2009年04月24日 04:32
絶対権威化した前衛音楽に抵抗する、美を求める音楽。吉松隆「プレイアデス舞曲集」シチェドリン「封印された天使」
プレイアデス舞曲集
シチェドリン「封印された天使」 (ハイブリッドSACD) [Import]
先日より色々と、沢山の苦難と出費が重なっており、生活的にも心身的にも辛い状態です。美しく、人々の心を癒してくれる音楽をご紹介して、少しでも皆様方のお役に立ちたいと思っています。現代音楽の中でも最も古典的に美しく、心を癒してくれる音楽であると思う、吉松隆「プレイアデス舞曲集」とシチェドリン「封印された天使」をご紹介致します。先日の下記エントリとも通じる話です。
悲劇の音楽家コルンゴルト「2つのヴァイオリン,チェロ,左手ピアノのための組曲」「死の都」ローデンバックと永井荷風。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/807117.html
コルンゴルトはその被害にあった先駆ですが、20世紀におけるクラシックは、無調音楽から前衛実験音楽へという流れが主流であり、過去の古典派を引き継ぐコルンゴルトら、古典主義的音楽家は古臭い守旧音楽家としてパージ(排斥)され、また、前衛実験音楽は大衆受けしないため、大衆受けする音楽を作るものも、ポピュリストとしてパージされました。僕の愛好する名作曲家コルンゴルトはこの流れに巻き込まれ、作品のクオリティを評価されることなく、ただ「コルンゴルトの音楽は古典主義的である」という、作品のクオリティとは関係のないジャンル的な闘争によって、葬り去られました。とても悔しいです。
本来は、新しいもの、音楽を豊かにするために作られた無調の技法や、前衛実験音楽が20世紀には圧倒的に権威化して、古典主義的作曲を古きものとしてクオリティを顧みることなく十把一からげにして排斥するという最悪の事態が起きたのが今、21世紀に至るまで、20世紀前半から現代までのクラシックの流れとして残念ながらあり、古典主義に則った美しい音楽を作る古典的クラシック作曲家は保守反動として、音楽の質を顧みられることなく、パージされてきた悲しい歴史があります。このことによって古典的クラシックの作曲は急激に衰退しました。以前下記URLでご紹介致しました僕の好きな作曲家、グレツキもこの被害にあった一人です。『絶対的権力は絶対に腐敗する』という言葉がありますが、20世紀、クラシック音楽界において前衛音楽作曲が主流派として絶対的権力を握ってゆくことで、それは古典的クラシック作曲家を抑圧してパージする腐敗した権力になってしまったところが、厳然として今現在もあります。
「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」星新一の猫ショートショート「災難」
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/735624.html
しかし、この前衛の権威化と抑圧に対して、それでも、古典的で美しい音楽を作ろうとした作曲家達がいます。その最も代表的な作曲家は、日本人の吉松隆さんです。吉松隆さんは古典的クラシック作曲の現代における第一人者であり、ドビュッシーなどを彷彿とさせる素晴らしく美しい音楽を作曲しています。前衛実験音楽を絶対的権威として古典的クラシックをパージする現代クラシック音楽界に、そういった権威に負けず、ただ、美しい曲を創りたいという一念にて、古典的クラシック作曲を行っている、勇気ある日本人作曲家がいること、僕は同じ日本人として、嬉しく思います。
そんな吉松隆さんの曲のなかで、僕が最も美しいと感じ、愛好する曲は吉松隆さんのピアノ曲集「プレイアデス舞曲集」です。筆舌に尽くしがたい古典的美しさを持った名ピアノ曲集であり、バッハを祖とし、ドビュッシーやシューマンのピアノ曲に全く劣らずに匹敵する、それどころか、超えている部分も散見させられる、とても美しいピアノ曲であり、現代の類稀なる名盤であると僕は心から断言するピアノアルバムです。ライナーノーツより引用致します。
