2009年06月

2009年06月09日 02:37

エフゲニー・キーシン名演奏集 第1巻(4枚組)
エフゲニー・キーシン名演奏集 第2巻(5枚組)

ピアノの名門コンクール、バン・クライバーン国際ピアノ・コンクールにて全盲の若手日本人ピアニスト辻井伸行さんが優勝しました。良いことです。おめでとうございます(^^)

米・テキサス州で開催の国際ピアノコンクールで全盲の日本人・辻井伸行さんが優勝
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20090608/20090608-00000725-fnn-int.html
アメリカ・テキサス州で7日に開かれた国際コンクール「バン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で、全盲の日本人ピアニストが優勝を果たした。ピアニストの登竜門として知られるこの大会で、日本人として初めての快挙となった。
現在20歳の辻井伸行さんは、生まれつき目が不自由で、幼少のころから、全盲のピアニストとして注目されていた。
半世紀近くの歴史があるこの大会での日本人の優勝は初めてで、優勝した喜びについて、辻井さんは「夢のよう。お客さんの反応がとても温かく、それがとてもうれしかった」と話している。

これはCDで早く聴いてみたいですね。クライバーンは評価の高い国際ピアノコンクールでして、優勝というのは、実力が国際的に認められたと考えてよいと思います。クライバーンは若手育成を目的としたコンクールであり、その後の音楽活動への手厚い支援(CD用レコーディング支援等)で知られるコンクールでして、間違いなく辻井伸行さんのソロ・アルバムが近日中に出ます。今後の活躍を期待致します。

僕は辻井伸行さんの演奏を全曲確りと聴いたわけではないので、今のところ、どのような演奏かはっきりと判断は下せませんが、CD化されたらきちんと聴いてみたい演奏の一つですね。

ちなみに僕は若手ピアニストでは十数年前からエフゲニー・キーシンのファンなんですが、今、既にキーシンって四十歳近いんですね…(キーシンは1971年10月10日生まれ)。僕がファンになったときはキーシンはまだ二十代だったのですが…時の流れは早いものです…。

ウィキペディア「エフゲニー・キーシン」
エフゲニー・キーシン(1971年10月10日 - )はロシアのピアニスト。

モスクワ生まれ。わずか2歳でピアノを学び始める。のちグネーシン音楽大学に進んで、アンナ・パヴロフナ=カントルに今日まで師事する。10歳でモーツァルトのピアノ協奏曲(K.466)を弾いてデビュー、11歳で初リサイタルを開くなど、幼い頃から神童ぶりを発揮する。12歳の時、ドミトリー・キタエンコの指揮するモスクワフィルハーモニー管弦楽団で弾いたショパンのピアノ協奏曲が発売され、世界中の注目を浴びることとなる。

以来、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、アバド、カラヤン、小澤など多くの著名オーケストラ、指揮者と共演。

コンクール入賞歴はほとんどないが、国際的ピアニストとして世界各地で演奏・録音活動を積極的に続けている。1986年、初来日し全国ツアーを行う。2003年再来日。いずれも好評である。1990年9月30日にカーネギー・ホールにおいて、アメリカ・デビューを果たす。当日の演奏は絶賛され、CD化されて、世界的名声をいっそう確かなものとした。

近年は自作の発表を行っていないようだが、少年時代にはピアノ小品を作曲・演奏・録音していた。ソ連時代には、世界各地の民謡をリサイタル後のアンコール・ピースとして編曲したこともあった。日本の文部省唱歌を編曲したものは、まとめてアルバムも作ったが現在入手が困難で、日本国内の愛好家やレコードコレクターの垂涎の的になっている。

主なレパートリー
ショパン、リスト、チャイコフスキー、ラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフ、ベートーヴェンなど多岐に渡るレパートリーを誇っている。かつてはロマン派音楽とロシアとソ連のピアノ音楽を中心に、超絶技巧を聴かせる曲目が多かったが、近年ではフランクやブラームス、メトネルなど、より内面的・瞑想的な性格の作曲家の作品にも意欲的にとりくみ、新境地を開拓している。

キーシンの作品では廉価クラシック音楽レーベルの神、ブリリアントレーベルから出ているエフゲニー・キーシン名演奏集第一巻がキーシンの魅力がたっぷりつまった四枚組のセットで2600円、お勧めです。第二巻も五枚組で出ており(こちらは3325円と、第一巻より一枚多い分、少々高めです)、演奏の質は第一巻と同じくお墨付きでして、第一巻が気に入ったお方にはこちらもお勧めです。

また、DVDの「アート・オブ・ピアノ」では若い頃のキーシンが老巨匠達に対するコメンテーターとして出ており、非常にユニークで面白いコメントをつけておりますので、お勧めです。

参考作品(amazon)
エフゲニー・キーシン名演奏集 第1巻(4枚組)
エフゲニー・キーシン名演奏集 第2巻(5枚組)
アート・オブ・ピアノ-20世紀の偉大なピアニストたち- [DVD]
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翻訳夜話 (文春新書)
翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)

以前より取り上げさせて頂いた村上春樹「1Q84」が物凄い勢いで売れていて、百万部突破は確実だそうですね…。う〜ん…どういう層に売れているのか、ちょっと分からないので、購買層分析して欲しいなと思いますね…。

柴田元幸氏や村上春樹氏自身が書いていますが、村上春樹氏の小説って、基本的にお金持ち(上層階級・資本階級)の創り手(春樹氏自身)による階級を意識したお金持ちのお坊ちゃんお嬢ちゃん向けのモラトリアム小説ですから…。僕みたいな貧困層はW村上(村上春樹・村上龍)だったら、てらいのない龍(村上龍氏)作品の方が好きなので、村上春樹氏の小説をどういう層が読んでいるのか、よく分かりませんね…。日本には百万人もお金持ちがいたのかという感じです…。村上春樹氏自身も、日本で自分の本が理解できる層は十五万人ぐらいだろう、ということを述べていますね。

編集部
「(サリンジャーを読んだ)若い読者が階級みたいなところに着目するのは面白いと思うんですけど」

柴田元幸
「でもこれ(登場人物達の経済階級に着目する読み方、ネオ・マルクス主義的文学批評)、最近では(文学批評として)正統な読み方になりつつあるんですよ。つまり、ある登場人物を評価するときに、その人の階級感や差別意識にいちばん本性が現われるという見方。(中略)まずこのへんの問題(経済階級)から話(批評)が始まるようになりつつあるんです。(中略)この小説(サリンジャーの小説)については、僕も今回読み直して、階級というのがけっこう大きな問題になっているんだなと思いましたね。やっぱり、パーク・アベニューに住んでいて、メイン州に別荘があるという(上流階級コミュニティの舞台)設定がないと成り立たない。(中略)なんだかんだいって、やっぱりスーツケースの格が違うやつ(下層階級)とはルームメイトになりたくないといったり」(中略)

村上春樹
「(階級社会を描いたサリンジャーの小説世界と現代日本は)似ているところがあると思いますよ。階級的に」

柴田元幸
「階級の分離の仕方が似てきたのかなあ」

村上春樹
「うん。好むと好まざるとにかかわらず、日本も(アメリカ型の階級が固定された)階級社会にだんだんなりつつあると思うんです。バブルを越えて、みんなが中産階級という横並びの時代から、勝ち組、負け組に分かれてゆくわけですよね。銀行や会社やらがふるい落とされていくみたいに。それから、都市専門職(新富裕層)という階層が力を持ち始めます。アーバン・プロフェッショナル。ホールデンの父親みたいな階層です。そしてそういう人達は、子供達をだいたいプライベート・スクールに入れます(公教育の崩壊)。家族というものもほとんど解体してしまっている。かつて日本文化を規定していた家族という枠組が消えつつある。(中略)

『キャッチャー』という小説のなかには、ほんとうの意味での愛(コミットメント、関与)はないわけですね。(上流階級の子弟である)ホールデンは優しさを持っているけど、誰かを真剣には愛さない(コミットメントはしない)。

誰かを本当に真剣に好きになっちゃうと、相対的な距離感(モラトリアム)は失われるんですよね。だから、そういう意味では、ホールデンが誰も真剣に愛さないというのは、(サリンジャーの)小説的に正しい設定なんですね。これ(サリンジャーの小説)はすべてが相対的な変動する関係性(上流階級のモラトリアム・ポストモダン的価値観)によって成立している世界での話なんだから。だから、思うんだけど、人を愛する(他者にコミットメントする)というのは、つまり現実的な責任を取らされるということじゃないですか。誰かを愛すれば、それと交換にというか、相手に何か要求されるわけですよね。コミットメントみたいなものを。

