2008年11月08日 03:18
貧困と、同人誌即売会と、権威・権力と、生命と生命の絆について。
食料&飲料ストア
対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)
文学系・思想系の同人誌即売会が行われるそうです。僕もほんの僅かばかり、対談という形で以前、今回出品される同人誌に協力をさせて頂きましたが、僕がうつ病になった後の協力なので、以前のような明るさは僕の言葉には全くないです。また昨日より風邪が酷くなり、現在咳が止まらず、咳き込みながら本文を書いているのですが、不眠症状も酷く、また、数週間前より病院通院以外はほとんど寝たきり状態なので、即売会に行くことは出来ません。現場での協力できず、とても申し訳なく思います。
うつ病になった後、うつ病と抗うつ剤の副作用(僕の飲んでいる抗うつ薬は副作用で性欲を減退・消滅させます、またうつ病自体も性的欲望を含めたあらゆる欲望を減退させます)で、性的な欲望がなく、他にも、欲望がなくなってしまった感じで、生きながら死んでいるような幽霊のような状態です。同人誌に協力させて頂いた時、18禁ゲームについて聞かれましたのでお答えいたしましたが、既にその時に性的な関心が全般的にない状態でしたので、エロティックなことについては一切語らず、18禁ゲームの構造的なことしか、述べておりません。協力させて頂いた同人誌には僕よりも非常に優れた才能あるお方々が多数執筆されております。僕の言葉が、協力させて頂いた同人誌のなかで一番面白みに欠けている暗い文章かと思います。無力でお役立てできず、本当に申し訳ありません。
今回の同人誌即売会が大きく取り上げられるのはマスメディア(出版社)やアカデミズム(大学)の権威・権力によるものですが、僕は権威・権力というものを、皆様方も、ご自身の安全の為にも、余り信用しない方が皆様方の大事な生命の為にもよろしいかと思います。権威・権力というものは、それだけで具体的な個々人を畏怖させ従わせる、支配する幻想的影響力を持ちますが、そういった幻想は実体的な救済を必要とする個々人を救いません。
それは、これはあくまで僕の体験で完全な普遍化はできませんが、僕はずっと書いております通り、日本国の棄民のような存在(うつ病・無職・貧困)であり、国家から救済を拒否されている層です。僕は、生活保護は稼動年齢とか制限が厳しくはねられ、無年金なので、障害等級が認められても、障害年金が出ない、無年金障害者です。
少なくとも、僕のように、大勢の貧困層が、生活保護などの社会福祉という権威・権力の掲げる平等(生存権)が観念的なものに過ぎず、実は日本国において社会福祉は実質機能破綻していることで、とても苦しんでいます。日本国が掲げる近代ヒューマニズムという権威は観念的権威であり、実態としての社会保障とは掛け離れたものです。精神疾患を発病し失業して、生活が困窮して、そのことがやっと分かりました。観念的な権威は食べることが出来ません。
『おしゃべりはいくらでも生産可能ですが、食べられません』(村上龍「愛と幻想のファシズム」)。この言葉通り、観念的な討議、観念的な言葉の連なりは、食べることができません。食べ物は、現在の日本では基本的に貨幣としか交換できません。そして、貨幣を手に入れるには労働しかなく、僕のように病気などで労働ができなくなったら、貧困層(後ろ盾のない貯蓄のない孤立した層)は基本的には死ぬだけの運命です。人間の生死を分けるのは、善悪でも正義でも神でもなく、実体的富の有無です。
先よりからずっと何ヶ月も前から僕が書いておりますが、ここ数ヶ月、精神疾患(うつ病)と心身症と心身の不調と失業による生活困窮により、非常に厳しい状態で、どうしようもなくなって、国に助けを求めましたが(生活保護)、通りませんでした。近代ヒューマニズムという権威を掲げ、実際の権力(財貨)を持っている日本国は、社会福祉に対して、極めて冷淡です。
今、生きていられるのは、ギフト券を贈ってくださるお方、アフィリエイトで買い物してくださるお方々のおかげであり、それは、権威・権力とは関係のない、僕を個人的に助けてくださるお方々のおかげで、なんとか必死に生きのびております。それは観念的な権威(生存権・人権などの近代ヒューマニズムやそれを土台とするアカデミズムといった権威)や巨大な権力(国家機構やマスメディア)とは、関係のない、完全な個々のお方のお優しい心によるご慈悲ご善意によるものです。僕を生きのびさせてくださるお方々に僕は心から感謝しています。感謝のお気持ちしかご恩に応えることができず、本当に申し訳なく、涙が滲みます。
