2009年03月23日 16:13
お腹が空いて余り文章を書けそうになく申し訳ありません。耳鳴りが酷いです。猫との想い出について。
悪童日記 (ハヤカワepi文庫)
どちらでもいい (ハヤカワepi文庫)
色々節約して、暮らしているので、食事もなるべく取らないようにしているのですが、お腹が空いて、余り文章を書けそうになく申し訳ありません。最近はお腹がすいているとき(特に、カロリーを消費しないように寝ていた後、起きた時)耳鳴りが酷く、体調不良です。耳鳴りは、何の原因で起きているのか分かりません。キーンという微小な金属音のような音が、ずっと続きます。
慢性的にお腹が空いていると、お腹が空いているというより、お腹に何か重いものが溜まっている感じで、全身の感覚がだんだんなくなってきて、生を感じられる時が、猫を撫でたりしている時のみで、他に生を感じる感覚が遠くなってくる感じです。
さっき、猫をだっこしようとしたら、機嫌が悪かったみたいで、手を引っかかれてしまいましたが、こういう時ぐらいにしか、生を感じられません。機嫌が悪いときにだっこしようとして、悪いことしたなと思います。今は機嫌が直ったみたいでにゃ〜んって鳴いているので良かったです。
こうやってキーボードを打っていても、ため息しかでず、不安と感覚喪失の苦しみで一杯です。以前挙げました僕の好きな歌姫、悲劇の歌姫(CCCDでリリースしたことで、売り上げ低迷を招いた)、レネ・マーリンの曲のなかでファースト、セカンド、サードの曲中で一番暗い曲と思われる曲、サードアルバム「ロスト・イン・ア・モーメント」に収録された曲「ネヴァー・トゥ・ノウ」のような気持ちです。
レネ・マーリンはまだ三枚しかアルバムが出ていませんが、セカンド・サードアルバムがCCCDでリリースされたことで彼女の責ではないにも関わらず、評判を落としました。また、彼女が長いあいだ不調だったのには、仕事を大量に押し付けてくるレコード会社との軋轢と苦しみがあり、彼女はファーストシングル「天使のように…」が世界中で爆発的にヒットしたことで、レコード会社の強引なプロモーション戦略に巻き込まれ、学業も、学校の友人も、両親も、側から失い苦悩しました。
彼女は元々、歌はあくまで、学業のサブ、学業を中心にするということで、学業優先の契約をレコード会社と結んでいました。ファーストアルバム「プレイング・マイ・ゲーム」には18のレネ・マーリンの学業を大切にしたいという思いが綴られています。しかし、瞬く間に世界中で彼女のファーストシングル「天使のように…」(ファーストアルバム「プレイング・マイ・ゲーム」に収録)がヒットしたことで、その契約はワヤにされ、様々な軋轢(学校を辞めさせられ、世界中でプロモーション活動をやらされる)で心身がボロボロの状態になり、歌が作れなくなりました。
こういう、繊細な、天から恵みを与えられた歌姫を、ボロボロにするような、ショービジネスの強引さは、どうにかならないのかと思います。彼女の望む環境(学業と歌の両立)で、彼女の歌を作らせてあげたかったです。個々の人間の情感や倫理を無視した強引な資本主義は、人々を不幸にするだけに過ぎず、資本主義にも、アマルティア・センらが主張するように、倫理を導入しなくては、マクロからミクロまで、人類の営みがダメになってしまうと僕は思います。
シニカル(冷笑的)なブルジョワジーは、日本で政権交代が行われても行われなくても同じだ、市場が必ず権力を握り続けるなどとのたまいますが、これは議会制民主主義の否定であり、このようなことを述べる人間自らの専制君主的欲望を露にしている発言に過ぎません。
議会制民主主義で、なぜ、貧乏人プロレタリアート(昔で言えば一般民)にも、富裕ブルジョワジー(昔で言えば王侯貴族)にも、等しく一票が与えられるのか。それは、議会制民主主義そのものが、権力関係において富者(特権階級)が圧倒的に有利で貧者(平階級)が圧倒的に不利な状況において、『各人一票の公正な平等』を掲げることで、その権力関係の不公正を少しでも是正しようとする理念、自由・平等・友愛、『万人の幸福』の理念を民主主義が基底としているからです。それは一握りの支配階層が大勢の人間の生殺与奪の権を握る封建的な階級制度を否定するための、個々の一人一人の人権に基底をおいた制度なのです。
それを、どこの政党に投じても同じなどと述べて、民主主義における選挙を否定ことは、民主主義の基底理念を否定し、資本による専制社会を求める専制君主的欲望を露にしたブルジョワジーの欲望の発露に過ぎません。
