2009年03月12日 23:31
初音ミクとヴァイオリン。パガニーニ「ヴァイオリン協奏曲第1番・第2番」「カプリース全曲」
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番・第2番
パガニーニ:カプリース(全曲)
先日の続きですが、心配してくださったお方々に心からお礼申し上げます。まだ風邪が続いていてなので、栄養のあるものを食べて、休んで、早く回復したいと思います。今日は、早めに休もうと思うので、あまり更新できないかと思いますが、申し訳ありません。お気遣い頂いたお方々に心から感謝致します。ありがとうございます。
初音ミク、ボーカロイド一般についてですが、僕は、現代音楽が好きなので、ボーカロイドが出てきたことは素直に嬉しいです。クラシックは、偉大な巨匠(三大B(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)、モーツァルト、ショパンetc)達が、天才としか云い様のない才能と努力によって築き上げた業績が高すぎて、どうしても超えられない行き詰まりというのが、20世紀になって出てきて、クラシックを超えるために、色々な模索がなされました(現代音楽)。
ここで特記すべきは、やはり音楽家「ジョン・ケージ」で、この人がいなかったら、テクノとか電子音楽とか生まれる・広がるのが遅くなっただろうと僕は思います。ケージは、「浄夜」等で有名なクラシック作曲界の巨匠の一人シェーンベルクの弟子です。彼は、クラシックの行き詰まりをシェーンベルクから教わった「クラシックの枠組」(和声)を自分なりの方法で打ち破ろうとしました。彼の面白いところは、彼の家系はアメリカの発明家の家系で、彼自身もアーティストでありながら、音楽のために楽器を発明しているところです。彼の面白いところは、人間の限界を人間外のものの導入(無秩序なランダム性)や機械(音楽楽器を独特に発達させることでクラシック音楽の枠を超える)の手を使って超えようとしたところで、シンセサイザーの発達などを喜びました。
ケージは作曲・演奏両方行いました。ケージは晩年まで大変貧しく(彼の祖父は発明家として優秀でしたが、父が普通の人で、ケージは特にお金も無く仕事も無く、いまでいうところの自称芸術家、通称失業者みたいな感じでした)、いつもかつかつの生活を送っていて、バーなどで演奏し、ケージの変わった音楽を楽しんでくれる人にお金を恵んで頂いたり、音楽と全然関係のない日雇いアルバイトをやったりして、なんとか食いつないで、暮らしていたので、僕も大変貧しいので共感を持っています。
彼は大変な奇人として知られ(彼はとても前衛的な音楽を演奏していたので、奇人扱いでした)、また、とてもメカ好き(エンジニア気質)の音楽家でした。彼はよくもわるくも名高い新しい楽器「プリペアド・ピアノ」を発明しました。彼の作曲した「16のダンス」は、人間のアナログ的なパターン(どうしても人間は作曲するとき癖がでて、人間のパターン的な限界が現れてしまう)の限界を打ち破るため、ランダム性をデジタルに(法則的に)組み込むことで、非常に変わった曲になっています。彼は、自分に足りないもの(師シェーンベルクから指摘された和声)を、創意工夫とマシン(人間にはないデジタルの感性)の手を借りることでクラシックの枠組みを打ち破ろうとしたのです。
プリペアド・ピアノについて語ると長くなるので、思い切りはしょりますが、ケージはピアノにそれぞれの固有性を持たせようとしてこれを立案しました。演奏家が、自分で調律して、しかも何がでるか分からない、ビックリ箱のようなピアノで、最初は凄まじく理解されませんでしたが、今も認めない人、悪しくいう人いますが、楽器として世界的に認められています。ただ、音楽が極めて保守的な傾向のある日本ではほとんど使われないです。
ジョン・ケージは知れば知るほど間違いなく奇人変人な人で(一生子供のまま、悪戯好きだけど真っ直ぐな子供みたいな人です、奇人変人過ぎて沢山の損をしています)、何か僕はシンパシー(共感)を感じるところがあって、個人的にも好きな人です。僕もスノビズム(権威主義)がとても嫌いなので、ケージのその辺は凄くいいなと思います。
