2008年06月13日 20:54

猫と幸せ、熊井明子さん

家に帰ってきて、猫がにゃ〜んにゃ〜んって鳴きながらすりよってきて、一杯身体をすりつけてきてくれるとき、嬉しいです。猫と一緒に、好きな本読んだりアニメ見たりするとき。街で猫を見かけたり一緒にいるのが好きです。猫と一緒に熊井明子さんの猫随筆読んだりすると、とっても不思議な、優しい気持ちです。

熊井明子さんのとても素敵な猫随筆については、田辺聖子さんがその魅力一杯語ってて、いい文章、少し引用します。熊井明子さんの「私の猫がいない日々」について書かれた文章です。

熊井明子さんのお名前をはじめて見たのは、何かのエッセーだった気がする。
その文章の感じは、やわらかな猫の、ふわふわ毛にさわったような、といおうか、猫の桃色の、冷いあしのうらをそっと握った、といおうか、それに加えて、すずやかな、ひとすじ甘い香りがただよっている……そんな雰囲気の文体だった。(中略)
信州のお生れでいらして、風や野の匂いや花々に包まれた少女時代を過され、自然の中で生きる幸せ、自然がなかったら皮膚呼吸できないというような、自然と人間の蜜月を体験されたからであろう、熊井さんの手作りのポプリは木の根っこや樹脂や、嵐のあとの森の梢の露、そんな匂いに満ちていて、わたしの胸をいっぱいにして下さったのだった。
そういう熊井さんが、猫好きでいられるのは、まことに当然のおもむきのような気がして、私は微笑を禁じ得ない。人間には犬好きと猫好きとある、とはよくいわれることだけれど、犬はこちらの(人間の)気持にすぐ順応し、人間まみれになってしまうところがある。この本の中にもあるけど、アメリカのある心理学者はいったという、「ウツの時は仔猫をかいなさい。犬はダメ。飼い主といっしょにウツになってしまうから」というのは、たしかにあることだと思う。
犬は「自然」でありながらも、「人工」的な存在である。
しかし猫は自然そのものといっていい。人間と心の交流を保ちつつ、奔恣に奔放に生きるところがいい。(中略)
次第に読者の心の中に、「悲しければこそ、猫を飼おう。猫と暮らしたい。猫と人生を分け合うって、どんなにすてきだろう……」という気持ちを起こさせるのだ。この本を読んだあと、私たちは「愛したい」という心をそそられ、死別・生別の悲しみこそ、愛を味深くするものであることに気付かされる。
人と猫が構築する濃密な愛の世界は、人生の厚みを増し、匂いを甘くするのだと知らされる。
この中に出てくるポポやマイマイという猫の死に泣きながら、それゆえにかえって(猫ってなんて素晴らしいものだろう)と思わされるのだ。
パリやロンドンに猫を見にゆく、という話も面白かった。猫を見にゆく、ということ自体が、すでにこの世のものならぬメルヘンではないか。異国のまちで生きている猫と、ほんのかりそめの出逢いをする、その一瞬のかさなりあう時間にたつ虹を見に、熊井さんはパリやロンドンをさまよう。それは「東京猫地図」の、猫が飼えないとき、よその猫をみてあるく、というお話にも通うけど、熊井さんは所有物としての猫を考えていられるのではない、そこに生きている、そこに暮らしている猫を
「見る」
だけで心がゆたかに充たされる人のようである。
猫たちと自分がいま、同じ時間、同じ場所で呼吸している、生命のかがやきを共有している、そう思うだけで、乾いていた咽喉がごくごくとおいしい水を送りこむように堪能し、満足する人であるように思われる。いっしょに生きようね、生きながらえて楽しい人生でいようね、猫にそういえる人であるようだ。
田辺聖子「性分でんねん」より

僕もこれとてもわかるように感じます。猫好きな人は、猫飼うとき、その猫を、ずっと大切にしてあげて欲しい。ずっと幸せにしてあげて欲しい。そうすると、猫が幸せだと、こちらにもその幸せが感じられます。

私の猫がいない日々 (集英社文庫)
いつも私の猫がいる
猫の文学散歩 (朝日文庫)
猫と見る夢
CATS in Four Seasons―子猫たちの四季 内山晟写真集
花の詩集 (福武文庫)
性分でんねん (ちくま文庫)


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