2008年12月

2008年12月31日 09:32

小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

本年度、うつ病で、失業しており、職にもつけず、貯金もなかった僕が、本年の年末まで生き永らえることができたのは、僕をギフト券を贈ってくださりアフィリエイトでお買い物して頂いた皆様方のおかげであり、心から深く感謝致します。本当にどうもありがとうございます。ギフト券のおかげで食べ物と冬服が買えて本当に助かりました。皆様方に助けて頂いた命を、皆様方の為に尽くすことで少しでもご恩返しができれば幸いです。本当に、心から、命をもって、感謝致します。

僕は、先日の、地域協議会という、全体主義的な仕組みが恐ろしくて、腹痛が取れず、非常に体調を崩しておりますが、なんとか、生きながらえており、これも、ご慈悲ある心優しきお方々のお救いの御手のおかげ、本当にありがとうございます。

僕は、先日の地域協議会法のような全体主義的統制法案、人を尊いご慈悲の心で救うのではなく、いきなり失業者を監視して犯罪者として標的にする(地域評議会に警察と保護司が入っていることは、地域協議会は失業者を犯罪者扱いしているということが分かります)ような制度には絶対反対です。このような恐怖と憎悪と残酷の上に成り立った制度は、オーウェルが書いた1984年の制度、そして現実の歴史に存在したナチスの制度です。

ナチスドイツ強制収容所一覧表
http://www.sayaka-ohara.com/saimondo/honkan/instruct/concentration_canp.htm
ナチスドイツは単に狂気からユダヤ人を虐殺したわけではない。その政策の基盤として、1935年にニュルンベルグの党大会で「ドイツ人の血と名誉を保護する為の法律(血統保護法、いわゆるニュルンベルク法)」を採択し、異人種間の結婚を禁じるなど全ドイツ人の健康管理を始めたのである。そして、超医療管理国家となったナチスドイツは、障害者の安楽死を認め、「慈悲による死」という名目で7万人以上を虐殺した。

ナチスドイツの大量殺人は、最初は国内の精神障害者が対象となっていた。1933年に成立した「ナチ断種法」(正式名称:遺伝病の子孫を予防するための法律)により、精神薄弱者、精神分裂病者、躁うつ病者、てんかん患者、重症アルコール依存症患者、先天性の盲人およびろうあ者、重度障害児、小人症、けい性麻痺、筋ジストロフィー、フリードライヒ病、先天性股関節脱臼の患者が断種処置(つまり安楽死)の対象となった。

1940年4月には、「T4作戦」という正式の暗合名でこの安楽死計画が大規模に展開され始めた。つまり、ドイツ国内の4カ所の精神病院施設に、ガス室と焼却炉が付設され、アウシュビッツのユダヤ人虐殺の2年以上も前に精神病患者の虐殺が始められたことになる。ナチ政権下でこの法律によって「強制断種」の犠牲となった人間の総数は、20-35万人にのぼると推定されている。アウシュビッツ強制収容所などでの大量殺人(ホロコースト)は、T4作戦を担当した医者や現場の責任者が指導し、T4作戦の方法をそのまま拡大し、対象を精神障害者からユダヤ人へと転換したものであったようだ。強制収容所でのユダヤ人などの犠牲者は400万人に上ったと推定されている。

「恐怖と憎悪と残酷の上に文明を築くことはできません。絶対に長続きはしないでしょう」

「どうして不可能かね?」(中略)

「ウィンストン、われわれはあらゆるレベルで人生を管理している。君は人間性(ヒューマン・ネイチャー、思いやり、優しさ、共感、慈悲、愛の心)というようなものがあって、それがわれわれのやり方に反発し、われわれに反逆するだろうと思っている。しかしわれわれは人間性まで創造しているのだよ。人間というのはどうとでもなるものさ。そうでなければ君はもしかしたらプロレタリアか奴隷どもが決起し、われわれを転覆させるだろうという古い考えに戻ったのではないか。そんな考えは捨てたまえ。奴らは動物みたいに無力なのだ」(中略)

「ウィンストン、われわれは君を打ちのめした。君を粉砕した。(徹底的な残虐な拷問を受け、衰え瀕死の状態にある)自分の身体がどうなっているか、君は自分自身の目で確かめている。君の精神も同じような状態にあるのだ。君にはそれほど多くの誇りは残っていないと思う。君は蹴飛ばされ、殴打され、辱められた。君は苦痛に悲鳴をあげ、自分の流した血と自分の吐いた汚物の上を這い回った」
(オーウェル「1984年」)

僕は上記のウィンストン(拷問を受けているウィンストン)のような気持ちで非常に絶望的です。うつ病と失業で生活貧窮し、生活保護受けられなかったとき、この日本国は、国家が生産性がないと認定した人間を処分してゆく国家、ナチスドイツや「1984年」のオセアニアと同じだと思いました。「われわれは君を打ちのめした。君を粉砕した。」という言葉が頭に浮かびました。「1984年」のオセアニアのスローガンと日本国は同じ状態にあると思いました。

ウィキペディア「ディストピア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2
ディストピアの特徴
一見すると平等で秩序正しい理想的な社会だが、徹底的な管理・統制により自由が奪われた社会。自らの政治体制をプロパガンダで「理想社会」に見せかけ住民を洗脳し、この体制に反抗する者には治安組織が制裁を加え社会から排除する。

人間を罪から救い出す唯一の手段は、人間を自由から救い出してやる(人間から自由を奪う)ことである。
(ザミャーチン「われら」)

ウィキペディア「1984年」
http://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
3つのスローガンが、至る所に表示されている。
戦争は平和である(WAR IS PEACE)
自由は屈従である(FREEDOM IS SLAVERY)
無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)

そんな打ちのめされた僕がなんとか生き永らえてきたのは、心優しいご慈悲あるお方々が助けてくださったおかげであり、感謝の気持ちを言葉で言い表せません。本当にありがとうございます。ナチスドイツやオセアニアのような世界が日本に訪れるのを防ぐには、1984年でオセアニアを残酷に支配する党が否定する人間性、そしてファシズムやナチズムを賛美し人間の動物化と社会の管理体制の強化を説く東浩紀東工大教授のような人々が否定する人間性、すなわちヒューマン・ネイチャー(人間性)、思いやり、優しさ、共感、慈悲、愛の心を現代の日本の人々が心に抱いて、大切にしなければならないと思います。

僕はその為に、頑張りたいと、心から思っています。それが、少しでも、僕を助けてくださったご慈悲あるお方々へのご恩返しになれば、心から幸いです。

あなたは、憐れみある者には憐れみある者となり、
無垢な者には無垢な者となり、
清い者には清い者となり、
曲がった者にはねじれた者となられます。
まことにあなたは貧しいものを救い、
高ぶった目を低くされます。
(詩篇18-26〜28)

憐れみ深い者たち、また心の清い者たちは幸いである、といったイエスの言葉(マタイ福音書5-7〜8)を思い起こさせる。
(聖書名言事典)

皆様方が、生の安全と喜びある年末年始を迎えられることを、心から僕は祈ります。

慈善の道には命がある。
(詩篇12-28)

