2009年04月30日 07:06

アインシュタインに神を信じさせた良心の音楽家ユーディ・メニューイン。今月、切実に生活厳しかったところを助けて頂き、心から深く感謝します。

Yehudi Menuhin The Violinist
J.S. バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番第2番(メニューイン)(1932 - 1936)

まず始めに、前回のエントリの補足です。前回のエントリで紹介しましたイダ・ヘンデルですが、彼女の後期の大傑作「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲」が普通にamazonにおいてありました。このアルバム、以前(数年前)あらゆるところで在庫なしになっていた希少盤だったので、てっきり入手困難になっていたと思っておりました。前回のエントリで紹介できず、誠に申し訳ありません。イダ・ヘンデルはバッハに命を賭けているヴァイオリニストでして、彼女のバッハの最高傑作レコーディングと名高い非常に優れたアルバムです。イダ・ヘンデルのアルバムの中でも特にお勧めのアルバムです。

Bach: Sonatas Partitas(イダ・ヘンデル)

このことは今回のエントリの本題ではなく、今回は、イダ・ヘンデルの兄弟子、良心の音楽家ユーディ・メニューインについて感謝の気持ちと共に書こうと思います。まず、名盤でありながら現在希少盤である、メニューインのとあるアルバムについて書こうと思います。イダ・ヘンデルと同じくジョルジュ・エネスコを師匠とする彼女の兄弟子、ユーディ・メニューイン(1999年お亡くなりになりました)演奏のアルバム「ベルク:ヴァイオリン協奏曲〜ある天使の思い出のために〜」について語ろうと思います。本盤は現在、amazonだと中古7,799円、輸入盤は10300円です。名盤ですが高すぎます…。本盤は名盤ですが、いくらなんでも1枚10000円前後はないです…。10000円あったら他に買うべきメニューインの傑作アルバムが山ほどありますので…。特にメニューインの演奏する3大B協奏曲です。彼の演奏を聴いていたアインシュタインが感動のあまり、「神は存在した!!」と語ったほどの素晴らしい名演です。10000円前後あるなら、EMIのメニューインBOXを買った方が圧倒的にいいです。録音は古いながらも音質優れております。どれか1枚ということでしたら三大Bのうち、バッハ協奏曲だけでもぜひご一聴お勧めです。ナクソスより1000円前後で出ております。

ベルク:ヴァイオリン協奏曲
Yehudi Menuhin The Violinist
J.S. バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番第2番(メニューイン)(1932 - 1936)

本盤(メニューイン演奏ベルク曲盤)の面白いのは、シェーンベルクの弟子で、とてつもなくrigorism(リゴリズム、厳格主義)な実験音楽を作曲し、どの曲もあまりにも厳しく重たすぎて、聴いていると心がガチガチに硬い巨大な鉱物に押し潰されて真っ暗になる感じがするアルバン・ベルクの曲を弾きながらも、かろやかに仕上がっていて普通に一般的に聴ける曲に仕上がっているところです。

ベルクの「ヴァイオリン協奏曲〜ある天使の思い出のために〜」はとんでもなく重たいベルクの曲のなかではとてつもなく聴き易い曲でして(それでも他の曲と同じく、ガチガチにリゴリスティックな部分が多く、非常に重いです。ベルクの書いた最後の曲です)、そのため様々なヴァイオリニストに弾かれましたが、やはり重く苦しいです。これは弾いているヴァイオリニストの責任ではなくて、ベルクの手によりそのような作曲がなされているということです。シェーンベルクの弟子、ベルクの曲はみな厳しく重いです。

師匠シェーンベルクはパロディ的編曲の名手で古今東西の調性クラシック音楽の名曲をパロディ化した編曲を幾つも作曲している茶目っ気があります。シェーンベルクのアルバム「フニクリ・フニクラ!知られざるシェーンベルク」はシェーンベルクが古今東西の名曲をパロディ編曲したアルバムで面白いです。シェーンベルクのアルバムのなかで僕はこのアルバムが一番好きです。これも絶盤で高値がついていて、高すぎてお勧めできず残念ですが…。茶目っ気ある師匠に比べると、弟子のベルクの曲はどれもひたすら絶対的に厳しく重い感じです。