僕は吉松隆さんの音楽が大好きで、特に「プレイアデス舞曲集」は、歴史的巨匠の創った古典クラシックに匹敵する名ピアノ曲集だと思うので、吉松隆さんが、現代クラシック音楽界からパージされているということを知って驚嘆しました。世界的な現代クラシック音楽の流れとして、無調音楽、前衛実験音楽こそが現代クラシックの正統なる嫡流であり、古典派クラシックは大衆に媚びるポピュリズムに過ぎず、徹底的に潰すべき、という、現代クラシック音楽作曲界が自分で自分の首を絞めているとしか思えない、とんでもない前衛を絶対化する権威化が進んでおり、吉松さんのように調整音楽を創ると、クオリティは度外視され、「調性音楽である」というそれだけで批判の対象になって、パージされてしまいます。
僕はこのような前衛音楽(無調音楽)の絶対権威化、クオリティを度外視して、ジャンル(無調音楽か、調性音楽か)によって優劣を決めて、調性音楽を劣っていると無理矢理決め付け、調性音楽を現代クラシック作曲界からパージする風潮は、百害あって一利なしと思います。このような風潮が今後も続くなら、現代クラシック音楽作曲界は今後も衰退を免れないと思います。こういった風潮によって被害を蒙ったのは、コルンゴルト、グレツキ、吉松隆さん、そしてこれからご紹介しようと思うシチェドリンなど、優れた音楽家のなかに大勢いて、悲劇的です。まさに「絶対的権力は絶対に腐敗する」の言葉通り、前衛音楽(無調音楽)が絶対権力を握ったことで、現代クラシック作曲界の中に酷い腐敗が起きています。
僕は、こんなジャンル的絶対権威(現代クラシック作曲における無調音楽の絶対化と、調性音楽を滅ぼそうとする動き)には反対なので、僕自身が純粋に無心に聴いた音楽のクオリティで、判断したいと思っています。そして、「プレイアデス舞曲集」は、まさに現代音楽の名盤、大勢の人々の心を癒し安らげる、優しく美しいピアノ曲の名盤と思います。ぜひご一聴お勧めするアルバムです。
プレイアデス舞曲集
次に、シチェドリンの音楽をご紹介させて頂こうと思います。シチェドリンも吉松隆さんと同じく僕の大好きな作曲家ですが、この方もまた悲劇的な作曲家で、作品のクオリティではなく、ジャンルで判断されてしまい、吉松さんと同じく、作曲家としてとても優れた才能を持ちながら、辛酸を舐めている作曲家です。
シチェドリンは、東側(ソビエト連邦、現ロシア)において活躍中の作曲家です。東側では、ソビエト連邦支配時代、西側が「無調音楽」を絶対として調性音楽を弾圧していたように、「社会主義リアリズム音楽」を絶対として、それ以外の音楽を弾圧していました。この社会主義リアリズム音楽というのは、ぶっちゃけ、非常に曖昧かつ恣意的なもので、党幹部が聴いてその曲を気に入ったら「この音楽は社会主義リアリズム音楽だ、褒美を授けよう」、党幹部が聴いてその曲を気に入らなかったら「非社会主義リアリズム音楽だ!!この作曲家は反動主義者だ!!シベリア送りにせよ!!」というようなメチャクチャなもので、東側の音楽文化に壊滅的打撃を与えました。
シチェドリンは「社会主義リアリズム音楽」の大家として(つまり、党幹部に気に入られている音楽家として)、ソ連作曲家同盟議長という、東側の作曲家の最高位まで出世しましたが、これは結局、自由に音楽を創れなかったということです。「非社会主義的リアリズム音楽を作曲した」として党幹部に睨まれて西側に亡命した東側の作曲家達や西側の作曲家達からは、党の御用作曲家として批判されましたが、しかし、人命がとてつもなく軽い独裁体制下のソビエト連邦において、党幹部に睨まれたらシベリア送り(実質的な処刑)になるわけで、自らの命を守る為、党幹部のための曲を創るというのは、彼と彼の家族の命を守るために止むをえなかったことと思います。彼はソビエト連邦が崩壊するまで、自分の自由に曲が創れたことはなかったとインタビューで述べております。
