2014年05月05日 02:12
賛否両論の凄いメカクシティアクターズ4話後半パート、表現主義の映像良いなと感じましたね。カリガリ博士とか思い出しました。
賛否両論の凄いアニメ「メカクシティアクターズ」、僕はボカロのカゲロウデイズとか一切聴いたことがなく、アニメで初めて触れて見ているのですが、今回の第四話、13分30秒から18分30秒の映像は凄く良かったと感じましたね。抽象的な映像で不安心理を表現する(視聴者を不安にする)というのが良くできていて感心しました。
こういう形象のある映像として感情(主に不安感)を表現するアヴァンギャルド映像(ドイツ表現主義やその系譜等、近年の作品ではタルコフスキー作品とか好きです)を僕は昔から凄く好きなので、カリガリ博士や松本俊夫実験映像集とか見ていて思い出しましたね…。ドイツ表現主義−松本俊夫・実相寺昭雄・市川崑−アニメへ影響−虫プロ系表現主義−新房昭之のようなラインでドイツ表現主義の系譜が日本のアニメに流れているのかな…。
こういった表現主義(外面的で目に見えるものが、内面の不安感などの目に見えないものの延長、連続として表現される)を、アニメにもどんどん取り入れて欲しいと願いますね。そしてそれに今一番積極的な作り手が、新房昭之監督であると思います。
ただ僕個人として今回残念だったのは、メカクシティアクターズ第4話、後半の18分30秒からは、いかにも世俗的なキャッチーなメロディラインの歌が流れ始め、映像もそれに引っ張られる感じで表現主義的映像から通常の世俗的説明的映像に戻っていってしまうように感じられることですね。僕はもっと表現主義の映像を楽しみたかったので、歌よりも映像を重視した作りにして欲しかったなと感じました。
いつの日か、新房昭之監督に表現主義アニメ映像作家として、完全オリジナルかつ商業要素を抜きにした映像作品を自由に撮って欲しいなと感じますね…。
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こういう形象のある映像として感情(主に不安感)を表現するアヴァンギャルド映像(ドイツ表現主義やその系譜等、近年の作品ではタルコフスキー作品とか好きです)を僕は昔から凄く好きなので、カリガリ博士や松本俊夫実験映像集とか見ていて思い出しましたね…。ドイツ表現主義−松本俊夫・実相寺昭雄・市川崑−アニメへ影響−虫プロ系表現主義−新房昭之のようなラインでドイツ表現主義の系譜が日本のアニメに流れているのかな…。
淀川長治「カリガリ博士」
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo18023.html
『カリガリ博士』、おもしろい名前ね。『カリガリ博士』、これ、ドイツの表現主義の頃の最も代表的な作品ですよ。
舞台が背景が、全部不思議な感覚の絵ですね。もう全部カキワリですね。けどカキワリと言えませんね、ドイツ美術ですね。ドイツの本当の、この表現主義の、すごい美術の中で事件が起こり、人物が出てきますね。その人物がその表現形式の絵画の中で見事に収まっていますね。これはヴィーネと言う監督の見事な名作です。(中略)
ストーリーは、私はかすかに覚えてるだけですけど、この表現形式ですね、これは凄い。これはドイツでないとやれない、アメリカじゃとってもこんな大胆な事やれない。フランスでもやれない、ドイツですね、ドイツは、こういう頃、こういう時代に最もモダンだったんですね。最もいわゆるハイカラだったんですね。
『メトロポリス』なんかもありますけど、これは本当に絵画がそのまま映画になってるんですね。その表現形式、不思議な不思議な感覚、これは後にいろんな国が真似しましたけど、やっぱりドイツが最初のオリジナルですね。(中略)
衣笠貞之助なんかが非常にこれに影響されましたね。『狂った一頁』とか、いろいろつくりましたけど、この感覚は、とっても大胆なこの感覚は、もうこのドイツ映画以外つくれませんでしたね。
『カリガリ博士』、不思議な、不思議な、見事なドイツ文化ですよ。ドイツ美術ですよ。
ちょっとだけ映画学 ===カリガリ博士と表現主義===
http://filmstudies.blog21.fc2.com/blog-entry-16.html
映画ってのは写真と同じように「現実感」が極めて強いメディアです。一応「現実の風景をそのまま写し取る」ということで(これは単純に「そのまま」とは言えないのですが・・)、絵画のような描かれたイメージよりも遥かに現実に近く、その現実感が映画の大きな特徴になってきました。
しかし、映画に絶大な力を与えてきた現実感は、一方で制限にもなります。「目に見えないものをどうやって表現するのか」という問題が出てくるんですね。人間の感情や、抽象的な概念などを表現するのが難しいわけです。
この問題は、絵画が映画よりも早くに手をつけていました。それが、目に見えるものを内面の反映として表現する表現主義です。分かりやすいのはやっぱこれ(ムンクの叫び)でしょうか。
基本的には、感情というのは人間の内面にありますよね。そんでその人がのっている橋とか、その人が見ている空、というのは外面であって、彼の内面とは繋がっていないですよね。でもこのムンク「叫び」では、山とか空とか橋、といった、叫んでいる男の内面ではないものも、彼の内面の苦悩とか絶望と連続した空間として描かれています。別な言い方をすると、本来内面であったものが外面にでてきているわけです。これを一般的に表現主義、というみたいです。
そんで「カリガリ博士」ですが、これもムンクの「叫び」に通じるような歪んだ世界が主人公を包んでいます。
これって見りゃわかるけど、みんなセットなんですよねー。スゴイですね。このセットを作った人達は、実際に絵画の方の表現主義を知っていて、影響を受けた人達です。
「カリガリ博士」はぜひ見ていただきたい映画で、ネタバレになるので言いませんが、この世界の歪みってのが「ただこういうのが絵的に面白いからやってみよー」っていう話ではなくて、何らかの、内面的歪みの反映としてあるわけです。外面的で目に見えるものが、目に見えないものの延長、連続として表現されているわけですね。これが映画というメディアが、自分の弱点である「目に見えないものを表現できるか」という問いに対して出した一つの答えであり、映画の表現主義と呼ばれるものです。
こういった表現主義(外面的で目に見えるものが、内面の不安感などの目に見えないものの延長、連続として表現される)を、アニメにもどんどん取り入れて欲しいと願いますね。そしてそれに今一番積極的な作り手が、新房昭之監督であると思います。
ただ僕個人として今回残念だったのは、メカクシティアクターズ第4話、後半の18分30秒からは、いかにも世俗的なキャッチーなメロディラインの歌が流れ始め、映像もそれに引っ張られる感じで表現主義的映像から通常の世俗的説明的映像に戻っていってしまうように感じられることですね。僕はもっと表現主義の映像を楽しみたかったので、歌よりも映像を重視した作りにして欲しかったなと感じました。
いつの日か、新房昭之監督に表現主義アニメ映像作家として、完全オリジナルかつ商業要素を抜きにした映像作品を自由に撮って欲しいなと感じますね…。
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