2009年03月10日 04:13
中東からの村上春樹氏批判について。村上春樹さんのエルサレム賞受賞スピーチ後の心情のインタビューについて。
現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)
昨日午後よりノドが非常に痛く、午後、図書館に頑張って出かけて、帰宅時、雨に濡れて風邪がぶりかえしたようで、大変な状況ですが、村上春樹さんのエルサレム賞受賞スピーチ後の心情のインタビューについて、図書館で読んできた昨日の朝日新聞09/03/09朝刊にのっていたので引用してご紹介致します。
僕は村上春樹さんガザ虐殺についてのスピーチは受賞という行為自体が全くベターではない選択でしたが、その中においては、ある程度、ガザ虐殺反対のスピーチによって、一定の有意義を持っていたと思います。虐殺ということについて、一番恐れるべきは、『その問題が隠されて、誰も止める手立てがない』という状態に陥ることです。その点、イスラエルのガザ侵攻、ガザ虐殺について、イスラエルの賞で語った村上春樹さんを、ある程度、評価します。それは世界の注目をガザの虐殺に集めるからです。しかし、賞を受賞するのはベターな選択肢ではなかったと思います。抗議の為の辞退、そしてそれが話題になることこそが、ベターであったと思います。それは、僕自身の考えというより、中東の人々の望みとして伝えられているからです。当事者である中東の人々が抗議の為の辞退を望むなら、それに従うことこそ、真実の倫理性であったと僕は思います。
受賞を抗議の為に辞退して欲しいという願いが、日本だけでなく、中東の人々に、当事者としての思いとして辞退して欲しいという思いがあったこと、どうか、村上春樹さんと、そのスピーチに心動かされた全ての人々に全力で伝えたいと僕は思っています。レバノン人の世界的な作家・詩人である、アブド・ワジンさんが「受賞を辞退してほしかった」ということをアラブの新聞に書かれています。
僕も以前書きましたこと(下記エントリ群)、国際世界においてイスラエルロビーの力を借りることはノーベル賞受賞の最大の原動力であり、ノーベル文学賞候補として受賞の為の活動をしている『ミスターハルキ・ムラカミ』は、そのことを知り尽くしているがゆえに、受賞したのだろうと、村上春樹さんのおそらくは本音(ノーベル文学賞を受賞したい政治的な欲望ゆえに、中東の人々が求めた辞退をせずに、イスラエルへ受賞しに行った)ということ、そしてそれは村上春樹の過ちだったということをアブド・ワジンさんは書いております。僕は全く同感に思います。何度も書いていますが、ノーベル賞とは、極めて政治的な賞だからです。
先の引用と同じく、朝日新聞09/03/09朝刊にアブド・ワジンさんの村上春樹批判の文章が載っておりましたので、ご紹介致します。村上春樹さんの言葉だけでなく、中東の作家の村上春樹さん批判を載せているところが、09/03/09朝刊の朝日新聞は、他の主要紙に比べると、とても質が高かったと思いました。カイロにいらっしゃる朝日新聞の中東特派員の平田篤志記者が書いた記事です。とても名文です。僕は平田篤志記者に同感に思います。平田篤志記者も、アブド・ワジンさんも、これが本当に平和を願うものではなく(本当に平和を願うなら辞退するべきで、反戦スピーチはベターな選択ではなかった)、村上春樹さんがノーベル文学賞の為にイスラエルに行った本音を推し量っているからだと思います。以下、引用させていただき、ご紹介致します。
アブド・ワジンさんは、以前僕も書きました通り、文化とは政治であり、外交であることをきちんと押さえて、語っております。そして、驚くべき寛容さを持って、村上春樹氏の過ち(ノーベル文学賞欲しさに、イスラエルのイメージを回復させるページェントに乗った)ことを赦しています。
これは、僕はとても感動しました。もし僕が中東生まれ中東育ちの人間だったら、僕の気質、攻撃的で切れやすい気質からして、頭に血が登ってしまい、徹底的に村上春樹を批判していたことは間違いないからです。とても大きな寛容さを示している。僕は、こういった寛容さ、アブド・ワジンさんの真の寛容さに感動しました。村上春樹さんが行った政治的振る舞いを優先する行動では、おそらくこの寛容は示せません。僕のような、心に緩衝帯の大きさが持てないかんしゃくもちのダメな人間もこのような寛容は示せません。非常に、心の裡を抑制した、真の倫理、気高く優れた寛容によって、中東の誇り高さを示した名文であると思います。
僕は、イスラエルシンパのシナリオライター高橋直樹氏が、『文学者が何か言って/受賞を拒否して状況が変わるような段階はとっくに過ぎている。意味がない。 村上春樹を語ることはイスラエルを語ることではない。例の授賞式について議論をしてる人たちは、村上春樹について語っているのであって、イスラエルについて語っているのではおそらくない。』とまたもやとんでもないことを書いていて、驚嘆と怒りを感じました。しかも災いなのは、この記事が、一日当り数百万ユニークアクセス(既に一日1000万ユニークアクセス行ってるかもしれません。うつ病になった後、ニュースサイトなどの事情に疎くなったので分かりません)を誇る、日本のネット社会における電通たる超巨大ニュースサイト「カトゆー家断絶」にリンクされていることです。「カトゆー家断絶」のニュースとしてリンクされるということは、テレビのゴールデンタイムのCMのような巨大な影響力を発揮します。それに比べて僕のサイトのアクセスは1日200〜300ユニークアクセス前後です。影響力が五桁くらい違います。そのことを思うと、高橋直樹さんのイスラエルを利する言説だけが大きく流れてゆくことに絶望を感じます。
