2009年03月31日 23:06

体調崩しており、更新できず申し訳ありません。「シベリウス交響曲全集」

Jean Sibelius Symphonies complete(シベリウス:交響曲全集(4枚組))

昨日の夜半より頭痛と耳鳴りが酷く、体調崩しており、更新できず申し訳ございません。今月、なんとか過ごすことができ、お助け頂いた全てのお方々に深く感謝申し上げます。どうもありがとうございます。

頭が痛いのが酷く、ずっと臥せっており、僕は北欧の音楽が好きなので、床に臥せながらシベリウスの交響曲全集を聴いておりました。

シベリウスの交響曲は、僕の好きな交響曲の一つで、第四番などが有名ですが、僕は透明感溢れる第六番が最も好きです。透きとおった寒空の冬景色のような感覚を思わせる、極めて透明で純粋に美しいと感じられる旋律が素晴らしく、交響曲の中でも好きな交響曲です。

「第六交響曲」は1918年に構想が温められたが、フォンランドの内乱や赤軍によるヤールヴェンパーの家宅捜査などあわただしい世情のためおくれ、5年後に完成された。シベリウスは「ワイルドで熱っぽい性格の交響曲を書くつもりだ」と私信で述べているが、出来上がったもの(交響曲第六番)は、クールで、ほとんどアリストクラティックな優雅さをそなえたテックスチュアの透明な交響曲であった。
(シベリウス交響曲集ライナーノーツより)

シベリウスはベートーヴェンを深く尊敬していた。フィンランドの伝説的宗教家ユハをテーマにオペラを書くように頼まれたとき、彼はとうとう断ってしまった。もし書かれていたら、とは思うが、シベリウスは自分の時間と力を交響曲に集中し、捧げたかったのだろう。(中略)

シベリウスは明らかに近代、現代をひっくるめた時代の初頭に立っていたのである。「交響曲第三番」をきっかけとして、シベリウスは民族ロマン主義(ワーグナーの大きな影響)から新古典派(ネオ・クラシカル)に移ったと、よく言われるが、それは表面的な観察からすればその通りだとしても(古典主義には戻れない20世紀人であるシベリウスの)もっと深い内的事情が考察されねばならないだろう。

三十年の沈黙を残したシベリウスの生涯における、作曲時代晩年の大作は、頼るべき人もなく、頼るべき神さえない、すべてを自分自身で創造しなければならない厳しい運命の下に置かれた作曲家の、祈るようなつぶやきであり、声であり、叫びである。それは人から遠く離れた孤独のなかの、神よ、なぜ私を助けてくださらないのですか、という、うめきが、人離れしたシベリウスの最後の時期に聴かれるように思われる。フィンランドの自然だけが、作曲する彼の心を癒してくれたことであろう。私はシベリウスの晩年の交響曲に、澄んだ光と影によって織りなされる、永遠に解けることのない氷のような、鉄よりも硬い、堅牢な姿の建物と、優しく抱きとめる人の息づかいを、共に感じる。
(大束省三「北欧音楽入門」)

第六番のようなシベリウス後期交響曲、その透明で透きとおった、静かで心慰める美しい氷のような音楽は、今という時代、20世紀よりも更に希望のない世紀において、人々の心を慰める力を持っていると思います。お勧め致します。

非常に頭が痛く、考えを纏めることができず、申し訳ありません。現在、生活苦につき、ギフト券、アフィリエイトでお助けくださるお方々いらっしゃいましたら、心から深く感謝致します。

最後に、D・H・ロレンスの長詩を抜粋引用してご紹介致します。今の僕の気持ちを表現してくれているようです。

D・H・ロレンス詩集より

「死の舟」

もう秋だ、落ちる果実
そして忘却への永い旅

りんごは大きな霧のしずくのように落ち
われと傷つきみずから退場する

行くべきとき、自分自身に
別れを告げて、落ちた
自分から退場するときだ。(中略)

人はただ短剣の一撃で
おのれの生命を絶つことができるか?

短刀、短剣、拳銃で、おのれを
傷つけ粉砕して生命から退場する。
それは解放だろうか?教えてくれ、解放だろうか?

いやそうではあるまい!殺害、自死が、
どうして解放になるだろう?(中略)

少しずつ肉体は死に行く、そして臆病な魂は
さしてくる暗い潮に、その足もとを洗い流される。

われらは死にかけている、
われらは死にかけている、
われらはみな死にかけている。

何ものもわれらの中で高まる死の潮をおさえることはできない
やがて死は世界に、外の世界にあふれるだろう。

参考作品(amazon)
Jean Sibelius Symphonies complete(シベリウス:交響曲全集(4枚組))

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