2009年03月25日 05:02
初音ミクとニコニコ動画の嬉しさ。映画「ブラス!」グライムソープ・コリアリー・RJBバンド「ワルキューレの騎行」エンヤ「ウォーターマーク」ショルティ「ゾルターン・コダーイ:ハンガリー詩篇」「ヨコハマ買い出し紀行」
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お気遣い頂いているお方に心から感謝致します。先日より大変調子が悪く(お腹の痛みが取れません)あまり自分の文章を書けそうになく申し訳ありません。久々に初音ミク達ボーカロイドと、ニコニコ動画などの共有サイトのお話です。
僕が初音ミク達やニコニコ動画が好きなのは、それが下から(草の根)からの音楽活動として、時間と空間を越えて大勢の人々にフリーで共有されているところで、この草の根からの、僕のような貧窮状態(失業・病気)などの状態にいらっしゃる貧しき人々を含めた大勢の人々に音楽の楽しさが共有されている、これは心から素晴らしいことだと思うのです。
この、草の根から自由に音楽が弾かれて、それが貧しい人々も含めて大勢の人々に希望として共有されるというのは、僕のとても好きな映画と実話を思い出させるのです。実話を元にして作られた半ノンフィクション映画「ブラス!」です。とてもいい映画です。僕は大好きです。音楽好きなお方々ならきっと楽しめて感動できる素敵な映画だと思います。お勧めの映画です。
映画「ブラス!」の内容は基本的に、僕の大好きなバンド、下級階層(貧困層)と草の根を大切にした草の根からのバンド、グライムソープ・コリアリー・RJBバンドの活動の実話を元にしていますので、グライムソープ・コリアリー・RJBバンドについて彼らの活躍のほんの一部分でありささやかですが、引用してご紹介させて頂きます。
これ以上書くと映画の面白みが減るのでこのぐらいにしますが、グライムソープ・コリアリー・RJBバンドは労働者により結成された、労働者が労働者に向かって歌うバンドで、フリーでセッションして、わーって盛り上がる、それが、初音ミクで良い曲が来たとき、「神キター」みたいな弾幕ととても似ている感じがして、僕はそれがとてもいいなと思っていて好きです。
全ての音楽好きの皆様方にお勧めできるできる名映画ですが、特にニコニコ動画やユーチューブなどで音楽動画を楽しんでいるユーザーのお方々は映画「ブラス!」を見ると、良い意味で、俺たちと同じだ!みたいなデジャヴを覚えて、ニコニコ楽しい気持ちになれるんじゃないかなと思います。お勧めです。
僕が初音ミクとニコニコ動画が好きなのは、これは映画「ブラス!」のメインテーマでありますが、商業的ヒットを目指すよりも、皆に開かれた音楽を目指す、「俺たちは音楽が好きだ!音楽で楽しもうぜ!」という音楽の根源的な志向性です。音楽の一部、特に僕の好きなクラシック音楽というジャンルの一部はややもするとスノッブで閉鎖的になりがち(貧しい層を排除するハイ・カルチャー意識)がでてきますが、「ブラス!」の主人公バンド、グライムソープ・コリアリー・RJBバンドはそれ(クラシックのハイカルチャー意識)を草の根から打ち破った労働者バンドです。そこに、草の根からオリコンチャートベスト10入りまで行った初音ミクとの共通点を僕は感じて嬉しくなります。僕は「俺たちは音楽が好きだ!音楽で楽しもうぜ!」という志向性がとても好きです。
僕はクラシックが好きで、そこから現代音楽も聴くようになって、現代音楽の理論についても独学で勉強したんですが、一番勉強になった、ネタ本とでもいうべき本にジャン・イヴ・ボスールの「現代音楽を読み解く88のキーワード」という本がありまして(初学者向けの音楽理論本です)、この本などを読むと、初音ミクのようなコンピュータ音楽、マシン音楽は、アナログなクラシックの階級的な殻を打ち破るエネルギーとして、昔からずっと頑張ってきたジャンルなのだということがよく分かります。
