2011年01月18日 02:12
雛見沢研究メモさんのうみねこEP8解釈が素晴らしい。推理小説のメタ推理「作者の作風から推理する」うみねこ=笑ゥせぇるすまん。
笑ゥせぇるすまん (1) (中公文庫―コミック版)
肉食屋敷 (角川ホラー文庫)
雛見沢研究メモさんのEP8解釈を全て読了しました。僕にとって物凄く納得の行く解釈です。僕もクリアした後すぐに、『実は手品ENDでのみ縁寿に生き延びる可能性があって、魔法ENDでは縁寿は殺されてしまっているだろう』と思ったので。僕はここまで具体化しては考えなかったので(作者が全部投げっぱなしにしているので、考えても仕様のないことでもあった)、雛見沢研究メモさんがきちんと具体化して考えてくれて、喉に刺さった小骨が取れたのかのようなありがたさを感じましたね…。
僕が『魔法ENDで縁寿は死んでいる』と考えたのは、正統派ミステリーでは禁じ手のメタ的な推理(作者のこれまでの作風からの推理)からです。うみねこはEP8で全部投げっぱなしで真相を明かさずバーンと放り出した訳です。これによってこれまでの、そして今後のあらゆる地の文が信用できなくなった。そうすると地の文からの論理的な謎解きは諦めて、作者竜騎士07氏の作風から何が起こったのか推理するしかないと僕は考えました。
僕がこれまでにプレイしてきたひぐらし・うみねこのストーリーラインを考えると、作者竜騎士07氏の作風は『笑ゥせぇるすまん』的な、読者に対して、これまでの全てがひっくり返る悪意を突きつけるラストのどんでん返しを最大の特徴としていることです。彼の作品の最大の特徴=推理の手がかりは『竜騎士07氏は甘い展開の後に「喪黒福蔵的どーん!!」でひっくり返しの惨劇をしてくる』ということです。魔法エンドは明らかにどーんされるタイプの甘いエンディングの終わり方、つまり、これ自体が幻想、『どーんされる=真相を誤魔化すための偽書』であるのではないか、ではなぜこのような偽書を書くのか、それは縁寿が殺害されたという事実を殺人犯=偽書の書き手が誤魔化すためではないか。
上記くらいまではぼんやりと考えましたが、作者が投げっぱなししたことに余りに腹が立っていたので、それ以上考えるのをやめたんですね。いくら考えても、答えはうやむやですからね…。雛見沢研究メモさんが細かく解釈してくださって、本当に助かりました。喉に刺さっていた小骨が取れたようです。
まあ、僕に言えることは、竜騎士07氏は読者に対して、『常に読者を悪意によって裏切ってやろう』とする、凄く悪意のある作家さんであるし(読者に悪意があることは、作者として駄目ということとイコールではありません。読者に悪意がある傑作をものにしている作者さんも、筒井康隆さんとか三島由紀夫とかジャン・ジュネとか、普通にいます。ただし、今回のうみねこに関しては、読者への悪意が悪い方向で作用してひどく駄目駄目などうしようもない作品になっています)、今後推理する意欲のある人々は、その悪意も織り込んで推理しないと、真相に近づくなんてことは絶対に不可能ではないかということは言えると思います。僕はもういい加減見限ったので、推理はしませんが、見限ってない人々は、これまでの竜騎士07氏の作品の中でどのような展開が行われてきたか、メタ的な推理も考えに入れた方が良いと思います。少なくとも、あの魔法エンドを『竜騎士07さんの愛に満ちた素晴らしいハッピーエンド』などという捉え方をしたら、それは、無限に真実から遠いところにある幻想になってしまっているように思いますね…。
竜騎士07氏は善意が悪意にひっくり返るどんでん返しの展開が大好きですよね。『チェス盤をひっくり返せ』って作中でも言ってますし。ならば、決め台詞であり、魔法エンドをハッピーエンドとする根拠である『愛がないから見えない』をひっくり返すのも一つの方法だと思います。「ひぐらしのなく頃に」などのこれまでの竜騎士07作品の作風からメタ的に真相を推理するなら、『読者に作者である竜騎士07氏への愛(信頼)があるから真実=殺人犯の正体が見えない』の形こそが、竜騎士07氏がこれまで作品の中でずっと表わしてきた作風(読者の信頼を裏切ってあっといわせる作風)として大きな手がかりになりますからね…。この作品(うみねこ)をミステリとして読むときは作中殺人犯(魔女ベアトリーチェ)に同情して真相をうやむやにするような書き方にあまり惑わされない方が良いです。なぜなら、「うみねこのなく頃に」はその殺人犯の手による偽書の可能性が高いのですから…。