僕は日本共産党支持ですが、他の政党についても調べましたが、現与党自民党は圧倒的に富者に有利、貧者に不利な政策を、何十年も前からずっと路線として行っており、貧者にとって一番優しい政策を掲げているのは、みな、自民党以外の野党です。野党が貧困対策をだすたびに、自民党が潰しています。また、自民党は、累進化税率の世界に例をみない大幅引き下げ、法人税の大幅引き下げ、健康保険の割合負担増加、失業保険が認められる雇用期間を半年から一年に延長、障害者に対する社会保障削減などあらゆる社会保障の削減、そして製造業への派遣解禁など、ありとあらゆる労働者を苦しめる法案を、新自由主義の名の元に通しており、日本のジニ係数(所得格差指数)は増大の一途を辿っています。
今現在、財界の幹部たる大手資本家もしくは相当以上の資産家以外の人々が、自民党を支持するメリットは全く皆無です。それなのに、政権交代が起ころうが起こるまいが同じと言うのは、民主主義の理念を否定し、資本的専制主義を目指すブルジョワジーの戯言に過ぎません。これまでの与党と野党の政策の違いから、政権交代が起きれば、間違いなく社会保障の分野において、自民党政治よりかは改善が見られることは間違いないと思います。
僕は日本共産党支持ですが、共産党以外に投票するお方々も、どうか、自民党以外の政党に投票を、民主党、国民新党、社民党、公明党、無所属、どこでもいいので、自民党以外に投票して欲しいと望みます。各政党の政策要綱を比較して、どこからどうみても、最も貧者に厳しく、貧しい層が生き残れそうにないのが、自民党政治だからです。僕は何もかも失っており、生きのびるのがギリギリの状況で、一刻も早く、総選挙が行われて、政治の転回が起きることを心から望んでいます。
グローバル化によって、世界中が繋がった上で、これまでのような戦争的な政治経済(新自由主義)が続くと、人類は自己破壊的に破滅すると心から思います。貧しい層は炭鉱のカナリヤのようなもので、まず貧しい層から死んでゆきます。闘争的的な政治経済ではなく、協調的な政治経済に少しずつでも変わってゆかねば、人間の未来に先がないと思います。
誠に申し訳ないのですが、先日より書いておりますように、生活危急にて、どうか、ご慈悲を賜わってくださるご余裕あるお方々がいらっしゃいましたら、心から感謝致します。
最後に僕の好きな作家、アゴタ・クリストフ(彼女の最高傑作長編小説の一つ「悪童日記」は20世紀文学の最高峰の結晶です。まだ未読のお方々はぜひご一読をお勧めします)の掌編「ある労働者の死」を、全文ご紹介致します。
読んだとき、自分のことが書かれているようだと思いました。僕は病死ではなく、貧窮死にむかっていますが、この主人公と変わりません。猫との想い出が僕にはあるぐらいです。
どうか、ご慈悲を賜わってくださるご余裕あるお方々がいらっしゃいましたら、心から感謝致します。
参考作品(amazon)
悪童日記 (ハヤカワepi文庫)
ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)
第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)
どちらでもいい (ハヤカワepi文庫)
文盲 アゴタ・クリストフ自伝
プレイング・マイ・ゲーム
アナザー・デイ (CCCD)
ロスト・イン・ア・モーメント(CCCD)
聖なるものの社会学 (ちくま学芸文庫)
資本主義黒書 上―市場経済との訣別
資本主義黒書 下―市場経済との訣別
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どちらでもいい (ハヤカワepi文庫)
色々節約して、暮らしているので、食事もなるべく取らないようにしているのですが、お腹が空いて、余り文章を書けそうになく申し訳ありません。最近はお腹がすいているとき(特に、カロリーを消費しないように寝ていた後、起きた時)耳鳴りが酷く、体調不良です。耳鳴りは、何の原因で起きているのか分かりません。キーンという微小な金属音のような音が、ずっと続きます。
慢性的にお腹が空いていると、お腹が空いているというより、お腹に何か重いものが溜まっている感じで、全身の感覚がだんだんなくなってきて、生を感じられる時が、猫を撫でたりしている時のみで、他に生を感じる感覚が遠くなってくる感じです。
さっき、猫をだっこしようとしたら、機嫌が悪かったみたいで、手を引っかかれてしまいましたが、こういう時ぐらいにしか、生を感じられません。機嫌が悪いときにだっこしようとして、悪いことしたなと思います。今は機嫌が直ったみたいでにゃ〜んって鳴いているので良かったです。
こうやってキーボードを打っていても、ため息しかでず、不安と感覚喪失の苦しみで一杯です。以前挙げました僕の好きな歌姫、悲劇の歌姫(CCCDでリリースしたことで、売り上げ低迷を招いた)、レネ・マーリンの曲のなかでファースト、セカンド、サードの曲中で一番暗い曲と思われる曲、サードアルバム「ロスト・イン・ア・モーメント」に収録された曲「ネヴァー・トゥ・ノウ」のような気持ちです。
レネ・マーリン
「ネヴァー・トゥ・ノウ」
あなたは知っていた?
