2008年08月18日 07:23

昨日は調子が最悪でした。非常に辛い気分の中で、トラークルの詩集を読んで心慰めていました。(追記あります)

昨日は、これまでにもまして、調子が最悪で、非常に辛かったです。先日のことですが、生活苦が厳しくて、節約のためにあまり食べられなくて、なんとか補助を受けられないかと、うつ病 生活苦で検索していたら、「うつ病はなおらない」とか、病院に行けば薬物漬けにされるだけで、病院はうつ病という病気を作って、社会的な不適合者を社会から働けないようにして消す仕組みとか、精神疾患に対して物凄い差別と偏見に満ちた酷いことが書き連ねてあるブログを見ちゃって、凄く吐き気がして、それからずっと調子が悪くなりました。それから頓服用のお薬をずっと服用しています。そのおかげか、今日は少しだけ回復しました。でも、まだおなかが痛くて、僕はストレスでお腹をすぐ下してしまうので、毎日整腸剤を飲んでいるんですが、それがまだ治りません。

僕は、様々な心理療法の一環として、カウンセリングだけではなく、精神疾患の方々で集まるデイケアらにも参加していますが、基本的に、病気を治して社会復帰(働けるようになる)ために、薬物療法や心理療法はあって、病気が長引いて、障害年金をもらって生活している方でも、調子がよくなれば、ちゃんと働けるように治療を続けて社会復帰を目指していて、そのために、財政的・社会的なことに相談に乗ってくれるソーシャルワーカーさんとかがいて(例えば財政的に貧困だったらどうするかということを一生懸命、一緒に考えてその為の方策を出来うる限り活用するお手伝いをしてくれます)、精神病院というのは、精神疾患を治すだけではなく、外に出て、社会復帰を目指すというのが大切なことなんですね。先のブログに書かれていた陰謀論的な場所では決してありません。

社会との関わりを作っていく、それが、外部に出て働く労働なわけで、、精神疾患は長引くことが多いですが、それでも薬と療養と周囲の配慮があれば、デイケアとかにでて、病気と付き合いながらも、外部にでて働けるようになる訳ですね。そういう、精神疾患の人々を囲い込むのではなく、対人訓練(デイケアは対人訓練としても機能します)とかして、なるべく外部に向けた社会との絆を作るということが、精神病院の大きな役割なんですね。

病院の先生も精神保健福祉士さんもカウンセラーさんも作業療法士さんもみんな、そういうこと、人を助けることのために頑張っていて、人を助けることに一生懸命で、自分と見比べて、凄く、心打たれました。治療制度も、例えばデイケアでは食費なんかも補助によってほぼゼロ、ほとんど掛からないようになっていて、僕は生活が凄く厳しい(貧しい)ので、凄く助かっています。ただ、病院が遠いので、往復交通費が1000円掛かってしまうのが辛いですが、それがなければ、デイケアにずっとでてれば、昼食費をほぼ完全に浮かせるので、歩いて病院に行ける方々にとっては、それこそ、キリスト教的な慈善の精神、ほぼただで、昼食が取れるし、デイケアも精神治療の医療の一環として、診察費・薬代などと複合して、低収入者には上限負担額の限定が掛かるので、僕みたいな低収入の方は、いくら医療を受けても数千円で、昼食費もほぼゼロに近い形で、なんとか暮らしていける、そして、その中で、治療を受けて、症状を緩和しながら、完全に治すことは無理でも、症状を和らげて、働いたりしていけるようにしていくんですね。

病院側・治療側にはこういった福祉制度があるのですが、精神疾患の方は僕も含めて財政的に余裕がない方々が多いですから、通院の場合、往復交通費はとても大きな問題で、精神障害保健福祉手帳があっても交通費を割り引いてくれないJRという巨大鉄道会社(また、JR以外にも割り引いてくれない他の交通手段)には福祉よりも利益をとっている交通会社であって、凄く問題があると思います…。バス(公共バスだけでなく私営のバスも)や都営地下鉄や一部私鉄などの福祉に力を入れている交通会社は無料か、かなり割り引いてくれます。

精神疾患にとって、よくないのは、孤独、人との絆が絶たれてしまうことで、それを、繋げていくことが治療としてとても大切で、僕も、うつ病の疾患だけではなく、他の病気の精神疾患の人と、お話したり、ゲーム(コンピュータゲームではなく、通常のカードゲーム等です)したりで、仲良くなって、孤独ではないということを少しずつ感じられるようになりました。ずっとコンピュータだけに向き合っている生活(テクノストレス)とか、仕事上だけの付き合いとか、そういうのではなくて、そういう関係を抜きにした、人と人との絆を創っていくことが、心を助けるために、大切なんですね…。

僕が、以前、不安になって、先生にかかって、うつ病は治らないんでしょうか、と聞いたら、基本的に治らないということはなくて、稀にある難治性のうつ病も、時間が掛かるということで、決して治らないということではないということを、丁寧に説明してくれました。なかなか治らないケースで一番多いのは、患者さんが途中で勝手に薬の服用を止めてしまったり、勝手に自己判断で通院を辞めてしまったりするような場合が多いみたいです。

