2009年04月26日 16:11

現代音楽について。古楽について。僕の大好きな古楽合唱団「タリス・スコラーズ(The Tallis Scholars)」音楽の喜び。

Allegri: Miserere
ポケットのなかの東欧文学―ルネッサンスから現代まで

昨日書きました様に、お金がなく生活が極めて困難で、人間が生きるにはどんなに切り詰めてもお金がかかることが身に染みて辛いです。非常に心身ともに不調なのですが、失業している為、ギフト券とアフィリエイトのみが唯一の収入源・生活費であり、更新しないと生活が危機状態に陥ってしまうため、頑張って更新しようと思います。今回は、なぜバッハやモーツァルトやベートーヴェンのような曲は現代に生まれないのかということを現代クラシック音楽界の情勢と含めて、少しご説明させて頂こうかと思います。

絶対権威化した前衛音楽に抵抗する、美を求める音楽。吉松隆「プレイアデス舞曲集」シチェドリン「封印された天使」
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/808309.html


以前、上記エントリで作曲家の吉松隆さんや音楽評論家の磯田健一郎さんが「前衛音楽であらずんば現代クラシック音楽にあらず」という風潮を批判しているのを引用してご紹介させて頂きましたが、僕も全く同感です。元来、前衛音楽は音楽の幅を広げ、音楽豊かさを追求するものとしてあったはずが、今(2009年現在)は完全にそれ自体が権威化して、前衛以外の音楽を抑圧するメカニズムになり果てています。

とりみきさんの漫画「ときめきブレーン」(ちくま文庫)で、「前衛音楽を作ろう」といって登場人物が大工道具を背負ってるシーンがありましたが、本当にこんな感じで、例えば、以前聴きました21世紀の高評価されている現代前衛音楽家達の曲を集めた音楽CDシリーズ集「EDITION ZEITGENOSSISCHE MUSIK COLLECTIONS」シリーズ(ドイツからの直輸入で買っていたので、amazonHMV等にはないようです)などに収録された音楽の一例を挙げますと、

『延々とのこぎりで木材をギコギコ斬っているだけの音楽曲』
『延々とトンカチで鉄板か何かを叩いているだけの音楽曲』
『延々とテレビ終了放送後のノイズのような音だけがしている音楽曲』
『延々と無音で時々謎の音がする音楽曲』
『銃声?みたいな音が散発的になるだけの音楽曲』
『調律を狂わせたピアノの鍵盤をデタラメに叩いているだけに聴こえる音楽曲』
『耳障りな謎の音がピンピンなっていて聴いていると頭痛がしてくる音楽曲』等々、

僕自身も含めて、どう聴いてどう考えてもほとんどの人々にとって受け入れがたいであろう音楽曲が沢山あります。どこからどう聴いてもこれらの曲のほとんどは意味不明以外の何ものでもありません。たまに音楽として面白く聴ける素敵な前衛実験曲もありますが、だいたいにおいてシオドア・スタージョンの唱えた万物法則『この世のあらゆるものの九割は屑である』を体現しています。このことは、逆に言えば、一割は良いものがあるということです。例えば、先に挙げた「EDITION ZEITGENOSSISCHE MUSIK COLLECTIONS」シリーズでは、Tobias PM Schneid(作曲家の名前です)の作曲した曲なんか奇怪かつグロテスクですが奇妙な魅力のある不協和音の曲で僕はとても好きです。Stephan Winkler、Jens Joneleit(作曲家名)の曲なんかもいいです。この二人はドラゴンクエストやファイナルファンタジーのラスボスのいるダンジョンっぽい感じの不気味でぞくぞくする曲を作られます。聴いているとぞくぞくします。

ただ、いわゆるあまりにもアレな残り九割を含めた、一般的にはどう聴いて意味不明系統の曲の方が、グレツキや吉松隆さんの作る古典派クラシックの系譜の曲(誰にでも分かりやすく美しい調性音楽)の数々よりもクラシック界で高評価され、逆に分かりやすくて美しい、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの系譜を引き継ぐ現代クラシック曲(先に挙げた調性音楽)は、クラシック界からパージ(排斥)されてしまうという残念な風潮が現代クラシック音楽作曲界の大勢としてあります。