後、過去世界の事象(物事、実際に起こったこと)というのはちゃんと物理的に確定しています。過去の物事が確定していないというのは、単に嘘ですからね…。公式BBSでも批判されていますが、量子力学や確率論を殺人事件の犯人をぼやかすためのでたらめ(非科学的な文学的レトリック)として使うのはどうかと思いました…。
うみねこの身も蓋もないEP1-EP8の真実は、正体不明の大量殺人犯が完全犯罪で上手く逃げおおせた、もはや誰も犯人を裁けないという、少なくとも僕から見れば、決して許しがたい真実がただそこにあるだけでしょう…。しかもそれをまるで善(善の幻想)のように描いているのが許しがたく、だからこそ、投げっぱなしにされたことが、本当に腹が立ちます。ああ、うみねこ作中にいる探偵が、エリカとかいう探偵を悪役にするための存在ではなく、犠牲者を追悼する真を明かす、絶対的真の探求者である探偵達、ホームズやポアロやクイーンがいればなあと…。
魔王14歳さんは、僕が、うみねこがEP8で真相を明かさなかったことは批判していないと書いていますが、僕はうみねこが最後まで真相を明かさなかったことをずっと批判していますよ…。最後まで真相を明かさないということは、読者に対するアンフェア、そして最後まで死者の無念は晴らされないという作中でのアンフェア、アンフェアの極致です。そして、ミステリジャンルの中にアンフェアなミステリがあってもいいが、アンフェアなミステリは、アンフェアを補って代わりになるものを提示している。うみねこは、そのアンフェアの代わりとなるものも何も示されてない、ただ単にアンフェアなだけで終わった作品であるとずっと書いていますよ…。
そして、今のように、いくらメタ的に推理する文章を綴ったところで、うみねこは作者が投げっぱなしにした以上、真相の解明は不可能な形でもう何もかも終わっていて、疲労感とむなしさに襲われます…。もう誰も、うみねこの大量殺人犯、気の毒な犠牲者達を殺した殺人犯人を裁くことはできない…。悔しいです…。雛見沢研究メモさんの文章からは、この悔しさが伝わってきて、凄く共感しますね…。
『愛がないから見えない』の言葉の意味がやっと分かったような気がしてきました…。つまり、キャラクター(殺人の犠牲者達)に愛がない=真相を必要としない読者にとっては、『愛がないから見えない』終わり方はハッピーエンドになる…。でも、真相を解き明かそうとした読者、『愛があるから(殺人事件と犠牲者が)見える』読者にとっては、究極のバッドエンド…。ああ、本当に、これは、読者に「どーん」する笑ゥせぇるすまんです…。笑ゥせぇるすまんの終わり方は、幻想によって真実が破壊され、全てが破滅してゆく終わり方が多いですからね…。
最後に余談ですが、「うみねこのなく頃に」と同じ終わり方しているミステリがあります。これは非常に後味の悪い不気味なミステリなので、その分、うみねこに比べると正道というか、捻ってはいない直球ミステリですね。小林泰三「妻への三通の告白」です(短編集「肉食屋敷」収録)。うみねこをプレイしたプレイヤーさんは、読んでみるのも一興かと…。うみねこと同じこと(正しい真実よりも誤った幻想を自己の幸せの為という理由で選ぶ)を描きながら、全く違った読後感覚を受ける作品なので、うみねこ的思想(正しい真実より誤った幻想の方が重要という思想)に対する良い解毒剤小説でもあると思います…。
参考作品(amazon)
笑ゥせぇるすまん (1) (中公文庫―コミック版)
肉食屋敷 (角川ホラー文庫)
福田恆存評論集〈第16巻〉否定の精神
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肉食屋敷 (角川ホラー文庫)
