2008年08月24日 23:25

今日は食べ物と猫のトイレ用品買いに行って、フリッツ・ラング監督の「暗黒街の弾痕」を観ていました。とても、哀しくて、そしてよい映画です。

暗黒街の弾痕

今日もあまり調子がよくなかった(うつ病の心身症の症状がずっと出ていて継続的にお腹が痛いです)ですが、なんとか起き上がって、食料の買出しと猫のトイレ用品を買いに行って、その後は、猫と一緒に、寝込んだ後、猫と起き出して、フリッツ・ラング監督の「暗黒街の弾痕」を観ていました。この映画は僕の大好きな映画です。ちなみに現在、この映画の定価は500円です。現代の映画DVDが何千円もして、この映画DVDが500円というのは…、なんとも…。凄く優れた映画です。まだ未視聴の方は500円払って見る価値はきっとあります。本作は500円以上の価値ある、真に優れた名作映画の一つです。

物語は、差別され、虐げられながら、そして賞金を掛けられ、警察に追われながらも、逃避行を続ける愛し合う哀しい夫婦の物語です。主人公のエディは、根は善良ですが、怒ると口より先に手がでてしまうタイプで、そのせいでケチなギャング(ギャングといっても決して人殺しとかはしない窃盗犯)になってしまいますが、彼女を心から愛する恋人のジョーのおかげで更正し、ギャングの頃の罪を刑務所で償って、模範囚として出所し、人生を真面目にやり直そうとするんですね。

そして二人は結婚し、二人きりでいるときは幸せで、奥さんのジョーは妊娠するんですが、エディが前科者だというだけで、ホテルから追い出されるわ、勤め先を無理やり首にされるわ、とにかく前科者に対する社会の偏見と差別の連続で生活ができず、くたくたになっているところに、エディが六人もの人を犠牲にした銀行強盗事件の容疑者とされてしまうのですね。これは全くの冤罪なのですが、エディが、世間は前科者のことを誰も信じてくれないから逃げよう、というのに対して、ジョーが、警察に出頭して、無実であること(本当に全くの無実です)を説明してくれれば分かってくれるから、警察に行こうと話をして、二人で話している間に容疑者として捕まってしまってしまうんですね。

エディは無実なんですよ。だけどそれを心から信じているのはエディを愛する奥さんのジョーだけで、陪審員達は「前科者=有罪」という考えで、あっという間に死刑が決まって、死刑の日にちがどんどん近づいてくるんですね…。奥さんのジョーは警察に出頭を勧めた自分のせいで、愛するエディが冤罪で死刑になっちゃうと考えて、死刑執行の時間になったら自分も死のうと、覚悟の死を決めているんですね…。

死刑の時刻になる直前(11時に死刑執行)、昔のギャング仲間の手配で、死刑になる寸前に銃を手に入れたエディは脱獄を試みるんですが、ちょうどその時、銀行強盗事件の真犯人が見つかって、すぐにエディは無罪だからすぐに死刑執行を停止しろって電報が刑務所に届くんですね。でも、その時、既に、エディは人質を取って、脱獄している最中で、凄く不幸な行き違いから、常にエディとジョーの味方で、常に力になってくれた、ドーラン神父さんを、射殺しちゃうんですね…。(深い霧の中で撃った弾が当ってしまう)

エディは脱獄しますが、自分の無実が証明されたこと、そして、エディの味方をしてくれて力になってくれた神父さん、「君(エディ)の無実が証明されたんだよ」ということを知らせようとした神父さんを自分が射殺しちゃったことで、ショックで廃人みたいになっちゃうんですね。だけど、死ぬ前に愛する奥さんに会いたくて、電話を掛ける。それで、奥さんは、死ぬときも生きるときも、ずっと一緒よっ!!って、エディを連れ出して、二人で逃避行するんですね。神父殺しで指名手配されている上、ガソリンスタンドとかで強盗しながら逃げているので、ガソリンとタイヤだけ盗んでも、スタンドの店員がガソリンスタンドのお金を盗んで、二人が盗んでいったことにしたり、ここでも冤罪をどんどん掛けられて、夫婦二人とも、とてつもない凶悪犯罪者に仕立て上げられちゃうんですね…。

映画観ている人は、映画の始めの方の、刑務所から真面目になったエディがでてきて、刑務所の柵ごしにジョーとキスをかわすところから、ずっと見ていますから、二人がただ、幸せに生活することだけを望んでいた善良なカップルで、エディはちゃんと更正していて、それなのにどんどん、社会の偏見と差別意識によって二人とも悪漢にされていってしまうから辛いんですね…。例えば、エディは、口より先に手が出るタイプでしたが、それを奥さんとの生活の為に、更正したから、もうそういうのは我慢して、それこそ、物凄く低姿勢で、どうか働かせてくれって会社に頼むんですけど、会社の対応は物凄く冷たい訳ですね…。全然雇ってくれない。何も生活先行きの当てが無い上に酷い差別される。僕なんかも、先日のエントリで書きましたが、就職氷河期世代で、新卒就職に失敗して、会社を派遣とかの非正規雇用で転々として、正規雇用口の就職面接何度も受けて、慇懃無礼な対応で全部落とされて(基本的に会社は新卒じゃないと正社員を取らない)、今はうつ病で無職で、障害年金も貰えずお金もなく職もなく、何も先行きが何も無い上に病気で働けず、病気が良くなっても職歴に穴が開くからますます働くの困難になるでしょうし、映画で描かれる生活困難、見ていて、凄く良くわかるなって感じました…。