彼が服の下にいくつもの傷痕を隠していることを
最近つけられた傷もあるし
何年も前からずっと残っているものもある
あなたは知っていた?
それはもう痛みすら感じないの
酷い痛みさえない ただ涙だけがこぼれるの
レネ・マーリンはまだ三枚しかアルバムが出ていませんが、セカンド・サードアルバムがCCCDでリリースされたことで彼女の責ではないにも関わらず、評判を落としました。また、彼女が長いあいだ不調だったのには、仕事を大量に押し付けてくるレコード会社との軋轢と苦しみがあり、彼女はファーストシングル「天使のように…」が世界中で爆発的にヒットしたことで、レコード会社の強引なプロモーション戦略に巻き込まれ、学業も、学校の友人も、両親も、側から失い苦悩しました。
彼女は元々、歌はあくまで、学業のサブ、学業を中心にするということで、学業優先の契約をレコード会社と結んでいました。ファーストアルバム「プレイング・マイ・ゲーム」には18のレネ・マーリンの学業を大切にしたいという思いが綴られています。しかし、瞬く間に世界中で彼女のファーストシングル「天使のように…」(ファーストアルバム「プレイング・マイ・ゲーム」に収録)がヒットしたことで、その契約はワヤにされ、様々な軋轢(学校を辞めさせられ、世界中でプロモーション活動をやらされる)で心身がボロボロの状態になり、歌が作れなくなりました。
(18歳で出したファーストシングル「天使のように…」が世界的に大ヒットしたことで)世界各国でプロモーション。ひどい時には一日で三ヶ国を回るほど、多忙を極めた(寝る時間ゼロ)。レコード会社と契約する際に、学業優先が(契約時の)条件だったが、結局は学校を辞め、両親と暮らす(生まれ故郷)トロムソからも離れなくてはいけない状況に追い込まれた。精神的にも、肉体的にも疲弊していく一方だったが(元々レネは世界的歌姫になることを望んでいなかった)、さらにレコード会社は、アメリカ進出を計画し始めた。
レネには信じられなかった。自分はもう十分満足している。それどころか、(爆発的に売れ続ける自分のアルバムに対して)「もういいから、出荷を止めて」とさえ思っている。それなのに周囲の動きは一向に止まろうとしない。そこには自分のためではなく、周囲の期待のために働いている自分がいた。
最終的にアルバムは、180万枚を超えるビッグ・セールスを記録するが、(レネに)喜びはなかった。そして、騒動が落ち着いた段階で、そこにいたのは消耗しきった(学業とも学友とも両親とも切り離され苛酷に労働させられた)レネだった。
そこ(心身が参ってしまった状態)から復活するのに想像以上の時間がかかった。2ndアルバム「アナザー・デイ」が完成したのは2003年のこと。彼女が言う「周囲」にとって、それは待ちに待った新作。レコーディングの段階で、第三者の意見が介入してくる(歌詞やメロディを自由に作れない)のは想像に難くない。レネ以外の全員が前作以上の(大衆受けする)成功を期待しているからだ。
それがプレッシャーになったし、創作活動の妨げにもなった。まだ曲が完成していない段階で、聴かせて欲しい、とも言われた。それがレネにはたまらなかったし、二度と繰り返したくなかった。だから、レコード会社にレコーディングを内緒にしたわけだが、でも、それは計画的にに極秘にしたわけではない。(中略)
レネがソングライティングを始めたのは15歳の時。両親にギターを贈られたのがきっかけだった。彼女が生まれ育ったのはノルウェーの北極圏に位置するトロムソ。北のパリと呼ばれるトロムソは、美しい街だが、冬になると長い夜が続く。そんな闇と雪に閉ざされた冬の時間のなかで、レネはひとり部屋に篭り、自分の想いを歌に綴るようになった。それがピュアで、静謐で、内省的な歌が生まれた背景だ。
(レネ・マーリン「ロスト・イン・ア・モーメント」ライナーノーツより)