雛見沢研究メモさんのEP8解釈を全て読了しました。僕にとって物凄く納得の行く解釈です。僕もクリアした後すぐに、『実は手品ENDでのみ縁寿に生き延びる可能性があって、魔法ENDでは縁寿は殺されてしまっているだろう』と思ったので。僕はここまで具体化しては考えなかったので(作者が全部投げっぱなしにしているので、考えても仕様のないことでもあった)、雛見沢研究メモさんがきちんと具体化して考えてくれて、喉に刺さった小骨が取れたのかのようなありがたさを感じましたね…。
【うみねこのなく頃にEP8プレイメモ:07】 手品と魔法 - 雛見沢研究メモ(仮)
http://irimadonna.blog63.fc2.com/blog-entry-774.html
「手品」ルートは、唯一縁寿が生き残る可能性のあるルートなんじゃないかと思ったりします。非常に厳しい展開になるでしょうけど、それでもまだマシかも。梨花でいうと、皆殺し編ぐらいの展開ですかね。今まででは一番頑張ったけど、それでもまだ足りない感じの。で結局1998年に縁寿は死ぬ。……というかね。「うみねこ」で「ひぐらし」みたいなループによる記憶継承で危機脱出なんて都合のいいことは、ねーんです。世界は一つで運命も一つ。決め付けることが重要。
そして「魔法」ルートでは、もっとアッサリ殺されるんじゃないかと思うんですよね。別に事故死や病死でも構わないんですけど、やっぱ殺人の方がネタとして面白いですし。例えば……「海の見える町」についた段階で、天草がやっちゃってもいいですし、幾子が轢いてもいいです。こっちもやっぱり1998年に縁寿は死ぬと。「魔法」ルートは「魔法」だけあって、その事件がウソで塗り固められているのを見せられているという感じです。
僕が『魔法ENDで縁寿は死んでいる』と考えたのは、正統派ミステリーでは禁じ手のメタ的な推理(作者のこれまでの作風からの推理)からです。うみねこはEP8で全部投げっぱなしで真相を明かさずバーンと放り出した訳です。これによってこれまでの、そして今後のあらゆる地の文が信用できなくなった。そうすると地の文からの論理的な謎解きは諦めて、作者竜騎士07氏の作風から何が起こったのか推理するしかないと僕は考えました。
僕がこれまでにプレイしてきたひぐらし・うみねこのストーリーラインを考えると、作者竜騎士07氏の作風は『笑ゥせぇるすまん』的な、読者に対して、これまでの全てがひっくり返る悪意を突きつけるラストのどんでん返しを最大の特徴としていることです。彼の作品の最大の特徴=推理の手がかりは『竜騎士07氏は甘い展開の後に「喪黒福蔵的どーん!!」でひっくり返しの惨劇をしてくる』ということです。魔法エンドは明らかにどーんされるタイプの甘いエンディングの終わり方、つまり、これ自体が幻想、『どーんされる=真相を誤魔化すための偽書』であるのではないか、ではなぜこのような偽書を書くのか、それは縁寿が殺害されたという事実を殺人犯=偽書の書き手が誤魔化すためではないか。
上記くらいまではぼんやりと考えましたが、作者が投げっぱなししたことに余りに腹が立っていたので、それ以上考えるのをやめたんですね。いくら考えても、答えはうやむやですからね…。雛見沢研究メモさんが細かく解釈してくださって、本当に助かりました。喉に刺さっていた小骨が取れたようです。
まあ、僕に言えることは、竜騎士07氏は読者に対して、『常に読者を悪意によって裏切ってやろう』とする、凄く悪意のある作家さんであるし(読者に悪意があることは、作者として駄目ということとイコールではありません。読者に悪意がある傑作をものにしている作者さんも、筒井康隆さんとか三島由紀夫とかジャン・ジュネとか、普通にいます。ただし、今回のうみねこに関しては、読者への悪意が悪い方向で作用してひどく駄目駄目などうしようもない作品になっています)、今後推理する意欲のある人々は、その悪意も織り込んで推理しないと、真相に近づくなんてことは絶対に不可能ではないかということは言えると思います。僕はもういい加減見限ったので、推理はしませんが、見限ってない人々は、これまでの竜騎士07氏の作品の中でどのような展開が行われてきたか、メタ的な推理も考えに入れた方が良いと思います。少なくとも、あの魔法エンドを『竜騎士07さんの愛に満ちた素晴らしいハッピーエンド』などという捉え方をしたら、それは、無限に真実から遠いところにある幻想になってしまっているように思いますね…。