ソビエト連邦が崩壊してゆくことで、一気にロシアが自由化してゆき、自由に音楽が創れるようになってゆきました。彼はそのとき「自分の自由に曲を創りたい、ソビエト連邦下では禁止されていた宗教音楽を創りたい」と思ったといいます(「封印された天使」ライナーノーツより)。しかし、ソビエト連邦崩壊後に彼を待ち受けていたのは、ソビエト連邦体制下で、党幹部に睨まれ煮え湯を飲まされた大勢の人々からの、ソビエト連邦の音楽界の頂点にいた彼に対する憎しみでした。彼はソビエト連邦崩壊後、西側からだけでなく、自国(ロシア)からも「党に音楽家の魂を売った作曲家」として徹底的に批判され、彼の曲の多くはパージ(排斥)されました。彼の曲は今も手に入りにくいです。
しかし、悪いのは独裁権力を振るって音楽家を痛めつけていたソビエト連邦党幹部達であり、シチェドリンもまた被害者であると僕は思います。優れた作曲家でありながら、自らの命と家族の命を守る為、自由に音楽が創れないことが、どれだけ苦痛であったか、そのことを思うと胸が痛みます。
そんなシチェドリンが、ソビエト連邦崩壊後、本当に自由に、自分の創りたかった音楽を創ったと彼自身が述べているのが、彼の最高傑作と言われる宗教合唱曲「封印された天使」(the sealed angel)です。ソビエト体制下で禁止されていた宗教音楽、いつの日かそれを創るのが、彼の夢だったと彼は語っています。そんな彼がついに夢を叶えたのが、本盤「封印された天使」です。
僕はシチェドリンのファンで、うつ病になって失業し現在のように極度に生活が困窮する前は乏しいお金をはたいてコツコツとロシアからアルバムを輸入して集めていたのですが(シチェドリンのアルバムの入手はロシアからの輸入以外困難なものが多いです)、この「封印された天使」は、西からもソ連崩壊後の東からも政治的に批判された、政治に翻弄された悲劇の作曲家シチェドリンの最高傑作とされ、現代宗教音楽最高の一枚とされているので、流石にクオリティがとてつもなく高すぎて、批判もされにくく、シチェドリンのアルバムがでることが皆無である日本でもSACD(普通のCDプレイヤーで聴けまして、またSACD対応プレイヤーでは通常CDより高音質で聴けるCDです)として唯一発売されているとても優れたアルバムです。心からお勧め致します。
シチェドリン「封印された天使」 (ハイブリッドSACD) [Import]
本盤「封印された天使」は、聴いていると、この世のものとは思えない天上の静謐さと優美を持った素晴らしい偉大な宗教合唱曲であり、聴いていると、それだけで僕は涙が出てきます。これは現代音楽における最高の音楽であることは間違いないと僕は思います。ぜひ、一度聴いて欲しい素晴らしいアルバムです。心からお勧め致します。夜、真っ暗な中で、床に横たわって聴いていると、涙が出てきます。宗教音楽の最高峰の一つであるといっても決して過言ではないと思います。ぜひご一聴お勧め致します。
参考作品(amazon)
プレイアデス舞曲集
吉松隆作品集
吉松隆:ファゴット協奏曲
すばるの七ツ~プレイズ吉松隆
シチェドリン「封印された天使」 (ハイブリッドSACD) [Import]
シチェドリン:ピアノ・テルツ
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シチェドリン「封印された天使」 (ハイブリッドSACD) [Import]
先日より色々と、沢山の苦難と出費が重なっており、生活的にも心身的にも辛い状態です。美しく、人々の心を癒してくれる音楽をご紹介して、少しでも皆様方のお役に立ちたいと思っています。現代音楽の中でも最も古典的に美しく、心を癒してくれる音楽であると思う、吉松隆「プレイアデス舞曲集」とシチェドリン「封印された天使」をご紹介致します。先日の下記エントリとも通じる話です。
