、ミルトンが検閲の起源について書いた「言論・出版の自由―アレオパジティカ」(岩波文庫から出ています)ぐらいは読んでおくと良いのではと思います。
物凄く端折って超簡単に内容を説明致しますと、検閲のある社会(ミルトンはカトリック教会を検閲の起源としています)では情報が検閲者(ミルトンの本では教会)により統制されるので、その時点で既にその社会は自由な議論が望めない、情報無き統制された社会(北朝鮮みたいな社会)、検閲者側(教会側)のみが一方的な権力を持って被権力者の自由を封じ込める独裁的統制社会になっているのだ、ということが検閲反対の立場から書いてあります。「第三帝国で指揮するものはすべてナチです!」というトスカニーニの言葉の意味がよくわかると思います。僕はトスカニーニの真意はこの本にあると考えています。
言論・出版の自由―アレオパジティカ 他一篇 (岩波文庫)
「言論・出版の自由―アレオパジティカ」は検閲という権力の起源について書かれた古典的な名著であり、詳しくは読んで頂ければ幸いです。日本ではミルトンが「失楽園」でしか知られていないのは悲しいです。後世のディケンズやオーウェルと同じく、ミルトンも自由主義者として実際の行動にて活躍した作家です。ミルトンの本を読むとバチカンがなぜナチスに積極的協力したのか、その点がよくわかります。歴史的に弾圧(検閲もその一つです)に苦しめられたユダヤの人々は自由を好み検閲を嫌うことが多いですので、その点、ジョセフ・ナイ氏ではなく、親ユダヤ系でオバマ大統領と強力な繋がりを持つジョン・ルース氏が駐日大使になったことは日本の表現の自由において幸いなところもあるのかなと思います。
閑話休題して本題に戻ります。指揮は三人(フルト、トスカ、ワルター)とも他の指揮者に抜いて群を抜いて非常に優れておりますが、フルトヴェングラーの指揮に対する求道的スタンス(ひたすら音楽のみに全身全霊を捧げたスタンス)が、のちにフルトヴェングラーを三人の中でももっとも伝説的に神格化する方向へ繋がりました。彼の指揮は間違いなく伝説的に凄かったので(慣れてくると始めて聴く曲盤でも、聴くだけで「フルトの指揮だ」と分かります)、今、最も世界で知名度がある伝説的指揮者はフルトヴェングラーでしょう。フルトヴェングラー全集より引用致します。
僕もフルトヴェングラーが伝説的な偉大さを持っていたことは、今現存する録音を聴き、全く同感に思います。僕はお金なくて買えませんが、フルトヴェングラーBOX、お勧め致します。
あと、僕は生活苦しく厳しく、身体も熱っぽく最悪の心身状態でして、どうか、ギフト券・アフィリエイトにて、お助けしてくださると、深く心から感謝致します。メールアドレスはne.ko.tan@hotmail.co.jpです。疲れていて、あまり書けずに申し訳ありません。「いっしょにとれーにんぐ」とか先日紹介いたしましたらあっという間にアフィリエイトで数個売れていて、僕のところから買っていただき、とてもありがたく思っております。けいおんも売れててありがとうございます。
けいおんを視聴して、音楽好きになったお方々は、ぜひ、音楽の歴史的背景、音楽の背景にあるドラマというものを知ってゆくと、更に音楽が楽しめるのではないかと、僕は思います。経済的にも病気的にも弾圧的にも良くない日々が続いておりますが、この苦難の日々から、新しい再生の日々が訪れることを願います。どうか皆様方に良き日々がありますように。
参考作品(amazon)
フルトヴェングラー・コンプリート RIAS レコーディングズ
言論・出版の自由―アレオパジティカ 他一篇 (岩波文庫)
フルトヴェングラー―音楽と政治(クルト・リース)
いっしょにとれーにんぐ [DVD]
けいおん! 1 (Blu-ray 初回限定生産)
けいおん! 1 [DVD]
とある魔術の禁書目録(インデックス) (電撃文庫)
とある魔術の禁書目録(インデックス) 1 (ガンガンコミックス)
とある魔術の禁書目録 第1巻(初回限定版) [Blu-ray]
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もえ☆スリーブ とある魔術の禁書目録