竜騎士07氏は善意が悪意にひっくり返るどんでん返しの展開が大好きですよね。『チェス盤をひっくり返せ』って作中でも言ってますし。ならば、決め台詞であり、魔法エンドをハッピーエンドとする根拠である『愛がないから見えない』をひっくり返すのも一つの方法だと思います。「ひぐらしのなく頃に」などのこれまでの竜騎士07作品の作風からメタ的に真相を推理するなら、『読者に作者である竜騎士07氏への愛(信頼)があるから真実=殺人犯の正体が見えない』の形こそが、竜騎士07氏がこれまで作品の中でずっと表わしてきた作風(読者の信頼を裏切ってあっといわせる作風)として大きな手がかりになりますからね…。この作品(うみねこ)をミステリとして読むときは作中殺人犯(魔女ベアトリーチェ)に同情して真相をうやむやにするような書き方にあまり惑わされない方が良いです。なぜなら、「うみねこのなく頃に」はその殺人犯の手による偽書の可能性が高いのですから…。
後、過去世界の事象(物事、実際に起こったこと)というのはちゃんと物理的に確定しています。過去の物事が確定していないというのは、単に嘘ですからね…。公式BBSでも批判されていますが、量子力学や確率論を殺人事件の犯人をぼやかすためのでたらめ(非科学的な文学的レトリック)として使うのはどうかと思いました…。
http://naderika.com/Cgi/umi_log_cbbs/umi_logcbbs.cgi?mode=red2&namber=44268,59149&no=5
うみねこのなく頃に」の中では「シュレディンガーの猫箱」の引用をしていますが、これは非常に誤解を受ける喩えだと私は考えています。このパラドクスはよく量子のいわゆる「重ね合わせ」の状態から観察時における「波動関数の収束」と呼ばれるものが起こる矛盾について分かりやすく説明するために用いられていますが、だからといって「うみねこのなく頃に」の中で用いられているように「観察されるまでは中身が決定されていない(不確定の状態)→観察されると何があったかはっきりする、たくさんの可能性の詰まった箱」ということを意味しているわけではありません。(中略)うみねこの世界で言うならば、
・もし1986年10月より前の世界から語っているならば、未来は一意に予想できないという点でありかもしれない(それなら事件の2日を猫箱として限定する必要はないけれど)
・事件の起こった未来の世界から語っているなら、過去に起こった事象はひとつであるため、この比喩は不適切である(ついでにいうならば過去の事象が未来の事実で書き換えられるというのに対しても不適切な比喩)
http://rena07.com/Cgi/umi_cbbs/umicbbs.cgi?mode=red2&namber=59149&no=0
確率というのは、その試行1回限りの値だからだ。
①赤い箱と青い箱と緑の箱から1つ選ぶ
②赤い箱と青い箱から1つ選ぶ
の2つを連続に行うか、別々に行うかで結果が変わってくる。別々に行なった場合(それぞれは試行が異なると見なされる)には、それぞれの当たりが出る確率は①1/3、②1/2で、②の段階でどちらを選んでも確率は1/2になる。
しかし、もし①と②を連続で行う場合(=試行は2つまとめて1回)、同じ箱を選択することは、箱の中身を2個確かめるチャンスがあるのに、1つの箱しか選ばないことと一緒になる。(=つまり当たりの確率は1/3)
②の前に、緑の箱がハズレだということを知って変更するのは、
①の段階で緑の箱と赤の箱の2つを選んだのと同じ(=つまり確率2/3)ということになる。
この問題で竜騎士07さんが魔法のようだと(間違って)言っているのは、「2つ続けて一個の試行」を、上記の「別々の試行」のように表現する、ただの言葉のレトリックです。)(中略)
「シュレーディンガーの猫箱」の話だったり、( No.44268,44341「理御のいる世界の存在確率」の話だったり、今回の確率の問題などから考えると、竜騎士07さんの数学的知識は言葉だけの、ひどく皮相的なものだなぁと思わされます。
もちろんうみねこは文学作品なので、「数学的用語」が、文学的なレトリックとして用いられることもあるでしょう。しかし、上記の場合は、純粋に「数学の表現として」確率を扱っている。