こういう、繊細な、天から恵みを与えられた歌姫を、ボロボロにするような、ショービジネスの強引さは、どうにかならないのかと思います。彼女の望む環境(学業と歌の両立)で、彼女の歌を作らせてあげたかったです。個々の人間の情感や倫理を無視した強引な資本主義は、人々を不幸にするだけに過ぎず、資本主義にも、アマルティア・センらが主張するように、倫理を導入しなくては、マクロからミクロまで、人類の営みがダメになってしまうと僕は思います。
シニカル(冷笑的)なブルジョワジーは、日本で政権交代が行われても行われなくても同じだ、市場が必ず権力を握り続けるなどとのたまいますが、これは議会制民主主義の否定であり、このようなことを述べる人間自らの専制君主的欲望を露にしている発言に過ぎません。
議会制民主主義で、なぜ、貧乏人プロレタリアート(昔で言えば一般民)にも、富裕ブルジョワジー(昔で言えば王侯貴族)にも、等しく一票が与えられるのか。それは、議会制民主主義そのものが、権力関係において富者(特権階級)が圧倒的に有利で貧者(平階級)が圧倒的に不利な状況において、『各人一票の公正な平等』を掲げることで、その権力関係の不公正を少しでも是正しようとする理念、自由・平等・友愛、『万人の幸福』の理念を民主主義が基底としているからです。それは一握りの支配階層が大勢の人間の生殺与奪の権を握る封建的な階級制度を否定するための、個々の一人一人の人権に基底をおいた制度なのです。
それを、どこの政党に投じても同じなどと述べて、民主主義における選挙を否定ことは、民主主義の基底理念を否定し、資本による専制社会を求める専制君主的欲望を露にしたブルジョワジーの欲望の発露に過ぎません。
僕は日本共産党支持ですが、他の政党についても調べましたが、現与党自民党は圧倒的に富者に有利、貧者に不利な政策を、何十年も前からずっと路線として行っており、貧者にとって一番優しい政策を掲げているのは、みな、自民党以外の野党です。野党が貧困対策をだすたびに、自民党が潰しています。また、自民党は、累進化税率の世界に例をみない大幅引き下げ、法人税の大幅引き下げ、健康保険の割合負担増加、失業保険が認められる雇用期間を半年から一年に延長、障害者に対する社会保障削減などあらゆる社会保障の削減、そして製造業への派遣解禁など、ありとあらゆる労働者を苦しめる法案を、新自由主義の名の元に通しており、日本のジニ係数(所得格差指数)は増大の一途を辿っています。
今現在、財界の幹部たる大手資本家もしくは相当以上の資産家以外の人々が、自民党を支持するメリットは全く皆無です。それなのに、政権交代が起ころうが起こるまいが同じと言うのは、民主主義の理念を否定し、資本的専制主義を目指すブルジョワジーの戯言に過ぎません。これまでの与党と野党の政策の違いから、政権交代が起きれば、間違いなく社会保障の分野において、自民党政治よりかは改善が見られることは間違いないと思います。
僕は日本共産党支持ですが、共産党以外に投票するお方々も、どうか、自民党以外の政党に投票を、民主党、国民新党、社民党、公明党、無所属、どこでもいいので、自民党以外に投票して欲しいと望みます。各政党の政策要綱を比較して、どこからどうみても、最も貧者に厳しく、貧しい層が生き残れそうにないのが、自民党政治だからです。僕は何もかも失っており、生きのびるのがギリギリの状況で、一刻も早く、総選挙が行われて、政治の転回が起きることを心から望んでいます。
グローバル化によって、世界中が繋がった上で、これまでのような戦争的な政治経済(新自由主義)が続くと、人類は自己破壊的に破滅すると心から思います。貧しい層は炭鉱のカナリヤのようなもので、まず貧しい層から死んでゆきます。闘争的的な政治経済ではなく、協調的な政治経済に少しずつでも変わってゆかねば、人間の未来に先がないと思います。
戦争の現代的な形態は、すでに文明の発展そのもののうちに含まれている。文明は華々しく戦争を進歩させたが、これが結局は自己破壊の脅威になってきた。この体内の危険には、早急に手当てを行わなくてはならない。事態はもうこの段階にまで来ているのである。
(ロジェ・カイヨワ「聖なるものの社会学」)
