2009年02月12日 01:39
昨日更新できず申し訳ありません。頑張ります。ギドン・クレーメル「ピアソラへのオマージュ」
ピアソラへのオマージュ
アストル・ピアソラ 【メンブラン10CDセット】
一昨日まで、非常に忙しく、昨日はひどく疲労がでてしまった形で、一日ぐたっとしてしまい、全く更新できませんでした。昨日更新できず申し訳ありません。祖母が入院しており生活が掛かっており、なんとか頑張ります。どうかよろしければ、よろしくお願い致します。後、一昨日書いた猫の便秘は治って、今日お通じ出ていました。よかったです。
本日は、以前も一度ご紹介いたしました、二十世紀及び今世紀二十一世紀も代表するであろうヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルの「ピアソラへのオマージュ」をご紹介したいと思います。本作(クレーメルのピアソラ演奏シリーズ)は僕の知る限り日本では四作品(「ピアソラへのオマージュ」「エル・タンゴ」「トレーシング・アストル」「天使のミロンガ」)出ていると思います。もしかしたらもっと出ているかもしれませんが、うつ病になってから心身生活共に余裕がなく、情報のインプットがほとんどなくなったので、五作目の有無などについては分かりません。申し訳ありません。
クレーメルはクラシックに天才的才能をみせるだけでなく、現代音楽(マイナーな現代クラシック音楽からポピュラーな現代映画音楽まで何でも弾きこなせる天才)を積極的に弾きこなす異才ともいうべきヴァイオリニストの生ける伝説的天才で(1947年生まれなので、まだ60代前半の若さです)、あらゆるヴァイオリン曲をスタイルを問わずに超絶技巧で弾きこなし、マイナーな現代クラシック音楽は、彼がいなければ、もっとマイナーになってしまっていただろうと言われる、僕みたいなクラシカルなマイナー現代音楽好きにとっては神の如き素晴らしいヴァイオリニストです。
以前ご紹介した、バルト三国の音楽でも、単純に見えるようで美しく弾くのは難解なペルトを見事に弾きこなし、この人は天才だ、なんて天才なんだと始めて聴いた時は胸が高鳴りました。
バルト三国と今後の日本。僕のベストアルバム「わが故郷から−バルトの音楽」静謐な美の響き。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/685715.html
僕は上記で書きました通り、「わが故郷から」が一番好きなのですが、クレーメルの魅力が一番間取り広くよくわかるのは、クレーメルのピアソラシリーズの第一作目「ピアソラへのオマージュ」だと思います。僕はクレーメルのクラシックと現代音楽や映画音楽等々色々聴きました。日本の作曲家武満徹さんの曲も弾いています(クレーメルのアルバム「ル・シネマ」の中で弾いています)。彼は形式にとらわれずなんでもかんでも弾きこなせるので(普通のヴァイオリニストは形式を超えてどのジャンルもトップレベルで弾くことは無理です、一般的なヴァイオリニストは形式の中で努力するため、どこか一つの形式に特化してしまうことが多いです)、クレーメルを聴いていると、古典から現代映画音楽までなんでもこなせる天才っているんだなあとじかで感じます。そんなクレーメルの幅広い活動の中でも、一番クレーメルの凄まじい超絶技巧の才能が良くわかって、一番間口が広いのがピアソラシリーズではないかと思います。
僕の知っている限り、クレーメルのアルバムはベストセラーが多いですが(彼はスタイルを問わず、あらゆるジャンルを弾きこなす超絶技巧を持った天才としかいいようのないヴァイオリニストなので、ファンの幅がとても広く、僕のような彼を敬愛するファンがとても大勢います)、その中でも、世界中で一番売れたのは今世紀の始めの時点では「ピアソラへのオマージュ」だったと思います。非常にヒットしたアルバムなのでよく覚えています。確実に一番とはいえない(クレーメルの全アルバムの売り上げの確かな情報がない)のですが、一番である可能性が高いアルバムだと、一クレーメルファンとして思います。
