2008年10月04日 05:43
世界大恐慌と人類終焉の本質について。みた森たつや「終末にしましょ!」
終末にしましょ! (SPコミックス)
アメリカで金融法案が通りました。僕はうつ病で悲観的にしか物事を考えられないので、法案が一度否決されたときは、このまま、世界大恐慌が起きて、戦争が戦争を呼び(世界大恐慌は戦争を呼びます)、第三次世界大戦でもおきて、人類の終わりがくるのかと考えていました。
ただ、僕がうつ病で失職していて収入が無く、手持ちのものを売って(今は家具類をリサイクルショップで売ってますが二束三文にしかなりません)貧困で、毎日、生活が苦しいですが、それでも、抗うつ剤の効果なのか、自殺しようとしていたときと違って、死ぬのが怖いです。それは、貧困だと、毎日、貧困の挙句の死が傍らにいるから、いつも怖くて怯えています。
ご慈悲ある方々のおかげで、なんとか今は持っていますが、将来は悲観的で絶望しています。最終的にはもし働けない状態で全ての財産が尽きて保護を受けられない場合は死ぬしかないんだろうなと感じています。それは不安です。
世界大恐慌が起きれば(そこまで行かなくても今後の世界的景気後退によって)、今の僕のような立場(収入なき貧困層)に追い落とされる人々が日本に大勢いると思います。それなのに、インターネットとかで、みんな不安なく平然と暮らしているように見えるのが僕は不思議です。
恐慌や、金融法案が通っても訪れるであろう長期的景気後退に対して、真っ先に貧困層に落ちるであろう派遣などの非正規雇用者・低収入層の人々も普通に暮らしているようで、人間は生活できる限り、そしてその生活が満たされている限り、世界や人命に無関心ということなのかなと思って悲しくなりました。
先日紹介した「マウス」にも書かれていたように、他者の人命に対する無関心さが、ホロコーストの一因であったことは間違いありません。
僕はSFが好きで、特に昔から悲観的な、ペシミスティックな傾向があって、そういった傾向のSFをよく読みました。人類滅亡テーマの小説、特に人類の完全なる終焉を描いた作品も読みました。人類の完全なる終焉を描いた作品では、海外の小説ではアーサー・C・クラークの「幼年期の終り」が最高峰、日本の小説では筒井康隆さんの「霊長類南へ」が最高峰、そして漫画では永井豪さんの「デビルマン」とみた森たつやさんの「終末にしましょ!」が最高峰だと思います。
今の日本の風潮を見るに、みた森たつやさんの「終末にしましょ!」が人類終焉SFとしては、一番、人類(というか、僕の見る限りの日本の人々)において、終焉に対するスタンスを本質的に鋭く見抜いていたのかなと思います。
みた森たつやさんの「終末にしましょ!」は、18禁漫画でして、18禁であるというところを逆手にとって、とても見事に物語が形成されています。本質的には、人間の個々の環境の満足感による無関心さが人類を滅ぼすという物語です。これは人間同士の疑心暗鬼と憎悪が人類を滅ぼすデビルマンと対極の世界を描いていて、人類滅亡テーマのSFとして非常に変わった物語、人類滅亡テーマのSFには他の多くの作品には人類が滅びることに対する感傷性がどこかにあるんですが、そういった感傷性は全く無く、寧ろ、刹那的な明るさと個人への愛情があるんです。
物語のプロットをご説明致しますと(本はみんな売ってしまい、これも手持ちがなくてちゃんと説明できないかも知れず、申し訳ありません)、地球の中心部に、超巨大な宇宙船(地球の地殻の下はその宇宙船です)が埋まっており、実は地球はその宇宙船を核として形成されている星であるという設定なんですね。太陽系形成時には地球はなく、地球という惑星は、滅びかけた種の最後の一人が、自分の種のDNAと完全に一致するDNAの種を生み出すためだけに作った存在という設定です。宇宙船を内殻とした惑星(地球)の外殻において超長期的な生命進化のなかで、いずれ生まれるであろう滅びかけた種のDNAを再び生命という形で復活させるためだけに地球が作られたという設定です。