参考作品(amazon)
1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)
われら (岩波文庫)
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

amazonトップページ

2008年12月30日 09:28

パウル・ツェラン 初期詩篇集成

先日より、調子が良くなかったのですが、今朝、恐ろしいニュース記事を見て、酷い心身の調子になりました。病院に掛かりたいです。けれど、次の診察日が一月過ぎなので、掛かれません。非常に辛く、絶望的です。この国は恐ろしい方向にひた走っていると思います。それは、憲法・法律を無視した、国家が勝手に社会的生産性がないと判断した人物をナチスのように強制収用する方向に向っていると思います。絶望的で、酷い不安と苦痛で苦しいです。下記の記事です。

ニート・引きこもり支援新法制定へ 通常国会で政府提出へ
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081229/plc0812290136000-n1.htm
政府が「若者支援新法」(仮称)を来年の通常国会に提出する方針を決めたことが、28日分かった。急速な景気の悪化で非正規労働者らが解雇されるケースが相次いでいることを受けて、今後のニートや引きこもりの増加に備えるねらいもある。(中略)
支援の中核機関として、自治体の担当部署や青少年相談センター、教育委員会、民間非営利団体(NPO)、ハローワーク、医療機関、警察などで構成される「地域協議会」を設置する。(中略)
地域協議会は、各機関の情報を集約して、ニートや引きこもりになっている若者がどこにいるかを把握し、専門相談員「ユースアドバイザー」や医師、保護司らが自宅を訪問する。こうした活動を繰り返す中で、引きこもりの原因を探って、社会参加への計画を策定。コミュニケーション能力を回復させる方向へと導くとともに、就業体験に参加できるように協力し、同居する保護者への助言なども行う。

上記、日本国憲法及び日本国法律に違反していると思います。法務省は何を考えているのか分かりません。日弁連は抗議出さないのでしょうか。僕は失業していて精神疾患(うつ病)なので、この人たちが訪ねてきて、なにか酷いことするのだと思うと、絶望的です。僕みたいな生活保護が受けられなくて、就職活動も跳ねられている人に、強制的に押しかけてくるのは、明らかに憲法違反で、そのうち、日本国はこのままだと失業者や精神障害者などの、社会にとって生産性がないと国家が判定した人間の強制収用及び幽閉、最終的には虐殺を始めるのだと思います。

現に、この新法が開始された場合、失業者は強制的に誰でも措置入院させることが可能になります。医師が勝手におしかけてきて、病気として判断するということは、措置入院制度という「『ただちに入院させなければ、精神障害のために自身を傷つけ、または他人を害するおそれがある』と、2名の精神保健指定医の診察が一致した場合、都道府県知事または政令指定都市市長の命令により、精神科病院である指定病院に入院させることができる制度」が日本にはありまして、それで、無理矢理、他害自害の恐れのない、ごく普通の失業者を精神病院に強制入院させて幽閉してしまうこと(閉鎖病棟に閉じ込めてしまうこと)が可能になります。

これは、旧ソビエト連邦や独裁主義国及び社会主義国の一部が取っていた優生学的法判断で、日本国憲法はこのような判断を禁じている筈です。この国はもうダメだと思いました。心底から絶望的な気分です。

例えば、僕は以前、僕は精神障害なので、措置入院で一生幽閉されるんじゃないかと心配で酷く不安になったことがあって、主治医の精神科医の先生にそのこと相談しまして、先生が、僕には、今、うつの症状は酷いですが、他害自害の恐れはありませんと判断しますので、措置入院で一生幽閉されるとか、そんな心配は全くありませんよって言ってくれたんですが、もし、この新法ができて、失業者や精神障害者は全部病院に幽閉しようとしている国家の意向を受けた精神科医が二人来て、勝手に「措置入院の必要あり」と判断されたら、措置入院で、精神病院に幽閉されてしまい、いつ出られるか、永遠にわからない、一生出られなくなるかもしれません。

この日本国は憲法と法律(人権)を無視して明らかに優生学及びファシズムの方向に走っており、もう絶望的で、生きていることに、何の希望も見い出せません。本当に辛いです。僕みたいな失業層・精神障害者層は明らかに強制収容する方向に向っていることは確実だと思います。憲法と法律を国家が強権にて蔑ろにし始めたら、それは独裁であり、何もかも終わりです。

日本国憲法
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第35条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

労働基準法
第5条 使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。

刑法
第130条 正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。
第132条 第130条の罪の未遂は、罰する。
第134条 医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。 

国家公務員法
第27条 すべて国民は、この法律の適用について、平等に取り扱われ、人種、信条、性別、社会的身分、門地又は第38条第5号に規定する場合を除くの外政治的意見若しくは政治的所属関係によつて、差別されてはならない。
第100条 職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする。2 法令による証人、鑑定人等となり、職務上の秘密に属する事項を発表するには、所轄庁の長(退職者については、その退職した官職又はこれに相当する官職の所轄庁の長)の許可を要する。3 前項の許可は、法律又は政令の定める条件及び手続に係る場合を除いては、これを拒むことができない。

地方公務員法
第13条 すべて国民は、この法律の適用について、平等に取り扱われなければならず、人種、信条、性別、社会的身分若しくは門地によつて、又は第16条第5号に規定する場合を除く外、政治的意見若しくは政治的所属関係によつて差別されてはならない。
第34条 職員は、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も、また、同様とする。2 法令による証人、鑑定人等となり、職務上の秘密に属する事項を発表する場合においては、任命権者(退職者については、その退職した職又はこれに相当する職に係る任命権者)の許可を受けなければならない。3 前項の許可は、法律に特別の定がある場合を除く外、拒むことができない。

これら大切な日本国憲法及び法律のすべて、政府の強権で無視されるようです。この国は無茶苦茶です。僕はもう心痛で苦しくて痛くて辛いです。この国は明らかに誤った方向に向っています。絶望的です。心が不安と苦しみで真っ暗です。

パウル・ツェラン
「死のフーガ」

夜明けの黒いミルクぼくらはそれを晩にのむ
ぼくらはそれを昼にのむ朝にのむぼくらはそれを夜にのむ
ぼくらはのむそしてのむ
ぼくらは宙に墓をほるそこは寝るのにせまくない
ひとりの男が家にすむその男は蛇どもとたわむれるその男は書く
その男は書く暗くなるとドイツにあてておまえの金色の髪マルガレーテ
かれはそう書くそして家のまえに出るすると星がきらめいているかれは
口笛を吹き犬どもをよびよせる
かれは口笛を吹きユダヤ人たちをそとへよびだす地面に墓をほらせる
かれはぼくらに命じる奏でろさあダンスの曲だ

夜明けの黒いミルクぼくらはおまえを夜にのむ
ぼくらはおまえを朝にのむ昼にのむぼくらはおまえを晩にのむ
ぼくらはのむそしてのむ
ひとりの男が家にすむそして蛇どもとたわむれるその男は書く
その男は書く暗くなるとドイツにあてておまえの金色の髪マルガレーテ
おまえの灰色の髪ズラミートぼくらは宙に墓をほるそこは寝るのにせまくない
かれは叫ぶもっとふかく地面をほれこっちのやつらそっちのやつら歌え奏でろ
かれは腰の金具に手をのばすふりまわすかれの眼は青い
もっとふかくシャベルをいれろこっちのやつらそっちのやつら奏でろどんどんダンスの曲だ

