2009年04月23日 04:43

悲劇の音楽家コルンゴルト「2つのヴァイオリン,チェロ,左手ピアノのための組曲」「死の都」ローデンバックと永井荷風。

コルンゴルト:組曲 作品23,シュミット:五重奏曲
コルンゴルト:歌劇「死の都」 [DVD]

僕の高血圧はどうしても下がらないので、諦めた心境です。僕には血圧治療する金銭的余裕はないので、定期的に血圧を測って、高血圧症ギリギリのゾーンで安定しているなら、そのままにするしかないと考えています。先日より、血圧の話ばかりして申し訳ありません。今回は、音楽の話をしようと思います。あまり明るい音楽を聴けるような気持ちではなく、今回も暗い音楽の話になり、申し訳ありません。僕の好きな作曲家コルンゴルトをご紹介させて頂こうと思います。

先日、ナチスに追われ、劇的なサバイバルを行ってなんとか生きのびたピアニスト、映画「戦場のピアニスト」のモデルであるシュピルマンのピアノアルバムをご紹介致しましたが、ユダヤ系の人々の抹殺を図ったナチスによって運命を悲劇的に狂わされたユダヤ系の音楽家はシュピルマン以外にも多数おり、今回はその中から、僕の好きな作曲家の一人、エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルトについて紹介させて頂こうと思います。

僕はコルンゴルトの音楽、特に歌劇・歌曲と室内楽がとても好きです。彼はウィーンで主に活躍し、大作曲家達、マーラー、シュトラウス、プッチーニからその才能を十代の頃より認められ、「クラシック音楽界の神童」として華々しく活躍しましたが、ナチスのユダヤ人抹殺から逃れるため、アメリカに亡命し、活動期間に大きなブランクができ、それは生涯、彼の音楽歴に影を落とすこととなります。アメリカで生活費捻出のため、映画音楽の作曲を行い、それによって商業的には成功しましたが、逆に、その成功によって映画音楽の成功者(ポピュラー音楽の作り手)ということで、20世紀前半の守旧的なクラシック音楽界からは総スカンを受け、クラシック作曲への夢を抱きながら、そのまま亡くなった悲劇の音楽家です。

もし、ナチスの台頭がなければ、どこかで歴史の歯車が違った方向に動けば、彼コルンベルトはヨーロッパを席巻するクラシック音楽界の麒麟児として名を馳せ続け、素晴らしいクラシックの名曲の数々を創作したであろうことを思うと、クラシック音楽という伝統文化を破壊したナチスに対して、僕は非常に心から暗い気持ちにならざるを得ません。ウィキペディア及び、僕の好きなコルンベルトの「2つのヴァイオリン,チェロ,左手ピアノのための組曲作品23」の収録アルバム(演奏フォシュベリ、リドストレムによるアルバム「Rendezvous With Korngold: Songs & Chamber Music」、日本盤題名「コルンゴルト歌曲&室内曲作品集」、残念ながら両盤とも絶盤)のライナーノーツよりブレンダン・G・キャロルの文章を引用致します。

ウィキペディア「エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト」
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold, 1897年5月29日 - 1957年11月29日)はオーストリアとアメリカ合衆国で活躍した作曲家。ユダヤ系。(中略)

彼は音楽評論家ユリウスの次男として、モラヴィア地方のブリュン(現在はチェコのブルノ)に生まれた。幼い頃から作曲の才能を示し、モーツァルトと同じ名前と相まって「モーツァルトの再来」と呼ばれる程の神童ぶりであった。9歳の時に作曲したカンタータはマーラーを驚愕させ、11歳の時に作曲してツェムリンスキーがオーケストレーションを手伝ったバレエ音楽『雪だるま』(Der Schneemann)はウィーン宮廷歌劇場で初演され、満場の拍手をもって迎えられた。いくつかの幼少期の作品は、マーラーが善意で手伝ったという説すらある。

