2009年05月11日 04:50

「エネミー・オブ・アメリカ」面白かったです。新しくも古い問題提起。お勧め映画ケン・ラッセル監督「肉体の悪魔」

エネミー・オブ・アメリカ 特別版 [DVD]
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昨日放映していた、現代アメリカを舞台に、NSA(National Security Agency、アメリカ国家安全保障局)が人権を無視した強権的情報管理統治政治を行う中央集権情報監視社会における現代恐怖政治を描いた映画「エネミー・オブ・アメリカ」見ましたが面白かったです。昔からある新しくも古い問題提起ですね…。NSAの実態とか非常にリアルに描けていて、よく放映できたなと思いました。

ウィキペディア「アメリカ国家安全保障局」
国家安全保障局(こっかあんぜんほしょうきょく National Security Agency、NSA)とCSS(後述)はアメリカ国防総省の諜報機関である。(中略)
アメリカ中央情報局(CIA)がおもにヒューミント(Humint、human intelligence)と呼ばれるスパイなどの人間を使った諜報活動を担当するのに対し、NSAはシギント(Sigint、signal intelligence)と呼ばれる電子機器を使った情報収集活動とその分析、集積、報告を担当する。シギント活動を中心にCSSの協力により、合衆国の各情報部と連携して活動を行っている。法律によって「NSAは中将によって指揮される」と規定されている。

なお、CSS(Central Security Service、中央保安部)は1972年の大統領命令によって設立された、NSAと一緒になってアメリカ国防総省のもとで国家情報活動の統合を行なう国家機関である。陸軍情報保安コマンド、海軍保安部、空軍情報部、海兵隊、沿岸警備隊とNSAが一体となって共同作戦を展開し、その長はNSA長官が兼務している。また、NSAは陸軍情報保安コマンド、海軍保安部、空軍情報部に監督権を持つ。
英国GCHQ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド政府通信保安局と共にエシュロン(Echelon)を運用していると考えられている。 NSAは占有する通信基地や航空機、艦艇、人工衛星は保有しないが、それらの情報収集現場に出向いてNSAの情報ネットワークに吸い上げてゆく活動を世界中で行なっている。プエブロ号事件のような時にはじめてその活動の一端が明らかとなる。

内部のNCSC(National Computer Security Center、国立コンピューター保安センター)では、コンピュータセキュリティ問題に関する調査と研究や、1983年、1985年の過去2回発行されたオレンジブックと呼ばれるTrusted Computer System Evaluation Criteriaというレポートの発行も行っていた。

その性質上、組織や活動内容、予算については明らかにされていない部分も多く、設立当初は組織の存在そのものが秘匿されていた。NSAはあまりに全貌が不明瞭なので「Never Say Anything(何も喋るな)」「No Such Agency(そんな部署はない)」の略だと揶揄される事も有る。

規模・予算ではCIAを3倍以上上回ると評される。NSAウェブページによると、雇用者数は約3万人。予算、床面積、人員などを考慮すると、フォーチュン500の上位10%内にランクされる企業の規模に相当するとしている。(中略)

任務
通信情報(音声会話、コンピュータデータ)
受信・収集(地上アンテナ、米海軍艦艇、米空軍航空機、人工衛星、Internet、その他)
分類・集積・配信(巨大データベース:エシュロン)
エシュロンの開発、運用、管理
通信情報収集の資産の管理等(アンテナ、情報ネットワーク) (中略)

暗号やセキュリティ技術に関して、NSAは世界最高の水準にあるが、その研究内容は秘密にされることが多い。しかし、NSAの技術のいくつかは広く一般に使われている。NSAが関わったクローズドな一般向け暗号・セキュリティ技術については、バックドアの存在が疑われている。(中略)米Microsoftは、Windows Vistaのセキュリティ機能の開発・検査に関して、NSAの関与を認めている。

ぶっちゃけて簡単にいうと『実在する超巨大にして超強力な力を持つ秘密情報・謀略・諜報機関』です。有名なところではエシュロン運用とかやってます。「エネミー・オブ・アメリカ」で描かれていたようにありとあらゆる情報を情報システムで自動的に盗聴して、少しでもアメリカ政府といいますか、ぶっちゃけNSAの邪魔になりそうなものは合法・非合法問わず排除することで有名な恐怖の諜報機関です。