悲劇の音楽家コルンゴルト「2つのヴァイオリン,チェロ,左手ピアノのための組曲」「死の都」ローデンバックと永井荷風。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/807117.html
コルンゴルトはその被害にあった先駆ですが、20世紀におけるクラシックは、無調音楽から前衛実験音楽へという流れが主流であり、過去の古典派を引き継ぐコルンゴルトら、古典主義的音楽家は古臭い守旧音楽家としてパージ(排斥)され、また、前衛実験音楽は大衆受けしないため、大衆受けする音楽を作るものも、ポピュリストとしてパージされました。僕の愛好する名作曲家コルンゴルトはこの流れに巻き込まれ、作品のクオリティを評価されることなく、ただ「コルンゴルトの音楽は古典主義的である」という、作品のクオリティとは関係のないジャンル的な闘争によって、葬り去られました。とても悔しいです。
本来は、新しいもの、音楽を豊かにするために作られた無調の技法や、前衛実験音楽が20世紀には圧倒的に権威化して、古典主義的作曲を古きものとしてクオリティを顧みることなく十把一からげにして排斥するという最悪の事態が起きたのが今、21世紀に至るまで、20世紀前半から現代までのクラシックの流れとして残念ながらあり、古典主義に則った美しい音楽を作る古典的クラシック作曲家は保守反動として、音楽の質を顧みられることなく、パージされてきた悲しい歴史があります。このことによって古典的クラシックの作曲は急激に衰退しました。以前下記URLでご紹介致しました僕の好きな作曲家、グレツキもこの被害にあった一人です。『絶対的権力は絶対に腐敗する』という言葉がありますが、20世紀、クラシック音楽界において前衛音楽作曲が主流派として絶対的権力を握ってゆくことで、それは古典的クラシック作曲家を抑圧してパージする腐敗した権力になってしまったところが、厳然として今現在もあります。
「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」星新一の猫ショートショート「災難」
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/735624.html
しかし、この前衛の権威化と抑圧に対して、それでも、古典的で美しい音楽を作ろうとした作曲家達がいます。その最も代表的な作曲家は、日本人の吉松隆さんです。吉松隆さんは古典的クラシック作曲の現代における第一人者であり、ドビュッシーなどを彷彿とさせる素晴らしく美しい音楽を作曲しています。前衛実験音楽を絶対的権威として古典的クラシックをパージする現代クラシック音楽界に、そういった権威に負けず、ただ、美しい曲を創りたいという一念にて、古典的クラシック作曲を行っている、勇気ある日本人作曲家がいること、僕は同じ日本人として、嬉しく思います。
そんな吉松隆さんの曲のなかで、僕が最も美しいと感じ、愛好する曲は吉松隆さんのピアノ曲集「プレイアデス舞曲集」です。筆舌に尽くしがたい古典的美しさを持った名ピアノ曲集であり、バッハを祖とし、ドビュッシーやシューマンのピアノ曲に全く劣らずに匹敵する、それどころか、超えている部分も散見させられる、とても美しいピアノ曲であり、現代の類稀なる名盤であると僕は心から断言するピアノアルバムです。ライナーノーツより引用致します。
本盤作曲家吉松隆「プレイアデス舞曲集によせて」
