2017年01月29日 01:03
けものフレンズの優しいユートピアとポストID論。ワーズワース、幼年期に捧ぐ永遠の頌歌的世界。
今回はけものフレンズの世界のユートピア性と、それが蓋然的なものなのか(サンドスターによってグランドデザインされたものなのかどうか)ということを考えてみたいと思います。サンドスターの環境制御の影響下にあるジャパリパークは、サンドスターが行う自然環境の制御により、生活基盤が自然から豊富に恵まれている生存競争の淘汰圧の無い世界、そしてフレンズ達は一種族一個体で極端に人口が少なく(=人口が少ない為、資源や土地の奪い合いといったことは起こらない。また食料がジャパリまんじゅうとして謎の補給がされている)、そして何よりも、利他的で無私無欲で自己充足的(動物的)なフレンズのメンタリティによる優しい世界。
上記で涼元悠一さんが書いておられるように、ジャパリパークとフレンズ達は、我々人類から見ると、心から憧れるとしか言い様がない輝きに満ち溢れた世界、それこそワーズワースの「オード 幼年期に捧ぐ永遠の頌歌」みたいな世界なんですね…。
まさにけものフレンズです…。けものフレンズがフレンズ達(当然ながらフレンズ=人類ではない)にとってワーズワース的な善と美に溢れたユートピアとして描かれていることは明らかです。「セルリアン」のみ、反ユートピア的な存在として描かれていますが、これについては最後に書きますね。
このユートピアを成立させている外部環境(ジャパリパークの自然環境)がサンドスターにより制御されている(おそらくは各種フレンズの生態に合わせて制御されている)ことは、第三話で明らかにされましたが、気になるのは、フレンズ達自身(フレンズ達の身体)もサンドスターにデザインされているのかということですね…。フレンズ達の素晴らしい身体能力と輝かしい、黄金の精神(byジョジョの奇妙な冒険)とでも言うべき善美に溢れたメンタリティを見ると、やはりデザインはされているような気はする…。人類種との知的能力の比較については何ともいえませんが、少なくとも人類基準の標準的な善美の感覚からして、フレンズ達の方が人類種より遥かに優れた倫理性を持ち得ている。
勿論、モノリスの前で獲物を原始的武器を使って屠り、血に猛っている古代の人類種の群れ(2001年宇宙の旅)と、完全に平和で利他的な共存共栄の自然環境がサンドスターによって用意されていたと思われるフレンズ達とでは、環境の差があまりにありすぎてなんとも言えないんですが…。人類種もフレンズ達のような環境から始まっていれば、平和で倫理的な種と成り得たかもしれないという可能性はありますね…。そうすると、「もし素晴らしいデザインがされた知的生命と自然環境があれば、素晴らしい世界が生まれる。人類の世界がそのような世界とはかけ離れた地獄なのは、そういったデザインが行われなかったからである」という、現行のID論に対する批判性を含むポストID論的な捉え方も出来る訳で、「けものフレンズ」は実にSFとして面白い作品だなと感じますね。
ちなみにもしサンドスターにフレンズ達自身も目的論的なデザインをされているとしたら、それがフレンズ達を利用しようとする目的によるデザインならとんでもない話になってしまう訳です…。ちなみにこっちの方向性のディストピア・ポスト・ヒューマンSFは沢山あります。先のエントリ(http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921077.html)で挙げた「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」とかマデリン・アシュビーの「vN」とか日本のアニメだと人類が上位種にデザインされた道具である「不思議の海のナディア」やナディアと世界を共通しているTVアニメバージョンの方の「新世紀エヴァンゲリオン」最近の作だとSF漫画の「極黒のブリュンヒルデ」もそういう話ですね。「進撃の巨人」も最近の展開はそういう話っぽい感じがしますね。
ただ、もしそうではなくて、本当にフレンズ達の善美と自律と自由のために、サンドスターはフレンズ達を人工進化させて、知性と身体能力を与え、そして後はフレンズ達の自由と自律に任せたのだとしたら、これは「成功したID論」なんですね…。真善美たる神のような存在が真善美たる意図を持って、知的生命を創造(デザイン)したということになる。ちなみに、神のような存在の意図が全く分からないケースもあるんですが(スタニスワフ・レムとかそういう作品が結構ある)、自然環境をフレンズ達の保護的に制御しているサンドスターのあり方からみて、そういう訳の分からない介入ではなさそうな気がします。