僕はピアソラシリーズの四作、「ピアソラへのオマージュ」「エル・タンゴ」「トレーシング・アストル」「天使のミロンガ」全て聴き比べました。その中で僕が順番をつけるとしたら、「ピアソラへのオマージュ」「天使のミロンガ」が同着で一位、「トレーシング・アストル」最後が「エル・タンゴ」かなと思います。そして、「天使のミロンガ」は非常にダイナミックな感覚があるのですが、クレーメルの素晴らしい腕前を堪能するということにおいては、「ピアソラへのオマージュ」かなと思います。「ピアソラへのオマージュ」の方がスタティックでより古典的なクラシカルに近く、ヴァイオリンの音色を堪能するということについては、こちらの方が間口が広く、ヴァイオリン好きにもクラシック好きにもポピュラー音楽好きにも、幅広くお勧めできる名演ではないかと思います。
「エル・タンゴ」「トレーシング・アストル」もとても良いアルバムですが、個人的には、「エル・タンゴ」には歌、「トレーシング・アストル」には語りが入っているので、聴いていると人間の声が入ってくるところで、集中力、コンセントレーションが乱れる形で、そこがちょっとう〜んな感じです。僕は音楽というのは一つの音楽(アルバムにしても、コンサートにしても、どちらでも)を最初から最後まで一つの有機的な調和として聴きたいので、クレーメルのヴァイオリンを堪能しているところに、歌とか語りが入ってくると、主役のヴァイオリンが脇に引いてしまい、そこでコンセントレーションが乱れてしまうと感じます。特に、歌ならまだしも音楽アルバムに語りは正直入れて欲しくないです。語りは完全に音楽の調和を壊してしまいます。余談ですが、ストラヴィンスキーの歌劇「エディプス王」も語りが入っていない方がいいなと思う僕の好きな歌劇ですが、脚本のジャン・コクトーと作曲のストラヴィンスキー自身が後で、「語りは抜いた方がよかった」と言っているので、語りぬきバージョンで録音して音楽CDとして出たらいいのになあと思っています。閑話休題です。
音楽の調和の話ですが、これはアルバムだけでなく、クラシックのコンサートでも同じです。余談ですが、うつ病になる前は、海外クラシックアーティストのコンサートはときどき行っていました。うつ病になって生活困窮になってからは一度も行けていません。去年のユーリ・シモノフ指揮のモスクワ・フィル・コンサートは、金融危機の影響なのか、オーケストラのチケット三千円と常識的に考えられぬほどとてつもない破格の安さでしたが、それでもお金なくて行けなくて、残念です。閑話休題です。クラシックのコンサートでも、観客が誰一人音を立てないシーンと静まり返ったホールの中で、オーケストラやピアノやヴァイオリンを演奏して、演奏が終わったらブラボーと拍手で、また次の演奏で静まり返るという形式の有機的な調和が、音楽を、一つの曲を超えた形で、調和的、有機的に完成させるものであると思います。余談ですが、フルトヴェングラーのライブ録音とか演奏中に咳とか入っていて、聴いていると心底「なんてことだ!!」と思います。この咳さえなければ、調和的なライブ録音として完璧だったのに…、という思いに駆られます。演奏者は夢中で弾いているので咳でコンセントレーションが乱れることはないですが、ライブで聴いていた聴衆の人々も咳には「パーフェクトなコンサートの最中になんというアクシデント、なんてことだ!!」と感じたのではないかと思います。勿論、咳でフルトヴェングラーの偉大な指揮の価値が下がる訳ではないのですが、この咳さえなければ完璧なライブ録音だったのに…、と聴いていて思うことがよくあります。
ただ、ライブのアクシデントは仕方のない面もあると分かっています。クラシックのアーティストと観客の交流というのもあって、海外のクラシックアーティストのコンサートは、オーケストラとかでサービス精神の高いオーケストラが来ると、言葉が通じるとコンサート後、物凄い大物アーティストがごく普通に後片付けをしていたりしており、ファンが声をかけると吃驚するほどフレンドリーに話せたりするので、その辺もクラシックの楽しみです。ただし、海外アーティストは日本語は話せないので、日本語で話しかけても言葉が通じないので、話しかけるなら英語は必須です。アーティストさんの母国語、ドイツ語、フランス語、ロシア語あたりを話せると、アーティストさんからぐっと好感度UPという感じです。毎年ちょくちょく来日するウィーン少年合唱団あたりは、普通に日本のクラシック好きショタ好きお姉さん達(ごく普通のOLさん、クラシック音楽好きかつショタ好きで外国語のできるOLさんとかです)がパル(少年合唱団の少年の現地世話役を『パル』と呼びます)になって、最終的には普通に結婚しちゃったりするケースもあります。だから、咳もアーティストと観客が対面するライブならではのアクシデントで、仕方ないと分かっているのですが、やはり、音楽的な完成度を鑑みると、ライブで咳は勘弁して欲しいとどうしても思ってしまいます。クラシックの命は、一つにはスタティックな美しさ、静的かつ数学的な調和の美しさにあるので、それをいかに完璧に高めるかというのが、クラシックを極めてゆくことと繋がっていると思います。
