2017年02月15日 18:46

けものフレンズ6話は戦争の話ではない。遊びの話である。たーのしー!から人類史のルールが生まれた。

まず、表題の前に先題としてお知らせを。現在、ツイッターの検索表示、私のツイート・タグ・アカウント名全てが、ツイッターの検索から一切表示されなくなっており、また他の方のツイートに返信ツイートや引用ツイートを行っても、一切非表示(通知も行ってないと思われる)の状態で、アカウントをフォローしてくださっているフォロワーさんと、アカウントのホームに直接ログインする以外の方法では、ツイートを見ることができません。全く心当たりがなく、困り果てております。ツイッターのサポートフォームからは解除申請を出しておりますが現在特に何も返信や対応はありません。ツイッターは一度アカウントを作ったら二度と作り直せない仕様のため(http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921203.html)本当に涙が出るほどに困り果てています。何か、ご解決法お知りの方いっしゃいましたら、どうかお教え頂けると、本当に助かります…。

表題に入りますと、「けものフレンズ6話はフレンズをダシにした戦争の話」「人類は死者やケガ人続出の戦争で血みどろの領地争いをしていましたが、ある時野見宿禰と當麻蹴速がルールを定めた決闘で勝負を決めました。後にそれは遊戯化し相撲になりましたみたいな話」というツイートが凄い勢いで2000ツイート、恐らく万ツイート行きそうで、

「6話は、原始的な戦争を行っていた未開のフレンズ達をかばんちゃんが理性によって戦争をスポーツ化して調停した」

という解釈が、完全にインターネット世論全般におけるけものフレンズ6話の絶対的解釈にされており、これ以外の解釈はネット上に皆無な状況、あまりにも酷すぎる状況なので筆を取らせて頂きました。検索が凍結されているため、ツイッターからのアクセスはフォロワーの皆様方(いつもありがとうございます)以外はほぼ望めない状況ですが、それでも、蟷螂の斧をせめて一振りの気持ちで書かせて頂きます。けものフレンズは第一話から今回の第六話に至るまで、一度もフレンズをだしに人間中心主義的視点を持ち込んだことはありません。全く逆で、けものフレンズは、とても真摯かつ公正に俯瞰した視野で世界と無数の生命の相互連関した姿を描いている。

まず、第六話についてですが、ライオン共同体とヘラジカ共同体が行っていたのは、戦争ではありません。現代における戦争の概念は、敵と見なした相手の共同体成員の集団を集団で殺傷しあう行為であり、まさに、先のツイート元の方が述べている通り、『人類は死者やケガ人続出の戦争で血みどろの領地争いをしていました』という概念です。

かばんちゃんとサーバルちゃんが訪れる前のフレンズ達はそんなことをしていたでしょうか?

全くそんなことはしていません。前回のエントリでも書きましたが、フレンズ達は完全に遊びとしての楽しい争いを楽しんでいた。

けものフレンズ第6話「へいげん」フレンズ達はなんて良い子なんだ!そして人類種の可能性の希望を感じさせてくれる作品!
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1922381.html

フレンズ達は、楽しい遊びとしての争いの中で、相手を怪我させてしまうことに不安を感じていた。つまり、相手に怪我をさせないということを、明言化されていない暗黙の前提法としてフレンズ達は共有していた。各人の自由な意志においてお互いに相手への気遣いがあること、これは遊びの根源的特徴であり、そして争う相手を抹消すべき命とみなす戦争とは全く対極にあるものです。

動物のじゃれあい(血族同士等のお互いに手加減した遊びの争い)から発する、人類の自然状態の自由のじゃれあいから自発的な自己制約が生まれ、明文化された規則が生まれ、社会秩序が生まれ、愛と公正が生まれたというのは、「自然状態は万人の万人に対する闘争」とは、全く逆で、人類に希望を見ているんですね。

「人類は死者やケガ人続出の戦争で血みどろの領地争いをしていましたが、ある時野見宿禰と當麻蹴速がルールを定めた決闘で勝負を決めました。後にそれは遊戯化し相撲になりましたみたいな話」

上記は、ルールを暴力性から生まれた暴力性の制御として考えているわけです。しかし、なぜ無法化した「自然状態は万人の万人に対する闘争」状態からルールが生まれると考えるのでしょうか。暴力から生まれるのは混沌だけです。上記は歴史を逆さまに見ているのですね。我々人類種の原初的な共同体は、動物と同じく、血族を中心とした群れであり、その群れにおける関係性(仲間、すなわちフレンズとの関係性)からルールというものは生まれたのです。人間は突然に一個体で現れて、他の固体と「万人の万人に対する闘争」ところからルールを生み出したのではありません。全く逆です。

最初に血族と群れがあり、そこには遊びとしての「自己を制限する暗黙のルールある楽しいじゃれ合い」もあった。そういった楽しく他者と遊ぶための暗黙の群れのルールが明文化されてゆき、「法規則、祭祀、兵法、美学、倫理」などの『文化』として明文的な構造化をされていったのです。そのルールから、他の共同体との調和可能性も生じたのです。自己を制限する掟の始まりは暴力ではなく、遊びなのです。それはたーのしー!から生まれているのです。