フニクリ・フニクラ!ー知られざるシェーンベルク

ですが、メニューインの弾いた「ヴァイオリン協奏曲〜ある天使の思い出のために〜」は、重い本曲の演奏の中では最も軽やかで良い意味で聴き易い演奏だと思います。僕はこれは、メニューインの人柄が反映しているのかなと思います。奇人変人達に占められている天才達のなかで、メニューインは史上稀に見る『温和穏健な心優しい良心的天才』で、これは驚くべきことです。心理学者の宮城音弥さんは著書「天才」のなかで、『良心的で温和穏健な人格円満の芸術的天才は存在しない』といったことを書いていますが、メニューインはそれを覆す驚くべき存在です。

厳しくて重たくて堪らないベルクの曲を、軽やかに弾けるのは、メニューインの温和穏健な、敵を作らず、人と仲良くでき、面倒見の良い優しい性格が反映しているのかなと思います。彼は、先日の下記エントリで紹介致しました、犬猿の仲を超える超絶的に敵対関係のトスカニーニ、フルトヴェングラー両方と仲良くし、先輩、同期、後輩への付き合い良好、人々の為に一生懸命尽くし、良い意味で温和穏健な優しく凄い人です。

僕の好きな指揮者トスカニーニ「スケーターズ・ワルツ」「Beethoven: The 9 Symphonies」。ナチスに運命を狂わされた指揮者。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/809523.html


メニューインの伝記を読んでいると彼はとても立派で、僕にはこの境地は到底無理だと思いました…。そんな彼の人柄が彼の演奏の軽やかさに反映されているのかなと思います。彼もまたイダ・ヘンデルと同じく、若き頃から神童として大活躍した名ヴァイオリニストです。「ベルク:ヴァイオリン協奏曲〜ある天使の思い出のために〜」より引用致します。

1999年3月12日、ベルリンで急性心不全のため82歳の生涯を閉じたユーディ・メニューインは、いうまでもなく20世紀を代表するヴァイオリニストのひとりだが、指揮者・教育者としても活躍、また音楽以外でも人道主義者としての多方面による活動により、世界中で最も敬愛された音楽家であった。(中略)

4歳の誕生日を迎えてからシグムント・アンカーにヴァイオリンを学び、7歳のときにはベリオの「パレエの情景」をはじめて聴衆の前で演奏するほど、めざましい才能を発揮している。(中略)

メニューインは1927年2月(メニューイン10歳の時)にはパリでポール・バレー指揮のラムルー管弦楽団と『スペイン交響曲』とチャイコフスキーの協奏曲を演奏して圧倒的な成功をおさめた後、彼がサンフランシスコ時代から憧れていたジョルジュ・エネスコに師事する。エネスコはメニューインの非凡な才能を愛し、「私が彼に教えるのと同じだけ私に教えてくれる」といってレッスン代を取らなかったし、メニューインもエネスコから芸術面だけでなく人間的にも多大な影響を受けたのである。(中略)

神童メニューインの名前は(エネスコを師とした修行と活躍により)世界的になったが、それを決定的にしたのは1929年4月12日(メニューイン、この時、12歳)のベルリン・フィルへのデビューだった。メニューインはブルーノ・ワルターの指揮で三大B(バッハの第2番、ベートーヴェン、ブラームス)を演奏し、稀にみる成功をおさめたのである。

終了後、感動と興奮で騒ぐ聴衆を静めるために警察を呼ぶほどであり、聴衆の一人だったアインシュタインは興奮して『今、私は神の存在を信じる』と語り、ワルターは回想記に『驚いたのは、メニューインが技巧的に見事だったということではなく、彼が(齢12歳にして既に)精神的にも成熟した演奏を示したということである。その点にこそ奇跡はあったのだ』と書いている。(中略)