誠に申し訳ないのですが、先日より書いておりますように、生活危急にて、どうか、ご慈悲を賜わってくださるご余裕あるお方々がいらっしゃいましたら、心から感謝致します。
最後に僕の好きな作家、アゴタ・クリストフ(彼女の最高傑作長編小説の一つ「悪童日記」は20世紀文学の最高峰の結晶です。まだ未読のお方々はぜひご一読をお勧めします)の掌編「ある労働者の死」を、全文ご紹介致します。
アゴタ・クリストフ掌編集「どちらでもいい」より
「ある労働者の死」
途切れてしまったシラブルが、意味を成さず、窓と花瓶の間に引っかかっている。
途切れてしまった指の動き。あなたの衰弱した指は、シーツの上に、大文字のNを半ばまで書いたのだった。
「NON!(否!)」
あなたは信じていた。目をつむりさえしなければ、死に捕まってしまうことはないと。あなたは力の限りを尽くして目を大きく見開いていたが、闇が訪れ、あなたをすっぽりと包み込んだ。
昨日もまだあなたは、あの土曜日に完全に洗い終えることのできなかった自分の車のことを思っていた。すでにあんなにも遠い過去となってしまったあの土曜日、あなたは初めて胃に、突き刺すような痛みを感じたのだった。
「癌です」と医者が言った。たちまち、病院の寝台の清潔さが、あなたを恐怖の中に突き落とした。
数日、数週、数ヶ月が経過するうちに、あなたは手の先まで白くなった。こびりついて落ちなかった油汚れが消え、あなたの爪は割れることがなくなり、役人の指の爪のように、細長いピンク色の爪になった。
夜、あなたは泣いた。しゃっくりも、痙攣もなく、声を上げることすらなく、あなたは泣いた。ただ涙だけが静かに流れ、枕を濡らした。微かな音もしなかった。常夜灯の緑色の光が、同じ病室に入ってくる人たちの頬と目の下に窪みを穿っていた。
そう、あなたは独りではなかった。
あなたは、今日明日にでも死ぬであろう六、七名のうちの一人だった。
工場でもそうだった。あなたは、あそこでも独りではなかった。今日も明日も同じ動作を繰り返す二十名から五十名のうちの一人だった。
あなたの工場は、時計だけを製造していたのではない。死体をも製造していた。
ところで、工場でそうだったように病院でも、あなたがたは互いに何を言ってよいのか分からないでいた。
あなたは思っていた。他の人たちは眠っているか、あるいはすでに死んでしまったのだと。
他の人たちは思っていた。あなたは眠っているか、あるいはすでに死んでしまったのだと。
誰も口を開かず、あなたも口を開かなかった。
あなたはもはや何も話したくはなく、ただ、何かを想い出したかったのだ。だが、何を想い出せばいいのか、あなたにはわからなかった。
想い出せることがなかったのだ。
あなたの想い出、あなたの青春、あなたのエネルギー、あなたの人生、――工場がそれらを奪ってしまった。工場があなたに残したのは、疲労、四十年間の労働の果ての、致命的な疲労だけだった。
読んだとき、自分のことが書かれているようだと思いました。僕は病死ではなく、貧窮死にむかっていますが、この主人公と変わりません。猫との想い出が僕にはあるぐらいです。
どうか、ご慈悲を賜わってくださるご余裕あるお方々がいらっしゃいましたら、心から感謝致します。
参考作品(amazon)
悪童日記 (ハヤカワepi文庫)
ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)
第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)
どちらでもいい (ハヤカワepi文庫)
文盲 アゴタ・クリストフ自伝
プレイング・マイ・ゲーム
アナザー・デイ (CCCD)
ロスト・イン・ア・モーメント(CCCD)
聖なるものの社会学 (ちくま学芸文庫)
資本主義黒書 上―市場経済との訣別
資本主義黒書 下―市場経済との訣別
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