その後も快進撃は続き、12歳で書いた『ピアノ・ソナタ第1番』はリヒャルト・シュトラウスに戦慄と恐怖を与え、名ピアニスト、シュナーベルは13歳の作品『ピアノ・ソナタ第2番』をヨーロッパ中に紹介し、ベルリン・フィルの大指揮者ニキシュは14歳のコルンゴルトに『劇的序曲』を委嘱する。幼少時の最高傑作『シンフォニエッタ』を完成させた15歳の頃には、コルンゴルトは既にプロ作曲家として第一線で活躍していたのである。

16〜18歳で書いたオペラ、『ポリクラテスの指環』(Der Ring des Polykrates)、『ヴィオランタ』(Violanta)はプッチーニの絶賛を受け、この成功によってオペラ作曲家としての地位を確立し、1920年、オペラ『死の都』(Die tote Stadt)の大成功によって、弱冠23歳にしてオペラ作曲家としての世界的評価を確立する。1927年、満を持して作曲したオペラ『ヘリアーネの奇跡』(Das Wunder der Heliane)を初演した当時、コルンゴルトの名声は頂点に達し、ウィーン市から芸術勲章を、オーストリア大統領からはウィーン音楽大学名誉教授の称号を贈られ、さらに1932年、大新聞『新ウィーン日報』のアンケートで、シェーンベルクと並んで存命する最高の作曲家に選ばれた。結局この時期が事実上、クラシック音楽作曲家コルンゴルトの絶頂期であった。1934年、マックス・ラインハルトの招請でハリウッドに赴き、映画音楽の作曲を手がけた頃から彼の名声に陰りが出始める。その後、ウィーンとハリウッドを往復する日々を送りながら、『ヘリアーネの奇跡』以来久しぶりのオペラ『カトリーン』(Die Kathrin)を書き上げ、初演を間近に控えていた1938年、ナチス・ドイツのオーストリア併合により、『カトリーン』初演は流れ、ユダヤ系だったコルンゴルトはアメリカに亡命し、仕方なく映画音楽を書きながら亡命生活を送るよりなかった。

生活のためにオペラを諦め、映画音楽を書くことになったが、それでも美しい旋律、純音楽から学びし管弦楽法は、緩みきった映画音楽業界を変える事となった。1935年に、初期の傑作『海賊ブラッド』(Captain Blood)を書き大絶賛された翌年、1936年に『風雲児アドヴァース』(Anthony Adverse)でアカデミー作曲賞を受賞。40以上のライトモチーフを使い、オペラ並みの作品に仕上げている。ただ、あまりにも出来が良すぎて、賞はワーナーの音楽部門全体に贈られ、オスカーは音楽部長が受け取ってしまった。1938年には『ロビン・フッドの冒険』(The Adventures of Robin Hood)で2度目のアカデミー賞に輝く(今度はコルンゴルト自身がオスカーを獲得)。コルンゴルトは最初、この作品のスコアを書くのを断ったのだが、ワーナー音楽部長の説得とナチス・ドイツによるオーストリア併合により仕方なく引き受け、オスカー獲得につながった。

コルンゴルトは映画音楽作曲をオペラ創作の延長上に見なしており、マーラーやリヒャルト・シュトラウスから直接学んだ後期ロマン派的作風を、そのまま映画音楽に持ち込んだ。また、気に入った映画音楽は自作の芸術音楽に転用できる権利も保有していた(実際、ヴァイオリン協奏曲や弦楽四重奏曲第3番などが作曲された)。大管弦楽団を使ったシンフォニック・スコアは、後のハリウッド映画音楽の基礎となり、映画音楽の先輩にあたるアルフレッド・ニューマンや、後世のジョン・ウィリアムズにも多大なる影響を与えた。

1946年、『愛憎の曲』(Deception)を最後に、純音楽作曲家に戻るべく、新作を携えウィーンを訪れるも、当時の映画音楽に対する評価の低さや、後期ロマン派的作風は前衛音楽全盛の音楽業界から受け容れられず、「映画に魂を売った下等な作曲家」というレッテルを張られて事実上楽壇から抹殺され、失意の内にハリウッドに戻り、不遇の中、同地で1957年、脳溢血で死去。二曲目の交響曲を作曲中だった。遺体はハリウッドのハリウッド・フォーエバー墓地に埋葬されている。

