2017年01月28日 00:38

けものフレンズの切ない寂寥感について。ポスト・ヒューマンSFにおける物語主体の方向性、けものフレンズの「人類種の侘び寂び」。

けものフレンズ、まどかマギカなどを彷彿とさせるような大ブレイクの兆しが現れていて本作を愛するものとして本当に嬉しいですね…。今回は、賑やかで楽しく優しい世界を描いているけものフレンズが、なぜ見ていると切ない寂寥感を覚えさせるのかについて、考えてみたいと思います。けものフレンズの寂寥感については、第1話放映直後からかなり指摘されておりまして、2話、3話になっても、それらの哀しげで寂しい感覚は根強く残っており、それがけものフレンズの深みとして大きな魅力になっていますね。

えーてる‏ ether2001 1月11日
https://twitter.com/ether2001/status/819280166014726144
けものフレンズが妙にやさしくて寂しい世界に感じるのはなぜだろう。ここもまた人類滅亡後の世界なのだろうか。

表面上は賑やかで楽しく明るい世界、優しい世界であるけものフレンズの世界に、なぜ寂寥感を感じるのか。私はそれは、物語の最も基底的な構造によるものだと思っています。これは、あらゆる物語の構造において非常に珍しいケースなのですが、けものフレンズの世界においては、人類中心主義的(人間中心主義)な視点を大きく脱しているのですね。この視点は、我々が人類種である以上、我々の常識的感性、常識的価値観、常識的理性などの基盤になっており、あらゆる物語の大半も、この視点に従っています。SF小説などでも、たとえそれが人類の後に来る人類の次の種を描くポスト・ヒューマンSFであったとしても、どうしても、人類中心主義的な見方からの物語の組み立てを避けえられないことが多いのです。

ウィキペディア「人間中心主義」
人間中心主義とは自然環境(人間以外の動植物)は人間によって利用されるために存在するという信念のことである。(中略)ユダヤ教、キリスト教の創造観は、旧約聖書の創世記に述べられている。その中で神は人間に対して、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と命じている。この「従わせよ」や「支配せよ」は緩やか過ぎる訳語であり、ヘブライ語の原語「kabash」は「鞭打って血を流してでも従わせる」といえるような強い言葉である。

ポスト・ヒューマンSFの作品においても、人類種の後に来る種に、人類が大きく関わっていることが多いのですね。そういった作品においてはあくまで物語の主体は人類と人類の「後継としての」種にある。

例えば、人類の後に来る種は、人類種から生命進化的に生み出される種だったり(超能力ミュータントSF全般、小松左京「継ぐのは誰か」貴志祐介「新世界より」等)、人類種が生命を遺伝子改造した結果生まれた種だったり人類種が自分自身を変化させたり人類種が生み出した機械知性だったり(森岡浩之「星界の紋章」ベア「ブラッド・ミュージック」イーガン「ディアスポラ」山本弘「アイの物語」等)、ポスト・ヒューマンSFの9割がたは、「人類が人類の次の種の進化に対する重要なトリガーとして関わっている」タイプの物語であると言えると思います。

キリスト教思想の人類中心主義の考え方が極めて大きいブリンの「知性化戦争」シリーズ辺りになると、枠組はポスト・ヒューマンSFでありながら、その内実はもう完全に反ポスト・ヒューマンSF、「人類万歳!地球生命種の指導者たる人類よ宇宙に永遠なれ!」って感じの話になっちゃってますね…。

また、前述のようなタイプのSFの構造に対し、ポスト・ヒューマンの存在にまで人類が大きく関わっていく前提、それは人類の傲慢ではないかという批判性を持つタイプの作品も存在します。確かにブリンの「知性化戦争」シリーズとか読んでいると、人類種を英雄として描いているブリンの意図とは逆に、人類種の凄まじい傲慢さを感じずにはおれない…。田中啓文さんはブリンの「知性化戦争」シリーズに対する猛烈な意趣返しを含んだブラックユーモア・ポスト・ヒューマンSF「イルカは笑う」って作品を書いてますね。

こういった批判性を持つポスト・ヒューマンSFとしては小松左京さんの素晴らしい傑作(私はSF史に残る最高傑作と思っています)「果しなき流れの果に」がそうですし(小松左京さんは、生命進化の無倫理性に対する批判精神が強い)、最近のSFですと、仁木稔さんの「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」が、人類の人工進化の為の道具として作られた動物と人間のハイブリット的な人工生命種(けものフレンズのような存在)が、人類種から非常に虐げられている(人類種の破壊衝動等をコントロールするための生贄の種として作られている)という作品でして、強烈に鮮烈なエッジを持つ傑作でしたね。伊藤計劃さんの「ハーモニー」もこの種の批判性を持った作品として捉えることが出来ると思います。個人的には批判性を持つSFの方がより内容が捻ってあってポスト・ヒューマンSFとして面白いことが多いと感じますね。勿論、批判性のないタイプの作品でも面白いものは沢山ありますが….例として挙げた作品はみな面白いです。

