2014年01月08日 02:23
鬼頭莫宏さんが語る戦争への無関心とフィクション(ハリウッド映画や日本の漫画等)における名もなき人々の大量死への無関心。
先日の朝日新聞に掲載された漫画家の鬼頭莫宏さんの語る戦争論がとても興味深い、実感として僕も常々感じるものであったので、抜粋引用してご紹介致します。
僕は上記に物凄く同感です。特に日本のオタク文化において常々感じていて、物凄くもやもやしていたことを明確に言語化して頂いて、とても明晰で優れた文章と思いました。
『自分達が主役と思い込み、ハッピーエンドを追求するが、その過程で多くの他人が巻き込まれ不幸になっても「しょせんは脇役」と無関心になる。多くのハリウッド映画や日本の漫画にも共通する感覚です。』
これ本当にその通りで、特にオタク系のコンテンツにおいては、どれほど大量の虐殺が、主人公達の関与によって起きたとしても、まったくもってぜんぜん気にしないんことが多いんですよね…。そのたびに僕は見ていて、『え、え、え、お前らのせいでものすごく沢山の人々が死んでるよね!?!?なんでスルーしてるの!?!?どうなってるの!?!?』って気持ちに毎回なってて、すごくもやもやするんですね…。
この感覚がこれまで一番大きかったのは、大人気作品「Fate / stay night」の最終トゥルーシナリオである桜シナリオですね。ヒロインの桜によって街中の人々が大虐殺されたにも関わらず、物語においてそのことは完全スルー。プレイしていて、思わずポルナレフ状態になっていました。
『自分達が主役と思い込み、ハッピーエンドを追求するが、その過程で多くの他人が巻き込まれ不幸になっても「しょせんは脇役」と無関心になる。多くのハリウッド映画や日本の漫画にも共通する感覚です。』
というのは漫画やアニメなどを見ていると本当に凄く感じますね。それによって物語が凄く薄っぺらくみえてしまうこともたびたびです。
『自分が自らの人生の主役であるように、見知らぬ他人(自分と関わることのない人々)もその人の人生の主役』
ということは、現実においても、そして日本のオタクコンテンツにおいても、もっと意識されるべきことだと僕は思います…。
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2014年1月7日朝日新聞より
鬼頭莫宏「命のエゴが生んだ無人兵器」
現在、戦争の最大の抑止力は「敵味方問わず人命は尊い」という人道主義ではなく、「他国民の命に関心はないが、自国民の命を失うのは耐え難い」というエゴイズムです。(中略)
ならば、無人兵器やロボット兵器が発達し、自国民の犠牲なしに機械を使って戦争ができるようになったらどうなるのか。近未来を舞台にした「ぼくらの」という作品では、無人兵器による戦闘を禁ずる「天津条約」という国際協定を描きました。「戦争を起こすには、自国民を死の危険にさらす必要がある」という制約を設けないと、戦争のハードルが下がりすぎると考えたからです。「ぼくらの」の連載を始めたのは10年前ですがその後、現実世界では予想を超える早さで無人兵器が発達しました。(中略)
(現実世界においては)国際条約で無人兵器を実際に制限できるのか、疑問です。戦争とさえ呼べない、(無人兵器を使って人々を殺傷する)いびつな形での殺戮が広がるのではないか。
問題の根にあるのは、自国民と他国民の生命を完全に分け隔てる思考法です。(中略)
自分が自らの人生の主役であるように、見知らぬ他人(自分と関わることのない人々)もその人の人生の主役。ならば、「自分の幸せのために他人の人権を侵さない」というのが最大のルールです。それぞれがそれを守れば、個人間の争いも戦争もなかなか起きないはずです。(中略)
古今東西の戦争は「人の幸せを踏みにじっても、今以上に自分達が幸せになりたい」という動機で始まる。(中略)
自分達が主役と思い込み、ハッピーエンドを追求するが、その過程で多くの他人が巻き込まれ不幸になっても「しょせんは脇役」と無関心になる。多くのハリウッド映画や日本の漫画にも共通する感覚です。
「日本人の自分が家族に注ぐのと同じぐらいの愛情を、他の国の人々も自分の家族に注いでる」「戦争で土地や財産を奪われたら、その人や家族はどうなるのか」というほんの少しの想像力が欠けていた。(中略)
僕は、どんな戦争も許されないと考えているわけでありません。食料が全然足りないなど極限的な状況では、残念ながら戦いが避けられそうにない場面も生じる。理想論ではすべての命は平等ですが、現実には、個々の人間にとって命の大切さには順番がある。身近な人と、見知らぬ他者。どうしてもどちらかを選ばなくてはならないのであれば、たいていの人は身近な人を選び、他人を殺すでしょう。それもエゴイズムですが、人が生きることの根底に身近な人を大切に思う気持ちがある以上、むやみに否定されるべきではない。
「ぼくらの」では、そういう状況下の人々の葛藤を描きました。だが、そんな時でも「殺す相手も主人公」ということを前提に考え抜き、ぎりぎりまで殺し合いの回避を模索するべきです。ほとんどの戦争は「我々と彼らの両方が生き延びることはどうしてもできない」という極限的な状況でもないし、理性的に考え抜いたわけでもない。思考を停止してしまうことで起きていると思います。
僕は上記に物凄く同感です。特に日本のオタク文化において常々感じていて、物凄くもやもやしていたことを明確に言語化して頂いて、とても明晰で優れた文章と思いました。
『自分達が主役と思い込み、ハッピーエンドを追求するが、その過程で多くの他人が巻き込まれ不幸になっても「しょせんは脇役」と無関心になる。多くのハリウッド映画や日本の漫画にも共通する感覚です。』
これ本当にその通りで、特にオタク系のコンテンツにおいては、どれほど大量の虐殺が、主人公達の関与によって起きたとしても、まったくもってぜんぜん気にしないんことが多いんですよね…。そのたびに僕は見ていて、『え、え、え、お前らのせいでものすごく沢山の人々が死んでるよね!?!?なんでスルーしてるの!?!?どうなってるの!?!?』って気持ちに毎回なってて、すごくもやもやするんですね…。
この感覚がこれまで一番大きかったのは、大人気作品「Fate / stay night」の最終トゥルーシナリオである桜シナリオですね。ヒロインの桜によって街中の人々が大虐殺されたにも関わらず、物語においてそのことは完全スルー。プレイしていて、思わずポルナレフ状態になっていました。
桜シナリオをプレイする前に 言っておくッ!
おれは今 やつのシナリオを ラストまで 体験した
い…いや… 体験したというよりは まったく理解を 超えていたのだが……
あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
「魔人化した桜が 街中の人間を大量虐殺していたが
魔人から人間に戻った後 虐殺事件については完全スルー」
な… 何を言っているのか わからねーと思うが
おれも 何をされたのか わからなかった…
頭がどうにかなりそうだった… ガンダムAGEだとかチャージマン研だとか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を 味わったぜ…
『自分達が主役と思い込み、ハッピーエンドを追求するが、その過程で多くの他人が巻き込まれ不幸になっても「しょせんは脇役」と無関心になる。多くのハリウッド映画や日本の漫画にも共通する感覚です。』
というのは漫画やアニメなどを見ていると本当に凄く感じますね。それによって物語が凄く薄っぺらくみえてしまうこともたびたびです。
『自分が自らの人生の主役であるように、見知らぬ他人(自分と関わることのない人々)もその人の人生の主役』
ということは、現実においても、そして日本のオタクコンテンツにおいても、もっと意識されるべきことだと僕は思います…。
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