この段落だけは以前のエントリの続きなので、多くの方には関係ないことなので、ここで語るのは申し訳ないのですが、僕の知り合いのライターさんのしろうとさんからメールが来て、しろうとさんは、藤田直哉さんから僕に転送してくれと依頼のメールがきて、それで、僕のところへ藤田さんからのメールを転送しただけで、それ以外自分(しろうとさん)はただ転送しただけでこの件には一切何もタッチしておりません。というメールで、僕のところに来たメールから見ても、その通りだと思います。しろうとさんを何か巻き込む形になっており本当に申し訳ないです。ごめんなさい。しろうとさんは、ただ、藤田直哉さんから転送依頼のメールが来たから、メールを僕に転送してくださっただけで、この件には一切関わっておりません。
あと、僕の個人的な意見ですが保守的なアカデミーの世界などでは仕方ないのかも知れませんが、誰か一人のカリスマに絶対服従する態度、例えば、『教授に師弟は絶対服従』みたいな態度は、僕はかっこ悪いと思います。こういう権威に無条件に忠誠を誓う態度を決して好かないところはケージも同じ(ケージは権威主義に縛られるのを心から嫌がりました)で、そこが好きです。
ただ、だからかケージも僕も社会的にはなんだかよく分からない存在(外からみたら貧乏失業者で、ケージは何か謎の音楽を作って、僕は何か謎の文章を今このように書いているという形です)でして、かつかつの貧乏(なんだかよく分からない存在は社会の外にいるので、収入を得るのは難しい)なので、こういう世渡りできないスタンスだとこの世の中では人生幸せにはなれないような感じはなんだかします。
話を戻しますと、古い枠組、クラシックの枠組、人間の能力の限界を偶然性を持ち込んだりマシンを使って突破するということにケージは意欲的で、権威主義的言説に激しく反対しました。「デジタルだからダメ」「新しいからダメ」「これまで聴いたことのない音楽だからダメ」とか、そんなスノビッシュな態度は、ケージが激怒しそうです。僕もケージの側です。新しいからこそ、世界を豊かにする可能性を僕はそこに見ます。オバマ大統領もケネディ大統領も言っていますが「チャレンジしないと何も始まらない」です。
だから、僕はボーカロイドを使って新しいチャレンジをするお方々を応援します。それは、クラシック−枠組みからの脱出の自由を重んじる革新的現代音楽(ケージ)の目指した「より新しい、楽しいものを!」というアートの考え方と一致するからです。僕はこの考え方に賛同しています。古典(クラシック)も大好きですが、前衛(新しいアート)も僕は大好きです。保守系クラシックしかダメ、前衛は絶対認めないみたいな今の日本の音楽界の態度(ケージを無視していなかったことにして、現代音楽といえば保守的な現代音楽ばかりしかないような日本音楽界の一部の重鎮達の態度)は僕は問題だと思います。それは、文化に貧しさを招いているだけだと思います。
ただ、ケージの音楽を皆様方にお勧めできるかというと、これは大変微妙なところでして、僕は好きなんですが、だいたいの人は、あまりにもどっか明後日の方向に行っちゃている音楽すぎて好まないような感じで、合わないお方々に合わないのは仕方ないと僕自身も感じる音楽なので、図書館などで借りて、それで合うようだったら初めて買うという風にした方がいいと思います。先のエントリで書かせて頂きましたとおり、ケージは「In a Landscape」あたりが入りやすいと思います。
その点、初音ミクの音楽CDアルバムは、だれが聴いても可愛らしくて、しかもボーカロイドである初音ミクの独特な歌声を持っていて、素晴らしいと思います。大勢の皆様方に薦められる音楽だと思います。
ケージの話が長々となってしまいました。初音ミクとヴァイオリンのことを書こうと思ったんですが、僕は文章書いているとよく脱線してしまうので、そうなってしまい申し訳ありません。ボーカロイド初音ミク、リンやレンなど聴いて、その製作工程をDTM作成されているお方々に聴いたことがあるんですが、聴いててヴァイオリンぽいなあと思いました。
ヴァイオリンぽいなと思ったのは、まず音楽の調節に手を使うところ、そして、それぞれ固有のハードウェア環境が違い、それをボーカロイドと人間で、その環境も込みで、一緒に音楽を創り上げてゆくところで、ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器ぽいなあと感じました。数学的に精緻な美しさを究めてゆくピアノ(十二音技法)とは違って(僕はピアノとても好きです)、物凄く微妙な、ある種、作る人のアナログな人間の感性に頼るアナログな操作で、ミクの歌が創られてゆくのを知って、とても面白いと思いました。僕はピアノも好きですし、ヴァイオリンも好きですし、ボーカロイドも好きです。金子みすずの言った「みんな違って、みんないい」ということが、文化を豊かにしてゆくと思います。