擬人化たん白書
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もえ☆スリーブ とある魔術の禁書目録
東京都・神奈川県で新型インフルエンザ感染確認したそうですが、おそらく既に首都圏全域に感染は拡大しており、見つかった本ケースは氷山の一角でそれほど騒ぐことではないような気がします。前回のエントリで書きましたとおり、僕は今現在非常に体調が良くなく、酷く熱っぽいのと喉が痛いのと頭痛がするのと咳が出ていて、体温計をなくしてしまい体温が測れず、大変な状況です。まさか、新型インフルエンザなんてことはないとは思うのですが…。お医者さんに行くお金がないので、熱があったとしても僕は寝ているしかないです…。
後、テレビニュースで八王子の女子高生で東京初の感染確認ときいて、その瞬間「とある魔術の禁書目録」のヒロインのインデックスたんが速攻で頭に浮んだので(「とある魔術の禁書目録」は八王子が舞台のライトノベル、メディアミックスによりアニメ化、コミック化、グッズ化、僕はインデックスたんファンです)、八王子の女子高生が新型インフル感染と聞いて突然こんな思考が浮ぶとは、頭が熱っぽくて上手く作動していないようです。いつも上手く動かないですが、熱っぽいと一段ととりとめない思考になって、まとまった思考ができないのが辛いです。
はらぺこ魔道書図書館 インデックス
http://project-index.net/anime/chara_2.php
今日の本題は新型インフルエンザのことでもなく、はらぺこ魔道書図書館インデックスたんのことでもなく、クラシック音楽の話題です。以前少し紹介したフルトヴェングラーの12枚組BOXの予約受付が日本のamazon.co.jpでも始まりましたのでご紹介致します。以下のリンクです。
フルトヴェングラー・コンプリート RIAS レコーディングズ
amazon.co.jpの輸入盤クラシックBOXセットは毎回早めになくなってしまうので、amazon.co.jpから買う場合は早めの予約をお勧め致します。
20世紀、すなわち録音技術が本格的に始まり、音楽がサロンのものから、万人へに開かれた前世紀の三大指揮者と言われるヴィルヘルム・フルトヴェングラー、アルトゥーロ・トスカニーニ、ブルーノ・ワルターのうち、以前書きましたように僕は情熱的なトスカニーニの指揮が一番好みなんですが、最も伝説的でスケールの大きい演奏をしたのはフルトヴェングラーであると思います。この三人はやはり別格です。
ちなみにトスカニーニとワルターは親友です。大指揮者ブルーノ・ワルターはナチスに弾圧され、こういうところでは冷たいところの出る「差別があっても音楽と関係なければ我関せず」なフルトヴェングラーが傍観しているなか、熱狂的な反差別主義者・自由主義者のトスカニーニはナチスにぶち切れながらワルターを助けて、二人の絆は深まりました。正義感は人一倍強いけれど、かんしゃく持ちで情緒不安定なトスカニーニを、穏健で温和な人柄のワルターが上手く宥めたいいコンビだったといわれています。20世紀クラシック界のちょっといい話です。下記エントリさんがとても詳しいです。
アルトゥーロ・トスカニーニ
http://classic.music.coocan.jp/cond/toscanini.htm
トスカニーニはイタリアを去ってアメリカに活動の拠点を移し、ファシズムへの反対を態度で示した。そんな彼であったから、ブルーノ・ワルターがユダヤ人ということでドイツから追われるとこれを助け、またその一方で、ドイツにとどまっているフルトヴェングラーなどに対しては、激しくこれを批難した。この2人の間には、これまた興味深いエピソードがある。
1937年夏のザルツブルク、ナチのオーストリア併合前の最後の音楽祭期間中のこと、トスカニーニは、なるべくフルトヴェングラーと顔を合せたくない、と思っていたのだが、ある日ばったりと街角で2人は出会ってしまった。そこで案の定、口論となってしまったのである。
T「今日の状況下で、奴隷化された国と自由な国の双方で同時に指揮棒をとることは、芸術家にとって許されることではありません。」