夜明けの黒いミルクぼくらはおまえを夜にのむ
ぼくらはおまえを昼にのむ朝にのむぼくらはおまえを晩にのむ
ぼくらはのむそしてのむ
ひとりの男が家にすむおまえの金色の髪マルガレーテ
おまえの灰色の髪ズラミートかれは蛇どもとたわむれる

かれは叫ぶもっと甘美に死を奏でろ死はドイツからきた名手
かれは叫ぶもっと暗くヴァイオリンをならせそうすればおまえらは煙となって宙へたちのぼる
そうすればおまえらは雲のなかに墓をもてるそこは寝るのにせまくない
夜明けの黒いミルクぼくらはおまえを夜にのむ
ぼくらはおまえを昼にのむ死はドイツからきた名手
ぼくらはおまえを晩にのむ朝にのむぼくらはのむそしてのむ
死はドイツからきた名手かれの眼は青い
かれは鉛の弾できみを撃つきみをねらいたがわず撃つ
ひとりの男が家にすむおまえの金色の髪マルガレーテ
かれは犬どもをぼくらにけしかけるかれはぼくらに宙の墓を贈る
かれは蛇どもとたわむれるそして夢想にふける死はドイツからきた名手

おまえの金色の髪マルガレーテ
おまえの灰色の髪ズラミート

パウル・ツェラン
「根拠と沈黙」

黄金と忘却のあいだの
鎖に繋がれた

黄金も忘却も夜に手を伸ばした
夜はこの両者のするがままにする

添えよ
お前もこの夜に添えよ
夜明けとともに輝こうとする言葉を――
星を抱く言葉を
海に抱かれた言葉を

人に言葉を
暴力が後ろから襲いくるとき 人々に歌われた言葉を
歌ったあと 凍った言葉を

星を抱く言葉を 海に抱かれた言葉を
夜に
毒牙が音律を刺し貫くとき
凍ることなき血はいつまでも流れ続けていた 沈黙のなかの言葉 
夜に

沈黙にとざされていた言葉を 夜に 

殺された耳とひとつになって
時と時代を遡って往く
他の言葉たちとは逆に
この言葉は一番最後の言葉になって
鎖が音をたてるとき はじめて
黄金と忘却のあいだに
むかしからこの両者は一体になって
よこたわる夜を 証しだてる――

なぜなら 教えてくれ
言葉はいったいどこで輝きだすというのか
ただ 涙の流域
立ち昇る太陽に 何度も何度も
瑞々しき早苗を示す夜のもとのほかでは?

心痛が酷い状態です。この国は明らかに悪しき方向に向っていると思います。僕のような貧困層、失業層、精神疾患層を排除する方向に、社会全体が動いているのを感じて心が痛いです。人々にご慈愛とご慈悲のあるお互いに助け合う社会を僕は望みます。苦しくて、更新滞ることがありましたらごめんなさい。僕をこれまで助けてくれたご慈愛ご慈悲あるお方々すべてに感謝致します。日本国がどうか悪しき方向に向わないで欲しいと心から祈ります。強権に支配される国家ではなく、人々の平安に暮らせる社会を望みます。一生懸命に祈ります。

酷く寒いです。どうしても辛くて、真っ暗です。

参考作品(amazon)
パウル・ツェラン 初期詩篇集成
闇の子午線 パウル・ツェラン
パウル・ツェラン全詩集〈1〉
パウル・ツェラン全詩集〈2〉
パウル・ツェラン全詩集〈3〉
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

amazonトップページ

2008年12月29日 22:25

オーロラのささやき北欧音楽の神秘の調べ

先日より、深い不安で胸が痛いです。手持ちのお金が数十円になってしまい、銀行にお金おろしにいったら、喉が痛くなって咳が止まらなくなりました。ごほごほ咳がでるなか、いつも猫背なので背中も痛く辛いので、寝込んでいました。

私のたましいは私の前でうなだれています。
(聖書詩篇42-6)

寝込みながら、ずっとクーラの「無伴奏合唱曲全集」を聴いていました(本アルバムはすべて絶盤につき、amazonでも取扱いされておりません。今出ているアルバムでは「オーロラのささやき」というアルバムに少しだけ、クーラの歌曲が収録されています。このアルバムもとてもいいアルバムです)。本アルバムは北欧的な悲劇性を持つとても哀切で美しい合唱集で、少しだけ心を休ませてくれました。極めて美しい合唱集です。お勧めの合唱集です。僕はこのなかでは、「ひとり」という曲が好きです。日本語訳をライナーノーツよりご紹介致します。

クーラ「無伴奏合唱曲全集」

「ひとり(Yksin)」

私はひとり腰かける 孤独に
辺りには闇の帳が下りる
私の思考はシャトルのように前後に行き来し
記憶の布を織る

不安の銀の糸が
闇の中で幾筋にも輝く
あちらこちらに喜びの糸が
縦糸を通って伸びている

私はなおひとりで腰かけている
時は過ぎ去り 思考が織り成す
腰かけているものの心が重い
目から涙が落ちる

僕は涙も枯れ果てたような状態で、聴いていて、シルヴィア・プラスやトラークルの詩(どちらの詩人も暗いうつ的な詩情を歌った詩人です)を思い出していました。

シルヴィア・プラス
「死商会」(抜粋)

私は身動きもしない
霜が花をつくる
露が星をつくる
鈍い鐘の音
鈍い鐘の音
(シルヴィア・プラス詩集)

今このような状態で、寒くて身動きができなくて、寒いとどうしても猫背になってしまうので、背中が痛くて、辛いです。

ご慈悲深き皆様方の心優しき御心のおかげでなんとか生きていられて、とても感謝しております。皆様方に、平穏あることを祈っています。

最後に、トラークルの詩をご紹介致します。

トラークル
「捕われた黒鶫の歌」

緑の枝枝のなかでの暗い息吹き。
青い花花が孤独なものの眼差しをつつみ、
オリーブの木の下で死にたえようとする
金色の歩みをつつんで、漂っている。
酔った翼を広げて舞いあがる夜。
こんなにもかすかに血を流す謙虚な心、
露がゆっくりと、花咲く茨からしたたり落ちる。
輝く腕の憐れみが
ひとつのはりさける心をかきいだく。
(トラークル詩集)

参考作品(amazon)
オーロラのささやき北欧音楽の神秘の調べ
オーロラのささやき北欧音楽の神秘の調べ
シルヴィア・プラス詩集 (双書・20世紀の詩人 4)
トラークル全詩集 (1983年)
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

amazonトップページ

2008年12月28日 18:50

仏教とキリスト教(新潮選書)
不安の書

先日より、心身の状態が酷く、胸から不安感が離れずに苦しく、収まっていた頭痛がまたぶり返してきて、心身の酷い苦痛に悩まされています。何か、良いことを書ければと思うのですが、申し訳ありません。本日からコミックマーケットという催しが行われます。僕は心身の酷い苦痛と生活困窮で全日行けませんが、参加されるお方々の幸運を祈っております。