タイトルの「プレイアデス」はおうし座の肩あたりに位置する7つほどの星からなる小さな星団で、和名は「すばる」。この星に因んで7つの音を使った7つの曲からなる舞曲集を編むことにしたのは、どこかのだれか(シェーンベルグ)が「音階の12の音を均等に使う(十二音技法)」などと言い出したおかげで(無調音楽が権力を握り、調性音楽が無調音楽派から弾圧されて)泥沼にはまりこんだ20世紀の「現代音楽」への精一杯の反抗。来るべき21世紀にはもうこの悪夢(前衛音楽作曲が絶対権力として古典派作曲を弾圧している現代クラシック音楽作曲界の状況)を伝えたくない、という切なる、そしてちょっと過激な「星への願い」も込められている。
音楽評論家磯田健一郎「プレイアデス舞曲集について」
ぼくは驚いた。はじめて吉松の仕事場で「プレイアデス舞曲集」の譜面を見、演奏会の録音テープを聴かせてもらったときのことだ、その音たちはあまりに美しく、リリカルで、凛としていた。しかも、古典作品が持つあの毅然とした整合性(調性音楽)をも兼ね備えていたのだ。(中略)(無調音楽でなくては現代クラシックではならずといった風潮の)現代にこういう「古典(調性音楽)として弾かれるべき作品」を書ける人間がいるなんて。(中略)
この「プレイアデス舞曲集」は、本人も自ら書いているとおり、バッハのインベンションを意識して書き始められたピアノ曲集である。例えば、第2集の各曲の表題を見てもその思考の痕跡は読み取れる。旋律はつねに(古典主義の)旋律的で、和声は必要最小限な音数で吉松独自の音空間を構成する。(中略)
少し詳しい吉松の「プロフィール」を書き留めておきたい。(中略)(吉松は幼少時からクラシック音楽を愛好し趣味で作曲をしていたが、学生時代に専門的に音楽を学んだわけではなく、理系の進学コースに進み)慶応大学工学部に進学した吉松は、作曲家への道捨てがたく、中退してしまうことになる。その強い意志は、本人の、
『なにしろ音楽というものがあまりにも素晴らしいので、せっかく生きているのだから、せめて美しい音楽のひとつも書いてから野たれ死ぬのもわるくはない』
という言葉に集約されるだろう。
中退後、本人によれば(大学中退、職なく生活困窮のなかで流しのライブなどの)「音楽的放浪生活」をしつつ作曲の研鑽を積む。(音大には通わず)ほぼ独学だが、一時、松村禎三氏にも師事している。この時代(音楽の専門教育を受けていない音楽家の卵として流浪していた時代)がおそらく彼の作曲生活で一番辛い時期であったろう。それは作曲家として芽がでなかったためだけではない。(吉松が作曲し続けたバッハを祖とする古典派クラシック作曲を「前衛音楽作曲こそが現代クラシック作曲である」との大義名分の元に弾圧する)「現代音楽」という巨大な暗い壁がが立ち塞がったからだ。
『前衛であらずんば(現代クラシック)音楽にあらず』
といった風潮のなか、吉松が「(古典的作曲を諦めて)こういう美しくない音楽(無調音楽)を書かざるをえないのか」と苦悶したことは間違いない。
(バッハなどの古典クラシックに魅されて幼少期より作曲を始め)「なにしろ音楽というものがあまりにも美しい」ので作曲を志した彼にとって、これは拷問にも等しいことだ。(調性音楽である古典クラシックとは全く異なった十二音技法を使った無調音楽しか認めない)「現代音楽」と自らの内側にある美しきなにものかとの格闘の中で、「書いても書いても呆れるほどどの曲ひとつとして音にならない日々が7年ほど」続いたのだ。
そんな彼が日本の音楽界に知られるようになったのは、81年に初演された(調性音楽である)「朱鷺によせる哀歌」によってであった。絶滅していく朱鷺と、(前衛クラシック音楽界からの弾圧により)絶滅していく調性のある美しき(現代クラシック調性)音楽をおそらく重ねて作曲されたこの作品は、現代音楽的な手法と、シンプルで儚い美しさを持つ。
苦悶の7年間におけるギリギリの選択(例え、現代クラシック音楽界からパージされようとも、現代クラシックとして調性音楽を作曲するという選択)が、この音楽のスタイルを生んだのである。これ以降、「チカプ」「デジタルバード組曲」「鳥の形をした四つの小品」「天馬効果」などを通じて、吉松は積極的に「現代音楽(無調音楽)」との決別を模索していくのである。