なぜこのようなことになってしまったかというと、クラシック音楽界を特権化したいという思惑を持った一部の勢力の意向が働いていて、その最大の特徴は反ポピュリズムです。『一般聴衆に理解されず売れない前衛音楽(実験音楽)こそが聖なる特権的なクラシック界の頂点なる権威であり、一般聴衆に売れるポピュラーなクラシック(古典調性音楽の系譜)は大衆に魂を売った俗な音楽でクラシックとは認めがたい』という、おかしな思想が、20世紀〜21世紀現代において風潮として強まってゆき、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの流れを汲むような調性音楽を作る現代クラシック作曲家は、前衛音楽の絶対権威の名の元にパージされるという風潮、ありとあらゆる権威に反抗した現代音楽における最大の功労者ジョン・ケージが見たら激怒しそうな状況になっています。

ちなみに彼ら(反ポピュリズムを掲げる前衛現代音楽原理主義派)を見分けるのは結構簡単で、『現代前衛クラシック音楽のマニア、音楽評論家などで、古典クラシック音楽全般に敵意を持ち、特に指揮者カラヤンに対して敵意を持っている連中』はだいたいこういう勢力です。一般聴衆を大切にしたカラヤンは、こういった勢力(反ポピュリズムを掲げる前衛現代音楽原理主義派)に敵対視される筆頭でした。カラヤンを根拠なく罵倒している連中は大体この辺の勢力に位置しています。世界中で『アダージョ・カラヤン』がベストセラーになった時など、彼らは大変怒り狂いました。僕はミニマリズムなどの前衛音楽は好きですが、前衛音楽以外をパージする前衛音楽原理主義派は大嫌いです。そしてカラヤンは昔から最高に心底から大好きな指揮者です。カラヤンの指揮した1950〜1980ぐらいまでの演奏は僕に出来うる限りほぼ全て網羅して聴いております。

後、これだけは強調したいのは、僕は古典派クラシックも大好きで、なおかつ前衛音楽も大好きです。大好きじゃなかったら、「EDITION ZEITGENOSSISCHE MUSIK COLLECTIONS」シリーズとか聴いたりしません。前衛音楽には面白い斬新な曲もあって、そういうのを掘り当てたときにとても喜びを覚えます。ただ、昨年度から失業しお金がなく生活に困っており前衛音楽を全然聴いておりませんので、最近の風潮は不明です。古典派クラシックの系譜の現代音楽も、前衛音楽も、対立して排斥する関係ではなく、共存して互いに存在しあえる豊かな音楽関係になれればいいなと心から思っています。

新しいもの(前衛音楽)を全否定するのが愚かしいように、古いもの(古典派クラシック)を全否定するのも愚かしいことだと思います。今の現代クラシック音楽作曲界は、後者の罠(古典派全否定)に入ってしまっており、残念に思います。

前ふりが長くなりました。僕は古楽大好きなので、今回はヒリヤード・アンサンブルに並ぶ古楽合唱の最高峰、タリス・スコラーズ(The Tallis Scholars)の音楽アルバムについてご紹介させて頂こうと思います。

タリス・スコラーズの名盤と言えば、「Allegri: Miserere」(アレグリ「ミゼレーレ」が有名ですが、このアルバムが現在、謎なことに、amazonで900円台です。驚異的な安さです。安いってレベルジャネーゾって感じの超絶な安さです。円高の影響を考えても安すぎます。数年前の値段が国内版が3000円前後、輸入盤で3000円前後、現在は円高の影響を受けて安くなっておりますがそれでもHMVで輸入盤が1900円台です。なんでこんな安いのか謎です。amazon.comでも15ドルしてるので、amazon.comよりも安いです。amazon.co.jpの輸入盤音楽アルバムはときどき驚異的な値引きを行うので(倉庫から在庫を一掃するときとか、驚異的に安くなるのかなと推測しています)とてつもなくお買い得です。三日前ぐらいに見たときは在庫ありになってましたが、現在見ましたら、残り2点になっていて、売れているようなので、本アルバムを持っておらず、間違いなく世界最高峰クラスの美しい宗教古楽合唱曲が聴きたいお方々はよろしければぜひお早めの購入を心からお勧め致します。
Allegri: Miserere
Allegri: Miserere