本作の主人公は普通の青年なんですが、滅びかけた種のDNAと完全に一致する、復活した種なんですね。よって、彼は宇宙船の中に引きずり込まれ、巨大な宇宙船の中には、滅びかけた種が、その種を補助するためだけに創り上げた宇宙船を制御する人工生命情報端末が大勢いるんですね。この人工生命情報端末は、全て美女・美少女揃いで、セックスした後名前を名づけることによって、宇宙船のマスター(自分の仕える種をDNA認識して宇宙船を制御する情報端末として機能する)に仕えるんですね。名前を名づけることで仕えさせるというのは漫画版ナウシカのパロディかなと思います。
滅びかけた種の目的は、自分と同じ種を創り出す(進化の中で復活させる)ことだけですから、主人公が宇宙船の中に入って情報端末とセックスしたことで、種の復活の目的が果たされ、宇宙船の恒星間移動用プログラムが起動して、地球の外殻では大規模な大陸消滅が起きてゆくんですね。最初の起動で日本沈没です。いうまでもなく小松左京「日本沈没」のパロディで、思わず笑っちゃいました。
主人公はそのことを知って驚き、急いで宇宙船を止めて地球を存続させようとするんですが、もう一人、手違いで人間種(滅びかけた種とはDNAが一致しない)でありながら宇宙船の中に入った人物がいて、彼は全人類が滅んでもいいから、船の制御を乗っ取り、超科学による究極のハーレムの唯一の王として君臨しようと、宇宙船の制御を奪い恒星間移動の起動プログラムを動かそうとするんですね。
で、地球を救おうとする人間種ではない主人公と、地球を滅ぼそうとするもう一人の人間種の人物でどっちが先に宇宙船の制御を奪えるか競争になって、ようするにそれは沢山の情報端末とセックスして、どちらがより多く宇宙船の情報端末を自分の支配下に置くかの競争になるんですね。一方は人類を救うために、もう一方は人類を滅ぼすために、セックス競争になるんですが、最終的に宇宙船は完全に起動し、地球はバラバラになって人類は滅びるんですね。
この作品の秀逸なのは、地球を救おうとする主人公に対して、地球を滅ぼして超科学宇宙船内のハーレムの王になろうとする人間種の人物が、主人公の本心を見抜いているんですね。人類を本気で救いたければ、セックス競争なんてする必要はなかった。宇宙船は超巨大(地球の内殻です)ゆえ、そこに人類や他の生命種を収納すれば、人々は助かった、お前は自分の愛する女(主人公は初めに会った情報端末の娘を愛しています)や他の情報端末を、他の人間に見られることや奪われること(人間種が情報端末とセックスして名前をつければ人間種でも情報端末を支配下におき制御できます)を恐れ、それをやらなかった、俺とお前は同じ穴の狢だみたいに、主人公の本心を突くんですね。
主人公はそのことを認めて、自分の愛する女(一番初めに会った人工生命情報端末の女の子)と一緒にい続けるためなら、数十億の人類よりも、自分の愛する女の方が大切だ!!みたいにその子と愛し合いながら叫んで、秘められた本心を露にするんですね。
個人的な幸せを求めること、愛する娘との生活という自分の満足を求めることが、他の生命への無関心(結局、主人公は本気で人類を救う気はなかった)に繋がって、それが人類を滅ぼすという非常に皮肉な結末です。
こういったことで人類は終わっていくのが、一番本質的なことなのかなと、日本を見て今の僕は思っています。実態経済と乖離した金融経済が崩壊して、結局、本質的には有限の資源でゼロサムゲームをやっていたことが明らかになってしまって、そして、それでも、人々が無関心なことを見るに、こういった、ゼロサムゲームの世界(地球の資源は有限です)で、自分の幸せを求めて他のこと(他者の生命)には無関心なことが、いずれ人類を終焉に導いてゆくのかなと思いました。
人類終焉テーマのSFはその終焉理由は様々で、「幼年期の終り」では「進化」、「霊長類南へ」では「偶発性と人間の愚かさ」、「デビルマン」では「人間同士の疑心暗鬼と憎悪」などと理由は様々で、後は栗本薫さんの「滅びの風」では、「種の寿命」とか、色々あるんですが、個々人が個人的な幸福を求めることによって、人類が滅びるというテーマは、おそらく、僕の読んだSFの中では、みた森たつやさんの「終末にしましょ!」が唯一の存在で、始めて読んだときは非常に衝撃的でした。