また、現在、人ごみなどにでると、出た後、酷い反動でうつのショック状態になってしまうのが数ヶ月前起きて、調子が悪いときはあまり人ごみなどには出ないよう先生からご指示頂いております。後、外にでる気力がどうしてもわかなくて、外になかなか出られない状況です。いつも胸が暗い気持ちが離れず、ずっと巣くっていて、それが腹痛を呼んで苦しいです。

僕の現在の状況はきわめて酷く、不安と心痛が胸からずっと離れない形で、頭の中がとても苦しいです。言葉で言い表せないくらい辛いです。表現に絶する苦しみというのは本当にあるんだというのを感じます。うつ病の初期の頃に戻ったような苦しさです。猫と一緒にいることが心の慰めです。フェルナンド・ペソア「不安の書」から引用致します。

自分の惨めな状態を引きずっているこうした街路、自分の寒さに身を縮め、自分の襤褸をとおして夜の手を感じるこうした階段、こういうすべてはいつ終わるのだろう?もしもいつか神が迎えにきてくれて、家に連れていってくれ、温もりと愛情をくれたなら……。時おりこう考え、そう考えることができると考えて嬉し泣きする……。しかし風が外の街路をゆっくりと通り過ぎ、木の葉が歩道に落ちる……。目を上げると、何の意味もない星が見える……。そしてこうしたすべてから、どんな〈愛〉も養子に欲しいと思わず、どんな〈友情〉も遊び仲間に欲しいと思わなかった見捨てられたかわいそうな子供、わたしだけが残る。

あまりに寒気がする。見捨てられてこれほど疲れている。
(フェルナンド・ペソア「不安の書」)

だんだんとこのブログのアクセス数は減っていっており、僕は失業しており、ギフト券とアフィリエイトが生活の糧なので、疲れています。

ギフト券で施ししてくださった心優しきお方々に、心から感謝申し上げます。生きて2009年が迎えられることを、心優しきご慈悲ある皆様方全てに深く心全てから感謝致します。ありがとうございます。

慈悲の「慈」の原語は、サンスクリットの”マイトレーヤ”であって、この言葉は、”ミトラ(友)”という語からつくられたものです。特定の人間に対してではなく、すべての人に対して最高の友情をもつのが「慈」であります。一方、「悲」のほうは、原語はサンスクリット語の”カルナー”であって、「呻き」といった意味です。わたしたちは人生の苦しみのなかで呻き声を発します。この呻き声を発した者のみが、よく他人の苦しみを理解できるのです。そして、他人の苦しみをともに苦しむことができます。そのともに苦しむ行為が、「悲」なのです。

したがって、仏教でいう「慈悲」は、わたしは、他人を理解し、他人と共感することだと思います。人間は孤独です。孤独のうちに苦しみ、呻吟しているわたしたちに、もし理解者が現われ、その人がともに呻き声を発してくれたなら、わたしたちはどれだけ救われるでしょうか……。それが、慈悲なのです。(中略)

キリストは、不幸な同胞たちにたいする施しは、それがなおさずキリストその人に対する業にほかならない(「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわちわたしにしたのである」――「マタイによる福音書」第25章)といっています。つまり、施しは、キリストに対する信仰表明とされているのです。

このように考えれば、仏教の布施も、キリスト教の施しも、つまるところは同じになるのではないでしょうか……。
(ひろさちや「仏教とキリスト教」)

「兄弟愛が保たれるように。[旅人への]もてなしを忘れてはならない。それによってある人たちは気づかないで御使いをもてなしたのだから。獄の人々のことを[想い起こしなさい。自分たちも]共に獄に繋がれているつもりで[そうしなさい]。虐待されている人々のことを想い起こしなさい。自分たちも[同じく]体においてあるのだから。」
(ヘブル書13-1〜3)

まず、「兄弟」(男女の同信徒)に対する愛の勧め。(中略)
次に、「旅人へのもてなし」の勧め。(中略)
最後に、迫害を受けて「獄」にある人々、「虐待されている人々」への思いやりが勧められている。想像力(共感)により彼らと共に苦しむことによって――。
(聖書名言事典)

本当に、僕を助けて頂いた皆様方に、心から感謝致します。真剣に、皆様方の平安と幸せを祈っております。祈りだけが、僕に残された全てです。

(宗教の)最初は、病気を治してくださいという要求でもって、仏教やキリスト教に入信します。そして、そのために祈ります。すると、祈っているうちに、祈りそのものの大事さに気づくのです。その結果、(それが人間の手によっては覆すこと叶わない必然としての定められた運命ならば)病気は治らなくともよい。神は(仏は)、わたしに祈りをさせるために、わたしを病気にさせたのだ――と考えるようになります。これが「価値の革命」です。まさに逆転が起きているのです。このようなあり方が、キリスト教や仏教の信仰だと思います。
(ひろさちや「仏教とキリスト教」)

皆様方に平安があることを、心から祈っております。良き平安が皆様方にあることを心から祈っております。

参考作品(amazon)
仏教とキリスト教(新潮選書)
不安の書
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

amazonトップページ

2008年12月27日 22:49

10年後の日本 (文春新書)
聖書名言事典

いつも助けてくださっている皆様方に心から感謝申し上げます。先に書きましたフェルメール展のように、なにか、少しでもお役立ちができることが書ければと思っています。

何か、良きことを書きたいと思うのですが、昨日からの腹痛が治らず、言葉にできないような絶望感が胸にあって痛く、なかなか思うように文章を書くことができず、申し訳ありません。

世相も暗く、僕は早く総選挙をやって、国民の民意を問うべきだと思います。現状の政治の迷走している状態では、日本はソフトランディングではなく、ハードランディングしてしまうと思います。文春新書「10年後の日本」より引用致します。

10年後(本書は2005年の本なので、2015年)にはフリーター500万人時代が到来するだろう。しかも、今後はフリーターの高齢化が進むことも間違いない。UFJ総合研究所の予測によると、2021年には35歳以上のフリーター(就職氷河期世代)が二百万人を超えるという。同研究所では、これによって可処分所得が5兆8000億円減り、結果的に(持続的に)GDP成長率を1.2ポイント押し下げる恐れがあると警告している。
(文春新書「10年後の日本」)

僕も、高齢化フリーター世代(就職氷河期世代)なので、どう生きていけばいいのか、苦しいです。再び、「10年後の日本」より引用致します。

財政赤字と公債の累増を放置していれば、やがて日本政府が国民の信頼を失う日が来ることが間違いない。巨額の財政赤字はさまざまな点で経済の活性化を阻害する。第1に借金が積み重なり、利払いの費用が大きくなると政策に使える予算の割合が縮小し、政策を縮小せざるを得なくなる。次に、国債はおもに市中の資金によって消化されるため、国内資金が不足し、民間投資が抑制される。また国民は将来不安から消費を抑えるようになり、個人消費の減少、経済の低迷に繋がる。