F「私は、音楽家にとっては自由な国も奴隷化された国もない、と考えます。ベートーヴェンが演奏される場所では至る所で人間は自由です。もしそうでないとしても、これらの音楽を聴くことにより自由になるでしょう。音楽はゲシュタポも手だしのできない広野へと人間をつれだしてくれるのですから。私が偉大な音楽を演奏する、そのことがたまたまヒトラーの支配する国で行なわれたからといって、それで私がヒトラーの代弁者だということになるのでしょうか。偉大な音楽はナチの不思慮と非情とに真っ向から対立するのですから、むしろ私はヒトラーの敵になるのではないでしょうか。」
T「第三帝国で指揮するものはすべてナチです!」
この論争の勝敗は、残念ながらトスカニーニに軍配があがった。今日、政治と無関係でいることは誰もできないのだ、ということをヒトラーは明らかにしたのである。(クルト・リース「フルトヴェングラー」みすず書房、179〜181ページ)
だが、トスカニーニ自身はその前年36年に一時引退を表明した時、イタリアに帰郷しているのである。(しかもニューヨーク・フィルの後任指揮者にフルトヴェングラーを指名して、である。ところがナチスの陰謀によってその計画はつぶされてしまった。)
補足しますと、フルトヴェングラーの渡米を知ってそれを無理矢理阻んだのはゲーリングです。ゲーリングがいなければトスカニーニがフルトヴェングラーをナチスから助けようとして助け舟をだした渡米作戦は無事成功していたといわれています。
ナチスの最高幹部である空軍元帥ゲーリングはありとあらゆる芸術のフェチだったので(ナチスが頽廃芸術として弾圧し破壊を命じた芸術も密かに収集していたことは有名です)、他のナチス幹部があまり気を配っていなかった頃の音楽界にも眼を光らせており、フルトヴェングラーのニューヨーク行きを知ったゲーリングが、フルトヴェングラーをベルリン国立オペラ音楽総長に任命して、渡米行きを潰したのです。これさえなければ、第二次世界大戦中にフルトヴェングラー指揮ニューヨーク・フィルという夢の演奏が聴けました…。
ゲーリングというナチスの一将校の意向(フルトヴェングラー渡米妨害は総統命令ではなく、ゲーリングの権限による判断です)、それがクラシック音楽の歴史を変えてしまったわけで、歴史について思いを馳せずにはいられません…。
クラシック音楽好きとして、あのナチスの芸術フェチ元帥(ゲーリング)さえいなければ、トスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーの3人が仲良くなって、ファシズムのためではなく、自由のためにタクトを振るう連合国バージョンのフルトヴェングラー演奏が聴けたのにという無念の思いに駆られます。20世紀の三大指揮者の3人が自由の側だと良かったのにと心から思います…。
トスカニーニとワルターは面白い話が一杯あって、ちょうどこの二人は指揮の両極なんですね。トスカニーニはリーダーシップ型指揮者(その激烈な性格でオケを強力に引っ張ってゆく)の極北で、ワルターは協調型指揮者(その温厚な性格でオケをメンバーに任せる)の極北といわれました。
ただ、オケメンバーにとっては、リハーサルで失敗したとき、激怒してかんしゃくを爆発させる激情型のトスカニーニの激しい叱責より、ワルターに「私の指揮が足らず君に失敗があった。指揮者として申し訳ない」と言われて涙を滲ませられると、失敗した楽団員にとってはそちらの方(トスカニーニの叱責よりワルターの涙の方)が辛かったという逸話も伝わっています(トスカニーニ全集及びワルター全集より)。
トスカニーニもワルターも人間的な逸話が沢山あるんですが(トスカニーニは良くも悪くも激烈な人柄で知られ、ワルターは穏健温和な人柄で知られました)、フルトヴェングラーはあまりそういった逸話がなく、良くも悪くも、フルトヴェングラーは音楽の神に自らの全身全霊を捧げており、「音楽以外はどうでもいい」という感じのする、ひたすら音楽を追求し、あまり人間的な部分を感じさせない求道者的指揮者です。フルトヴェングラーの家がドイツの富裕な名門であることも音楽以外に気を払わない彼の求道的スタンスに関係しているのかもしれません。結果、そのスタンスからナチスに協力することになるわけですが…。