僕みたいな超小物もネットでNSAについて書いている時点でNSAの自動システムにターゲットロックオンされますが(NSAはインターネット情報の自動情報収集でも有名)、僕みたいな市井の人間がNSAについて書いても、あまりにも小物過ぎて「影響力:ゼロ:対応必要:ゼロ」みたいな感じ自動判別されており全く相手にされないので安心です。

フリーメーソンとかイルミナティとかラストバタリオンとかレジデント・オブ・サンとかエーリアン(宇宙人)とか、妄想的オカルト論者が一生懸命、世界を危機に陥れている存在だと唱えている妄想的要素の強いオカルト的脅威の存在とは違い、NSAは実在して実際の政治活動をしているアメリカの超巨大謀略機関です。NSAは妄想的な危険性とは違い、真の実際的危険度が非常に高い、情報収集・情報操作・非合法活動も含めた世界最大の諜報活動能力を持つ、脅威の情報機関です。

NSAは日本含め、世界中の国の情報操作等諜報活動に関わっているとされています。CIAやFBIすら、圧倒的な情報収集操作能力、諜報活動能力、莫大な予算と政治的権限を持つNSAに比べたらひよっこみたいなものです。全世界のNSA以外の情報機関が全て束になってかかっても、NSAの能力はその上を行くといわれています。超大国アメリカの闇の部分を支えてきた機関です。

映画「エネミー・オブ・アメリカ」は、市井の一市民(ウィル・スミス演じる弁護士ディーン)が、ひょんなことから政治謀略に巻き込まれ、NSAに抹殺されそうになり、追い詰められてゆく中、元NSA局員をパートナーにして、なんとか反撃しようとする物語です。

ウィキペディア「エネミー・オブ・アメリカ」
『エネミー・オブ・アメリカ』(Enemy of the State)はトニー・スコット監督が製作した1998年のサスペンスアクションの映画。ブエナビスタ作品。対テロ防止法を巡る事件の証拠を偶然掴んだ弁護士が政府の陰謀に巻き込まれ、元工作員と手を組んで陰謀に挑む姿を描く。(中略)本作でNSAが使う技術は、20年前のものや、逆にまだ実用化されていないものもあるが、ほとんどが実際に使われているものだという。

あらすじ
アメリカ連邦議会ではテロ撲滅を名目にした「通信の保安とプライバシー法」案を巡って激しい議論が交わされていた。なぜなら、その法案の内容は犯罪やテロ抑止のために、政府による全国民に対するプライバシーの侵害を合法化するというものだったからである。NSAの行政官・レイノルズはテロ防止法案を可決させるべく、部下を使って法案に反対していた大物下院議員ハマースリーを密かに手にかけ、心臓発作による事故死に見せかけて車ごと彼の遺体を遺棄する。

やがて世間は彼の思惑通り事故死として処理されたが、偶然殺害現場の一部始終が自然写真家のビデオによって収められてしまい、自分の計画が破綻するのを恐れたレイノルズは部下を使いビデオの回収を図る。そして彼は殺害現場のビデオを大学の頃からの友人である弁護士・ディーンに託した後、消防車にはねられて死亡。だが、ディーンがビデオを持っていることを知ったレイノルズはシギントを利用して彼の抹殺を目論む。…

こういう、国家の中央集権的情報システムの中で個が圧殺されてゆくというのは、情報システムの自動化・高度化による圧殺という点では、新しい問題提起ですが、ただ、NSAみたいな中央集権システムの影を担う政治機関が、情報操作によって邪魔者を無差別に排除してゆくというのは、大昔からあります。

