2021年12月31日 03:24
タコピーの原罪。しずかちゃんという清らかなるファム・ファタール
タコピーの原罪 上 (ジャンプコミックス)
タコピーの原罪、4話まで読了。本当に良くできていて、素晴らしいですね。特によく出来ているのが、「原罪」の意味合いで、タコピーにとって、しずかちゃんはまさにファム・ファタール(運命の女。恋心を寄せた男を破滅させるために、まるで運命が送り届けたかのような魅力を備えている)なんですよね。無垢な存在(タコピー)がファム・ファタールによって悪の道に踏み出し破滅するという、まさに世紀末芸術的な物語になっている。
そして何よりも上手いのが、しずかちゃんは、ファム・ファタールであるけれど、決して悪意がある訳ではないことですね。しずかちゃんは悪意を持つ悪女ではない、これは、詳しくは後述しますが、漫画などで多い近代的なファム・ファタール=悪女の描き方と異なり、極めて古典的かつエポックメーキングなものです。実に見事だと感じましたね。
しずかちゃん型のファム・ファタールは、ただ、その存在と運命が、彼女に心を寄せる男性を破滅へと誘ってしまうのであって、ファム・ファタール自身は彼女に引き寄せられ破滅する男に対して悪意があったり憎悪があったりする訳ではない。ただ、ファム・ファタールに引き寄せられることで、その男の運命の歯車が、破滅へと噛み合ってしまうんですね。
タコピーの原罪も、ファム・ファタール(しずかちゃん)の、彼女に恋する者(タコピー)を破滅させる力は、しずかちゃんの意志でもなく、タコピー本人の意志でもなく、すなわち人間の限られた意志などではなく、様々なめぐり合わせが引き寄せる運命の無数の歯車なのです。これが、タコピーの原罪は凄く上手く描けている。しずかちゃんは、マノン・レスコーと同じで、彼女自身は悪意も何もない純粋な女性だけれど、同時に自分に恋焦がれる存在を滅ぼしてしまう運命を背負っている訳です。
そして、ファム・ファタールの物語における何よりも大きな選択は、ファム・ファタールに焦れる男性は破滅が分かっていても、そのファム・ファタールに引き寄せられることを止められない、やり直すことができない、絶対的な一回性ということです。タコピーの原罪はこれも極めてよく描けている。タイムカメラが壊れることと、その事象(まりなちゃんを始末した)が結びついて、ファム・ファタールたるしずかちゃんとの避けられないやりなおせない運命が発動している。これが素晴らしく上手い。
タコピーの原罪と同じくジャンプラの漫画である「エクソシストを堕とせない」では、ファム・ファタール然としたファム・ファタール、サタンの手下であるサキュバスが、主人公を堕落させる為に近付きますが、こういった形態のファム・ファタールは、寧ろ極めて近代的な、運命よりも意志を上位に置き、破滅の責任をファム・ファタールに帰す為のものではないかと言われています。しかし、ファム・ファタールの根源としては、ファム・ファタール本人は、ただ純粋に恋しているだけなどの悪意や打算などは持たないが、それでも自らに恋をするものを滅ぼしてしまう運命を負ったもの、つまり、しずかちゃんタイプのファム・ファタールが根源にあると。
これは、スタイナーが「悲劇の死」にて分析した、ギリシア悲劇から連綿と続く、個々人の意志よりも大きな無数の運命の歯車の動きに人は左右されている、という考え方があり、そこから生まれるファム・ファタールの概念として、あるものなんですね。しずかちゃんが悪いのではなく、運命がそれをタコピーに迫っている、そしてタコピーはその運命を選択すると考える。この観点からおいて、タコピーの原罪は、まさに古典的悲劇の領域に触れえる傑作であると思います。
ジャンププラス タコピーの原罪
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タコピーの原罪、4話まで読了。本当に良くできていて、素晴らしいですね。特によく出来ているのが、「原罪」の意味合いで、タコピーにとって、しずかちゃんはまさにファム・ファタール(運命の女。恋心を寄せた男を破滅させるために、まるで運命が送り届けたかのような魅力を備えている)なんですよね。無垢な存在(タコピー)がファム・ファタールによって悪の道に踏み出し破滅するという、まさに世紀末芸術的な物語になっている。