そういった静的な美しさという点でもクレーメル「ピアソラへのオマージュ」はお勧めです。美しく、調和されており、静かで心が安らぐ曲が幾つも収録されたとても良い音楽アルバムだと思います。心からお勧めできるアルバムの一枚です。
今、僕は借金生活なので(月末に返済)、とてもコンサートとか行けませんが、いつの日か、コンサートとか行ける日が再び来ることがあったらいいなあと思います。本当は借金とかしたくないので、生活保護を受けさせてもらえない低収入層・失業者・貧困層には国が融資してくれる制度とかあれば助かるなあと思います。信用のない僕みたいな失業者の借金は、民間高金利のクレジットしかなく、返済が万が一滞ると吃驚する利子がつくので、心身的に重いです。せめて、国が貸し出しとかしてくれればなあと心から思います。
最後に、ジョン・アダムズ「ピアソラ賛歌」と「ピアソラのオマージュ」のライナーノーツから文章を引用させて頂きます。
僕も、失業しており、精神疾患で、生活困窮で、何もかも世界が崩壊したような後の心情なので、上記の心情に、心から共感を感じます。クレーメルのピアソラシリーズが気に入ったお方々は、作曲したアストル・ピアソラ本人の演奏したピアソラ「アストル・ピアソラ」(10枚組)などと聴き比べると、より音楽の豊饒性が開かれて行くと思います。最近はクラシックの驚異的な価格破壊が進み、アストル・ピアソラ10枚組現時点でamazonで1980円と、極限的に安くなっています。
ごめんなさい、最後に追記です。「ブエノスアイレスのマリア」という五作目?のアルバムがあるみたいです。ただこれまだ聴いたことがなくて何も書けません。完全に失念しており申し訳ありません。
参考作品(amazon)
ピアソラへのオマージュ
ピアソラへのオマージュ(2)エル・タンゴ
トレーシング・アストル〜ピアソラへのオマージュ(3)
ピアソラ:天使のミロンガ
ピアソラ/ブエノスアイレスのマリア
クレーメル「ル・シネマ」フィルム・ミュージック
ギドン・クレーメル名演奏集(10枚組)
アストル・ピアソラ 【メンブラン10CDセット】
ストラヴィンスキー:オペラ=オラトリオ「エディプス王」
amazonトップページ
アストル・ピアソラ 【メンブラン10CDセット】
一昨日まで、非常に忙しく、昨日はひどく疲労がでてしまった形で、一日ぐたっとしてしまい、全く更新できませんでした。昨日更新できず申し訳ありません。祖母が入院しており生活が掛かっており、なんとか頑張ります。どうかよろしければ、よろしくお願い致します。後、一昨日書いた猫の便秘は治って、今日お通じ出ていました。よかったです。
本日は、以前も一度ご紹介いたしました、二十世紀及び今世紀二十一世紀も代表するであろうヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルの「ピアソラへのオマージュ」をご紹介したいと思います。本作(クレーメルのピアソラ演奏シリーズ)は僕の知る限り日本では四作品(「ピアソラへのオマージュ」「エル・タンゴ」「トレーシング・アストル」「天使のミロンガ」)出ていると思います。もしかしたらもっと出ているかもしれませんが、うつ病になってから心身生活共に余裕がなく、情報のインプットがほとんどなくなったので、五作目の有無などについては分かりません。申し訳ありません。
クレーメルはクラシックに天才的才能をみせるだけでなく、現代音楽(マイナーな現代クラシック音楽からポピュラーな現代映画音楽まで何でも弾きこなせる天才)を積極的に弾きこなす異才ともいうべきヴァイオリニストの生ける伝説的天才で(1947年生まれなので、まだ60代前半の若さです)、あらゆるヴァイオリン曲をスタイルを問わずに超絶技巧で弾きこなし、マイナーな現代クラシック音楽は、彼がいなければ、もっとマイナーになってしまっていただろうと言われる、僕みたいなクラシカルなマイナー現代音楽好きにとっては神の如き素晴らしいヴァイオリニストです。