有名なところでは、僕の好きな映画監督であるケン・ラッセルの最高傑作と呼ばれる映画「肉体の悪魔」(レイモン・ラディゲの小説やその映画化された映画とは何にも関係ない映画です)が、歴史資料から調べた史実としてこういう話(中央集権的システムが邪魔になるものを情報操作と政治権力の乱用で排除してゆく)という話です。「エネミー・オブ・アメリカ」はハリウッド映画なので、NSAから排除すべき敵と認定された時点で、もう安らかに眠れる時はないと言われていまして、映画もきちんとしたハッピーエンドとは言いがたい複雑な気持ちになる終わり方ですが、それでも一応、ベターな終わり方です。それに比べ、ケン・ラッセル監督の「肉体の悪魔」の方は史実に基く悲劇です。残念ながら日本amazonにDVDは僕が探した限りではおいてないようです。アメリカamazon(amazon.com)に海外盤がおいてあります。以下のリンク先です。海外盤DVDは日本語字幕ないので、日本語字幕付きは昔のVHSビデオテープ盤のみしかでていないと思います。ビデオ屋さんでよろしければ探してみてください。amazonだと中古VHSで1万円超えています。amazonTOPページにある検索バーに「B00005HCFF」と打ち込んで検索すると日本語盤VHSビデオのページが出ます。一万円超えている値段設定は高すぎます…。

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「肉体の悪魔」は中央集権制を進めたルイ13世治下リシュリュー枢機卿統治下でのフランス領土内の自治政治都市(独立都市国家)ルーダンの破壊を描いています。ラッセル監督の最高傑作と評価される、僕から見ても非常に優れた映画で、ぜひご視聴お勧めする映画です。僕のベスト・シネマである「裁かるゝジャンヌ」を構造的に発展させたような映画です。ラッセル監督の天才が見事に光っています。残念ながら先に書きました通り、日本語盤DVDでは出ていないようですが、ビデオデッキあるお方はぜひビデオテープ日本盤レンタルなどのご視聴お勧め致します。

余談ですが、どうもケン・ラッセル監督というと、天才音楽家の持っていた変態性を描く、音楽家の自伝的映画作品を出しまくる色物監督というイメージがあって残念です。極めて優秀な映画監督と僕は高く評価しています。クラシックファンにはラッセル監督のフランツ・リストを描いた映画「リストマニア」で、作曲家フランツ・リストの史実的巨大男性性器がギロチンに掛けられる変態的シーンで有名です。あのシーンだけ見ると「この監督は頭がアレなんじゃないだろうか」と思われても仕方ないかも知れませんが、ラッセル監督は本作「肉体の悪魔」でも、作曲家フランツ・リストの淫蕩ぶりを描いた「リストマニア」でも、マーラーやチャイコフスキーをアレな感じに描いた映画でも、ちゃんと史実は調べていて、僕もフランツ・リストについて映画見た後調べましたが、作曲家フランツ・リストがとんでもない淫乱男性(ニンフォマニア)だったことは史実的に間違いないようです。

作曲家フランツ・リストは幼少時から音楽的才能と共に美貌(超美形ショタっ子)として知られ女性にモテモテで、成長するに連れて、「残念な子役」にはならず、それどころか「超美形の少年」「超美形の青年」「超美形の壮年」と年代を超えて超美形の男性で女性にモテモテでした。そして、これはリストのなんといいますか…、よくもわるくも凄いところといいますか、リストはモーツァルトの女遊びが子供の遊びに見えてしまうほどの壮絶な漁色家でした。彼は女性を引っ掛ける達人でした。リストは『ドン・ファンの身体に音楽の天才がおまけの尻尾でついてきた』と当時言われるほど放蕩無頼の女遊び好きでして毎日毎夜女性をとっかえひっかえして肉体関係を結んでおり、その生涯に関係を持った女性の数は推定四桁にのぼるとされています。千人切りを超える色事に極めて貪欲な作曲家、現代だったら精神科で「ニンフォマニア」や「セックス依存症」と判断されてもおかしくない可能性があると思います。

モーツァルトの女遊びの場合、モーツァルトについて残された史料を調べると、モーツァルトと妻コンスタンツェはお互い異性関係が活発でしたが、それでも、互いに愛しあっていたようなところが見受けられるのに比べ、リストの女遊びは愛情なしで性欲の権化のようなもの(一度床を共にした女性とは寝ずにもっぱら違う女性と次々と床を共にしてゆく女人遍歴の人生)であり、まさにドン・ファンやカサノヴァそのものという感じです。