そして何よりも上手いのが、しずかちゃんは、ファム・ファタールであるけれど、決して悪意がある訳ではないことですね。しずかちゃんは悪意を持つ悪女ではない、これは、詳しくは後述しますが、漫画などで多い近代的なファム・ファタール=悪女の描き方と異なり、極めて古典的かつエポックメーキングなものです。実に見事だと感じましたね。
しずかちゃん型のファム・ファタールは、ただ、その存在と運命が、彼女に心を寄せる男性を破滅へと誘ってしまうのであって、ファム・ファタール自身は彼女に引き寄せられ破滅する男に対して悪意があったり憎悪があったりする訳ではない。ただ、ファム・ファタールに引き寄せられることで、その男の運命の歯車が、破滅へと噛み合ってしまうんですね。
タコピーの原罪も、ファム・ファタール(しずかちゃん)の、彼女に恋する者(タコピー)を破滅させる力は、しずかちゃんの意志でもなく、タコピー本人の意志でもなく、すなわち人間の限られた意志などではなく、様々なめぐり合わせが引き寄せる運命の無数の歯車なのです。これが、タコピーの原罪は凄く上手く描けている。しずかちゃんは、マノン・レスコーと同じで、彼女自身は悪意も何もない純粋な女性だけれど、同時に自分に恋焦がれる存在を滅ぼしてしまう運命を背負っている訳です。
「傲慢、残酷、暴力、悪魔的、邪淫はマノンには全くなく、罪、妖婦・娼婦性といった属性も基本的にない。つまり、それらはファム・ファタルの要素たり得るが、必要要件ではない。そもそもデ・グリュは愛人に関するマノン自身の告白を聞いていてさえ、彼女の悪意・悪気のなさ、いや誠実さを確信するのだから、浮気や快楽の追求を本来的なネガティブな面としてマノンに見出すことは適切ではない」(近代精神におけるファム・ファタルの新しい形)
そして、ファム・ファタールの物語における何よりも大きな選択は、ファム・ファタールに焦れる男性は破滅が分かっていても、そのファム・ファタールに引き寄せられることを止められない、やり直すことができない、絶対的な一回性ということです。タコピーの原罪はこれも極めてよく描けている。タイムカメラが壊れることと、その事象(まりなちゃんを始末した)が結びついて、ファム・ファタールたるしずかちゃんとの避けられないやりなおせない運命が発動している。これが素晴らしく上手い。
「キーツの詩が示唆するのは別のこと、つまり男性が女性に滅ぼされたいという欲望を持つ、あるいは少なくとも滅ぼされることが分かっていてもそれを避けないということであり、それがファム・ファタルの物語上の弁別的、定義的な構成要件となる。男性側のこうした欲望や意志が単なる犯罪的事例・物語をファム・ファタル物語の範疇から排除するメルクマールとなる」(近代精神におけるファム・ファタルの新しい形)
タコピーの原罪と同じくジャンプラの漫画である「エクソシストを堕とせない」では、ファム・ファタール然としたファム・ファタール、サタンの手下であるサキュバスが、主人公を堕落させる為に近付きますが、こういった形態のファム・ファタールは、寧ろ極めて近代的な、運命よりも意志を上位に置き、破滅の責任をファム・ファタールに帰す為のものではないかと言われています。しかし、ファム・ファタールの根源としては、ファム・ファタール本人は、ただ純粋に恋しているだけなどの悪意や打算などは持たないが、それでも自らに恋をするものを滅ぼしてしまう運命を負ったもの、つまり、しずかちゃんタイプのファム・ファタールが根源にあると。
これは、スタイナーが「悲劇の死」にて分析した、ギリシア悲劇から連綿と続く、個々人の意志よりも大きな無数の運命の歯車の動きに人は左右されている、という考え方があり、そこから生まれるファム・ファタールの概念として、あるものなんですね。しずかちゃんが悪いのではなく、運命がそれをタコピーに迫っている、そしてタコピーはその運命を選択すると考える。この観点からおいて、タコピーの原罪は、まさに古典的悲劇の領域に触れえる傑作であると思います。
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