2016年12月06日 00:12

つるの剛士氏「貧困層が貧しいのは心が貧しいから」「欲しがりません勝つまでは」を唱える。「国民精神総動員」ですな…。

乏しきに耐える精神などがなんで美徳であるものか。
(坂口安吾)

なんかツイッター見てたら「#ココロの中の貧しい言葉が有る限り永遠に貧困から逃れられない」とかいうタグが出てきたのでなんだと思ったら…

つるの剛士「いくら政権を罵倒しようが、ココロの中の貧しい言葉が有る限り永遠に貧困から逃れられないよ」
http://togetter.com/li/1056341
つるの剛士 on Twitter
“@ueno_kichi いくら政権に罵倒しようが、その人本人のココロの中の貧しい言葉が有る限り政権変わろうが永遠に貧困から逃れられないよ。きっと。そのエネルギーを良いエネルギーに使ってみない?人のために。自分のために”

すげえ…。久々に(71年ぶりくらいかな?)「欲しがりません勝つまでは」を唱える人が現れた…。もう笑うしかない…。坂口安吾が生きていたら、「このアベコベ野郎!!」って激怒しそうですな(坂口安吾は上記のようなタイプの精神論を凄まじく嫌っており、酷いかんしゃく持ちでもあった)。ガリガリガリクソンとかいう芸人が最低賃金引き上げにツイッターで猛反対していて物議を醸しているそうですし、そのうち、お笑い芸人達が真剣に「安倍政権を支え不景気を払拭する為に国民精神総動員」とか言い出しそう…。

ガリガリガリクソン 認証済みアカウント @gg_galixon
https://twitter.com/gg_galixon/status/805710514152095744
時給1500円を望むの?君たちの魂の値段そんなもんなの?って事。別に批判してる訳じゃなく、頭使って資産増える方法考えたらいいのにって思うよね。アホで無能な僕でも生活出来てるよ。自分を安売りもんじゃない。1500円欲しいの?きみの一時間てそんなもんでいいなって事な。

ウィキペディア「国民精神総動員」
国民精神総動員は、第一次近衛内閣が1937年(昭和12年)年9月から行った政策・活動の一つで、「国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神(滅私奉公)を推進した」運動。

1937年(昭和12年)7月7日に起こった、盧溝橋事件以降の、支那事変に関連し、第一次近衛内閣が推進して行った運動。目的は「八紘一宇」「挙国一致」「堅忍持久」の三つのスローガンを掲げ、国民全員を戦争遂行に協力させようとしたものである。これらを推進する組織として国民精神総動員中央連盟が設立され、会長には有馬良橘が就任した。そして古参の軍人・官僚を幹部とし、興亜奉公日を設けるなど、戦時体制構築と社会不満の一掃に努めた。

長期戦と物資不足が懸念されていた日中戦争及び太平洋戦争(大東亜戦争)において、国民の戦意昂揚のために
「欲しがりません勝つまでは」
「ぜいたくは敵だ!」
「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!」
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
「遂げよ聖戦 興せよ東亜」
「聖戦だ 己れ殺して 国生かせ」
「進め一億火の玉だ」
「石油(ガソリン)の一滴、血の一滴」
「全てを戦争へ」
などの戦時標語を掲げ、女性や子供を含む非戦闘員の国民にまで耐乏生活を強いた。この頃には、飯の真ん中に梅干しを1個乗せただけの「日の丸弁当」奨励、「パーマネントはやめましょう」、国民服やモンペ姿を男女の制服として推奨した教化運動なども叫ばれた。

推進機関として、官側に国民精神総動員委員会、民側に国民精神総動員中央連盟が置かれ、官民二本立てで進められた。パンフレットや宣伝映画・ラジオなど、メディアを使った宣伝に努めたが、上意下達の運動の限界から、まもなく一般社会には不満が鬱積し始めた。

貧困層を抑圧する言論の最も安易で最もよく使われるものは、「精神論」なんですね。先の芸人達の振る舞いはまさにその通りの振る舞いで、日本の成金的な富裕層(財産的に成功したお笑い芸人達)のいやらしさが全開になっているなと感じます。ただ、彼らがシンパシーを感じている今の安倍政権が推し進めている新自由主義・グローバリズムは、一言で言えば「世界的な弱肉強食の経済効率主義」であって、上記のお笑い芸人達が貧困層を抑圧するために言い募る「精神主義」とは全く相反するものなんですが、彼らはそのことについてどう思っているんですかね…。彼らの「精神主義」は、坂口安吾が喝破した「耐乏主義」(貧しさにひたすら耐えそれを受け入れて生きろという精神論)であって、それは自由主義経済とは全く異なっているのに、彼らは自由主義経済の上層にいて自由主義経済を信奉しながら、下層に対してだけは、自由主義経済ではなく、耐乏主義の精神論を説く。これは完全に欺瞞であることを忘れるべきではないでしょう。

敗戦後国民の道義頽廃せりというのだが、然らば戦前の「健全」なる道義に復することが望ましきことなりや、賀すべきことなりや、私は最も然らずと思う。

私の生れ育った新潟市は石油の産地であり、したがって石油成金の産地でもあるが、私が小学校のころ、中野貫一という成金の一人が産をなして後も大いに倹約であり、停車場から人力車に乗ると値がなにがしか高いので万代橋という橋の袂たもとまで歩いてきてそこで安い車を拾うという話を校長先生の訓辞に於て幾度となくきかされたものであった。

ところが先日郷里の人が来ての話に、この話が今日では新津某という新しい石油成金の逸話に変り、現に尚なお新潟市民の日常の教訓となり、生活の規範となっていることを知った。