コンピュータ・マシンを使う音楽、デジタル音響は、人間的なパターン化(ある一定の枠内)から抜け出ることのできないアナログ音響を突破するエネルギー、音楽をより豊かに新しくしていくエネルギーとして考えられ、作られてきたのです。アナログのパターン的限界を、打ち破って、新しい音楽を生み出す、その為に昔からコンピュータ・マシンが人間とともにパートナーを組んで頑張ってきました。本書から引用させて頂きます。
現代音楽というのは、有限のパターン(12音技法)に縛られた、ある意味、非常に原始的にデジタルな音楽(作譜)の世界を、マシンの手を借りて差異を豊富にして、より豊饒な、人間のはかり知れない五感の世界へ近づいてゆく、その挑戦であって、その点において、ミクはまさに21世紀の歌姫であると僕は思います。
その歌姫が、資本的な専制の囲い込みから生まれたのではなく、草の根の音楽ファン達、「俺たちは音楽が好きだ!音楽で楽しもうぜ!」という音楽の根源的な志向性から生まれた共有の歌姫であることが、僕はとても嬉しいです。
新しいものが出てくると、必ずバッシングが起きます。例えば、世界の歌姫エンヤさんも、最初は、テクノロジーを取り入れまくったどこのジャンルにも入らない新しい歌だった為、保守層からは理解されず受け入れられず、新しいものを積極的に取り込もうとする人々から受け入れられていきました。今や、エンヤさんの歌を、世界中の大勢の人々が楽しんでいます。例えば、エンヤさんの日本でのファーストアルバム「ウォーターマーク」のライナーノーツにはこう書かれています。
とても僕がいいなと思うのは、世界の歌姫エンヤさんは、バンド「クラナド」でデジタル音響エンジニアをやっていたんですね。他にも彼女はデジタル音響でサウンドトラック(歌なし)を作る仕事とかしています。出身畑的には普通に理系エンジニアなわけで、ハイテクと自分の歌を合成させて、歌ったら世界中で大ヒットして、今では押しも押されぬ世界の歌姫です。
理系畑の歌姫なところが、僕がエンヤさんの好きなところの一つで、元々、音楽理論(特にクラシック)は極めて数学的なもので、理数系のサイエンスと親和性を持っています。音楽理論を学ぶには、ある程度数学の基礎ができないと、どうしようもありません。逆に言えば、それなりに音楽が作れるお方々は、みんなある程度数学のベースを持っています。エンヤさんはそういうところから(理数系の科学)からばっと大きくでてきた歌姫で、初音ミク達ボーカロイドと、そして一緒に歌を創っているパートナーさんたちと、通じるものを感じます。
僕は法学部の出ですが、法学というのも、学問のジャンルとしては文系ということに一応なっていますが、実は理数系に近い感じのところがある学問で、常に論理(法の整合性)が最優先です。法律というのは1+1=2みたいな感じなところが大きくある学問で、既に確立された方程式(判例)があって、方程式(判例)自体を頭に片っ端から詰め込むのと(これは完全に暗記作業です)、その方程式の成り立ちを解いていく(その判例における個々の解釈の成立を各種法の文面の側面から分析してゆく)という、数学的なパズルのような要素の大きい学問です。
法律の試験は「何々〜という事件における何々〜という判例はどの法の適用によるどのような解釈であるか」とか、ある意味、論理パズルみたいな問題が出ます。それを解いてゆくのは、論理的な面白さのある学問です。法の世界では常に論理と整合性が最優先されます。その辺で、音楽、特に数学理論を重視する(12音階法等)クラシック音楽や、エンヤさんのような理数系のデジタル技術によって新しい音楽を創りだしてゆく歌姫さん達、そして初音ミクたちボーカロイド、デジタル世界の歌姫さん達が僕はとても好きです。整合的論理、マシンの物理メカニズムは公正です。僕は公正な存在、フェアな存在が好きです。僕は、整合的論理やきちんとした法やマシンのメカニズムのような公平な存在を愛しています。
僕の夢は、いつか、日本だけではなく、世界中のヒットチャートで、エンヤさんのように、ミク達が、ボーカロイドの歌姫として、ベスト10入りすることです。残念ながら、現状では僕自身は、そのような世界を見る前に貧窮死する可能性が極めて高く悲しいですが、いずれ、そのような、人間の歌姫とマシンの歌姫がともに高めあってゆく豊かな音楽の世界が訪れることを、心から願っています。