ただ、世の中には、先のブログ主のような精神疾患に偏見を抱いている方が大勢いて、そういう偏見が精神疾患の人々の社会復帰の最も大きな障害の一つになっています。一度精神疾患にかかったら治らないとか、精神疾患の人間は危険だから雇わないというような、先のブログ主が抱いているような偏見が、精神疾患の治療や社会復帰の大きな妨げになっています。精神疾患の方は、病状・またそのときの症状によりますが、感じやすい方が多いので、僕は先のブログを見て、非常に気分が悪くなって、辛い思いをしました。僕以外にも、うつ病や、他の精神疾患の方が見たら、非常に辛くなると思います。

本当は、インターネットは基本的にやらないように先生から指導を受けているんですが(インターネットには先のブログのような偏見などが非常に多くあるので、精神疾患の症状を悪化させることが多いです)、そうすると僕の場合は、完全にネットを断ってしまうと、収入(アフィリエイト)が完全になくなってしまうので、そこで、ブログを更新して、信頼できる人とだけメールをして、善意のギフト(贈与)をしてくださる方からだけメールを受け取る形にしております。(善意のギフトはamazonギフト券です、本当に生活に助かっています。昨日頂いた時は、生活苦だけでなく、物凄く心身が参っていたので、贈与の善意が心のとても慰めになりました、ありがとうございます、追記:本日も別の方から頂き、本当に助かっております、善意のお気持ち、本当に生活面でも心の面でも助けられていて、ありがとうございます、言葉では伝えられないほど助けられ感謝しております。ありがとうございます。)

ネットを観るのはそういった限定した使い方(善意ある方々とだけ繋がる形)にして、基本的にあまりネットに関わらないようにしてください、というご指導受けております。先日はそれを守らずに、先のようなブログを見てしまって、本当に先生の仰ったことは正しかったなと、思いました。僕のミスで、自身の症状を悪化させてしまって、治療してくださっている先生や精神保健福祉士さんらに、そして両親にとても申し訳ないと思いました。

以前、メールのやり取りをしている信頼できる方から、その方は教育関係のお仕事をされていらっしゃるそうでして、ぜひ教育で、差別のない社会を目指してほしいですということを、僕が書いたんですが、今も心からそう思います。

先日は非常に辛かったので、音楽も聴けなくて、トラークルの詩集を読んでいました。僕は、彼の詩が大好きなんです。彼もうつ病(だったと云われています)でしかも生活苦ですが、生活苦の方は、大富豪の哲学者ウィトゲンシュタインが自分の財産を貧しい人々に贈与したときに、彼もウィトゲンシュタインから二万マルクを貰って生活苦をしのぐことができたのですね。それで、僕も、アクセス数が激減したにも関わらず、アフィリエイトを使って下さる方々やギフト券を贈ってくださる方々のことを、思って、言葉では言い表せない、感謝という言葉では言い表せない気持ちです。でも、トラークルは、戦争で野戦病院の医療官として赴き、そこで酷い地獄の惨状を見て、精神的なショックを受けて、二十七才で夭折してしまいました…。

僕の好きなトラークルの詩集や書簡をいくつかご紹介致します。下記引用は全てトラークル詩集 (双書・20世紀の詩人)より。

「古い記念帳に」

繰り返し戻ってくるもの お前 メランコリー、
おお 孤独な魂の和みよ。
黄金の日はきらきらと燃え尽きる。

忍耐づよい男は苦痛に対して敬虔に頭を垂れ
あたりには和音と柔らかい狂気が響く。
ごらん、はや暮れてくる。

再び夜が還って来て 死すべきものが嘆き
そして別のものが共に苦しむ。

秋の星たちの下におののきながら
年ごとにさらに深く頭は傾く。

もう一つ好きな詩をご紹介致します。

「憂鬱」

世界の不幸がこの午後を霊のように徘徊する。
バラック小屋が褐色に荒れた小庭をとおって逃げる。
燃えくずが 燃え尽きた堆肥の周りに揺れている、
眠っている二人がふらつきつつ、灰色にぼんやりと、家路を辿る。

枯れた牧場を子供が走る
そして黒くつややかな目で遊ぶ。
茂みから黄金が くすんで鈍く滴る。
老人が一人哀しく風の中で回っている。

夕暮れ 再び 私の頭上で
土星が音もなく みじめな運命を操っている。
一本の木、一匹の犬があとじさる
すると 神の空は黒く揺れて葉を落とす。

一匹の小魚がすいと小川を下にすべる、
すると 死んだ友の手がそっと触れて
額と衣服の皺をいとしげに伸ばしてくれる
一つの光が部屋べやに影を呼び覚ます。

この詩は、最終段落が救いになっていて、一つの光というところで、僕はAIRというゲームにでてくるヒロインの女の子、神尾観鈴を読んでいると想起させられます…。
最後に、書簡を紹介いたします。親友のフィッカーに宛てた手紙です。

敬愛する友
五日前から私は当地の軍病院に、精神状態鑑定のために入っています。私の健康は、おそらくかなり参っているらしく、相当頻繁に言いようのない悲哀感に陥ります。この欝状態の期間が早く通り過ぎてくれればよいのですが。奥様、お子さんたちに宜しくお伝え下さい。どうか二言三言を電報して下さい。あなたから何か(よい)ニュースがお聞きできれば、とても嬉しいのですが。心からのご挨拶を。敬具
ゲオルク・トラークル

参考作品(amazon)
トラークル詩集 (双書・20世紀の詩人 13)
トラークル全集
amazonトップページ

Archives
livedoor プロフィール

ねこねこ

記事検索
  • ライブドアブログ