フランツ・リストは有名な娘コジマ・ワーグナー以外にも私生児が山ほどいたと言われ、またリストと床を共にした大勢の人々の証言によるとリストの男性器は大きくテクニックにも長けていた、いわゆるプロの棹師みたいな色んな意味で凄いとしかいいようのない作曲家で、史実を描くだけでそのまま18禁ゲームの主役としてバーンと登場できてしまうとても凄いエロエロ作曲家です。

ちなみに流石のドンファン作曲家リストも加齢で精力が弱まり、そんな晩年のある日(どんな凄い漁色家も加齢の衰えには勝てません)、リストの若き娘コジマがワーグナーの所に走ろうとしたのを、リストが「お前は情欲に支配されているだけだ、ワーグナーのところに行くな」と止めたのに対して、娘コジマは「はぁ?情欲に支配されているのは漁色家の変態親父の方じゃん」(意訳)と返してワーグナーのところに走って行ってしまいました(山田風太郎「人間臨終図巻」より)。この娘コジマ・ワーグナーはニーチェをその魅力で狂わせたり、周囲のあらゆる天才芸術家や精神科医(一例:フロイト)や哲学者(一例:ニーチェ)などの人生を狂わせまくった超絶魔性の女性ルー・ザロメに匹敵するレベルでして、壮大な音楽を作曲しながら意外とナイーブなところのあるロマンティストの作曲家ワーグナーでは、リストの天才的魔性の淫血筋を引く彼女コジマ・ワーグナーをとても御せず、コジマ・ワーグナーは自由に振舞って魔性の淫欲血筋パワーを周囲に発揮しました。流石は魔性の淫天才の血筋という感じです。

この辺の音楽家(ワーグナー)や哲学者(ニーチェ)等の近辺の怪しげ系芸術家の男女関係は最近リメイク盤が出た18禁ゲーム「河原崎家の一族」シリーズ並に爛れたエロエロ関係の一族がごろごろしており、まさにデカダンス真っ盛り大発情中という感じです。ニーチェも妹エリザベート・ニーチェと若い頃もにゃもにゃ…と言われております。妹愛に生きた狂気の天才詩人トラークルを彷彿とさせます。また、様々な芸術家は寄行が目立ち、特に音楽家は体育会系(演奏家)かつ文系(作曲家)というある種の矛盾を抱える存在であることが多いゆえか、奇人変人揃いの芸術家の中でも音楽家が群を抜いて性欲旺盛な人物や変態的性向を持つ特殊なバイタリティ抜群の人物が多い感じです。そのなかでもフランツ・リストの性欲は群を抜いて凄いです。歴史に残るレベルの天才音楽家(天才芸術家)の中で一番エロい人であったことは間違いないと思います。

と、このような背景があって、それでリストを描いた映画「リストマニア」にフランツ・リストの超巨大男性器(どうみても入れるのが不可能な巨大さではないでしょうか。日本のオタク文化にてよく見受けられるファンタジックポルノ的描写です)がギロチンにかけられるシーンがでてくる訳です(実際にギロチンされるわけではなく、リストの見ている幻想的な夢のシーン)。なので、フランツ・リストの巨大男性器がギロチンにかけられるシーンだけみて「なんだこりゃ」というのではなく、全体や背景を通してみるとラッセル監督の映画は、多くの評価にあるようなエログロ変態意味不明シュールリアリズム映画ではなく、全体として娯楽性・芸術性共にもっと高く評価されていい映画だと僕は思います。

余談が長くなりすぎました。本題に戻ります。「エネミー・オブ・アメリカ」とも通じる新しくも古い問題を提起している映画「肉体の悪魔」の話に戻ります。この映画は1971年に発表され、発表当初はラッセル監督のほかの映画と同じく史実を元にしたというのが売りのエログロ変態映画扱いされましたが、今では古典的な傑作映画として高く評価されています。ラッセル監督自身がこう語っています。