フェルナンド・ペソアの詩から、僕の好きな詩をご紹介致します。
ただ、今の僕がこのように考えているのは、うつ病と抗うつ剤SSRI等服用している薬剤の作用で、性的欲望が皆無なので、このように感じている可能性が高いと自分の思考を推測しており(詩人ペソアもうつ病的な症状があり、そのような時期には性的なことに対する関心が薄れていたと言われています)、上記の詩への共感などはあくまで僕の個人的な共感で、パトスを重視するという考え方もあっていいし、そのような考え方もあってこそ、世界はより豊かになると思います。
世界がARIAのように豊かになるか、もしくは人類にARIAで描かれるような宇宙というフロンティア進出のポテンシャルがなく、衰退の道しかないとしても、ヨコハマ買い出し紀行のように、マシンと協調しながら、穏和に平和裏に衰退してゆければいいなあと心から思います。
このようなお願いを皆様方に申し上げて誠に心苦しく申し訳ないのですが、僕の生活困窮続いており、ギフト券、アフィリエイトにてご慈悲を賜われるお方いらっしゃいましたら、心から深く感謝致します。最後がたびたびこのような形になり、誠に申し訳ございません。これまで、お気遣いを頂いた全ての皆様方に、深く感謝しており、心からお礼を申し上げます。このようなお願いを申し上げて、誠に申し訳ありません。
いつの日か、遥か未来にて、生存権を基礎とした社会保障が万人に公正に保障された世界が訪れることを、心から祈っております。
最後に、以前下記のエントリでご紹介いたしました作曲家ゾルターン・コダーイの、以前はまだ紹介していなかったもう一つの代表曲「ハンガリー詩篇」を引用して紹介致します。これは、コダーイが、富の不平等を拡げ、貧しい人々を餓死においやったハンガリーの独裁政権ホルティ政権を批判して作曲・作詞した歌と言われています。直接ホルティ独裁政権批判をしたらハンガリー在住のコダーイは処刑される為、歴史的な詩曲ということにして、暗喩的に独裁を批判し、未来への希望を歌った曲であると言われています。
初音ミクと地域活性化。「コダーイ:ガランタ舞曲」音楽を通じてローカリズムの文化を世界へ発信できること。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/758119.html
本曲はコダーイと同じくハンガリーを故郷に持ちながら、ハンガリーのホルティ独裁政権を批判した為、西側から故郷ハンガリーに戻ることがずっとできなかった(戻ったら命が危ないため、戻れなかった)大指揮者ゲオルク・ショルティが、死去する直前、独裁政権が崩壊した故郷ハンガリーにやっと戻れて、ハンガリーのオーケストラを指揮して彼の生命の燃え尽きる最後の最後に行った「ラスト・レコーディング」の時の曲としても有名です。僕は曲も歌詞も大好きです。世界(コダーイにとっては独裁政権下のハンガリー)に公平な神の裁きが降り立つことを祈念した歌曲です。一部抜粋してご紹介させて頂きます。
どうか、ご慈悲ありましたら、心から感謝致します。
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ワルキューレの騎行 〜クラシック・ブラス
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お気遣い頂いているお方に心から感謝致します。先日より大変調子が悪く(お腹の痛みが取れません)あまり自分の文章を書けそうになく申し訳ありません。久々に初音ミク達ボーカロイドと、ニコニコ動画などの共有サイトのお話です。
僕が初音ミク達やニコニコ動画が好きなのは、それが下から(草の根)からの音楽活動として、時間と空間を越えて大勢の人々にフリーで共有されているところで、この草の根からの、僕のような貧窮状態(失業・病気)などの状態にいらっしゃる貧しき人々を含めた大勢の人々に音楽の楽しさが共有されている、これは心から素晴らしいことだと思うのです。