で、あくまで個人的な意見を言わせて頂ければ、この本(サリンジャーや村上春樹)を読んで、切実にひしひしと何かを感じるのは、そういう意味では成熟した愛(他者へのコミットメント)を抱えきれないでいる人なんじゃないかなと。あるいは、そういう地点に既に行ってしまって、今現在、現実的な責任を取らされている人たちが、あれこれと感じながら読んでいるのか」

柴田元幸
「ちょっと待ってください。責任を取るのが嫌なやつと、いま責任を取らされていて、前は責任がなくてよかったなと思ってるやつが(サリンジャーや村上春樹の小説の)読者だということですか」

村上春樹
「そういうのはあるかもしれない(笑)」
(村上春樹・柴田元幸「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」より)

この把握は流石は村上春樹氏だなという感じですね。村上春樹氏はサリンジャーや彼自身の本を読む読者層を的確に捉えていると思います。僕は一応村上春樹作品に目を通していますが、正直あまり好きではなくて、それは、やはり「お金持ちのお坊ちゃんお嬢ちゃん向けのモラトリアム文学」というあざといまでの背景を読んでいて強く感じるからですね…。以下の柴田元幸氏の言葉通りに感じます。

こう言っては悪いがね、(上流階級のモラトリアムを描いた村上春樹氏やサリンジャーを読んで癒されるような)君の悩みというのは結局のところ、しょせんお金持ちのお坊ちゃんの悩みではないのかな。リチャード・ライトの『アメリカの息子』とかラルフ・エリスンの『見えない人間』とかいった、貧しい黒人の若者を主人公にした黒人文学の傑作を読んでみたまえ。(村上春樹氏やサリンジャーの小説の登場人物達のような)女の子に電話をかけようか、よそうか、なんてことでウジウジ悩んだりしないよ。みんな、彼らを人間扱いしない白人社会のなかで、なんとかして『人間としての尊厳』を保っていこうと、日々必死に生きているんだよ……。
(柴田元幸。「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」より)

僕なんかもお金が全くなくて、生きるか死ぬかというところで暮らしているので、村上春樹氏がペダンティックに描く登場人物達の優雅な生活シーンを読んでいると、なんとも悲しい気分になります…。

底辺層を描く、差別されている層を描く、お金がなくて日常生活に困っているという事態をきちんと描くということでは、村上龍氏の小説の方がずっと信頼がおけますね。「限りなく透明に近いブルー」とか良かったですね。逆に村上春樹氏の登場人物がお金に困っているリアルなシーンとかちょっと考えられないですし…。村上春樹氏の小説はそこで描かれる生活感が毎日の生活費捻出に苦しんでいる僕の日常と乖離しすぎていて、全く感情移入できません。逆にお金持ちの人にとっては、村上春樹氏の小説は、感情移入しやすいものなのかなと推測しているので、百万部をあっという間に超えるというのは驚きました。今の日本にお金持ちがそんなに沢山いたとは…という感じです。15万ならまだ分かるのですが…。

かつて、『ノルウェイの森』が何百万と売れたあと、村上春樹は『デイズ・ジャパン』(講談社89年3月号)のロングインタビューに、いかにもうんざりした様子で答えている。

村上春樹
「20万越えたら、もうあとはどうでもよくなっちゃたよね。100万とか200万とかいう数は実感わいてこないですね。僕はさっきもいったように、経験的に15万の読者までは理解できる。後楽園球場三杯ぶん。でもあとのことはよく分からない」

商品が爆発的に売れ、マスメディアに爆発的な情報流通がおこる引き金のようなところがどこかにある。その向こうは、個人が意識的にフォローできる場所の範囲をはるかにこえている。

手塚は30年前に、この境界線をふみこえたはずである。

同時にそれは時代の境目を踏み越えることでもあった。成長した大衆社会に張り巡らされていた錯綜した情報の網目に、ある情報が爆発的に走ると、突如としてまったく想像を超えた世界に伝播してしまって、反応のフィードバックが不可能になりうるような時代に足を踏み入れたのだ。

そして、この境目をこえたことで、手塚のなかでモッブシーン(この文章では描線の内面的な書き込みの意味)の楽しさをささえていたものが死んだのだと思う。
(夏目房之介「手塚治虫はどこにいる」)

僕はいくら売れていても、自分が面白くないと判断したものは評価しないので、どこからどう見てもお金持ち向けモラトリアム小説として上出来の村上春樹氏作品が、何百万も売れるというのはちょっとよく分からないですね…。15万なら、それぐらいは春樹氏の小説に描かれる「お金持ちのお坊ちゃんお嬢ちゃん」は日本にいるだろうなあという感じでよくわかるのですが…。特にお金持ちではない、春樹氏の小説の読者の人々は、いったい春樹氏の小説のどこに魅かれるのかわかりません…。

僕なんかは、人間の肉体感覚を重視する村上龍作品でよく描かれるように、『人間は食わなければ死ぬ。食うためには金が必要だ』ということを、今現在リアルで腹ペコで、お腹ぺこぺこを実感的に今現在ひしひしと空腹感として感じております。そのため、こういった肉体感覚(お金がなくて空腹で辛いなどの感覚)が全く感じられない春樹氏の小説は、あまりに感覚が乖離しすぎていて、読んでいて『なんだこりゃあ…?』という感じですね…。人間は食べないと死ぬ、食べるにはお金が必要だ、という日常感覚が全く眼中にない優雅で空虚な春樹氏の物語世界は、お金持ちの人の一部は世界をこのように感じているのか…と頭で考えながら読む本、僕にとって春樹氏の本は全くの異世界人の本みたいな感じです。

お腹が空き過ぎて、これ以上文章が書けそうにありません。ギフト券やアフィリエイトでどうかご慈悲、お助け頂けると心から感謝致します。僕のメールアドレスはne.ko.tan@hotmail.co.jpです。

参考作品(amazon)
翻訳夜話 (文春新書)
翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)
1Q84 BOOK 1
1Q84 BOOK 2
キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)
手塚治虫はどこにいる (ちくま文庫)
限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)
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2009年06月08日 06:29

ヤナーチェク : シンフォニエッタ(セル)
ドヴォルザーク:交響曲第9番(ケルテス)

昨日紹介した村上春樹「1Q84」のヤナーチェク「シンフォニエッタ」はジョージ・セル盤なんですね。ジョージ・セルは僕的にはそんなに好みではない指揮者なのですが、指揮者としての技量は優れており素晴らしいと思います。餅は餅屋であり、チェコ三大作曲家(スメタナ、ドォルザーク、ヤナーチェク)ならば、普通にチェコフィルのヴァーツラフ・ノイマンの指揮が一番いいかなと個人的には思いますが…。僕はノイマンびいきで、ノイマンのドヴォルザーク交響曲全集、マルチヌー交響曲全集あたりを普通に名盤として評価しております。

カレル・アンチェル(ノイマンの前任のチェコ・フィル指揮者。「プラハの春」において西側に融和的姿勢を取ったことにより、ソ連共産党・チェコ共産党から利敵主義者として命を狙われ西側に亡命。この政治亡命により音楽家生命を奪われ、トロントで客死した)も極めて優れた演奏を残していますが、年代的に、録音のレベルを考えると、ノイマンの演奏録音の方がより全般的にチェコフィルの良質な演奏音楽を聴けると思います。

ウィキペディア「チェコ・フィルハーモニー管弦楽団」
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団は、チェコの首都プラハを拠点とするオーケストラ。チェコを代表するオーケストラの1つ。本拠となるホールはプラハの「芸術家の家(ルドルフィヌム)」内にあるドヴォルザーク・ホール。(中略)

世界的な名声を得るようになったのは、ヴァーツラフ・ターリヒ時代(1919年〜1931年および1933年〜1941年)である。ターリッヒの後任指揮者にラファエル・クーベリック(1941年〜1948年)が就任し1946年にはプラハの春音楽祭がスタートするが、クーベリックは1948年のチェコスロバキア共産党を中心とした政権の成立を嫌い、西側へ亡命してしまった。後任にはカレル・アンチェル(1950年〜1968年)が就任したが、そのアンチェルもチェコ事件によるチェコの改革運動挫折をきっかけに西側に亡命してしまうという、ソ連の衛星国チェコスロバキアの悲劇を象徴するような事態が続いた。