ケン・ラッセル
『これ(映画「肉体の悪魔」)は実にカトリック的な物語です。ひとりの悪党(ルーダンの街を統治する執政官にしてイエズス会司祭、主人公グランディエ)が教会(ルイ13世の元で政治権力を握ったリシュリュー枢機卿)の教条(中央集権国家建設の為の自治都市破壊と新教徒ユグノー派弾圧)ではなく神のスピリット(神の元の万人の平等)に向けて改心するお話(本映画は自らを心から愛してくれる純朴な娘をまた自らも心から愛したことで、愛に目覚めて彼女と結婚し改心したグランディエ司祭は、自治都市ルーダンを守ろうとして懸命に努力するが、最後はリシュリュー枢機卿の仕向けた教会側の行う情報操作・謀略の前に敗れ去って火刑で焼き殺され、ルーダンの街はフランス王国によって滅ぼされる悲劇)ですからね。

私(ケン・ラッセル)は全ての映画のなかで完全無比のカトリック信仰者です。なのにこの作品は反宗教的(反カトリック的)だとして(71年当初)弾劾された。でもね、いまでは(カトリック側が態度を改めて)ロヨラ大学やカソリック・イエズス大学(どちらもカトリック大学)の講義で(本映画がカトリックの講義の題材として)取り上げられているんだからね。

私はいつも、私が深い研究(ラッセル監督の映画は始まりに『この映画は史実研究に基き〜』などが流れる)の結果こうしたこと(音楽家のエロティックな変態性など)をとりあげている。そのこと(ラッセル監督の史実研究)や私がカトリック信者であることすら知らない人々から、(映画を)とやかく批判されてきた。(神の元の万人の平等を説き、新教徒ユグノー派を守ろうと努力したグランディエ司祭を描いた映画「肉体の悪魔」が)新教徒や不可知論者や無神論者からこぞって「肉体の悪魔」は冒涜的映画、だなんていわれるのは、とても間違ったことじゃないでしょうか。』
(「ラッセル・フィルムブック」)

本映画「肉体の悪魔」は上記でラッセル監督が言っている通り、極めて優れた宗教的映画だと思います。そして神の元での全ての人々の平等を唱える真の信仰者が王国(政治的権力)と手を結んで政治的意図を持った教会から異端のレッテルを貼られて焼き殺されるという、「裁かるゝジャンヌ」を彷彿とさせる、そしてある種の問題意識として「裁かるゝジャンヌ」を構造的に一歩進めた映画であると思います。

本映画は、主人公、自治都市ルーダンの執政官にして司祭グランディエが、最初は彼は世界に絶望しており(映画のなかのグランディエの台詞「愛という名の情欲、そして病のような孤独と倦怠!」)ひたすら映画「リストマニア」のフランツ・リストのように漁色家として淫欲に耽り、世界に絶望した刹那的変態エロエロな毎日を過しているのですが、彼のことを心から愛する純朴な少女マドレーヌと出会い、彼は最初はマドレーヌをただ、沢山いる女性の一人としてしか見ていませんが、彼女の真情、真心からの愛情を感じ、改心します(映画のなかのグランディエの台詞「私は、彼女を愛している!)。そして彼女と結婚し、生涯彼女一人を愛することを誓い(一夫一妻の誓い)、そして新教徒も含めた万人の人々の幸せの為にルーダンの執政官かつ司祭として働くことを誓います。彼はイエズス会司祭(カトリック)なので、彼は新教徒を守る必要は教会での立場から考えると何もないのですが、彼は全ての人々を守る、新教徒も守るという姿勢で、新教徒虐殺を狙うリシュリュー枢機卿と対決します。

時はフランス王国ルイ13世治下、変態的漁色家で「首をちょん切っておしまい」な女王様(イギリス女王メアリ1世)並に簡単に人を殺す残酷さを持ち、変態的漁色家に耽って政治にやる気のない割には新教徒ユグノー派弾圧好きな無能王ルイ13世(史実のルイ13世がここまで無能な王かどうかは別として本映画ではとんでもなく無能な愚劣王として描かれています)の下で権力を握り、中央集権体制確立の為の自治都市破壊とユグノー派弾圧を行うフランス王国宰相、冷酷無比にして優秀な政治家であるリシュリュー枢機卿はユグノー派の拠点自治都市ルーダンを滅ぼそうとします。

