2009年02月25日 01:43
非常に絶望的で気分が悪いです。ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ「交響曲第九番『第七の十字架』」
Hans Werner Henze: Symphonies Nos. 7 & 9; Barcarola; Three Auden Songs
非常に絶望的で調子が悪いです。昨日よりも調子が悪いです。驚いたことに、この不景気と貧困の増大の中、昨日のエントリに挙げました富の再分配を否定する新自由主義アカデミストの弟子筋の無慈悲な右派右翼ブルジョアジー若手アカデミスト達が、酒場に人を集めてどんちゃん騒ぎのパーティーをすると聞き、気分が恐ろしく絶望的になりました。非常に暗い気持ちでお腹が痛くて眠れません。
映画「ヒトラー最後の12日間」で、ナチスドイツの末期、ナチスの高官達が国民を無謀な市街戦に無理矢理狩り出し、逆らうもの、隠れるものは容赦なく殺し、自分達だけは滅びてゆく国の特権階級として酒で乱痴気騒ぎをしているのと通底する事態が起きていると僕は感じていて、とても辛いです。ハンス・ヴェルナー・ヘンツェの交響曲第九番のような気持ちになりました。この曲は人間における最大の恐怖と悲しみを歌った優れた名歌曲交響曲です。ぜひ御一聴お勧めする名盤です。ヘンツェは左翼の政治的作曲家として保守的な一部の音楽界からは不当に評価されているところがありますが、音楽として非常に優れた作品を沢山創っている人です。本曲「交響曲第九番」も「反ナチス音楽」という政治的括りにされておりますが、勿論本曲は反ナチスの歌曲交響曲ですが、そういった括りを超えた絶対的な過ちの悲劇を描くことで、救いなき悲劇を描くことによって、個々の生命一人一人の尊さ、ヒューマニティを必死に訴えている音楽だと思います。
この曲を作曲したヘンツェは非常に優れた作品を創る有名なドイツ出身の作曲家かつ人権重視・マイノリティの権利の活動を行う実際のアクティヴィスト(行動家)、左翼活動家であり(東ドイツの作曲家にして親友デッサウと共に1950年より左翼として活動しており、バリバリの左派アクティヴィストです)、過去、ドイツで同性愛の権利を擁護して(過去のドイツは同性愛に対して非常に不寛容な態度を取っていました、ヘンツェ自身も同性愛者でありカミングアウトしています)、同性愛を認めない右派右翼から散々攻撃されて、イタリアに亡命のような形で移住しました。作曲家としても左派アクティヴィストでして左派のための政治音楽をじゃんじゃん作りました。「ゲバラに捧げるカンタータ『メデューサ号の歌』」、革命歌集『声』『ナターシャ・ウンゲホイエルへの家への険しい道程』等々です。政治音楽を数々作曲し、政治活動も行った為、保守的な一部の音楽界からは評価されていませんが、音楽界全般から見れば非常に評価の高い作曲家で、僕は二十・二十一世紀を代表する偉大な作曲家の一人だと思います。2009年現在、ご健在でいらっしゃいます。
ヘンツェは反資本主義的学生運動が盛り上がる前からの若い頃からの左翼であり、それには、彼は少年の頃は右翼(ナチスドイツのヒトラー・ユーゲントの一員)として13歳でナチスドイツに参加し、東部戦線・デンマークと転戦し、ヒトラー・ユーゲントの少年兵として戦場で戦い続けたことに対する非常に深い悔恨、そして人々を無慈悲に殺戮したナチスドイツへの怒りと憎しみ、絶望があると言われており、また作曲にもそういった悔恨などが、昇華されて反映されていると言われています。交響曲第九番『第七の十字架』の第六楽章など、聴いていて胸が張り裂けそうになります。ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ自身の言葉を引用します。
全く、旧日本軍(大日本帝国軍)をいまだに称えている日本の一部の人々とは大違いです。こういうところが、以前も書きましたが、ドイツは本当に偉いなあと思います。アメリカの名提督、穏やかで温厚な気質で知られるミニッツ提督は戦後、旧日本海軍を『恐ろしい優れた敵、強敵、実に見事な敵だった』と評価して語っていますが、日本軍を批判してアメリカ軍を評価する人は日本には水木しげるさん以外(水木しげるさんは「コミック昭和史の中で如何に旧日本軍が酷かったか、実地体験と資料に基づいて批判し、アメリカ軍を評価しています)、僕の知る限り全然見当たらないことは、日本という国のある一面を表しているように感じて、気持ちが痛くて重いです。以前も書きましたが、ドイツと日本はなぜこれほど違うのかと思います。現在のドイツは日本よりずっとリベラルな国家で人権意識が発達しており、社会福祉も日本より整備されています。それはやはり、自らの過ちを過ちとして認めたからこそ、出来た国づくりだと僕は思います。どう考えても、枢軸軍ではなく連合軍が勝利したことは行幸だったと思います。もし万が一、枢軸軍が勝利したなどということがあったら、フィリップ・K・ディックの描いた「高い城の男」の世界のような地獄のような全体主義社会が争いあう、オーウェルの「1984年」的世界が現れて、人類は二十一世紀前に全面核戦争で滅んでいたと思います。旧日本軍やナチスドイツのような人命を蔑ろにするファシズム軍隊は、間違いなく、万が一第二次世界大戦で勝利していたら、その後は全面核戦争という狂気の戦争を引き起こしたと思います。日本は、戦後ドイツから学ぶことが沢山あると僕は思います。