権威・権力(国家・マスメディア・アカデミズム等)というものを簡単に信ずるのではなく、それを疑う眼を養うことが、貧しき人々が生きのびるために、大切なことだと僕は思います。国家という巨大な権威・権力、そして国家の抽象性・観念性を補強する大学などのアカデミズムや出版社のようなマスメディアといった巨大な権威・権力は、具体的個々人を無視して、抽象的にして観念的なことに対しての働きかけとして存在するので、僕のような、個人的貧困者を助けてはくれません。
抽象的・観念的な理論よりも、生きのびるために今必要な一枚のパンのことを考えるということを、生活困窮状態になって、始めて真の意味で経験として僕は学んだように思います。抽象的・観念的な理論よりも、具体的に、どうやれば、この、ヒューマニズムという飾りを脱げば、その実態は弱肉強食である世界で生きていけるか、そして死がどうしても避けられないとき、どのように死んでゆくか、ということを、具体的に考えることが大切だと、僕は思っています。観念(思い)は食べられません。実在する食べ物だけが食べられます。そのことを忘れてはならないと思います。
僕が後悔して思うのは、人と人との絆というものを、もっと大切にすべきだったと、過去を顧みて、思います。僕が山田風太郎さんの「人間臨終図巻」を引用して昨日のエントリに書きました様に、石川啄木は、石川啄木に無償で贈与してくれた夏目漱石の奥さんや朝日新聞社の友人達や郷土の親友金田一京助がいなかったら、もっと早くに貧困死していたことでしょう。
僕も、今、咳が止まらなくて、苦しくて、痛くて、僕は独身者で猫と暮らしているので、孤立した貧困者として、今すぐにではないにしても、いずれは近年に死する運命は避けえられないであろうかと、ひどく悲観的になっております。人の生死を分かつものは善悪でも神でも正義でもありません。実体的な富があるかないか、それが人の生死を分かちます。食べ物がなければ人は生きてゆくことができません。そして、以前の僕は実体的な富について、非常に甘い考え、近代ヒューマニズムによる権威・権力が生存を保障してくれるかと思っていました。それは全くの幻想であったこと、近代ヒューマニズムとは、少なくとも日本国に生きる僕にとっては、ただの飾り、食べられないヴェールに過ぎないことを、生活が非常に困窮して始めて、思い知らされました。
僕のような愚かな人間の轍を踏まぬためにも、どうか、皆様方には、抽象的・観念的な理論やそういった理論に基づく食べれないお喋りよりも、人と人との実体的な絆、生命と生命の実体的な絆、食べること、そして家族や友人達、周囲の人々と仲良くするということを、大切にして欲しいです。自他の生命を共に大事にして欲しいと心から願っています。それは、観念的・抽象的な権威・権力よりも、遥かに確りした、具体的で実体的な生命と生命の絆です。
古い共同体の絆(実体的な人と人との絆)が破壊された現代において、擬制的な大きな権威・権力(国家・マスメディア・アカデミズム等)に人は頼ろうとします。しかし、それらは巨大にして情のないメカニズムに過ぎず、個々人の救済とは、実は実体的に関係していません。それはただ、そのメカニズムの上位にいるものが下位のものを実体的に利用・搾取するものとして働く機構、幻想的なものを実体的な搾取に代えるシステムです。それは下位のものを救ってくれません。貧困の僕を、権威・権力、すなわち、国家も、マスメディアの権力者も、アカデミズムの権力者も、誰も救ってくれませんでした。僕を救ってくれたのは、個として、お優しいご善意ご慈悲を持つお方々、そういったお方々の私的なご慈悲によって、生かさせて頂いております。また、種は違いますが、僕は猫を飼っていて、気力が猫のおかげでとても支えられ、助けられています。
個々人の絆は、実体的な個々人同士で築き上げるしかないものです。それは、観念的・抽象的な理論ではなく、実体としての絆、生命と生命の間の絆です。そういったものを、皆様方が大事にしてくださることを、僕は心から望んでおります。
参考作品(amazon)
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愛と幻想のファシズム〈上〉 (講談社文庫)
愛と幻想のファシズム〈下〉 (講談社文庫)
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対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)
文学系・思想系の同人誌即売会が行われるそうです。僕もほんの僅かばかり、対談という形で以前、今回出品される同人誌に協力をさせて頂きましたが、僕がうつ病になった後の協力なので、以前のような明るさは僕の言葉には全くないです。また昨日より風邪が酷くなり、現在咳が止まらず、咳き込みながら本文を書いているのですが、不眠症状も酷く、また、数週間前より病院通院以外はほとんど寝たきり状態なので、即売会に行くことは出来ません。現場での協力できず、とても申し訳なく思います。