地球全体の資源が有限ですから、結局、みた森たつやさんの「終末にしましょ!」が人類の終焉というものを一番本質的に突いているように僕は思います。僕は本当に生活に困っていて、ナニワ金融道を書いた青木雄二さんがどうしても、お金が必要なときは、金融屋さんで借金をするのではなく、借用書を書かずに友達から友人としての信用で借りる、それしかない、ということを書いていて、ネットではなく、現実の友達に頼んでみたんですが、みんな、お金の無心に行くと、急に態度が急変します。できることがあるなら手伝うよ、とか、NPOとかに相談してみたら?みたいな、アドバイスはくれますが、お金は貸してくれませんでした。
そのとき、僕は、僕に信用がないというのもあると思いますが、人間は自分の幸せのことを真っ先に考える存在で、それが他への無関心に繋がり、いずれ僕を最終的には死へ運ぶであろうし、そしていつか人類も終焉に導くだろう、もうそれは仕方ないって、物凄く諦念した気持ちになりました。
ただ、見ず知らずの僕にギフト券を贈ってくださったり、アフィリエイトで買い物してくださる、本当に他者の生命のことを考えてくださる、エロス(個人愛)ではなく、アガペー(人類愛)を持ったご慈悲ある方々もいらっしゃって、僕は、今現在、生活が金銭的に厳しくとても困難で将来には貧困により死の迫りくる暗澹とした徹底的に絶望的な気持ちで苦しいですが、僕がいなくなった後、もし、人類が終焉を迎えずにすむには、アガペーを持った、見知らぬ人にも互いに助け合い支えあうことのできる、人々が、大勢になれば、もしかしたら人類は滅ばなくて、存続できるのかも知れないと思います。
参考作品(amazon)
終末にしましょ! (SPコミックス)
デビルマン 愛蔵版 (KCデラックス)
霊長類 南へ (角川文庫)
滅びの風 (ハヤカワ文庫JA)
幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))
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アメリカで金融法案が通りました。僕はうつ病で悲観的にしか物事を考えられないので、法案が一度否決されたときは、このまま、世界大恐慌が起きて、戦争が戦争を呼び(世界大恐慌は戦争を呼びます)、第三次世界大戦でもおきて、人類の終わりがくるのかと考えていました。
ただ、僕がうつ病で失職していて収入が無く、手持ちのものを売って(今は家具類をリサイクルショップで売ってますが二束三文にしかなりません)貧困で、毎日、生活が苦しいですが、それでも、抗うつ剤の効果なのか、自殺しようとしていたときと違って、死ぬのが怖いです。それは、貧困だと、毎日、貧困の挙句の死が傍らにいるから、いつも怖くて怯えています。
ご慈悲ある方々のおかげで、なんとか今は持っていますが、将来は悲観的で絶望しています。最終的にはもし働けない状態で全ての財産が尽きて保護を受けられない場合は死ぬしかないんだろうなと感じています。それは不安です。
世界大恐慌が起きれば(そこまで行かなくても今後の世界的景気後退によって)、今の僕のような立場(収入なき貧困層)に追い落とされる人々が日本に大勢いると思います。それなのに、インターネットとかで、みんな不安なく平然と暮らしているように見えるのが僕は不思議です。
恐慌や、金融法案が通っても訪れるであろう長期的景気後退に対して、真っ先に貧困層に落ちるであろう派遣などの非正規雇用者・低収入層の人々も普通に暮らしているようで、人間は生活できる限り、そしてその生活が満たされている限り、世界や人命に無関心ということなのかなと思って悲しくなりました。
先日紹介した「マウス」にも書かれていたように、他者の人命に対する無関心さが、ホロコーストの一因であったことは間違いありません。
