2011年11月19日 12:35

このライトノベルがすごい!2012協力者問題。SF「その道は10年前に俺達が通った道だ!!」批評家によりジャンルが馴れ合いマニアック化して荒廃する問題について。

このライトノベルがすごい! 2012
SF本の雑誌 (別冊本の雑誌 15)

このライトノベルがすごい!2012』への批判に対するライトノベルクラスタの反応
http://togetter.com/li/215744
【『このライトノベルがすごい!2012』への批判とは?】

『このラノ』は、「(最も多くの人が参加する)ホームページからの投票」「(評論家やブロガーを中心とした)協力者による投票」「(12〜18歳の)モニターによる投票」を集計して、「傾斜」をかけて、最終的な順位を決めています。

今回はその「傾斜」がかかりすぎていて、協力者の票が過度にランキングに反映されてしまっている、そのような集計方法はおかしいのではないか、あるいは協力者が選ぶ作品は偏りすぎていないか、というのが主だった批判の内容です。

なんというデジャブ溢れる話題…(^^; これって昔からあらゆるジャンルで繰り広げられている論争(一般読者と異なった読み方を行うプロ批評家・セミプロ批評家によってジャンルがマニアック化して荒廃する!!うんたらかんたら問題)ですよね…。 「SF本の雑誌」に収録されているSFクズ論争(1997年にSF評論家高橋良平氏が「ここ10年のSFは全部クズ」と言ったことから、大森望氏、山岸真氏、鏡明氏など当時のSF文壇の大御所を巻き込んで盛り上がったSF論争。しかしこの論争があっても何も変わらなかった…)から抜粋引用いたします。本論争はSFの色んな歴史的論争を載せてある「別冊本の雑誌15 SF本の雑誌」に掲載(再掲載)されております。

「別冊本の雑誌15 SF本の雑誌」再掲載分より、1997年3月号「本の雑誌」掲載の高橋良平・鏡明対談

――高橋良平さんにインタビューしたときに、良平さんの口から「この十年のSFは全部クズだ」というショッキングなフレーズが飛び出してきたんです。その瞬間に、この特集を思いついたんですが、まずその言葉の真意からお話頂けますか。

高橋良平(以下高橋)
「この十年」という方が問題なんで、SFがクズだという意味ではない」

鏡明(以下鏡)
「だらしねえじゃん(笑)」

高橋
「いや、そうじゃなくて、総論的に言えば、面白いものが出ていないことはたしかだろうと思います」(中略)


「(イギリスのマニアSFについて紹介した高橋に)あえてラジカルなことを聞くんだけど、そいつら(大衆向けスペオペ路線とは一線を画しているイギリスのSFマニア達)が面白いと思って書いているもの(面白いと評価しているもの)って本当に面白いのか」

高橋
「彼らは謙虚だね。自分達の作品は不出来かも知れないが、(大衆向けスペオペ路線の)アメリカSFよりマシだと思っている」


「もしかすると、SFをつまらなくしているのはそこなのかも知れないんだよね。つまり、SFのフリークというかさ、カルト的に面白いと思っているものが、世の中一般からするとあまり面白くない、あるいは難しくてよくわからない。そこのところが本当は問題なのかもしれない」

高橋
「確かにその問題はある」(中略)

高橋
「この十年がつまらないのは、小説好きな読者に向かって『SFってこんなに面白いんだ』って書かれた小説がすごく少ないからなんだ。「ほら、分かってるでしょ」って(SF批評家向けに)内輪向けに書かれた部分が多いと思う。『パラサイト・イヴ』の文庫版解説を書いた篠田櫛子も、SFが凄く狭いジャンルに見えているんだよね。

作家も読者も、SFに関係する人たちが自分達のアイデンティティを求めるときに、どんどん深みにはまってマニア化してしまい、一般読者と関係ないことをやりはじめた部分があるんじゃないかな」


「ひとつには批評家の問題がある。まず、本当にその人たちが(SF作品の質を判定する)機能したのかという問題。日本SFの歴史って、作家が一番偉くて、批評家はその太鼓もちで、批判は許さないという不幸な状況がもしかしてあったりしたんだけどさ。この現状の中で「このSFは面白いよ」と言い張る人たちの量の少なさってちょっとすごいよな。その意味で、SFがダメだというのがその通りだとすれば、その責任は批評家にあるのかもしれない」

高橋
「それは言えるか」


「高橋良平がいけない(笑)」(中略)