その後ヴァーツラフ・ノイマン(1968年〜1989年)の長期政権の下、地元の作曲家であるスメタナやドヴォルザークの録音や世界各地へのツアーを通じて「東側」の名門オーケストラとしての地位を築いた。

ちなみにドヴォルザークの代表曲交響曲第九番「新世界」ですと、ウィーン・フィル、指揮者イシュトヴァン・ケルテスの1960年演奏が一番派手で僕は好きですね。この演奏は如何に音楽を派手に鳴らすのかがポイントだと思うので(アメリカ文化を好んで自曲に取り入れたドヴォルザークの曲のなかでもアメリカンテイストの強い派手な曲)、ケルテスがウィーン・フィルのタクトを振ってド派手に歌舞いて鳴らしたこのバージョンが僕個人としては一番評価が高いです。

イシュトヴァン・ケルテスはオケを派手に歌舞いて鳴らすことでは他の追随を許さない天才で、長ずればそれこそ、トスカニーニ、フルトヴェングラー、ワルターあたりに匹敵する指揮者になれたであろう人物でしたが、43歳にて夭折しました…。僕の大変好きな指揮者でありますので無念です。ウィーン・フィル以外にも、イスラエル・フィルを鳴らすのも見事だったのですが…。

イシュトヴァン・ケルテス(Istvan Kertesz, 1929年8月28日 - 1973年4月16日)はハンガリー生まれの指揮者である。(中略)

ハンガリーのブダペストで生まれ、同地のフェレンツ・リスト音楽院でゾルタン・コダーイ他に学んだ。1955年からブダペスト国立歌劇場の指揮者となる。1956年ハンガリー動乱の時に西側にジョルジュ・シフラと共に亡命した。その後アウグスブルグ国立歌劇場、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などを指揮し、1965年から1968年までロンドン交響楽団の首席指揮者を務めた。日本にも客演したことがあり、(旧)日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した1968年の演奏記録が残っている。将来が期待された中堅指揮者であったが、1973年夏、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団に客演した折、イスラエルのテル・アビブの海岸で遊泳中に高波にさらわれ溺死した。43歳没。ケルテスの最期はバス歌手岡村喬生著『ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ』に詳しい。

バカンス中、海水浴で泳いでいて溺れ死ぬという、誰も予想しなかった死に方をしてしまった指揮者でして、エンターテイメント性に富んだそのタクトは高く評価されていたのですが、若くして(43歳というのは指揮者としてまだまだこれからの年齢です)亡くなってしまいました…。

ケルテスの代表的な指揮としては、先に挙げたウィーン・フィルの「ドヴォルザーク:交響曲第九番『新世界』」、そして「シューベルト:交響曲第八番『未完成』」「モーツァルト第三十五番『ハフナー』」「ブラームス:交響曲第三番」などが名演として名高いです。ケルテスの演奏はエンターテイメント性に富んだ柔らかく派手な演奏で、クラシック初心者が入りやすい指揮演奏と言われています。上記に挙げた盤はどれもお勧めのアルバムです。よろしければご一聴お勧め致します。

参考作品(amazon)
ヤナーチェク : シンフォニエッタ(セル)
ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ (新潮文庫)
ドヴォルザーク:交響曲第9番(ケルテス)
モーツァルト:交響曲第25番/第29番/第35番「ハフナー」(ケルテス)
シューベルト:交響曲第8番「未完成」/第9番「ザ・グレート」(ケルテス)
ブラームス:交響曲第1番、ハイドン変奏曲(ケルテス)
ブラームス:交響曲第2番、セレナード第2番(ケルテス)
ブラームス:交響曲第3番第4番(ケルテス)
シューベルト:交響曲全集(ケルテス)
マルチヌー:交響曲全集(ノイマン)
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2009年06月07日 22:46

ヤナーチェク:シンフォニエッタ
ヤナーチェク:ピアノ曲集

前回、前々回書きました通り、生活苦と体調不良につき、なかなか更新できず申し訳ありません。猫も蒸し暑さに参っているのか、ぐったりしていて、猫の健康診断に行けないので心配です。

今回取り上げることは標題通り、作家村上春樹氏の新刊「1Q84」の効果にて、作曲家レオシュ・ヤナーチェクのクラシック音楽「シンフォニエッタ」が爆発的に売れているとのことです。クラシック音楽ファンの一人として誠に喜ばしく思います。

売れ行きが天上知らずの様相を呈してきた村上春樹さんの新刊「1Q84」です。87年のベストセラー「ノルウェイの森」の時のように、経済波及効果を期待して、音楽業界でも動きが活発です。

というのも、この小説の冒頭に出てくるチェコの作曲家ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」を購入する読者が増えて、音源を持つレコード会社各社も商機ととらえたからです。

例えば、ノイマンやアンチェルらが指揮するチェコ・フィルの音源を三種有するコロムビアの担当者によれば、すでに増産に着手し、さらに追加もあるとのこと。実際、ネットショップや街のCDショップの動きもかなり良好です。
(依田彰。朝日新聞6月7日朝刊より)

クラシック音楽ファンの一人として、クラシック音楽が売れるのは誠に良きことと思います。ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」はチェコフィル・ノイマン盤が定番であり、良いアルバムと思います。できれば、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だけが売れるような一過性のブームで終わるのではなく、次に繋がってくれると嬉しいですね…。

チェコの三大作曲家の一人ヤナーチェクは、土俗的かつ個性的で面白いけれど、その反面かなりとっつきにくい、民俗音楽的色彩の強い曲の数々を作曲した作曲家でして、そこが残りの二人、スメタナとドヴォルザークとは違うところです。古典主義に基くコスモポリタン的な作曲を行った大作曲家スメタナ、ドヴォルザークの分かりやすい名曲の数々に比べると、ヤナーチェクは完全に民俗音楽的な方向において作曲を行っており、チェコに生まれ育った人々ではないと、深い部分で理解するのは困難と思われる曲が多いです。

僕としては、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」を聴くなら、他にも、スメタナ「我が祖国」を聴くなり、ドヴォルザーク「交響曲第九番『新世界』」を聴くなりして、チェコの三大音楽家のスメタナ、ドヴォルザークの作曲した古典主義的な見事なクラシックの名曲の方も聴いて欲しいなあと思います。スメタナ、ドヴォルザークの曲は音楽として聴いていて、日本人にも分かりやすい美的な快のある音楽ではないかと思います。特にドヴォルザークの曲は交響曲第九番「新世界(=アメリカ)」を代表として、アメリカの黒人霊歌の影響を受けており、フュージョン的なところがあって、聴いていて楽しいです。

ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」以外の作品ではピアノ曲と室内楽曲が入りやすい音楽でお勧めです。

ヤナーチェクのように民俗音楽的な方向性を追求する場合は、名曲「ルーマニア狂詩曲」で有名なジョルジュ・エネスコ(ジョルジュ・エネスク)の音楽を聴いていくのが良いのではないでしょうか。民俗音楽を追求したというところはヤナーチェクと同じですが、エネスコの曲はヤナーチェクの曲に比べ、作曲のレベルが数段高いと言えると思います。エネスコは民俗音楽系クラシックの作曲家として最高の作曲家であると、僕は評価しておりますね…。特に彼の歌劇「エディプス王」は近現代歌劇史に残る非常に優れた傑作と思います。本歌劇はコロス(choros)を現代に蘇らせました。

ウィキペディア「コロス」
コロス(choros)は、古代ギリシア劇の合唱隊のこと。ギリシア悲劇の中のディテュランボスおよびtragikon dramaから発生したと信じられている。コロスは観客に対して、観賞の助けとなる劇の背景や要約を伝え、劇のテーマについて注釈し、観客がどう劇に反応するのが理想的かを教える。また、劇によっては一般大衆の代わりをすることもある。多くの古代ギリシア劇の中で、コロスは主要登場人物が劇中語れなかったこと(たとえば恐怖、秘密とか)を登場人物に代わって代弁する。コロスは通常、歌の形式を採るが、時にはユニゾンで詩を朗読する場合もある。

何はともあれ、一介のクラシック音楽ファンとして、「1Q84」効果でクラシック音楽が盛り上がってくれればいいなあと思います。

参考作品(amazon)
ヤナーチェク:シンフォニエッタ
ヤナーチェク:ピアノ曲集
ヤナーチェク:室内楽曲全集
スメタナ:連作交響詩「我が祖国」 マタチッチ指揮ウィーン放送響
ドヴォルザーク:交響曲全集
ラプソディーズ リスト:「ハンガリー狂詩曲」、エネスコ:「ルーマニア狂詩曲」、スメタナ他 [xrcd]
エネスコ:弦楽四重奏曲第1番, 第2番
エネスコ:オィディプス王
ギリシア悲劇〈2〉ソポクレス (ちくま文庫)
1Q84 BOOK 1
1Q84 BOOK 2
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2009年06月06日 11:22