以前ご紹介した、バルト三国の音楽でも、単純に見えるようで美しく弾くのは難解なペルトを見事に弾きこなし、この人は天才だ、なんて天才なんだと始めて聴いた時は胸が高鳴りました。
バルト三国と今後の日本。僕のベストアルバム「わが故郷から−バルトの音楽」静謐な美の響き。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/685715.html
僕は上記で書きました通り、「わが故郷から」が一番好きなのですが、クレーメルの魅力が一番間取り広くよくわかるのは、クレーメルのピアソラシリーズの第一作目「ピアソラへのオマージュ」だと思います。僕はクレーメルのクラシックと現代音楽や映画音楽等々色々聴きました。日本の作曲家武満徹さんの曲も弾いています(クレーメルのアルバム「ル・シネマ」の中で弾いています)。彼は形式にとらわれずなんでもかんでも弾きこなせるので(普通のヴァイオリニストは形式を超えてどのジャンルもトップレベルで弾くことは無理です、一般的なヴァイオリニストは形式の中で努力するため、どこか一つの形式に特化してしまうことが多いです)、クレーメルを聴いていると、古典から現代映画音楽までなんでもこなせる天才っているんだなあとじかで感じます。そんなクレーメルの幅広い活動の中でも、一番クレーメルの凄まじい超絶技巧の才能が良くわかって、一番間口が広いのがピアソラシリーズではないかと思います。
僕の知っている限り、クレーメルのアルバムはベストセラーが多いですが(彼はスタイルを問わず、あらゆるジャンルを弾きこなす超絶技巧を持った天才としかいいようのないヴァイオリニストなので、ファンの幅がとても広く、僕のような彼を敬愛するファンがとても大勢います)、その中でも、世界中で一番売れたのは今世紀の始めの時点では「ピアソラへのオマージュ」だったと思います。非常にヒットしたアルバムなのでよく覚えています。確実に一番とはいえない(クレーメルの全アルバムの売り上げの確かな情報がない)のですが、一番である可能性が高いアルバムだと、一クレーメルファンとして思います。
僕はピアソラシリーズの四作、「ピアソラへのオマージュ」「エル・タンゴ」「トレーシング・アストル」「天使のミロンガ」全て聴き比べました。その中で僕が順番をつけるとしたら、「ピアソラへのオマージュ」「天使のミロンガ」が同着で一位、「トレーシング・アストル」最後が「エル・タンゴ」かなと思います。そして、「天使のミロンガ」は非常にダイナミックな感覚があるのですが、クレーメルの素晴らしい腕前を堪能するということにおいては、「ピアソラへのオマージュ」かなと思います。「ピアソラへのオマージュ」の方がスタティックでより古典的なクラシカルに近く、ヴァイオリンの音色を堪能するということについては、こちらの方が間口が広く、ヴァイオリン好きにもクラシック好きにもポピュラー音楽好きにも、幅広くお勧めできる名演ではないかと思います。
「エル・タンゴ」「トレーシング・アストル」もとても良いアルバムですが、個人的には、「エル・タンゴ」には歌、「トレーシング・アストル」には語りが入っているので、聴いていると人間の声が入ってくるところで、集中力、コンセントレーションが乱れる形で、そこがちょっとう〜んな感じです。僕は音楽というのは一つの音楽(アルバムにしても、コンサートにしても、どちらでも)を最初から最後まで一つの有機的な調和として聴きたいので、クレーメルのヴァイオリンを堪能しているところに、歌とか語りが入ってくると、主役のヴァイオリンが脇に引いてしまい、そこでコンセントレーションが乱れてしまうと感じます。特に、歌ならまだしも音楽アルバムに語りは正直入れて欲しくないです。語りは完全に音楽の調和を壊してしまいます。余談ですが、ストラヴィンスキーの歌劇「エディプス王」も語りが入っていない方がいいなと思う僕の好きな歌劇ですが、脚本のジャン・コクトーと作曲のストラヴィンスキー自身が後で、「語りは抜いた方がよかった」と言っているので、語りぬきバージョンで録音して音楽CDとして出たらいいのになあと思っています。閑話休題です。