誤字ならかわいいものですが、竜騎士07さんぐらいの作家さんになると、多くの人が読んで影響を受けるので、できればこういう「間違った」、あるいは「ひどく誤解を受ける」描写をするのはやめて欲しいと願います。
うみねこの身も蓋もないEP1-EP8の真実は、正体不明の大量殺人犯が完全犯罪で上手く逃げおおせた、もはや誰も犯人を裁けないという、少なくとも僕から見れば、決して許しがたい真実がただそこにあるだけでしょう…。しかもそれをまるで善(善の幻想)のように描いているのが許しがたく、だからこそ、投げっぱなしにされたことが、本当に腹が立ちます。ああ、うみねこ作中にいる探偵が、エリカとかいう探偵を悪役にするための存在ではなく、犠牲者を追悼する真を明かす、絶対的真の探求者である探偵達、ホームズやポアロやクイーンがいればなあと…。
魔王14歳さんは、僕が、うみねこがEP8で真相を明かさなかったことは批判していないと書いていますが、僕はうみねこが最後まで真相を明かさなかったことをずっと批判していますよ…。最後まで真相を明かさないということは、読者に対するアンフェア、そして最後まで死者の無念は晴らされないという作中でのアンフェア、アンフェアの極致です。そして、ミステリジャンルの中にアンフェアなミステリがあってもいいが、アンフェアなミステリは、アンフェアを補って代わりになるものを提示している。うみねこは、そのアンフェアの代わりとなるものも何も示されてない、ただ単にアンフェアなだけで終わった作品であるとずっと書いていますよ…。
そして、今のように、いくらメタ的に推理する文章を綴ったところで、うみねこは作者が投げっぱなしにした以上、真相の解明は不可能な形でもう何もかも終わっていて、疲労感とむなしさに襲われます…。もう誰も、うみねこの大量殺人犯、気の毒な犠牲者達を殺した殺人犯人を裁くことはできない…。悔しいです…。雛見沢研究メモさんの文章からは、この悔しさが伝わってきて、凄く共感しますね…。
『愛がないから見えない』の言葉の意味がやっと分かったような気がしてきました…。つまり、キャラクター(殺人の犠牲者達)に愛がない=真相を必要としない読者にとっては、『愛がないから見えない』終わり方はハッピーエンドになる…。でも、真相を解き明かそうとした読者、『愛があるから(殺人事件と犠牲者が)見える』読者にとっては、究極のバッドエンド…。ああ、本当に、これは、読者に「どーん」する笑ゥせぇるすまんです…。笑ゥせぇるすまんの終わり方は、幻想によって真実が破壊され、全てが破滅してゆく終わり方が多いですからね…。
最後に余談ですが、「うみねこのなく頃に」と同じ終わり方しているミステリがあります。これは非常に後味の悪い不気味なミステリなので、その分、うみねこに比べると正道というか、捻ってはいない直球ミステリですね。小林泰三「妻への三通の告白」です(短編集「肉食屋敷」収録)。うみねこをプレイしたプレイヤーさんは、読んでみるのも一興かと…。うみねこと同じこと(正しい真実よりも誤った幻想を自己の幸せの為という理由で選ぶ)を描きながら、全く違った読後感覚を受ける作品なので、うみねこ的思想(正しい真実より誤った幻想の方が重要という思想)に対する良い解毒剤小説でもあると思います…。
幸福か不幸かは、その人を取り巻く状況が決定するのではない。幸不幸を決めるのはその人の思いなしだ。幸せをつかむためには現実を直視してはいけない。
(小林泰三「妻への三通の告白」「肉食屋敷」より)
(現実に置かれた状況を認識せずに)現実の幸福に到達しようとする思想は、なにかひどい錯覚を犯しているか、さもなければ恐るべき虚無的な危険思想である。
(福田恒存「否定の精神」)
物語がいかに魔法を持ち上げようと、あるいはニンゲンを貶めようと、やることは最初から最後まで別に変わりません。壊せそうな幻想のホコロビが見えてればとりあえず壊す。そんだけの話っす。
(雛見沢研究メモ)
参考作品(amazon)
笑ゥせぇるすまん (1) (中公文庫―コミック版)
肉食屋敷 (角川ホラー文庫)
福田恆存評論集〈第16巻〉否定の精神
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