この、草の根から自由に音楽が弾かれて、それが貧しい人々も含めて大勢の人々に希望として共有されるというのは、僕のとても好きな映画と実話を思い出させるのです。実話を元にして作られた半ノンフィクション映画「ブラス!」です。とてもいい映画です。僕は大好きです。音楽好きなお方々ならきっと楽しめて感動できる素敵な映画だと思います。お勧めの映画です。
映画「ブラス!」の内容は基本的に、僕の大好きなバンド、下級階層(貧困層)と草の根を大切にした草の根からのバンド、グライムソープ・コリアリー・RJBバンドの活動の実話を元にしていますので、グライムソープ・コリアリー・RJBバンドについて彼らの活躍のほんの一部分でありささやかですが、引用してご紹介させて頂きます。
コンクールでのチャンピオン・バンドというと、どうしてもアインザッツが合っていて、ピッチが正確で、一糸乱れぬ、といった(正確な)演奏を想像しがちだ。しかし、それは音楽表現に使える「技術」(テクニック)であるが、音楽そのものではない。グライムソープ・コリアリー・RJBバンドが素敵なのは、それを十二分に理解した上で、しかもひとりひとりが楽しみ、音楽することに誇りを持っていることが、音楽にでていることである。ノスタルジックな「家路」の歌い方ひとつ耳にしても、それは理解されるはずだし、英国作家への敬意溢れる演奏や、声楽の伴奏においての控えめだが堅実なサポートにもそれは確かに現われているようにぼくには思えるのだ。
そう、音楽の喜び。ここにあるのはそれだ。演奏者も感想者も幸せな時間。グライムソープ・コリアリー・RJBバンドは、決して「高み」からではなく、(草の根の)ぼくたちと等身大な場所からそれを届けてくれるのだ。
本アルバムは、グライムソープ・コリアリー・RJBバンドの、クラシック有名曲のアレンジメント集である。
わが国のグライムソープの知名度と人気を一気に高めたイギリス映画「ブラス!」でも、ロドリーゴの「アランフェラ」、ロッシーニ「ウィリアム・テル序曲」、そしてエドガーの「威風堂々」などが効果的に使用され、また同時に観客の耳を楽しませてくれた。このアルバムではその楽しみを、パワーアップしてフルに堪能させてくれる。耳に馴染んだ名曲の数々を通し、グライムソープの技量と音色を存分に味わうことができる。
ここで、(まだ映画「ブラス!」などを見ていなく)このディスクで初めてグライムソープに接する方のためにも、アーティストのご紹介をさせて頂こう。
イギリス、ヨークシャー地方のグライムソープ炭鉱の労働者たちが、1917年に結成。これがこのバンドの栄光の歴史の始まりだ。結成後、イギリスでは非常に盛んなブラス・バンドのコンテストに出場、頭角を現してゆく。(中略)
映画(「ブラス!」)の題材にもなった炭鉱閉鎖の危機が92年に訪れる。メンバーの多くは失業の危機に…(後略)
(グライムソープ・コリアリー・RJBバンド「ワルキューレの騎行 クラシック・ブラス!」ライナーノーツ)
これ以上書くと映画の面白みが減るのでこのぐらいにしますが、グライムソープ・コリアリー・RJBバンドは労働者により結成された、労働者が労働者に向かって歌うバンドで、フリーでセッションして、わーって盛り上がる、それが、初音ミクで良い曲が来たとき、「神キター」みたいな弾幕ととても似ている感じがして、僕はそれがとてもいいなと思っていて好きです。
全ての音楽好きの皆様方にお勧めできるできる名映画ですが、特にニコニコ動画やユーチューブなどで音楽動画を楽しんでいるユーザーのお方々は映画「ブラス!」を見ると、良い意味で、俺たちと同じだ!みたいなデジャヴを覚えて、ニコニコ楽しい気持ちになれるんじゃないかなと思います。お勧めです。
