2016年06月29日 18:23
国民投票自体を否定するエリート信仰者達のバックラッシュに抗して。「特権エリートに英国民が翻した反旗、イギリス人として投票直後に考えたこと」
モナドの領域
なんか、イギリスがあくまで国民の権利として行った国民投票なのに、日本のマスメディアで、イギリスのEU離脱批判が凄いですね。日本のマスメディアの論調だと、「イギリスの偉大なるエリートの決断(EU残留)に従わなかった愚劣なる大衆達」「愚劣な大衆に国家の先導を任せる国民投票という仕組みが間違っている」みたいなエリート信仰とイギリス大衆蔑視が酷く、見ていて気分が悪くなります。
個人的には、「愚劣な大衆が国を滅ぼしてきた例」よりも、「愚劣なエリートが国を滅ぼしてきた例」の方が、遥かに数が多く社会全体の惨禍も激しかったと思いますが、まあそれは置いておきます。
ネットだと日本のマスメディアの酷い部分がさらに拡大している感じで、いわゆる政治エリート本人ではなく、政治エリートの金魚の糞みたいな人や、更にそういったエリートにまとわりつく周辺エリートの金魚の糞みたいな人が、無自覚に「エリートは正しく、大衆は間違っていて、エリートに従うことこそ正解であった!」みたいなことを述べていますね。前述のタイプの典型である脳科学者の茂木健一郎氏や後述のタイプの典型であるアルファブロガーのessa氏のブログとかまさにその代表例と言えると思います。
こういった論調は典型的なエリート信仰者達のバックラッシュとしか感じられないんですね。彼らの論調に特徴的なのは、自分で考えることを一切放棄して、「『権力機構側のエリート対大衆』という枠組みであれば、常に前者が正しい」という教条的ドグマに陥っていることです。エリートという律法的真理が存在すると考えられる彼ら、常に権力エリートの立場に付くことを超越的正義と信仰する彼らはパリサイ人か何かの思想的子孫であられるのかな?
最後についさっき読んだイギリス人の方のブログが、とても良かったのでご紹介致しますね。こういうの読むと英語はちゃんと勉強しないとだめだなあと感じますね…。日本語だけだとネットの視野はどうしても狭まってしまいますから…。
モナドの領域
著者:筒井 康隆
新潮社(2015-12-03)
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なんか、イギリスがあくまで国民の権利として行った国民投票なのに、日本のマスメディアで、イギリスのEU離脱批判が凄いですね。日本のマスメディアの論調だと、「イギリスの偉大なるエリートの決断(EU残留)に従わなかった愚劣なる大衆達」「愚劣な大衆に国家の先導を任せる国民投票という仕組みが間違っている」みたいなエリート信仰とイギリス大衆蔑視が酷く、見ていて気分が悪くなります。
個人的には、「愚劣な大衆が国を滅ぼしてきた例」よりも、「愚劣なエリートが国を滅ぼしてきた例」の方が、遥かに数が多く社会全体の惨禍も激しかったと思いますが、まあそれは置いておきます。
ネットだと日本のマスメディアの酷い部分がさらに拡大している感じで、いわゆる政治エリート本人ではなく、政治エリートの金魚の糞みたいな人や、更にそういったエリートにまとわりつく周辺エリートの金魚の糞みたいな人が、無自覚に「エリートは正しく、大衆は間違っていて、エリートに従うことこそ正解であった!」みたいなことを述べていますね。前述のタイプの典型である脳科学者の茂木健一郎氏や後述のタイプの典型であるアルファブロガーのessa氏のブログとかまさにその代表例と言えると思います。
EU離脱は、英国の終わりの始まりなのか
http://lineblog.me/mogikenichiro/archives/4214564.html
何よりも当惑するのは、今回の、国民投票から離脱への動きが、英国の最良の伝統と齟齬を起こしていることだろう。英国は、国民投票のようなむき出しの多数決でものごとを決める、というやり方とは違う何かで、国を動かしてきたように感じる。(中略)EU離脱は、英国の終わりの始まりなのだろうか。今までの英国の伝統が、根底から覆されようとしているように感じる。
「上級国民」の失敗としてのEU離脱」
http://d.hatena.ne.jp/essa/20160626
世の中が複雑になって、「上級」の人たちがうまくその複雑性をさばけなくなっている。大衆は、それぞれが独自の「上のやつら」というものを敵視している。私はそれは誤解だと思うのだが、誤解の気分はみんな共通しているのに、誤解の形はみんな違っていて、それぞれが違う「上級国民」に怒っているので、論理的な説得ができないのだ。
こういった論調は典型的なエリート信仰者達のバックラッシュとしか感じられないんですね。彼らの論調に特徴的なのは、自分で考えることを一切放棄して、「『権力機構側のエリート対大衆』という枠組みであれば、常に前者が正しい」という教条的ドグマに陥っていることです。エリートという律法的真理が存在すると考えられる彼ら、常に権力エリートの立場に付くことを超越的正義と信仰する彼らはパリサイ人か何かの思想的子孫であられるのかな?