ただし、フルトヴェングラーの場合、以前紹介いたしました、積極的にナチスに協力した20世紀古典派最後の天才作曲家にして政治的には最悪の馬鹿であるプフィッツナーとは違い、音楽以外はどうでもいいというスタンスがナチスに利用され協力することに繋がった感じです。
最近のエントリ繋がりで、マリリン・マンソンどんな感じかなと思ったら相変わらずで吹きました。ハンス・プフィッツナー。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/835332.html
上記エントリで書きました通り、プフィッツナーはナチスに取り入るためユダヤの人々を庇った親ユダヤの作曲家ヒンデミットを積極的に攻撃しましたが(プフィッツナーは音楽は天才ですが、政治的には最悪の出世主義者かつ差別主義者でナチスに取り入る為になんでもやりました)、フルトヴェングラーはヒンデミットを「ヒンデミットは音楽的に優れている」としてナチスから庇いました。このことはフルトヴェングラーの後の無罪に繋がっています。
ただ、ここで庇う理由がトスカニーニがワルターを助けた時の「人々の自由、音楽家の自由の為に協力しよう!」ではなく「ヒンデミットは音楽的に優れている!」という理由なのが、フルトのフルトたるゆえんですが…。後世から見ると、ああ、これはなんて、いついかなるときも音楽のことを純粋に考えているフルトらしい行いなんだという感じです…。
ウィキペディア「ヒンデミット事件」
ヒンデミット事件(ヒンデミットじけん、Der Fall Hindemith)は、1934年のドイツ楽壇で起こった政治的な作曲家排斥事件と、それに伴って「ドイツ一般新聞(ドイッチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥングDeutsche allgemaine Zeitung)」に掲載された指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの新聞投稿のタイトルである。
1934年当時、ドイツでは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が勢力を拡大しつつあった。その頃、世界に冠たる名門オーケストラベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン国立歌劇場の音楽監督の地位にあったヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、当時のドイツの新進作曲家であったパウル・ヒンデミットの新作オペラで画家のマティアス・グリューネヴァルトを題材にした「画家マティス」の初演の準備を進めるとともに、その歌劇「画家マティス」の曲中の音楽を中心に作曲された交響曲「画家マティス」を同年3月12日にベルリンのフィルハーモニーホールで初演した。
演奏会は大成功で、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の団員の多くも、次のシーズンにこの曲をプログラミングすることに大賛成だった。しかし、ヒンデミットは当時の帝室音楽院の顧問であり、シャルロッテンブルク音楽大学の教授であったが、ユダヤ人音楽家と弦楽三重奏を組んでレコーディングしたりするなど、ナチスにとっては目の上のたんこぶとも言うべき人物だった。アドルフ・ヒトラーはヒンデミットの歌劇「その日のニュース」に於いて女声歌手のヌードシーンがあることを快く思っておらず、ヒンデミットに対して厳しい措置を取ることにし、フルトヴェングラーがベルリン国立歌劇場で初演しようとしていた歌劇「画家マティス」は上演禁止を通達された。
フルトヴェングラーはこれに怒り、ヒンデミットを擁護するために辞任も辞さない構えをとり、さらに11月25日、「ドイツ一般新聞」に「ヒンデミット事件」と題する論評をのせた。