僕が初音ミクとニコニコ動画が好きなのは、これは映画「ブラス!」のメインテーマでありますが、商業的ヒットを目指すよりも、皆に開かれた音楽を目指す、「俺たちは音楽が好きだ!音楽で楽しもうぜ!」という音楽の根源的な志向性です。音楽の一部、特に僕の好きなクラシック音楽というジャンルの一部はややもするとスノッブで閉鎖的になりがち(貧しい層を排除するハイ・カルチャー意識)がでてきますが、「ブラス!」の主人公バンド、グライムソープ・コリアリー・RJBバンドはそれ(クラシックのハイカルチャー意識)を草の根から打ち破った労働者バンドです。そこに、草の根からオリコンチャートベスト10入りまで行った初音ミクとの共通点を僕は感じて嬉しくなります。僕は「俺たちは音楽が好きだ!音楽で楽しもうぜ!」という志向性がとても好きです。
僕はクラシックが好きで、そこから現代音楽も聴くようになって、現代音楽の理論についても独学で勉強したんですが、一番勉強になった、ネタ本とでもいうべき本にジャン・イヴ・ボスールの「現代音楽を読み解く88のキーワード」という本がありまして(初学者向けの音楽理論本です)、この本などを読むと、初音ミクのようなコンピュータ音楽、マシン音楽は、アナログなクラシックの階級的な殻を打ち破るエネルギーとして、昔からずっと頑張ってきたジャンルなのだということがよく分かります。
コンピュータ・マシンを使う音楽、デジタル音響は、人間的なパターン化(ある一定の枠内)から抜け出ることのできないアナログ音響を突破するエネルギー、音楽をより豊かに新しくしていくエネルギーとして考えられ、作られてきたのです。アナログのパターン的限界を、打ち破って、新しい音楽を生み出す、その為に昔からコンピュータ・マシンが人間とともにパートナーを組んで頑張ってきました。本書から引用させて頂きます。
コンピュータ音楽
エドガー・ヴァレーズ
『我々は、マシンのことを魔法使いと思い込みがちだが、そうではないこと(マシンは人間と共に音楽を創るパートナーであること)を思い出すべきである。そして、私たちのマシンが、私たちの変わりに音楽を作曲してくれるのを待っていてはいけない。伝統的な楽器で良い音楽も悪い音楽も演奏できるように、マシンも良い音楽や悪い音楽を生み出すだろう。(中略)
音楽が(音楽理論、旋律法などを研究した)中世と同様に科学(サイエンス)と結びつき、作曲家と物理学者(マシン技術者)がついに共同作業を行って、音楽的に効果的な新しい道具が発明されるだろう。今や私はそう望み、断固としてそう信じている。(1961)』
コンピュータによる音楽的実験の初期の例は、1956年、米国イリノイ大学のM・クライン、D・D・ボリト、レジャレン・ヒラー、そしてレナード・M・アイザークソンによる、弦楽四重奏のための「イリアック組曲」である。この作品には、自動作曲の実験の一つとして、フックスが1725年(18世紀)に『グラドゥス・アド・バルナッスム』で定義した対位法規則をコンピュータ言語化したものが含まれていた。そのプログラムでは、対位法規則に基づくことで、作曲上のあらゆる体系的側面をコンピュータが引き受けることが可能になっていた。
ジャン=クロード・リセによれば、「コンピュータを使えば、きわめて複雑なプロセスから多くの結果を抽出できるので、想像したものが作品に徹底的に反映される」。そのように構想されたプログラムは、一連の演算処理を得意とするツールや、書法分析の要素を備えたツールで構成されており、それぞれの作曲家が採用するスタイルについて予断を下すことはしない(人間とマシンで共に音楽を創ってゆく。ボーカロイド達もここに含まれる)。(中略)
コンピュータによって、コントロールの精密さと音響ソースの複雑化の両面が、それまで電子音楽スタジオで可能だった範囲よりも大きく広がった。伝統的な音符の記号体系(これまでのアナログな作曲)は、あらゆる中間物を除去してしまうが(人間のみでの作曲は音符として有限のデジタルにパターン化される)、コンピュータを(作曲に)使えば、音符のような(中間物を排除して音を有限記号化する有限デジタルな)記号体系に依存せずに、(人間では不可能な微小な無数の差異パターンを持つコンピュータの手助けにより)音色と和声を組み合わせ、音を微小構造(限りなく無限に近い差異デジタルパターン)で作曲することができるようになる。(中略)