古楽合唱においては、タリス・スコラーズとヒリヤード・アンサンブルが双璧を為す世界最高峰の合唱団です。僕はヒリヤード・アンサンブルも好きですが、タリス・スコラーズが一番好きです。男性の声が強調されているヒリヤード・アンサンブル(ヒリヤードは男性合唱団)に比べると、男女の混声合唱団にであるタリス・スコラーズは、綺麗に男女の声が調和していて素晴らしく美しく、ヒーリング・クラシック・ミュージックの最高峰の一つであることは間違いないと思います。以下、タリス・スコラーズがご紹介されているHPさんから引用致します。トマス・タリス生誕500年記念公演紹介ページです。

トマス・タリス生誕500年記念公演【トマス・タリス生誕500年記念公演】
http://www.allegromusic.co.jp/tallis.htm

1973年、ピーター・フィリップスによって結成された。CDとコンサートを通して、いまやルネサンス教会音楽においては世界最高の合唱団と目される。タリス・スコラーズとは、16世紀イギリスの作曲家トマス・タリス(1505頃-1585)の音楽を学びきわめる人々の意。フィリップスはルネサンス音楽に最も適した純粋で澄んだ音を選び、その完璧な調和と融合によって、音楽の微細なきめを描き出す。そこに立ち現れる音の美、それがタリス・スコラーズの名を不動のものにしている。

タリス・スコラーズは、あるときは教会で、あるときはコンサート・ホールで歌っている。その数は毎年約80回に達する。1年に少なくとも2回公演旅行を行なうアメリカでは、ア・カペラのスーパースターと絶賛された。1994年、ミケランジェロのフレスコ画修復完成を祝う記念行事の最後を飾り、システィーナ礼拝堂での演奏を許された。1998年、クラウディオ・アッバートに招かれてイタリアのフェルラーラで歌い、ロンドンのナショナル・ギャラリーで結成25周年記念コンサートを行なった。プログラムはジョン・タヴナーがタリス・スコラーズのために書いた作品(初演)。ナレーションをスティング、司会をデイヴィッド・アッテンボローが引き受けた。1998年12月5日、1000回目のコンサートをニューヨークで行なった。

1994年2月、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ教会で、その聖歌隊長だったパレストリーナ没後400年記念コンサートを行なった。このコンサートを収録したヴィデオとCDがタリス専門のレコード会社ギメルから発売された。1996年、ポリグラムとの提携により、ギメルの市場は大きく広がった。

1987年、ジョスカン・デ・プレの「ミサ・ラ・ソル・ファ・レ・ミ」と「ミサ・パンジェ・リングヮ」がイギリスのグラモフォン誌のレコード・オヴ・ジ・イヤー(古楽で初めての受賞)に選ばれたのをはじめ、フランスのディアパゾン誌のディアパゾン・ドール・デ・ラネー賞(ラッススとジョスカンの「ミサ・ロム・アルメ」1989年)、グラモフォン誌のアーリー・ミュージック賞(パレストリーナの「ミサ・アスンプタ・エスト・マリア」1991年)、同賞(チプリアーノ・デ・ローレとジョスカン、1994年)、クラシックFMとグラモフォン誌の合同主催コンクールでのピープルズ・チョイス賞など、多くの重要な賞を贈られた。

本盤「Allegri: Miserere」は、タリス・スコラーズの名を全世界に知らしめた伝説的CDで、合唱団はどこもそうですが、年月によってメンバーが入れ替わるので、まさに、もはや本メンバーによってリアルタイムでは聴くことの決して叶わぬ伝説の音楽CDです。ちなみにタリス・スコラーズは日本での人気が高く、ウィーン少年合唱団などと同じく親日合唱団で知られ、ウィーンと同じく日本にもたびたび来日します。アルバムを聴いてタリス・スコラーズの美しい古楽合唱がお気に召されたお方々は、ぜひタリス・スコラーズの他のアルバム(ベスト盤が多く出ています)をお聴きになったり、来日コンサートに行ってみたりすると、音楽の楽しみが豊かに広がってゆくと思います。