ルーダンの人々が虐殺されるのを防ぐ為、マドレーヌとの愛により改心してルーダンの立派な領主となった主人公グランディエ司祭は、ユグノー派の拠点であるルーダンを殲滅しようとしているリシュリュー枢機卿の思惑を感じ、ルーダンを守る為、ルーダンに手をださないでくれと国王に必死の懇願に出かけます。リシュリュー枢機卿は陰謀に長けた冷たいマキャヴェリストで人々を虐殺しまくり、フランスの中央集権制整備を名目に新教徒の拠点であり、グランディエが治めていたルーダンらの各地方自治都市を殲滅(自治都市を丸ごと滅ぼす虐殺)したのは史実です。リシュリュー枢機卿の評価は無能なルイ13世の元で実質的にフランスを統治し、フランスの中央集権制を確立した天才政治家という肯定的評価と、残酷非道な手を平気で使い、敵対する者(敵対領土)や邪魔者(自治都市・新教徒)は悉く皆殺しにした情け容赦ない行動の冷徹さに対する否定的評価があります。日本でいうと織田信長を彷彿とさせる宰相です。三国志でいうと曹操みたいな感じです。リシュリュー枢機卿は有名なデュマの小説「三銃士」の魔王的悪役、ラスボス的存在なので、結構有名かなと思います。

ウィキペディア「リシュリュー」
枢機卿およびリシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシ(Armand Jean du Plessis, cardinal et duc de Richelieu, 1585年9月9日 - 1642年12月4日)は、カトリック教会の聖職者にしてフランス王国の政治家。1624年から死去するまでルイ13世の宰相を務めた。(中略)

中央集権体制の確立と王権の強化に尽力し、行政組織の整備、三部会の停止などを通じて後年の絶対王政の基礎を築いた。また、国内のプロテスタントを抑圧し1628年にはフランスにおける新教勢力の重要な拠点であったラ・ロシェルを攻略した。(中略)

リシュリューの信念は「王権の拡大」と「盛大への意思」、すなわちフランスはあらゆる他国を押さえて強大にならねばならないとの確信であり、この信条に従わない者に対しては全てこれを「国家の敵」と見なして徹底的に撲滅を図った。「信賞必罰など必要無い。必罰だけが重要だ」という彼の言葉からもわかるように、他者を罰することは自身の生き甲斐でもあった。

リシュリューの臨終の席で、聴罪司祭が「汝は汝の敵を愛しますか」と問うと、彼は「私には国家の敵より他に敵はなかった」と答えたという。彼の人生がしのばれるエピソードである。

デュマ作の小説『三銃士』にも登場し、王妃や三銃士と対立して策謀を巡らす悪役としての側面と、フランスの発展に尽力する優れた政治家としての側面という両面から描かれている。

上記ウィキペディアにも載っていますが、リシュリュー枢機卿は政治家として有能であった(フランスの政治力を強大にした)ことは間違いないですが、敵や邪魔者と判断した相手に対して領土丸ごとなどの徹底した殲滅でも知られる恐るべき人物です。リシュリュー枢機卿の行った新教徒根絶やし政策は徹底しており、「聖バルテルミーの大虐殺」で10万近い新教徒を嬉々としながら虐殺した残虐王妃、フランス史に残る有名な虐殺命令の言葉『残酷さこそ慈悲、慈悲こそ残酷』(この言葉は『パンがなければケーキを〜』みたいな都市伝説ではなく、虐殺命令を発した王妃の言葉としてしっかりフランス王室史に記録されています。言葉の意味は「新教徒を殺すことが慈悲で、生かしておくことが残酷である」という意味です)を発した歴史に残る残虐なフランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスよりも、リシュリュー枢機卿の方が人数的には新教徒をより多く殺したのではないでしょうか。でもリシュリューよりもカトリーヌ・ド・メディシスの方が虐殺者としては有名なのは、王妃だからかなと考えています。話が脱線したので元に戻します。

