2012年10月24日 19:16

劇場版魔法少女まどか☆マギカ「前編始まりの物語」「後編永遠の物語」視聴。後編で涙腺が崩壊した…。最高に良かったですね…。善き宗教説話です。

魔法少女まどか☆マギカ作品一覧

劇場版魔法少女まどか☆マギカ「前編始まりの物語」「後編永遠の物語」を映画館にて視聴してきました。最高に良かったですね…。

僕は涙腺が弱いので、劇場版ということできっと泣かせに来るが泣かないぞという気持ちもあって見に行きまして、前編はほむらがまどかに思いのたけを打ち明けるシーンでぐっと来ましたが、泣かなかったので、平気かなと思ったら、後編で涙腺が決壊しました(^^;

やはり、劇場版は良いですね…。本作はTV版まどか☆マギカを新作映像を加えながら再構成したものですが、30分ごとの細切れになっているTV版と違い、映画という形態の構成の上で、とても綺麗に全体が流れるように再構成された、綿密に練られた怒涛の展開で、前編が全編感情の溜めなんで、後編のカタルシスが物凄くて感情がぐーっときます…。

特に、まどかがまど神様になって全ての魔法少女を救済するシーンからは、もう涙腺崩壊して、涙で画面が見えない状態でした…。

見ていて思ったのですが、本作は本当にキリスト教的ですね…。ジャパニメーション的な新しい聖書みたいな感じを受けました。信仰者のあり方としても、まど神様以降のほむらは、カルヴァン信徒的な、まど神様予定説信徒としての神に忠実な生を送っていることが描かれていますね。まど神様は、無条件にあらゆる魔法少女をその生の最後において救済するわけで、全ての魔法少女はまど神様に選ばれた存在といえる訳ですね…。

ウィキペディア「予定説」
予定説とは、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済に与る者と、滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。(中略)

予定説に従えば、その人が神の救済に与れるかどうかは、予め決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。例えば、教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできない、ということである。これは、条件的救いに対し、無条件救いと呼ばれる。神は条件ではなく、無条件に人を選ばれる。神の一方的な恩寵である。

予定説の場合、予め予定された最終的な絶対の救済が約束されているわけで、予定説の中の選ばれるものとして、神に忠実な生を送っている信徒さん達には凄く安心感のある信仰なんだろうなと感じますが、信仰者となったほむらにもそれを感じましたね…。既に神に選ばれていて、常に神と共に神に忠実にあるわけですから…。

映画版前編・後編通して見て感じたことは、神の絶対的な無限の愛から生まれる絶対的な恩寵を前提とした、とても美しく綺麗な宗教説話の形に纏まっているということですね。本作劇場版にけれん味とかグロテスクとか求めると梯子を外されると思いますが、人々を愛し救う神を中心とした美しい宗教説話を映画で見たいというお方々には、とてもお勧めできる作品になっていると思いましたね。

やはり、自分のことしか考えない特殊な人は例外として、世の中の大多数の人々は、より善く生きたい、他者の幸せの為に、社会の幸せの為に、正しく生きてみたいという思いがあるわけで、まど神様は、そういった人々(作品内の少女達)の利他的な思い(思いやり、他者への優しさ)を神の無限の愛と恩寵を持って絶対的に肯定してくれる絶対善の神様ですから、僕はこれは宗教説話の物語として、とても善い形だと思いますね。見ていて、本当、見ている自分がいつのまにか魂がconversionという感じですからね…。

回心
回心(かいしん、英: conversion)は、神に背いている自らの罪を認め、神に立ち返る個人的な信仰体験のことを指す。(中略)

正教会において、回心は神成の始まりであり、死にいたるまで続く新生の涙の感動であると捉えられる。回心は恩寵への入り口として通過されるべき一つの段階ではなく、絶えず続く状態(神との一致)を渇望する者の恒常的態度であり、洗礼後に神から与えられる「第二の誕生」である。

回心は、高慢や無知から自身を「恩恵の状態にある」と考える、新約聖書に登場するファリサイ派の心の状態とは全く逆のものである。

「回心は - 救いを願う罪人にも義人にも - 常にすべての人々にふさわしいものです。完全になることに限りはないのです。だから最も完全な人々の完全さも、一つの不完全さにすぎません。そういうわけで、死の瞬間にいたるまで、回心はその堅牢さと結実において完成されることなどないのです。」とシリアのイサアクは述べている。

「回心とは人間性に反するものから人間性に固有なものへ、デーモンのとりこから神へと立ち返ることです。それは努力と骨折りによって実現されます。」とダマスコのイオアンは述べている。

新共同訳新約聖書 ルカによる福音書

善いサマリア人

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」

イエスが「律法には何と書いてあるか。」と言われると、彼は答えた。

「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」

イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば正しい命が得られる。」

しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、私の隣人とはだれですか。」と言った。

イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。

ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

同じようにレビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。

『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』

さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」

律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」

そこで、イエスは言われた。

「行って、あなたも同じようにしなさい。」

劇場版魔法少女まどか☆マギカ「前編始まりの物語」「後編永遠の物語」、とても良い宗教説話映画だと思います。他者の為に行為を為すことができる利他的な善き魂が神の愛によって救われる絶対善の神の恩寵を描いた善き宗教映画です。ぜひ、先入見を持たずに、多くの方々に虚心坦懐に見て頂きたい映画ですね…。

魔法少女まどか☆マギカ作品一覧
小型聖書 - 新共同訳



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