音楽の調和の話ですが、これはアルバムだけでなく、クラシックのコンサートでも同じです。余談ですが、うつ病になる前は、海外クラシックアーティストのコンサートはときどき行っていました。うつ病になって生活困窮になってからは一度も行けていません。去年のユーリ・シモノフ指揮のモスクワ・フィル・コンサートは、金融危機の影響なのか、オーケストラのチケット三千円と常識的に考えられぬほどとてつもない破格の安さでしたが、それでもお金なくて行けなくて、残念です。閑話休題です。クラシックのコンサートでも、観客が誰一人音を立てないシーンと静まり返ったホールの中で、オーケストラやピアノやヴァイオリンを演奏して、演奏が終わったらブラボーと拍手で、また次の演奏で静まり返るという形式の有機的な調和が、音楽を、一つの曲を超えた形で、調和的、有機的に完成させるものであると思います。余談ですが、フルトヴェングラーのライブ録音とか演奏中に咳とか入っていて、聴いていると心底「なんてことだ!!」と思います。この咳さえなければ、調和的なライブ録音として完璧だったのに…、という思いに駆られます。演奏者は夢中で弾いているので咳でコンセントレーションが乱れることはないですが、ライブで聴いていた聴衆の人々も咳には「パーフェクトなコンサートの最中になんというアクシデント、なんてことだ!!」と感じたのではないかと思います。勿論、咳でフルトヴェングラーの偉大な指揮の価値が下がる訳ではないのですが、この咳さえなければ完璧なライブ録音だったのに…、と聴いていて思うことがよくあります。
ただ、ライブのアクシデントは仕方のない面もあると分かっています。クラシックのアーティストと観客の交流というのもあって、海外のクラシックアーティストのコンサートは、オーケストラとかでサービス精神の高いオーケストラが来ると、言葉が通じるとコンサート後、物凄い大物アーティストがごく普通に後片付けをしていたりしており、ファンが声をかけると吃驚するほどフレンドリーに話せたりするので、その辺もクラシックの楽しみです。ただし、海外アーティストは日本語は話せないので、日本語で話しかけても言葉が通じないので、話しかけるなら英語は必須です。アーティストさんの母国語、ドイツ語、フランス語、ロシア語あたりを話せると、アーティストさんからぐっと好感度UPという感じです。毎年ちょくちょく来日するウィーン少年合唱団あたりは、普通に日本のクラシック好きショタ好きお姉さん達(ごく普通のOLさん、クラシック音楽好きかつショタ好きで外国語のできるOLさんとかです)がパル(少年合唱団の少年の現地世話役を『パル』と呼びます)になって、最終的には普通に結婚しちゃったりするケースもあります。だから、咳もアーティストと観客が対面するライブならではのアクシデントで、仕方ないと分かっているのですが、やはり、音楽的な完成度を鑑みると、ライブで咳は勘弁して欲しいとどうしても思ってしまいます。クラシックの命は、一つにはスタティックな美しさ、静的かつ数学的な調和の美しさにあるので、それをいかに完璧に高めるかというのが、クラシックを極めてゆくことと繋がっていると思います。
そういった静的な美しさという点でもクレーメル「ピアソラへのオマージュ」はお勧めです。美しく、調和されており、静かで心が安らぐ曲が幾つも収録されたとても良い音楽アルバムだと思います。心からお勧めできるアルバムの一枚です。
今、僕は借金生活なので(月末に返済)、とてもコンサートとか行けませんが、いつの日か、コンサートとか行ける日が再び来ることがあったらいいなあと思います。本当は借金とかしたくないので、生活保護を受けさせてもらえない低収入層・失業者・貧困層には国が融資してくれる制度とかあれば助かるなあと思います。信用のない僕みたいな失業者の借金は、民間高金利のクレジットしかなく、返済が万が一滞ると吃驚する利子がつくので、心身的に重いです。せめて、国が貸し出しとかしてくれればなあと心から思います。
最後に、ジョン・アダムズ「ピアソラ賛歌」と「ピアソラのオマージュ」のライナーノーツから文章を引用させて頂きます。
ジョン・アダムズ「ピアソラ賛歌」