僕が現在活躍中の人間の歌姫の中で一番好きなのは、サラ・ブライトマンです。何時の日か、多分、ずっと後、僕がいなくなった後、未来に、技術が発展し創作への意欲と結びつき、サラ・ブライトマンを超えてゆくようなボーカロイドの歌、人間の限界を突破してゆくような歌が生まれる未来が世界に訪れたら、それは文化にとって素晴らしいことだと思います。
文化は、常に、時代と共に過去をいずれ超えてゆくもので、古いものには価値があります、僕が聴くのは圧倒的にクラシックが多いですが、だからといってクラシックが僕にとっての音楽の全てというわけでなく、新しい音楽も好きです。新しいものを抑圧してはいけない。これは僕の信念です。
お勧めのヴァイオリン曲として、パガニーニ「ヴァイオリン協奏曲第1番・第2番」「カプリース全曲」をお勧め致します。こちらにも書きたいことが色々あったんですが、もう疲れてしまって、キーが押せそうにないので、書けなくて申し訳ありません。僕が書きたかったことを簡潔に纏めると、天才ヴァイオリニストパガニーニの生演奏や天才ピアニストショパンの生演奏などの録音が残っていたらどんなに良かったかということです。文化は人々全てにとっての宝物です。録音技術によって、文化が広く人々に得られるようになったのは素晴らしいことです。とくに、昔のアナログ録音は、マスターテープからコピーするたびに音が劣化するので、デジタル録音できるようになったことは、とても素晴らしい行幸です。パガニーニの演奏を、ショパンの演奏を、フルトヴェングラー指揮の演奏を、デジタル録音で聴きたかった、そんな想いが僕にはとても強くあります。今世の中が動いている方向、人類の共有すべき宝物である文化を、一部の富裕な人々だけが著作権の名において独占して、結果、貧しい人々は誰も文化に触れられないということにならないよう、僕は心から祈ります。
歴史的天才ヴァイオリニストパガニーニの作曲した、ヴァイオリン協奏曲第二番第三楽章「ラ・カンパネラ」はとても有名なので、皆様方、どこかでお聴きになったお方々もいらっしゃると思います。この曲は聴くと皆様方心楽しくなれるかと思います。
最後に、稀代のヴァイオリニストパールマンの弾くパガニーニ「カプリース全曲」こちらもお勧めです。僕は昔今より高い値段で買ったので、優れた文化が安くなってより大勢の人々に伝わるようになるのは、とても良いこと、人類全体にとって良いことと、これは絶対なことと思っています。
参考作品(amazon)
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番・第2番
パガニーニ:カプリース(全曲)
冬のシンフォニー(通常盤)
オペラ座の怪人~サラ・ブライトマン・ベスト・セレクション
John Cage: In a Landscape
ケージ:16のダンス
シェーンベルク:浄夜
EXIT TUNES PRESENTS Vocarhythm feat.初音ミク
supercell (通常盤)
KEI画廊
わたしと小鳥とすずと―金子みすゞ童謡集
amazonトップページ
パガニーニ:カプリース(全曲)
先日の続きですが、心配してくださったお方々に心からお礼申し上げます。まだ風邪が続いていてなので、栄養のあるものを食べて、休んで、早く回復したいと思います。今日は、早めに休もうと思うので、あまり更新できないかと思いますが、申し訳ありません。お気遣い頂いたお方々に心から感謝致します。ありがとうございます。
初音ミク、ボーカロイド一般についてですが、僕は、現代音楽が好きなので、ボーカロイドが出てきたことは素直に嬉しいです。クラシックは、偉大な巨匠(三大B(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)、モーツァルト、ショパンetc)達が、天才としか云い様のない才能と努力によって築き上げた業績が高すぎて、どうしても超えられない行き詰まりというのが、20世紀になって出てきて、クラシックを超えるために、色々な模索がなされました(現代音楽)。