僕はSFが好きで、特に昔から悲観的な、ペシミスティックな傾向があって、そういった傾向のSFをよく読みました。人類滅亡テーマの小説、特に人類の完全なる終焉を描いた作品も読みました。人類の完全なる終焉を描いた作品では、海外の小説ではアーサー・C・クラークの「幼年期の終り」が最高峰、日本の小説では筒井康隆さんの「霊長類南へ」が最高峰、そして漫画では永井豪さんの「デビルマン」とみた森たつやさんの「終末にしましょ!」が最高峰だと思います。
今の日本の風潮を見るに、みた森たつやさんの「終末にしましょ!」が人類終焉SFとしては、一番、人類(というか、僕の見る限りの日本の人々)において、終焉に対するスタンスを本質的に鋭く見抜いていたのかなと思います。
みた森たつやさんの「終末にしましょ!」は、18禁漫画でして、18禁であるというところを逆手にとって、とても見事に物語が形成されています。本質的には、人間の個々の環境の満足感による無関心さが人類を滅ぼすという物語です。これは人間同士の疑心暗鬼と憎悪が人類を滅ぼすデビルマンと対極の世界を描いていて、人類滅亡テーマのSFとして非常に変わった物語、人類滅亡テーマのSFには他の多くの作品には人類が滅びることに対する感傷性がどこかにあるんですが、そういった感傷性は全く無く、寧ろ、刹那的な明るさと個人への愛情があるんです。
物語のプロットをご説明致しますと(本はみんな売ってしまい、これも手持ちがなくてちゃんと説明できないかも知れず、申し訳ありません)、地球の中心部に、超巨大な宇宙船(地球の地殻の下はその宇宙船です)が埋まっており、実は地球はその宇宙船を核として形成されている星であるという設定なんですね。太陽系形成時には地球はなく、地球という惑星は、滅びかけた種の最後の一人が、自分の種のDNAと完全に一致するDNAの種を生み出すためだけに作った存在という設定です。宇宙船を内殻とした惑星(地球)の外殻において超長期的な生命進化のなかで、いずれ生まれるであろう滅びかけた種のDNAを再び生命という形で復活させるためだけに地球が作られたという設定です。
本作の主人公は普通の青年なんですが、滅びかけた種のDNAと完全に一致する、復活した種なんですね。よって、彼は宇宙船の中に引きずり込まれ、巨大な宇宙船の中には、滅びかけた種が、その種を補助するためだけに創り上げた宇宙船を制御する人工生命情報端末が大勢いるんですね。この人工生命情報端末は、全て美女・美少女揃いで、セックスした後名前を名づけることによって、宇宙船のマスター(自分の仕える種をDNA認識して宇宙船を制御する情報端末として機能する)に仕えるんですね。名前を名づけることで仕えさせるというのは漫画版ナウシカのパロディかなと思います。
滅びかけた種の目的は、自分と同じ種を創り出す(進化の中で復活させる)ことだけですから、主人公が宇宙船の中に入って情報端末とセックスしたことで、種の復活の目的が果たされ、宇宙船の恒星間移動用プログラムが起動して、地球の外殻では大規模な大陸消滅が起きてゆくんですね。最初の起動で日本沈没です。いうまでもなく小松左京「日本沈没」のパロディで、思わず笑っちゃいました。
主人公はそのことを知って驚き、急いで宇宙船を止めて地球を存続させようとするんですが、もう一人、手違いで人間種(滅びかけた種とはDNAが一致しない)でありながら宇宙船の中に入った人物がいて、彼は全人類が滅んでもいいから、船の制御を乗っ取り、超科学による究極のハーレムの唯一の王として君臨しようと、宇宙船の制御を奪い恒星間移動の起動プログラムを動かそうとするんですね。
で、地球を救おうとする人間種ではない主人公と、地球を滅ぼそうとするもう一人の人間種の人物でどっちが先に宇宙船の制御を奪えるか競争になって、ようするにそれは沢山の情報端末とセックスして、どちらがより多く宇宙船の情報端末を自分の支配下に置くかの競争になるんですね。一方は人類を救うために、もう一方は人類を滅ぼすために、セックス競争になるんですが、最終的に宇宙船は完全に起動し、地球はバラバラになって人類は滅びるんですね。