その論評(全文がフルトヴェングラーの著書「音と言葉」に収録されている)の中でフルトヴェングラーは、ヒンデミットを排斥しようとする動きを根拠のない言いがかりと断じ、ヒンデミットは現代ドイツの音楽に於いて必要不可欠な人物であり、これを容易に切り捨てることは、いかなる理由があろうとも許されるべきではない、と強力にヒンデミットを擁護した。
ちなみにこのとき、ナチスの尻馬に乗ってヒンデミットのことを「音楽シーンにおいてヌードシーンがあるなど絶対に許されぬ非道徳的行為である!けしからんエロ野郎ヒンデミットをドイツから追放せよ!!」と攻撃していたどうしようもないクズの馬鹿が天才作曲家プフィッツナーです…。音楽史に残る馬鹿であるプフィッツナーの最悪な行為です…。戦後、プフィッツナーが芸術家枠では異例の一級戦犯(最も重い責任がある戦犯)として裁かれたのにはこういった経緯(プフィッツナーが積極的にナチスの尻馬に載った経緯)があります。
ナチスは性道徳的に異常に潔癖であることが売りのポピュリズム政権、まるで日本の与党政党のような政権でして(ナチスの性的な潔癖主義はホロコーストを引き起こしたナチズム優生学の理論に繋がっています)、性的に非道徳的という言いがかりな難癖をつければ、気の毒な作曲家ヒンデミットのように、誰でも邪魔者を簡単に弾圧できましたので、ナチスに必死で取り入る政治的愚者の作曲家プフィッツナーは必然的に政治行動として道徳的潔癖主義に走ってゆくことになりました。プフィッツナーは音楽の天才でしたのに、その行動は歴史上最悪の政治ナチズムにコミットすることに明け暮れ、天才でありながら最悪の行動家であったとしか言いようがありません。
余談ですが、性的な物事に対し、異常に潔癖であることにこだわる人々の一部は歴史を余りに知らなすぎるとは常々思います。この点において語るときは最低限、ミルトンが検閲の起源について書いた「言論・出版の自由―アレオパジティカ」(岩波文庫から出ています)ぐらいは読んでおくと良いのではと思います。
物凄く端折って超簡単に内容を説明致しますと、検閲のある社会(ミルトンはカトリック教会を検閲の起源としています)では情報が検閲者(ミルトンの本では教会)により統制されるので、その時点で既にその社会は自由な議論が望めない、情報無き統制された社会(北朝鮮みたいな社会)、検閲者側(教会側)のみが一方的な権力を持って被権力者の自由を封じ込める独裁的統制社会になっているのだ、ということが検閲反対の立場から書いてあります。「第三帝国で指揮するものはすべてナチです!」というトスカニーニの言葉の意味がよくわかると思います。僕はトスカニーニの真意はこの本にあると考えています。
言論・出版の自由―アレオパジティカ 他一篇 (岩波文庫)
「言論・出版の自由―アレオパジティカ」は検閲という権力の起源について書かれた古典的な名著であり、詳しくは読んで頂ければ幸いです。日本ではミルトンが「失楽園」でしか知られていないのは悲しいです。後世のディケンズやオーウェルと同じく、ミルトンも自由主義者として実際の行動にて活躍した作家です。ミルトンの本を読むとバチカンがなぜナチスに積極的協力したのか、その点がよくわかります。歴史的に弾圧(検閲もその一つです)に苦しめられたユダヤの人々は自由を好み検閲を嫌うことが多いですので、その点、ジョセフ・ナイ氏ではなく、親ユダヤ系でオバマ大統領と強力な繋がりを持つジョン・ルース氏が駐日大使になったことは日本の表現の自由において幸いなところもあるのかなと思います。
閑話休題して本題に戻ります。指揮は三人(フルト、トスカ、ワルター)とも他の指揮者に抜いて群を抜いて非常に優れておりますが、フルトヴェングラーの指揮に対する求道的スタンス(ひたすら音楽のみに全身全霊を捧げたスタンス)が、のちにフルトヴェングラーを三人の中でももっとも伝説的に神格化する方向へ繋がりました。彼の指揮は間違いなく伝説的に凄かったので(慣れてくると始めて聴く曲盤でも、聴くだけで「フルトの指揮だ」と分かります)、今、最も世界で知名度がある伝説的指揮者はフルトヴェングラーでしょう。フルトヴェングラー全集より引用致します。
