2022年02月04日 13:43

タコピーの原罪、純然たる悪のファム・ファタールしずかちゃんと、カインとアベル

タコピーの原罪9話を読んでぶっ飛びました。しずかちゃんが完全なる悪、純粋な悪、自らの利益の為に自らの意志で男性を惑わせて破滅させる純然たる悪のファム・ファタールになっている。以前、本ブログにて、しずかちゃんは、邪悪なファム・ファタールではないということを書きましたが、訂正しなくては…。しずかちゃんは近代的な邪悪なファム・ファタール存在ですね…。

この物語(タコピーの原罪)の上手いのは、意図的にしずかちゃんの内面を描くことを徹底的に避けているので、タコピーにも読者にもしずかちゃんの内面は分からない。その為、いつからしずかちゃんが邪悪なファム・ファタールとして覚醒したのかは不明ですがが、現行の9話でしずかちゃんが完全なる邪悪として描かれたことで、タイトルであるタコピーの原罪の意味、キリスト教モティーフは、とても分かりやすくなった。

しずかちゃんの身体にタコピーが乗っていつも一緒に描かれていた意味。それは、しずかちゃんが、リリスであることを示している。ジョン・コリアの「リリス」を見ると一目瞭然です。人類に原罪を齎したアダムの最初の妻リリスは西洋美術において、蛇をまとわり付かせたファム・ファタールなのです。タコピー=蛇、しずかちゃん=リリスで作中のメインとなる全ての意匠(しずかちゃんにタコピーが乗っている姿)の謎が解けましたね。

ジョン・コリア「リリス」(1887作 パブリックドメイン)
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しずかちゃんが邪悪なファム・ファタールとしていつから覚醒したのかは現状では不明ですが、私は、タコピーによるまりなちゃんの殺人を「魔法」としてしずかちゃんが肯定した時からではないかと思います。「魔法」のシーンでは、しずかちゃんは何も実際の行動はしていないから罪はないという意見が多かったですが、キリスト教は内面、すなわち心の罪を重視する宗教です(「情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」マタイ福音書)。タコピーの原罪は題名や上述の意匠のように、キリスト教を極めて強く意識した作品ですので、まりなちゃんの殺害を心の中で肯定したとき、しずかちゃんは完全な悪の存在になったとキリスト教的には考えられます。

しずかちゃんは、その悲惨な境遇から、無垢な善に近いヒロインとして好意的な目線で見ている読者(私も含まれます)が多かったですが、これは、サロメの逆パターン(聖書に記述されるサロメはヨハネを積極的に害そうとしたのではなく、母のメッセンジャーをしたにすぎなかったが、様々な芸術のモティーフとして取り上げられる中で鑑賞者から悪のイメージを付与されてゆき、それがオスカー・ワイルドの戯曲にて結実した)なのかもしれません、すなわち、悲惨な境遇にある美少女は善性を持っていてほしいという読者(鑑賞者)の先入見を裏切ることのできる、邪悪な存在としてしずかちゃんはタイザン5先生により最初から造形されていたのかもしれません。

また、東くんは救われてほしいという意見が多いですが、それも次の二つの理由により、ないと考えます。

まず一つは、キリスト教は情欲に惑わされることに対して非常に厳格な宗教であることです。純然たる悪のファム・ファタールしずかちゃんの色仕掛けに引っかかって簡単に悪の片棒を稼ぐような男性(東くん)には、色欲に惑わされて篭絡されて悲惨な最期を遂げたホロフェルネス(ユディト記)のような運命が待ち受けているだろうと考えます。特に東くんは彼自身の内面(観念)がしずかちゃんの悪(盗みの唆し等々)に落とされているわけで、単純な肉体的魅力に篭絡されるよりも、キリスト教的には遥かにより救い難い感じですね…

吉本隆明「(キリスト教の特徴は)姦淫することなかれというような、そういう律法、ないしは掟に対して、非常に観念的な、大変観念的な領域にまで拡張しまして、つまり、心の中で色情を抱いて異性を見たらもう姦淫したんだという風に言っているわけです(略)そういうものが、キリスト教時間的には、あるいは空間的に、地域を越えて、一地域を越えて、やはり何と言いますか、生きさせてきた根本にある問題だと思われます」(宗教と自立)

もう一つは、こちらの理由の方が物語論的には大きいですが、タコピーの原罪9話で、カインとアベルをやる為の背景を丁寧に描写していることです。カインとアベルは、創造主の愛を巡るカインとアベル兄弟の嫉妬が人類最初の嘘と殺人に発展する訳ですが、創造主とは、子供にとって親な訳です。カインとアベルは、タコピーの原罪においては、東くん兄弟の親の愛を巡る兄弟の争いとして描かれている訳ですね。9話ではそれがはっきりと描かれている。東くんは、創造主、すなわち東くんママの愛を独り占めする潤也くんのことをカインのように憎んでいる訳です。

9話からは、カインとアベルの悲劇を見事に再現する以外の何ものも見えない。いまだに東くんが救われることを願う人々の願いを美しく裏切り、そして深読みする人々の期待に応え、おそらく10話は東くんが想像を絶する破滅を迎える素晴らしく美しき悲劇の地獄となるでしょう。それを読むときのこと、そして愛する登場人物(東くん)が滅び行く姿を見る読者皆のカタルシスの喜び(アリストテレスは、優れた悲劇の条件として、悲劇的運命を迎えて破滅する人物が、鑑賞者から愛される人間、すなわち極悪人などではない、善良さを持つ人間であることを挙げた。そのとき、カタルシスの条件たる恐れと哀れみが誕生する。ゆえに極悪人のまりなちゃんよりも善良な東くんの破滅の方がより優れた悲劇的)を思うと、まさに、「偉大なる劇作家と歴史の目撃者に!!」という感興になりますね!なんと…なんと素晴らしい…



小型聖書 NI44 (新共同訳)
日本聖書協会
1988-10-01






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