さらに懸念されるのは、国債の信任の低下である。(中略)日本国債が(海外諸国から)投資不適格の烙印をおされる事態になれば、長期金利は急騰し、国債の金利負担が急増、日本は財政の維持が不可能となり破綻の時を迎える。日本はすでに危険水域の奥深くまで入り込んでいるのだ。(中略)

いずれにせよ、現在の金融政策は、ふくれあがった財政赤字の歪みを受けて異常な形で進められている。世界にも例を見ない低金利、違法すれすれの買い切りオペや量的金融緩和――(中略)

こうした状態がいつまでも持つと考えるのは、楽観的に過ぎるのではないか。いつの日かほころびが出るにちがいない。そしてそのときは、長期金利の上昇圧力は抑えきれなくなるのだ。かりに長期金利が6パーセントまで上がったとしよう。その時点で国債残高が800兆円に達しているとすると、48兆円の利払いが必要になる。すなわち国家の税収は、すべて国債の利払いで消えてなくなるわけだ。そして、財政はいっきに破綻へと転がり落ちていく。市場は暴走し、インフレはとどまるところなく進行する。ハイパーインフレの到来である。(中略)

(日本の)国民の大半は、日本ではそんな事は起こるはずがない、と信じている。しかし、現在の日本は(量的緩和、財政出動によって膨れ上がった)長期金利の急騰を招く巨額の国債残高という爆弾を抱えているのだ。それはじつは、いつ爆発するかわからない厄介な爆弾なのである。
(文春新書「10年後の日本」)

僕は、現在の与党は国民の多くにとって信頼のおけない政府であると思います。雇用問題の救済策を早め早めに企業に対し金融的に打ち出していれば、大量解雇も防げたはずです。だいたい、損失を出したといっている大企業、例えばトヨタ等は単年度の決算でしか損失をだしていません。それまで儲かっていた分(過去利益の内部留保)があるはずです。そういったものなどを活用して、政財官で人々の雇用を守らなければいけないときに、不景気だから仕方が無いといって物凄い勢いで大勢の解雇が行われたのは、大企業と与党が組んでいるとしか僕には思えません。

今、大切なことは、一日も早く総選挙をやって民意を問うことだと思います。僕は共産党に票を投じさせて頂きます。どうか、民主党などの野党の方が勝利して政権交代が行われることを願います。

少しでも、富の二極化を食い止め、富を社会にシェアしてゆく、大勢の人々が生きられる社会が訪れることを僕は心から祈ります。

野菜を食べて愛があるのは、肥えた牛の肉を食べて憎み合うのにまさる。
(箴言15-17)

日々の食事がどれほど貧しくても愛のある家の方が、ご馳走を食べて憎み争っている家よりよい。(中略)

えこひいき(不公正)はよろしくない。
(飢えた)人は、一切れのパンのために罪を犯す。
(箴言28-21)
(聖書名言事典)

僕は、法学徒として、罪(法)を犯すくらいなら飢えて死ぬことを選びますが、これから、大勢の人が、僕のように貧困に苦しむ事態になったとき、ご余裕ある人々の聖なるご慈悲、聖なる施しにて、貧しき人々が生命繋げてゆけること、心から祈ります。

僕は、僕をご支援して助けてくださった心優しき皆様方のことを、手のひらに刻んで、その思いで生きていきたいと、心から願っています。

見よ、わたしは両の手のひらにあなたを刻んだ。
(イザヤ書49-16)

しっかり記憶して、絶対に忘れないこと。(中略)
「(両の)手のひらに載せる」(詩篇91-12)と言えば、深い愛をもって相手を思いやる、の意。
(聖書名言事典)

皆様方に御心の平安ありますように、僕は心から祈っております。

平安あれ、平安あれ、
遠くにいる者にも、近くにいる者にも。
(聖書イザヤ書)

参考作品(amazon)
10年後の日本 (文春新書)
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

amazonトップページ

2008年12月26日 23:21

チャイコフスキー:交響曲第6番
聖書名言事典

先日、聖なる日で、なんとか気を持たせていたんですが、聖なる日が過ぎて、祝福に去られたようで、とても胸が重く、辛いです。とても苦しいです。頭痛は、聖なる日のおかげで治ったみたいなんですが、腹痛は続いていて、痛いです。後、いつも寒くて、身体縮めているから、猫背になって、背中が痛いです。

すごく気持ちが晴れなくて、重くて苦しくて、猫と一緒に寝込んでいました。猫も寒いからか、ずっとくるまって寝ていました。寒くて、辛いので、1986年バーンスタイン指揮「悲愴」を聴いていました。悲愴が少しだけ、苦しみを和らげてくれました。以下、悲愴のライナーノーツから引用致します。

この曲の《悲愴》というタイトルは、初演の後でチャイコフスキーがもうひとりの双子の弟モデストに相談してつけたもので、モデストは初め「悲劇的」という名を提案したが、それはチャイコフスキーの気に入らず、しばらく考えた弟が再び思いついた「パセティック(悲愴)」に決まったのだと伝えられている。

「そのプログラムは徹底的に主観的なものなのだ」といっているように、チャイコフスキーは”悲劇的”という客観的な言葉ではなく、”悲愴”というより主観的な、感情的な言葉を選んだのだろう。そしてそこには、かつて「賢い人間(チャイコフスキー自身のこと)は懐疑論者にならざるを得ません」と書いたチャイコフスキーの人生観が、究極の形で示されているといってよいのではないだろうか。

つまりプログラムはあるが、その音楽は特定の出来事や感情をそのまま描写したものではなく、人間が心の底に秘めているパセティックな情緒や心情をあくまで抽象的に表現していると考えるべきだろう。
(悲愴ライナーノーツより)

悲愴の穏やかさと突然の暗転の衝撃的な暗さが、まさに僕の心情そのものようで、音楽に身を委ねていることで、なんとか気力をぎりぎりたもっているような状態です。1986年バーンスタイン指揮「悲愴」は、僕はとても素晴らしい音楽の傑作と思います。皆様方にお勧め致します。

後、お昼食べているとき、NHK総合のPM1:00からのニュースで、ほんの少しですが、急激な円高により、輸入産業(石油・ガス・食品等輸入関係企業及び貿易を行う商社等)が利益をあげていることを報道していました。とても好景気だったトヨタが急激に莫大な損失を出すほどの円高ということは、逆に考えれば、輸入産業は全部とは言わずとも、莫大に儲かっている可能性があるわけで、そういったことも、今回のNHKのように、民放もきちんと報道して欲しいです。

みんなが苦しんでいるなか、円高で莫大に儲けが上がっている企業がありましたら(例えば儲かっているか僕には分からないですが、輸入する総合商社、三菱商社等)、そういったところが、貧しくて死にかかっている僕みたいな貧困層を助ける為の貧困救済基金とか作ってくれたらいいなと心から思いました。その時々で儲かっている企業が儲けの一部を剰余金として、貧困救済のためにつかって頂けたらと、心から願います。

ウォルフレンという日本国研究の学者が、日本は国家(政治家・官僚)も企業もマスメディアも公正なアカウンタビリティ(説明責任)を果たさず、情報が不公正に都合よく隠蔽されているので、日本国民の多くはメディアにコントロールされ酷い我慢を強いられていると書いておりました。ウォルフレンの本も全部売ってしまい、このことが書いてある本から引用できず申し訳ありません。「日本という国をあなたのものにするために」という本の中だったと思います。

