2008年09月19日 07:39

先日から急に嫌がらせが始って凄く苦しいです。お腹に針が刺さったような状態で痛くて辛くてどうしたらいいか分からず辛くて辛くて頭が割れそうです。

先日から、昔の僕が書いていた昔のブログ(もうそれは辞めました)のなかの非常に愚かで馬鹿げた、書いたことを後悔しているエントリ(麻生議員を漫画好きということで好感的に書いたエントリ)とかを持ち出して、加野瀬未友という人(オタク業界で非常に著名な編集関係・ライターの人だそうです)を中心に複数から一斉攻撃されてて、物凄く辛くて苦しいです。先日書いた通り、僕は自分の生存権が脅かされるまで、そういったことの真実の大切さが理解できていませんでした。以前の僕は大変愚かでそれを認めます。もうお金がなくて病院も慈善団体ではないので(病院の人も患者の金銭面を救うほど余裕がないのです)、医療費とかも大変で、凄く生活が苦しいのに、「右行って失敗したら左行くなんてのは良くあること」「転向したやつは急進派になってめっちゃ抑圧的に振舞う」「措置入院させろ」とか複数から物凄い攻撃を受けてて、うつ病ですが、今以上に気が狂いそうで頭が割れそうでお腹が酷く痛くもう死にそうです。お願いですから攻撃してくるのを止めてください。

新しくブログ始めたのは、今までの自分が愚かで間違っていて、それで、新しくブログ始めました。昔、自民党の麻生議員に漫画好きということで好感的なことを書いたのは、自民党に多分、「いざとなったらお金の力で困った人を助けてくれる父親」みたいなイメージがどこかにあって、それは全く愚かしい錯覚だったというのを、病気(うつ病)になって失業して、お金なくて食べれなくなって、保護してもらいに行ったら完全に跳ね除けられて、自分がいかに愚かな錯覚をしていたのかわかりました。どんなに酷い状態でも働けとしか云われません。それで自分の愚かさに気づいて、本当に悔いています。今までの自分は本当に間違っていました。こんなに経済だけで生存権がない国(自民党)だとは思いませんでした。本当にそうは思っていませんでした。でも、現実はそうでした。以前の僕が完全に間違っていました。

だから後悔して、過ちを少しでもただそうとして、一生懸命贖罪の気持ちで書いているですけど、昔からずっと僕に嫌がらせをしている加野瀬未友という人が、複数の人々使って先日からまた凄い酷い嫌がらせを再開して、凄い苦しくてお腹に針を突き刺されている痛みの状態がずっと続いてもうどうしたらいいかわかりません。

僕はまた嫌がらせしているのを昨日偶然見てしまって、もう酷く苦しくてネットを止めたいです。だけど、それは、ご善意・ご慈悲を下さる皆様方を裏切る行いで、最後の収入を失って自分の死期を早める行いでもあります。だけど、ネットを続けていると加野瀬未友という人達からずっとしつこく嫌がらせを受け続けて、それも耐えられないし、苦しくて気が狂いそうです。

後、以前書いた通り僕に嫌がらせしている東大の人(以前、うつ病で病院に掛かる寸前の時、嫌がらせをやめてくださいって一生懸命お願いしてメールしたら止めるつもりはないというもの凄く冷酷無比かつ慇懃無礼な感情の無い冷たい返答が送られてきて凄まじく恐ろしかったです。その人の書いている親しみ易そうに書いているブログとは全然全く違います)が、加野瀬未友という人とFTTHという人を通して「転向したやつは急進派になってめっちゃ抑圧的に振舞う」とか「措置入院させろ」とか書いていますけど、それは違います。僕は抑圧的に振舞うつもりなんかないです。自由があって、そしてみんなに生存権がある、困ったときは手を差し伸べてもらえる社会を望んでいます。旧ソ連邦のような自由のない抑圧的な社会を決して望んでいません。

例えば、今の日本で、食料を、生きてゆける最低限のカロリー分でもいいので、低収入層・収入がない層(貧困層)に無条件で配給してくれたら、どんなに助かるか知れません。僕はご善意をよせてくれる人々のために、苦しくてもなるべく生き延びて頑張ろうと思って、いつも節約して飢餓状態なので、だから食料の配給だけでもやって欲しいと思います。でも、国はやってくれません。

それは、国はお金持ちの人たちの財産権は自由によって保護されているという形で、お金持ちの人から税金とかをとるのをどんどん減らして社会福祉に使ってくれないからです。景気がいくら回復しても、貧乏な人、働けない人にお金が回ってくることはありません。全部、投資家とかのお金のある人たちがポケットにいれてしまいます。