ここで特記すべきは、やはり音楽家「ジョン・ケージ」で、この人がいなかったら、テクノとか電子音楽とか生まれる・広がるのが遅くなっただろうと僕は思います。ケージは、「浄夜」等で有名なクラシック作曲界の巨匠の一人シェーンベルクの弟子です。彼は、クラシックの行き詰まりをシェーンベルクから教わった「クラシックの枠組」(和声)を自分なりの方法で打ち破ろうとしました。彼の面白いところは、彼の家系はアメリカの発明家の家系で、彼自身もアーティストでありながら、音楽のために楽器を発明しているところです。彼の面白いところは、人間の限界を人間外のものの導入(無秩序なランダム性)や機械(音楽楽器を独特に発達させることでクラシック音楽の枠を超える)の手を使って超えようとしたところで、シンセサイザーの発達などを喜びました。
ケージは作曲・演奏両方行いました。ケージは晩年まで大変貧しく(彼の祖父は発明家として優秀でしたが、父が普通の人で、ケージは特にお金も無く仕事も無く、いまでいうところの自称芸術家、通称失業者みたいな感じでした)、いつもかつかつの生活を送っていて、バーなどで演奏し、ケージの変わった音楽を楽しんでくれる人にお金を恵んで頂いたり、音楽と全然関係のない日雇いアルバイトをやったりして、なんとか食いつないで、暮らしていたので、僕も大変貧しいので共感を持っています。
彼は大変な奇人として知られ(彼はとても前衛的な音楽を演奏していたので、奇人扱いでした)、また、とてもメカ好き(エンジニア気質)の音楽家でした。彼はよくもわるくも名高い新しい楽器「プリペアド・ピアノ」を発明しました。彼の作曲した「16のダンス」は、人間のアナログ的なパターン(どうしても人間は作曲するとき癖がでて、人間のパターン的な限界が現れてしまう)の限界を打ち破るため、ランダム性をデジタルに(法則的に)組み込むことで、非常に変わった曲になっています。彼は、自分に足りないもの(師シェーンベルクから指摘された和声)を、創意工夫とマシン(人間にはないデジタルの感性)の手を借りることでクラシックの枠組みを打ち破ろうとしたのです。
ウィキペディア「ジョン・ケージ」
ジョン・ミルトン・ケージ(John Milton Cage、1912年9月5日 - 1992年8月12日)はアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス生まれの作曲家。(中略)
1940年に、グランドピアノの弦に異物(ゴム・木片・ボルトなど)を挟んで音色を打楽器的なものに変化させたプリペアド・ピアノを考案する。バックミンスター・フラーなどの影響で次第に東洋思想への関心を深め、後にはコロンビア大学で2年間鈴木大拙に禅を学んでいる。こうした思想的背景の下で、1950年代初頭に中国の易などを用いて、作曲過程に偶然性が関わる「チャンス・オペレーション」の試みを始め、さらに演奏や聴取の過程に偶然性が関与する「不確定性の音楽」へと歩を進め、伝統的な西洋音楽の価値観を覆す偶然性の音楽を創始した。
偶然性の音楽以前の代表作に、「プリペアド・ピアノの為のソナタとインターリュード」(1946年 - 1948年)、偶然性の音楽としては、演奏者が通常の意味での演奏行為を行わない「4分33秒」や、何をしてもよい「0分00秒」、などがある。現代音楽のみならずフルクサスやハプニングなどの前衛芸術に与えた影響は計り知れない。
有名な「4分33秒」は、コンサート会場が一種の権力となっている現状に対しての異議申し立てであると同時に(同じことがデュシャンの泉にもいえる。コンサート会場や美術館にて展示や演奏されれば何であれ作品になってしまうのか、といった問いかけである。結果的にも『それでも作品になりうる』という理解をも生んでしまったともいえる。)、観客自身が発する音、ホールの内外から聞こえる音などに聴衆の意識を向けさせる意図があり、偶然性の音楽というケージの実践・思想全体の中に位置づけて初めて意味を持つものであるが、こうした文脈で正しく理解されたとは言い難い、単なるふざけた振る舞いとみなす者、逆に画期的な音楽と評する者など激しい論争を巻き起こした。(中略)
(ケージの音楽は、ケージが晩年になるまでただの悪ふざけ扱いされたが、近年)「ジョン・ケージの音楽は「音楽」か?」という質問があって、最も当時影響を受けたシュトックハウゼンやラッヘンマン、ピエール・ブーレーズらが現在では彼の「音楽」に対しては懐疑的な態度を見せているのに対し、主に戦後世代の筆頭に当るマティアス・シュパーリンガー(1944年生まれ)あたりから完全に彼を音楽の「作曲家」と認めるなど、その結果を見ると前衛や保守に余り関係なしに完全に戦後世代は彼の作品を「音楽」として享受している結果が出た。(中略)