それでも、諦めずに書きますと、先の高橋直樹さんの発言は完全に間違っています。以前も書きましたが、アブド・ワジンさんも指摘していますが、イスラエルロビーはノーベル賞全般と繋がっていて、それを餌に釣り上げて、権威付けして、文化的イメージを高めるという政治戦略をとってきた国なのです。イスラエルはその国の規模から考えると驚くほど、人材育成、特に文化的人材育成、知識産業の人材育成、軍事諜報関係の人材育成に力を入れている国で、人材の優秀さということでは、他に並ぶものがありません。人材を資本として利用するのが世界で最も長けた国であり、その行動はイスラエルの国益の為にあります。
イスラエルのイメージが世界的にダウンしているときに、日本の作家村上春樹氏を呼んだのは、日本及び村上春樹氏が中東諸国に人気がある作家(過去の日本は、中東を抑圧するアメリカと戦った有色人種国であるということで、イスラエルよりも中東諸国の方に親しまれている日本の作家)であり、なおかつ、中東の有名なリベラル作家や欧米のリベラルな有名作家を呼ぶと、彼ら(中東や欧米の有名作家)の多くは神(信仰、キリスト教、イスラム教)の倫理を抱いていますから、ノーベル賞を餌に釣っても釣れない可能性がありました。その点、エコノミックアニマルと揶揄されるほど計算高く倫理観念の低い日本人の有名作家ならば釣れるだろうという目算があった可能性が高いと推測されます。イスラエルは、世界で最も外交の力(国際的な諜報や分析、予想の能力)が優れている、文化外交の力もたいへん優れている国です。その国が、今、この時期に、日本の作家に賞を与え、その作家が受賞したことの政治的意味は重いです。そのことを、日本の村上春樹さんが受賞したということで、日本の人々に考えて頂けたらと僕は心から望みます。
余談ですが、彼(高橋直樹氏)の言葉にはおかしなものが多いです。例えば、ネオリベ(ネオリベラリズム、新自由主義)とベーシックインカム(国民全員に対する社会福祉生存保障)は両立しません。ネオリベラリズムは経済の最大自由化(ぶっちゃけていえば、税金を限界まで低くして富の再配分を減らす)とそのための福祉の削減をセットで目指す主義の為、ベーシックインカム(国民全員に対する生存保障)を導入するネオリベというのはネオリベではありません。だからこそ、ベーシックインカム論者は、現自民党政権、新自由主義を未だに推し進める自民党政治を批判しているのです。国会討論を高橋直樹さんは見ておられないのでしょうか。僕の支持しているのは日本共産党ですが、今の国会では、日本共産党以外の野党も全党が共同歩調で、大きな立て札に「新自由主義の弊害」と書いて、新自由主義をいつまで自民党は続けるつもりなのかと一生懸命論戦しています。自民党は、のらりくらりと、まるでロス・バーネットやジョージ・ウォラスのようにのらりくらりかわすだけで、真っ当に答えていません。
現在国会でベーシックインカム的な施策(国民全員に対する生存社会保障)を強く求めているのは、共産党と社民党の二党であり、両党とも社会福祉を削減して経済の最大化を目指す新自由主義を批判しています。共産党の志位和夫委員長も、社民党の福島みずほ党首も、頑張っています。逆に、麻生首相から平の下っ端議員まで自民党議員でネオリベを肯定する人は大勢いますが、ベーシックインカムを言う人は見たことがありません。自民党の代弁者として、昨日の朝日新聞で竹中平蔵氏は下記のように述べておりました。与党政権自民党及び竹中平蔵氏の政治理念、生命に対する冷酷無比さがよくわかるインタビュー記事ですので引用致します。
与党自民党の推し進める新自由主義について新自由主義者竹中平蔵氏がとても率直に語っており、実に分かりやすいインタビューでした。新自由主義を標榜する高橋直樹氏や東浩紀氏がどのような政治的スタンスなのか、以下の竹中氏の言葉など、とてもよくわかると思います。『国民が高い税金を払って多くのサービスを受ける。それをスウェーデン型と言い、できるだけ国民が自立して税金の負担を抑え、その代わり政府のサービスも最小限にする、それをアメリカ型と呼ぶなら、私は後者を選びます。』(竹中平蔵)。
竹中氏が述べるところの新自由主義とは、結局、『お金持ち、ほんの僅かな特権階級だけが富み栄え、他の大勢の人々は貧困に喘ぐ』システムなのです。新自由主義を標榜する人々がどういう資産的立場にいるか考えてください。高橋直樹氏には働かなくてもゲーム業界がソフトを出し続ける限り、彼が開発したゲーム作成ソフトNScripterの商業使用料が入ってきます。東浩紀氏は義父小鷹信光氏が大富豪です。竹中平蔵氏は現在『企業人大学』として有名な慶応大教授、そして財界ロビーシンクタンク日本経済研究センター特別顧問です。新自由主義を唱えている人々は皆、資本家かそれに近い人々です。そのことをどうか、皆様方に真剣に考えて頂ければと、心から思います。
あと、突然宣伝みたいで申し訳ないのですが、3月12日20時から、僕が支持している政党である日本共産党の志位和夫委員長がネットのニコニコ動画に出ますので、どうかネットでニコニコ動画をご覧のお方々は、どうかご視聴なさってくださればと心からよろしくお願い致します。日本共産党は、国民一人一人の生存権・生命を、誰一人見捨てずに確りと守る、それが一番のテーゼです。決して、企業優先競争政策で人々を餓死させてゆく現与党・新自由主義政党自民党・竹中平蔵路線のような政策は採りません。他の政党とは違い、現在巷を賑わせている企業年金を日本共産党は決して受け取りません。日本共産党は、企業よりも国民一人一人を大切にして、日本の政党のなかで、一番、草の根の社会福祉に力を入れています。日本共産党は社会福祉を第一に掲げます。『法人税を上げて貧しい層に手厚く富を再分配する、国民全員の平等な生存権・平等な社会保障を約束する』は日本共産党の一番のテーゼです。ニコニコ動画のユーザーの皆様方、どうか、日本共産党をなにとぞよろしく、お願い致します。皆様方がもし貧しい層であれば、一番皆様方のお力になれるのは日本共産党です。よろしくお願い致します。ニコニコ動画のコメント機能を使った質問も受け付けます。何かご質問がありましたら、志位委員長がお答え致します。