けものフレンズ第6話のかばんちゃんとサーバルちゃんが訪れる前のライオン共同体とヘラジカ共同体の争いは、遊びの争い、最も根源的な、親しみを持つ他者との暗黙のルールの上での遊びであったと、心から思います。そして、かばんちゃんはそれを明文化した。すなわち、『文化』を作り出したのです。

遊びと争い(手加減の暗黙のルールのある争い)は原初において一体のもので、他者に対する想像力(第三者視点)と他者がいるゆえに可能になる自己の力の最大限の発揮(陶酔)であり、掟とは人類が遊び他者を愛するゆえに生まれたというのは、掟は人類の暴力を縛る束縛的考えより、ずっと希望が感じられますし、道理が通っていると思います。

原初の遊びから、全て始まったんです。それは現代人が考えるルールなき戦争ではないんです。現代の戦争は遊びの精神が失われているというのが、ロジェ・カイヨワの思想で、現代の戦争の観点(相手への敬愛なき殲滅全体戦の観念)で、古代の親しみを込めた楽しい遊びと争いが未分化の「戦い」を語ってはいけないと述べているんですね。本当にその通りだと思う、けものフレンズ第6話は、未分化な遊びが文化になっていく話だと思います。

「けものフレンズ第6話は戦争と戦争がスポーツ化していくのを描いたアニメ」説は、自然状態は万人が万人に対して闘争するを前提に、ゆえに無制限な自然の原初的暴力の嵐から掟が生まれ、掟で暴力性を縛らなくてはならないと考えている訳です。でも、本当は最初の他者(血族等周囲にいる人)との親愛なる闘争こそが、掟を生み出している。歴史が逆なんです。

けものフレンズ6話は、周囲にいるフレンズ達の楽しみとしての戦い=遊びが掟を生み出している。それはかばんちゃん達が来る前からそうなんです。『怪我をさせたらどうしよう』戦う相手に対する敬意と愛情がそこにはある。現代の「戦争」というのは、全く逆で、その原初の掟を破って、ひたすら相手の命を消去するものである。かばんちゃん達が来る前の戦いを、現代の戦争の観点で考えるのは、ホイジンガやカイヨワが一番戒めていたことなんですね。

けものフレンズの世界は蓄積のない狩猟採取的社会なので、集団戦闘も遊び(楽しみとしてのコミュニケーション)として行われている。そしてそういった遊び(自由の中で自発的にルールに従う制約を行っていく)によって、明文的文化(遊び=戦いをルール化したかばんちゃん)が生まれて来るんですね。6話のフレンズ達の遊び=戦い世界こそが、人間が互いに調和する可能性である『文化』を孕む母体なんですね。

フレンズ達の共同体は「楽しいから遊んでいる」原初的共同体。それは、血族や周囲に住む人々からなる、親愛的共同体であって、兄弟姉妹とか友達とか先輩後輩とかサークル仲間とかと一緒にゲームしたり、スポーツしたり、議論したり、みたいな争いとして争いがある。それは遊びなんですね。争っているけど、相手を殺そうとなんて全く思ってない訳ですよ。相手と一緒に楽しむということが目的なんですね。

そしてそういった楽しみの為の遊びから、自己を制約して楽しむことを行い、そこから共同の明文化されたルールが生まれて来る。それは法規則、倫理、兵法、美学などの『文化』と根源一体のものなんですね。根源的遊びから『文化』が生まれる姿をけものフレンズ6話は描いていると思います。

「死者やケガ人続出の戦争で血みどろの領地争い」と「仲良しの子供同士が紙を丸めた棒で互いにちゃんばらして遊んでいる」のを、混ぜてはいけないんですよ。明らかに全く別物な訳です。

戦争=スポーツとかいう主張も盛んにされていますが、スポーツは根源は遊びであって、現代的な戦争(敬意なき殲滅戦)を根源にするのではないんです。互いに遊びとして争う、すなわち競争する中において公正な競争要素と肉体の能力とが結びついたものがスポーツであって、戦争が根源じゃないんです。

共同体の争いやルールについて根源的に追って行くと、最終的には争いが非殺傷的な、楽しむための争い=遊びに繋がるというのが、人類に希望を感じさせるところで、共同体と共同体の遊びと楽しみによる調和可能性を再び表すということを、ロジェ・カイヨワは考えていたんだなあと「遊びと人間」を読んでいると思いますね。

楽しむための争い=遊びを既にかばんちゃん達が来る前にライオン共同体とヘラジカ共同体はやっていた訳で、それは根源的な遊びである。かばんちゃんはさらにその遊びを文化(明文的規則化)した訳ですね。文化は現代的な戦争を止める手段、人間と人間と、そして共同体と共同体を、『楽しさ(たのーしー!)』によって調和させうる可能性を孕むものであって、遊びから文化が生まれる姿は、たのーしー!(遊びの気持ち)の広がりが人類の調和可能性を示すという、人類の希望だと思います。

けものフレンズ関連エントリまとめ。随時更新(最新更新17/2/13)
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921487.html
ホモ・ルーデンス (中公文庫)ホモ・ルーデンス (中公文庫)
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