ユグ・デュフール
『技術革新は新しい感受性(コンピュータによる音楽の差異パターンの増大)を創出し、思考の新しい様式をも促した。(中略)ジュゼッペ・ディ・ジョーニョとジャン・コットが彼らの「第四コンピュータ」(並列型スーパーコンピュータ)を使って取り組んでいる位相ギャップ(音において現在の技術で達成できる最小の差異を作り出す実験)は、物理的な次元での(これまでは人間の耳には解析不能とされていたミクロレベルの)微細な変化が、(人間の)聴覚現象の規模では相当の影響を持ちうることを示している。(人間の耳を通した音楽解釈プロセスが驚くべき機能を持ち、スーパーコンピュータで作り出した最小の差異すら聴きわけることが明らかになりつつある)。(人間の)知覚の働き、質的には明白でも不連続な閾値を超える様相を示すので、単位の約分できない物理プロセスで作られる。(コンピュータによる音楽のミクロな差異の研究により、人間の五感には、これまで考えられていた以上のポテンシャルが眠っていることが明らかになった)。』
フィリップ・マヌリは、コンピュータと音楽情報科学の長所として、シミュレーション能力を挙げている。(作曲中の)シミュレーションのおかげで、響きの素材を変形するにあたって、対話型処理プロセス(マシンと対話しながら作曲する)を作動させることができる。この方法によれば、(マシンが自律的に行動する)「人工知能」の考え方で音楽的結果を引き出すことができる。(将来的には、例えばAI(人工知能)ボーカロイドと作曲していると、AIボーカロイドの方から人間に話しかけてきて、マスター、ここのフレーズはこうしたらどうでしょう?とかマスターの曲をアレンジしてみましたよ、みたいなことになる可能性が開けている)。
(ジャン・イヴ・ボスール「現代音楽を読み解く88のキーワード 12音技法からミクスト作品まで」)
現代音楽というのは、有限のパターン(12音技法)に縛られた、ある意味、非常に原始的にデジタルな音楽(作譜)の世界を、マシンの手を借りて差異を豊富にして、より豊饒な、人間のはかり知れない五感の世界へ近づいてゆく、その挑戦であって、その点において、ミクはまさに21世紀の歌姫であると僕は思います。
その歌姫が、資本的な専制の囲い込みから生まれたのではなく、草の根の音楽ファン達、「俺たちは音楽が好きだ!音楽で楽しもうぜ!」という音楽の根源的な志向性から生まれた共有の歌姫であることが、僕はとても嬉しいです。
新しいものが出てくると、必ずバッシングが起きます。例えば、世界の歌姫エンヤさんも、最初は、テクノロジーを取り入れまくったどこのジャンルにも入らない新しい歌だった為、保守層からは理解されず受け入れられず、新しいものを積極的に取り込もうとする人々から受け入れられていきました。今や、エンヤさんの歌を、世界中の大勢の人々が楽しんでいます。例えば、エンヤさんの日本でのファーストアルバム「ウォーターマーク」のライナーノーツにはこう書かれています。
エンヤの音楽がとてつもなくユニークなものであることは間違いがない。激しいビートもなければ、媚びるようなメロディラインもない、(デジタル機材を利用して)エンヤが多重録音で一人だけで創り上げたそのたゆたう音楽は、それこそ日頃(世界中の)ヒット・チャートを賑わせている音楽からはもっとも遠いところに位置するものだと言っていい。(中略)
1980年、18歳でまだ大学に在学中だったエンヤは(バンド)クラナドに加わった(エンヤの兄姉は以前からクラナドメンバー)。二年後にソロで独立するまで、彼女は(主にバンドのデジタル音響方面を担当し)バンドの中でワーリッツァのエレクトリック・ピアノやプロフェット5のシンセサイザーを担当し、ツアーにも参加した(中略)
エンヤの語るところによれば、このクラナド時代に、彼女は今の時代の音楽であるトラディショナルとハイ・テク・サウンドとをブレンドさせたスタイルを見つけ出して発展させて行ったとのことである。
