2008年07月22日 19:45
松本清張「半生の記」貧困の苦しみと微かな救い
今日も腰が痛く、体調も悪い(頭痛が酷く・便秘と下痢)のですが、精神状態は昨日よりやや回復したので、松本清張「半生の記」をなんとか読みました。これは、松本清張さんが作家として成功する前の貧困困窮の底で足掻いていた頃を振り返った私小説で、貧困というものは今の僕も昔の松本清張さんも変わりないなと読んでいて思いました。松本清張さんは結婚して家族を作り、僕は独身であるところは違いますが、貧困困窮の苦しさというものが人間をいかに追い詰めていくかというところに、非常に共感しました。
ちょうど松本清張さんが「どん底」に共感を憶えたように、僕もこの本を読んでいて、その貧困困窮に共感を持ちました。生活が苦しいと心身も苦しくてますます苦しくなって行く…。そんな状態で元気で働くことはできず、食べ物を得るためだけに必死で仕事をする。戦前・戦中・戦後初期の当時の(今もあるのかも知れませんが、それはわかりません)朝日新聞社には階級制度があり、松本清張さんはその下請け印刷工(朝日新聞社的には一番下の人間)として朝日の高級社員達に蔑まれながら働いていました、今の派遣やバイトと同じような境遇です。
僕も、派遣とかアルバイトとかが多くて、しかも今は働けなくなってしまって、僕の場合も、生活が今現在苦しくて、少しでもお金を得たいゆえにブログの文章を更新しないとと、せかされているようなところがあります。ブログは更新しないと閲覧者がどんどん減ってゆくものですゆえ…。閲覧者が減るとアフィリエイト収入も下がって行きます。失業、仕事がない、もしくは病気で働けない、給料が家族を養ってゆけないほど低いなどの、貧困のさなかで、明るく楽しく振舞うのは、非常に困難なことで、この本も、最初から最後まで陰鬱で絶望的なトーンに覆われています。
これはもう本の最後の方からの引用で、最後まで貧困のまま、この私小説は幕を閉じます。松本清張さんの抱いている絶望に非常に共感しました。金は生活、いや、金は生命そのもので、お金がなければ、食べ物も買えない(ギフト券贈ってくださった方々、本当にありがとうございます、あれはお金ではありませんが、食べ物が買えます、ありがとうございます)、食べ物が手に入らなければ、人間は餓死するしかないのですから…。
貧困は本当に辛く、だんだん持ち物がなくなって(売って行くゆえ)、最後には自分が苦しみの中でなくなってゆくんですね…。全ては暗闇の帳に閉ざされる…。
結局、今も昔も同じで、以前書いたようにお金が生命を司る神、お金の入る道がとざされたものは、非常に運が良い人は生活保護というシステムで少しは救われるかもしれませんが、そうではない人は(僕を含めて、貧困困窮だけれども、家族親族に迷惑をかけたくない、ケースワーカーが受け付けてくれない、ほか様々な理由で生活保護を受けられない貧困者は大勢いると思います)飢えて消えて行く…。弱肉強食の世界であるということに関しては、人間の世界は、他の動物の世界と変わるところはないと僕は思います。まだ、動物の方が、人間の行う悪意の嘘や策略がない分、僕は人間より動物が好きです。
明るく笑えてユーモラスで、僕の大好きな小説である夏目漱石の「吾輩は猫である」にも、このこと(お金が全てを支配しており、お金によって生命が左右されること)をあくまでユーモラスにですが、書いておりますね…。
僕もうつ病になってから、「めっきり白髪が増えたね」って云われて、上記の文章を思い出して、少しだけクスッとしました。ユーモアは、力なき者にとっての微かな救いですね…。
参考作品(amazon)
半生の記 (新潮文庫)
吾輩は猫である (岩波文庫)
どん底 (岩波文庫)
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原久一郎訳のゴーリキイの「夜の宿」(どん底)を読み、その陰惨な生活が当時の自分にひどく親近感を持たせた憶えがある。
(松本清張「半生の記」)
ちょうど松本清張さんが「どん底」に共感を憶えたように、僕もこの本を読んでいて、その貧困困窮に共感を持ちました。生活が苦しいと心身も苦しくてますます苦しくなって行く…。そんな状態で元気で働くことはできず、食べ物を得るためだけに必死で仕事をする。戦前・戦中・戦後初期の当時の(今もあるのかも知れませんが、それはわかりません)朝日新聞社には階級制度があり、松本清張さんはその下請け印刷工(朝日新聞社的には一番下の人間)として朝日の高級社員達に蔑まれながら働いていました、今の派遣やバイトと同じような境遇です。
この時代(朝日新聞社時代)のことをざっと流してかけば、わたくしは十四年に属托(それまではバイト的雇用の雇人)、十七年目に初めて正式な社員として入社した。(中略)
当時の朝日新聞は、身分制で、それによって待遇が異なった。例えば、給料日は社員と準社員が二十五日で、雇人は参加の資格がない。これが雇人たちの劣等感をどれほど煽ったかしれなかった。