SF好きだと、「成功したID論」というのは思わずどう考えていいのか思考が停止してしまうところがありますね。SFって基本的に「ID論=悪」みたいな感じなんですよ。デザインする側が道具として新たな知的存在を生み出し搾取するのではという恐れ、そして先に挙げたマデリン・アシュビーの「vN」なんか代表的ですが、やはり、ID論に対しては、反進化論と創造論を押し付けてくるキリスト教に対するSF界の強い反発があるので、SF自体にもそういう現実世界の政治的意識が反映されてしまうところがあるんですね…。
けものフレンズの場合、人類はおそらく種的に大失敗した末路を迎えているが、人類とはぜんぜん関係のないところで、サンドスターという神のような何かによって動物種から進化したフレンズ達は、人類が築き得なかったユートピアをフレンズ達同士で築いて楽しく暮らしているという、これまで他のエントリでも何度も書いてきた通り、色んなSF(ポスト・アポカリプスSF、ポスト・ヒューマンSF、ID論SFなど)の常道を完全に逸脱した展開、本当に、SFを読んでいる人ほど、
「けものフレンズ…?あれっ?あれれっ???なんなんだこれ…これはいったいなんなんんだあ!!」
と戸惑わずにはおれないような、物凄く新鮮な展開のSFなんですね。先に挙げた「vN」もぶっ飛んだ展開でしたが、けものフレンズのぶっ飛び具合は、もうSFというジャンルを完全に超越している。そこがまた最高に面白いですね。ちなみに大森望さんの訳者後書きによるとマデリン・アシュビーはSF作家にしてアニメ評論家で、公式サイトでカウボーイビバップや鋼の錬金術士などの多数のアニメの論評を発表しているとのこと。ぜひ、アシュビーさんには「けものフレンズ」も見て欲しいですね。
後、これまで、ジャパリパークとけものフレンズのユートピア性について語ってきましたが、ジャパリパークには「セルリアン」というフレンズを捕食する謎の怪物がいます。これが本当に何がなんだかよく分からない…。セルリアンはサンドスター由来であると思いますし、SF的に解釈するなら「セルリアン=フレンズの生存競争による淘汰圧を高める為の天敵」みたいな考え方は勿論あると思うんですが、私は、どうしてもこの説は取りたくないですね。論理的にではなく、感性的に取りたくないんですね。この説を取った瞬間、ジャパリパークとけものフレンズの持っている優しく暖かいユートピア性が崩れ落ちてしまう…。
やはり、3話まで見て、けものフレンズには、このまま優しい世界、先に挙げたワーズワースの詩のような世界であって欲しいと心から感じますから…。今のところセルリアンはサンドスターの誤動作か何かじゃないかなと思っていますね…。
vN (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
著者:マデリン・アシュビー
早川書房(2014-12-19)
販売元:Amazon.co.jp
けものフレンズBD付オフィシャルガイドブック (1)
KADOKAWA(2017-03-25)
販売元:Amazon.co.jp
ようこそジャパリパークへ(初回限定盤)
アーティスト:どうぶつビスケッツ×PPP
ビクターエンタテインメント(2017-02-08)
販売元:Amazon.co.jp
【Amazon.co.jp限定】自己スキーマ(初回限定盤)(CD+グッズ)(貼るだけでゆるくな〜るステッカー付)
アーティスト:みゆはん
ビクターエンタテインメント(2017-02-22)
販売元:Amazon.co.jp
ワーズワース詩集 (岩波文庫 赤 218-1)
著者:ウイリアム・ワーズワス
岩波書店(1966-01)
販売元:Amazon.co.jp
アマゾンギフト券ストア
アマゾンOTAKUストア
TVゲーム総合ストア
アニメーション総合ストア
漫画コミック総合ストア
ホビー・フィギュア・トレカ総合ストア
食品&飲料総合ストア
ペット用品総合ストア
電化製品・家電製品総合ストア
パソコン及び周辺機器・消耗品総合ストア
PC18禁ゲーム総合ストア
amazon液晶テレビ総合ストア
クラシック音楽総合ストア
アマゾンギフト券ストア
amazonトップページ
涼元悠一SuzumotoYuuichi
https://twitter.com/SuzumotoYuuichi/status/825337827810439169
けものフレンズ、サーバルちゃんの何がいいって、生きてるだけで全肯定してくれるところ。その他フレンズの皆さんもはっぱ隊並みに強靱なメンタリティーだし、ああ俺もげんじつちほーから逃げ出してジャファリパークに帰りたいというホモサピエンスなフレンズが多数発生してもそれは当然であろう文字数
上記で涼元悠一さんが書いておられるように、ジャパリパークとフレンズ達は、我々人類から見ると、心から憧れるとしか言い様がない輝きに満ち溢れた世界、それこそワーズワースの「オード 幼年期に捧ぐ永遠の頌歌」みたいな世界なんですね…。
英語の詩を日本語で
Wordsworth, "Ode" ("Intimations of Immortality") 1807 ver. (日本語訳)