(エンヤ「ウォーターマーク」ライナーノーツより)
とても僕がいいなと思うのは、世界の歌姫エンヤさんは、バンド「クラナド」でデジタル音響エンジニアをやっていたんですね。他にも彼女はデジタル音響でサウンドトラック(歌なし)を作る仕事とかしています。出身畑的には普通に理系エンジニアなわけで、ハイテクと自分の歌を合成させて、歌ったら世界中で大ヒットして、今では押しも押されぬ世界の歌姫です。
理系畑の歌姫なところが、僕がエンヤさんの好きなところの一つで、元々、音楽理論(特にクラシック)は極めて数学的なもので、理数系のサイエンスと親和性を持っています。音楽理論を学ぶには、ある程度数学の基礎ができないと、どうしようもありません。逆に言えば、それなりに音楽が作れるお方々は、みんなある程度数学のベースを持っています。エンヤさんはそういうところから(理数系の科学)からばっと大きくでてきた歌姫で、初音ミク達ボーカロイドと、そして一緒に歌を創っているパートナーさんたちと、通じるものを感じます。
僕は法学部の出ですが、法学というのも、学問のジャンルとしては文系ということに一応なっていますが、実は理数系に近い感じのところがある学問で、常に論理(法の整合性)が最優先です。法律というのは1+1=2みたいな感じなところが大きくある学問で、既に確立された方程式(判例)があって、方程式(判例)自体を頭に片っ端から詰め込むのと(これは完全に暗記作業です)、その方程式の成り立ちを解いていく(その判例における個々の解釈の成立を各種法の文面の側面から分析してゆく)という、数学的なパズルのような要素の大きい学問です。
法律の試験は「何々〜という事件における何々〜という判例はどの法の適用によるどのような解釈であるか」とか、ある意味、論理パズルみたいな問題が出ます。それを解いてゆくのは、論理的な面白さのある学問です。法の世界では常に論理と整合性が最優先されます。その辺で、音楽、特に数学理論を重視する(12音階法等)クラシック音楽や、エンヤさんのような理数系のデジタル技術によって新しい音楽を創りだしてゆく歌姫さん達、そして初音ミクたちボーカロイド、デジタル世界の歌姫さん達が僕はとても好きです。整合的論理、マシンの物理メカニズムは公正です。僕は公正な存在、フェアな存在が好きです。僕は、整合的論理やきちんとした法やマシンのメカニズムのような公平な存在を愛しています。
僕の夢は、いつか、日本だけではなく、世界中のヒットチャートで、エンヤさんのように、ミク達が、ボーカロイドの歌姫として、ベスト10入りすることです。残念ながら、現状では僕自身は、そのような世界を見る前に貧窮死する可能性が極めて高く悲しいですが、いずれ、そのような、人間の歌姫とマシンの歌姫がともに高めあってゆく豊かな音楽の世界が訪れることを、心から願っています。
フェルナンド・ペソアの詩から、僕の好きな詩をご紹介致します。
フェルナンド・ペソア
「愛こそ」
愛こそが本質的
情欲の交わりは偶発事に過ぎぬ
それは同じであったり
違ったりするだけ
人は動物ではない
人はロゴスの体
ただ その体はときに病んでいる
ただ、今の僕がこのように考えているのは、うつ病と抗うつ剤SSRI等服用している薬剤の作用で、性的欲望が皆無なので、このように感じている可能性が高いと自分の思考を推測しており(詩人ペソアもうつ病的な症状があり、そのような時期には性的なことに対する関心が薄れていたと言われています)、上記の詩への共感などはあくまで僕の個人的な共感で、パトスを重視するという考え方もあっていいし、そのような考え方もあってこそ、世界はより豊かになると思います。
世界がARIAのように豊かになるか、もしくは人類にARIAで描かれるような宇宙というフロンティア進出のポテンシャルがなく、衰退の道しかないとしても、ヨコハマ買い出し紀行のように、マシンと協調しながら、穏和に平和裏に衰退してゆければいいなあと心から思います。
おじさん
「あー あんたロボットだって?