話を戻しますと、高橋直樹氏は、ゲームやアニメのDVDは高いから廃れるとトンチンカンなことを言っていますが、高いから廃れているのではないと僕は思います。高橋直樹氏はブルジョワジーで、今の僕みたいな極限的貧しさを体験していないと強く感じました。高いとか安いとかではないのです。貧困だとギリギリに切り詰めた生活費以外一切お金が出せないのです。だから、貧しいと、ただで新聞が読めたり本が読めたり音楽CDが借りれる図書館に頼りっぱなしになります。だけど、図書館にはゲームもアニメも置いてないのです。ゲームやアニメの著作権者がゲームやアニメの公共財としての扱いを拒否して図書館に置かしてくれないからです。だから、ゲームやアニメはプレイする人、見る人、日本が今後経済的に没落してゆくとともに(日本の経済的没落は、少子高齢化の速度及び独身率から見て、もう決して防ぎようがないと思います。僕ももう壮年ですが、独身で、失業しております)、貧困層が更に増大し、少なくなってゆくと思います。
逆に、ゲームやアニメをきちんとした公共財として認めて、図書館にゲームやアニメをおいて借りれるようにすれば、貧しい人もゲームやアニメを楽しめて、コンテンツを楽しむユーザー数が増加することで、ある程度勢いを取り戻すと思います。ゲームやアニメが廃れてきているのにも関わらず、ライトノベルがきちんきちんと上手く行っているのは、ライトノベルは図書館におかれて借りられ、図書館の中でも娯楽性が高くとても人気の高いジャンルだからだと思います。ライトノベルはコミックと並び図書館で一番人気のあるジャンルだと思います。図書館で僕がよく読むような哲学書や宗教書は人気がないです。ライトノベルは哲学書や宗教書に比べて圧倒的人気です。
しかし、新自由主義による社会福祉削減により、図書館の予算も削られ、音楽CDは新譜が入らなくなり、入ってくる本の総数も減ってきています。図書館自体が統廃合で少なくなっています。新自由主義とは貧しい人々の最後の学び、楽しむ糧である公共財(本や音楽CD)も奪ってゆきます。その新自由主義を竹中平蔵氏や高橋直樹氏や東浩紀氏のような特権階級が支持している。そのことの意味を、考えてくださるお方々が増えてくださったら良いなあと僕は思います。僕は、はっきりと、アメリカ型タイプ(市場重視・新自由主義国家タイプ)の社会ではなく、デンマーク型タイプ(生存権・社会保障重視・福祉国家タイプ)型の社会を望みます。
余談がとても長くなりました。村上春樹氏のイスラエル問題に戻りますと、文化は政治であり、政治は文化であり、それは決して切り離せないものなのです。そのことを忘れると、世界は再び、レニ・リーフェンシュタールの悲劇を繰り返してしまうと思います。
上記の文章を忘れてはならない、大勢のパレスチナの人々が、抽象的なイメージ(卵)の人々ではなく、実際に生身の人間の大勢の生命が虐殺されたこと、このことを決して忘れてはならない、日本人は、村上春樹という作家を輩出し、その作家が虐殺のあった直後にエルサレム賞を受賞したこと、そのことの道義的な責任を決して忘れてはならないと僕は思います。
平和がないときに、平和であると、偽りの平和を語っては決していけないのです。最後に、聖書、聖書名言辞典から、引用させて頂きます。
心を込めて真摯に読めば、旧約聖書も新約聖書も人々の思いやりと支えあい、人々の愛と平和、そして個人個人の倫理的な責任を説いたとても優れた倫理的書物だと思います。聖書は、この世に生まれた生命は、世界を尊び生命を尊ぶ聖なる責任を担っていることを示します。世界が、真なる意味での聖なる世界、善と美のある世界へ、僅かでも向かっていくことを、心から祈ります。
最後に、喉が痛いのが現在とても酷いので、今後、更新滞りましたら、誠に申し訳ございません。ギフト券、アフィリエイトでご慈悲を賜わってくださる心優しき皆様方、本当に、どうもありがとうございます。深く感謝申し上げます。ありがとうございます。
参考作品(amazon)
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言辞典
現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)
なぜ、デンマーク人は幸福な国をつくることに成功したのか どうして、日本では人が大切にされるシステムをつくれないのか
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昨日午後よりノドが非常に痛く、午後、図書館に頑張って出かけて、帰宅時、雨に濡れて風邪がぶりかえしたようで、大変な状況ですが、村上春樹さんのエルサレム賞受賞スピーチ後の心情のインタビューについて、図書館で読んできた昨日の朝日新聞09/03/09朝刊にのっていたので引用してご紹介致します。
朝日新聞09/03/09朝刊「語るため 授賞式に」
2月15日に開かれたエルサレム賞授賞式のスピーチで、イスラエルのガザ攻撃を批判して話題になった作家村上春樹さんのインタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」が、受賞スピーチ「壁と卵」とともに、10日発売の「文芸春秋」4月号に掲載される。昨年11月の授賞の打診、発表前のガザ攻撃で悩んだ経過やペレス大統領の表情、スピーチで明かした昨年90歳で亡くなった父親の戦争体験などを率直に話している。