私の好きな曲―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)

僕は今現在失業しており収入がなく食うにも困っている非常に生活困難状態でして、今現在、文化的な楽しみがニコニコ動画やラジオなどの無料コンテンツしかないのですが、そんな数少ない楽しみの一つとして、クラシック好きにとって決して外せない名ラジオ番組、NHKFMの「名曲のたのしみ」があります。本番組にて、今日からハイドン特集が始まりますね。楽しみです。

名曲のたのしみ −ハイドン その音楽と生涯−(1)
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2009-06-06&ch=07&eid=1694
チャンネル :FM 2009年 6月 6日(土) 午後9:00〜午後10:00(60分)

ハイドンは多作でしられるので、この番組の凝りぶりから考えて、多分今週から百週ぐらいハイドン特集は続くのではないでしょうか。「名曲のたのしみ」の素晴らしさ及び楽しみ方については、アンサイクロペディアがとてつもなく詳しいので引用致します。

アンサイクロペディア「名曲のたのしみ」
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%90%8D%E6%9B%B2%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%97%E3%81%BF
『名曲のたのしみ』(めいきょくのたのしみ)は、NHK-FMで放送されている、クラシック音楽の番組である。

2008年現在の放送時間は、毎週土曜日の21:00から22:00までの1時間、再放送は翌週水曜日の朝10:00から11:00までの1時間である。

1971年7月1日の放送開始から30年以上にわたって、パーソナリティは音楽評論家の吉田秀和(よしだ ひでかず)が一貫して務めている。他の多くのNHK-FMの番組と同様に、この番組でも、選曲・構成・トーク内容など全てが吉田ひとりに丸投げされており、放送コードを物ともしない彼の自由闊達なトークを聴くことができる。

週1回・1時間の番組であるにもかかわらず、“ひとりの作曲家の作品を全曲、その生涯に沿った順序で連続して取り上げる”という、民放では絶対に実現不可能であろう壮大なコンセプトに基づいて毎回選曲を行っている。当然、ひとりの作曲家について数十回以上を費やすことになり、例えばショスタコーヴィチを取り上げた際には52回、リヒャルト・シュトラウスでは何と79回を要している。特定の作曲家の楽曲のみを毎週聴かせ続けることによる洗脳効果は抜群であり、次の作曲家に移る頃には、あなたはすっかりその作曲家に染まっているはずだ。 (中略)

ぶっちゃけ、この放送を録音しておけば、CDを買う必要などないのではないか、というくらい高レべルな試聴室なのである。

それでは、この番組の一部を、実際に聴いてみることにしよう。以下、四角く囲われている文章は、この番組の2008年9月20日放送分での吉田の発言を、そのまま書き起こしたものである。 (中略)

時報が鳴り終わると、吉田が「名曲のたのしみ、吉田秀和。」と、番組名と自分の名前を告げる。このタイトルコールは、『名曲のたのしみ』の重要な特徴のひとつである。 (中略)

パーソナリティの吉田秀和は、クラシック音楽の評論家として既に60年以上のキャリアをもつ人物である。NHK-FMの番組では、当該ジャンルの専門家に内容を丸投げすることが多く、そのため、そのジャンルに詳しくない者にとっては理解不能なトークが展開されることが多い。この番組も例外ではなく、ここから話は突然脇道に(しかもかなりマニアックな方向に)逸れてゆく。 (中略)

吉田秀和
『プーランクも、作曲するに当たって、いわば古典的な、あるいは擬古典的な色彩の、ハーモニーをつけようとか音階を使おうとか、そういう行為を一切してない。ふつーう(普通)の、歌としてやってる。
 そこんところね、僕は時々食い違いを感じて、もしかしたらこれは、アポリネールとか何とか彼の周りの、イタズラが好きな詩人たちのテキストを使ったんじゃないかなあ、っていう気がするんです。
 まあしかし、これは無責任な話で申し訳ありませんけどね。 』

ここまでで、番組開始から1分55秒ほどである。僅か2分足らずの間に、この歌曲集について新説を提示するという、大胆不敵な行為をやってのける、それが吉田の凄いところである。「音楽評論家の吉田秀和は、この歌曲集について〜〜との説を示している」とでも書けば、あの百科事典サイトでも通用するであろうもっともらしい一文があっという間にできあがるのだが、なぜかそんな文はどこにも見当たらない。テレビ番組で流れた説は即座に反映されるあのサイト(ウィキペディア)でも、このようなラジオ番組を聴く教養人は希有な存在なのだろう。

ところで、前回までの放送を聴き続けているリスナーの脳内には、プーランクという作曲家について、おおよそ次のような理解が成立している。

イタズラ好き。
「類は友を呼ぶ」の法則により、彼の周りにいた作曲家や詩人などの仲間もみんなイタズラ好き。
そんな詩人の書いたあれな詩に、いろいろとコミカルな曲を付けている。

プーランクは、後半生において作風が劇的に変化するのだが、そのあたりの事情は当該記事(ウィキペディア記事)に譲ることにしよう。この時代のプーランクは、まあ現代日本でいえば青島広志に近いような作曲家だと思って頂ければよい。いや、青島に池辺晋一郎のオヤジギャグ成分を加えたくらいかもしれない。

で、このような正しい理解をしているリスナーは、この“アポリネール作詞説”を聞いた時点で、「ああ、今回の歌曲も、きっとあれな歌詞なんだな」という予想を抱くことになる。はたして、続いて吉田が朗読する歌詞は、やはりあれである。このような歌詞が、何の修正もなくNHKの電波に乗るのだから大したものである。むしろ(あらゆる性的な言語表現を規制している)民放ではこのような歌詞の朗読は困難であろう。

吉田秀和
『ちょっとその歌詞をね、あのー、大意を申し上げますけど、皆さんもちょっとそんなことをお感じになるかもしれない。
 第1曲は、陽……、いや、『浮気な女』。

 俺の女は浮気者で
 彼女が処女だって言うんだったら
 いい加減なこと言ってるよ

 ってな歌詞です。4分の2拍子(しぶんのにびょうし)で、みじかあい(短い)もの。 』

「処女」はどうやら放送禁止用語ではないらしい。ちなみに、ここでいう「処女」とは、「処女作」とか「処女航海」といった比喩的な意味ではもちろんなく、「男性とアーンしたことがない」という字義通りの意味である。それを踏まえて、この歌詞を読むと、何だかあれだなというのがお分かり頂けるだろう。 (中略)

吉田秀和
『3番目、『マドリガル』。

 君は、天使みたいに美しくって、子羊のように優しい
 だから、君の言うなりにならないやつなんか、いるはずがない
 でも、おっぱいのない女なんてのは、ソースのない料理みたいだなあ』

アポリネールやプーランクが貧乳や微乳の良さを理解していなかったことを示す、貴重な詩である。また、「おっぱい」という言葉を堂々と公共の電波に乗せることができることもわかる。

繰り返しになるが、(クラシック音楽批評の日本最大の大家たる)吉田秀和は95歳の男性である。本来なら分別盛りなどとうに過ぎているはずの年齢であり、またこれは原詩ではなく、フランス語から自ら訳したものなのだから、普通は「おっぱい」ではなく、「胸」のようなありきたりな表現を用いるところだろう。しかし、吉田はこれを「おっぱい」と訳すのだ。

このあたりが、この番組が30年以上続いている理由のひとつであり、また吉田の書く文章が人気である理由のひとつでもある。この詩を「胸」と訳してしまっても、「胸のない女」という言葉の意味するところは確かに伝わる。しかし、「胸」ではなく「おっぱい」と訳したほうが、この歌曲集全体がもっている、ちょっと下卑た、あるいは猥雑な雰囲気、そういったものがより鮮明に伝わるのだ。

いまこの記事をお読みになった方も、「NHKの番組なのに『おっぱい』って何だよw」と思われたことだろう。そう、その感想は正しい。吉田は、単純に言葉面だけを訳して読み上げるのではなく、その詩がもっている雰囲気やメッセージをも、リスナーに伝えようと試みているのである。これこそNHKの娯楽番組のあるべき姿だろう。 (中略)