高橋
「問題は、SF業界と言われる中に面白い作品(一般読者に訴求する作品)が出てこないことなんですよ。それは、何度も例に出すようだけど、パラサイト・イヴの解説で篠田櫛子さんが書いているように、SFが(SF批評家とSFマニアに支配されており一般読者を排除する)堅苦しいジャンル(マニアックなジャンル)だというのがあるんじゃないですか」(中略)


「(ダメな作品ははっきりダメと批評家が言わなくてはならないのかと聞かれて)これは文章にしていいんだけど、つまりこれで物議をかもすならそれはそれで俺はかまわないと思っているからさ。そこでまた日和りはじめちゃう(どんなSFでも批評家がおべんちゃらを使って褒める)と事態はまったくかわらなくて、ようするに変な意味での集団マスターベーションって気持ち悪いけどさ、(SF批評家とSF作家と出版業界の)馴れ合い状態になっちまう。本当は、こいつら(高く評価できるSF作品)以外はみんなクズだって言ってやった方がいいんだよね」(中略)


「俺が最初にSFを感じたきっかけってさ。SFはカッコよかったんだよ。で、それがある時期からカッコ悪くなったのは、ラジカルであったり、前向きの部分を失ったからだと思う。だからそれがないものを(SF批評家が)クズと言ってもかまわないと思う」(中略)

――高橋さん、最後を締めてください。

高橋
「繰り返しになるけど、SFの出版状況についての悲観論や否定論があるとすれば、SF業界の自業自得な訳だ。だから、この十年のSFは全部クズだって言ってしまえばすっきりする。ともかく、SFの批評がクズSFやまがいもの、そこそこの作品を(出版社や作家との馴れ合いのために)「まっ、いいか」なんて認めていたんじゃ、どうしようもない。なぜそうなるかというと、評価に対する自信や確信がないからだと思う。大家だろうと新人だろうと、作品本位で批評して、これがSFだと言い切る自信ね。自戒を込めてなんだけど、それこそラジカルな批評が必要なんだ」

大森望さん山岸真さんらSF大御所がみんな各自バラバラに発言してたのでやけに分かりにくいこの論争をまとめると、

『SF批評家は、作家・出版社と馴れ合いの関係にあるため、各SF作品の批評が非常に不透明なもの、一般読者の感覚とはかけ離れたものになりがちであり、その上、出版界を通じた影響力が大きいため、ジャンルをマニアックで閉鎖的な方向にミスリードしがちである』

『マニアックなSF読者は、一般読者とはかけ離れた読みをするため、これまたジャンルをマニアックで閉鎖的な方向にミスリードしがちである。ただ、批評家に比べると、作家や出版業界との馴れ合いがないため公正性は確保されており、批評家に比べると影響力も小さい』

『SF批評家・SFマニア読者によって、SFジャンルがマニアック化して一般読者の希求するものとはかけ離れたものとなり、ジャンルが閉塞して荒廃する』

『SF批評家・SFマニアは公正で開かれた批評をするべき。特にSF批評家が率先してそれを行うべき』


というような論争だったのですが…

この論争の後も日本SF業界は何一つ変わりませんでした!!

ということで結論としては、ジャンルが大きくなれば利益を求めてそこに寄生する批評家(打算に基づいて駄作を褒める批評家)や特殊な読みをするマニア達は必ず現れるし、ジャンルに対する影響力に大きい彼らをどうこうすることは誰にもできないので、ジャンルがマニア化して閉鎖的になっていく傾向については、何もかも、諦めるしかないということなのですね…。例えば、ラノベ関係のライターをしている大手ライトノベルサイト運営者が(だれか特有の人のことではなく、あくまで例えです)、ラノベ作家との馴れ合いやアフィリエイトでラノベを売るために、どうしようもない駄作のラノベを褒め称えたり、出版される本(このラノのようなラノベ関係の本)に影響力を行使してそのラノベをプッシュしたとしても、それに対抗する手段は誰にも何もありませんから…。諸行無常って感じですね…。

ラノベ「批評家・マニアによりジャンルがマニアック化して荒廃する!!」

SF「その道は10年前に俺達が通った道だ!!」

ミステリ「その道は50年前に俺達が(以下略)」

純文学「その道は100年前に(以下略)」

古典「その道は1000年前に(以下略)」

神話「その道は5000年前に(以下略)」

絵画「その道は12000年前に(以下略)」

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。


このライトノベルがすごい! 2012
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