村上さんは、国ではなくブックフェアの賞であることや、過去の受賞者のパレスチナ政策批判スピーチも内容が公開されていることから、授賞式で話すという「ポジティブなメッセージ」を選んだ。
授賞式にはペレス大統領も出席。式の前に「僕は14年前に『ノルウェイの森』を読んだ」と言われた。しかし、「スピーチの途中から最前列に座っている大統領の表情がこわばってきました」。
終わると、多くの人が立って拍手したが、大統領はしばらく席を立たなかったという。
一方、エルサレム市長は「あなたの意見は小説家として実に誠実なものだ」と、積極的に握手を求めた。村上さんはイスラエルにもいろんな考えをもった人がいて、そういう人に会えたのが「大きな収穫」としている。
ウェブを中心に受賞辞退を求める動きもあったが、パレスチナで起きていることへ関心を集めた点で「有意義」な問題提起だったと見る。
他方、「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」とも語っている。
僕は村上春樹さんガザ虐殺についてのスピーチは受賞という行為自体が全くベターではない選択でしたが、その中においては、ある程度、ガザ虐殺反対のスピーチによって、一定の有意義を持っていたと思います。虐殺ということについて、一番恐れるべきは、『その問題が隠されて、誰も止める手立てがない』という状態に陥ることです。その点、イスラエルのガザ侵攻、ガザ虐殺について、イスラエルの賞で語った村上春樹さんを、ある程度、評価します。それは世界の注目をガザの虐殺に集めるからです。しかし、賞を受賞するのはベターな選択肢ではなかったと思います。抗議の為の辞退、そしてそれが話題になることこそが、ベターであったと思います。それは、僕自身の考えというより、中東の人々の望みとして伝えられているからです。当事者である中東の人々が抗議の為の辞退を望むなら、それに従うことこそ、真実の倫理性であったと僕は思います。
受賞を抗議の為に辞退して欲しいという願いが、日本だけでなく、中東の人々に、当事者としての思いとして辞退して欲しいという思いがあったこと、どうか、村上春樹さんと、そのスピーチに心動かされた全ての人々に全力で伝えたいと僕は思っています。レバノン人の世界的な作家・詩人である、アブド・ワジンさんが「受賞を辞退してほしかった」ということをアラブの新聞に書かれています。
僕も以前書きましたこと(下記エントリ群)、国際世界においてイスラエルロビーの力を借りることはノーベル賞受賞の最大の原動力であり、ノーベル文学賞候補として受賞の為の活動をしている『ミスターハルキ・ムラカミ』は、そのことを知り尽くしているがゆえに、受賞したのだろうと、村上春樹さんのおそらくは本音(ノーベル文学賞を受賞したい政治的な欲望ゆえに、中東の人々が求めた辞退をせずに、イスラエルへ受賞しに行った)ということ、そしてそれは村上春樹の過ちだったということをアブド・ワジンさんは書いております。僕は全く同感に思います。何度も書いていますが、ノーベル賞とは、極めて政治的な賞だからです。
勇気ある強くて優しく思いやりについて。ダニエル・バレンボイム「無言歌集全48曲」
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/700606.html
イスラエルは外交ロビイング活動が物凄く巧みな国家で(国際社会で間違いなくNo1のロビイング能力を持っている国家だと思います)、例えば、今回、イスラエル・パレスチナ問題については中立的な立場を取ることが多い日本の著名作家、ノーベル文学賞候補作家の村上春樹さんへ、エルサレム賞が送られます。これは、僕は、この受賞はイスラエルの外交ロビイング活動の一環と考えています。
ここで、村上春樹さんが、ノーベル文学賞受賞のために(ノーベル文学賞を受賞するには、ユダヤ系ロビーの力を借りた方が有利です。ノーベル文学賞は政治的ロビー力が受賞を大きく判断します。例えば、ノーベル文学賞受賞作家である大江健三郎さんは中国系ロビーの後押しで受賞したので、大江さんは中国で何が起ころうとも決して中国の体制側を批判することはこれまでも、これからも一切ないと考えられます)、村上春樹さんがエルサレム賞受賞して、「イスラエルに感謝を!」とかスピーチしてしまうと、村上春樹さんの政治的なメリットとしてはプラス(ノーベル文学賞が受賞しやすくなる)ですが、日本に対する外交ロビイング的にはイスラエル大勝利という感じです。日本国(日本政府)も日本人のノーベル賞を欲しているからです。
僕は、そういう展開にならずに、ダニエル・バレンボイムさんや、昨日挙げましたキラールさん、そしてローマ教皇ヨハネ・パウロ二世のように、『非人道的なことは、普遍的に良くないことなんだ』ということを、村上春樹さんに、はっきり言って頂けたら嬉しいなあと望みます。
僕の書いたノーベル文学賞関連のエントリ一覧です。
http://nekodayo.livedoor.biz/search?q=%A5%CE%A1%BC%A5%D9%A5%EB%CA%B8%B3%D8%BE%DE
先の引用と同じく、朝日新聞09/03/09朝刊にアブド・ワジンさんの村上春樹批判の文章が載っておりましたので、ご紹介致します。村上春樹さんの言葉だけでなく、中東の作家の村上春樹さん批判を載せているところが、09/03/09朝刊の朝日新聞は、他の主要紙に比べると、とても質が高かったと思いました。カイロにいらっしゃる朝日新聞の中東特派員の平田篤志記者が書いた記事です。とても名文です。僕は平田篤志記者に同感に思います。平田篤志記者も、アブド・ワジンさんも、これが本当に平和を願うものではなく(本当に平和を願うなら辞退するべきで、反戦スピーチはベターな選択ではなかった)、村上春樹さんがノーベル文学賞の為にイスラエルに行った本音を推し量っているからだと思います。以下、引用させていただき、ご紹介致します。