このような調子で、ひたすら(全く教科書的ではない、斬新かつ面白い)解説をしながら曲を掛け続けることで、1時間はあっという間に過ぎてゆく。そしてエンディングである。

吉田秀和
『今日は、一番最初に、FP42の『陽気な歌』。それから、2番目に、『オーボエ・ファゴット・ピアノのためのTrio』(三重奏曲)。それから、FP46の、『うたわれる歌』(うたわれた歌、Airs chantes)。そうしてから、あと、ピアノの小品、一番最初に、『2つのノヴェレッテ』、もっともこれ僕たちは3曲聴きましたけど、それから、最後に、FP48の『ピアノのための3つの小品』。
 これだけの曲、聴きました。

 それじゃまた来週。さよなら。 』

そして、「さよなら」と言ってから僅か7秒後には、22時の時報が鳴る。与えられた時間全てを曲と解説に費やすという、一分(いちぶ)の隙もない完璧な構成である。 (中略)

さて、ここまでお読み頂いて、いかがだっただろうか。土曜日の21時台という、他のテレビやラジオでは賑やかなバラエティ番組などをやっている時間帯に、NHK-FMではこのようなクラシック音楽の番組が放送されているのだ。クラシック音楽についての素養がないからと敬遠したりせずに、どうか、一度この番組を聴いてみてほしい。最初は、吉田が喋っている内容の半分も理解できないかもしれない。しかし、何回も聴き続けているうちに、作曲家の生涯や、あるいはその作曲家に対する吉田の想いなどが、ラジオを通じて自然と伝わってくるはずだ。

もちろん、そんなものなど何回聴いても伝わってこない、という方もおられるだろう。しかしそれでも、土曜日の夜、クラシック音楽を聴いてゆったりと過ごすことにより、精神が休まり、さらにそれは明日の日曜日の充実へと繋がってゆくはずである。クラシックの名曲と、吉田の穏やかな語り口とに浸ること、それもまた、『名曲のたのしみ』の、ひとつの「たのしみかた」なのだ。

それじゃまた来週。さよなら。

ちなみに僕が本ブログで書いているクラシック音楽の知識は、この番組の吉田秀和の語りに五割がた準拠しています。僕は本番組の昔からのリスナーですが、吉田秀和さんが非常にマニアックで面白い話をするので、聴いているといやおうなしにクラシック音楽のマニアックなある意味どうでもいいようなトリビアな知識(プーランクがニコニコ動画のデッドボールPのように、非常に開けっぴろげな性的なシャンソンを作っていたことなど)が身についてゆく面白い番組です。まだ未聴のお方々はぜひ『クラシック音楽についての素養がないからと敬遠したりせずに、どうか、一度この番組を聴いてみてほしい。』と思います。

ちなみに、ハイドンも、音楽史研究、作品研究により、気が良くて堅物な「パパ・ハイドン」のイメージではなく、ドラマティックな作品、パロディ的な作品やお遊び、風刺の入った作品を作曲した、一筋縄ではいかない人物であったことが分かっているので、今日から始まるハイドン特集楽しみです。ハイドンは多作なので、たぶん、百回ぐらい続くんじゃないかなと思います。

上記、例えば一例を挙げておくと、ハイドンの有名な代表作、「チクタクチクタク…」のリズムで知られる第二楽章にて有名な交響曲第101番『時計』の第一楽章など、当時の指揮者とオーケストラをからかった内容であるとされています。本第一楽章は、スコアに明らかな誤りがある(ティンパニーが不協和音を鳴らす)ため、ハイドンのスコアミスとして、20世紀初頭まで修正されて演奏されていましたが、後世音楽研究(スコア研究)によって、「単純なスコアミスではなく、指揮者にわざと不協和音を鳴らせて、指揮とオーケストラをからかうために作曲されたのだろう」と評価され、今では不協和音も含めて、スコア通りに演奏されています。誤スコアではなく、演出的にわざと不協和音を出していると考えられています。

どうもハイドンは、パパ・ハイドンの気の良い作曲家のイメージよりも、非常に頭が良く、皮肉家なところもある人物(「時計」のような風刺的作曲の傾向がある)だったと、スコア研究の分野からは考えられています。作曲家の残したスコアから、その人物の肖像が読み取れるのですね。スコア研究などの音楽背景研究はとても面白いなと思います。

こういった色んな背景を吉田秀和さんはとても面白く紹介していってくれるので、番組名「名曲のたのしみ」の言葉通り、聴いていてとても楽しい番組です。ご機会ありましたらぜひご一聴お勧め致します。

それじゃまた次回。さよなら。

参考作品(amazon)
私の好きな曲―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)
名曲三〇〇選―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)
世界の指揮者―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)
世界のピアニスト―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)
モーツァルトをきく―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)
ハイドン:交響曲第101「時計」、第104「ロンドン」
EXIT TUNES PRESENTS THE VERY BEST OF デッドボールP loves 初音ミク
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2009年06月05日 23:59

新選組 (手塚治虫漫画全集 (11))

昨日より風邪を引いたみたいで、喉痛、頭痛、悪寒が酷く、なかなか更新できずに申し訳ありません。

先ほど、NHK衛星第二で放映していた週間手塚治虫を見ていたんですが、作家の高橋源一郎さんが語るブラックジャック特集でして、またブラックジャックか…的な感じを覚えます。ブラックジャックとか火の鳥のような超有名作以外にも、「レモン・キッド」や「新撰組」等、手塚治虫さんの傑作は沢山あって、それらが後世の漫画に与えた影響はとても大きいのですが、そういった、出来は良いけどマイナーな作品も紹介しないと、本質的に手塚治虫さんの作品を紹介することはできないのではないかと思います。

勿論、手塚治虫さんの膨大な作品のなかには失敗作も大量にあり、失敗作をわざわざ紹介する意味は無いと思いますが、マイナーな良作はもっと紹介されてしかるべきだと思います。例えば、先に挙げた「レモン・キッド」や「新撰組」は、後世の漫画におけるストーリー構成のスタンダードとなっている作品であり、後世漫画界への影響ということでは決して外せません。

例えば、「新撰組」のサブ主人公鎌切大作は、後の大ヒット漫画「DEATH NOTE」のLの原型だと思いますね。甘いものを大量に摂取し続ける大天才剣士です。メイン主人公とサブ主人公が実は敵同士でありながら素性を偽って、友人関係であるというのも、「DEATH NOTE」ですね。

ただ、「DEATH NOTE」の場合は、メイン主人公夜神月とサブ主人公のLの友情関係は偽りのものでありましたが、本作「新撰組」におけるメイン主人公深草丘十郎とサブ主人公鎌切大作の友情関係は真実のものであり、「DEATH NOTE」を読んだとき、友情や恋愛といった、「新撰組」では真実で尊いものとして描かれていたものまで、フェイクのギミックとして描かれている様に、価値観の崩壊した現代の徹底さを感じましたね…。

体調不良につき、キータイプもろくにできない形で、あまり文章書けず申し訳ありません。「新撰組」は時代劇漫画として非常に優れた漫画、「新撰組」を描いた漫画の歴史的な傑作、手塚作品の中でも非常に出来が良い方の作品でして、一読お勧め致します。新撰組隊員の主人公深草丘十郎の兄貴分になる沖田総司がカッコイイので、沖田ファンにもお勧めです。

最後に、手塚治虫さんの作品は、東洋人が西欧に渡って活躍(鉄の道等)、逆に西洋人が東洋に渡って活躍(鬼切大将等)の作品が初期から数多いです。別文化出身の別文化の視点を持った主人公が異郷で活躍する系譜です。その再集成が遺稿となった未完の傑作「グリンゴ」だと僕は考えていますが、新撰組はおそらくこの系譜の作品のプロローグ的作品に位置づけることができるであろう作品でもあって、その点も考えると読み終わったときに面白いと思います。

参考作品(amazon)
新選組 (手塚治虫漫画全集 (11))
レモン・キッド 黒い峡谷 (手塚治虫漫画全集 (70))
鉄の道 (手塚治虫漫画全集 (74))
鬼丸大将 (1) (手塚治虫漫画全集 (174))
鬼丸大将 (2) (手塚治虫漫画全集 (175))
グリンゴ (1) (手塚治虫漫画全集 (304))
グリンゴ (2) (手塚治虫漫画全集 (305))
グリンゴ (3) (手塚治虫漫画全集 (306))
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2009年06月04日 22:03