深い闇の中に迸るまばゆいきらめきという点で、(アルゼンチン出身の)ピアソラとよく似たラテン・アメリカ的な精神の持ち主であるチリの詩人パブロ・ネルーダの言葉を引用すれば、ピアソラの音楽は「人間の欠陥だらけの混乱状態そのものであり……ちょうど酸の作用を受けたかのように手の労働によって蝕まれ、汗と煙、百合の花の匂いと尿の匂いに満ち、我々の様々な行動――合法、非合法を問わず――が散りばめられている。……古い衣服のように汚く、肉体と同じように、食物の染み、恥、しわ、観察、夢、覚醒、予言、愛と憎しみの宣言、ばかばかしさ、衝撃、牧歌、政治的信念、否定、疑い、断念が染みついている」(パブロ・ネルーダ「不純な詩について」(米ニューヨーカー紙1996/6/24、7/1号に翻訳掲載)。(中略)
ピアソラはJ・S・バッハの和声反復進行の動きに強い親近感を抱いていた。バッハ的な和声的反復進行は、容赦なく終止に向かって進んでいき、あと戻りできないという感覚をもたらすものだが、その終止が訪れる時期を(神聖へ昇華させたバッハとは違い)、もっともひねくれた、苦痛と快楽の入り混じった方法で調整する、すなわち(音楽の昇華、エクスタシーを)遅らせるところにピアソラの芸術の核があったのである。
これは、やっと家に帰り着いたはいいが、家はすっかり変わってしまっていたという状況に似ている。家は取り壊され、子供の頃に遊んだ近所に知らない人ばかり住んでいるという状況(故郷喪失者の状況)である。
ピアソラの音楽は基本的には悲劇的なものの表現だった。(中略)それらのルーツは、スペイン、ドイツ、ユダヤ、インディオ、イタリアといった雑多な文化が入り混じるブエノスアイレスにある。ピアソラの音楽は、自意識によって口当たりをよくされたり去勢されたりしていない。本当の意味での「マルチ・カルチャー(多文化性)」である。そしてそれは、最も素晴らしい発見と同じようにひとつの発見であり、予想外で、多面的で、移ろいやすく、豊饒である。
故郷をはなれ他所の土地で生きるものが自らの内に育むノスタルジーとパッション。これこそはピアソラの音楽の奥深いところにあるものであり、多くのひとの心身を鷲づかみにしてしまう音楽のつよさだ。どんなところにいても<私>はひとりだし故郷から切り離されている。そしてだからこそ一刹那であってもひとを求めずにはいられない――そんな情熱であるとともに受難であるパッションがピアソラの音楽にはある。クレーメルは音楽という亡命者に許された数少ない持ち物についてピアソラに共感を見い出したに違いない。(中略)
(ピアソラの音楽の中にある大きな共感性、)1950年代以後のいわゆる「現代音楽」がしばしば失ってしまったつよさ、どんなひとでも聴いてなにかを感じることができるポピュラリティ。レコードの分類のためにとりあえずつけられたジャンル分けもピアソラの音楽は平然と越境するだろう。(中略)
タンゴが歴史的にどういうものでありどんなイディオムをもっているかなど、このアルバム(ピアソラへのオマージュ)に耳をかたむけるときは脇においておけばいい。そんなことはべつの機会にいくらでも知ることができるだろう。ここでは音楽がふるまうすべての所作を聴きとり心身を浸してくれればいい。クレーメルのファンにはピアソラと出会ってほしいし、ピアソラのファンにはクレーメルの演奏を知ってほしい。
(「ピアソラへのオマージュ」ライナーノーツ)
僕も、失業しており、精神疾患で、生活困窮で、何もかも世界が崩壊したような後の心情なので、上記の心情に、心から共感を感じます。クレーメルのピアソラシリーズが気に入ったお方々は、作曲したアストル・ピアソラ本人の演奏したピアソラ「アストル・ピアソラ」(10枚組)などと聴き比べると、より音楽の豊饒性が開かれて行くと思います。最近はクラシックの驚異的な価格破壊が進み、アストル・ピアソラ10枚組現時点でamazonで1980円と、極限的に安くなっています。
ごめんなさい、最後に追記です。「ブエノスアイレスのマリア」という五作目?のアルバムがあるみたいです。ただこれまだ聴いたことがなくて何も書けません。完全に失念しており申し訳ありません。
参考作品(amazon)
ピアソラへのオマージュ
ピアソラへのオマージュ(2)エル・タンゴ
トレーシング・アストル〜ピアソラへのオマージュ(3)
ピアソラ:天使のミロンガ
ピアソラ/ブエノスアイレスのマリア
クレーメル「ル・シネマ」フィルム・ミュージック
ギドン・クレーメル名演奏集(10枚組)
アストル・ピアソラ 【メンブラン10CDセット】
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