2008年11月09日 11:08
同人誌即売会やアニメ等が利用されることについて、閨閥と人脈と富の階級性の壁について
江藤淳コレクション 全4巻セット
栗の樹 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
本エントリは先日のエントリ「薩長閥と軍閥と東大(旧帝大)閥と同人誌即売会と、システムについて 」の補足であり続きです。
上位層・支配層に属する人物達の閨閥と人脈を追っていくことで、エスタブリッシュメント層(政治家・キャリア官僚等)と準・エスタブリッシュメント層(上流アカデミズム層・大手出版層等)が共生関係にあり、彼らは下位(閨閥と人脈を持たないその他大勢の層)とは、一線を画していることが分かります。特に大きいのは閨閥で、ここから外されているもの(生まれつき閨閥に属さないもの)は、どんなに、準・エスタブリッシュメントに媚を売っても、せいぜいが、上級奴隷にされるだけです。
それは今回の催しに進入してくるものにおいてはっきりと現れるでしょう。結局のところ、先日のエントリで呉智英さんが指摘している某学者の上位階級としての閨閥と人脈と同じように、今回の催しに進入してくる重大な人物達も閨閥と人脈を持っています。その閨閥と人脈を調べれば、彼ら(上流アカデミズム層などの準・エスタブリッシュメント層)が、エスタブリッシュメント層と共生関係にあり、極めて専制的な上位グループに属し、そのグループには、大勢の市井の人々は決して入れないことが分かるでしょう(甘粕人脈等の戦前から続く上位階級人脈、甘粕人脈は佐野眞一「甘粕正彦乱心の曠野」が詳しいです。後、僕は、甘粕人脈を粘り強く追った佐野眞一さんのジャーナリストとしての力量には敬意を表しますが、甘粕を英雄視する佐野眞一さんの意見は支持できません。大杉栄虐殺事件は甘粕の犯行と僕は考えています)。
そして、彼ら(大学の高位に属する上流アカデミズム層)が現状肯定の為に利用するアニメ等の娯楽メディアは、3S政策の継続であり、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(江藤淳「閉された言語空間」)に継続的に組み込まれています。今回のような自発的文学的試みを、大手出版社による資本化による娯楽メディアの位置に移転することによって、多くの下層の人々の目が逸らされ、僕のような下層の更に下の貧困層は貧困の挙句死んでゆくことに、人々は誰も眼を向けないでしょう。貧困層が貧困の果てでひっそりと死んでゆく中、いつ貧困層に陥るか分からない下層の人々が、視聴的娯楽慰安により、そのことから眼をそむけています。
人間は結局、強者に対して弱く、権威・権力に弱く、自らを肯定するもの、強いものに付きたがる、それが弱い層をスケープゴートにし、虐殺などの悲劇を生んでゆくのです(小林秀雄「栗の樹」)。それを上手に利用したのが、政治のパフォーマンスであり、麻生首相の大衆向けパフォーマンスと、アニメについて語ったりしている準・エスタブリッシュメントの上流アカデミシャンのパフォーマンスは同一性を持つものなのです。
今回の催しで、上流アカデミシャンと組んだ大手資本(大手出版社)の参入に嬉しがって乗るのではなく、どうかそのこと(現状保持の為の支配システムに乗せられるということ)に気づいてください。僕はうつ病で失業しており収入もなく無年金障害者で生活保護も、「若い」とかいう理由(稼動年齢)などで跳ねられているので、近年においては貧困の挙句死んでゆくでしょう。そして、それは、TVを通した視聴娯楽によって、下層にいながらも、社会について考えることをせず現状に満足している人々に、いつ同じ運命が訪れるかも知れないものなのです。
もし、自ら社会のことについて、確り考える自らの意志ある人がいるならば、先に挙げたようなパフォーマンスをして、貧困層を結果的に見殺しにすることを目論んでいる大学に高い位置で属する上流アカデミシャン達の閨閥及びアカデミズムの人脈を調べてみてください。そうすれば、なぜ、そういった人物らが、なぜ金融危機の今、急にアニメの話を始めたりしているのか分かるでしょう。
極論すれば、アニメを見ている人々が、貧しい人々や社会について考えないようにさせる、そして自分が貧しい人々、貧困の挙句死んでゆく人々になる可能性があることを、考えないようにさせる、そういった機能を大学に高位で属する上流アカデミシャン達の一部が担っていることが、よくわかると思います。