鳥の歌-ホワイトハウス・コンサート
パブロ・カザルス 鳥の歌 (ちくま文庫)

風邪を引いたようで熱っぽく、頭痛と喉痛が酷く、あまり更新できそうになく、申し訳ありません。

以前、チェロ音楽演奏技術に革命を起こして演奏技術を向上させたパブロ・カザルスについて触れましたが、彼のアルバムとして、そしてチェロ音楽における伝説の歴史的名演、パブロ・カザルス「鳥の歌 ホワイトハウス・コンサート」をお勧め致します。ちなみに「鳥の歌」とは、アニメ「AIR」の作中歌「鳥の詩」のことではなく、彼の演奏によって有名になった彼の故郷カタロニアの郷土歌です。本アルバムの舞台であるケネディ大統領の前で行われたホワイトハウス晩餐会以外にも国連などでも演奏されている有名な歌です。「鳥の歌」とは海外では通常カタロニアの郷土歌である本曲のことを言います。本盤ライナーノーツより引用致します。

ホワイトハウスの広い純白の舞踏室イースト・ルームが、その日(1961年11月13日)の会場であった。カザルスは1898年にはウィリアム・マッキンレー大統領主催のレセプションに対して、また1904年にもセオドア・ルーズベルトのためにホワイトハウスで演奏したことがあるから、ケネディ大統領の招待による今回の出演は三度目の機会であったが、前二回は既に半世紀以上も遠い昔の出来事であった。

しかもカザルスは、アメリカ合衆国では1938年以来、公の席での演奏を中止していたのである。祖国スペインのフランシスコ・フランコ独裁政権を承認する国では絶対に演奏会を開かない、というのが老巨匠の信条であった。(中略)

フランコ政権の承認国であるアメリカ合衆国の大統領の公邸で、たとえそれが非公開のものであったにせよ、カザルスが演奏するというのは画期的な行事であった。このレコード(パブロ・カザルス「鳥の歌 ホワイトハウス・コンサート」)は、カザルスの忠実な友であるヴァイオリン奏者アレクサンダー・シュナイダーとピアノの大家ミエティスラフ・ホルショフスキーとが共演した1961年のその『カザルス・ホワイトハウス・コンサート」を現場で録音した貴重なドキュメントなのである(ホワイトハウスでのライブ演奏録音であり、聴衆であるケネディ大統領による拍手の音などが録音されている)。(中略)

カザルスが(信条を曲げてまで)ケネディ大統領の招待に応じた理由として、彼自身が、危機に立つ世界の実情を深く理解したことと、ヒューマニズムの指導者としてのケネディ大統領への彼の信頼と誠意を象徴しようと欲したことの、二つをあげている。(中略)

『私が閣下(ケネディ大統領)ならびに、閣下のお友達の皆様方のために演奏するのでありましょう音楽は、アメリカ国民への私の深い感情と、自由世界の指導者としての閣下に対する私たち全ての信頼を、必ずや象徴化してくれるものと確信しております。大統領閣下、どうか私の心からの尊敬と敬意をお受けください』(パブロ・カザルス)(中略)

カザルスは独奏家としてのチェリストとしての地位を(カザルスが現われる以前は、弦楽器の中では自由度が低く音程の安定しない格下の楽器と見られていたチェロの演奏技術を練習法・奏法の改革によって圧倒的に向上させることにより)一気に高めた。チェロの音色を『騒ぎまわる蜂の音』に例えたのは毒舌家のバーナード・ショウであったが、当時のチェロ奏者は腕を身体に密着させるようにして弓を動かし、その目的のために書物を脇の下に挟んで練習することもあったという。しかしカザルスはバルセロナで学習中に早くもそのメソードの不合理に気付いて、もっと腕を自由に使って演奏する奏法(カザルス・メソード)を編み出した。

かくして(カザルス・メソードにより練習・演奏が行われるようになり)チェロはヴァイオリンと同様の確実な技法を誇ることができるようになり、チェロ独奏家は世人から敬われ愛されるようになったのである。(中略)

(カザルス・メソードによりチェロの第一人者となったカザルスは)チェロ独奏家、室内楽奏者、指揮者として欧米で活躍したのである。しかし1939年5月、スペインの内戦が独裁者フランコの勝利を持って終了したときから、祖国スペインはカザルスが二度と足を踏み入れることのできない土地になったのである(反フランコの音楽家カザルスは、スペインに入ったらフランコ独裁政権によって反政府主義者として即時処刑の状態で、一生涯故国スペインに帰郷できませんでした)。

人間の自由と尊厳をモラルとする共和主義者カザルスは、スペインを去って、ピレネー山脈のフランス側の山村であるブラードに住み、一切の演奏活動を断って、スペイン亡命者の救済に全力を尽くした。(中略)

(ホワイトハウスにてケネディ大統領の前で演奏された演奏会は)大統領官邸での演奏会としては異例な一時間をこなす長い番組であった。その席にはバーンスタイン、オーマンディ、ストコフスキー、また作曲家ではバーバー、カーター、コープランド、カウエル、デロ=ジョイホ、ハンソン、ハリス、ホヴァネス、メノッティ、ムーア、ピストン、シューマン、セッションズらも賓客として招かれ、各界の紳士・淑女と共ども、カザルスが最愛の「鳥の歌」をもって演奏を終了するまで、もっとも神聖な儀式に参列している思いで耳を傾けたという。
(パブロ・カザルス「鳥の歌 ホワイトハウス・コンサート」ライナーノーツより)

本アルバムを今聴きながらこの文章を書いておりますが、本演奏はチェロ音楽における伝説の歴史的名演であることは間違いないと思います。ライブなので、拍手しているのはJ・F・ケネディ大統領や歴史に残る大指揮者バーンスタイン、オーマンディ、ストコフスキー達なのか…と思うと感慨深いです。音楽史に残るチェロの最も歴史的演奏であり、チェロ曲好きにはぜひご一聴をお勧め致します。

演奏の背景を詳しく知りたいというお方々には、ちくま文庫より出ております、「パブロ・カザルス 鳥の歌」のご一読をお勧め致します。これも音楽史的に重要な本であり、なおかつ本書単独においても名書であると思います。

参考作品(amazon)
鳥の歌-ホワイトハウス・コンサート
パブロ・カザルス 鳥の歌 (ちくま文庫)
バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)
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2009年06月03日 15:06

幸せな猫の育て方―暮らし方・遊び方・健康管理

今日は猫が四歳の誕生日です。お祝いに朝食のときに好物のささみをあげました。普段の朝夜二回の食事のときはドライのキャットフードとお水をあげているのですが、ときどきおやつとして猫用ささみとかあげています。ドライフードより、ささみとかの方がいつでもあげると食べて、好きみたいなので、誕生日にはあげるようにしています。あまりあげすぎると太っちゃうので、太らないように気をつけてます。

今は猫はのんびり寝ています。猫の寝ているところを見るととても和みますね…。うちの猫はグレーと黒と白の猫なのですが(チーズスイートホームの主人公猫チーと同じ配色です)、こういうタイプの猫(グレー・黒・白の毛皮)をサバトラ猫というみたいですね。

参考作品(amazon)
幸せな猫の育て方―暮らし方・遊び方・健康管理
ネコ 立ちあがる―ニッポンの猫写真集
みんなさいしょは子猫だった―チーズスイートホーム写真集
チーズスイートホーム (1) (モーニングKCDX (1943))
チーズスイートホーム あたらしいおうち 第1巻(仮) [DVD]
チーズスイートホーム 第2巻(仮) [DVD]
チーズスイートホーム 第3巻(仮) [DVD]
チーズスイートホーム 第4巻(仮) [DVD]
チーズスイートホーム 第5巻(仮) [DVD]
チーズスイートホーム 第6巻(仮) [DVD]
チーズスイートホーム 第7巻(仮) [DVD]
チーズスイートホーム 第8巻(仮) [DVD]
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2009年06月02日 19:48

ベートーヴェン/ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(ハイフェッツ)
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全集(ハイフェッツ)

昨日放映していたクローズアップ現代で、SSRIの副作用が取り沙汰されておりましたので、SSRIを今現在服用中のうつ病患者としては気になって、独立行政法人医薬品医療機器総合機構のHPを見てみたら、僕の飲んでいるSSRIに凄い副作用が列挙されていて凹みました…。「塩酸セルトラリン」とは僕が毎日100mg飲んでいるSSRIゾロフト(ジェイゾロフト)のことです。

