2008年06月24日 14:14
梶井基次郎「瀬山の話」夜眠れないときに
梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)
梶井基次郎全集を読んでいました。心が辛くてまだあまり読めないのですが、梶井さんのとても静かで綺麗で穏やかな哀しさのある話とかは、少しだけ気持ちを落ち着けてくれます。夭折された梶井基次郎さんは残した作品が少ないので、全集一冊で全てが読めるのですが、読んでいて、僕は「瀬山の話」が好きだと感じました。有名な「檸檬」の原型なども入っている物語ですが、「瀬山の話」の方が、いかにも文学作品然としてきちんとした作品に仕上げてある「檸檬」よりも、僕は好きです。夜眠れないときの話とか、眠れない人にとっては面白くて参考になるんじゃないかなと思います。少し引用いたします。
僕も非常に辛いとき、睡眠薬に頼っても眠れないんですが、そのときに、時計のチクタクという音を、音楽に見立ててゆくというのは、とてもいい感じだなと思いました。眠れないときに、この文章を思い出すと、ほんの少しだけ、ほっとします。
梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)
梶井基次郎全集を読んでいました。心が辛くてまだあまり読めないのですが、梶井さんのとても静かで綺麗で穏やかな哀しさのある話とかは、少しだけ気持ちを落ち着けてくれます。夭折された梶井基次郎さんは残した作品が少ないので、全集一冊で全てが読めるのですが、読んでいて、僕は「瀬山の話」が好きだと感じました。有名な「檸檬」の原型なども入っている物語ですが、「瀬山の話」の方が、いかにも文学作品然としてきちんとした作品に仕上げてある「檸檬」よりも、僕は好きです。夜眠れないときの話とか、眠れない人にとっては面白くて参考になるんじゃないかなと思います。少し引用いたします。
心労は生理的なものになって日がな一日憂鬱を逞しゅうしていたのだが、それが夜になってきて独りになってしまうと虫歯のようにズキンズキン痛み出すのだ。私はしかしその頃私を責め立てる義務とか責任などが、その厳めしい顔を間近に寄せて来るのを追い散らすある術を知るようになった。
何でもない。頭を振ったり、声を立てるかすれば事は済むのだ。――しかし眼近にはやって来ないまでも私はそれら債鬼が十重二十重に私を取り巻いている気配を感じる、それだけは畢竟逃れることは出来なかった。それが結局は私を生理的に蝕んで来た奴等なのだ。
それが夜になって独りになる。つくづく自分自身を客観しなければならなくなる。私は横になれば直ぐ寝ついてしまう快い肉体的な疲労をどんなに欲したか。五官に訴えて来る刺戟がみな寝静まってしまう夜という大きな魔物がつくづく呪われて来る。感覺器が刺戟から解放されると、いやでも応でも私の精神は自由に奔放になって来るのだ。その精神をほかへやらずに、私は何か素晴らしい想像をさそうと努めたり、難しい形而上学の組織の中へ潜り込まそうと努めたりする。そして「ああ気持よく流れて出したな」と思う隙もなく私の心は直ぐ気味のわるい債鬼にとっ捕まっているのである。私は素早く其奴を振りもぎってまた「幸福とは何ぞや!」と自分自身の心に乳房を啣ませる。
しかし結局は何もかも駄目なのだ、――そのような循環小数を、永い夜の限りもなく私は喘ぎ喘ぎ読み上げてゆくに過ぎない。(中略)
そんなことから私は一つの遊戯を発見した。それもその頃の花火やびいどろの悲しい玩具ないしは様々な悲しい遊戯と同様に私の悲しい遊戯として一括されるものなのだが、これはこの頃においても私の眠むれない夜の催眠遊戯であるのだ。
闃として声がないと云っても夜には夜の響きがある。とおい響きは集ってぼやけて、一種の響を作っている。そしてその間に近い葉擦れの音や、時計の秒を刻む音、汽車の遠い響きや汽笛も聞える。私の遊戯というのはそれらから一つの大聖歌隊を作ったり、大管弦楽団を作ることだった。
それはちょうどポンプの迎え水という様な工合に夜の響のかすかな節奏に、私のほうの旋律を差し向けるのだ。そうしている中に彼方の節奏はだんだん私の方の節奏と同じに結晶化されて来て、旋律が徐々に乗りかかってゆく。 その頃合を見はからってはっと肩をぬくと同時にそれは洋々と流れ出すのだ。それから自分もその一員となり指揮者となりだんだん勢力を集め この地上には存在しない様な大合唱隊を作るのだ。
このような訳で私が出来るのは私がその旋律を諳んじているものでなければ駄目なので、その点で印象の強かった故か一高三高大野球戦の巻は怒号、叫喚、大太鼓まで入る程の完成だった。それに比べて、合唱や管げん楽は大部分蓄音器の貧弱な経験しか持たないのでどうもうまくはゆかなかった。しかし私はベートオーフェンの「神の栄光……」やタンノイザーの巡礼の合唱を不完全ながらきくことが出来たし、ベートオーフェンの第五交響楽は終曲が一番手がかりのいいことを知るようになった。しかしヴァイオリンやピアノは最後のものとして殘されていた。 (中略)
寮歌の合唱を遠くの方に聞いている心持の時、自分の家の間近の二階の窓に少女が現われてそれに和している、――そんな出鱈目があった。あまり突飛なので私はこの出鱈目だけを明瞭り覚えている。
しかし出鱈目はかえって面白い。まるで思いがけない出鱈目が不意に四辻から現われ私の行進曲に参加する、また天から降ったようにきまぐれがやって来る、――それらのやって来方が実に狂想的で自在無碍なので私は眩惑されてしまう。行進曲は叩き潰されてしまい、絢練とした騒擾がそれに代わるのだ。――私はその眩惑をよろこんだ。一つは眩惑そのものを、一つは真近な睡眠の予告として。
(梶井基次郎「瀬山の話」)
僕も非常に辛いとき、睡眠薬に頼っても眠れないんですが、そのときに、時計のチクタクという音を、音楽に見立ててゆくというのは、とてもいい感じだなと思いました。眠れないときに、この文章を思い出すと、ほんの少しだけ、ほっとします。
梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)
- ブログネタ:
- オススメの本はありますか? に参加中!
│書籍