うつ病になった後、うつ病と抗うつ剤の副作用(僕の飲んでいる抗うつ薬は副作用で性欲を減退・消滅させます、またうつ病自体も性的欲望を含めたあらゆる欲望を減退させます)で、性的な欲望がなく、他にも、欲望がなくなってしまった感じで、生きながら死んでいるような幽霊のような状態です。同人誌に協力させて頂いた時、18禁ゲームについて聞かれましたのでお答えいたしましたが、既にその時に性的な関心が全般的にない状態でしたので、エロティックなことについては一切語らず、18禁ゲームの構造的なことしか、述べておりません。協力させて頂いた同人誌には僕よりも非常に優れた才能あるお方々が多数執筆されております。僕の言葉が、協力させて頂いた同人誌のなかで一番面白みに欠けている暗い文章かと思います。無力でお役立てできず、本当に申し訳ありません。
今回の同人誌即売会が大きく取り上げられるのはマスメディア(出版社)やアカデミズム(大学)の権威・権力によるものですが、僕は権威・権力というものを、皆様方も、ご自身の安全の為にも、余り信用しない方が皆様方の大事な生命の為にもよろしいかと思います。権威・権力というものは、それだけで具体的な個々人を畏怖させ従わせる、支配する幻想的影響力を持ちますが、そういった幻想は実体的な救済を必要とする個々人を救いません。
それは、これはあくまで僕の体験で完全な普遍化はできませんが、僕はずっと書いております通り、日本国の棄民のような存在(うつ病・無職・貧困)であり、国家から救済を拒否されている層です。僕は、生活保護は稼動年齢とか制限が厳しくはねられ、無年金なので、障害等級が認められても、障害年金が出ない、無年金障害者です。
少なくとも、僕のように、大勢の貧困層が、生活保護などの社会福祉という権威・権力の掲げる平等(生存権)が観念的なものに過ぎず、実は日本国において社会福祉は実質機能破綻していることで、とても苦しんでいます。日本国が掲げる近代ヒューマニズムという権威は観念的権威であり、実態としての社会保障とは掛け離れたものです。精神疾患を発病し失業して、生活が困窮して、そのことがやっと分かりました。観念的な権威は食べることが出来ません。
『おしゃべりはいくらでも生産可能ですが、食べられません』(村上龍「愛と幻想のファシズム」)。この言葉通り、観念的な討議、観念的な言葉の連なりは、食べることができません。食べ物は、現在の日本では基本的に貨幣としか交換できません。そして、貨幣を手に入れるには労働しかなく、僕のように病気などで労働ができなくなったら、貧困層(後ろ盾のない貯蓄のない孤立した層)は基本的には死ぬだけの運命です。人間の生死を分けるのは、善悪でも正義でも神でもなく、実体的富の有無です。
先よりからずっと何ヶ月も前から僕が書いておりますが、ここ数ヶ月、精神疾患(うつ病)と心身症と心身の不調と失業による生活困窮により、非常に厳しい状態で、どうしようもなくなって、国に助けを求めましたが(生活保護)、通りませんでした。近代ヒューマニズムという権威を掲げ、実際の権力(財貨)を持っている日本国は、社会福祉に対して、極めて冷淡です。
今、生きていられるのは、ギフト券を贈ってくださるお方、アフィリエイトで買い物してくださるお方々のおかげであり、それは、権威・権力とは関係のない、僕を個人的に助けてくださるお方々のおかげで、なんとか必死に生きのびております。それは観念的な権威(生存権・人権などの近代ヒューマニズムやそれを土台とするアカデミズムといった権威)や巨大な権力(国家機構やマスメディア)とは、関係のない、完全な個々のお方のお優しい心によるご慈悲ご善意によるものです。僕を生きのびさせてくださるお方々に僕は心から感謝しています。感謝のお気持ちしかご恩に応えることができず、本当に申し訳なく、涙が滲みます。
権威・権力(国家・マスメディア・アカデミズム等)というものを簡単に信ずるのではなく、それを疑う眼を養うことが、貧しき人々が生きのびるために、大切なことだと僕は思います。国家という巨大な権威・権力、そして国家の抽象性・観念性を補強する大学などのアカデミズムや出版社のようなマスメディアといった巨大な権威・権力は、具体的個々人を無視して、抽象的にして観念的なことに対しての働きかけとして存在するので、僕のような、個人的貧困者を助けてはくれません。