(松本清張「半生の記」)
僕も、派遣とかアルバイトとかが多くて、しかも今は働けなくなってしまって、僕の場合も、生活が今現在苦しくて、少しでもお金を得たいゆえにブログの文章を更新しないとと、せかされているようなところがあります。ブログは更新しないと閲覧者がどんどん減ってゆくものですゆえ…。閲覧者が減るとアフィリエイト収入も下がって行きます。失業、仕事がない、もしくは病気で働けない、給料が家族を養ってゆけないほど低いなどの、貧困のさなかで、明るく楽しく振舞うのは、非常に困難なことで、この本も、最初から最後まで陰鬱で絶望的なトーンに覆われています。
砂を噛むような気持ちとか、灰色の境遇だとか、使い馴らされた形容詞はあるが、このような(貧困困窮の中での生活の)自分を、そんな言葉では言い表せない。絶えずいらいらしながら、それでいて、この泥砂の中に好んで窒息したい絶望的な爽快さ、そんな身を苛むような気持ちが、絶えず私にあった。
家の近くに廃止になった炭坑があった。あまり高くはないがボタ山がある。私は一番上の女の子を連れて、夜、その山の頂上に立ち、星座の名前を教えた。山の端から昇ってくるサソリ座は赤い眼を輝かせ、図で見るよりは意外に大きな姿で昇ってくる。天頂には三角形に白鳥座と鷲座とがある。私は子供に「あれがデネブだ」「あっちがアルタイルだ」と指さして教えたが、そんなことでもするより仕方がなく、私の心には星は一つも見えなかった。
内職もないときの日曜日は、どこに行くあてもなかった。家に居てもいらいらし、外に出ても空虚さは満たされなかった。(中略)仕事をしていても、私の額からは冷たい汗が流れ、絶えずタオルが必要で、仲間に笑われた。神経衰弱になっていたのかもしれない。夜もあまり眠れなかった。(中略)
ただ苛立たしい怠惰の中に身を浸していた。心はとげとげしいのに、身体はけだるく、脳髄はだらけていた。本一冊読む気も起こらなかった。読書もむなしいとしか思えなかった。
(松本清張「半生の記」)
これはもう本の最後の方からの引用で、最後まで貧困のまま、この私小説は幕を閉じます。松本清張さんの抱いている絶望に非常に共感しました。金は生活、いや、金は生命そのもので、お金がなければ、食べ物も買えない(ギフト券贈ってくださった方々、本当にありがとうございます、あれはお金ではありませんが、食べ物が買えます、ありがとうございます)、食べ物が手に入らなければ、人間は餓死するしかないのですから…。
貧困は本当に辛く、だんだん持ち物がなくなって(売って行くゆえ)、最後には自分が苦しみの中でなくなってゆくんですね…。全ては暗闇の帳に閉ざされる…。
結局、今も昔も同じで、以前書いたようにお金が生命を司る神、お金の入る道がとざされたものは、非常に運が良い人は生活保護というシステムで少しは救われるかもしれませんが、そうではない人は(僕を含めて、貧困困窮だけれども、家族親族に迷惑をかけたくない、ケースワーカーが受け付けてくれない、ほか様々な理由で生活保護を受けられない貧困者は大勢いると思います)飢えて消えて行く…。弱肉強食の世界であるということに関しては、人間の世界は、他の動物の世界と変わるところはないと僕は思います。まだ、動物の方が、人間の行う悪意の嘘や策略がない分、僕は人間より動物が好きです。
明るく笑えてユーモラスで、僕の大好きな小説である夏目漱石の「吾輩は猫である」にも、このこと(お金が全てを支配しており、お金によって生命が左右されること)をあくまでユーモラスにですが、書いておりますね…。
おや今度もまた魂胆だ、なるほど実業家の勢力はえらいものだ、石炭の燃殻のような主人を逆上させるのも、苦悶の結果主人の頭が蠅滑りの難所となるのも、その頭がイスキラスと同様の運命に陥るのも皆実業家の勢力である。地球が地軸を廻転するのは何の作用かわからないが、世の中を動かすものはたしかに金である。この金の功力を心得て、この金の威光を自由に発揮するものは実業家諸君をおいてほかに一人もない。太陽が無事に東から出て、無事に西へ入るのも全く実業家の御蔭である。今まではわからずやの窮措大の家に養なわれて実業家の御利益を知らなかったのは、我ながら不覚である。それにしても冥頑不霊の主人も今度は少し悟らずばなるまい。これでも冥頑不霊で押し通す了見だと危ない。主人のもっとも貴重する命があぶない。
(夏目漱石「吾輩は猫である」)
僕もうつ病になってから、「めっきり白髪が増えたね」って云われて、上記の文章を思い出して、少しだけクスッとしました。ユーモアは、力なき者にとっての微かな救いですね…。
参考作品(amazon)
半生の記 (新潮文庫)
吾輩は猫である (岩波文庫)
どん底 (岩波文庫)
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