2008年11月29日 23:00
極東ブログfinalvent氏に苦しめられていた人物にご不幸がありました。僕はお気の毒に思います。
統治二論
一市民の反抗―良心の声に従う自由と権利
極東ブログ運営者finalvent氏が真摯真剣にコメントするこの人物のことを酷く嘲笑するような形で仄めかして心かき乱していた酷い人物だったことを思い出します。そのことを思うととてもお気の毒に思います。狡猾なfinalvent氏の延々と続く仄めかし攻撃につけられた傷は深かったことを思うと、とても悲しく思います。僕もfinalvent氏から酷い狡猾無比な仄めかし攻撃を延々と受けておりこの身がどこまで持つかわかりません。僕の場合は周囲に迷惑を掛けたくないので、このまま今後もfinalvent氏が僕に執拗なアタックをずっと長年かけ続け、ついに僕の耐えられる心身の限界を超えて生存の苦しみが極限に達することありましたときは、身辺整理をして自死か餓死の道を選ぼうと思います。僕を最期に最終的に消去(デリート)するのは東浩紀氏でも宮台真司氏でもなく、狡猾無比なる仄めかしサディストであると思います。
僕は日本国の法を遵守いたします。僕は、神の代わりに自分の信を日本国憲法・日本国法律・カント的近代法の理念においているからです。僕の信ずるものは観念論的神ではなく『カント的近代法の法理念とその具象としての現実の実体法・手続法』です。だから僕はあくまで日本国の法を遵守するという形で、超右翼保守論陣の一員にして、常日頃からセンシティヴな人々を徹底的に傷つける文章を書き続け、貧しき人々を踏み潰して人々の心をズタズタにしてゆき、象徴天皇制を否定し戦前の神聖天皇制の復活を唱える(日本人は天皇陛下の奴隷であれ!と言い放つ)極東ブログ運営者finalvent氏と、日本国の法を守って法の枠内で全力で戦います。日本国憲法・日本国法律・カント的近代法(万人の公正)の理念を遵守して僕は振る舞い、その結果、死に倒れるとしても、山口良忠さんのように思えるかもしれないと思うからです。自らの心の裡なる誇りと倫理を捨てて生きのびるより、山口良忠さんのように生きることこそ、僕にとっての喜びです。
ただ、これはあくまで僕の道であって、もし皆さんが、限界状況において生命の危機に晒されているときに、抵抗権に拠って自らの生命を守ろうとすることを僕は否定しません。抵抗権は財産権の上にあります。仮定の状況でご説明いたします。
小型船が遭難して、命がらがら救命ボートでの乗組員・乗客総員八人が脱出しました。無線機器が壊れており助けは呼べません。距離的測定と海流から計測されるボートの移動速度から最低でも十日すれば人家のある陸地にたどり着けます。しかし脱出時の混乱で食料が救命ボートから外れて落ちてしまいました。けれど幸いなことに、乗客の一人が商人で、八人が分け合って十日以上食べても持つ緊急時の保存食料・水を豊富に持ってボートに乗っていました。船長はその食料をみなで分け合えれば全員生きて帰還できると考え、食料の分配を要求しました。他の六人も分配を主張しました。しかし、強欲で冷酷無比な商人は言いました。
商人Fv「これは法に認められた俺の所有物であり、俺の最終弁当だ。俺は財産権の独立を主張する。誰にも食料は渡さない俺一人で食べるお前らは勝手に飢えろ!!」
船長は商人Fvを懸命に説得しましたが商人Fvは耳を貸しません。三日が立ち、乗客の女性が既に生命の危険水域に入ってきました。船長は超法規的判断を下して乗組員とともにこの商人Fvを一時的に拘束して食料・水を確保し、その後、女性に食料と水を優先的に与えて回復させ、食料・水を基本的に平等に分配する(ただし、心身が弱っている人には多めに分配する。勿論、商人Fvにも、彼は頑強だったが平等に分配する)ことで、無事、全員が飢えることなく陸地に帰還して助かることができました。船長の会社は慰謝料として商人Fvの食料・水代も含めて乗客に沢山のお金を払い、遭難責任については和解しました。
しかしハッピーエンドでは終わりません。商人Fvが自らが所有する食料を救命ボートの中で無理矢理船長と乗組員が簒奪したとして船長を訴えたのです。さて、船長は強盗罪かなにかで罪になってしまうのでしょうか?