抽象的・観念的な理論よりも、生きのびるために今必要な一枚のパンのことを考えるということを、生活困窮状態になって、始めて真の意味で経験として僕は学んだように思います。抽象的・観念的な理論よりも、具体的に、どうやれば、この、ヒューマニズムという飾りを脱げば、その実態は弱肉強食である世界で生きていけるか、そして死がどうしても避けられないとき、どのように死んでゆくか、ということを、具体的に考えることが大切だと、僕は思っています。観念(思い)は食べられません。実在する食べ物だけが食べられます。そのことを忘れてはならないと思います。
僕が後悔して思うのは、人と人との絆というものを、もっと大切にすべきだったと、過去を顧みて、思います。僕が山田風太郎さんの「人間臨終図巻」を引用して昨日のエントリに書きました様に、石川啄木は、石川啄木に無償で贈与してくれた夏目漱石の奥さんや朝日新聞社の友人達や郷土の親友金田一京助がいなかったら、もっと早くに貧困死していたことでしょう。
僕も、今、咳が止まらなくて、苦しくて、痛くて、僕は独身者で猫と暮らしているので、孤立した貧困者として、今すぐにではないにしても、いずれは近年に死する運命は避けえられないであろうかと、ひどく悲観的になっております。人の生死を分かつものは善悪でも神でも正義でもありません。実体的な富があるかないか、それが人の生死を分かちます。食べ物がなければ人は生きてゆくことができません。そして、以前の僕は実体的な富について、非常に甘い考え、近代ヒューマニズムによる権威・権力が生存を保障してくれるかと思っていました。それは全くの幻想であったこと、近代ヒューマニズムとは、少なくとも日本国に生きる僕にとっては、ただの飾り、食べられないヴェールに過ぎないことを、生活が非常に困窮して始めて、思い知らされました。
僕のような愚かな人間の轍を踏まぬためにも、どうか、皆様方には、抽象的・観念的な理論やそういった理論に基づく食べれないお喋りよりも、人と人との実体的な絆、生命と生命の実体的な絆、食べること、そして家族や友人達、周囲の人々と仲良くするということを、大切にして欲しいです。自他の生命を共に大事にして欲しいと心から願っています。それは、観念的・抽象的な権威・権力よりも、遥かに確りした、具体的で実体的な生命と生命の絆です。
古い共同体の絆(実体的な人と人との絆)が破壊された現代において、擬制的な大きな権威・権力(国家・マスメディア・アカデミズム等)に人は頼ろうとします。しかし、それらは巨大にして情のないメカニズムに過ぎず、個々人の救済とは、実は実体的に関係していません。それはただ、そのメカニズムの上位にいるものが下位のものを実体的に利用・搾取するものとして働く機構、幻想的なものを実体的な搾取に代えるシステムです。それは下位のものを救ってくれません。貧困の僕を、権威・権力、すなわち、国家も、マスメディアの権力者も、アカデミズムの権力者も、誰も救ってくれませんでした。僕を救ってくれたのは、個として、お優しいご善意ご慈悲を持つお方々、そういったお方々の私的なご慈悲によって、生かさせて頂いております。また、種は違いますが、僕は猫を飼っていて、気力が猫のおかげでとても支えられ、助けられています。
個々人の絆は、実体的な個々人同士で築き上げるしかないものです。それは、観念的・抽象的な理論ではなく、実体としての絆、生命と生命の間の絆です。そういったものを、皆様方が大事にしてくださることを、僕は心から望んでおります。
エミリー・ディキンスン
「If I can stop one Heart from breaking」
もし一つの心が砕かれるのを止めることができたなら
私の生きたことも無駄ではなくなる
もし一つの生命の痛みを和らげ
一つの苦悩を冷やし
一羽の気を失っている駒鳥を
巣に戻すことができるなら
私の生きたことも無駄ではなくなる
参考作品(amazon)
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対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)
対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)
自然と愛と孤独と ― ディキンスン詩集
自然と愛と孤独と 続 改訂版―詩集 (2)
自然と愛と孤独と 続々―詩集 (3)
自然と愛と孤独と―エミリ・ディキンスン詩集〈第4集〉
人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫)
人間臨終図巻〈2〉 (徳間文庫)
人間臨終図巻〈3〉 (徳間文庫)
愛と幻想のファシズム〈上〉 (講談社文庫)
愛と幻想のファシズム〈下〉 (講談社文庫)
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