「アラブのハルキ・ムラカミ論」カイロ:平田篤志記者
作家の村上春樹さんがエルサレム賞を受賞した。イスラエルによるガザ攻撃の後だけに、日本国内でも受賞は攻撃の正当化につながるとの論議があった。だが授賞式の記念講演で、村上さんは最前列に座るペレス大統領を前に「壁と卵」の比喩を用いてイスラエルを批判した。壁は強大な軍事力を持つ体制、卵はそれにぶつかり割れる個人を象徴する。そして「私は常に卵の側に立つ」と語ったのだ。
講演後、会場では大きな拍手がわき起こった。歓声も上がった。その場にいた私も感銘を受けた。
しかし、何か、もやもやが残った。あえてイスラエルに来て、文学的表現で批判する日本の作家。それを受け止めるイスラエル人。知的な緊張と交歓。
そこに紛争の一方の当事者であるパレスチナ人、アラブ人は不在である。あまりに大勢が殺され、一人ひとりの人格が消えて「1300人」という数字に置き換えられてしまうのと同じように。(村上春樹のスピーチが行われるというパフォーマンスは、それ自体が実際に起きた虐殺を抽象化する力があり、天才的に外交に長けているイスラエルはそれを読んでいること、ここで行われているのは不正義だという違和感。)
パレスチナ人の苦しみを表現したガッサン・カナファーニー、ノーベル文学賞を受けたエジプトのナギーブ・マフフーズ。アラブには優れた文学や詩の伝統が受け継がれている。村上さんの受賞についてアラブ紙は、授賞式前後に「日本で抗議の声」などと伝えただけだ。いったい、アラブの文学者はどう受け止めているのだろう。
そんな折、2月23日付のアラブ圏紙アルハヤトに、本格的な論評が載った。筆者はアブド・ワジン氏。レバノンの作家・詩人だ。村上作品を深く愛するがゆえの問い。文化発信力(文化を政治的に利用する外交ロビーの技術)でイスラエルに負けていることへのいらだち。アラブ知識人がみな同じ見方をするわけではないだろうが、とても興味深い。
本人の承諾を得て、余計な注釈は抜きに要約をお伝えする。アラビア語から英訳したものの重訳であることをお断りしておく。
アラブ圏紙アルハヤト紙
アブド・ワジン
『我々アラブ文化人は村上春樹がエルサレム賞を拒絶することを願った(平和を本当に考えるならば、一番の正解は受賞を辞退することだった)。日本でも、ガザでイスラエルに殺された子供や女性の流した血に敬意を示して辞退するよう求める人がいた。その声に耳を傾けてくれると思った(人道のために彼は辞退してくれると思った)。
しかし、彼は躊躇することなくエルサレムに行き、シモン・ペレス(イスラエル大統領、ガザ侵攻・虐殺を指令した)から賞を受け取った。何度もノーベル賞候補になっているこの作家は、イスラエルが世界的文学賞への通り道だということをよく知っている。イスラエルは、ボーボワールやミラン・クンデラら大作家に与えたこの賞によって、偉大な日本の作家を捕らえることに成功した(村上春樹がノーベル文学賞欲しさにイスラエルに行ったことを見抜いている)。
(ガザ侵攻・虐殺による国際イメージの低下を恐れたイスラエルは、国のイメージの回復させるページェントの必要があり)ガザでの虐殺直後に、たとえ日本(イスラエルとは人種が違う有色人種の日本国)の作家であれ世界的な文学であればたたえるのだということで、自分たちは文明国であると世界に示そうとしたのだ(村上春樹がノーベル文学賞受賞を餌につり出されたのは完全に政治的なパフォーマンスだった)。
村上春樹はアラブの本屋や図書館に存在している。いまや彼の作品は多くのアラブ人に読まれ、最も輝かしい日本の作家として人気がある(有色人種であり、アメリカと戦争をし、経済発展を遂げた日本は中東諸国に親しまれている)。レバノンの出版社が村上の小説4作品をアラビア語訳して人気を呼び、アラブのウェブサイトにも翻訳が出回っている。
(白人系ユダヤ人至上主義国の)イスラエルではこれほどの人気はないはずだ(イスラエルで村上春樹の人気があるように報じられたが、実際に人気があるのは中東諸国でありイスラエルではそれほど村上春樹は知られていない)。
例えばアラブ連盟は、なぜ世界の優れた作家に賞を贈らないのか。それは世界の目を、我々に向かせるのではないか(文化的外交ロビーが国際政治を左右することを訴えている)。(文化的な活動は)アラブ文化に世界的な次元を与え、現代の国際文化の舞台の中心にえることになるのではないか。資金が足りないなどと言い訳をすべきではない。イスラエルが村上に贈った賞金はアラブの他分野の賞に比べて多くはない。
仮に今回の小さな過ち(本当は辞退がベターであり、村上春樹もそれを理解していたにも関わらず、ノーベル文学賞欲しさにイスラエルへ行ったこと)を許さないとしても、我々(中東の人々)は村上春樹を愛し、読み続けるだろう。彼だって、誰もが知っている目的のためにちょっとした間違い(ノーベル賞欲しさにイスラエルに行ってしまった)を犯したことはわかっている。(いつの日か、イスラエルに負けない文化外交の技術を持って)アラブがこの偉大な作家に「免罪符」に当たるような賞を与えることを望みたい。』
アブド・ワジンさんは、以前僕も書きました通り、文化とは政治であり、外交であることをきちんと押さえて、語っております。そして、驚くべき寛容さを持って、村上春樹氏の過ち(ノーベル文学賞欲しさに、イスラエルのイメージを回復させるページェントに乗った)ことを赦しています。
これは、僕はとても感動しました。もし僕が中東生まれ中東育ちの人間だったら、僕の気質、攻撃的で切れやすい気質からして、頭に血が登ってしまい、徹底的に村上春樹を批判していたことは間違いないからです。とても大きな寛容さを示している。僕は、こういった寛容さ、アブド・ワジンさんの真の寛容さに感動しました。村上春樹さんが行った政治的振る舞いを優先する行動では、おそらくこの寛容は示せません。僕のような、心に緩衝帯の大きさが持てないかんしゃくもちのダメな人間もこのような寛容は示せません。非常に、心の裡を抑制した、真の倫理、気高く優れた寛容によって、中東の誇り高さを示した名文であると思います。