映画「ヒトラー最後の12日間」戦後ドイツの真摯さに、腐敗した日本との違いを深く感じました。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/686777.html
ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ「交響曲第九番『第七の十字架』」本アルバムのライナーノーツから引用致します。
非常な名曲、二十世紀、二十一世紀を代表する作曲家ヘンツェが、反ナチスをテーマにして、そして普遍性を持って、全体主義と弱い立場の人々を苦しめる抑圧的権力(巨大な暴力)に対しての逃走と抵抗する人々のヒューマニティ、生命の尊さを神懸り的に描いた、とてつもない名曲だと僕は思います。僕もヘンツェのように、富の再分配を否定する新自由主義アカデミストの弟子筋の無慈悲な右派右翼ブルジョアジー若手アカデミスト達には抵抗し続けたいです。彼らは日本の戦争責任を否定し、他にも精神障害者差別発言、女性差別発言などを行い、若手のエリートアカデミシャンとして大御用学者の権力及び大手出版社の権力(講談社及び早川書房)をバックにつけて、右派右翼ブルジョワジーエリートの立場から彼らは富の再分配否定発言や戦争責任否定発言、また弱い立場の人々に対する様々な差別発言を行い、弱い立場の人々を傷つけ、やりたい放題を行っています。彼らの振る舞いは余りにも酷すぎると思います。
僕はうつ病で失業しており、生活困窮しており、今もお腹がぺこぺこで眠れなくて、将来が真っ暗闇で、どこにも行く先が見えませんが、それでも、人々を抑圧する体制とその体制の代弁者達には、少年時代の自らの過ちを認め、左翼として生涯活動されておられる尊敬する作曲家ヘンツェのように、必死に抗って行きたいと思います。
最後に、「交響曲第九番『第七の十字架』」の中で僕が一番好きな楽章、死に瀕した磔刑にされた人々が歌うシーンの歌詞を引用してご紹介致します。
参考作品(amazon)
Hans Werner Henze: Symphonies Nos. 7 & 9; Barcarola; Three Auden Songs
Hans Werner Henze: Streichquartett 1-5
高い城の男
1984年
コミック昭和史 (第1巻) 関東大震災~満州事変
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非常に絶望的で調子が悪いです。昨日よりも調子が悪いです。驚いたことに、この不景気と貧困の増大の中、昨日のエントリに挙げました富の再分配を否定する新自由主義アカデミストの弟子筋の無慈悲な右派右翼ブルジョアジー若手アカデミスト達が、酒場に人を集めてどんちゃん騒ぎのパーティーをすると聞き、気分が恐ろしく絶望的になりました。非常に暗い気持ちでお腹が痛くて眠れません。
映画「ヒトラー最後の12日間」で、ナチスドイツの末期、ナチスの高官達が国民を無謀な市街戦に無理矢理狩り出し、逆らうもの、隠れるものは容赦なく殺し、自分達だけは滅びてゆく国の特権階級として酒で乱痴気騒ぎをしているのと通底する事態が起きていると僕は感じていて、とても辛いです。ハンス・ヴェルナー・ヘンツェの交響曲第九番のような気持ちになりました。この曲は人間における最大の恐怖と悲しみを歌った優れた名歌曲交響曲です。ぜひ御一聴お勧めする名盤です。ヘンツェは左翼の政治的作曲家として保守的な一部の音楽界からは不当に評価されているところがありますが、音楽として非常に優れた作品を沢山創っている人です。本曲「交響曲第九番」も「反ナチス音楽」という政治的括りにされておりますが、勿論本曲は反ナチスの歌曲交響曲ですが、そういった括りを超えた絶対的な過ちの悲劇を描くことで、救いなき悲劇を描くことによって、個々の生命一人一人の尊さ、ヒューマニティを必死に訴えている音楽だと思います。