そんな恐るべき人物リシュリュー枢機卿と自治都市ルーダン領主グランディエは対決することになります。ここで、狂気に駆られた修道院長ジャンヌが出てきます。ジャンヌはグランディエに恋焦がれるあまり狂気に陥っており、彼の結婚を知って嫉妬に狂い、グランディエを『グランディエは悪魔の使い』であると讒言します。リシュリュー枢機卿配下の教会のカトリック幹部達はこの讒言を利用し、グランディエを拷問にかけて焼き殺します。自治都市ルーダン領主のグランディエ司祭が修道院長ジャンヌの讒言によりリシュリュー枢機卿配下の教会幹部から異端審問にかけられ火刑で焼き殺されたのは史実です。余談ですが、映画に出てくるこの幹部達がそれぞれ平野耕太さんの漫画「ヘルシング」に出てくる法王庁13課イスカリオテのメンバーに物凄くそっくりなので、ヘルシング好きはぜひこの映画見て欲しいです。平野耕太さんの漫画「ヘルシング」で13課メンバー見たとき、平野さんはこの映画見てるのかなと思いました。

話を戻しますと、国王の元で意志薄弱な国王を説き伏せて、『ルーダンには手を出さない』という許可を貰ったグランディエは喜びながら街に帰還すると、リシュリュー枢機卿配下の教会のカトリック幹部達がそこにはいて、拷問師までいて、あっという間に異端審問にかけられてしまいます。狂気の修道院長ジャンヌがまた酷い讒言をして、『グランディエの睾丸には悪魔の印がある。睾丸を切って血が出たらそれは悪魔の印である』とか意味不明なことを言って、グランディエは拷問され去勢されてしまいます。そして悪魔の使いであることを認めろと拷問をされ続けますがグランディエは決して屈服しません。

グランディエ司祭は自治都市ルーダンの執政官(領主)として人望があり、ルーダンの自衛軍を直属で動かせる立場にありました。まず最初、リシュリュー枢機卿配下の軍人がルーダンを滅ぼしに来た時は、グランディエは軍を率いてその軍人を見事に追い返しました。そして、国王へ「ルーダンには手を出さないでください」と懇願に向かったのです。ルーダンは強固な城砦自治都市であり、街の人々からの人望厚い領主、グランディエ司祭に治められている限り、陥落は容易ではありません。そのため、リシュリュー枢機卿はグランディエ司祭を悪魔の使いの異端として告発して、グランディエの人望を下げて、グランディエの街への領主としての影響力を低下させてルーダンを陥落させる作戦に出たのです。

その作戦はまんまとあたり、街はグランディエ司祭を支持する人々と、グランディエ司祭は悪魔だったという教会の情報操作を信じ込んで彼を批判する人々の二つに別れ混乱状態に陥ります。ここら辺はまんま先の現代映画「エネミー・オブ・アメリカ」です。「エネミー・オブ・アメリカ」で描かれていた情報戦闘(情報操作によるNSAの戦闘手口)は既にこの時代から行われています。

そして混乱した街の中で拷問で見るも惨たらしくズタズタになったグランディエ司祭が黒こげになるまで焼き殺されます。ここら辺は「裁かるゝジャンヌ」のジャンヌ・ダルクが焼き殺されるシーンにかなり似ていて、ラッセル監督は「裁かるゝジャンヌ」の影響を受けていると思います。

今日は僕が映画史上で最高峰であると感じる映画「裁かるゝジャンヌ」を観ました。真に信じる、真に愛することについて。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/253582.html


ただ、「裁かるゝジャンヌ」と違うのは、ジャンヌ・ダルクがボロボロ泣きながら焼き殺されて、ジャンヌを焼き殺すという行いは誤っていたとジャンヌ・ダルクを焼き殺した街の人々が気付くのとは違い、ルーダンの街の人々は最後まで自らの誤りに気付きません。グランディエ司祭は黒こげになるまで腰の辺りまでメラメラ燃えていてもずっと必死に叫び続けます。『ルーダンを守らないといけない!ルーダンの自由を守らないといけない!!自由の為に戦わないといけない!!そうしないとみんな滅んでしまう!!』と焼き殺されながら一生懸命に叫びますが街の人々は耳を貸しません。