結論からいいますと、答えはNoです。日本国の裁判において船長の判断の正当性(無罪)が認められることは確実と思います。根拠として、生命を守るための抵抗権は財産権の上位に立つというのが近代法の理念であり、刑法上の緊急避難が認められるケースとして考えてよいと思います。法益均衡の要件といわれて、船長が行動しなかった場合(七人が死亡し商人Fv一人だけ生き残る)と実際に起こった事象(商人Fvも含め八人全員生き残った、既に使われた食料・水の弁済も行われている)を比べます。そのとき、抵抗権(生命を守る権利)は財産権の上位に置かれるのです。抵抗権は人権の基盤です。僕は、最期の時まで法を遵守して生きて死ぬつもりなので、極東ブログfinalvent氏の今後のアタックに心身が限界を迎え耐え切れなくなったら自死しますが、それはあくまで僕の『法に殉ずる』という理念の信によるものであり、皆様方にはきちんと『抵抗権』というものがあります。それは、日本国憲法・日本国法律において実際にあり、運用されているものです(緊急避難)。どうかそのこと、「財産権とは決して絶対ではない」ということを、皆様方に知って頂ければ幸いです。先のCNNのニュースで僕が驚愕して絶望し真っ暗になったのもそのことです。なぜ「緊急避難」が適用されないんだ、アメリカは既に生命を守るための抵抗権より財産権が優先される社会なのかと思い、絶望的な気持ちになりました。
後、僕が法を遵守して最期は病苦貧困、そしてかの人物の未来永劫続くであろう仄めかしアタックなどの様々な要因の挙げく心身の全てを消耗して死ぬなら仕方ないと思っているのは、法に信をおく僕の気持ちもありますが、もう一つの気持ちは法と現実の乖離の甚だしいこの日本国に、それでも日本国の法を遵守してその挙句いずれ困窮死することでこの国に抗議する意図もあります。だからそれは山口良忠さんと同じく、僕の僕自身の個人的信念におけるわがままでもあります(自分の生き死にを自分で決意してきめてゆくことは、反ヒューマニズム的在り方、それはヒューマニズム的立場からみればわがままです。そのことを重々承知の上、覚悟して生きております)。僕のことを心配してくださっているお方々には、その点、ご心配をかけ本当に申し訳なく思います。ご善意ご慈悲、真なる心の奥底からとても感謝しております。僕は僕の理念「法の理念」を守り、日本国憲法と日本国法律を守ってこれからも生きてゆきます。
参考作品(amazon)
統治二論
一市民の反抗―良心の声に従う自由と権利
市民的不服従 (政治理論のパラダイム転換)
正当防衛論の基礎
六法全書 平成20年版
amazonトップページ
一市民の反抗―良心の声に従う自由と権利
極東ブログ運営者finalvent氏が真摯真剣にコメントするこの人物のことを酷く嘲笑するような形で仄めかして心かき乱していた酷い人物だったことを思い出します。そのことを思うととてもお気の毒に思います。狡猾なfinalvent氏の延々と続く仄めかし攻撃につけられた傷は深かったことを思うと、とても悲しく思います。僕もfinalvent氏から酷い狡猾無比な仄めかし攻撃を延々と受けておりこの身がどこまで持つかわかりません。僕の場合は周囲に迷惑を掛けたくないので、このまま今後もfinalvent氏が僕に執拗なアタックをずっと長年かけ続け、ついに僕の耐えられる心身の限界を超えて生存の苦しみが極限に達することありましたときは、身辺整理をして自死か餓死の道を選ぼうと思います。僕を最期に最終的に消去(デリート)するのは東浩紀氏でも宮台真司氏でもなく、狡猾無比なる仄めかしサディストであると思います。
僕は日本国の法を遵守いたします。僕は、神の代わりに自分の信を日本国憲法・日本国法律・カント的近代法の理念においているからです。僕の信ずるものは観念論的神ではなく『カント的近代法の法理念とその具象としての現実の実体法・手続法』です。だから僕はあくまで日本国の法を遵守するという形で、超右翼保守論陣の一員にして、常日頃からセンシティヴな人々を徹底的に傷つける文章を書き続け、貧しき人々を踏み潰して人々の心をズタズタにしてゆき、象徴天皇制を否定し戦前の神聖天皇制の復活を唱える(日本人は天皇陛下の奴隷であれ!と言い放つ)極東ブログ運営者finalvent氏と、日本国の法を守って法の枠内で全力で戦います。日本国憲法・日本国法律・カント的近代法(万人の公正)の理念を遵守して僕は振る舞い、その結果、死に倒れるとしても、山口良忠さんのように思えるかもしれないと思うからです。自らの心の裡なる誇りと倫理を捨てて生きのびるより、山口良忠さんのように生きることこそ、僕にとっての喜びです。
闇買いを拒否し餓死を選んだ二人
http://homepage1.nifty.com/zpe60314/se50-2.htm
「自分はソクラテスならねど食糧統制法の下、喜んで餓死するつもりだ敢然ヤミと闘って餓死するのだ自分の日々の生活は全く死の行進であった、判検事の中にもひそかにヤミ買いして何知らぬ顔で役所に出ているのに、自分だけは今かくして清い死の行進を続けていることを思うと全く病苦を忘れていい気持ちだ」(山口良忠)