独立行政法人医薬品医療機器総合機構
http://www.info.pmda.go.jp/kaitei/kaitei20090508.html
1.【医薬品名】塩酸セルトラリン
【措置内容】以下のように使用上の注意を改めること。 (中略)
「不安、焦燥、興奮、パニック発作、不眠、易刺激性、敵意、攻撃性、衝動性、アカシジア/精神運動不穏、軽躁、躁病等があらわれることが報告されている。また、因果関係は明らかではないが、これらの症状・行動を来した症例において、基礎疾患の悪化又は自殺念慮、自殺企図、他害行為が報告されている。患者の状態及び病態の変化を注意深く観察するとともに、これらの症状の増悪が観察された場合には、服薬量を増量せず、徐々に減量し、中止するなど適切な処置を行うこと。」

ウィキペディア「セントラルリン」
セルトラリン (sertraline) は、選択的セロトニン再取り込み阻害 (SSRI) タイプの経口抗うつ薬。強迫性障害、心的外傷後ストレス障害、月経前不快気分障害、パニック障害、双極性障害、不安障害の治療にも使用される。サートラリンともいう。

塩酸セルトラリン (sertraline hydrochloride) として「ゾロフト」 (Zoloft) の商品名でファイザー (Pfizer) より発売されている。アメリカ食品医薬品局は1991年に承認。日本においては、「ジェイゾロフト錠」の商標で2006年7月7日より薬価収載されている。

他害行為と抗うつ剤との因果関係が否定できない症例が確認されたことから、2009年5月に厚生労働省より添付文書の改定を指示され、[重要な基本的注意]「自殺企図」の中に「攻撃性」のリスクが明示された。

ゾロフトの服用患者として不安にならずにはいられません…。「不安、焦燥、興奮、パニック発作、不眠、易刺激性、敵意、攻撃性、衝動性、アカシジア/精神運動不穏、軽躁、躁病等」の副作用とか、困ったという気持ちです…。「不安、不眠」は出ている形です。他の副作用については、自分では正確に判定できないカテゴリなので、自分ではなんとも言えない、分からないというところです…。純粋に肉体的な影響として、薬の副作用の一貫と思われますが、客観的なデータとして血液検査で肝機能の低下データは出ています。

不安なので、心身的な影響か、体調が悪く、寝込んでいました。ハイフェッツ演奏のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリン・ソナタを聴いていました。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は日本クラシック界においては「ベトコン」と略されるベートーヴェンの名曲の一つで、この何か勘違いを引き起こしそうな日本での略名は如何なものかと思わざるえないところもあります。日本クラシック界の名曲の略し方は他にもアレなものが沢山あるので(ヴェルディ「運命の力」を略して「うんち」とか、シュトラウス「英雄の生涯」の略し方を「ひでお」「ひでおのいきざま」とか、明らかにふざけてつけている名曲の日本ローカル略名が沢山あります)、この略名もその一つですね…。

まあ、日本クラシック界がクラシック曲にアレな略名をつけているなんてのは、曲の本質とは関わらないどうでもいいことであり、曲自体はとても優れた名曲です。ヴァイオリンの大天才ハイフェッツが演奏した盤がありますので、お勧めです。

ウィキペディア「ヴァイオリン協奏曲 (ベートーヴェン)」
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61は、1806年に作曲されたヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲。ベートーヴェン中期を代表する傑作の1つ。彼はヴァイオリンと管弦楽のための作品を他に3曲書いている。2曲のロマンス(作品40および作品50)と第1楽章の途中で未完に終わった協奏曲(WoO 5)がそれにあたり、完成した「協奏曲」は本作品1作しかない。しかしその完成度はすばらしく、『ヴァイオリン協奏曲の王者』とも、あるいはメンデルスゾーンの作品64、ブラームスの作品77の作品とともに『三大ヴァイオリン協奏曲』とも称される。

メンデスゾーンのヴァイオリン協奏曲を「メン・コン」と呼ぶのに対してこの作品を「ベト・コン」(ベートーヴェンのコンチェルトの略)と呼ぶことがある。しかし、メンデルスゾーンとは異なり、ベートーヴェンの場合は一連のピアノ協奏曲も本作品と同等に愛好されており、ヴァイオリン協奏曲のみをして「ベト・コン」と呼ぶことは決して相応しくない。

ウィキペディア「ヤッシャ・ハイフェッツ」
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901年2月2日 - 1987年12月10日)は、20世紀を代表する史上最高の天才ヴァイオリニストであり、「ヴァイオリニストの王」と称された。

その卓越した技術、世界的評価においてハイフェッツの右に出る者は未だ存在しない。(中略)

ベルリンの演奏会にエフレム・ジンバリストと共に偶然居合わせたフリッツ・クライスラーが、まだ弱冠13歳のハイフェッツの演奏を聴き「私も君も、これ(ヴァイオリン)を叩き割ってしまった方がよさそうだ」、「私の究極の到達点をスタートラインにして、無限に記録を伸ばした天才」と評価したエピソードも残っている。 ハイフェッツの時代にいたヴァイオリニスト達は、彼の神懸かりな演奏のために非常に苦労して、例外なくハイフェッツ病に罹かったと、「アート・オブ・ヴァイオリン」の中でイツァーク・パールマンは語っている。(中略)

演奏技術の高さはそれまでのヴァイオリニストと比較しても傑出している。

ハイフェッツの凄いのは、天才チェリストのパブロ・カザルスと同じく、自ら弾くジャンル(カザルスの場合はチェロ、ハイフェッツの場合はヴァイオリン)の演奏の平均レベルを革命的に上昇させたところです。カザルスの場合は、それまでのヘンテコリンな練習法(チェロ奏者の腕の動きを無理矢理制限する練習法)から、腕を自由に動かせる練習法(カザルス・メソード)にチェロの練習法を改革したことによって、チェロの演奏技術を世界的に格段と向上させました。今現在も、チェロ練習法はカザルスが創り上げた腕の自由な動きを重視するカザルス・メソードです。カザルスは新しいメソードを創造した教育者としてチェロの演奏レベルを引き上げました。

ハイフェッツの場合はこういった新しいメソードの創出とかは何もしていない、ただ単に、ヴァイオリンを弾いて、それがあまりに桁外れの技量の演奏にて、否応なく他の奏者のレベルを引っ張ることになったという、超人的な存在です。その演奏時の手の動きは伝説的なものとして知られ渡っています。ハイフェッツの友人のピアニスト、レナード・べナーリオが1993年に書いたハイフェッツ回想録によると、彼の家にはプールと卓球台があり、彼は友人達を家に招き、ストレッチングも兼ねて一泳ぎした後、卓球をやるのを好んだ、また彼の卓球の腕は非常に優れていたということでして、卓球が得意というのはヴァイオリンの伝説的名手だけあって流石という感じです。べナーリオによるとハイフェッツは水泳や卓球など適度な運動と適切な食事などを心がけ、常日頃から身体のバランスを取ることに気を使っていたそうでして、彼の天才的演奏は彼自身の不断の努力によって成り立っているんだなと感じさせて好感が持てます。

ハイフェッツの演奏は全て神レベルにて、古典曲を聴くならハイフェッツの演奏をお勧めします。超絶技巧としか言い様のない技量、ヴァイオリンの伝説的天才名手です。

体調が悪くて寝込んでいて何も出来ないパッシヴ(受動的)なときも、音楽は聴くことができるのでとても助かります。特に名演奏は心を和らげてくれると感じます。

参考作品(amazon)
ベートーヴェン/ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(ハイフェッツ)
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全集(ハイフェッツ)
メンデルスゾーン/チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(ハイフェッツ)
ツィゴイネルワイゼンヴィルトゥオーゾ・ヴァイオリン(ハイフェッツ)
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番スコットランド幻想曲(ハイフェッツ)
アート・オブ・ヴァイオリン [DVD]
ミュージックストア
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2009年06月01日 21:33

「うつ」と「躁」の教科書
音楽と音楽家 (ロベルト・シューマン)

クローズアップ現代「抗うつ薬の死角〜転換迫られるうつ病治療〜」視聴しました。抗うつ薬SSRIによって心神耗弱レベルの主体性を無視した攻撃性が誘発されるとのことでして、この番組で視聴する限り、そうなのかなという感じがします。今後、SSRIの処方を慎重に行うようになるとして、それはそれでいいのですが、既にSSRIを投与されて長年(僕の場合は現在一年です)飲んでいるような僕のような患者はどうすればいいのかという気持ちで一杯です…。