この作品の秀逸なのは、地球を救おうとする主人公に対して、地球を滅ぼして超科学宇宙船内のハーレムの王になろうとする人間種の人物が、主人公の本心を見抜いているんですね。人類を本気で救いたければ、セックス競争なんてする必要はなかった。宇宙船は超巨大(地球の内殻です)ゆえ、そこに人類や他の生命種を収納すれば、人々は助かった、お前は自分の愛する女(主人公は初めに会った情報端末の娘を愛しています)や他の情報端末を、他の人間に見られることや奪われること(人間種が情報端末とセックスして名前をつければ人間種でも情報端末を支配下におき制御できます)を恐れ、それをやらなかった、俺とお前は同じ穴の狢だみたいに、主人公の本心を突くんですね。
主人公はそのことを認めて、自分の愛する女(一番初めに会った人工生命情報端末の女の子)と一緒にい続けるためなら、数十億の人類よりも、自分の愛する女の方が大切だ!!みたいにその子と愛し合いながら叫んで、秘められた本心を露にするんですね。
個人的な幸せを求めること、愛する娘との生活という自分の満足を求めることが、他の生命への無関心(結局、主人公は本気で人類を救う気はなかった)に繋がって、それが人類を滅ぼすという非常に皮肉な結末です。
こういったことで人類は終わっていくのが、一番本質的なことなのかなと、日本を見て今の僕は思っています。実態経済と乖離した金融経済が崩壊して、結局、本質的には有限の資源でゼロサムゲームをやっていたことが明らかになってしまって、そして、それでも、人々が無関心なことを見るに、こういった、ゼロサムゲームの世界(地球の資源は有限です)で、自分の幸せを求めて他のこと(他者の生命)には無関心なことが、いずれ人類を終焉に導いてゆくのかなと思いました。
人類終焉テーマのSFはその終焉理由は様々で、「幼年期の終り」では「進化」、「霊長類南へ」では「偶発性と人間の愚かさ」、「デビルマン」では「人間同士の疑心暗鬼と憎悪」などと理由は様々で、後は栗本薫さんの「滅びの風」では、「種の寿命」とか、色々あるんですが、個々人が個人的な幸福を求めることによって、人類が滅びるというテーマは、おそらく、僕の読んだSFの中では、みた森たつやさんの「終末にしましょ!」が唯一の存在で、始めて読んだときは非常に衝撃的でした。
地球全体の資源が有限ですから、結局、みた森たつやさんの「終末にしましょ!」が人類の終焉というものを一番本質的に突いているように僕は思います。僕は本当に生活に困っていて、ナニワ金融道を書いた青木雄二さんがどうしても、お金が必要なときは、金融屋さんで借金をするのではなく、借用書を書かずに友達から友人としての信用で借りる、それしかない、ということを書いていて、ネットではなく、現実の友達に頼んでみたんですが、みんな、お金の無心に行くと、急に態度が急変します。できることがあるなら手伝うよ、とか、NPOとかに相談してみたら?みたいな、アドバイスはくれますが、お金は貸してくれませんでした。
そのとき、僕は、僕に信用がないというのもあると思いますが、人間は自分の幸せのことを真っ先に考える存在で、それが他への無関心に繋がり、いずれ僕を最終的には死へ運ぶであろうし、そしていつか人類も終焉に導くだろう、もうそれは仕方ないって、物凄く諦念した気持ちになりました。
ただ、見ず知らずの僕にギフト券を贈ってくださったり、アフィリエイトで買い物してくださる、本当に他者の生命のことを考えてくださる、エロス(個人愛)ではなく、アガペー(人類愛)を持ったご慈悲ある方々もいらっしゃって、僕は、今現在、生活が金銭的に厳しくとても困難で将来には貧困により死の迫りくる暗澹とした徹底的に絶望的な気持ちで苦しいですが、僕がいなくなった後、もし、人類が終焉を迎えずにすむには、アガペーを持った、見知らぬ人にも互いに助け合い支えあうことのできる、人々が、大勢になれば、もしかしたら人類は滅ばなくて、存続できるのかも知れないと思います。
参考作品(amazon)
終末にしましょ! (SPコミックス)
デビルマン 愛蔵版 (KCデラックス)
霊長類 南へ (角川文庫)
滅びの風 (ハヤカワ文庫JA)
幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))
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