精神疾患を持って就職する場合は、ハローワークとか云って、精神障害者保健福祉手帳を見せると、障害者枠に回されますが、ほとんど枠がないか(会社に雇用義務が無い)、非常に低収入で、だから、デイケア出ていると、精神疾患を持ちながら働いている方は精神疾患のことを隠して普通の職場で働いていたりする方もいます。でも、そういう場合には、会社側にばれないようにトイレで隠れて薬飲んだり、凄く大変みたいです。精神疾患のことを隠していて、それが会社側にばれると、解雇とかあるみたいです。精神障害者保健福祉手帳の税金の減免とかも、精神疾患を会社に隠して働いている場合は使えない訳で、みんな苦労しています。社会の偏見と差別が、少しでもなくなってほしいです…。

映画「暗黒街の弾痕」の話に戻りますと、深く愛し合う二人が逃避行した先にあるものは、ぜひ、映画ご覧になってみてください。涙が滲むような、凄く余韻のあるラストで、僕はこういう映画が大好きなんですね。僕は、うつ病になる以前、ずっと昔から、ハリウッドの大作に多い勧善懲悪ハッピーエンド映画、観終えた後に何も残らない映画はどちらかというと苦手としていて、逆に、映像が美しく心に残って、見終わった後、深い余韻の残る映画が好きです。例えば、ルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」とかジーノ・サルタマレンダ監督の「自転車泥棒」とかも大好きですね…(余談ですが、この映画「禁じられた遊び」「自転車泥棒」も今では驚くことに500円です。最近は昔の名作映画が500円で見られて、古い映画好きにとっては良い時代だと思います)。それは、うつ病になった後も、変わらずあって、この映画観て、ああ、いい映画だなあって、以前と同じく凄く実感しました。うつ病になって、お薬で治療してから色々感覚が変わりましたが(脳内が薬により以前とは別の状態になっているからと思います)、クラシック音楽好きと、古いサイレントやモノクロの好きな映画の趣味はうつ病になる前と変わらないでいてくれて、薬によって以前とは別人になった訳ではなく、こういうところでは、僕のコア・パーソナリティが連続しているのを感じられて、少し嬉しくなります。

僕は、うつ病の治療を始めて、抗うつ剤投与してから、色んな感覚が変わって、感覚が変わるということは、今まで興味のあったものに、興味がなくなったり、その逆があったりで、例えば、今では性的感覚が完全に消滅している感じで、(「エロい」ってどういう感覚だったかな…どうでもいいや…)みたいな感じなんですね。シモの話で申し訳ないですが、朝、生理現象として朝立ちしたりするので、別に構造的な機能は失われていないみたいですが、性的感覚がないし、性的なことに全然興味もわかないので、それはそれでいいかなと思っています。数ヶ月、そういったこと(性行為)をしていませんが、性欲が溜まるという昔あった性的感覚が全然ないので、綺麗な音楽を聴いて、猫を撫でていた方が気持ちが和らいで、性とかそういうことについては、もうそれはそれで何も感じなくてもいいやという感じです。これは抗うつ剤により脳内のセロトニンの量が増えていることによるものだと思います。

逆に、感覚が鋭敏になったものとしては、音楽が、以前のような、大音量で激しい音楽を陶酔する為に聴くというような聴き方は一切できなくなって(そういった聴き方は頭にノイズが入るみたいでとても聴けません)、逆に、優れた音楽を静かに聴いていると頭の中で、それぞれの音が美しい形に構成されて美が形成されてゆく、手塚治虫先生が「ルードウィヒ・B」で音楽を画像イメージ化しようとしていましたが、あれは視覚的限界にどうしても囚われる、凄く単純な形で、人間には決して描くことのできない(視覚化できない)、心象でしか描けない、非常に精緻で精妙な、美しい、視覚的に表現不能の魂に直接伝わる音楽の構造性の美みたいものが、魂の深奥に入ってきて感じ取れるようになって、視覚的には全体的に世界がぼんやりしている感じで、逆に聴覚的には、音に対して、特に音楽の美の形態に対して非常に鋭敏になっている感じです。だから、凄く綺麗な音楽を聴くと、以前とは全然違った、深い感動を覚えて、まさに以前書きました通り、音楽は命の糧であると感じます。

ただ、こうも感覚が変わると、以前の自分と、今の自分の連続性が、余りにも隔たっているので、うつ病になる前の自分と、抗うつ剤投与で感覚が変化した自分は、果たして連続的に同じ自分なのだろうか、みたいなことを考えたりするときもありますが、今日、「暗黒街の弾痕」を観て、昔(うつ病になる以前)と同じような、哀しいという言葉では言い表せない、深い余韻を感じて、僕のコア・パーソナリティの深奥は変わってないんだなみたいなことを感じられて、その点でも、全く個人的なことですが、この映画を見て良かったです。本作は非常に優れた名作、大勢の人が楽しめる、真に優れた映画ですが、上記の点において、僕を少し安心させてくれる個人的に格別に想いのある映画となりました。

この映画は、フィルム・ノワールの最も古典的な名作作品の一つで、ここから映画の「俺達に明日はない」とか生まれているんですね。日本の作品で云えば、例えば、高見広春さんの大ベストセラー「バトルロワイヤル」の小説は、この映画を見た後、読んだか、この映画を見る前に読んだかで、別々の感慨があるんじゃないかなと思います(僕は先にこちらの映画見て、読んだ方でした)。逆にバトルロワイヤルを先に読んでいる人は、この映画見て、覚える感慨がきっとあるだろうなと思います。お勧めの映画です。

参考作品(amazon)
暗黒街の弾痕
禁じられた遊び
自転車泥棒
俺たちに明日はない
ルードウィヒ・B (1) (手塚治虫漫画全集 (337))
ルードウィヒ・B (2) (手塚治虫漫画全集 (338))
バトル・ロワイアル
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