クローズアップ現代「抗うつ薬の死角〜転換迫られるうつ病治療〜」
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2009/0906fs.html

ウィキペディア「責任能力」
責任能力(せきにんのうりょく)とは、一般的に、自らの行った行為について責任を負うことのできる能力をいう。刑法においては、事物の是非・善悪を弁別し、かつそれに従って行動する能力をいう。また、民法では、不法行為上の責任を判断しうる能力をいう。(中略)

心神耗弱とは、精神の障害等の事由により事の是非善悪を弁識する能力(事理弁識能力)又はそれに従って行動する能力(行動制御能力)が著しく減退している状態をいう。心神耗弱状態においては、刑法上の責任が軽減されるために、刑事裁判で心神耗弱が認定されると刑が減刑されることになる(必要的減軽)。心神耗弱とされるの者の数は心神喪失よりも多く、裁判で心神耗弱とされた者の数は10年間の平均で80.4名である(犯罪白書同上)。

うつ病+SSRIで心神耗弱レベルの重篤な精神障害が認められるとは知りませんでした。SSRIを服用している患者は僕含めて日本だけで百万人、今更NHKや医学界から「SSRIはとても危ない薬でした、テヘッ」みたいなことを言われても…患者として「服用中に急にそんなこと言われても…困る…」としか答えようがありません。SSRIは麻薬と同じで、服用を中断すると禁断症状が発生する、一度服用し始めると止めるのが困難な薬だからです。

SSRIは中毒性の高い向精神薬であり、簡単に止めることができる薬ではありません。SSRIの投与を中断すると、麻薬と同じく重篤な禁断症状(断薬症状と呼ばれます)が発生することが事例として多いです。俗語ですが、日本では「シャンビリ」と呼ばれていますね。SSRiの禁断症状として耳鳴りがシャンシャンして、身体がビリビリするの略語です。

なんだか…、今回のNHKの特集、見ていて、とても困ったとしかいいようがありません。既にSSRIを投与されている患者はどうすればいいのかなという感じです。この薬(SSRI)、簡単に止められるような薬ではないですし、それで攻撃性が誘発されて危険と言われても、困るとしか言いようがないです…。

客観的に考えて、うつ病等精神疾患にてSSRI投与されている患者に精神疾患としての重篤性を認めて、国がカウンセリングなどを含めた医療費の支援や生活などを支援するような支援体制作りがないと、SSRIの投与を減らすというのは難しいのではないかと思います。うつ病などのSSRIを投与される主症状として不安系統の精神疾患は、遺伝などの内的要因よりも、患者の生活困難など外的要因が作用すると言われていますし、その点について、患者の境遇の改善が必要と思います。僕は精神障害3級・低収入者(年収入八十万円以下)ですが、カウンセリングとか低収入者の治療費を支援する障害者自立支援法の支援対象外なので、金銭的に受けることが出来ません。障害者自立支援法の適用となるのは、「診察・診察において必要とみなされる検査・SSRIなどの薬物治療・デイケア」の四種のみです。カウンセリング治療も保険の対象内に含めた方がいいのかなと思います。

僕自身はうつ病になる前から唯物論者なので、心理療法であるカウンセリング治療の効果には甚だ懐疑的ではあるのですが、薬(SSRI)が使えず、高度先端医療(磁気療法など)の導入がまだまだ先ということになると、カウンセリングぐらいしか現状の治療法として方法がないのではないでしょうか。

ただ、僕としては、カウンセリングよりも、患者に安心感を与える社会保障の拡充、生活の最低限度の保障が治療の前提として必要だと思います。僕は生活費に困っているので、毎日精神的にキツく、心休まるときが一時もありません。僕は稼動年齢(20〜65歳)なので、生活保護が、失業していても受けられません。稼動年齢の人々にも、生活保護の受給要件を満たしていたら生活保護をきちんと法律通りに支給する、社会制度として生活の最低限度の保障を行って欲しいです。

生活が大変で、ギフト券、アフィリエイトにてお助けしてくださるお方々に、心から感謝致します。

最後に、先月、少しシューマンの音楽の話を致しましたが、最近聴いた音楽の話をしますと、ピアニスト、ル・サージュのシューマン作品集を聴きまして、とても高品質な演奏で良かったです。シューマンは晩年、精神障害(重度妄想、精神分裂病、躁うつ病、梅毒性精神障害)を発病したと記録が残っている作曲家で、彼の作品は日本の作家芥川龍之介の作品と同じく、病跡学的分析の対象となることが多いですが、そのようなことを考えずとも、楽しめる名ピアノ曲集です。聴いていて、線が細いような感じのする曲ではありますが、そのようなところも含めて、とても美しいピアノ音楽です。

シューマンの精神障害ですが、歴史上、モーツァルトの妻コンスタンツェに並び音楽家の妻として歴史上最も有名である、クララ・シューマンが、彼(シューマン)が音楽界に推薦した、のちの大巨匠ブラームスと浮気をしているという妄想にさらされて発症したと言われています。クララ・シューマンが本当に若きブラームスと浮気をしていて、シューマンがそれによって狂ったのか、シューマンの狂気が先に発症して、妻とブラームスのありもしない浮気の妄想を抱いたのか、それはもはや、どちらが真偽であるか分からぬことですが、シューマンが純粋に、若きブラームスを褒め称えている文章(シューマン「音楽と音楽家」)などを読むと、なんとも言えない思いになります。

ウィキペディア「ロベルト・シューマン」
ロベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810年6月8日 - 1856年7月29日)はドイツの作曲家、音楽評論家。ロマン派音楽を代表する一人。名ピアニスト、クララ・シューマン(Clara Josephine Schumann, 旧姓ヴィーク Wieck)は妻である。(中略)

1853年9月30日、シューマン家に当時20歳であったヨハネス・ブラームスが訪問し、彼は自作のソナタなどをシューマンとクララに弾いて聴かせたが、これに対してシューマンは久しぶりに評論を書き、「新しい道」という表題でその若者を強く賞賛し、未来を予言した。ブラームスは晩年のシューマンの希望の星であった。

しかしブラームスと出会ってから半年もしない1854年に入ると、本人も自覚していた元々の躁鬱、音楽監督時の精神的疲労に加え、青年期に娼婦より罹患した梅毒に起因するとされる精神障害が著しく悪化し、2月27日にデュッセルドルフのライン川に投身自殺を図った。間もなく助けられたが、その後はボン・エンデニッヒの精神病院に収容され、面会謝絶のためクララにも殆ど会う機会は与えられなかった。近年当時のカルテが発見され、症状に梅毒の兆候が認められた上、シューマンは『デュッセルドルフが消滅した』と真剣に語ったという。

シューマンは病床でも作曲を試みるなどしたが(この時期に書かれた作品や手紙はクララによって後に破棄された)、回復しないまま1856年7月29日にこの世を去った。最後の言葉は、ワインを指につけて夫にしゃぶらせるクララを腕に抱いて囁いたという「俺は知っている」であった(クララがその様子を日記に書いている)。これがブラームスとクララ・シューマンの不倫の事なのかどうかまでは、ついに決定的証拠が残されることがなく、現在でもシューマン研究の論争の種である。なお、かつてシューマンの8人目の子供フェリックス(1854年 - 1879年)はブラームスの子供ではないかとの憶測を呼んだが、現在は否定的な見解が多い。しかしこの件でシューマンは、自分に似ていないということでクララと喧嘩をしている。

「シューマンは『デュッセルドルフが消滅した』と真剣に語ったという。」これは、精神病院にいる大作曲家が真顔で真剣に『東京は消滅した』と語っているところを思い浮かべれば、正気を失ったシューマンの末期の症状が分かりやすくイメージできるのではないでしょうか。シューマンのピアノ曲を聴いていて、これほどの作曲の才を持つ天才が、「妻に浮気をされている」との理由で投身自殺を図り、完全に発狂して死して行くとは、世の諸行無常を感じずにはいられません…。

シューマン作品では、もっぱら「子供の情景」などのピアノ曲が、天才ピアニストであった妻クララ・シューマンの演奏が名高いこともあり、作曲の代表作として有名ですが、僕としては室内楽曲の数々も優れた曲としてご一聴お勧め致します。

参考作品(amazon)
「うつ」と「躁」の教科書
音楽と音楽家 (ロベルト・シューマン)
シューマン:ピアノ作品集
シューマン:室内楽曲全集(7枚組)
シューマン:子供の情景/森の情景
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