2009年02月27日 19:06
「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」星新一の猫ショートショート「災難」
グレツキ:交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」/3つの古代風小品
今日はとても寒くて(時計に付いている温度計みたら6.8度しかありません)、電気代節約の為に暖房機器は一切使わないようにしていて、寒くて寒くて、猫も寒いのか、くるまってずっと寝ておりました。寒くて、先日よりのお腹の重い気持ちが晴れず、「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」を聴いていました。グレツキは彼の境遇にとても境遇的が共感するところがあり、この曲はとても悲しい美しい鎮魂の曲で、僕の好きな曲です。
今日は、寒くて、気持ちも重く辛く、更新できそうにないと思っていたのですが、NHK総合PM3:45からの「星新一ショートショート」のなかで、僕の好きな星新一のショートショート(一頁以下から数頁程度の短編より短い超短編小説)、猫ショートショートである「災難」がやっていたので、ちょっとホッとした気持ちになり、頑張って文章を書こうと思いました。「災難」は星新一「気まぐれロボット」に収録された短編で、猫好きだとちょっと楽しい気持ちになる猫ショートショートです。ショートショートの落ちをばらすのはよくないと思うので、物語の紹介は致しませんが、本屋さんでも立ち読みでもすぐ読めてしまうぐらい短いショートショートなので、猫好きで、ショートショート好きのお方々は、お読みになると、ちょっと良い気分になれるかなと思います。
今日はとても寒くて、気持ちも重く、お腹も痛みがあり、暗い気分だったので、「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」を聴いていました。グレツキは1933年生まれのポーランド人で、幼少の頃は家族と共にナチスに弾圧され、やっと解放されたと思ったら今度はソ連に弾圧され、ソ連の長い間の弾圧で健康を害してしまった(腎臓と足がダメになってしまいました)、20世紀の音楽における巨匠作曲家の一人で、20世紀後半に最も成功した、世界中でベストセラーとなった本曲(日本でも1990年代前半にベストセラーになりました)交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』でやっと世界的に有名になり、長い長い弾圧の苦しみの中で、高齢になってからやっと、世界に認められ、自由を得た作曲家です。
しかし、交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』があまりに爆発的にヒットしたので、今度はクラシック業界の中にいる一部の了見の狭い人々から「交響曲第三番はポピュリズムに過ぎない」とか言われて、またもや苦労することになりました。これは見当違いの批判です。交響曲第三番が爆発的に売れたため、それにより、しょうもないレベルの音楽評論家や作曲家達に妬まれただけです。グレツキ自身は2009年現在ご健在でいらっしゃいますが、元々具合の悪かったお身体の加減が1990年代より更に衰弱なされております。心配です。
グレツキの心身の衰弱は、腎臓と足を害した数十年に渡るソ連邦の弾圧(ソ連邦の傀儡だった頃のポーランド政府の弾圧)が最大の原因ですが、もう一つは、1990年代に、「交響曲第三番」が爆発的なベストセラーとなり、そのことで妬まれて根拠なき批判を受けたのが一因とされています。また、才能ある愛弟子アンジェイ・クシャノフスキが1993年に亡くなったことも、彼にとても深い悲しみを齎しました。先のニーノ・ロータの時にも少し書きましたが、『曲が売れた』というだけの理由で「ポピュリズム」としてクラシックの作曲家を批判する一部の嫉妬深い音楽評論家の人々はクラシックの世界にとって百害あって一利なしです。僕はグレツキの今後のご健康ご長寿をお祈りします。以下、ライナーノーツ及びウィキペディアから引用致します。