戦後の主要作品としてヴァイオリン協奏曲(ハイフェッツの愛奏曲として知られる)、弦楽合奏のための交響的セレナード、交響曲(フランクリン・ルーズベルトの思い出に捧げられた)、主題と変奏(事実上最後の作品)などが挙げられる。(中略)

日本はコルンゴルト受容という意味では甚だ後進国であった。ハイフェッツによるヴァイオリン協奏曲の録音は日本では単売LP化されず、事実上CDが初出であった。
以下、ライナーノーツからの引用です。
音楽評論家ブレンダン・G・キャロル
「エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルトはかつて、著名な音楽学者ニコラス・スロニムスキーから『ウィーンのロマン主義精神の最後の吐息』と呼ばれた。マーラー、リヒャルト・シュトラウス、プッチーニから激賛された「神童」はとして、彼は帝国時代のウィーンが最も豊かであった最後の時代に育ち、オペラと公共作品の作曲家となっていった。ナチによって亡命を余儀なくされ、ロサンゼルスに行った彼は、映画音楽のパイオニアの一人になり、二回のアカデミー賞を受賞したが、戦後ヨーロッパへの復帰(クラシック音楽界への復帰)は成功せず、(クラシック音楽界から)忘れられたという思いを胸に、(失意のうちに)60歳にしてハリウッドで亡くなったのである。(中略)

1923年、コルンゴルトは有名な片腕のピアニスト、パウル・ヴィットゲンシュタインから左手のための協奏曲を依頼された最初の作曲家となった。彼が作ったのは、異例の単一楽章による協奏曲であった。喜んだヴィットゲンシュタインは、もう一曲室内アンサンブルのための作品を依頼した。既に多くの作曲家たちが彼のために四重奏曲、五重奏曲を作っていたので、コルンゴルトは通常の編成をやめ、より個性的なアプローチを試みた。

その成果が、1930年に完成された「二つのヴァイオリン,チェロ,左手ピアノのための組曲作品23」である。これは同年10月21日にウィーンで、ヴィットゲンシュタインと、著名なロゼー弦楽四重奏曲のメンバーによって初演され、大成功を収めた。(中略)

(コルンゴルトの優れたクラシック曲の数々は、生活の為にアメリカハリウッドの映画音楽に手を染めたことにより、ヨーロッパクラシック音楽界からパージされ)50年以上も忘れられており、1995年まで出版されなかった。もちろん、このCD(Rendezvous With Korngold: Songs & Chamber Music)が初録音である。
(「Rendezvous With Korngold: Songs & Chamber Music」ライナーノーツより)

コルンゴルトの生涯を思うと、諸行無常を感じます。彼コルンゴルトはずっと、クラシックの大作曲家として歴史に残ることを願っていた、そして僕の見る限りその才能と努力両方を兼ね備えていたにも関わらず、クラシック界の神童として大活躍しながら、台頭してきたナチスに追われアメリカに亡命し生活費に困窮し、映画音楽を手がけて、それが華々しく大成功してしまったことで、ハリウッドの御用音楽家、ポピュリズムの音楽家としてクラシック音楽の世界からパージ(排斥)されてしまうという悲劇の作曲家であり、彼のクラシック曲が大好きな僕は、心から悲しく思います。