(現代の)日本の(音楽界の)状況は唯一の弟子の一柳慧は近年極めて伝統的な形式の「交響曲」を複数書くなど、とてもケージの作品をとても音楽とは思えないような、態度を思わせるだけでなく、戦後の前衛な立場にある嶋津武仁も雑誌「音楽の世界」などでは彼を作曲家としてよりは思想家をして認めるなど極めて保守的な思考が現在でも目立っている。
ジョン・ケージは音楽の師であるアルノルト・シェーンベルクに弟子入りするとき「一生を音楽に捧げる気があるか」と問われた。ケージは「はい」と答え、そうしてシェーンベルクのもとで二年間音楽を学んだ。その後、シェーンベルクはケージに「音楽を書くためには、和声の感覚をもたなければならない」と言った。それを聞いたケージは自分が和声の感覚を全くもっていないことをシェーンベルグに告白した。すると、シェーンベルクは「それは君にとって音楽を続けることの障害になるだろう。ちょうど通り抜けることのできない壁につきあたるようなものだ」と伝えると、ケージは「それなら、私は壁に頭を打ち続けることに一生を捧げます」と答えた。
また、彼は相当なキノコの研究家であり博士号も持つ。彼がキノコを好む理由の一つには「辞書でmusicの一つ前がmushroomだったから」というものがあると言われている。また、毒キノコを食べて死にそうになったこともあった。
彼の生活は猛烈に貧しく、師のシェーンベルクが50歳過ぎでもアメリカで奨学金を追い求めて苦労したように、幼稚園児の送り迎えのアルバイトをしていたと言われる。しかし50歳を過ぎた頃にはケージは既に著名な存在であり、ケージ自身も自分のネームバリューをわかっていてどのようなドサ仕事でもやりたがる気質ゆえであった。テレビのクイズ番組にまで出演し、その回のグランプリは彼が得た。なお、その回のクイズの内容は「キノコ全般」であった。
彼はアメリカの当時の作曲家にありがちなスノビズムを猛烈に憎んでおり、どこへ行くにもボロボロの普段着で出かけ、普通の電話帳にも実名を載せたために普通のファンの電話もマネージャーを介さず全て自分で取った。このことが仇となり、晩年にはただの老人と誤認されて強盗に襲われた経験を持つ。
彼はいつもニコニコと笑っており「ケージ・スマイル」(一柳慧の日本語訳は「啓示微笑」)と後年親しまれたが、これは老境の態度であり壮年期の顔はかなり険しい。京都賞受賞時に「絶対に正装はしない!シャツとジーンズで出る」と言い張り、関係者との間でトラブルになった。いつも笑っていても、自分の信念を曲げる人間とは絶対に相容れなかった。
このとき、「日本の伝統衣装、たとえば羽織袴なら」というスタッフのアドヴァイスに非常に好意を抱き、羽織袴着用での受賞となった。羽織袴も正装の一つであるのになぜ洋風の正装を嫌がったのかは、アメリカの(スノビッシュ、権威的な)作曲家協会に所属する階層に対する一面強烈な敵意があったからとされている。
ウィキペディア「プリペアド・ピアノ」
プリペアド・ピアノ または プリペアード・ピアノ(英 prepared piano 文字通りには「準備されたピアノ」の意)とは、グランドピアノの弦に、ゴム、金属、木などを挟んだり乗せたりして(これを「プリペアする」「プリパレーションを施す」などという)音色を打楽器的な響きに変えたものをいう。このようにすることで、ピアノ本来の音色が失われ、金属的な音や雑音の多い独特な音が得られるほか、多くはその音の高さも幾分不明瞭になったり、元の高さとは異なる音高となったりする。
プリペアド・ピアノについて語ると長くなるので、思い切りはしょりますが、ケージはピアノにそれぞれの固有性を持たせようとしてこれを立案しました。演奏家が、自分で調律して、しかも何がでるか分からない、ビックリ箱のようなピアノで、最初は凄まじく理解されませんでしたが、今も認めない人、悪しくいう人いますが、楽器として世界的に認められています。ただ、音楽が極めて保守的な傾向のある日本ではほとんど使われないです。