ですが、こういった、人類が大きくポスト・ヒューマン(人類の次の種)に関わったり、それは傲慢であると批判性を持ったり、という構造性(人類中心主義を基盤とする構造性)から大きく乖離した作品、物語主体が人類ではなく、完全に世界の側を向いている作品も、SFには少数ながらあるんですね。人類を他の種とあくまで同列に見る視点、生命や宇宙を非常に俯瞰的な視点で冷徹に眺めているタイプのSF、脱・人類中心主義のSFです。それは、けものフレンズ第1話の感想にて書きましたように(http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1919840.html)、オールディスの「地球の長い午後」、前回のエントリで挙げたクラーク「幼年期の終わり」、筒井康隆さんの「幻想の未来」、また、ホラー作品として捉えられていますが、ラヴクラフトの作品群やラヴクラフト的な色彩の強いクトゥルフ神話作品群、小林泰三さんの「C市」などもこういったタイプの作品であると思います。

そして、けものフレンズもまた、上述の脱・人類中心主義のSFに連なるSFとして感じられます。フレンズの進化は人類と関わりなきもの(サンドスター)から起きている訳です。人類は次の種(フレンズ)の進化のトリガーに何も関わっていない。これは極めて珍しいタイプのSFであり「地球の長い午後」等の人類を突き放したイギリスSFの系譜を感じますね…。

SFというと、宇宙船やロボットをイメージする人が多いだろうが、じつは生命科学こそSFの本道だとする立場がある。少なくとも、イギリスSFに関する限り、この主張は正しい。始祖メアリ・シェリー以来、その中心テーマは常に生命科学であり、その深奥に不老不死の夢を内包していた。別の言葉でいえば、「人工進化」である。
(中村融。「20世紀SF6 遺伝子戦争」より)

こういった、人類中心主義から離れた作品というのは、読んでいると物語の構造的な基底自体に切なさや哀しさがあるんですね…。人間の共同的な基盤である人類中心主義から脱しているがゆえに、そこには、人類種という暖かい紐帯を離れたところに来てしまったという、孤独で心寂しい場の感覚がある。勿論、そこはただ寂しいだけの場ではなく、究極的に自由な場でもあるんですね…。この感覚を、「けものフレンズ」は、上述のSF作品らと同じく、脱・人類中心主義のSF作品としての読みがここかしこに物語の行間に隠されていて、それが、視聴者になんとも言えない切ない寂寥感を覚えさせるのだと思います。

「けものフレンズ」の優れたポイントは、脱・人類中心主義のSF作品としての読みはあくまで行間に隠されているところであって、表層は、それこそ「たのしー!!うれしー!!どきどきわくわく!!」な楽しく明るい世界、優しい世界であるところですね。おそらくはジャパリパークにいる唯一の人類種であろうかばんちゃんに、無欲で無私のフレンズ達はとても親切で優しい。まさに「けものはいても、のけものはいない、ほんとの愛はここにある」という歌詞がそのまま現れている世界。ただ、その世界に溢れる優しさは人類種の優しさではなく、人類種と全く関係を持たない別の動物種からサンドスターにより独自進化したフレンズだからこその優しさであるということを思うと、見ている人間は本当に切ないんですね…。

「けものフレンズ」の表層の明るさ楽しさ優しさと、この行間の切なさ、先に挙げた「果しなき流れの果に」を読んだときに感じたような、まさに最高の味わい深さであり、人類としての「侘び寂び」を味わう、このような感覚を味わう為にずっとSFを読んできたという感がありますね…。

「古の 人に我あれや 楽浪の 古き京を 見れば悲しき」
(万葉集)

一人、ぽつねんと座っていると、天地万物が、行方も知らず続けている、巨大な「旅」の気配がひしひしと感じられ、身を締め付けられるような寂寥感に知らず知らずのうちに涙が流れてくるのだった。常夏の緑と、陽気な文明をのせたハワイの島々は、大洋の底を行くマントルの流れにのって、はるか北西五千キロ彼方の日本列島にむかって年三、四センチのスピードで旅を続けている。旅程をすすむにつれて、風浪は岩を削り、三千万年ほど前にこのハワイのある位置にうまれて、一足先に旅立った島々は、今は海面下二千メートルの海山となって、日本海溝の傍にまで達しているのだ。地球もまた、その地表にうみ出した一切の生ける物をのせたまま、巨大な船のごとく、太陽のまわりをめぐる何十億回くりかえされた旅を続け、そしてまた太陽は、その子供たちである九つの惑星をひきつれたまま、暗黒の宇宙の一点へむけて、目的も知れぬ旅を続ける……。

そして、人間は――我らはいずこより来りしか、そして何ものか、いずくへ行くか?――人間は……人の世のある事のわびしさに倦み、わびしさを癒すために旅立ったのが、いつしか、わびしさを求める旅にかわり、そして――。わびしさをつきつめた果てには、何があるだろうか?
(小松左京「旅する女」「高砂幻戯」より)

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