(その後も世界的神童として活躍し)1934年には神童嫌いで有名な(以前のエントリにて書きましたがその当時、世界最高の人気を誇った指揮者である、奇人変人かつ気難しい天才指揮者の)トスカニーニと競演して例外的に気に入られたという。(気難しがり屋のトスカニーニに気に入られるのはとてつもなく難しいことです)。おそらく当時のメニューインほどセンセーショナルな成功をおさめた神童はいないだろう。実際、当時の録音はとても10代の少年とは思えぬほど音楽的にも成熟した優れた演奏が多い。(中略)

第二次世界大戦がはじまると(妹弟子のイダ・ヘンデルと同じく)連合軍の戦場や病院などを飛び回って慰問演奏や各地で慈善演奏会を最も熱心に行ったほか、アメリカに亡命したバルトークの作品を積極的に演奏し、無伴奏ソナタを依頼している。この大戦中のひと月に60回〜70回の演奏も稀ではなかった(一日中演奏・移動・演奏・移動の超ハードワーク)という激務が、その後のメニューインの演奏にさまざまな面で影響を与えたと言われている。(メニューインは戦時の超人的な激務で身体を壊してしまい、生涯、その後遺症が残りました。またメニューインのとてつもなく偉いのは、ナチスから高級将校級の特権を与えられるかわりにナチスに協力してナチスドイツ軍への慰問演奏を行ったフルトヴェングラーとは違い、メニューインは一切無償で連合軍への慰問演奏、連合国側の土地での土地の人々への無償の慈善演奏会を連日連夜ひとときも休まず人々を音楽で励ます激務を行いました。彼は連合軍からの報酬を受け取りませんでした。戦地の人々は軍人、民間人ともに、連日連夜見事な音楽をひたすら演奏して慰問する若き彼に励まされたという逸話が伝わっています。)

(連合軍の勝利に貢献したメニューインは)だが、大戦後もメニューインはナチスの協力者と敵視されていたフルトヴェングラーを率先して擁護し(戦争中は連合側メニューインと枢軸側フルトヴェングラーは敵同士でしたが、戦後二人は仲良くなりました。反ファシズム音楽家として同じ立場で協力しあっていたトスカニーニとは元々仲が良いので、トスカニーニ・フルトヴェングラー両方とメニューインは仲良くなりました)、またほとんどのユダヤ系(音楽家)が拒否したドイツでの演奏も(戦後すぐに)行い、1951年には戦後初の大物外国人演奏家として来日するなど(この頃の日本はファシズム枢軸国側としてドイツと同じく連合国側から嫌われており、西欧の芸術家達は来日を拒否しましたが、メニューインだけが率先して来日して「音楽に国境はない」と友好を唱えました、日本の批評家小林秀雄がメニューインの活動に感動して謝意を示したことでも有名です。詳細は1951年の来日アルバム「メニューイン・イン・ジャパン1951」等)、人間愛にもとづく演奏活動を精力的に続けた。

1956年からスイスに住み、クシタートで音楽祭を開催したほか、1977年には国際メニューインアカデミーを設立して若い音楽家の育成も熱心に行い(彼は戦中の超人的激務で身体を壊しており、戦後は無理が出来なかったので、その分の全てを音楽家の育成と慈善活動へと回したと言われています)1959年からはロンドンを本拠にイギリスでもバース音楽祭の音楽監督、指揮者として活躍、1963年には世界中の子供のための早期英才教育期間としてメニューイン・スクールを創設、またウィンザー音楽祭とメニューイン音楽祭を主催したことなどは、改めて紹介するまでもないだろう。(中略)

(世界平和を掲げて世界中で活動し)世界中のオーケストラに客演するなど多彩な活躍をつづけたメニューインは(音楽界のジャンル意識、階級意識、クラシック界の悪しきエリート意識を無くす為に活動し)音楽的に異質とも思える多くの音楽家と精力的に競演した。メニューインと共演したシェーンベルクを、「生涯で最高の経験のひとつ」というグレン・グルードをはじめ、ジャズのエリントンとグラッペリ、インド音楽のシタールのラヴィ・シャンカールなど、さまざまなジャンルの音楽家とも共演したように、国家や宗教を超越した人間愛にもとづく言動(活動)でも大きな影響を(世界中に)与えた。その意味でも20世紀の傑出した音楽家の一人であった。
(メニューイン「「ベルク:ヴァイオリン協奏曲〜ある天使の思い出のために〜」ライナーノーツより)