日本の大手マスコミのほとんどは日本の全企業が不景気であるゆえに全国民が総動員体制で我慢せよと唱えていますが、経済には下がるところあれば上がるところもあり、輸入企業が円高のメリットをうけて儲かっていることなどもきちんと報道するべきだと思います。

もっと書きたいことあるんですが、身体が痛く、寒くて、手に力がはいらなくてキーがこれ以上打てません。最後に引用させて頂きます。

正義の作り出すものは平和、
正義の生み出すものは永久の静けさと安心。
(イザヤ書32-17)

「正義」は、弱い者へのいたわりや施しの意を含む。
「世界は三つのものによって支えられる。正義と真実と平和である」(ユダヤの教え、ミシュナ)
(聖書名言事典)

僕はご慈悲ある心優しい皆様方のいたわりと施しで生きています。僕は、社会が公正であり、皆様方に安らかな幸せの平穏あることを望みます。少しでも社会が公正な方向に変わっていって欲しいと願います。

参考作品(amazon)
チャイコフスキー:交響曲第6番
チャイコフスキー:交響曲第6番
日本という国をあなたのものにするために (海外シリーズ)
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

amazonトップページ

2008年12月25日 19:05

小型聖書 - 新共同訳
ゴスペル・クリスマス・カード

今日は聖なる日、クリスマスです。僕は先日からの心身の不調が酷く、頭痛と腹痛がずっと続き、胸が不安で一杯で苦しいですが、猫と一緒に祈っていました。猫と暮らしていて本当によかったです。猫のおかげでひとりぼっちでなくてすむことを猫と天に感謝致します。

聖なる日に、ポウプの「人間論」に出てくる三つの平安、皆様方に健康・平和・安穏あることを祈っています。僕は病気なので、ポウプの人間論の言うとおりだと思いました。人間は幸せなときにはそれに気付かず、不幸になって初めて幸せの価値を知る、三つの平安です。ポウプ「人間論」より。

悟るがよい。個人が利益だと思う一切のもの、
神や自然が人間に与えるすべてのもの、
理性の楽しみ、感覚の喜びのことごとくは、
三つの言葉――健康、平和、安穏の生活にあることを。
(ポウプ「人間論」)

この三つの平安は、ポウプのオリジナルではなく、古代の哲学者、新プラトン派のプロティノスが述べた三つの平安だそうです。

僕は精神の病気で心身にも症状が出ている精神も肉体もボロボロの状態なので、本当に、この三つの平安こそが真の幸せであると思います。

すべての皆様方に、この三つの平安があることを、心から祈っております。

また、ポウプは先の「人間論」の中でこう書いています。

自然の贈り物は賢明で、その贈り物の中で、人間最高の美徳(アガペー)を最大の幸福と結びつける。
人間が幸福になり得る最も明るい希望はまた、他人を助ける最も強い動機に結びついている。
自愛は隠して社会愛に、神の愛に推し進められ、隣人の幸福を自己の幸福とするようになる。
広大無辺の心情には、これでは物足りぬというのか。
さらに心を広くして、汝の敵を抱くがよい。
理性と、生命と、感覚の全世界を、善意の緻密な世界の中に包むがよい。
多少によらず親切であればそれだけ幸福で、幸福の絶頂は最大の慈悲に通ずるのだ。
人間の心はまず個を愛して、全体に高まらなければならない。
自愛は有徳の心を覚醒するに役立つのだ。
例えるなら小さな石が静かな池に落ちて、まず中心がうごき、一つの狭い輪がそれにつづき、いくつもの輪が次第に広がるのに似ている。
友人、両親、隣人をまず抱擁し、ついで祖国を、つづいて全人類を。
心の溢れ流れるところは、さらに広く、また広く、あらゆる種類の、あらゆる生物をとりいれる。
大地は限りない恵みに祝福されて、周囲に微笑み、神は人間の胸の中に己が姿を映す。
(ポウプ「人間論」)

ポウプの「人間論」は、大人向けで、難しいところもありますが、とてもよい著書であると思います。特に上記の文面が僕は昔からとても好きです。お勧めの本です。

先日お勧めの本として書きました、「魔法の糸」に通じるところがあります。先日書きましたように、魔法の糸から一つ、物語を引用させて頂きます。

魔法の糸
『憐れみの心をもつということは、贈り物をするのに似ている。一番大切なのは、そこに込められた心なのだ』
エタ・A・ブライズデル&メアリー・F・ブライズデル作

「かわいいお日さま」

あるところに、エルザという名前の女の子がいました。エルザのおばあさんは。たいそう年をとっていましたので、髪は真っ白、顔には沢山のしわがありました。
エルザの一家は、丘の上の大きな家に住んでいました。
お日さまは、毎日南の窓からさしこみ、すべてのものを明るくきらきらと輝かせました。

「どうして、お日さまはおばあさんのお部屋には入ってこないの?」ある日、エルザはお父さんにたずねました。「お日さまが入ってくれば、おばあさんは喜ぶのに」

「お日さまは、北の窓からは入ってこないんだよ」とお父さんは答えました。

「それなら、おうちをぐるっとまわして向きをかえましょうよ、お父さん」

「ぐるっとまわすには、大きすぎるよ」とお父さんは言いました。

「じゃあ、おばあさんのお部屋にお日さまは入ってこられないの?」

「そうだよ、エルザ、おまえが、おばあさんの部屋に運んでいってあげないかぎりはね」

それを聞いたエルザは、どうしたらおばあさんの部屋にお日さまをもっていけるか、一生懸命考えました。
野原で遊んでいたエルザは、草花が風に優しく揺れているのに気がつきました。小鳥たちは、木から木へ飛びかいながら優しい歌を歌っています。

すべてのものが、「お日さま大好き。明るくって暖かいお日さまが大好き」と言っているように見えました。

「おばあさんだってお日さまが大好きに違いないわ」とエルザは思いました。「おばあさんのところに持っていってあげなくちゃ!」

ある朝、庭にいたエルザは。自分の金色の髪にお日さまの暖かな光がふりそそいでいるのに気がつきました。腰をおろすと、エルザのひざの上にもお日さまがさんさんとふりそそいでいます。

「そうだ、お日さまをスカートでつかまえておばあさんの部屋に持っていってあげればいいんだわ」とエルザは考えました。そこでエルザは勢いよく立ち上がると家の中へ駆け込んでいきました。

「ほら、おばあさん!お日さまを少し持ってきたわ」大きな声で叫ぶと、エルザは自分のスカートを開きました。けれど、お日さまの光はスカートの中から姿を消していました。

「エルザや、お日さまはおまえの目の中で輝いていますよ」とおばあさんは微笑みました。
「それに、おまえの輝く金色の髪にもお日さまがきらきらと輝いているわ。おまえがそばにいてくれれば、わたしにお日さまはいらないんだよ」

エルザは、自分の目の中でお日さまが輝いている、というのがどういうことなのかわかりませんでした。でも、大好きなおばあさんが喜んでくれたのでエルザも嬉しくなりました。

