2009年01月23日 08:52

今朝方出血し辛いです。グアンタナモ廃止されて良かったです。法治国家と万人の公正について。

タウンゼンド「テロリズム」
エドワード・サイード (シリーズ現代思想ガイドブック)

先よりずっと体調不良が続いているのですが、今朝方、口から血がでてきて気分が悪いです。口内炎にずっと悩まされているのですが、口の中が痛く、口の中見たら、口内炎が破けてそこから血が出ていました。ずっと食欲がなくて、昨日とかパン一枚と牛乳しか食事をとっていないので、そのせいかな、栄養失調かなと思います。

うつ病に掛かってから食欲がなくて、うつ病の治療薬(SSRI)は食欲中枢を抑えるらしいので、前から食欲はなかったんですが、最近は気力がなくて、一日二食から一日一食になってしまうことしばしばです。猫は一日二食で食欲あるのですが、僕は猫より食欲ない感じです。引きこもってほとんど臥せているので、ほとんどカロリー消費もしてないので、餓死とかはしないと思うのですが、栄養失調はあるのかも知れないと思います。

今朝方口が痛いのを堪えてニュースを見ていましたら、テロリスト容疑者に対する拷問などを行っている超法規的な収容施設であるアメリカのグアンタナモ刑務所が閉鎖されることになったそうで、オバマ大統領がテロリスト容疑者の取調べであっても人権を侵害することは許されないって言っていて、アメリカ国民の過半数(51%)がグアンタナモ刑務所の廃止に賛成しているそうで(CNN米世論調査調べ)、良かったと思いました。久々にアメリカ国民の良識というものを見た思いです。

超法規的に犯罪を行うテロリストであっても、国家が拷問などの超法規的なカウンターテロリズムに走ってはいけないというのは、チャールズ・タウンゼンドなどのテロ研究者や、法学者達が口を酸っぱくしてずっと言っていたこと(タウンゼンド「テロリズム」等)なのですが、ブッシュ政権、特にブッシュ政権の中枢を占めたネオコンと呼ばれる政治集団はそれを完全に無視していて、僕は法学部の出なので、国家が法律を軽々しく破って拷問などのカウンターテロリズムに走ることは、法治国家の危機であるとずっと思っていました。国家がテロリストと同じように超法規的に暴力を振るうことは、法治国家の正当性自体を崩す破滅的危機です。

法治国家の正当性は、「相手が超法規的に振舞っても、国家は法規的に振舞う」という一線にあって、それを超えてしまったら、テロリストの思うつぼ、国家自体がテロリズム国家に変質してしまうのです。これは、国民を危険に晒す行為です。国家とテロリズムの違いとは何かというのは、カール・シュミットが「パルチザンの理論」で書いていますが、テロリズムは人々を超法規的な暴力の人質に取ることで政治的目的を達成しようとする、逆に、法治国家が真に法治国家たらんとすれば、功利主義的なデメリットは覚悟の上で、あくまで法を守り貫き通すことで、国家はテロリストと違って国民を超法規的な暴力の人質に取らないということなのです。シュミットの理論は極端で賛成できないところが多々ありますが、上記は正鵠を射ている考えではないかと僕は思います。

テロリストが超法規的な暴力を振るうから国家も超法規的に暴力を振るっていいというブッシュ政権・ネオコンのような考え方は、法治国家の正当性を崩壊させ、国家がテロリストと同じテーブルについてしまうことを意味し、究極的にはそれはテロリスト側の勝利なのです。法治国家の成員は、あくまで法を遵守することで、そのデメリットも甘受するというダメージの引き受けがあって、法治国家の成員としての役割、テロリズムと一線を引いた役割を果たすのです。その点で、「テロリスト容疑者の人権は守られるべき、国家は拷問をしてはならない」というオバマ大統領の発言はとても真っ当で正しい意見であると僕は思います。テロリスト容疑者の人権は認めない、拷問OKなんて法を無視した無茶苦茶な行為(ブッシュ政権・ネオコンの行為、国家による超法規的私刑賛成論)に賛成している法学者は僕の知る限り、存在しないと思います。みんな反対しています。それは法学の土台を破壊する最悪の暴挙だからです。