最後は衝撃的で、グランディエ司祭がいなくなった後、無血開城した自治都市ルーダンはグランディエ司祭の必死の叫び通り、フランス軍によって殲滅虐殺され、誰もいない廃墟に、車裂き(拷問・処刑道具)が一杯立っていて、車裂きの上に街の人々が裂かれて乗っている凄いシーンになります。ベルセルクの拷問車裂き乱立シーンの実写そのままのような凄いシーンでベルセルクファンは必見です。そして、ドラクエ4のラストシーン的幻影なのか、もしくは本当に生き残ったのかは分かりませんが、グランディエ司祭が生涯の愛を誓った彼の奥さんマドレーヌが誰もいない廃墟の道をずっと独りただ静かに歩いてゆく後姿、神聖さを感じさせながら誰もいない道を歩んでゆく後姿を延々と映し出して映画は幕を閉じます。マドレーヌの後姿に強烈な神聖さを感じてとてつもなく衝撃でした。最初見たときは衝撃のあまり椅子から立ち上がれないほど衝撃的で、非常に優れた映画と思います。ラッセル監督がいうように真摯な宗教的映画と思います。

本映画は史実が元になっているのも凄いです。グランディエ司祭はフランスから弾圧されていた新教徒ユグノー派が大勢いる自治都市ルーダンを守ろうとして活躍した実在のカトリック司祭でして、修道院長ジャンヌの讒言で異端審問にかけられ火刑にされました。彼を殺す重要な役割をした修道院長ジャンヌが本映画のように本当に狂気だったのか、政治的意図を持って讒言したのか、僕の歴史的解釈は後者だと思いますが(当時のカトリック修道院長クラスの宗教幹部は政治権力と結びついています、政治史的に考えて、リシュリュー枢機卿の政治勢力と修道院長ジャンヌが手を組んでいたと見るのが妥当と思います)、映画は前者(ジャンヌ修道院長はグランディエ司祭に恋焦がれており、彼の結婚を知って嫉妬に狂った)の歴史的解釈として描いています。マドレーヌの消息は不明です。たぶん、リシュリュー枢機卿の政治手法(殲滅)から見て、実際はルーダンの人々と一緒に殺されちゃったんだろうなあと思います…。

『エネミー・オブ・アメリカ』で提起されたような問題(権力側の情報操作とそれに踊らされる人々、そして個人の倫理と、倫理を持たない安全保障を掲げる中央集権的権力の対立)は既にこの映画に全部入っていて、なおかつ、愛情と倫理を真摯に描いているお勧め映画です。ぜひご視聴お勧め致します。あと、ヘルシングファンとベルセルクファンは13課メンバーそっくりさんシーンと車裂き乱立シーンのために一度は見ておくことをお勧め致します。

最近生活苦が苦しく熱いのもあって全く眠れず、昨日映画終わった後、午後11時に床に入って一睡もできず、本日0時過ぎに起き出してきて書いたので、文章の脈絡がめちゃくちゃで申し訳ありません。ギフト券、アフィリエイトでお助けしてくださるお方いらっしゃいましたら心から感謝致します。

最後に、フランツ・リストのピアノ曲は官能的に美しい作曲が多いので、これが音楽界随一の性豪の曲か…と思いながら聴くと感慨深いものがあり、お勧めです。

参考作品(amazon)
エネミー・オブ・アメリカ 特別版 [DVD]
Liszt: Piano Works [Box Set]
人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫)
人間臨終図巻〈2〉 (徳間文庫)
人間臨終図巻〈3〉 (徳間文庫)
HELLSING 1 (1) (ヤングキングコミックス)
HELLSING I [DVD]
ベルセルク (1) (Jets comics (431))
フランス史10講 (岩波新書)
フランス史 (新版世界各国史)
三銃士 (上巻) (角川文庫)
三銃士 (下巻) (角川文庫)

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