メニューインほど評判のいい音楽家は、僕の知る限り存在しません。音楽界のキング牧師という感じで、良心的で、常に人々のために尽くした温和穏健なお方で、凄いです。戦争で身体を壊す前の演奏、アインシュタインを感動させた伝説の演奏を聴きたかったなと心から思います。身体を壊した後の戦後も天才的に名演を聴かせてくれるヴァイオリニストですから、戦前、アインシュタインに神を信じさせたほどの演奏はどれほどだったのかと思います。戦争さえなければ身体を壊すことなかったのに…と心から思います。

メニューインの演奏のなかでもベルクの「ヴァイオリン協奏曲〜ある天使の思い出のために〜」はとても軽やかで、これは、ベルクの心情を優しく良心的なメニューインがきっと気持ちを汲んだのだと思います。この曲は夭折した少女マノンに捧げられた曲です。ライナーノーツより再び引用致します。

マーラー未亡人アルマが、建築家グロビウスと再婚してもうけた娘のマノン。ベルクは、マーラーを尊敬し、アルマ夫人とも親しかったが、マノンをことのほか可愛がっていた。少女は17歳の春に小児麻痺にかかり、ベルクは心を痛めていたが、一年後に訃報をきいて、そのショックから霊感を得た彼は、「ルル」の筆(作曲)を中断、マノンのためのレクイエムとして、ヴァイオリン協奏曲を一気に書き上げてしまった。ベルクはクラスナーへの献呈の言葉と共に『ある天使の思い出のために』と記した。が、彼はこのころから悪性の腫瘍と敗血症に犯されて(ナチスからの弾圧が健康を害したとも一説に言われている)、四ヵ月後にウィーンで世を去り、この曲はベルク自身のレクイエムにもなってしまうのである。
(メニューイン「ベルク:ヴァイオリン協奏曲〜ある天使の思い出のために〜」ライナーノーツより)

メニューインは良心的で優しく、本当に他人の為に尽くせる人として知られていますから、演奏するときは当然こういった曲の背景を知った上で、気持ちを込めて演奏したことで、この曲に、他の演奏家には出ていない軽やかさを出すことができたのではないかなと僕は思っております。メニューインの記録映像は「アート・オブ・ヴァイオリン」で見ることが出来ます。本DVDはとても良質な記録DVDで、先日紹介致しました僕の大好きな悲劇の女性ヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴーを見たときは非常に感動致しました。

ジネット・ヌヴーとジャクリーヌ・デュ・プレ。ジャクリーヌ・デュ・プレEMI完全録音集(17枚組)が再販されました。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/812752.html

アート・オブ・ヴァイオリン [DVD]
アート・オブ・ヴァイオリン [DVD]

今月はパソコンが壊れて出費が酷くかさみ、一時はもうダメだと思っていましたが、ギフト券を贈って頂き助けていただいて、心から感謝しております。メニューインのようなお方がいらっしゃることに救われました。本当にありがとうございます。心から感謝申し上げます。ありがとうございます。心から深く感謝致します。

皆様方にどうか良き連休があることを祈ります。

参考作品(amazon)
Yehudi Menuhin The Violinist
J.S. バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番第2番(メニューイン)(1932 - 1936)
ベートーヴェン・メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(メニューイン)
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(メニューイン)
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番/パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番(メニューイン)
ベルク:ヴァイオリン協奏曲
J.S. バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ BWV1001, 1002, 1004 (メニューイン)(1934 - 1935)
J.S. バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ BWV1005, 1006 (メニューイン)(1934 - 1944)
メニューイン・イン・ジャパン1951
モーツァルト/ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ(メニューイン)(1929-1947)
メニューイン・イン・ジャパン1951
Bach: Sonatas Partitas(イダ・ヘンデル)
フニクリ・フニクラ!ー知られざるシェーンベルク
天才 (岩波新書 青版 621)
アート・オブ・ヴァイオリン [DVD]

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