グレツキは作曲家として優れていてなおかつ作曲家として向上する努力をずっとしてきた、そして自由と民主化のための努力をし続けてきたのに、幼少期はナチスから、そしてそれからずっと高齢になるまでソ連邦体制から弾圧されてきた、健康状態もソ連邦下の弾圧で損なってしまい、そして、やっとポーランドに自由と民主化が訪れて、世界中に自分の曲(交響曲第三番)がヒットしたら、彼のことを何も知らない西側の一部の音楽評論家達から「ヒーリング・ミュージックなどポピュリズムであり下らぬ!!」という嫉妬に満ちた偏見のバッシングを受けるという、報われていない、悲しい作曲家の一人です。僕は「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」はholy minimalism(聖なる音楽・癒しの音楽)というカテゴリの枠を超えた真の悲しみが歌われている名交響曲だと心から感じます。グレツキのご健康と心の平安と幸せを僕の心から祈ります。「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」は名曲と思います。お勧め致します。
シュトニケ「3人のための協奏曲」のライナーノーツから、ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチが僕の好きな作曲家ショスタコーヴィチの言葉を引用している文章を引用致します。
僕は、ショスタコーヴィチの言葉における音楽の戦士の一人はグレツキであると思います。僕の尊敬する作曲家です。
グレツキ:交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」/3つの古代風小品
うつ病にかかるずっと前から、僕が好きになる曲の作曲家(旧ソ連や東欧の作曲家、西欧では貧困で夭折したシューベルトなど)や演奏家(ヴァイオリニストのクレーメル、チェリストのマイスキーなど)は、弾圧された、不遇な境遇で育ったお方々が多くて、なぜだろうと考えたことがあります。考えてたら分かりました。僕の好きになる曲はだいだいみんな暗さを持った名曲なんです。そして、暗さを持った名曲や名演奏は、不遇で恵まれていない境遇の作曲家や演奏家が演奏することが多いから、それが理由なんだろうなと思ったことがありました。世界の本当の真実は、僕は抑圧される側のなかにある、暗さのなかにあると思います。
バーンスタイン指揮ウィーン・フィルでクレーメルとマイスキーがメインというリベラルトリオの名アルバムがあるので紹介致します。バーンスタイン指揮ウィーン・フィル、ヴァイオリン演奏クレーメル、チェロ演奏マイスキー「ブラームス:ヴァイオリン協奏曲」収録の「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調」です。これは凄いです。取り合わせ(バーンスタイン、クレーメル、マイスキー)が全員僕の好きな演奏家で更にウィーンフィルです。そしてこのメインの3人(バーンスタイン、クレーメル、マイスキー)は3人とも反戦と自由と平等と民主主義を求めるリベラリストです。超一流の演奏家にしてリベラリストの集まった名アルバムです。
大指揮者バーンスタインは政治スタンスがはっきりと左翼で、ベトナム戦争に対し反対し、大きな効果を持つ反戦運動を音楽を使って繰り広げました。この様子(音楽を使ったバーンスタインの政治活動)は手塚治虫がノンフィクション漫画「雨のコンダクター」に描き、手塚からこの作品を捧げられたバーンスタインは読んで喜んだというエピソードが伝わっています。「雨のコンダクター」は「手塚治虫マンガ音楽館」に収録されています。
クレーメルはソ連邦に弾圧され支配されてきたラトビアの出身者で、天才ヴァイオリニストとして大活躍、バルト三国の抵抗運動(レジスタンス)を文化的に支えました。
マイスキーはソ連邦に反体制音楽家として目をつけられて逮捕・拘禁され、その後あやうくシベリア送り(実質的な処刑)になるところを精神病院にかくまってもらってなんとかしのぎ、急いで西側へ命からがら亡命してきました。その後はクレーメルと同じく天才チェリストとして大活躍です。
このアルバム「ブラームス:ヴァイオリン協奏曲」はバーンスタイン、クレーメル、マイスキーという演奏家として超一流の三人であり、なおかつリベラルに世界を変革した音楽演奏家三人の取り合わせで、その点も考えながら聴く、そして作曲家のブラームスが、世界人類の自由と平等と協調を訴えたベートーヴェンに模範をとった作曲家であることも重ね合わせて聴くと、ただ聴くだけよりも、さらに音楽を聴く楽しみが広がると思います。
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