ただ、これはあくまで僕の道であって、もし皆さんが、限界状況において生命の危機に晒されているときに、抵抗権に拠って自らの生命を守ろうとすることを僕は否定しません。抵抗権は財産権の上にあります。仮定の状況でご説明いたします。
小型船が遭難して、命がらがら救命ボートでの乗組員・乗客総員八人が脱出しました。無線機器が壊れており助けは呼べません。距離的測定と海流から計測されるボートの移動速度から最低でも十日すれば人家のある陸地にたどり着けます。しかし脱出時の混乱で食料が救命ボートから外れて落ちてしまいました。けれど幸いなことに、乗客の一人が商人で、八人が分け合って十日以上食べても持つ緊急時の保存食料・水を豊富に持ってボートに乗っていました。船長はその食料をみなで分け合えれば全員生きて帰還できると考え、食料の分配を要求しました。他の六人も分配を主張しました。しかし、強欲で冷酷無比な商人は言いました。
商人Fv「これは法に認められた俺の所有物であり、俺の最終弁当だ。俺は財産権の独立を主張する。誰にも食料は渡さない俺一人で食べるお前らは勝手に飢えろ!!」
船長は商人Fvを懸命に説得しましたが商人Fvは耳を貸しません。三日が立ち、乗客の女性が既に生命の危険水域に入ってきました。船長は超法規的判断を下して乗組員とともにこの商人Fvを一時的に拘束して食料・水を確保し、その後、女性に食料と水を優先的に与えて回復させ、食料・水を基本的に平等に分配する(ただし、心身が弱っている人には多めに分配する。勿論、商人Fvにも、彼は頑強だったが平等に分配する)ことで、無事、全員が飢えることなく陸地に帰還して助かることができました。船長の会社は慰謝料として商人Fvの食料・水代も含めて乗客に沢山のお金を払い、遭難責任については和解しました。
しかしハッピーエンドでは終わりません。商人Fvが自らが所有する食料を救命ボートの中で無理矢理船長と乗組員が簒奪したとして船長を訴えたのです。さて、船長は強盗罪かなにかで罪になってしまうのでしょうか?
結論からいいますと、答えはNoです。日本国の裁判において船長の判断の正当性(無罪)が認められることは確実と思います。根拠として、生命を守るための抵抗権は財産権の上位に立つというのが近代法の理念であり、刑法上の緊急避難が認められるケースとして考えてよいと思います。法益均衡の要件といわれて、船長が行動しなかった場合(七人が死亡し商人Fv一人だけ生き残る)と実際に起こった事象(商人Fvも含め八人全員生き残った、既に使われた食料・水の弁済も行われている)を比べます。そのとき、抵抗権(生命を守る権利)は財産権の上位に置かれるのです。抵抗権は人権の基盤です。僕は、最期の時まで法を遵守して生きて死ぬつもりなので、極東ブログfinalvent氏の今後のアタックに心身が限界を迎え耐え切れなくなったら自死しますが、それはあくまで僕の『法に殉ずる』という理念の信によるものであり、皆様方にはきちんと『抵抗権』というものがあります。それは、日本国憲法・日本国法律において実際にあり、運用されているものです(緊急避難)。どうかそのこと、「財産権とは決して絶対ではない」ということを、皆様方に知って頂ければ幸いです。先のCNNのニュースで僕が驚愕して絶望し真っ暗になったのもそのことです。なぜ「緊急避難」が適用されないんだ、アメリカは既に生命を守るための抵抗権より財産権が優先される社会なのかと思い、絶望的な気持ちになりました。
後、僕が法を遵守して最期は病苦貧困、そしてかの人物の未来永劫続くであろう仄めかしアタックなどの様々な要因の挙げく心身の全てを消耗して死ぬなら仕方ないと思っているのは、法に信をおく僕の気持ちもありますが、もう一つの気持ちは法と現実の乖離の甚だしいこの日本国に、それでも日本国の法を遵守してその挙句いずれ困窮死することでこの国に抗議する意図もあります。だからそれは山口良忠さんと同じく、僕の僕自身の個人的信念におけるわがままでもあります(自分の生き死にを自分で決意してきめてゆくことは、反ヒューマニズム的在り方、それはヒューマニズム的立場からみればわがままです。そのことを重々承知の上、覚悟して生きております)。僕のことを心配してくださっているお方々には、その点、ご心配をかけ本当に申し訳なく思います。ご善意ご慈悲、真なる心の奥底からとても感謝しております。僕は僕の理念「法の理念」を守り、日本国憲法と日本国法律を守ってこれからも生きてゆきます。
「自分はソクラテスならねど食糧統制法の下、喜んで餓死するつもりだ敢然ヤミと闘って餓死するのだ自分の日々の生活は全く死の行進であった、判検事の中にもひそかにヤミ買いして何知らぬ顔で役所に出ているのに、自分だけは今かくして清い死の行進を続けていることを思うと全く病苦を忘れていい気持ちだ」(山口良忠)
参考作品(amazon)
統治二論
一市民の反抗―良心の声に従う自由と権利
市民的不服従 (政治理論のパラダイム転換)
正当防衛論の基礎
六法全書 平成20年版
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