彼はとても古典的教養が深く勉強家であり、生活のため、ハリウッドのプロデューサー達から「大衆受けする音楽を作れ」というプレッシャーを掛けられたことは、クラシック畑出身の彼に心痛を引き起こしたことと思います。例えば、彼の最も有名な歌劇「死の都」は、彼自らが彼の愛好する作家・詩人であるローデンバックの小説「死都ブルージュ」(日本語訳版は岩波文庫「死都ブルージュ」ちくま文庫「ローデンバック集成」に収録、両方とも絶版)を翻訳し、それを原案として創り上げた歌劇です。ローデンバックは僕の好きな小説家・詩人で、僕のとても好きな小説であり、僕は原作小説を読んだ後、DVDにて死の都を見たので感無量でした。同じ作家・詩人が好きな作曲家ということで、僕はコルンゴルトにとても共感を覚えます。ローデンバックは日本ではマイナーですが、知る人ぞ知る名作家・名詩人であり、日本の小説家永井荷風が彼ローデンバックの愛好家として有名です。

ローデンバックは滅び行くもの(死に行く者、死に行く文化、死に行く街)を哀愁を込めて描き出す作家・詩人であり、現代化によって激しく変動し加速するヨーロッパ、それに対応できず、終焉を迎えてゆくヨーロッパの古きよきゆったりした文化の滅びをその作品群は隠喩的に示していると言われています。永井荷風は日本が大日本帝国として近代化に邁進し、結果、滅びてゆくのをじっと観察していた作家ゆえ、その古きものの滅びを悲哀なる郷愁を込めて描き出すローデンバックの作風を愛好した記録が残っています。上田敏が名詩集「海潮音」でローデンバック(海潮音での記載はローデンバッハ)の詩を掲載し、そこから日本に本格的にローデンバックが紹介されるようになりました。永井荷風はローデンバック評価の日本での第一人者として知られています。荷風の作風には厭世的で悲観的なローデンバックの影響が色濃いと言われております。荷風の小説「墨東綺譚」などです。荷風の書いた正しい漢字を出すことができず、申し訳ありません。(「墨」の字が本来は違います。)以下に引用致します荷風の文章も本来の荷風の文章とは漢字が違うので(僕のPC、古い漢字を出すことができません)、誠に申し訳ありません。

「われは同じく諦めの悲しく静かなるを歌ひたる点において、白耳義(ベルギー)の詩人ロオダンバック(ローデンバック)の詩を愛せずんばあらず。(中略)ロオダンバックの詩は、凡て現実の風物によりて喚起されたる抒情詩なり。否、寧ろ其の心の底に育まれたる遺瀬なき悲しみを、死せるが如き廃都の風景と、閑寂なる書斎の光景とに託したるものと云うべきか」(永井荷風)(中略)

(ローデンバックへの愛好をたびたび表明した荷風は)さらに、1912年、「三田文学」に発表した西洋と日本の文芸思潮をめぐるエッセイ「文芸読むがまま」でローデンバックの詩を愛好する胸を表明し、彼が読んだローデンバックの詩集「故里の空の鏡」「沈黙の国」小説「廃市の鐘」について論じている。(中略)

(荷風は死の都ブリュージュについてこう語っている)
「憂鬱なる若き男あり。恋せる妻を失ひては、唯手箱に収めしその遺髪をのみ打眺めて、独り悲しく世を送らんと思ひ、死せるが如きブリユウジウの廃市を選びて、これに住みぬ。(後略)」(永井荷風)
(ローデンバック集成解説「ローデンバックと永井荷風」)

僕もまた、貧窮にて大変生活困難、うつ病、高血圧、失業にて、心身ともに参っており、動脈硬化で、自分の死に際も分からず突然死などできたら、死の苦痛がなく幸いだなと今思っています。僕も、貧窮死するのか動脈硬化による出血か何かで死ぬのかそれとも別の要因で死ぬのか分かりませんが、長生きはほぼ不可能そうであり、結局は、激烈な弱肉強食の現代社会に適応できず、滅んでゆくしかないのだなと思います。その点で、ローデンバックの小説や詩はうつ病に掛かるずっと前、十年以上前から大好きです。「死の都ブルージュ」より引用致します。暗い滅び行くもの同士が惹かれあう悲劇です。

ユーグは、長きに渡る孤独と苦悩によって、ずっと前からこうした類(暗い沈うつで孤独で苦悩する自らに似たものに惹かれる)の心情の微妙な違いにとても敏感になっていた…(中略)寡男になってからすぐにブリュージュに来て住んだのも、生来この地(暗く、滅んでゆく霧と運河の水上の都ブリュージュ)に願望をそそられるアナロジーから生まれた直観に影響されたからではなかったのか?

