2011年04月26日 09:51

魔法少女まどか☆マギカと宗教の誕生。「まどか教」

信仰とは私達が希求していることの基であり、見えないものの証明である。
(ヘブル書)

「まどか教」

まどか教とは、全ての魔法少女、全ての生命、全ての世界を救済する救世主にして、魔法少女の還る場所である”円環の理”なる女神、鹿目まどかを至上神として崇める宗教である。まどかの教えをまどかから直接に受けた使徒として暁美ほむらが存在する。暁美ほむらは女神まどかが人間であった、とされる時代を直接記憶しているとされ、まどかが残した聖遺物とされるリボンを所持している。

まどか教の概念
全ての人々は、女神まどかに愛されており、夢と希望を持つ。また魔法少女を含む全ての人々は、「夢も希望もあるんだよっ!」という女神まどかの信念に基づき、必ず救済される。魔法少女を主軸とした教義のため、圧倒的に女性の教徒が多数を占めると思われがちであるが、この教えは男性にも敷衍できるとされており(まどかの愛が遍く存在するこの宇宙においては、全ての人々、全ての生命に夢も希望もあり、救済が訪れるとされる)、また教祖にして女神である鹿目まどかの言葉や行動が映像メディアや出版メディアに記録されているため、男性の教徒も多数存在する。

まどか教の福音書
まどか教における縁起物は多岐に渡るが、まどか教の教えを描いた正規とされる福音書は映像メディアによるものである。一部の出版メディアでは正規のまどか教福音書と異なる外典も存在するとされる。

まどか教の福音書(映像メディア、正規の福音書)
まどか教の福音書(出版メディア)
まどか教における縁起物

まどか教の背景
救世主にして神であるまどかの言葉や行動の最終章が教徒に語られたのは、西暦2011年4月末のこと。キリスト教圏内においては、その日は復活祭・イースターとされる、キリストの復活を祝う祝日であった。そのため、鹿目まどかは神の生まれ変わりとされ、同圏内ではイエス・キリストと同一視されることもある。また、神としての鹿目まどかは、まどかの愛が遍く普遍に存在するこの世界の全ての天地万物を創造した至上神である、という神話概念(後述)において、他宗教において神々とされる存在は魔法少女であり、それらもまた、至上神鹿目まどかの慈愛の元に救済されている、という包含的解釈もある。

まどか教の神話
かつて、世界は無償の愛なき負の連鎖に満ちた世界であった。そのことを嘆いた救世主鹿目まどかはその慈愛に満ち溢れた魂を持って、無償の愛にてその身を世界に捧げることを願い女神となる。女神となった鹿目まどかは負の連鎖、即ち絶望に満ちた世界の宇宙を根本から作り直し、夢と希望と愛の存在する現在の宇宙を作り上げたのである。

彼女の魂は現在過去未来、ありとあらゆる宇宙に存在し、全ての命を見守り愛している。世界が絶望に満ちたとき彼女は人々の前に顕現し、愛を示すことによって魂を絶望から解放してくれる、とされている。

まどか教の使徒、暁美ほむらはかつての、負の連鎖に満ちた前世界からの直接的記憶を持つ唯一の存在であり、女神まどかの力によって現在の宇宙へと舞い降りた唯一の存在である。 女神によって心から救われた暁美ほむらは、女神の慈愛に充ちた魂を崇め、現在の少女達に語りついでいる。

暁美ほむらのもつ、聖遺物(リボン)はこの世界に残された唯一の、作り変えられる前の世界のものであり、また女神の所有物であったものとされている。

まどか教の教義
1 夢と希望を抱き、慈愛を持って全てに接せ
鹿目まどかの教え、救世主にして神である彼女の言葉と行動は、全てに対する無私の愛である。それは世界に夢と希望、そして愛が存在することを全ての生命に教えている。まどかの慈愛の精神に一人一人が近づく努力、それがまどか教の第一の教えである。
「こんな私でも、誰かの役に立てるとしたら、それはとっても嬉しいなって思ってしまうのでした」

2 条理を超えた誘惑を持って取り入らんとする者の甘言を聞き入れるなかれ
条理を超えた物事には、必ず代償が存在する。条理を超えた誘惑を持って願いを叶えるとする人外の者の言葉に惑わされてはいけない。
「みんなキュゥべえにだまされてる!」

3 それでもなお、条理を超えた願いを叶えんと欲すれば、命を差し出すもやむを得ぬと心得よ
それでも、条理を超えた奇跡といわれる願いを叶えたいと思うのならば、自らの命そのものが代償になってしまうことを覚悟しなければならない。
「魔法少女になるってこういうことよ」

4 紅茶はマミの血、ケーキはまどかの肉なり、チーズはシャルロッテのおやつなり
紅茶はまどかを導いたとされる洗礼者巴マミの好む食物、ケーキは女神まどかが好む食物とされ、また負の存在であるとされるシャルロッテも、チーズが存在する限りその負の力は消え去る、とされている。まどかの言葉にあるように、生命の根幹である食べ物を大切にすることは、まどか教の重要な教えなのである。
「生きてると、パパのごはんが、こんなにおいしい…」