最後に、今年は音楽演奏家のなかでいま最も政治的に活動している一人、イスラエルのパレスチナ弾圧を昔からずっと批判し、昔から、アラブ諸国とパレスチナの主張する、イスラエルが西岸とガザの領土一切を放棄して国連の協定(最初の国連の協定ではパレスチナとイスラエルで領土を半分半分の50%にするはずだったのが、だんだんイスラエルの領土の取り分が大きくなるばかりで、今は77%対23%とかになっているという話で、明らかに不平等にイスラエルを厚遇するアメリカに操られている国連も問題なんですが、現在のイスラエルはイスラエルよりの国連すら完全無視状態です)を守って領土を分割し「パレスチナ国家」を樹立するという主張をし続けているユダヤ人の超一流ピアニストにして指揮者のダニエル・バレンボイムさんがヴェルディのオペラ「アイーダ」指揮(ミラノ・スカラ座)において来日されます。
バレンボイムさんはエドワード・サイードと対談し、イスラエルのどこからどう見ても公正を欠いた軍事行動と政治をずっと批判し続けており、イスラエル右派や軍部からは反ユダヤ主義者、国賊扱いされていますが、僕は彼は超一流の演奏家であり、なおかつその行動も立派だと思います。今年の九月に来日なされますので、ご資産にご余裕あり、オペラ「アイーダ」にご興味があるご方々はコンサートに行かれるのもよいのではないかと思います。公式サイトはこちらです。
NBS財団法人日本舞台芸術振興会公式サイト
http://www.nbs.or.jp/festival2009-2011/scala.html
僕は生活困窮しており、お金ないので行けませんが、皆様方に音楽を含め、様々な喜びあることを、心から願っております。もしご慈悲あるお方々いらっしゃいましたら、ギフト券・アフィリエイトでお助けくださると、とても助かります。心から感謝致します。
参考作品(amazon)
グレツキ:交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」/3つの古代風小品
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
手塚治虫マンガ音楽館 (ちくま文庫)
バレンボイム/サイード 音楽と社会
バレンボイム音楽論──対話と共存のフーガ
きまぐれロボット (角川文庫)
amazonトップページ
今日はとても寒くて(時計に付いている温度計みたら6.8度しかありません)、電気代節約の為に暖房機器は一切使わないようにしていて、寒くて寒くて、猫も寒いのか、くるまってずっと寝ておりました。寒くて、先日よりのお腹の重い気持ちが晴れず、「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」を聴いていました。グレツキは彼の境遇にとても境遇的が共感するところがあり、この曲はとても悲しい美しい鎮魂の曲で、僕の好きな曲です。
今日は、寒くて、気持ちも重く辛く、更新できそうにないと思っていたのですが、NHK総合PM3:45からの「星新一ショートショート」のなかで、僕の好きな星新一のショートショート(一頁以下から数頁程度の短編より短い超短編小説)、猫ショートショートである「災難」がやっていたので、ちょっとホッとした気持ちになり、頑張って文章を書こうと思いました。「災難」は星新一「気まぐれロボット」に収録された短編で、猫好きだとちょっと楽しい気持ちになる猫ショートショートです。ショートショートの落ちをばらすのはよくないと思うので、物語の紹介は致しませんが、本屋さんでも立ち読みでもすぐ読めてしまうぐらい短いショートショートなので、猫好きで、ショートショート好きのお方々は、お読みになると、ちょっと良い気分になれるかなと思います。
今日はとても寒くて、気持ちも重く、お腹も痛みがあり、暗い気分だったので、「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」を聴いていました。グレツキは1933年生まれのポーランド人で、幼少の頃は家族と共にナチスに弾圧され、やっと解放されたと思ったら今度はソ連に弾圧され、ソ連の長い間の弾圧で健康を害してしまった(腎臓と足がダメになってしまいました)、20世紀の音楽における巨匠作曲家の一人で、20世紀後半に最も成功した、世界中でベストセラーとなった本曲(日本でも1990年代前半にベストセラーになりました)交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』でやっと世界的に有名になり、長い長い弾圧の苦しみの中で、高齢になってからやっと、世界に認められ、自由を得た作曲家です。
しかし、交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』があまりに爆発的にヒットしたので、今度はクラシック業界の中にいる一部の了見の狭い人々から「交響曲第三番はポピュリズムに過ぎない」とか言われて、またもや苦労することになりました。これは見当違いの批判です。交響曲第三番が爆発的に売れたため、それにより、しょうもないレベルの音楽評論家や作曲家達に妬まれただけです。グレツキ自身は2009年現在ご健在でいらっしゃいますが、元々具合の悪かったお身体の加減が1990年代より更に衰弱なされております。心配です。