(暗く沈うつ、メランコリックな)ユーグには、(暗く、絶望している自らのとの)「共通性への感覚」とも呼べる感覚が働いていた。補助的で、脆弱そうな、虚弱な感覚であって、物と物とを無数の紐で結びつけ、蜘蛛の糸を網のように樹と樹を縁続きにし、魂と、慰める術もない悲しい出来事を結ぶ、眼に見えない線を創りだしてきたのだ。

(妻に死なれ、傷心の中で住む街として)ブリュージュを選んだのも、そうした理由からだった。ブリュージュからは海が失われてしまったのだが、それはちょうど大きな幸福もまた失われたかのようだった。

それも既に、共通性という現象そのものだった。というのも、灰色の都市の中で最も大きなこの街とは互いに共鳴しあうところがあったからだ。

毎日が万聖節の趣を見せているブリュージュの街路の灰色の醸し出す憂鬱な気分ときたら!(他都市の商業化が進み、宗教が力を失ってゆくなかで、様々な要因で衰退してゆく宗教都市・海運都市ブリュージュの)修道女たちの被り物の白と、聖職者たちの法衣の黒、つまりこの街の通りを絶えず行き来しているうちに、その白と黒が広がり浸透して出来た灰色ではあるまいか。半ば喪の時がいつまでも続くこの灰色の神秘!(中略)

(ブリュージュでは)霧がいつまでも晴れないでいるかのようであり、北国の空のどんよりとした陽光、河岸の花崗岩、鐘の音の節回しやらが合わさって、空気の色合いに影響を及ぼしていたのだ――それにまた、老いさらばえたこの街では、過ぎ去った時が積もらせた死灰、歳月という砂時計の塵が溜まって重なり、あらゆるものにその沈黙の働きかけをしているかのようであった。

そうした理由から、ユーグはこの街に隠遁する気になったのだ。自分に残っている最後の気力を微かにでも感じ、その永遠に積もる微小の塵埃にしっかりと埋もれ、身動きできないまでになって、その街の色である灰色を自分の魂も帯びるようになろうと。
(ローデンバック「死の都ブリュージュ」)

コルンゴルトも、また、悲劇的な運命を辿った作曲家であり、彼の音楽を聴いていると、彼の悲劇が思い出され、滅びを描いたローデンバック好きということで自身と重なるように感じるところがあり、僕は彼の音楽がとても好きです。20世紀前半のクラシックとして彼のクラシック曲は名曲揃いだと思います。もしご興味ありましたら、どうかご一聴(ローデンバックの「死の都ブリュージュ」を原作としたコルンゴルトの歌劇「死の都」はDVDが出ておりますのでご視聴)お勧め致します。

僕も、頭側の左の頭痛が治らず、生活困窮と心身の不調で精神的に参っており、何もかもが無の空虚のように感じ、悲しいです。これからどうやって生きてゆけばいいのか、非常に不安です。孤独な死を描いたコルンゴルトの名曲「挽歌」を最後にご紹介致します。

コルンゴルト作曲、クリスティーナ・ロセッティ詩、別れの歌作品14

「挽歌」

私の墓の上には薔薇や糸杉ではなく、雑草が生えるでしょう。
私は夕暮れの薄明かりのなかで、静寂に眠るでしょう。
貴方は私のことを思い出してもいいし、忘れてしまってもかまいません。

参考作品(amazon)
墨東綺譚
海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)
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コルンゴルト/ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35(紙ジャケット仕様)
Rendezvous With Korngold: Songs & Chamber Music / von Otter, Forsberg, et al
コルンゴルト:歌劇「死の都」 [DVD]
ローデンバック集成 (ちくま文庫)
死都ブリュージュ (岩波文庫)
とんでいけ海のむこうへ

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