僕は、イスラエルシンパのシナリオライター高橋直樹氏が、『文学者が何か言って/受賞を拒否して状況が変わるような段階はとっくに過ぎている。意味がない。 村上春樹を語ることはイスラエルを語ることではない。例の授賞式について議論をしてる人たちは、村上春樹について語っているのであって、イスラエルについて語っているのではおそらくない。』とまたもやとんでもないことを書いていて、驚嘆と怒りを感じました。しかも災いなのは、この記事が、一日当り数百万ユニークアクセス(既に一日1000万ユニークアクセス行ってるかもしれません。うつ病になった後、ニュースサイトなどの事情に疎くなったので分かりません)を誇る、日本のネット社会における電通たる超巨大ニュースサイト「カトゆー家断絶」にリンクされていることです。「カトゆー家断絶」のニュースとしてリンクされるということは、テレビのゴールデンタイムのCMのような巨大な影響力を発揮します。それに比べて僕のサイトのアクセスは1日200〜300ユニークアクセス前後です。影響力が五桁くらい違います。そのことを思うと、高橋直樹さんのイスラエルを利する言説だけが大きく流れてゆくことに絶望を感じます。
それでも、諦めずに書きますと、先の高橋直樹さんの発言は完全に間違っています。以前も書きましたが、アブド・ワジンさんも指摘していますが、イスラエルロビーはノーベル賞全般と繋がっていて、それを餌に釣り上げて、権威付けして、文化的イメージを高めるという政治戦略をとってきた国なのです。イスラエルはその国の規模から考えると驚くほど、人材育成、特に文化的人材育成、知識産業の人材育成、軍事諜報関係の人材育成に力を入れている国で、人材の優秀さということでは、他に並ぶものがありません。人材を資本として利用するのが世界で最も長けた国であり、その行動はイスラエルの国益の為にあります。
イスラエルのイメージが世界的にダウンしているときに、日本の作家村上春樹氏を呼んだのは、日本及び村上春樹氏が中東諸国に人気がある作家(過去の日本は、中東を抑圧するアメリカと戦った有色人種国であるということで、イスラエルよりも中東諸国の方に親しまれている日本の作家)であり、なおかつ、中東の有名なリベラル作家や欧米のリベラルな有名作家を呼ぶと、彼ら(中東や欧米の有名作家)の多くは神(信仰、キリスト教、イスラム教)の倫理を抱いていますから、ノーベル賞を餌に釣っても釣れない可能性がありました。その点、エコノミックアニマルと揶揄されるほど計算高く倫理観念の低い日本人の有名作家ならば釣れるだろうという目算があった可能性が高いと推測されます。イスラエルは、世界で最も外交の力(国際的な諜報や分析、予想の能力)が優れている、文化外交の力もたいへん優れている国です。その国が、今、この時期に、日本の作家に賞を与え、その作家が受賞したことの政治的意味は重いです。そのことを、日本の村上春樹さんが受賞したということで、日本の人々に考えて頂けたらと僕は心から望みます。
余談ですが、彼(高橋直樹氏)の言葉にはおかしなものが多いです。例えば、ネオリベ(ネオリベラリズム、新自由主義)とベーシックインカム(国民全員に対する社会福祉生存保障)は両立しません。ネオリベラリズムは経済の最大自由化(ぶっちゃけていえば、税金を限界まで低くして富の再配分を減らす)とそのための福祉の削減をセットで目指す主義の為、ベーシックインカム(国民全員に対する生存保障)を導入するネオリベというのはネオリベではありません。だからこそ、ベーシックインカム論者は、現自民党政権、新自由主義を未だに推し進める自民党政治を批判しているのです。国会討論を高橋直樹さんは見ておられないのでしょうか。僕の支持しているのは日本共産党ですが、今の国会では、日本共産党以外の野党も全党が共同歩調で、大きな立て札に「新自由主義の弊害」と書いて、新自由主義をいつまで自民党は続けるつもりなのかと一生懸命論戦しています。自民党は、のらりくらりと、まるでロス・バーネットやジョージ・ウォラスのようにのらりくらりかわすだけで、真っ当に答えていません。
現在国会でベーシックインカム的な施策(国民全員に対する生存社会保障)を強く求めているのは、共産党と社民党の二党であり、両党とも社会福祉を削減して経済の最大化を目指す新自由主義を批判しています。共産党の志位和夫委員長も、社民党の福島みずほ党首も、頑張っています。逆に、麻生首相から平の下っ端議員まで自民党議員でネオリベを肯定する人は大勢いますが、ベーシックインカムを言う人は見たことがありません。自民党の代弁者として、昨日の朝日新聞で竹中平蔵氏は下記のように述べておりました。与党政権自民党及び竹中平蔵氏の政治理念、生命に対する冷酷無比さがよくわかるインタビュー記事ですので引用致します。
竹中平蔵
「非正規雇用が増えたのは、正規雇用は首が切れないという30年前の判例があるから。怖くて正規は雇えず、非正規を増やさざるを得ない。正規と非正規の給与格差も、それを容認する判例があるから。だから私はそんな解釈(労働者を保護する労働法に則した解釈)ができないように法律を(正社員の権利を削る方向で)変える改革が必要と言い続けている。(中略)(竹中平蔵氏が唱える今の日本に必要なのものとは社会福祉ではなく、現在より更に資本家・大企業を優遇する)税制改革。日本の法人税は高すぎます」
インタビュアー
「日本の生きる道として、竹中さんは(ブッシュ時代の新自由主義の)アメリカ型を目指してきましたが、今も変わりませんか?」
竹中平蔵