本盤記載「吉松隆プロフィール」
1953年東京生まれ。(中略)1981年、「朱鷺によせる哀歌」でデビュー。いわゆる(現代クラシック作曲の主流である)現代音楽(無調音楽)の非音楽的傾向に反発した「世紀末抒情主義」を主張し、「星」や「鳥」、あるいは「神話の動物」などをテーマとして、人間性の回復と自然の交歓を歌う(調性音楽の)作品を発表し続けている。
(吉松隆「プレイアデス舞曲集」ライナーノーツより)
僕は吉松隆さんの音楽が大好きで、特に「プレイアデス舞曲集」は、歴史的巨匠の創った古典クラシックに匹敵する名ピアノ曲集だと思うので、吉松隆さんが、現代クラシック音楽界からパージされているということを知って驚嘆しました。世界的な現代クラシック音楽の流れとして、無調音楽、前衛実験音楽こそが現代クラシックの正統なる嫡流であり、古典派クラシックは大衆に媚びるポピュリズムに過ぎず、徹底的に潰すべき、という、現代クラシック音楽作曲界が自分で自分の首を絞めているとしか思えない、とんでもない前衛を絶対化する権威化が進んでおり、吉松さんのように調整音楽を創ると、クオリティは度外視され、「調性音楽である」というそれだけで批判の対象になって、パージされてしまいます。
僕はこのような前衛音楽(無調音楽)の絶対権威化、クオリティを度外視して、ジャンル(無調音楽か、調性音楽か)によって優劣を決めて、調性音楽を劣っていると無理矢理決め付け、調性音楽を現代クラシック作曲界からパージする風潮は、百害あって一利なしと思います。このような風潮が今後も続くなら、現代クラシック音楽作曲界は今後も衰退を免れないと思います。こういった風潮によって被害を蒙ったのは、コルンゴルト、グレツキ、吉松隆さん、そしてこれからご紹介しようと思うシチェドリンなど、優れた音楽家のなかに大勢いて、悲劇的です。まさに「絶対的権力は絶対に腐敗する」の言葉通り、前衛音楽(無調音楽)が絶対権力を握ったことで、現代クラシック作曲界の中に酷い腐敗が起きています。
僕は、こんなジャンル的絶対権威(現代クラシック作曲における無調音楽の絶対化と、調性音楽を滅ぼそうとする動き)には反対なので、僕自身が純粋に無心に聴いた音楽のクオリティで、判断したいと思っています。そして、「プレイアデス舞曲集」は、まさに現代音楽の名盤、大勢の人々の心を癒し安らげる、優しく美しいピアノ曲の名盤と思います。ぜひご一聴お勧めするアルバムです。
プレイアデス舞曲集
次に、シチェドリンの音楽をご紹介させて頂こうと思います。シチェドリンも吉松隆さんと同じく僕の大好きな作曲家ですが、この方もまた悲劇的な作曲家で、作品のクオリティではなく、ジャンルで判断されてしまい、吉松さんと同じく、作曲家としてとても優れた才能を持ちながら、辛酸を舐めている作曲家です。
シチェドリンは、東側(ソビエト連邦、現ロシア)において活躍中の作曲家です。東側では、ソビエト連邦支配時代、西側が「無調音楽」を絶対として調性音楽を弾圧していたように、「社会主義リアリズム音楽」を絶対として、それ以外の音楽を弾圧していました。この社会主義リアリズム音楽というのは、ぶっちゃけ、非常に曖昧かつ恣意的なもので、党幹部が聴いてその曲を気に入ったら「この音楽は社会主義リアリズム音楽だ、褒美を授けよう」、党幹部が聴いてその曲を気に入らなかったら「非社会主義リアリズム音楽だ!!この作曲家は反動主義者だ!!シベリア送りにせよ!!」というようなメチャクチャなもので、東側の音楽文化に壊滅的打撃を与えました。