http://blog.goo.ne.jp/gtgsh/e/eb279c4b2cf701ed4bb95109a5752fba
ウィリアム・ワーズワース (1770-1850)
「オード」
(「幼少の思い出が永遠について教えてくれる」)
(中略)
君たち、幸せな生きもののみんな、聞こえたよ、
君たちが呼びあう声が。見えたよ、
空が笑うのが。楽しげに声をあげる君たちといっしょに。
心のなかでぼくは君たちのお祭りに参加していて、
頭にはその草冠をのせていて、
君たちがどれほど幸せに満ちているか、感じる、みんな感じるよ」。
(36-57)
まさにけものフレンズです…。けものフレンズがフレンズ達(当然ながらフレンズ=人類ではない)にとってワーズワース的な善と美に溢れたユートピアとして描かれていることは明らかです。「セルリアン」のみ、反ユートピア的な存在として描かれていますが、これについては最後に書きますね。
このユートピアを成立させている外部環境(ジャパリパークの自然環境)がサンドスターにより制御されている(おそらくは各種フレンズの生態に合わせて制御されている)ことは、第三話で明らかにされましたが、気になるのは、フレンズ達自身(フレンズ達の身体)もサンドスターにデザインされているのかということですね…。フレンズ達の素晴らしい身体能力と輝かしい、黄金の精神(byジョジョの奇妙な冒険)とでも言うべき善美に溢れたメンタリティを見ると、やはりデザインはされているような気はする…。人類種との知的能力の比較については何ともいえませんが、少なくとも人類基準の標準的な善美の感覚からして、フレンズ達の方が人類種より遥かに優れた倫理性を持ち得ている。
勿論、モノリスの前で獲物を原始的武器を使って屠り、血に猛っている古代の人類種の群れ(2001年宇宙の旅)と、完全に平和で利他的な共存共栄の自然環境がサンドスターによって用意されていたと思われるフレンズ達とでは、環境の差があまりにありすぎてなんとも言えないんですが…。人類種もフレンズ達のような環境から始まっていれば、平和で倫理的な種と成り得たかもしれないという可能性はありますね…。そうすると、「もし素晴らしいデザインがされた知的生命と自然環境があれば、素晴らしい世界が生まれる。人類の世界がそのような世界とはかけ離れた地獄なのは、そういったデザインが行われなかったからである」という、現行のID論に対する批判性を含むポストID論的な捉え方も出来る訳で、「けものフレンズ」は実にSFとして面白い作品だなと感じますね。
ちなみにもしサンドスターにフレンズ達自身も目的論的なデザインをされているとしたら、それがフレンズ達を利用しようとする目的によるデザインならとんでもない話になってしまう訳です…。ちなみにこっちの方向性のディストピア・ポスト・ヒューマンSFは沢山あります。先のエントリ(http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921077.html)で挙げた「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」とかマデリン・アシュビーの「vN」とか日本のアニメだと人類が上位種にデザインされた道具である「不思議の海のナディア」やナディアと世界を共通しているTVアニメバージョンの方の「新世紀エヴァンゲリオン」最近の作だとSF漫画の「極黒のブリュンヒルデ」もそういう話ですね。「進撃の巨人」も最近の展開はそういう話っぽい感じがしますね。
ただ、もしそうではなくて、本当にフレンズ達の善美と自律と自由のために、サンドスターはフレンズ達を人工進化させて、知性と身体能力を与え、そして後はフレンズ達の自由と自律に任せたのだとしたら、これは「成功したID論」なんですね…。真善美たる神のような存在が真善美たる意図を持って、知的生命を創造(デザイン)したということになる。ちなみに、神のような存在の意図が全く分からないケースもあるんですが(スタニスワフ・レムとかそういう作品が結構ある)、自然環境をフレンズ達の保護的に制御しているサンドスターのあり方からみて、そういう訳の分からない介入ではなさそうな気がします。
SF好きだと、「成功したID論」というのは思わずどう考えていいのか思考が停止してしまうところがありますね。SFって基本的に「ID論=悪」みたいな感じなんですよ。デザインする側が道具として新たな知的存在を生み出し搾取するのではという恐れ、そして先に挙げたマデリン・アシュビーの「vN」なんか代表的ですが、やはり、ID論に対しては、反進化論と創造論を押し付けてくるキリスト教に対するSF界の強い反発があるので、SF自体にもそういう現実世界の政治的意識が反映されてしまうところがあるんですね…。