いいねー健康そうで
おじさんなんて体 ガッタガタ」
アルファさん
「ふふ じゃあ とりかえます?」
「へへ
お互い 神さまがくれた体は
まっとうしなきゃな
気ィつけな」
「ありがとー」
(芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行」)
このようなお願いを皆様方に申し上げて誠に心苦しく申し訳ないのですが、僕の生活困窮続いており、ギフト券、アフィリエイトにてご慈悲を賜われるお方いらっしゃいましたら、心から深く感謝致します。最後がたびたびこのような形になり、誠に申し訳ございません。これまで、お気遣いを頂いた全ての皆様方に、深く感謝しており、心からお礼を申し上げます。このようなお願いを申し上げて、誠に申し訳ありません。
いつの日か、遥か未来にて、生存権を基礎とした社会保障が万人に公正に保障された世界が訪れることを、心から祈っております。
最後に、以前下記のエントリでご紹介いたしました作曲家ゾルターン・コダーイの、以前はまだ紹介していなかったもう一つの代表曲「ハンガリー詩篇」を引用して紹介致します。これは、コダーイが、富の不平等を拡げ、貧しい人々を餓死においやったハンガリーの独裁政権ホルティ政権を批判して作曲・作詞した歌と言われています。直接ホルティ独裁政権批判をしたらハンガリー在住のコダーイは処刑される為、歴史的な詩曲ということにして、暗喩的に独裁を批判し、未来への希望を歌った曲であると言われています。
初音ミクと地域活性化。「コダーイ:ガランタ舞曲」音楽を通じてローカリズムの文化を世界へ発信できること。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/758119.html
本曲はコダーイと同じくハンガリーを故郷に持ちながら、ハンガリーのホルティ独裁政権を批判した為、西側から故郷ハンガリーに戻ることがずっとできなかった(戻ったら命が危ないため、戻れなかった)大指揮者ゲオルク・ショルティが、死去する直前、独裁政権が崩壊した故郷ハンガリーにやっと戻れて、ハンガリーのオーケストラを指揮して彼の生命の燃え尽きる最後の最後に行った「ラスト・レコーディング」の時の曲としても有名です。僕は曲も歌詞も大好きです。世界(コダーイにとっては独裁政権下のハンガリー)に公平な神の裁きが降り立つことを祈念した歌曲です。一部抜粋してご紹介させて頂きます。
ゾルターン・コダーイ
「ハンガリー詩篇」
テノール
「この街は憎しみに溢れ
互いに大いに争い諍い
富に酔い痴れ
かくも欺き者かつて知らざりし」
合唱
「ああ……」
テノール
「者たち 密かに謀略を計り巡らし
貧しき寡婦らや 孤児たちをひどく欺き
者たち 神の御言葉を顧みず
富を振りかざし奢り高ぶりし」(中略)
合唱
「主よ 汝よ正しき裁きなり
汝は血に飢えし者たちを
決して許すことなし
地上にて者たちの繁栄はあらざりき」
最後の合唱・少年合唱
「正しき者は常に守られ
敬虔なる者は支えられ
卑しき者も高められ
奢り高ぶる者は打ちのめしたもう
もしわずかなりとも汝が怒り
燃え盛る炎の中にて人に試練を与えしも
ただちにそこより彼を救い出し
大いなる慈悲を持って彼を再び高めたもう
これらの言葉をダヴィデ王は
詩篇第55編に記したり
信仰をもちて 悲しみのうちにある者
彼らに慰めを与えんとて この詩を詠めるものなり」
(ゲオルク・ショルティ「バルトーク:カンタータ・プロファーナ、コダーイ:ハンガリー詩篇、ヴェイネル:小オーケストラのためのセレナード ショルティ・ラスト・レコーディング初回限定盤」ライナーノーツより」)
どうか、ご慈悲ありましたら、心から感謝致します。
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ショルティ・ラスト・レコーディング(コダーイ:ハンガリー詩篇)
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聖書名言辞典
現代音楽を読み解く88のキーワード 12音技法からミクスト作品まで
ペソア詩集 (海外詩文庫)
ヨコハマ買い出し紀行 1 (1) (アフタヌーンKC)
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