2016年03月15日 02:34

長篇SFのすすめ。小川哲「ユートロニカのこちら側」

ユートロニカのこちら側 (ハヤカワSFシリーズJコレクション)

先日ご紹介させて頂いた短編集「第七階層からの眺め」があまりに素晴らしかったので、速攻で、同作者の長篇「終わりの街の終わり」を読んだのですが…読了後の感想としては微妙かな…。

「終わりの街の終わり」は人類滅亡テーマのカタストロフィSFとして、中々斬新な切り口で人類の終末を語った作品でして、そんな悪くないというか、そこそこは面白いのですが、「第七階層からの眺め」に収録されている短編群に比べると、「終わりの街の終わり」は微妙かなという感じはしますね。短編やショートショートのような「短い作品」がとてつもなくずば抜けて上手い作者さんって、長篇は短編に比べるとやや苦手にしていることが多い気がしますね…。ヘンリー・スレッサーとかR・A・ラファティとか星新一さんとか飛浩隆さんとか、短い作品でベストな本領を発揮しているように感じますね。

昨今、主に短編集を多く紹介していたので、今回は、逆に長篇の傑作をご紹介致しますね。長篇ということで言えば、近年読んだ長篇小説で一番面白かったのは、第三回ハヤカワSFコンテスト受賞作、小川哲「ユートロニカのこちら側」ですね。凄く面白かった。アメリカを舞台に、先端情報技術によって居住する人々のあらとあらゆる「欲望」が完璧に管理された楽園、いわゆるゲーテッド・コミュニティの内側を描いた作品でして、すごくリアリティを感じたな。和製の近未来SFでは現代日本よりも遥かに先端技術主導的な諸国であるアメリカなどの海外が舞台になることが多いですが、そういった海外を舞台にした近未来SF作品において、宮内悠介「ヨハネスブルグの天使たち」や仁木稔「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」よりも(どちらも優れた傑作にして大好きな作品です)、遥かに本書「ユートロニカのこちら側」にリアリティを感じましたね。

そのリアリティは、本書「ユートロニカのこちら側」において先端科学技術が叶えるものは、『安全な環境への欲求』ということから来ていると感じましたね。アメリカ国民だけでなく、日本国民、そして世界中の民の願いとして、「犯罪などのトラブルに巻き込まれることなく、衣食住の保障、そして心の平安が充たされる『安心安全な環境』で暮らしたい」というのは、確実にあると思いますし、それを叶えるためなら、金銭や情報をいくら渡してもいいという人は大勢いるでしょう…。むしろ金銭というのは、これら根本的願望を叶えるためにあるものですし…。

本書で描かれるサンフランシスコ内に建設された閉鎖都市「アガスティア・リゾート」においては、そこに居住する人間は生体コンタクトレンズと立体集音マイクを常に身につけ、都市を設立したグーグル的巨大情報企業「マイン社」にあらゆるプライバシー(というか個人のライフログの全てそのもの)を渡す代わりに、その情報の対価として衣食住と安全の全てが保障され、働かなくても生活でき、『他者の権利を侵害しない』限り、自由な生活ができるのですね。

ただし、この社会ではマイン社の作り上げた個人サポート情報ネットワーク端末「サーヴァント」があらゆる行動の補助を行っているというか、ある種の誘導を掛けており、サーヴァントの指示に従うと、「情報等級」が上がって、マイン社が運営している「情報銀行」からより多額の金銭を受け取ることができる。これによって、自由が自由ではだんだんなくなっていく…というのが本書の大筋です。

読んでいて非常に面白い。今、物凄くアメリカや日本、ヨーロッパといった先進国の社会というのは収入の差の開きの進行によって大きく分断されていて、貧富の差がどんどん開いて、少数のお金持ちとそれ以外の貧乏人になっていっている訳ですね。そうすると、資産上位の層やどちらかというと上位に近い中間層が何を一番望むかというと、それは先に挙げた「犯罪などに脅かされることなく、自らの欲望を叶えた暮らしができる安全安心な環境」であることは、もう凄く実際に起きてきている訳です。中間層がなくなって、上位の暮らす富裕居住区と、残りの居住区に全てが分かれてきている。アメリカなんか、今それが日本以上に急速に進んでいる訳ですよ。アメリカの豊かさの象徴のように取り上げられる「中間層の住む自然豊かな郊外の住宅街」みたいなものが、中間層がそういったマイホームを維持したり購入できなくなって無人化が進み治安が悪化して崩壊している。逆にお金持ちはみんな、警備が完璧なゲーテッド・コミュニティの富裕層向け住宅街に多額のお金を払って住む訳です。現代アメリカ(現代先進国)の延長として本書で描かれた究極の「安全都市」ができてくるのは、凄くリアリティを感じましたね。その点で凄く面白かったです。