それからというもの毎朝、エルザは庭で遊ぶと、その瞳と髪にお日さまの光をいっぱいにたたえて、おばあさんの部屋へと駆けていったのです。
(ウィリアム・J・ベネット「魔法の糸」)

僕は数ヶ月前からうつ病で精神を患って、失業しており、貯金も僅かで、生活保護ははねられ、そんな僕が命を繋ぐこと、陽を見ながら聖なる日を迎えられたことは、ギフト券を贈ってくださったお方、アフィリエイトで買い物してくださったお方、エルザのような心優しきお方々のおかげです。本当に、ありがとうございます。心から、命を持って、感謝致します。

身体が痛く、どのぐらい生き延びられるか分かりませんが、できましたら、自分の力の及ぶ限り、よき文章を書いて、心身を治して、働き口が見つけられたらと思っています。それが無理でも、なんとか、文章を書ける力が残っているうちに、文章を書いてゆきたいです。

そして皆様方、人々全てに平安があることを祈っています。地に平安あることを祈ります。人々に平安あることを祈ります。

今日は、一日猫と一緒に寝込みながら、「ゴスペル・クリスマス・カード」を聴いていました。最後に、このCDのライナーノーツから引用させていただきます。

「ゴスペル・クリスマス・カード」
3曲目「おとめマリアに息子がひとり」
「おとめマリアに息子がひとり、新しくお生まれになった王に栄光あれ!ねえ、マリア、あなたのかわいい小さな赤ちゃんをなんて呼ぶの?イマニュエル(インマヌエル=私たちと共に神はおられる)って呼ぼうと思うの。」とても身近でいい雰囲気の会話(歌詞)になっていますね。
でもどうしてこんなに悲しそうなんでしょう。他の歌(ゴスペル)でも感じられると思いますが、アフリカ系アメリカ人の伝統では、生まれたときも宿屋に泊まることを断られ、生涯を十字架刑で終わったイエスの一生に、この世の中で報われない自分たちの人生を重ね合わせて見るのです。
こうしたメロディは、ブルースと同様、モウニン(moanin=うめき)といって、昔からお母さんやおばあさんが、掃除や選択をしながらうなるときに自然に出てくるようなメロディーなんだそうです。
(「ゴスペル・クリスマス・カード」ライナーノーツより)

地に平安あれ、人々に平安あれ。聖なる日、皆様方の平安を祈ります。

参考作品(amazon)
小型聖書 - 新共同訳
ゴスペル・クリスマス・カード
魔法の糸―こころが豊かになる世界の寓話・説話・逸話100選
人間論 (岩波文庫 赤 224-1)
聖書名言事典

amazonトップページ

2008年12月24日 18:54

魔法の糸―こころが豊かになる世界の寓話・説話・逸話100選
パリは燃えているか ― NHKスペシャル「映像の世紀」オリジナル・サウンドトラック完全版
本日は、聖なるクリスマス・イヴ、皆様方に天の祝福があることを心から祈ります。

僕は先日よりの心身の不調が治らず、頭が痛いのと、胸が酷い不安で一杯で口の中が苦く苦しいですが、がんばって図書館に行って、昨日紹介した「魔法の糸」を借りてきました。久々に体動かしたら、咽喉が痛くなってしまって、心身がボロボロみたいです。

図書館から帰ってきてからは、ずっと、寝込みながら、音楽アルバム「NHKスペシャル映像の世紀『パリは燃えているか』サウンドトラック完全版」を聴きながら、猫を眺めていたり、猫が側に来たら撫でたりしていました。「魔法の糸」の引用をしてご紹介しようと思ったのですが、遅くなりまして申し訳ありません。

以下、「魔法の糸」より引用します。

困難な状況にある人々とともにいるのが勇気であるように、悩み苦しむ人々と共にいるのは同情である。同情とは、人々の現実、精神状態、感情、取り巻かれている状況を真剣に受けとめることだ。これは仲間として分かち合う前向きな姿勢であり、苦難苦痛にあるとき、お互いを支え合う同胞意識である。

同情の種子は、人間の本質(ヒューマン・ネイチャー)そのものに植えつけられている。

「慈悲は、わずかかもしれないが(生得的に)心にしみこんでいる。人格には人類への友情の閃きや、優しさのかけらが、狼や蛇の要素とともに練りこまれている」と、デビッド・ヒュームは言っている。(中略)

同情(隣人愛)とは(キリスト教の)倫理観の中心にあり、隣人の中に自分を見ることである。米国の哲学者ヨシア・ロイスは、百年以上も前に示唆に富む印象的な言葉を述べている。「それでは隣人とは何か?」風変わりだが、何とも説得力がある質問だ。彼はこの答えとして、隣人とは、「いろいろな状態、経験、思考、望みであって、あなたと同じように存在する――信じられるだろうか?この意味がわかるだろうか?これがわかれば隣人に対する態度が一変する」と述べている。

それでは、子どもたちが情け深い心を養うにはどうしたらよいのだろうか。物語や格言など、役に立つものは数多くあるし、幸いなことに、同情は他のどの徳にも劣らぬほど、ごく自然に育つ気質である。しかし、何と言っても重要なことは――実は、これが侮りがたいのだが――憎しみや偏見がこの気質の自然な成長を妨げないようにすることだろう。ここで一番の障害になるのが、分裂(敵対)を生む「主義」である。たとえば人種差別、性差別、狂信的愛国心などだ。この場合、非常に重要なのは、他の倫理観を育てるのと同様に、(年長者が)一貫してお手本を示していくことである。どんな相手でも、冷たく無視してはいけない。大人が真剣に接すれば、子どもにはそれが伝わる。そして、大人の態度を見て、それを真似しようとする。ここに、希望と危険の両方が潜んでいる。
(ウィリアム・J・ベネット「魔法の糸」)

魔法の糸の物語を、心身が何とか持っていたら、明日、聖なる日に、紹介をさせて頂こうと思います。今、身体が痛くて、これ以上、モニタに向かっていられない、座っていられない状態なので、物語の紹介が出来ず、申し訳ありません。

最後に、「パリは燃えているか」のCDのブックレットから、加藤登紀子さんの詩を引用させて頂きます。

加藤登紀子

「無垢の砂」

時間という大きな土のかたまりは
さらさらとふるいにかけられて
静かに地面に落ちていく
物言わぬ無名の人々は
静かな白い砂粒だ

そこはどんな国だったか
どんな言葉を話したか
どんな神様を拝んだか
それはどこにも残らない
平和を愛し生きた人々は
静かな白い砂粒だ
いつか海の底に集まり
永遠の眠りについている

皆様方の御心に天の祝福あることを心から祈ります。皆様方の御心に平穏あることを心から祈ります。

参考作品(amazon)
魔法の糸―こころが豊かになる世界の寓話・説話・逸話100選
パリは燃えているか ― NHKスペシャル「映像の世紀」オリジナル・サウンドトラック完全版
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

amazonトップページ

2008年12月23日 22:13

魔法の糸―こころが豊かになる世界の寓話・説話・逸話100選

頭が酷く痛かったのですが、どうしても外に行く気力、病院に行く気力がなく、ナロンエースと処方薬飲んで一日寝込んでいました。ナロンエースが効いたのか、聖なる日が近づいているおかげか、頭痛が本日夜半少しだけ和らぎました。良かったです。