「国民が高い税金を払って多くのサービスを受ける。それをスウェーデン型と言い、できるだけ国民が自立して税金の負担を抑え、その代わり政府のサービスも最小限にする、それをアメリカ型と呼ぶなら、私は後者を選びます。」(中略)
インタビュアー
「竹中さんの話を聞いていると、日本人は常に気を張っていなければいけないようです。競走一辺倒でなく、「脱成長型」(高福祉高負担で貧しい人々も安心して暮らせる国、スウェーデン、デンマークなど国民の社会福祉保障に力を入れるベーシックインカムタイプの国家)を目指す選択肢はないのですか」
竹中平蔵
「だってグローバル化の時代ですよ。インドや中国が世界で頑張っている中、もう頑張るのは嫌だと言うのですか」
(朝日新聞09/03/09朝刊)
与党自民党の推し進める新自由主義について新自由主義者竹中平蔵氏がとても率直に語っており、実に分かりやすいインタビューでした。新自由主義を標榜する高橋直樹氏や東浩紀氏がどのような政治的スタンスなのか、以下の竹中氏の言葉など、とてもよくわかると思います。『国民が高い税金を払って多くのサービスを受ける。それをスウェーデン型と言い、できるだけ国民が自立して税金の負担を抑え、その代わり政府のサービスも最小限にする、それをアメリカ型と呼ぶなら、私は後者を選びます。』(竹中平蔵)。
竹中氏が述べるところの新自由主義とは、結局、『お金持ち、ほんの僅かな特権階級だけが富み栄え、他の大勢の人々は貧困に喘ぐ』システムなのです。新自由主義を標榜する人々がどういう資産的立場にいるか考えてください。高橋直樹氏には働かなくてもゲーム業界がソフトを出し続ける限り、彼が開発したゲーム作成ソフトNScripterの商業使用料が入ってきます。東浩紀氏は義父小鷹信光氏が大富豪です。竹中平蔵氏は現在『企業人大学』として有名な慶応大教授、そして財界ロビーシンクタンク日本経済研究センター特別顧問です。新自由主義を唱えている人々は皆、資本家かそれに近い人々です。そのことをどうか、皆様方に真剣に考えて頂ければと、心から思います。
あと、突然宣伝みたいで申し訳ないのですが、3月12日20時から、僕が支持している政党である日本共産党の志位和夫委員長がネットのニコニコ動画に出ますので、どうかネットでニコニコ動画をご覧のお方々は、どうかご視聴なさってくださればと心からよろしくお願い致します。日本共産党は、国民一人一人の生存権・生命を、誰一人見捨てずに確りと守る、それが一番のテーゼです。決して、企業優先競争政策で人々を餓死させてゆく現与党・新自由主義政党自民党・竹中平蔵路線のような政策は採りません。他の政党とは違い、現在巷を賑わせている企業年金を日本共産党は決して受け取りません。日本共産党は、企業よりも国民一人一人を大切にして、日本の政党のなかで、一番、草の根の社会福祉に力を入れています。日本共産党は社会福祉を第一に掲げます。『法人税を上げて貧しい層に手厚く富を再分配する、国民全員の平等な生存権・平等な社会保障を約束する』は日本共産党の一番のテーゼです。ニコニコ動画のユーザーの皆様方、どうか、日本共産党をなにとぞよろしく、お願い致します。皆様方がもし貧しい層であれば、一番皆様方のお力になれるのは日本共産党です。よろしくお願い致します。ニコニコ動画のコメント機能を使った質問も受け付けます。何かご質問がありましたら、志位委員長がお答え致します。
ニコニコ党首討論シリーズ第2弾は日本共産党の志位委員長
http://bb.watch.impress.co.jp/cda/news/25149.html
動画共有サービス「ニコニコ動画(ββ)」を運営するニワンゴは9日、「ニコニコ党首討論シリーズ」の第2弾として、日本共産党の志位和夫委員長が出演すると発表した。3月12日20時より、「ニコニコ生放送」を通じて配信する。
ニコニコ党首討論シリーズは、ニコニコ動画のコメント機能を使って、政党の党首とニコニコ動画ユーザーが討論していくコンテンツ。3月6日に実施された第1回では、社民党の福島みずほ党首が出演した。
12日20時に実施する第2回では、日本共産党の志井委員長が「WHAT’S 日本共産党〜日本共産党ってどんな党?」と題して、党の理念や政策などを紹介。コメント機能を使った質問も受け付け、ユーザーとの討論を進める。
司会は前回同様、政治ジャーナリストの角谷浩一氏が務める。
話を戻しますと、高橋直樹氏は、ゲームやアニメのDVDは高いから廃れるとトンチンカンなことを言っていますが、高いから廃れているのではないと僕は思います。高橋直樹氏はブルジョワジーで、今の僕みたいな極限的貧しさを体験していないと強く感じました。高いとか安いとかではないのです。貧困だとギリギリに切り詰めた生活費以外一切お金が出せないのです。だから、貧しいと、ただで新聞が読めたり本が読めたり音楽CDが借りれる図書館に頼りっぱなしになります。だけど、図書館にはゲームもアニメも置いてないのです。ゲームやアニメの著作権者がゲームやアニメの公共財としての扱いを拒否して図書館に置かしてくれないからです。だから、ゲームやアニメはプレイする人、見る人、日本が今後経済的に没落してゆくとともに(日本の経済的没落は、少子高齢化の速度及び独身率から見て、もう決して防ぎようがないと思います。僕ももう壮年ですが、独身で、失業しております)、貧困層が更に増大し、少なくなってゆくと思います。
逆に、ゲームやアニメをきちんとした公共財として認めて、図書館にゲームやアニメをおいて借りれるようにすれば、貧しい人もゲームやアニメを楽しめて、コンテンツを楽しむユーザー数が増加することで、ある程度勢いを取り戻すと思います。ゲームやアニメが廃れてきているのにも関わらず、ライトノベルがきちんきちんと上手く行っているのは、ライトノベルは図書館におかれて借りられ、図書館の中でも娯楽性が高くとても人気の高いジャンルだからだと思います。ライトノベルはコミックと並び図書館で一番人気のあるジャンルだと思います。図書館で僕がよく読むような哲学書や宗教書は人気がないです。ライトノベルは哲学書や宗教書に比べて圧倒的人気です。