だから、そういうところから、少しでも変えてゆく(どんどん弱められた累進課税を逆に今後は強化して、法人税も多額の黒字収入を得ているところからは累進課税的に税を上げてゆくようにして、それで社会福祉に力を入れる)方向にして欲しいです。低収入層・収入ない層への食料の配給だけでも、どうかやって欲しいです。今、どんなに飢餓でも、食料配給してもらえません。

障害がある人で国から完全に一切放置されていて生きていけない人(無年金障害者)もどうか救って欲しいです。無年金障害者は、精神障害だけでなく、身体障害がある人にも何の支援もありません。だから、身体が麻痺して動けない人とか、親族が財政的に生活を支えきれなくなったら、どんなに生きたいと願っても終わりなんです。でもマスメディアはこういうこと、全然流してくれません。マスメディアは財界がスポンサーだからです。だから僕は、一生懸命書いています。

ノンフィクションの入った漫画「どんぐりの家」でも書いていました。障害を持った子の親が、どうかこの子より長生きしたいと願っていることを。それは、親族が支えられなくなったら、障害のある人は国から見棄てられているからです。だから、親が、どうか一日だけ、この子より長く生きたいと一生懸命願っていました。「どんぐりの家」でも書かれていた通り、今のこの国は、弱い人々を棄てる国なんです。

後、措置入院については、以前、先生(僕の治療をしてくださっている精神科医の先生)に聞きました。措置入院についてきいたら、措置入院というのはそんなに簡単にできるものではなく、人を傷つけたり、自分を傷つけたりするということを精神科医の方が二人とも二人、確実であると診断したときに、行われることで、僕が人を傷つけると先生は診断していないし、自傷(自殺)もしない(うつ病に掛かって、ひまわりというところの支援で、緊急で入院したときは、感情が喪失していると診断されその時は自殺する寸前でした。その後、治療と、お薬と、家族の看護でだんだんよくなりました。そのときに先生とこのお話しました)今はする気がないと診断しています。それと、精神医療の治療では本人の意志と医療スタッフとの信頼が治療ではとても大切なので、人を傷つけたり、自分を傷つけたりしない患者さんを、本人の意志を無視するような形で、措置入院させることは、絶対ありませんって、時間かけて説明してくれました。僕の先生はすごくいい先生で忙しいのに苦しいとき時間をかけてくれる優しい先生(本当はそんな時間はないのに、時間をかけてくれます。それは先生が、患者さんのために時間を犠牲にしてくれていて、他の方にも時間をかけていて、だから予約時間より治療が遅れますが、時間かけて話聞いてくれます)、めぐり合えたことを感謝しています。三分ドクターとか、そういう先生とは、違って、患者さんの全部面倒見切れないことを、困っている優しい先生です。

それなのに、加野瀬未友という人や東大の人たちから酷い傷つくことが書かれて、辛いです。僕はみんなに生存権があることを望んでいますが、旧ソ連邦のような抑圧的な社会を望んでいません。僕は昔からショスタコーヴィチという作曲家さんの交響曲が好きで(とても暗い、他の音楽家の交響曲とは明らかに違う交響曲を作る作曲家さんで、それが僕にはとても魅力的でした)、それで、どんな人なのかなと思って調べたんです。そうしたら、旧ソ連邦の体制下で凄い酷い目に会っていて、驚きました。旧ソ連邦のような国家は絶対にいけない国家だと感じました。前は手元に本があったんですが、今本がないので、本は生活費の足しに売ってしまったけれど、音楽だけはどうしても残しておきたくて、アルバムだけはまだ売らずにあるので、交響曲選集(廃盤になっています)のブックレットから少し引用致します。

(ショスタコーヴィチは)その音楽的生命を脅かされた深刻な危機を二度体験している。最初の危機は1936年に訪れた。(中略)この年の初めに、彼はソビエト共産党の機関紙「プラウダ」から、歌劇「ムツェンスク群のマクベス夫人」とバレエ音楽「明るい小川」の二つの作品が、「西欧かぶれした形式主義的な作品で、社会主義リアリズムの線に沿っていない」と痛烈に批判され、しかも「人民の敵」という烙印まで押されたのだった。もはや誰の目にも、ショスタコーヴィチの破滅は明らかであった。彼はこのとき、収容所送りを覚悟したという。

政府の要人の気にいらない作品(作曲)を書いたという程度で、収容所へ送られるという、現在の平和な日本に住む私達にとっては信じられないようなことが、スターリンの恐怖政治の時代には、平然と行われていたのである。(中略)