ジョン・ケージは知れば知るほど間違いなく奇人変人な人で(一生子供のまま、悪戯好きだけど真っ直ぐな子供みたいな人です、奇人変人過ぎて沢山の損をしています)、何か僕はシンパシー(共感)を感じるところがあって、個人的にも好きな人です。僕もスノビズム(権威主義)がとても嫌いなので、ケージのその辺は凄くいいなと思います。
この段落だけは以前のエントリの続きなので、多くの方には関係ないことなので、ここで語るのは申し訳ないのですが、僕の知り合いのライターさんのしろうとさんからメールが来て、しろうとさんは、藤田直哉さんから僕に転送してくれと依頼のメールがきて、それで、僕のところへ藤田さんからのメールを転送しただけで、それ以外自分(しろうとさん)はただ転送しただけでこの件には一切何もタッチしておりません。というメールで、僕のところに来たメールから見ても、その通りだと思います。しろうとさんを何か巻き込む形になっており本当に申し訳ないです。ごめんなさい。しろうとさんは、ただ、藤田直哉さんから転送依頼のメールが来たから、メールを僕に転送してくださっただけで、この件には一切関わっておりません。
あと、僕の個人的な意見ですが保守的なアカデミーの世界などでは仕方ないのかも知れませんが、誰か一人のカリスマに絶対服従する態度、例えば、『教授に師弟は絶対服従』みたいな態度は、僕はかっこ悪いと思います。こういう権威に無条件に忠誠を誓う態度を決して好かないところはケージも同じ(ケージは権威主義に縛られるのを心から嫌がりました)で、そこが好きです。
ただ、だからかケージも僕も社会的にはなんだかよく分からない存在(外からみたら貧乏失業者で、ケージは何か謎の音楽を作って、僕は何か謎の文章を今このように書いているという形です)でして、かつかつの貧乏(なんだかよく分からない存在は社会の外にいるので、収入を得るのは難しい)なので、こういう世渡りできないスタンスだとこの世の中では人生幸せにはなれないような感じはなんだかします。
話を戻しますと、古い枠組、クラシックの枠組、人間の能力の限界を偶然性を持ち込んだりマシンを使って突破するということにケージは意欲的で、権威主義的言説に激しく反対しました。「デジタルだからダメ」「新しいからダメ」「これまで聴いたことのない音楽だからダメ」とか、そんなスノビッシュな態度は、ケージが激怒しそうです。僕もケージの側です。新しいからこそ、世界を豊かにする可能性を僕はそこに見ます。オバマ大統領もケネディ大統領も言っていますが「チャレンジしないと何も始まらない」です。
だから、僕はボーカロイドを使って新しいチャレンジをするお方々を応援します。それは、クラシック−枠組みからの脱出の自由を重んじる革新的現代音楽(ケージ)の目指した「より新しい、楽しいものを!」というアートの考え方と一致するからです。僕はこの考え方に賛同しています。古典(クラシック)も大好きですが、前衛(新しいアート)も僕は大好きです。保守系クラシックしかダメ、前衛は絶対認めないみたいな今の日本の音楽界の態度(ケージを無視していなかったことにして、現代音楽といえば保守的な現代音楽ばかりしかないような日本音楽界の一部の重鎮達の態度)は僕は問題だと思います。それは、文化に貧しさを招いているだけだと思います。
ただ、ケージの音楽を皆様方にお勧めできるかというと、これは大変微妙なところでして、僕は好きなんですが、だいたいの人は、あまりにもどっか明後日の方向に行っちゃている音楽すぎて好まないような感じで、合わないお方々に合わないのは仕方ないと僕自身も感じる音楽なので、図書館などで借りて、それで合うようだったら初めて買うという風にした方がいいと思います。先のエントリで書かせて頂きましたとおり、ケージは「In a Landscape」あたりが入りやすいと思います。
その点、初音ミクの音楽CDアルバムは、だれが聴いても可愛らしくて、しかもボーカロイドである初音ミクの独特な歌声を持っていて、素晴らしいと思います。大勢の皆様方に薦められる音楽だと思います。
ケージの話が長々となってしまいました。初音ミクとヴァイオリンのことを書こうと思ったんですが、僕は文章書いているとよく脱線してしまうので、そうなってしまい申し訳ありません。ボーカロイド初音ミク、リンやレンなど聴いて、その製作工程をDTM作成されているお方々に聴いたことがあるんですが、聴いててヴァイオリンぽいなあと思いました。