グレツキの心身の衰弱は、腎臓と足を害した数十年に渡るソ連邦の弾圧(ソ連邦の傀儡だった頃のポーランド政府の弾圧)が最大の原因ですが、もう一つは、1990年代に、「交響曲第三番」が爆発的なベストセラーとなり、そのことで妬まれて根拠なき批判を受けたのが一因とされています。また、才能ある愛弟子アンジェイ・クシャノフスキが1993年に亡くなったことも、彼にとても深い悲しみを齎しました。先のニーノ・ロータの時にも少し書きましたが、『曲が売れた』というだけの理由で「ポピュリズム」としてクラシックの作曲家を批判する一部の嫉妬深い音楽評論家の人々はクラシックの世界にとって百害あって一利なしです。僕はグレツキの今後のご健康ご長寿をお祈りします。以下、ライナーノーツ及びウィキペディアから引用致します。
ヘンリク・ミコワイ・グレツキは1933年12月6日に、ポーランドの南西部にあるカトヴィーツェ州リプニク近郊のチェルニツァで生まれた。ここはシレジア炭鉱地帯の広がる地域で、工場汚染の激しいところである。2歳で母親がなくなり、6歳のときにはその街がドイツの軍靴に蹂躙され、家族の中の何人かは捕えられてダッハウやオシュウェンツィウム(アウシュヴィッツ)の強制収容所で絶命している。それから何十年にもおよぶポーランドの共産党支配。その抑圧は想像を絶する悲惨な投獄体験を多くの人たちにもたらした。
グレツキの音楽は、こうした故郷をめぐる辛い記憶と深く結びついている。「東側の人たちが経験した投獄生活がどれほど悲惨なものであったか、西側の人たちには決して分からないでしょう。ですから、そのことが私の作品にどんな影響を与えてきたかを説明することはまったく不可能です」と(グレツキは)述べている。(中略)
オシュウェンツィウム(グレツキの家族を奪ったアウシュヴィッツ強制収容所)を訪れたときのことを、彼(グレツキ)は折にふれて思い出すという。秘密警察のあったザコパネの「パレス」の独房の壁には、当時、18歳だった若いポーランドのレジスタンスの女性が爪をたてて刻みつけた言葉、「お母さま、どうか泣かないでください…」が残っていた。その悲しい祈りが、交響曲第三番「悲歌のシンフォニー」の第2楽章で歌われる。
ポーランドでは(多数の国民やアーティストらによる自由を求める運動がソ連邦加盟国の中でも初期から始まり)、1956年からは<ワルシャワの秋>音楽祭がはじまり、民主化の兆しは旧東欧諸国の中でも早い方だった。(中略)グレツキも当初はそうした動きに大きな希望(自由と民主化への希望)を抱いていた。「1959」という副題が付けられて、音楽祭に出品された「交響曲第一番」には、新しい時代への期待が込められている。しかし、60年代に入っても独裁政権のもとでの自由のない暮らしは続き(独裁と独裁を支える秘密警察体制が強化され)、グレツキは自分の思い描いていた未来(ポーランドの自由と民主化)が夢にすぎなかったことを知って落胆する。何十年にも及ぶ抑圧のもとで、グレツキの身体は苛まれ、長年わずらって腎臓も弱くなり、足も萎えてしまったが、心の傷はさらに深かった。
(「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」ライナーノーツより)
ウィキペディア「ヘンリク・グレツキ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘンリク・グレツキ
ヘンリク・ミコワイ・グレツキ(Henryk Mikołaj Górecki,1933年12月6日- )は、ポーランドの現代音楽の作曲家。(中略)グレツキは(ポーランドの)カトヴィツェで音楽教授となるが、1970年代後期に(ポーランドの自由と民主化を求めるポーランド人のローマ法王)ヨハネ・パウロ2世のカトヴィツェ市訪問をポーランド政府が許可しなかったため、それに抗議して教授職を辞任する。(中略)
交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」は(グレツキの)全作品中とりわけ有名である。この作品はオーケストラとソプラノ独唱のために書かれ、3楽章形式を採用している。第1楽章では15世紀に書かれた哀歌、第2楽章ではザコパネに在るゲシュタポ収容所の独房の壁で発見された言葉、そして第3楽章では民謡からそれぞれ歌詞が使われている。延長されたカノンが延々と弦楽器群によって歌われる第1楽章(全演奏時間の約半分を占める)を持つこの作品は、全体にわたりスローテンポに徹し、同時に極めて沈思的である。(中略)