しかし、新自由主義による社会福祉削減により、図書館の予算も削られ、音楽CDは新譜が入らなくなり、入ってくる本の総数も減ってきています。図書館自体が統廃合で少なくなっています。新自由主義とは貧しい人々の最後の学び、楽しむ糧である公共財(本や音楽CD)も奪ってゆきます。その新自由主義を竹中平蔵氏や高橋直樹氏や東浩紀氏のような特権階級が支持している。そのことの意味を、考えてくださるお方々が増えてくださったら良いなあと僕は思います。僕は、はっきりと、アメリカ型タイプ(市場重視・新自由主義国家タイプ)の社会ではなく、デンマーク型タイプ(生存権・社会保障重視・福祉国家タイプ)型の社会を望みます。
余談がとても長くなりました。村上春樹氏のイスラエル問題に戻りますと、文化は政治であり、政治は文化であり、それは決して切り離せないものなのです。そのことを忘れると、世界は再び、レニ・リーフェンシュタールの悲劇を繰り返してしまうと思います。
美の生活と結びついた倫理性について。倫理なき芸術至上主義が陥るファシズムと戦争犯罪について。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/739207.html
『あえてイスラエルに来て、文学的表現で批判する日本の作家。それを受け止めるイスラエル人。知的な緊張と交歓。そこに紛争の一方の当事者であるパレスチナ人、アラブ人は不在である。あまりに大勢が殺され、一人ひとりの人格が消えて「1300人」という数字に置き換えられてしまうのと同じように。』
上記の文章を忘れてはならない、大勢のパレスチナの人々が、抽象的なイメージ(卵)の人々ではなく、実際に生身の人間の大勢の生命が虐殺されたこと、このことを決して忘れてはならない、日本人は、村上春樹という作家を輩出し、その作家が虐殺のあった直後にエルサレム賞を受賞したこと、そのことの道義的な責任を決して忘れてはならないと僕は思います。
平和がないときに、平和であると、偽りの平和を語っては決していけないのです。最後に、聖書、聖書名言辞典から、引用させて頂きます。
『イスラエルよ、お前の預言者たちは廃墟の狐のようだ。』
(エゼキエル書13-4)
虚言をもって社会を混乱に陥れる偽預言者に対する批判。
狐は畑を荒らすだけではなく、廃墟のあちこちに大きな穴を空けて町の再建をいっそう困難にする。
『しっくいで上塗りする者たちに言え、「それは落ちる」と。』
(エゼキエル書13-11)
家の壁の内側を堅固にせず、ただ表面だけをきれいに見せることの危うさ。「豪雨が襲い、雹が降り、暴風が起きると、壁はたちまち崩れ落ちる」。ここでは、「平和がないのに、平和だ、と言う」偽預言者に対する批判として語られている。
『彼らが自分の義によって救いだせるのは自分の魂だけである。』
(エゼキエル書14-20)
人間の正義は本人にとってのみ有効であり、ノア、ダニエル、ヨブといった神の称賛を受けた伝説上の義人たちの義や徳にも余剰の効果が認められないことを預言者は告げる。エゼキエルは、他の預言者同様、民の為の(争いごとを防ぐための)仲裁の努力を惜しまなかったが、ここでは、イスラエルの罪がそうした仲介の余地もないほど深刻であることを強調しなければならなかった。
『葡萄の木は、林の木々のどんな蔓木にまさるというのか。』
(エゼキエル書15-2)
葡萄の木からは、役に立つものを何も作れない。「木釘」さえ作れない。すなわち燃料にするしかないこと。
神ヤハウェの教えを忘れたら、イスラエルは存在価値を失うことになる、という警告。(中略)
『先祖が酸っぱい葡萄を食べたので、子孫の歯が浮く。』
問題の責任は自分にだけではなく、親や先祖にある、と言い訳をするための諺(預言者エレミヤが、自らが為した行為の責任逃れにこの諺が使われることを批判した)。
エレミヤ同様、エゼキエルは、責任逃れをするためにこの諺を使用する人々を批判した。『父の魂も子の魂も等しくわたし(神)のものである。罪を犯す魂は、それ自身が死ぬ」(18-4)すなわち、それぞれ個人が自分の行為に対し責任を負わなければならない。
『(正しい人とは)人を踏みにじることをせず、負債者の質物を返し、強奪せず、飢えた者にパンを与え、裸の者を上着で覆う。』
(エゼキエル書18-7)
正しい人はさらに、『暴利をむさぼらず、不正から手を引き、利息を取らない。人と人との間に正しい裁きを行ない、わたし(神)の掟に従って歩み、わたしの公正を守って真実を行う』。
そういう人こそ正しい人であり、仮に父親や兄弟が悪を行う者であっても、それが理由で彼が死ぬことはなく、必ず生きる。神の宮を訪れるにふさわしい人について記した「宮の十戒」も参照。
心を込めて真摯に読めば、旧約聖書も新約聖書も人々の思いやりと支えあい、人々の愛と平和、そして個人個人の倫理的な責任を説いたとても優れた倫理的書物だと思います。聖書は、この世に生まれた生命は、世界を尊び生命を尊ぶ聖なる責任を担っていることを示します。世界が、真なる意味での聖なる世界、善と美のある世界へ、僅かでも向かっていくことを、心から祈ります。
最後に、喉が痛いのが現在とても酷いので、今後、更新滞りましたら、誠に申し訳ございません。ギフト券、アフィリエイトでご慈悲を賜わってくださる心優しき皆様方、本当に、どうもありがとうございます。深く感謝申し上げます。ありがとうございます。
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