2016年01月27日 01:28
アニメ「おそ松さん」に『このアニメには何もない』というのは褒め言葉。筒井康隆「そこは我々が40年以上前に通った道(ry
筒井康隆コレクションIII欠陥大百科
アニメ「おそ松さん」、毎週楽しく見ているんですが、このアニメ、『何にも無い』『薄っぺらい』『何も生み出さない』みたいな批判あるんですね…。
おそ松さんの原作である「おそ松くん」のようなナンセンス・マンガは何もないことこそが本領であり、『何もない』というのはそれは寧ろ褒め言葉だと思うのですが…。
思想とか深みとかの何らかの価値を表現しようとするナンセンス・マンガはナンセンス(Noncence=無意味・無価値)失格であり、『訳が分からず何もない』ことこそ、ナンセンス・マンガの本領だと思います。
筒井康隆さんが「天才バカボン」などを論じた40年以上前の文章にて、先と同じような批判(ナンセンス・マンガには何もないというような批判)に対して見事な文章を書いていますのでウィキの文章と合わせてご紹介致しますね。
以下、筒井康隆「欠陥大百科」より引用致します。
ちなみに筒井康隆さんがこの辺の論考の一部を自らの短編小説に仕立てたのが「くたばれPTA」ですね。
筒井康隆コレクションIII欠陥大百科
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アニメ「おそ松さん」、毎週楽しく見ているんですが、このアニメ、『何にも無い』『薄っぺらい』『何も生み出さない』みたいな批判あるんですね…。
おそ松さんの原作である「おそ松くん」のようなナンセンス・マンガは何もないことこそが本領であり、『何もない』というのはそれは寧ろ褒め言葉だと思うのですが…。
思想とか深みとかの何らかの価値を表現しようとするナンセンス・マンガはナンセンス(Noncence=無意味・無価値)失格であり、『訳が分からず何もない』ことこそ、ナンセンス・マンガの本領だと思います。
筒井康隆さんが「天才バカボン」などを論じた40年以上前の文章にて、先と同じような批判(ナンセンス・マンガには何もないというような批判)に対して見事な文章を書いていますのでウィキの文章と合わせてご紹介致しますね。
ウィキペディア「ナンセンス文学」
ナンセンス文学あるいはノンセンス文学とは、有意味なものと無意味なものとを組み合わせて言葉を使う上での常識的な約束事や論理性を無視し、壊そうとするような文学の総称である。特に知られている歴史的な形式はナンセンス詩(Noncence verse)だが、今日においては詩に限らず様々な形式の文学作品で表現されている。
「ナンセンス」の文学的な効果は、一般には意味の欠如よりも、しばしば意味の過剰によってもたらされる。「ナンセンス」の多くは本質的にはユーモアに属するが、それは「意味を成す」ことによって面白みが引き出される大多数のユーモアとは反対に、「意味を成さないこと」によって成立するユーモアである。(中略)
ナンセンスとファンタジーとは、ときには互いに似通う場合もあるが、しかし両者ははっきりと区別される。ファンタジーに登場するような奇妙な生物、不思議な世界観、魔法、人語を喋る動物といったものは、それがなぜその作品世界に存在するかが論理的に説明される限りでは、ナンセンスなものとはならない。その点でファンタジーにはナンセンスにはない一貫性と統一性が存在する。
ファンタジーの世界では、現実にはありえないようなものが登場してもすべてが論理に従っているのであり、一方ナンセンスの世界では論理の法則が無視され、せいぜい我々の理解を超えた、なにか不可解なものが存在するのだということがほのめかされるに留まる。典型的な例が魔法・魔術である。ファンタジー作品においては、魔術はある不思議な現象を、それが作品の中でなぜ起こるのかを論理的に説明できるものとして採用される。
一方ナンセンス文学においては、そもそも魔法が現れること自体が稀であるが、それが現れる場合でもなにか不可解な出来事に説明を与えるためではなく、むしろナンセンスな色合いを添えるために用いられる。
以下、筒井康隆「欠陥大百科」より引用致します。
ストーリイ・マンガの勢いに押されて一時あまりぱっとしなかったギャグ・マンガ、ナンセンス・マンガが、最近巻き返しにでているのを、ぼくは嬉しく思っている。これらのナンセンス・マンガがより高度になればそれらはやがて文学の世界や、シュール・リアリズムの世界に近づいていく。
もちろんぼくは、ナンセンス・マンガがストーリイ・マンガよりも高度なものであるなどというつもりはない。両者を比較することは不可能であろう。だが、下品なナンセンス・マンガはあり得ないが、下品なストーリイ・マンガはあり得る。
赤塚不二夫の「天才バカボン」、永井豪の「ハレンチ学園」など、当代最高のナンセンス・マンガであるが、少年ものという制約で損をしている。ナンセンス喜劇映画が、芸術として認められなかったのと同様の運命をたどることになるだろう。残念なことである。だが、その制約の中では、これ以上シュール・レアリズムに近づいた表現は望めない。(中略)
信じられないことだが、ナンセンスを本質的に理解できない人間、また、その人間たちの考えに毒されて、ナンセンスを理解しようとしない人間がいることは事実だ。彼らはナンセンス・マンガをいやしむ。彼らのよりどころとするものは主義とか思想とかいった、時によって変化するうつろいやすいものである。イデオロギーが終焉を告げた現代に、まだ思想でもってナンセンス・マンガを否定しようとする人間がいるのは驚くべきことであろう。
ナンセンス・マンガの道は、地獄への道である。だが地獄を見るのを恐れ、思想によりどころを求めるのは、逆にその人間の精神の不安定性を示しているといえよう。(中略)
ナンセンス・マンガを理解できない人間は、ナンセンス・マンガがこれから先、復権し、次第に高度になるに従い、理解できる人間たちを、最後には憎悪しはじめるだろう。そして悪口をいう。
「思想がない」
「ここからは、何も出てこない」
あたりまえである。精神の地獄から、意味や思想が出てきてたまるか。精神の根源には、出来あいのものは何もない。
(筒井康隆「欠陥大百科」)
ちなみに筒井康隆さんがこの辺の論考の一部を自らの短編小説に仕立てたのが「くたばれPTA」ですね。
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