僕は、精神疾患の治療で、デイケアに出ていて、病を抱えておられる元アニメーターの方とかとも、そこでお知り合いになりました。アニメーターの方は、非常に貧困かつ精神的にも肉体的にも厳しい生活を強いられています。そして、娯楽産業は、景気の悪化と共に、下降していく産業です。こういった病を抱える方々は、増えてゆくと思われます。それは、金融危機に現れるように社会システム及び経済システムの問題です。
しかし、今現在、そういった娯楽産業の衰退を、読者(視聴者)の責任に押し付ける上流アカデミシャン達がいます。そういった人々は、自らの既得権益(準・エスタブリッシュメント層としての権益)のために動いているのであって、決して、オタク文化の為に動いているのではありません。麻生首相がオタク文化を利用しているように、彼ら(オタク文化について語る上流アカデミシャン達、大学に高位で属する閨閥・人脈持つ上流アカデミシャン達)も、オタク文化を利用して、先日書きました、社会の階層性の壁を守る為に動いているのです。彼ら上流アカデミシャンは自由と自己責任を僭称することで、自由とは程遠い現在のシステムを肯定し、階級性の壁を守るために動いているのです。
自らの意志で考えることのできる、権威・権力に畏怖しない方々、本当の自由の志をお持ちになるお方々は、今回の催しに絡んでいる、アニメの視聴者を批判する上流アカデミシャン達の閨閥と人脈を調査してみるといいと思います。彼らが、呉智英さんが指摘した、某教授と同じく、社会の階層性の少数上位として存在する、社会の人々の眼を真実から逸らし、結果、現社会の階級性の壁を保持し、その結果、最終的には貧困層を見殺しにする為に動いていることが、見えてくると思います。
日本国において貧困層出身で、社会的高位の影響力・政治力持つ政治家・大学教授などになった人々は、現代においてほぼ皆無です。それは、日本国の封建的システムが、下位には見えずらい社会システムとして極めて高度に完成しつつあることを示しています。社会的高位の影響力持つ政治家・大学教授などは、閨閥による、生まれ持ってのエスタブリッシュメント層であり、それは、政略結婚などのシステムによって強化されます。日本国の上位支配層は、極めて封建的であり、それと共生関係にある上流アカデミシャン達もまた、閨閥と人脈のなかで、現代日本国の封建的支配を支えています。
そして、それが、本来なら、自由であるべき、オタク文化などのアートの中にも権威・権力として潜り込み、政治的な意味を持って動いているのです。
僕は、現在の社会情勢の推移(金融危機)と自身の置かれた社会環境(失業)と自身の病状(精神疾患うつ病)から見て、ほぼ確実に、近年中に、三十代のうちに貧困や病気で死ぬであろうと予想しています。だから、いつも、遺言の気持ちで、少しでも伝えたい、自ら考える力のある人、自由から逃走しない力のある人に、現在の社会システムと、そのために、上位・準上位の人々が、決して、大勢の下位の人々のことを考えていない、麻生首相がオタク文化を利用しているように、上流アカデミシャンもオタク文化を利用して、階級性の壁の維持を図っていることを、どうか、考えて欲しいと願っています。
閨閥と人脈と富が、支配層である上位の支配の仕組みです。小林秀雄さんがいうように、人は権威(アカデミズム)・権力(政治力・金権力)に弱い、それを利用して、彼らは、特権的上位の位置を確保しており、その確保の為に動いている、どうか、そのことを、上位ではない人々、大勢の人々に、考えて欲しいと、僕は心から願っています。
このようなシステムを、少しでも、変えてゆかないと、少数の特権層だけがますます富み栄え、それ以外の大勢の人々が貧しく不幸になるばかりだと思います。それは、人間という存在にとって、とても悲しむべきことと、僕は思います。
参考作品(amazon)
江藤淳コレクション 全4巻セット
閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)
栗の樹 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
自由からの逃走 新版
甘粕正彦乱心の曠野
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栗の樹 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