1990年代は幸か不幸かこの作品(交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」)のヒットによってholy minimalismの潮流に乗る作曲家が次々と紹介され、グレツキはその生みの親のように認識されるようになった。グレツキはこの作品のおかげで世界中で講演し、多くの音楽関係者は当然のごとく「交響曲第3番」の単純明快さを(ポピュリズムとして根拠なく)攻撃した。しかしグレツキの、第一次ポーランド楽派へ最も貢献した、実り多い第1期の作品を無視しつづけていたのは、一体誰だったのであろうか? この事情はグレツキも承知の上であり、その上で交響曲第3番が書かれている事を知る音楽関係者は稀少である。
クロノス・クァルテットとのコラボレーションで知られる「弦楽四重奏曲第2番」あたりからは、死を暗示する沈黙の使用が目立ってくるが、この沈黙もブロック構造の中に取り込まれているので、特に厭世的には聞こえない。この時期から彼は体調不良を訴えることが増え、創作数が激減する。現在も特に目立った趣旨の変更はなく、同路線での作曲活動を細々と続けている。(中略)
グレツキ門下の最優等生であったアンジェイ・クシャノフスキを1993年に亡くした後は、創作ペースが極めて落ち込むようになった。彼(グレツキ)の聖なる響きは、自身の不遇に満ちた生涯抜きで語ることは出来ない。
グレツキは作曲家として優れていてなおかつ作曲家として向上する努力をずっとしてきた、そして自由と民主化のための努力をし続けてきたのに、幼少期はナチスから、そしてそれからずっと高齢になるまでソ連邦体制から弾圧されてきた、健康状態もソ連邦下の弾圧で損なってしまい、そして、やっとポーランドに自由と民主化が訪れて、世界中に自分の曲(交響曲第三番)がヒットしたら、彼のことを何も知らない西側の一部の音楽評論家達から「ヒーリング・ミュージックなどポピュリズムであり下らぬ!!」という嫉妬に満ちた偏見のバッシングを受けるという、報われていない、悲しい作曲家の一人です。僕は「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」はholy minimalism(聖なる音楽・癒しの音楽)というカテゴリの枠を超えた真の悲しみが歌われている名交響曲だと心から感じます。グレツキのご健康と心の平安と幸せを僕の心から祈ります。「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」は名曲と思います。お勧め致します。
シュトニケ「3人のための協奏曲」のライナーノーツから、ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチが僕の好きな作曲家ショスタコーヴィチの言葉を引用している文章を引用致します。
彼(シュトニケ)は内に秘めた驚くべき力で、苦難(ソ連邦の弾圧)にめげることなく創造を続けたのだ。
ショスタコーヴィチは『音楽家はいかなる障害にも負けず、また上官にへつらうことなく戦い続ける音楽の戦士である』と言った。
シュトニケは、まさしく世界にはばたく崇高なる音楽の戦士と言えるだろう。
(ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ)
僕は、ショスタコーヴィチの言葉における音楽の戦士の一人はグレツキであると思います。僕の尊敬する作曲家です。
グレツキ:交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」/3つの古代風小品
うつ病にかかるずっと前から、僕が好きになる曲の作曲家(旧ソ連や東欧の作曲家、西欧では貧困で夭折したシューベルトなど)や演奏家(ヴァイオリニストのクレーメル、チェリストのマイスキーなど)は、弾圧された、不遇な境遇で育ったお方々が多くて、なぜだろうと考えたことがあります。考えてたら分かりました。僕の好きになる曲はだいだいみんな暗さを持った名曲なんです。そして、暗さを持った名曲や名演奏は、不遇で恵まれていない境遇の作曲家や演奏家が演奏することが多いから、それが理由なんだろうなと思ったことがありました。世界の本当の真実は、僕は抑圧される側のなかにある、暗さのなかにあると思います。