ただ、東浩紀氏が本書を批判して「(本書の魅力のなさは)性や暴力、狂気の描写があまりに薄いことに起因している」と述べている通り、本書はあくまで、「お上品な世界」、すなわちアメリカの富裕層や上位中間層側の社会しか描いていないんですね。基本的に本書は、とてつもなく運営コストが掛かっているであろう超先端科学技術に支えられた楽園都市の内部から内部を描いているだけなので…。

実際のアメリカはこういう「お上品な世界」に収奪されている世界(貧乏人の世界)の方が明らかに大きい訳で、そこが一切描かれていないのが、本書の欠点かなという感じはしますね。こういう収奪されている世界がどんどん大きくなっていることに対する怒りからトランプ大統領候補やサンダース大統領候補が生まれてきているわけですし。アメリカの知識人の代表格の一人であるクルーグマンですら、ニューヨークタイムズに『トランプはとんでもない男だ。しかし、既得権益の収奪構造を推し進めて貧富の差を無限に開いていく既存の大統領候補連中よりは、自身の金で選挙戦を行っているがゆえに既得権益層(ウォール街)の言いなりにはならないであろうトランプの方が大勢の人間にとって遥かにマシだ』というようなことを書いている(3月11日の朝日新聞に翻訳が載っています)、もうそのくらい貧富の格差がおかしくなっている訳です…。

佐藤優が斬る! もしトランプが大統領になったら、世界はこう変わる
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48143
佐藤:(現在のアメリカの国民の貧富の格差に対する怒りは)モヤモヤなんていうレベルではないんですよ。私が去年の12月31日に対談した山口真由さんをご存じですか。

邦丸・西川:?

佐藤:東大をトップで卒業したあと、財務省に入省して2年で辞め、国際弁護士を目指してハーバード大学に留学中の方です。勉強法などの本もたくさん書いています。その彼女に「ハーバードはいかがですか?」とたずねたところ、「佐藤さん、ひどいところなので驚いたんですよ。授業料がいくらかご存じですか?」と言うんです。「いくら?」と聞くと、「7万ドルです」と。

西川:7万ドル!

佐藤:「1年で?」と聞くと、「10ヵ月で7万ドルです」と。つまり800万円。ロースクールまで最低6年かかるでしょ。ということは、授業料だけで4800万円かかるんですって。

邦丸:はあ〜〜〜。

佐藤:その金額を払える家の子弟しか、もうハーバードには入れない。ひと昔前までは、軍隊に入ればハーバードに入ることができるという話があったんだけれど、もうそういう時代ではない。超富裕層の子どもしか入れない。アメリカのほとんどのエリート大学がそうで、エリート大学を出ると投資銀行で年収2000万〜3000万からのスタートになる。

それ以外のフツーのアメリカ人は就職口がない。あるいは、大学を卒業してもアルバイトで日銭20〜30ドルもらっている。

こういう状態になっているから、若い人たちは閉塞感なんていうもんじゃない。格差が絶対に追いつかないところまで拡がってしまっている。だから、大変な不満があるし、これは異常な社会になっていると、彼女は言っていました。

こういったアメリカの現状を踏まえると、本書のラストも、うーんって感じが…。現実にアガスティア・リゾートがあったら、結局のところ富裕層の道楽都市に過ぎないリゾートが世界に拡大する前に、リゾートの完璧な運営ができなくなる可能性の方が遥かに大きいように感じます。コストを掛けることができない大多数の層(収奪されている貧しい大多数の層)をコストを掛けて監視することは不可能ですから(結局のところリゾートはリゾート外からの補給によってリゾート内の完璧な環境を保っている)、元々リゾートは拡大できないんですね。

ただ、あくまで、アメリカの近未来の特殊なゲーテッド・コミュニティ内部の話(表題通り「ユートロニカのこちら側」の物語)として読むならば、非常に読み応えのある面白い本でした。東浩紀氏が本書を「小粒だ」と述べていて、それはまさしくその通りなんですが、非常に小さな特殊な社会を描いた小粒なSFであるがゆえに密度の濃い面白いSFに仕上がっている。近年読んだSFの中では一番お勧めの長篇SFですね。

ユートロニカのこちら側 (ハヤカワSFシリーズJコレクション)ユートロニカのこちら側 (ハヤカワSFシリーズJコレクション)
著者:小川哲
早川書房(2015-11-20)
販売元:Amazon.co.jp

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