本エントリは先日のエントリ「薩長閥と軍閥と東大(旧帝大)閥と同人誌即売会と、システムについて 」の補足であり続きです。
上位層・支配層に属する人物達の閨閥と人脈を追っていくことで、エスタブリッシュメント層(政治家・キャリア官僚等)と準・エスタブリッシュメント層(上流アカデミズム層・大手出版層等)が共生関係にあり、彼らは下位(閨閥と人脈を持たないその他大勢の層)とは、一線を画していることが分かります。特に大きいのは閨閥で、ここから外されているもの(生まれつき閨閥に属さないもの)は、どんなに、準・エスタブリッシュメントに媚を売っても、せいぜいが、上級奴隷にされるだけです。
それは今回の催しに進入してくるものにおいてはっきりと現れるでしょう。結局のところ、先日のエントリで呉智英さんが指摘している某学者の上位階級としての閨閥と人脈と同じように、今回の催しに進入してくる重大な人物達も閨閥と人脈を持っています。その閨閥と人脈を調べれば、彼ら(上流アカデミズム層などの準・エスタブリッシュメント層)が、エスタブリッシュメント層と共生関係にあり、極めて専制的な上位グループに属し、そのグループには、大勢の市井の人々は決して入れないことが分かるでしょう(甘粕人脈等の戦前から続く上位階級人脈、甘粕人脈は佐野眞一「甘粕正彦乱心の曠野」が詳しいです。後、僕は、甘粕人脈を粘り強く追った佐野眞一さんのジャーナリストとしての力量には敬意を表しますが、甘粕を英雄視する佐野眞一さんの意見は支持できません。大杉栄虐殺事件は甘粕の犯行と僕は考えています)。
そして、彼ら(大学の高位に属する上流アカデミズム層)が現状肯定の為に利用するアニメ等の娯楽メディアは、3S政策の継続であり、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(江藤淳「閉された言語空間」)に継続的に組み込まれています。今回のような自発的文学的試みを、大手出版社による資本化による娯楽メディアの位置に移転することによって、多くの下層の人々の目が逸らされ、僕のような下層の更に下の貧困層は貧困の挙句死んでゆくことに、人々は誰も眼を向けないでしょう。貧困層が貧困の果てでひっそりと死んでゆく中、いつ貧困層に陥るか分からない下層の人々が、視聴的娯楽慰安により、そのことから眼をそむけています。
眼に見える戦争(第二次世界大戦)は(日本の敗北により)終わったが、眼に見えない戦争、思想と文化の殲滅戦が、一方的に開始されようとしていたのである。
(江藤淳「閉された言語空間」「江藤淳コレクション第一巻」収録より)
人間は結局、強者に対して弱く、権威・権力に弱く、自らを肯定するもの、強いものに付きたがる、それが弱い層をスケープゴートにし、虐殺などの悲劇を生んでゆくのです(小林秀雄「栗の樹」)。それを上手に利用したのが、政治のパフォーマンスであり、麻生首相の大衆向けパフォーマンスと、アニメについて語ったりしている準・エスタブリッシュメントの上流アカデミシャンのパフォーマンスは同一性を持つものなのです。
獣物達にとって、他に勝とうとする邪念ほど強いものはない。それなら、勝つ見込みがない者が、勝つ見込みのある者に、どうして屈従し味方しない筈があるか。
(小林秀雄「栗の樹」)
今回の催しで、上流アカデミシャンと組んだ大手資本(大手出版社)の参入に嬉しがって乗るのではなく、どうかそのこと(現状保持の為の支配システムに乗せられるということ)に気づいてください。僕はうつ病で失業しており収入もなく無年金障害者で生活保護も、「若い」とかいう理由(稼動年齢)などで跳ねられているので、近年においては貧困の挙句死んでゆくでしょう。そして、それは、TVを通した視聴娯楽によって、下層にいながらも、社会について考えることをせず現状に満足している人々に、いつ同じ運命が訪れるかも知れないものなのです。
もし、自ら社会のことについて、確り考える自らの意志ある人がいるならば、先に挙げたようなパフォーマンスをして、貧困層を結果的に見殺しにすることを目論んでいる大学に高い位置で属する上流アカデミシャン達の閨閥及びアカデミズムの人脈を調べてみてください。そうすれば、なぜ、そういった人物らが、なぜ金融危機の今、急にアニメの話を始めたりしているのか分かるでしょう。
極論すれば、アニメを見ている人々が、貧しい人々や社会について考えないようにさせる、そして自分が貧しい人々、貧困の挙句死んでゆく人々になる可能性があることを、考えないようにさせる、そういった機能を大学に高位で属する上流アカデミシャン達の一部が担っていることが、よくわかると思います。