1886年1月25日ベルリンに生まれ、8歳の時ミュンヘンに転居。(中略)音楽的指導は当時の有名な作曲家ラインベルガーやシリングスから受けた。(中略)1915年マンハイム歌劇場の指揮者として、ボダンツキーの後任になってからは急速に認められた。(中略)1918年ウィーンのトンキュンストラーを指揮し、新人指揮者の第一人者として認められ、更に1920年には(作曲家として有名な)シュトラウスに招かれ、ベルリン国立オペラ管弦楽団をも指揮した。(中略、その後も華麗なる経歴を重ね)1922年には、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団、及びベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の正指揮者に選ばれた。(中略)
(1931年)バイロイト音楽祭を指揮して、名実ともにドイツ最高の指揮者の一人となった。(中略)1936年の末、(トスカニーニがナチスからフルトヴェングラーを助け出そうと助け舟をだして推薦し)ニューヨーク・フィル・ハーモニー管弦楽団の1936−37年シーズンの指揮者に選ばれる。これを知った空軍元帥ゲーリングは、自己の保護下(管轄下)にあるベルリン国立オペラの音楽総長にフルトヴェングラーを任じて彼が国外に去るのを防いだ。
第二次世界大戦中、彼はドイツに残った(ゲーリング、その後はゲッペルスにフルトヴェングラーは足止めされました)唯一の大指揮者としてベルリン・ウィーンを始め、各地で(ナチスから協力を依頼されて)指揮をした。
大戦後、戦争犯罪人の法廷に立たされたが無罪となり、再びベルリン、ウィーン、ルツェルン、その他ロンドン、パリなどでも活躍。1947年シカゴ交響楽団は彼を常任指揮者として招こうとしたが、(ナチス協力者としてアメリカではフルトヴェングラーは嫌われており)猛烈な反発にあってとりやめとなった。(中略、1954年)肺炎のため逝去した。
フルトヴェングラーは作曲も多く、自分でも盛んに演奏したがっていたが、(フルトヴェングラーの作った曲の数々は)評判はあまりよくなかった。しかしピアニストとしては、たいしたものだったらしい。「ハンマークラヴィーア・ソナタ」などは当代一流のものだったと、秘書のガイスマール嬢がその回想録のなかで述べている。(中略)
フルトヴェングラー以前にも、大指揮者と言われた人々はあったが、マーラー、リヒター、ニキッシュなどは確かにスケールの大きな天才であったろう、(だが他の大指揮者達は)フルトヴェングラーのような神秘的な存在ではなかったように思われる。そして彼のあと、彼に及ぶ指揮者が何人も現われていないことを思えば、伝説的な偉大さをもっていたといっても過言ではなかろう。
(フルトヴェングラー全集より)
僕もフルトヴェングラーが伝説的な偉大さを持っていたことは、今現存する録音を聴き、全く同感に思います。僕はお金なくて買えませんが、フルトヴェングラーBOX、お勧め致します。
あと、僕は生活苦しく厳しく、身体も熱っぽく最悪の心身状態でして、どうか、ギフト券・アフィリエイトにて、お助けしてくださると、深く心から感謝致します。メールアドレスはne.ko.tan@hotmail.co.jpです。疲れていて、あまり書けずに申し訳ありません。「いっしょにとれーにんぐ」とか先日紹介いたしましたらあっという間にアフィリエイトで数個売れていて、僕のところから買っていただき、とてもありがたく思っております。けいおんも売れててありがとうございます。
けいおんを視聴して、音楽好きになったお方々は、ぜひ、音楽の歴史的背景、音楽の背景にあるドラマというものを知ってゆくと、更に音楽が楽しめるのではないかと、僕は思います。経済的にも病気的にも弾圧的にも良くない日々が続いておりますが、この苦難の日々から、新しい再生の日々が訪れることを願います。どうか皆様方に良き日々がありますように。
参考作品(amazon)
フルトヴェングラー・コンプリート RIAS レコーディングズ
言論・出版の自由―アレオパジティカ 他一篇 (岩波文庫)
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