百万長者が五十銭の車代を三十銭にねぎることが美徳なりや。我等の日常お手本とすべき生活であるか。この話一つに就ての問題ではない。問題はかかる話の底をつらぬく精神であり、生活のありかたである。

一口に農村文化というけれども、そもそも農村に文化があるか。盆踊りだのお祭礼風俗だの、耐乏精神だの本能的な貯蓄精神はあるかも知れぬが、文化の本質は進歩ということで、農村には進歩に関する毛一筋の影だにない。あるものは排他精神と、他へ対する不信、疑ぐり深い魂だけで、損得の執拗な計算が発達しているだけである。農村は淳朴だという奇妙な言葉が無反省に使用せられてきたものだが、元来農村はその成立の始めから淳朴などという性格はなかった。

大化改新以来、農村精神とは脱税を案出する不撓不屈の精神で、浮浪人となって脱税し、戸籍をごまかして脱税し、そして彼等農民達の小さな個々の悪戦苦闘の脱税行為が実は日本経済の結び目であり、それによって荘園が起り、荘園が栄え、荘園が衰え、貴族が亡びて武士が興った。

農民達の税との戦い、その不撓不屈の脱税行為によって日本の政治が変動し、日本の歴史が移り変っている。人を見たら泥棒と思えというのが王朝の農村精神であり、事実群盗横行し、地頭はころんだときでも何か掴んで起き上るという達人であるから、他への不信、排他精神というものは農村の魂であった。彼等は常に受身である。自分の方からこうしたいとは言わず、又、言い得ない。その代り押しつけられた事柄を彼等独特のずるさによって処理しておるので、そしてその受身のずるさが、孜々として、日本の歴史を動かしてきたのであった。

日本の農村は今日に於ても尚奈良朝の農村である。今日諸方の農村に於ける相似た民事裁判の例、境界のウネを五寸三寸ずつ動かして隣人を裏切り、証文なしで田を借りて返さず親友を裏切る。彼等は親友隣人を執拗に裏切りつづけているではないか。損得という利害の打算が生活の根柢で、より高い精神への渇望、自我の内省と他の発見は農村の精神に見出すことができない。他の発見のないところに真実の文化が有りうべき筈はない。自我の省察のないところに文化の有りうべき筈はない。

農村の美徳は耐乏、忍苦の精神だという。乏しきに耐える精神などがなんで美徳であるものか。必要は発明の母と言う。乏しきに耐えず、不便に耐え得ず、必要を求めるところに発明が起り、文化が起り、進歩というものが行われてくるのである。

日本の兵隊は耐乏の兵隊で、便利の機械は渇望されず、肉体の酷使耐乏が謳歌せられて、兵器は発達せず、根柢的に作戦の基礎が欠けてしまって、今日の無残極まる大敗北となっている。あに兵隊のみならんや。日本の精神そのものが耐乏の精神であり、変化を欲せず、進歩を欲せず、憧憬讃美が過去へむけられ、たまさかに現れいでる進歩的精神はこの耐乏的反動精神の一撃を受けて常に過去へ引き戻されてしまうのである。

必要は発明の母という。その必要をもとめる精神を、日本ではナマクラの精神などと云い、耐乏を美徳と称す。

一里二里は歩けという。五階六階はエレベータアなどとはナマクラ千万の根性だという。機械に頼って勤労精神を忘れるのは亡国のもとだという。すべてがあべこべなのだ。

真理は偽らぬものである。即ち真理によって復讐せられ、肉体の勤労にたより、耐乏の精神にたよって今日亡国の悲運をまねいたではないか。

ボタン一つ押し、ハンドルを廻すだけですむことを、一日中エイエイ苦労して、汗の結晶だの勤労のよろこびなどと、馬鹿げた話である。しかも日本全体が、日本の根柢そのものが、かくの如く馬鹿げきっているのだ。
(坂口安吾「続堕落論」)

青木雄二なんかは、社会の上層階級の人間(本当の上層階級というよりは、いわゆる先の芸人達のような成り上がりの成金で本当の上層階級に仕えている従僕のような連中)が、下層に対し精神論で抑圧してくるのは、彼らは貧しさこそが人間を廃人にして気力などを削いだ状態においておく手段(いつまでも階級を固定する手段)であると知っているからだ、と述べていますね。先の芸人達を見るに的を得た指摘ですね…。青木雄二は貧しい人々を精神論で抑圧するのは止めて、貧しい人々の欲望も、金持ちの欲望と同じく肯定しろ!!人々の欲望が肯定される社会こそが豊かな社会だってことを述べていますが(彼の考え方は累進課税と再配分とセーフティネットと公正を重視した修正資本主義)、ほんとそう思いますね…。芸能人達が唱える耐乏主義の精神論は人間を惨めにして精神的にも肉体的にも廃人にする。生活に余裕を持たせる再配分やセーフティネットが社会になければ、人間は前に進めないということです。後は、選挙は非常に重要で、日本ではその重要さが欧米に比べ認識されていないということを述べていますね…。

人間が欲望を捨てたら、惨めな生き方しか残されていない。(中略)今の資本主義の生産性や科学力、近代文明・文化の力をそのまま受け継いで、それを更に発展させてゆく以外に、人類全体が豊かに暮らす道はないのである。(中略)

住みやすい国をつくるためには、なんといってもまず選挙が基本なのである。(中略)

明るい未来、希望のある未来を想像し、自分の力で創造していけるのは、あるていど、生活に余裕のある人間である。マルメラードフ(罪と罰の登場人物)のように、奥さんの靴下まで酒に変えて飲んでしまうような人間には、明るい未来を想像することなど、まるで不可能なのだ。
(青木雄二「ゼニの人間論」)

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