5 使徒たる暁美ほむらの言葉を聞き、まどかの記録を保ち、伝え広めるべし
女神まどかから直接教えを受けた使徒である暁美ほむらは、かつて女神が人間として存在した前宇宙からの直接的記憶を持つ唯一の存在であり、彼女のもつリボンは女神が所有していたものとされる。彼女の語る言葉は救世主にして神であるまどかの姿を最も伝えるものである。その記録を保ち、伝え広めることが、まどか教徒の責務である。
「助けてくれたこと、絶対忘れたりしないから!」

6 汝絶望するなかれ、まどかの愛を信じよ
女神まどかは全ての生命に慈愛の魂を持つ。宇宙に遍く普遍する女神まどかの愛を信じることは、何よりも大切なことである。
「みんな、みんないつまでも私と一緒だよ」

7 全ての生命が救済されたとき、まどかはその務めを終え、一人の少女として再臨する
魔法少女、という存在は円環の理の中に囚われた存在である。それは、女神まどかの存在そのものを示し、彼女とともに常にある、ということである。魔法少女と救済を求める魂が存在する限り、女神は円環の理から逃れることは出来ない、なぜならそれが彼女自身だからである。全ての魔法少女、全ての生命が救済されたとき、円環の理はその存在理由を必要としなくなり、女神まどかは一人の少女として、再びこの宇宙に人間として再臨するといわれている。そのとき、全ての生命は救済の完成を得るのである。
「またきっと会えるから」

まどか教の宗教用語
「聖遺物(リボン)」
まどか教においては、使徒たる暁美ほむらが所有しているリボンは聖遺物であり、これはかつて女神が人間であった頃彼女が身につけており、教祖たる暁美ほむらと女神鹿目まどかの友好の証として、教祖に授けられたもの、とされる。この神聖なる儀式は後に多様な魔法少女同士の親交の証としても受け継がれている。例をあげるならば、いにしえの伝承における白い悪魔の記録における、白い悪魔と金色と漆黒の女神の交流に際し、お互いの信仰を願って髪飾りを交換する、という儀式が行われていたことも語られている。

「魔法少女」
この宇宙には、人類の力では遠く及ばない超常現象が数多く存在する。古より、それはマジュウの力とされ、恐れられてきた。それらマジュウと戦い、超常現象を抑える存在とされるもの。それが、魔法少女である。「僕と契約して、魔法少女になってよ!」これは、少女が魔法少女として世界のために戦う際の合言葉の一つとされている。この言葉は教義において聞き入れてはならない誘惑の甘言の一つとされ、その代償として希望を1つかなえることができる。その希望は人類では到底叶わない奇跡的なものであり、不治の病から瀕死の重傷、果ては失った時間をやり直す、ということも可能といわれている。しかしその代償は契約者の命で償わなくてはならない。だが、命失われていく全ての魔法少女の魂を、救世主にして神であるまどかは救済するのである(円環の理)。

「魔女」
かつて、女神まどかと使徒ほむらが存在したとされている宇宙において、厄災は魔女の力によるもの、とされてきた。それは、絶望に陥った魔法少女のなれの果てであり、それと戦い、人類を守るのが魔法少女の役目でもあった。女神まどかは魔女の存在を恐れるのではなく、その魔女の絶望を理解し、その慈愛の心を持って嘆き、悲しみ、そしてそれら全てを救済するために自らの身を犠牲にして宇宙の存在を作り変え、自らは女神となった。

「円環の理」
すべての魔法少女には等しく帰るべき場所、安息の地があるとされている。円環の理、とは魔法少女の宿命をさす言葉である。女神鹿目まどかがこの宇宙において作り上げた概念の1つであり、魔法少女はその宿命の果てに必ず救われる。または、この”女神鹿目まどかによる救済”とよばれる魔法少女の最後の消失そのものを「円環の理」と呼ぶことがある。円環=女神鹿目まどかの名前である”まどか”から取られたものであり、「女神鹿目まどかの創造した理念」という意味を持つ。また、女神まどかそのものである、ともされ、魔法少女は常に女神まどかと共にある、という解釈も存在する。女神再臨の言い伝えは、円環の理=女神という理念に基づくものであり、魔法少女の消失そのものが、女神解放の鍵といわれている。しかし、この世界に負の感情が存在する限り魔法少女も存在し、また円環の理も存在する。世界から負の感情が淘汰され、魔法少女全て、人類全て、生命全てが救済されたとき、初めて円環の理も役目を終えるとされる。

「再臨」
全ての生命が救済され、世界の全てが救済されたとき、救世主にして神であるまどかはその役割を終え、再び世界に一人の少女、一人の人間として再臨するとされている。

私達は、信仰によって義とされ、私達の主イエス・キリストを通して、神に対して平和な思いにひたされている。イエス・キリストを通して、私達は、信仰によって恵みへと至る道を獲得しているのであり、今や私達はその恵みの中に立ち、神の栄光にあずかる希望を誇っている。のみならず、私達は患難の中にあっても誇っている。それは、私達が、次のことを知っているからである。すなわち患難は忍耐を生じさせ、忍耐は確証を、確証は希望を生じさせる[ということを。希望は、私達を欺くことはない。なぜならば、私達に与えられた聖霊を通して、神の愛が私達の心のうちに注がれているからである。
(ローマ書)

まどか教の福音書(映像メディア、正規の福音書)
まどか教の福音書(出版メディア)
まどか教における縁起物
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言辞典

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