当時ショスタコーヴィチは、力作「交響曲第四番」を完成し、その曲は1936年の春、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団によって初演される手筈になっていた。しかし彼は、その初演をきっぱりと断念したのだった。
(ショスタコーヴッチ交響曲選集ブックレットより)

ショスタコーヴッチは、支配層から気まぐれな難癖をつけられて、生命の危機に晒されるたびに、命がけで、体制側に迎合した音楽を作って、それを体制側の要人に捧げることでなんとか生き延びてきた、不遇な、自由に作曲できなかった音楽家さんなんです。それで、僕は、なぜこれほど、他の音楽家の音楽と違う、胸を打つ、凄まじい暗さと絶望が彼の交響曲にあるのか、僕とは境遇が違いすぎるので、それはほんの少しでしょうけど、それでも、彼の絶望的な音楽を理解できたように思いました。

それで、絶対にこんな、旧ソ連邦のような、テクノクラートの支配する今の日本(旧ソ連のテクノクラートは今の日本の東大を中心とした高学歴キャリア官僚と本質的に同じだと思います)のような抑圧的体制は間違っていると思いました。だから抑圧的なことなんて、望んでないです。生存権を保障した上で、自由とはあるべきだと思います。金持ちだけの自由があって、貧困で死ぬのは貧困者の自由だというのは間違っています。誰も死にたくて死にません。みんな追い詰められて死を選ばされるんです。それは自由じゃありません。僕は累進課税を強化して(日本はこれをどんどん弱体化させています)、後は法人税を下げるんじゃなくて上げて、富の均衡を図って、そして、社会福祉にその富を入れて欲しい、せめて、食糧配給だけはして欲しいのです。NPOさんが炊き出ししてくれていますが、そこまで行く交通費が辛くて行けないんです。

そして、昔、僕の学歴をずっとしつこく聞いてきて、僕は大学は東大出身じゃないですよって信頼して自分の大学(夜間部)を教えたら、急に態度が急変した東大の人が、三傘フーズの汚染米を食べた人と今回の金融危機で損をした投資家は同じだということを書いていて、完全に体制側支援で投資家・金融経済を擁護するために、弱い人々、汚染米を食べた人々を出しにつかっていて、そのあまりに冷酷無比で感情のないやり方が恐ろしくて怖くてたまりません。

投資家と汚染米被害者は全く違います。投資家は、投資(資本側に参加できる富)を持つ人が、自分の自由意志で資本による利益(労働者から収奪する利益)を得るために投資する者です。それは、金持ちの金儲けの道具です。だけど、汚染米被害者は、それを食べたのは、貧しい弱い人々、補助を受けて食事を食べている看護ホームとかの看護病院食を食べていた人々などです。貧しくて自由ではなく選択肢のない人々です。

僕は治療のためにデイケアに出ていて、デイケアでは食料費補助で凄く安く食事が食べられる(看護病院食が食べられる)ので、それを精神疾患を持つ仲間の人たちと一緒に食べていますが、今回の騒動で物凄く不安になりました。みんな不安です。汚染米は貧困層が食べる米に混ぜられているわけで、貧困層が貧困ゆえに補助された安い食事しか取れずに被害に合うのは、投資家が自分の余裕ある富を使って自分の資本(投資金)を膨らませようと自分で自由な選択の範囲内したこととは全く違います。看護病院食を食べている貧困層には、それ以外の選択肢はありません。投資家は富裕な富を使って投資をするかしないかを選べるけれど、貧困層は高いお金を出して安全な食事を食べるという選択はできないんです。そこには選択はありません。食べなければ、死んでしまうんです。

一生懸命書いているのに、嫌がらせを受け続けていて、ブログをやめたいです。でもそうしたら、それはご善意・ご慈悲を与えてくださった皆様方を裏切ることになるし、収入も途絶えて死が早まる選択で、それは、ご善意・ご慈悲を与えてくださった方々の信頼に答えるためにも、その選択はしたくないです。だから八方塞りでとても苦しいです。本当に苦しくて、気が狂いそうです。どうしたらいいか分からなくて、お腹に針を差し込まれている感じで苦しいです。苦しくて、お腹が痛くて、どうしたらいいか分かりません。救患で病院に行きたいけどそうするとまたお金が掛かって、どうすればいいのか分かりません。凄く苦しいです。

参考作品(amazon)
ショスタコーヴィチ:交響曲全集 (10CD) [Import] (COMPLETE SYMPHONIES)
どんぐりの家~それから~ (ビッグコミックススペシャル)
どんぐりの家 (1) (小学館文庫)
どんぐりの家 (2) (小学館文庫)
どんぐりの家 (3) (小学館文庫)
どんぐりの家 4 (小学館文庫)
どんぐりの家 5完 (小学館文庫)

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