僕は、精神疾患の治療で、デイケアに出ていて、病を抱えておられる元アニメーターの方とかとも、そこでお知り合いになりました。アニメーターの方は、非常に貧困かつ精神的にも肉体的にも厳しい生活を強いられています。そして、娯楽産業は、景気の悪化と共に、下降していく産業です。こういった病を抱える方々は、増えてゆくと思われます。それは、金融危機に現れるように社会システム及び経済システムの問題です。
しかし、今現在、そういった娯楽産業の衰退を、読者(視聴者)の責任に押し付ける上流アカデミシャン達がいます。そういった人々は、自らの既得権益(準・エスタブリッシュメント層としての権益)のために動いているのであって、決して、オタク文化の為に動いているのではありません。麻生首相がオタク文化を利用しているように、彼ら(オタク文化について語る上流アカデミシャン達、大学に高位で属する閨閥・人脈持つ上流アカデミシャン達)も、オタク文化を利用して、先日書きました、社会の階層性の壁を守る為に動いているのです。彼ら上流アカデミシャンは自由と自己責任を僭称することで、自由とは程遠い現在のシステムを肯定し、階級性の壁を守るために動いているのです。
自らの意志で考えることのできる、権威・権力に畏怖しない方々、本当の自由の志をお持ちになるお方々は、今回の催しに絡んでいる、アニメの視聴者を批判する上流アカデミシャン達の閨閥と人脈を調査してみるといいと思います。彼らが、呉智英さんが指摘した、某教授と同じく、社会の階層性の少数上位として存在する、社会の人々の眼を真実から逸らし、結果、現社会の階級性の壁を保持し、その結果、最終的には貧困層を見殺しにする為に動いていることが、見えてくると思います。
日本国において貧困層出身で、社会的高位の影響力・政治力持つ政治家・大学教授などになった人々は、現代においてほぼ皆無です。それは、日本国の封建的システムが、下位には見えずらい社会システムとして極めて高度に完成しつつあることを示しています。社会的高位の影響力持つ政治家・大学教授などは、閨閥による、生まれ持ってのエスタブリッシュメント層であり、それは、政略結婚などのシステムによって強化されます。日本国の上位支配層は、極めて封建的であり、それと共生関係にある上流アカデミシャン達もまた、閨閥と人脈のなかで、現代日本国の封建的支配を支えています。
そして、それが、本来なら、自由であるべき、オタク文化などのアートの中にも権威・権力として潜り込み、政治的な意味を持って動いているのです。
僕は、現在の社会情勢の推移(金融危機)と自身の置かれた社会環境(失業)と自身の病状(精神疾患うつ病)から見て、ほぼ確実に、近年中に、三十代のうちに貧困や病気で死ぬであろうと予想しています。だから、いつも、遺言の気持ちで、少しでも伝えたい、自ら考える力のある人、自由から逃走しない力のある人に、現在の社会システムと、そのために、上位・準上位の人々が、決して、大勢の下位の人々のことを考えていない、麻生首相がオタク文化を利用しているように、上流アカデミシャンもオタク文化を利用して、階級性の壁の維持を図っていることを、どうか、考えて欲しいと願っています。
閨閥と人脈と富が、支配層である上位の支配の仕組みです。小林秀雄さんがいうように、人は権威(アカデミズム)・権力(政治力・金権力)に弱い、それを利用して、彼らは、特権的上位の位置を確保しており、その確保の為に動いている、どうか、そのことを、上位ではない人々、大勢の人々に、考えて欲しいと、僕は心から願っています。
このようなシステムを、少しでも、変えてゆかないと、少数の特権層だけがますます富み栄え、それ以外の大勢の人々が貧しく不幸になるばかりだと思います。それは、人間という存在にとって、とても悲しむべきことと、僕は思います。
参考作品(amazon)
江藤淳コレクション 全4巻セット
閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)
栗の樹 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
自由からの逃走 新版
甘粕正彦乱心の曠野
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