2015年08月14日 10:37
多くの人間はなぜ魂や心の存在を感じ信じるのか。
人間の意識なんて単なる電気信号なのに
http://anond.hatelabo.jp/20150813032839
上記、ドーキンス以後によく見かけるようになった論説なんですが(人間機械論と利己的遺伝子論の融合)、これって外から人間を見て論じている訳ですね。人間が魂や心の存在を感じたり信じたりするのは、他者は一切観察できないその人自身のみの内的経験(自己自身が物事を感じるという内的な動き)によるものなので、こういった「外から見た人間機械論」とは根本的にかみ合わないんですね。
「ねえ。内的経験ってなに?」
「意識やクオリアのことだよ」と僕は答えた。
「『意識』はなんとなくわかるけど、クオリアって何?」
「簡単に言うと『感じ』のことだ。たとえば『赤』というのは波長がだいたい610ナノメートルより長い光を見たときに生まれる感覚だ。だから『赤』という色の定義は波長を使って行うことができる。
だが、数字とは別に脳の中には『赤』という色のイメージが存在するだろ。それが『赤のクオリア』なんだ。このクオリアは外からは絶対に観察できない。だが、僕や君の頭の中に存在していることは間違いないだろ」
(小林泰三「哲学的ゾンビもしくはある青年の物語」「幸せスイッチ」より)
非常に穿った見方をすれば、意識・クオリア(魂・心)の内的経験も単なる物理化学的反射に過ぎず人間は反射集積バイオマシンに過ぎないとも考えることもできますが(外的観察から意識を研究する最新の現代医学だとこういう反射集積機械的生体の考え方は否定されつつあるようです「意識はいつ生まれるのか」等参照)、こういった反射マシン的考えによる魂や心の否定は自己の内的経験、いわゆる自己が外界から受ける「内的な感じ」をどうしても否定することになるので(自己が単なるメカニカルな反射バイオマシンなら意識やクオリアの入る余地がないゆえ)、一般的には受け入れがたいと感じる人が多いのですね。自己の内的経験を否定することは生存自体に危機をもたらすからです。車が突っ込んできているのに「あの車は幻影だ危機感は幻だ」なんて考えていたら引かれてしまいますからね。
と、こんな感じで、魂や心を否定する論は、一般的には受け入れられないでしょう。今後も一般的には中々受け入れられないと思いますね。自分の中の内的経験を否定しても生存に問題のない余裕を持つ暇人な人の一部が思考実験として受け入れるくらいかな。
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