ヤフー知恵袋「イエスと律法学者・パリサイ人の違いはなんですか?」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12130548997
律法学者・パリサイ人について、なぜイエス様が否定的だったのかは、マタイによる福音書第23章に長々と書かれていますので、まずはお手持ちの聖書でお読み下さい。長いので、ここには書きません。
イエスと律法学者・パリサイ人の大きな違いは、「そこに愛があるか否か」でしょうね。
本来、律法とは十戒を基本とした正義、慈悲、誠実の為の教えなのですが、パリサイ人は律法を重視するあまり、本質からそれ、律法を守る事のみに執着したからです。
律法を重視するあまり、解釈が細分化し、「せねばならない」項目が248、「してはならない」項目が365と増え、これらの律法を守り抜かなければ天国には行けないとしました。
その為なら人を見捨てる事もありましたし、そもそも貧乏人には律法を守る事は困難なのです。
十戒には、「安息日を心に留め、聖別せよ。主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。」とありますが、ユダヤ教では安息日中は調理や明かりを灯す事も労働とされ、これを守ろうとすると食事が出来なくなってしまいますので、お金持ちは貧者を雇い安息日を守りました。(現在は、タイマー付きの調理器具や照明で全て解決)
お金持ちはその財力により律法を守り通し、神殿にたくさんの捧げ物をする事で正しい人、天国へ行く人とされ、貧乏人は生活の為とはいえ律法に背きますから正しくない人、天国には行けない人とされました。
お金持ちの為の宗教になってしまい、貧乏人や弱者が決して救われる事の無い宗教になってしまったのです。
お金持ちにとって都合の良い世になるのは今に始まった訳ではなく、昔からそうだったのですね。
「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」
(新共同訳聖書 マルコによる福音書 第3章4節)
そこでイエスキリストは、罪人を招き、安息日であっても病人を癒されたのです。
これはパリサイ的信仰では正しくない行いですが、律法の本質としては正しい事でした。
神の教えを守る為、パリサイ人の律法をことごとく破り、否定しましたので、人々を惑わし神を冒瀆したと見なされ逮捕、処刑されたのです。
国や宗教により虐げられていた貧者や弱者を取り入れ、急速に勢力拡大したイエス教団は脅威だったのでしょう。
お金持ちにとって都合の良い世を変えられるのは嫌だったんだと思います。
「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛するということは、どんな焼き尽くす捧げ物やいけにえよりも優れています。」
(新共同訳聖書 マルコによる福音書 第12章33節)
「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。
ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。
『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。
わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』
ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。
『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
(新共同訳聖書 ルカによる福音書 第18章 10〜14節)
「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。
このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
(新共同訳聖書 マルコによる福音書 第12章38〜40節)
イエス様は姦通の罪を犯した女性をも赦し、もう罪を犯さないように助言した上でパリサイ人の手から逃がしてあげました。
パリサイ的にはその場で一発アウト、モーセの律法に従い石打ちによる死刑です。