もうすぐ、クリスマスです。クリスマスに読むにとても素敵な御本、お子さんやご友人にあげるクリスマスプレゼント、そして自分自身に贈るクリスマスプレゼントとしてもとても良いと思う、僕の大好きな本をご紹介致します。

ウィリアム・J. ベネット「魔法の糸 こころが豊かになる世界の寓話・説話・逸話100選」という御本です。この本は、お金なくて売ってしまったので、手元にないんですが、とても良い本、心打たれる本でした。以前、うつ病になる前、昔書いたエントリ「PULLTOP「ゆのはな」 −ARIAとゆのはな――未完成ゆえのユートピア−」におきましてご紹介したこともあります本です。

魔法の糸―こころが豊かになる世界の寓話・説話・逸話100選
魔法の糸―こころが豊かになる世界の寓話・説話・逸話100選

とてもお勧めの御本です。暖かくて優しい、そして少し寂しくて切ない物語の数々が、とても心打ちます。プレゼントにとても良い御本と思います。

これまで助けてくださったご慈悲ある心優しきお方々に、聖なる祝福があることを、心から祈ります。皆様方の生活に安らぎと喜びがあることを祈ります。

That’s my prayer for you.

だが、あなたは

完全に姿を消した
夕べの炉の火よりも少ない灰を
私たちに残して、

あるいは 不可視の世界に住む
不可視のもの、

あるいは 私たちの心の小部屋の種子

いずれにせよ、

忍耐と微笑の手本となり、
なお 私たちの背後にあって
テーブルや、紙面や、
葡萄を照らす太陽のごとく
あり続けてください。
(フィリップ・ジャコテ「冬の光に」)

あなたたちはこの世の光である。
(マルコ福音書)

参考作品(amazon)
魔法の糸―こころが豊かになる世界の寓話・説話・逸話100選
魔法の糸―こころが豊かになる世界の寓話・説話・逸話100選
冬の光に 附・雲の下の想い―フィリップ・ジャコテ詩集
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

amazonトップページ

小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

昨日から酷い頭痛で、昨日の夜PM9:00頃布団に入ったのですが、頭が痛くて眠れません。市販の頭痛薬ナロンエースも飲んでいますが、頭が強い痛みで効きません。右前頭部が中から酷く痛く、調べたんですが、よく分からないです。

僕はSSRIを飲んでいますが、処方量の少ない(日本で最大の処方量でも、日本は少ししか処方できない)ジェイゾロフト一日100mgのため、また数年〜といった長期には飲んでいないため、セロトニン症候群ではないと自己診断するのですが、なんだか頭痛の原因は分かりません。

SSRIsの長期服用は現在は安全とされています。しかし、長期間(数年〜数十年)にわたって大量のSSRIsを飲み続けると、セロトニン症候群という命にかかわる症状がでることもあるといわれています。
(アリシア・クラーク「なぜ自分を傷つけるの」)

ウィキペディア「セロトニン症候群」
セロトニン症候群(セロトニンしょうこうぐん)は脳内のセロトニン濃度が高すぎる事によって引き起こされる症状である。セロトニン症候群の症状は軽いものから、頭痛、めまい、嘔吐、昏睡、そして死亡である。

症状は3つの主要な神経系に影響を与える。

自律神経系: 体温の上昇、異常発汗、緊張、高血圧、心拍数の増加、吐き気、下痢
体神経系および筋肉: 筋肉の痙攣、緊張と緩和の繰り返し(例: あご。歯をがちがちさせる)、反射亢進、硬直、振戦
脳認識機能: 混乱、興奮、錯乱、頭痛、昏睡
セロトニン症候群は通常、セロトニン作動系の薬品との相互作用によって発生する。
例として、
モノアミン酸化酵素阻害剤とSSRI
デキストロメトルファンとSSRIの組み合わせ
SSRIの過量摂取
SSRI/SNRIとトリプタン系薬剤(片頭痛治療薬)の併用
などによって発生する。高齢者は特に注意を要する。

僕はちゃんと毎日処方量飲んでいて、薬の過剰摂取とかしていないので、オーバードーズではないです。頭の痛みの原因がなんだかわからなく、それがたまらなく辛くて心痛激しく胸とお腹が酷く痛みます。ナロンエースはトリプタン系薬剤ではないと思うのでそれは考えて頭痛発生後に飲みました。でも僕の今回の頭痛には効かなかったようです。

私の腸は焼け付き、心臓は、私の中で転倒しています。
(聖書哀歌)

病院の処方薬以外は、前から飲んでいたビタミンB群と、うつ病で記憶力が異常に低下し(偽痴呆と呼ばれる症状のようです。脳の血流が低下して記憶野の活動が減衰します)、一分前のことも思い出せず、外に行こうとしても、鍵が見つからなかったり、お財布が見つからなかったり、日常生活が困難なレベルの記憶力低下で、凄く苦しんでいまして、気休めにですがホスファチジルセリン(記憶力をある程度保持する効果があると言われている物質です)のサプリメントを飲んでいます。あまり改善した感じはせず、このサプリメント高いので買うの物凄くキツイんですが、何処に何を置いたか、一瞬で記憶が飛んでしまうので、記憶が断片化していて悪夢のような記憶なき現実世界でして、もう頼れるものは藁にでも縋りたい気持ちで飲んでいます。

ビタミンB群とホスファチジルセリンは処方されているSSRI・安定剤・抗不安薬・睡眠薬とは問題は起らない筈なので、頭痛の原因が分かりません。

頭が痛くて、眠れなくて、原因も分からないのも不安で、心痛が酷く、胸とお腹が痛んで、絶望的な気持ちです。心身が背筋から折れてしまったような感じです。酷く辛いです。

「私のため息は多く、私の心は病み衰えていきます。」
(哀歌1-22)

事実、ため息は人の体をへし折ることができる(ユダヤ教の教典タルムード)。
(聖書名言事典)

頭が痛いです。キーボード打つ手が震えていて、手の震えがとまらないです。今日、ずっと痛みがこのままだったら、急患で病院に行こうと思います。
僕は地に平穏あることを祈り、皆様方に安らぎがあることを祈っております。

彼らはその剣を鋤に、
槍を鎌に打ち変える。
国は国に向かって剣を上げず、
戦いについて二度と学ぶことはしない。
(イザヤ書2-4)

人間がいつになってもやめない行為の中でも、最も愚かで悲惨なのが戦争である。しかし必ず平和の時が来て、その戦争もなくなり、剣も槍も無用になる。「いつまでも剣が人を殺してよいものか」(サムエル記2-26)の叫びにも呼応する。
(聖書名言事典)

参考作品(amazon)
なぜ自分を傷つけるの?―リストカット症候群 (10代のセルフケア)
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

amazonトップページ

Archives
livedoor プロフィール

ねこねこ

記事検索
  • ライブドアブログ