この曲を作曲したヘンツェは非常に優れた作品を創る有名なドイツ出身の作曲家かつ人権重視・マイノリティの権利の活動を行う実際のアクティヴィスト(行動家)、左翼活動家であり(東ドイツの作曲家にして親友デッサウと共に1950年より左翼として活動しており、バリバリの左派アクティヴィストです)、過去、ドイツで同性愛の権利を擁護して(過去のドイツは同性愛に対して非常に不寛容な態度を取っていました、ヘンツェ自身も同性愛者でありカミングアウトしています)、同性愛を認めない右派右翼から散々攻撃されて、イタリアに亡命のような形で移住しました。作曲家としても左派アクティヴィストでして左派のための政治音楽をじゃんじゃん作りました。「ゲバラに捧げるカンタータ『メデューサ号の歌』」、革命歌集『声』『ナターシャ・ウンゲホイエルへの家への険しい道程』等々です。政治音楽を数々作曲し、政治活動も行った為、保守的な一部の音楽界からは評価されていませんが、音楽界全般から見れば非常に評価の高い作曲家で、僕は二十・二十一世紀を代表する偉大な作曲家の一人だと思います。2009年現在、ご健在でいらっしゃいます。
ヘンツェは反資本主義的学生運動が盛り上がる前からの若い頃からの左翼であり、それには、彼は少年の頃は右翼(ナチスドイツのヒトラー・ユーゲントの一員)として13歳でナチスドイツに参加し、東部戦線・デンマークと転戦し、ヒトラー・ユーゲントの少年兵として戦場で戦い続けたことに対する非常に深い悔恨、そして人々を無慈悲に殺戮したナチスドイツへの怒りと憎しみ、絶望があると言われており、また作曲にもそういった悔恨などが、昇華されて反映されていると言われています。交響曲第九番『第七の十字架』の第六楽章など、聴いていて胸が張り裂けそうになります。ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ自身の言葉を引用します。
ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ「交響曲第九曲『第七の十字架』について」
この曲は、若き日の私(ヘンツェはヒトラー・ユーゲントのナチスドイツ軍少年兵士として東部戦線からデンマークと戦場を転戦)が見てきた第三帝国時代のドイツをテーマにしています。(中略)
この曲は、恐怖と悲しみの極致を表現したものです。一言で言えば(元ヒトラー・ユーゲントであり、戦後は左翼として抑圧的な体制と戦う政治作曲家として活動してきた)私の音楽の集大成であり、私達を突然襲った独裁的で前の見えない悲惨な状況を音楽という形に昇華させたものです。この曲には喜びや輝きの歌はありません。あるのは恐怖と迫害、今日にまで影響を与えている暗黒の世界の描写です。(かつてヘンツェが加担した)ナチとその凶暴な治世に抵抗し命を投げ出してまで自由を手に入れようとした人々(かつて若き日のナチスだったヘンツェが戦った連合軍の人々やナチスに抵抗したレジスタンスの人々)をたたえること…これが(ナチス時代の)ドイツの真実を描くにあたっての私の最大の願いでした。
全く、旧日本軍(大日本帝国軍)をいまだに称えている日本の一部の人々とは大違いです。こういうところが、以前も書きましたが、ドイツは本当に偉いなあと思います。アメリカの名提督、穏やかで温厚な気質で知られるミニッツ提督は戦後、旧日本海軍を『恐ろしい優れた敵、強敵、実に見事な敵だった』と評価して語っていますが、日本軍を批判してアメリカ軍を評価する人は日本には水木しげるさん以外(水木しげるさんは「コミック昭和史の中で如何に旧日本軍が酷かったか、実地体験と資料に基づいて批判し、アメリカ軍を評価しています)、僕の知る限り全然見当たらないことは、日本という国のある一面を表しているように感じて、気持ちが痛くて重いです。以前も書きましたが、ドイツと日本はなぜこれほど違うのかと思います。現在のドイツは日本よりずっとリベラルな国家で人権意識が発達しており、社会福祉も日本より整備されています。それはやはり、自らの過ちを過ちとして認めたからこそ、出来た国づくりだと僕は思います。どう考えても、枢軸軍ではなく連合軍が勝利したことは行幸だったと思います。もし万が一、枢軸軍が勝利したなどということがあったら、フィリップ・K・ディックの描いた「高い城の男」の世界のような地獄のような全体主義社会が争いあう、オーウェルの「1984年」的世界が現れて、人類は二十一世紀前に全面核戦争で滅んでいたと思います。旧日本軍やナチスドイツのような人命を蔑ろにするファシズム軍隊は、間違いなく、万が一第二次世界大戦で勝利していたら、その後は全面核戦争という狂気の戦争を引き起こしたと思います。日本は、戦後ドイツから学ぶことが沢山あると僕は思います。