キリスト的には、罪を犯したか否かよりも、罪を悔い改めたか否かが重要なようです。
律法を守るに越したことはありませんが、大事なのは罪の意識であり、おごり高ぶる事なく謙虚に生きなさいって事ですね。
パリサイ人の信仰には赦すという概念がありません。律法を守る為、常に人を裁きます。
「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。
自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。」
(新共同訳聖書 マタイによる福音書 第23章13節)
「佐藤香代さん。わしはあんたが言うキリストではない。そして、お前さんは特に信心深くもないが、わしはお前さんが考えているような神様でもない」
教授は顔を宙空に向けたままで言った。
「その子は、佐藤弾君は、三十七ヶ月と四日前に、お前さんの不注意から自動車事故にあって足が不自由になった。だからそれは自然なことだったんだ。その子の足が(超常的な奇跡で)治ればそれは不自然なことになってしまう。この子にとっては不幸だが、不幸な子供というのはだいたい、よくない両親のかわりに社会から罰せられているんだが、その罰を与えているのはわしではなくお前さんたち人間なんだ。この子がその不幸を乗り越えるかどうかもお前さんたち次第だ。そしてまた、いわゆる信心深い者たちは、善良な者が不幸な目に遭うのはそれがお前さんたちの罪の連帯責任によるものだと思っていることが多いが、これもまたそうではない。だいたい連帯責任なんてことも、そもそも責任なんてものも存在しない。架空のことだ。罪とか罰とかもだ。罪も罰もお前さんたちが好きに作って好きにやっとる」
(筒井康隆「モナドの領域」)
最後についさっき読んだイギリス人の方のブログが、とても良かったのでご紹介致しますね。こういうの読むと英語はちゃんと勉強しないとだめだなあと感じますね…。日本語だけだとネットの視野はどうしても狭まってしまいますから…。
特権エリートに英国民が翻した反旗、イギリス人として投票直後に考えたこと
http://www.newsweekjapan.jp/joyce/2016/06/post-109.php
今回の国民投票に向けたキャンペーンは、不愉快な選挙戦だった。残留派、離脱派どちらもほめられたものではなく、双方が大げさな主張をして相手を侮辱した。1つの事例を取り上げるのはフェアじゃないかもしれないけれど、ガーディアン紙に掲載されたクリス・パッテンの記事は、特に腹が立った。
パッテンは国民投票を実施すること自体がひどいアイデアだと書いた(「粗野なポピュリストの道具だ」「議会制民主主義への脅威だ」「次は何だ? 死刑制度の是非を問う国民投票か?」といった具合だ)。そして、反EU派の意見を「外国人嫌いの不快なイングランド的ナショナリズム」だと言ってみせた。
パッテンは1992年の総選挙で国会議員の職を去るまで、公人として比類なきキャリアを築いていた。返還前の香港で最後の総督を務め、欧州委員会委員(素晴らしきブリュッセルの権力者の1人だ)として勤務し、BBCの監督機関であるBBCトラストの会長に就き、貴族院の議員を務めた。これらの役職全てが、権力(いくつかはとんでもなく強い権力だ)と名声と豪勢な生活(高給と恵まれた「特権」)を彼に与えてきた。そしてそのどれも、選挙不要で就くことができた役職だ。
彼は今、オックスフォード大学総長を務めている。少なくともこの職に就くためには、選挙で選ばれる必要があった。それでも投票できるのはオックスフォード大学卒業生だけ。「エリートのお仲間」による選挙だ。
だから僕は、イギリスが今まさに直面する最重要問題について一般国民が投票で意思表示をすることすらパッテンが認めないのは、あまりにひど過ぎる話だと思った。それはつまり、彼や彼の同類たちは、僕たち国民にとって何が最良なのかは、国民でなく彼らが決めるべきだと考えているということだ。
記事を読んだとき、僕はムカついた。でも思い返せば、僕はパッテン卿が率直に胸の内を明かしたことを称賛すべきだった。まさにイギリス国民は、そんなお高くとまった国民蔑視に、反旗を翻したのだ。
モナドの領域
著者:筒井 康隆
新潮社(2015-12-03)
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