ヴァイオリンぽいなと思ったのは、まず音楽の調節に手を使うところ、そして、それぞれ固有のハードウェア環境が違い、それをボーカロイドと人間で、その環境も込みで、一緒に音楽を創り上げてゆくところで、ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器ぽいなあと感じました。数学的に精緻な美しさを究めてゆくピアノ(十二音技法)とは違って(僕はピアノとても好きです)、物凄く微妙な、ある種、作る人のアナログな人間の感性に頼るアナログな操作で、ミクの歌が創られてゆくのを知って、とても面白いと思いました。僕はピアノも好きですし、ヴァイオリンも好きですし、ボーカロイドも好きです。金子みすずの言った「みんな違って、みんないい」ということが、文化を豊かにしてゆくと思います。
金子みすず
「わたしと小鳥と鈴と」
わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない
わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど
あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ
鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい
僕が現在活躍中の人間の歌姫の中で一番好きなのは、サラ・ブライトマンです。何時の日か、多分、ずっと後、僕がいなくなった後、未来に、技術が発展し創作への意欲と結びつき、サラ・ブライトマンを超えてゆくようなボーカロイドの歌、人間の限界を突破してゆくような歌が生まれる未来が世界に訪れたら、それは文化にとって素晴らしいことだと思います。
文化は、常に、時代と共に過去をいずれ超えてゆくもので、古いものには価値があります、僕が聴くのは圧倒的にクラシックが多いですが、だからといってクラシックが僕にとっての音楽の全てというわけでなく、新しい音楽も好きです。新しいものを抑圧してはいけない。これは僕の信念です。
お勧めのヴァイオリン曲として、パガニーニ「ヴァイオリン協奏曲第1番・第2番」「カプリース全曲」をお勧め致します。こちらにも書きたいことが色々あったんですが、もう疲れてしまって、キーが押せそうにないので、書けなくて申し訳ありません。僕が書きたかったことを簡潔に纏めると、天才ヴァイオリニストパガニーニの生演奏や天才ピアニストショパンの生演奏などの録音が残っていたらどんなに良かったかということです。文化は人々全てにとっての宝物です。録音技術によって、文化が広く人々に得られるようになったのは素晴らしいことです。とくに、昔のアナログ録音は、マスターテープからコピーするたびに音が劣化するので、デジタル録音できるようになったことは、とても素晴らしい行幸です。パガニーニの演奏を、ショパンの演奏を、フルトヴェングラー指揮の演奏を、デジタル録音で聴きたかった、そんな想いが僕にはとても強くあります。今世の中が動いている方向、人類の共有すべき宝物である文化を、一部の富裕な人々だけが著作権の名において独占して、結果、貧しい人々は誰も文化に触れられないということにならないよう、僕は心から祈ります。
歴史的天才ヴァイオリニストパガニーニの作曲した、ヴァイオリン協奏曲第二番第三楽章「ラ・カンパネラ」はとても有名なので、皆様方、どこかでお聴きになったお方々もいらっしゃると思います。この曲は聴くと皆様方心楽しくなれるかと思います。
最後に、稀代のヴァイオリニストパールマンの弾くパガニーニ「カプリース全曲」こちらもお勧めです。僕は昔今より高い値段で買ったので、優れた文化が安くなってより大勢の人々に伝わるようになるのは、とても良いこと、人類全体にとって良いことと、これは絶対なことと思っています。
参考作品(amazon)
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番・第2番
パガニーニ:カプリース(全曲)
冬のシンフォニー(通常盤)
オペラ座の怪人~サラ・ブライトマン・ベスト・セレクション
John Cage: In a Landscape
ケージ:16のダンス
シェーンベルク:浄夜
EXIT TUNES PRESENTS Vocarhythm feat.初音ミク
supercell (通常盤)
KEI画廊
わたしと小鳥とすずと―金子みすゞ童謡集
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