著者のマデリン・アシュビーは根っからのSFファンらしく、古今東西のロボットSFのネタがいろいろ入ってますが、ユニークなのは、vNを開発したのが、ニュー・エデン伝道会というキリスト教系の巨大宗教団体だったという設定。インテリジェント・デザイン説(=ID説。知性を持つ高次元の存在によってこの宇宙が意図的に設計・創造されたとする仮説)を信奉し、携挙(キリスト再臨にともない、死者を含めたすべての信徒たちが地上からとりさられ、空中で主と出会い、救済される)の日が近いと信じる彼らは、自分たちが天に昇ったあと、地上に残されるかわいそうな人々がちゃんと生きていけるように、世話をしてくれる伴侶として、高度なアンドロイド(自意識を持つアンドロイド)を開発。さらに、残された人々がロボットの奴隷になったりしないよう、製品に安全機構(フェイルセイフ)を搭載した。要はアシモフのロボット工学三原則みたいなもんですね。
ただし、フェイルセイフの場合、人間の命を守るとか人間の命令に従うとかのレベルから一歩も二歩も進んで、ロボットの情動レベルまでコントロールする。そのためvNは、人間が傷つくところや苦しむ姿を見るだけで行動不能に陥るし、どんな酷い相手でも人間なら好きにならずにいられない。その結果、人間並みの知性を持ちながら、vNは社会的にも性的にも搾取されている。
(大森望。「vN」訳者後書き)
けものフレンズの場合、人類はおそらく種的に大失敗した末路を迎えているが、人類とはぜんぜん関係のないところで、サンドスターという神のような何かによって動物種から進化したフレンズ達は、人類が築き得なかったユートピアをフレンズ達同士で築いて楽しく暮らしているという、これまで他のエントリでも何度も書いてきた通り、色んなSF(ポスト・アポカリプスSF、ポスト・ヒューマンSF、ID論SFなど)の常道を完全に逸脱した展開、本当に、SFを読んでいる人ほど、
「けものフレンズ…?あれっ?あれれっ???なんなんだこれ…これはいったいなんなんんだあ!!」
と戸惑わずにはおれないような、物凄く新鮮な展開のSFなんですね。先に挙げた「vN」もぶっ飛んだ展開でしたが、けものフレンズのぶっ飛び具合は、もうSFというジャンルを完全に超越している。そこがまた最高に面白いですね。ちなみに大森望さんの訳者後書きによるとマデリン・アシュビーはSF作家にしてアニメ評論家で、公式サイトでカウボーイビバップや鋼の錬金術士などの多数のアニメの論評を発表しているとのこと。ぜひ、アシュビーさんには「けものフレンズ」も見て欲しいですね。
後、これまで、ジャパリパークとけものフレンズのユートピア性について語ってきましたが、ジャパリパークには「セルリアン」というフレンズを捕食する謎の怪物がいます。これが本当に何がなんだかよく分からない…。セルリアンはサンドスター由来であると思いますし、SF的に解釈するなら「セルリアン=フレンズの生存競争による淘汰圧を高める為の天敵」みたいな考え方は勿論あると思うんですが、私は、どうしてもこの説は取りたくないですね。論理的にではなく、感性的に取りたくないんですね。この説を取った瞬間、ジャパリパークとけものフレンズの持っている優しく暖かいユートピア性が崩れ落ちてしまう…。
やはり、3話まで見て、けものフレンズには、このまま優しい世界、先に挙げたワーズワースの詩のような世界であって欲しいと心から感じますから…。今のところセルリアンはサンドスターの誤動作か何かじゃないかなと思っていますね…。
vN (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
著者:マデリン・アシュビー
早川書房(2014-12-19)
販売元:Amazon.co.jp
けものフレンズBD付オフィシャルガイドブック (1)
KADOKAWA(2017-03-25)
販売元:Amazon.co.jp
ようこそジャパリパークへ(初回限定盤)
アーティスト:どうぶつビスケッツ×PPP
ビクターエンタテインメント(2017-02-08)
販売元:Amazon.co.jp
【Amazon.co.jp限定】自己スキーマ(初回限定盤)(CD+グッズ)(貼るだけでゆるくな〜るステッカー付)
アーティスト:みゆはん
ビクターエンタテインメント(2017-02-22)
販売元:Amazon.co.jp
ワーズワース詩集 (岩波文庫 赤 218-1)
著者:ウイリアム・ワーズワス
岩波書店(1966-01)
販売元:Amazon.co.jp
アマゾンギフト券ストア
アマゾンOTAKUストア
TVゲーム総合ストア
アニメーション総合ストア
漫画コミック総合ストア
ホビー・フィギュア・トレカ総合ストア
食品&飲料総合ストア
ペット用品総合ストア
電化製品・家電製品総合ストア
パソコン及び周辺機器・消耗品総合ストア
PC18禁ゲーム総合ストア
amazon液晶テレビ総合ストア
クラシック音楽総合ストア
アマゾンギフト券ストア
amazonトップページ