シチェドリンは「社会主義リアリズム音楽」の大家として(つまり、党幹部に気に入られている音楽家として)、ソ連作曲家同盟議長という、東側の作曲家の最高位まで出世しましたが、これは結局、自由に音楽を創れなかったということです。「非社会主義的リアリズム音楽を作曲した」として党幹部に睨まれて西側に亡命した東側の作曲家達や西側の作曲家達からは、党の御用作曲家として批判されましたが、しかし、人命がとてつもなく軽い独裁体制下のソビエト連邦において、党幹部に睨まれたらシベリア送り(実質的な処刑)になるわけで、自らの命を守る為、党幹部のための曲を創るというのは、彼と彼の家族の命を守るために止むをえなかったことと思います。彼はソビエト連邦が崩壊するまで、自分の自由に曲が創れたことはなかったとインタビューで述べております。
ソビエト連邦が崩壊してゆくことで、一気にロシアが自由化してゆき、自由に音楽が創れるようになってゆきました。彼はそのとき「自分の自由に曲を創りたい、ソビエト連邦下では禁止されていた宗教音楽を創りたい」と思ったといいます(「封印された天使」ライナーノーツより)。しかし、ソビエト連邦崩壊後に彼を待ち受けていたのは、ソビエト連邦体制下で、党幹部に睨まれ煮え湯を飲まされた大勢の人々からの、ソビエト連邦の音楽界の頂点にいた彼に対する憎しみでした。彼はソビエト連邦崩壊後、西側からだけでなく、自国(ロシア)からも「党に音楽家の魂を売った作曲家」として徹底的に批判され、彼の曲の多くはパージ(排斥)されました。彼の曲は今も手に入りにくいです。
しかし、悪いのは独裁権力を振るって音楽家を痛めつけていたソビエト連邦党幹部達であり、シチェドリンもまた被害者であると僕は思います。優れた作曲家でありながら、自らの命と家族の命を守る為、自由に音楽が創れないことが、どれだけ苦痛であったか、そのことを思うと胸が痛みます。
そんなシチェドリンが、ソビエト連邦崩壊後、本当に自由に、自分の創りたかった音楽を創ったと彼自身が述べているのが、彼の最高傑作と言われる宗教合唱曲「封印された天使」(the sealed angel)です。ソビエト体制下で禁止されていた宗教音楽、いつの日かそれを創るのが、彼の夢だったと彼は語っています。そんな彼がついに夢を叶えたのが、本盤「封印された天使」です。
僕はシチェドリンのファンで、うつ病になって失業し現在のように極度に生活が困窮する前は乏しいお金をはたいてコツコツとロシアからアルバムを輸入して集めていたのですが(シチェドリンのアルバムの入手はロシアからの輸入以外困難なものが多いです)、この「封印された天使」は、西からもソ連崩壊後の東からも政治的に批判された、政治に翻弄された悲劇の作曲家シチェドリンの最高傑作とされ、現代宗教音楽最高の一枚とされているので、流石にクオリティがとてつもなく高すぎて、批判もされにくく、シチェドリンのアルバムがでることが皆無である日本でもSACD(普通のCDプレイヤーで聴けまして、またSACD対応プレイヤーでは通常CDより高音質で聴けるCDです)として唯一発売されているとても優れたアルバムです。心からお勧め致します。
シチェドリン「封印された天使」 (ハイブリッドSACD) [Import]
本盤「封印された天使」は、聴いていると、この世のものとは思えない天上の静謐さと優美を持った素晴らしい偉大な宗教合唱曲であり、聴いていると、それだけで僕は涙が出てきます。これは現代音楽における最高の音楽であることは間違いないと僕は思います。ぜひ、一度聴いて欲しい素晴らしいアルバムです。心からお勧め致します。夜、真っ暗な中で、床に横たわって聴いていると、涙が出てきます。宗教音楽の最高峰の一つであるといっても決して過言ではないと思います。ぜひご一聴お勧め致します。
参考作品(amazon)
プレイアデス舞曲集
吉松隆作品集
吉松隆:ファゴット協奏曲
すばるの七ツ~プレイズ吉松隆
シチェドリン「封印された天使」 (ハイブリッドSACD) [Import]
シチェドリン:ピアノ・テルツ
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