2008年08月03日 06:40

人々に助けられてつくづく感謝致しました。人々を助けることについて。

僕は重度かつ継続の精神疾患(うつ病)として障害者自立支援法が適用されまして、自己負担額が一割で、なおかつ低所得者なので自己負担上限額というのがあって、精神科のお医者さんに掛かるのは勿論、心理療法も現在受けているんですが、一割の自己負担が自己負担上限額を越えても、それ以降は医療費が加算されないので、どれだけ沢山沢山精神治療を受けても数千円しか掛からないんですね。

それで、精神科医の先生からなるべく心理療法(様々なリハビリテーション)にでるように進められて、最近、なるべく連日通っているんですが(精神医療の医療費は薬代含めいくら掛かっても月上限負担数千円まででとても助かりますが、往復交通費が普通に1000円くらいかかってそれが金銭的にきついです、精神障害者福祉における交通費の補助というのは制度の拡充がまだまだ遅れているようです、毎日通うと交通費が三万円くらい掛かるので、それがネックで毎日は通えません)、つくづく助けられていて、心の底からありがたみというものを感じます。精神科医さん、精神保健福祉士さん、作業療法士さん、カウンセラーさん、看護士さんなどの人々を直接助けられるお仕事をなさっている方々は本当に貴いなと思いました。

精神科医の先生はとてもお忙しいので、週一とかのペースでしか治療を受けられませんが、様々な心理療法はそれこそ、毎日のように受けることが可能なんですね。毎日だと交通費が足りないので、どうしても、毎日は受けられませんが、貯金を崩しながら、回数券とか使って交通費をなるべく節約して、なるべく通うようにしています。

僕のやってきた仕事は、身体が虚弱体質なので、肉体関連の仕事はできなくて(それでもどうしても仕事がない時は荷物運びとかの肉体労働やってて、ギックリ腰になった遠因もそれかなと…)、だいだいIT関連の下請けの下請けの下請けのIT作業とか、色んな会社の仕事の下請けの下請けの下請けの下請けの派遣事務とか事務のアルバイトとかでして、仕事やっていて、生きがいとか、人を助けているという感覚は全然なかったんですね。自分が人に云われたことをただ処理するだけで、ただ、生き延びる糧を得るために働いているという感じでした。

それがうつ病になって働けなくなってから、苦しんでいる人々を助ける行いがいかに貴いか、始めて本当の意味で実感できた思いです。人々を直接助ける仕事をしている人は、仕事に生きがいを持って働いているんですね。それは、心理療法がダイレクトに実際の人と人との交流としてあって、それによってだんだん気持ちが楽になってきて、勿論、お薬がだんだん効いてきているというのもあると思いますが、心理療法の効果も絶対にあります。精神保健福祉士の方やカウンセラーの方に悩みをお話しするだけでも、心の負担が全然違うんですね。悩みを相談すると、それに親身になって聴いてくれて、それで、今、一番いい方法は何か考えましょうということで、一緒に考えてくれて、アドバイスをくれたり、客観的な意見(僕はうつ病なので認識が歪んでいます)を述べてくれたりして、本当に助けられていて、それは物凄く心が助けられます。心の重荷が軽くなるんですね。

プライベートな重い悩みを一人で背負っていると、僕みたいにうつ病や他の精神疾患になって、心が疲れてしまうと思うのですね。でも、日本にはキリスト教圏のような聖職者の方に悩みを告解するような制度はありませんし、海外に比べ、残念なことですが、精神障害者に対する偏見も強い社会ですし(それによって病院に行くハードルが高くなってしまっている)、どうしても悩みを一人で抱え込むことが多くなって、それが、とても悲しいことですが、日本の自殺率が極めて高いことに繋がっていると思います。うつ病になると、物事の考え方が負の増幅するスパイラルみたいになって、もう、死ぬしかないみたいなところにどんどん落ちていくんですね。認識が悲観的で自責的な方向にどんどん落ちていきます。まさしく下記引用のような感じで、どんどん落ちてゆきます。

(重篤なうつ状態で)気分が落ち込んだとき、私たちはそれがその人の精神力の問題のように考えてしまうところがあります。(中略)
しかし、そうではありません。抑うつ気分はその人個人の精神力ではどうすることもできないことが多いのです。
「ワシントンポスト」の記者のトレーシー・トンプソンが書いた『うつ病と闘ったある少女の物語』といううつ病の体験記があります。この本の原題を『ザ・ビースト』と言います。ビーストというのは、日本語では獣という意味で、彼女は十六歳のときに初めてうつ病にかかったときそれがうつ病とはわからず、獣に襲われたようなすごく怖い体験をしたためそのようなタイトルをつけたと言います。その本の中で彼女は次のように書いています。

もし自分がこうだったらと想像してみて。
自分の認識が歪んでいくんだけど、
いつそうなるか予測がつかないの。
おまけに、どの認識もおかしくて、
どれが現実なのか区別もつかない。
押し寄せてくる気分に抵抗することもできず、
何かを説明するのにもゆがみきった
最悪の認識のほかに頼るものがない。
そんな状態で毎日を過さなければならないの。

これを読むと、うつ病が自分の力ではコントロールできないほどの勢いを持っていることがわかります。(中略)
うつ病を治すためには、薬物療法のような生物学的な治療と、カウンセリングのような心理的療法、そして環境調整のような社会的治療を組み合わせて行うことが必要となります。
(大野裕「「うつ」を治す」)

この通りで、どんどん辛くて苦しくて表現しようのない認識に落ちてゆくので、一人でいたら、とても耐えられません。幸い、僕には家族がいて、僕が酷い状態になっているところを見つけてくれて、すぐ病院に連れてゆかれて、治療を始めて、本当に助かりました。また、現在も金銭的にも全然余裕がなくて、大変なのですが、今、昔やっていた以前のブログに比べアクセス数が激減(十分の一くらい、数千だったのが数百になりました)しているんですが、今月のアフィリエイトはうつ病に掛かる前の三分の一くらいで、わざわざ僕のところで買い物をしてアフィリエイトを使って助けてくれている応援してくださる方々がいるんだなと思って、胸が熱くなりました。ありがとうございます。交通費や医療費の助けに使わせて頂いています。そして、ギフト券を送ってくださる皆様のおかげで、食べ物とか、日常の消耗品(生活必需品)を買うことができて、生活がなんとかできて、ありがとうございます。本当に言葉に表せないくらい、うつ病とは正反対の明るい意味で、感謝しています。沢山助けられて、本当にありがとうございます。

皆様もうつで調子がおかしいときは、決して怖がらず、病院に行って下さい。治療、とても大切です。一人で悩みを抱え込むと、どんどん辛くなってしまいます。そういうとき、病院(治療者の方々)は助けてくれます。日本社会から精神障害に対するおかしな差別意識がはやくなくなればいいなと思います。メンタルが辛いとき、苦しいとき、病院に掛かって、治療を受けることはとても大切です。

僕は精神の病気(うつ病)になって、助けてくださる方々、医療に携わる方々、支援してくださる方々に、うつ病になる前には感じられなかった、本当のありがたみ、感謝を感じます。本当にどうもありがとうございます。人々に助けられると、今までの自分がいかに自己中心的であったかということが心底分かって、感謝の気持ちで一杯です。

はやく病気を治して、僕も人々を助ける人になりたいなと、心から思っています。

参考作品(amazon)
「うつ」を治す (PHP新書)
うつ病と闘ったある少女の物語

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