余談ですが、現行の日本の裁判員制度に僕は反対です。日本で裁判員制度をやるなら、いきなり取り返しのつかないような刑(死刑)もありえる慎重かつ高度な法判断が要求される重大事件の審理に民間の裁判員を入れるのではなく、まずはもっと易しい事件(軽い障害罪等、執行猶予がつくようなあまり重罪ではない事件、もし誤審があっても誤審が証明されれば取り返しがつく事件)から試験的に導入して、法的判断が裁判員制度の元で適正に行われるかテストして、その後、裁判員の受け持つ事件を拡大していくように長期的に様子を見ながら段階を踏んで導入すべきだと思います。大学時代の法学部の友人や後輩に聞いても、裁判員制度の評価は最悪で、法学や司法の現場を知らない人が無理矢理訳の分からない導入をしたのではないかと言われているみたいです。日本は裁判員制度の拙速な導入によって取り返しのつかないことが起きないか、僕は心配です。

本題に戻りますと、グアンタナモ刑務所の廃止にアメリカ国民の過半数が賛成しているということは、アメリカの過半数には、法治国家としての成員としての役割を果たしている人々が過半数いるということで、僕は少しほっとした思いです。

とても有名なところでは、パレスチナの解放を訴え続けてきたエドワード・サイードなどもこの立場(普遍的原則としての諸国の法を普遍的に遵守して考えることで、アメリカやイスラエルの超法規的な弾圧を批判する)を取っており、彼はアメリカやイスラエルの超法規的カウンターテロリズムだけでなく、テロリストの自爆テロなどの超法規的テロリズムも批判しています。諸国の法を万人に公正化することで、パレスチナを解放するというのがサイードの基本的な考えであったと僕は理解しています。僕は法学部で法哲学をやったので、サイードの考え方はカントの普遍立法からの法哲学の理念的立場であり、とても敬意を持っています。彼は生命の価値の平等を考えていて、それはまさに法の下の万人の平等の考え方です。最後に、「エドワード・サイード」よりサイードの言葉を引用致します。

(サイードの批判の立場として、欧米諸国民の)テロ犠牲者達が、「(欧米の)報道機関によって大きく取り上げられることはいうまでもなく、彼ら(欧米のテロ犠牲者)のために研究所が作られ基金が立ち上げられるのに対し、(欧米諸国の超法規的なカウンターテロリズムによって)「巻き添え」で死んだアラブ人やムスリムや非白人たちは、「わたしたち」(欧米諸国民)によって死亡者数を確認されることもなく、喪に服されることもなく、認知されることもなく、ただ死ぬだけ」というアイロニー(生命の価値が超法規的に不公正・不平等化されている悪夢的現実)(Said and Hitchens 1988:151)。(中略)
彼(サイード)は(アメリカやイスラエルのダブルスタンダードだけでなく)自爆攻撃(テロリズム)を、パレスチナ解放の大義をひどく傷つけるものとしてつねに批判している。彼が求めるのは、テロではなく、普遍的諸原則(法の下の万人の公正平等)に訴え、そのなかでパレスチナ人を苦しめる不正(欧米諸国等の超法規的ダブルスタンダード)について指摘することである。このような関与姿勢ゆえに、サイードは、(パレスチナだけではなく更に全世界的に普遍的に)世界各地において周辺化した民族(不公正不平等な扱いを受けている世界中の民族全て)にとって、重要な人物となったのである。
(アシュクロフト、アルワリア「エドワード・サイード」)

参考作品(amazon)
タウンゼンド「テロリズム」
エドワード・サイード (シリーズ現代思想ガイドブック)
パルチザンの理論―政治的なものの概念についての中間所見 (ちくま学芸文庫)

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