映画「ヒトラー最後の12日間」戦後ドイツの真摯さに、腐敗した日本との違いを深く感じました。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/686777.html
ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ「交響曲第九番『第七の十字架』」本アルバムのライナーノーツから引用致します。
交響曲第九番は、(ヘンツェの最高傑作の一つである)レクイエムをはるかに超えた恐怖を描いていた。レクイエムは交響曲第九番のための九つの前奏曲とも思える。七つの楽章の音楽と歌詞はナチの時代を舞台にしたアンナ・ゼーガースの小説「Das siebte kreuz」(「第七の十字架」)をもとにした。七つの楽章はすべて合唱によって歌われ、歌詞は第一人称で語られる。(中略)
「Das siebte kreuz」(「第七の十字架」)は(ナチスドイツの強制収容所からの)逃亡をテーマにした作品である。強制収容所から脱走した七人の囚人に(見せしめとして)磔刑が言い渡される。六人は再び捕まってしまう(磔刑で処刑される)が、一人は逃げ続ける。(中略)
これ(交響曲第九番)は、彼の交響曲として初めてテキストと声を伴う。テキストは、左翼の小説家でナチ時代は外国に逃れ(政治亡命。ナチスは共産党を始めとする左翼を徹底的に弾圧し処刑したので、ドイツ国内に留まっていたら間違いなく殺されていたと見られている)、戦後は東ドイツで活躍したアンナ・ゼーガース(1900〜1983)が、大戦中の1944年に発表した反ナチ小説『第七の十字架』に基づき、ハンス・ウルリヒ・トライヒェル(彼はヘンツェの近年の幾つかのオペラの台本作者でもある)が書いたもの。つまりは、ヒトラー・ユーゲントに在籍した経験を持つ(その後、左翼活動家に転進した)作曲家による、反ナチがテーマの深刻なカンタータ交響曲ということになるが、たとえば第四楽章は自然を支配する人間の野蛮について、第六楽章は宗教の意味について、終楽章は人類がユートピアへと逃走できる可能性について……という風に、単なる反ナチを超えた、(1997年、二十世紀末に作られた本曲は)この世紀末の人類への問いかけも含まれている。(中略)
あなたは、この第九番に何を聴く?
全体主義への憎悪?
ヘンツェの作曲法の多彩な手練手管への賛嘆?
それとも世紀末的憂うつ?
(ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ「交響曲第九番『第七の十字架』」ライナーノーツより)
非常な名曲、二十世紀、二十一世紀を代表する作曲家ヘンツェが、反ナチスをテーマにして、そして普遍性を持って、全体主義と弱い立場の人々を苦しめる抑圧的権力(巨大な暴力)に対しての逃走と抵抗する人々のヒューマニティ、生命の尊さを神懸り的に描いた、とてつもない名曲だと僕は思います。僕もヘンツェのように、富の再分配を否定する新自由主義アカデミストの弟子筋の無慈悲な右派右翼ブルジョアジー若手アカデミスト達には抵抗し続けたいです。彼らは日本の戦争責任を否定し、他にも精神障害者差別発言、女性差別発言などを行い、若手のエリートアカデミシャンとして大御用学者の権力及び大手出版社の権力(講談社及び早川書房)をバックにつけて、右派右翼ブルジョワジーエリートの立場から彼らは富の再分配否定発言や戦争責任否定発言、また弱い立場の人々に対する様々な差別発言を行い、弱い立場の人々を傷つけ、やりたい放題を行っています。彼らの振る舞いは余りにも酷すぎると思います。
僕はうつ病で失業しており、生活困窮しており、今もお腹がぺこぺこで眠れなくて、将来が真っ暗闇で、どこにも行く先が見えませんが、それでも、人々を抑圧する体制とその体制の代弁者達には、少年時代の自らの過ちを認め、左翼として生涯活動されておられる尊敬する作曲家ヘンツェのように、必死に抗って行きたいと思います。
最後に、「交響曲第九番『第七の十字架』」の中で僕が一番好きな楽章、死に瀕した磔刑にされた人々が歌うシーンの歌詞を引用してご紹介致します。
第六楽章「NACHTS IM DOM」
「大聖堂の夜」
焼かれる肌も
壊される身体も
足の下の火も
わが身のうちの爪で
舌に乗った鉛でわれらは歌う
血まみれの唇でわれらは歌う
頬にあいた穴で――
参考作品(amazon)
Hans Werner Henze: Symphonies Nos. 7 & 9; Barcarola; Three Auden Songs
Hans Werner Henze: Streichquartett 1-5
高い城の男
1984年
コミック昭和史 (第1巻) 関東大震災~満州事変
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