タリス・スコラーズの音楽アルバムは、先のアルバムのamazonの驚異的安さは例外で、だいたい、一枚国内盤で出た場合3000円、輸入盤3000円弱ぐらいのアルバムでリリースされることが多く(国内盤はほとんどでないので入手困難です)、数年立つと、それまで収録したアルバムから人気の高い曲をセレクトして、3000円弱ぐらいで二枚組のベスト盤を出し、今ではベスト盤の方がオリジナル盤並に沢山でていると思います。確かベスト盤が2枚組で12セットぐらい出ていて、オリジナル盤が17枚くらいだったかと思います。ベスト盤の曲がダブりまくり状態なので、ベスト盤でなるべく曲がかぶらないようにチョイスして購入してゆくのが一番コストパフォーマンス的に安上がりだと思います。お勧めのベスト盤は、「トマス・タリス特集盤」「バード特集盤」「パレストリーナ特集盤」「ジョンソン・デュ・プレ特集盤」「クリスマス特集盤」「レクイエム特集盤」辺りがダブりが少なくて良いのではないかと思います。以下、リンクです。上から「トマス・タリス特集盤」「バード特集盤」「パレストリーナ特集盤」「ジョンソン・デュ・プレ特集盤」「クリスマス特集盤」「レクイエム特集盤」となります。

The Tallis Scholars Sing Thomas Tallis
The Tallis Scholars Sing William Byrd
Tallis Scholars sing Palestrina
The Tallis Scholars Sing Josquin
Christmas with the Tallis Scholars
Requiem

前衛音楽に優れた良い音楽作品があるように、古楽にも素晴らしい美しさを湛えた名音楽アルバムが今現在も出ている(現在、タリス・スコラーズはジョンソン・デュ・プレ全集を製作中でメンバーは入れ替わりながらも近年もずっと活動してリリースを続けています)、ぜひ、こういった古楽の名曲にも耳を傾けてそこに音楽の喜びが生まれてくださいましたら、美しい音楽を愛好するものとしてとても幸いに思います。先に挙げた900円台の廉価アルバム「Allegri: Miserere」は、神童モーツァルトが一度聴いただけでその音楽に感動して楽譜を書き上げたという伝説のある宗教音楽の最高峰の一つたる名曲ですが、同時収録されているウィリアム・ムンディの「天から父の声が」とパレストリーナの「教皇マルチェルスのミサ」も宗教音楽の名曲です。本盤だけでもぜひ、お勧め致します。僕の知る限り、間違いなく現世界における最高の宗教合唱音楽アルバムです。

最後、またこのようなことを書いて、誠に申し訳ないのですが、予想外の出費重なり、現在生活困窮しており、ギフト券・アフィリエイトにてお助けして下さるお方々に、心から深く感謝いたします。どうか、もしご余裕あるお方々あれば、お助けしてくださると、とても生活助かり、心から感謝致します。

生活が苦しいと、旧約聖書の哀歌をモティーフに東欧の最高の詩人の一人ヤン・コハノスキが作詞した哀歌「挽歌」(悲嘆を歌っています)のような心持で、どうか、ご慈悲お賜わりございましたら、心から感謝致します。「挽歌」より引用致します。

ヤン・コハノスキ。東欧文学詩選集「ポケットのなかの東欧文学」より

「挽歌」

おお、人間の過ち!おお、人間の狂える夢想!
思い通りに物事が運び、人の頭に
悩みのないうちは、知恵をひけらかすことの
何とたやすいことか。

満ち足りた暮らしにあっては清貧を称え、
愉悦のなかにて――悲しみを軽んず。
吝い紡ぎ手にも毛糸の足りているうちは
死神をみくびる我ら。

だが貧困、或いは災いが襲い来れば即ち、
生きること言うほどには易からず、
我らの方に駆け寄ってきてはじめて
相手にされる死神。(中略)

太陽が昇って輝こうと
沈んで光が消えようと
私の心はひとしく痛み
決して安らがない。

眼は一時も乾くことなく
久遠に泣き続けなければならない。
私は泣かなければならない!
おお!わが神よ!
誰が汝の眼を逃れよう?

人はいたづらに海を渡りはしない。
いたづらに戦にでる者もいない。
どこへ行こうと不幸は襲う。
たとえそれが信じられずとも。

今現在、僕はまさにこのような心持で、僕の心情を歌っているかのように感じます。

参考作品(amazon)
Allegri: Miserere
The Tallis Scholars Sing Thomas Tallis
The Tallis Scholars Sing William Byrd
Tallis Scholars sing Palestrina
The Tallis Scholars Sing Josquin
Christmas with the Tallis Scholars
Requiem
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ときめきブレーン―自選短篇集 (ちくま文庫)
ポケットのなかの東欧文学―ルネッサンスから現代まで

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