バーンスタイン指揮ウィーン・フィルでクレーメルとマイスキーがメインというリベラルトリオの名アルバムがあるので紹介致します。バーンスタイン指揮ウィーン・フィル、ヴァイオリン演奏クレーメル、チェロ演奏マイスキー「ブラームス:ヴァイオリン協奏曲」収録の「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調」です。これは凄いです。取り合わせ(バーンスタイン、クレーメル、マイスキー)が全員僕の好きな演奏家で更にウィーンフィルです。そしてこのメインの3人(バーンスタイン、クレーメル、マイスキー)は3人とも反戦と自由と平等と民主主義を求めるリベラリストです。超一流の演奏家にしてリベラリストの集まった名アルバムです。
大指揮者バーンスタインは政治スタンスがはっきりと左翼で、ベトナム戦争に対し反対し、大きな効果を持つ反戦運動を音楽を使って繰り広げました。この様子(音楽を使ったバーンスタインの政治活動)は手塚治虫がノンフィクション漫画「雨のコンダクター」に描き、手塚からこの作品を捧げられたバーンスタインは読んで喜んだというエピソードが伝わっています。「雨のコンダクター」は「手塚治虫マンガ音楽館」に収録されています。
クレーメルはソ連邦に弾圧され支配されてきたラトビアの出身者で、天才ヴァイオリニストとして大活躍、バルト三国の抵抗運動(レジスタンス)を文化的に支えました。
マイスキーはソ連邦に反体制音楽家として目をつけられて逮捕・拘禁され、その後あやうくシベリア送り(実質的な処刑)になるところを精神病院にかくまってもらってなんとかしのぎ、急いで西側へ命からがら亡命してきました。その後はクレーメルと同じく天才チェリストとして大活躍です。
このアルバム「ブラームス:ヴァイオリン協奏曲」はバーンスタイン、クレーメル、マイスキーという演奏家として超一流の三人であり、なおかつリベラルに世界を変革した音楽演奏家三人の取り合わせで、その点も考えながら聴く、そして作曲家のブラームスが、世界人類の自由と平等と協調を訴えたベートーヴェンに模範をとった作曲家であることも重ね合わせて聴くと、ただ聴くだけよりも、さらに音楽を聴く楽しみが広がると思います。
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
最後に、今年は音楽演奏家のなかでいま最も政治的に活動している一人、イスラエルのパレスチナ弾圧を昔からずっと批判し、昔から、アラブ諸国とパレスチナの主張する、イスラエルが西岸とガザの領土一切を放棄して国連の協定(最初の国連の協定ではパレスチナとイスラエルで領土を半分半分の50%にするはずだったのが、だんだんイスラエルの領土の取り分が大きくなるばかりで、今は77%対23%とかになっているという話で、明らかに不平等にイスラエルを厚遇するアメリカに操られている国連も問題なんですが、現在のイスラエルはイスラエルよりの国連すら完全無視状態です)を守って領土を分割し「パレスチナ国家」を樹立するという主張をし続けているユダヤ人の超一流ピアニストにして指揮者のダニエル・バレンボイムさんがヴェルディのオペラ「アイーダ」指揮(ミラノ・スカラ座)において来日されます。
バレンボイムさんはエドワード・サイードと対談し、イスラエルのどこからどう見ても公正を欠いた軍事行動と政治をずっと批判し続けており、イスラエル右派や軍部からは反ユダヤ主義者、国賊扱いされていますが、僕は彼は超一流の演奏家であり、なおかつその行動も立派だと思います。今年の九月に来日なされますので、ご資産にご余裕あり、オペラ「アイーダ」にご興味があるご方々はコンサートに行かれるのもよいのではないかと思います。公式サイトはこちらです。
NBS財団法人日本舞台芸術振興会公式サイト
http://www.nbs.or.jp/festival2009-2011/scala.html
僕は生活困窮しており、お金ないので行けませんが、皆様方に音楽を含め、様々な喜びあることを、心から願っております。もしご慈悲あるお方々いらっしゃいましたら、ギフト券・アフィリエイトでお助けくださると、とても助かります。心から感謝致します。
参考作品(amazon)
グレツキ:交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」/3つの古代風小品
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
手塚治虫マンガ音楽館 (ちくま文庫)
バレンボイム/サイード 音楽と社会
バレンボイム音楽論──対話と共存のフーガ
きまぐれロボット (角川文庫)
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