2011年01月05日 11:52

ぐるぐるCAT「4Fやすら科病棟」プレイ中。これは凄い…。物凄くエッジなフリーゲームの傑作です。衝撃を受けてます。

日本文化私観 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
完全な人間を目指さなくてもよい理由

僕の大好きなフリーゲーム作品「点滴ファイター」、「ファニーとしあわせ仲間」を製作されたぐるぐるCATさんの新作フリーゲーム「4Fやすら科病棟」をプレイ中。まだ完全クリアしていない状態で、完全クリアしてから感想を書こうと思っていたのですが、「ノーマルエンド」「バッドエンド」「ヤクソクエンド」「マボロシエンド」「ヒカリエンド」クリアしていくつかのエンドに物凄い衝撃を受けたので、中途ですが現在の感想を書かせて頂きますね。

ぐるぐるCATさん(ダウンロードできます)
http://grgr-cat.velvet.jp/

プレイの感想として、ただ一言、『これは凄い…』としか言いようがありません。数年前、点滴ファイターについて文章を書いたとき(http://blog.livedoor.jp/kakologdesu/archives/26139.html)、坂口安吾「文学のふるさと」を引用しましたが、改めてそれを思い出しました。物凄い衝撃です。文学のふるさとの芥川の気持ちになるような衝撃です…。

晩年の芥川龍之介の話ですが、時々芥川の家へやってくる農民作家――この人は自身が本当の水呑百姓の生活をしている人なのですが、あるとき原稿を持ってきました。芥川が読んでみると、ある百姓が子供をもうけましたが、貧乏で、もし育てれば、親子共倒れの状態になるばかりなので、むしろ育たないことが皆のためにも自分のためにも幸福であろうという考えで、生れた子供を殺して、石油罐だかに入れて埋めてしまうという話が書いてありました。

芥川は話があまり暗くて、やりきれない気持になったのですが、彼の現実の生活からは割りだしてみようのない話ですし、いったい、こんな事が本当にあるのかね、と訊ねたのです。

すると、農民作家は、ぶっきらぼうに、それは俺がしたのだがね、と言い、芥川があまりの事にぼんやりしていると、あんたは、悪いことだと思うかね、と重ねてぶっきらぼうに質問しました。

芥川はその質問に返事することができませんでした。何事にまれ言葉が用意されているような多才な彼が、返事ができなかったということ、それは晩年の彼が始めて誠実な生き方と文学との歩調を合せたことを物語るように思われます。

さて、農民作家はこの動かしがたい「事実」を残して、芥川の書斎から立去ったのですが、この客が立去ると、彼は突然突き放されたような気がしました。たった一人、置き残されてしまったような気がしたのです。彼はふと、二階へ上り、なぜともなく門の方を見たそうですが、もう、農民作家の姿は見えなくて、初夏の青葉がギラギラしていたばかりだという話であります。

この手記ともつかぬ原稿は芥川の死後に発見されたものです。ここに、芥川が突きはなされたものは、やっぱり、モラルを超えたものであります。子を殺す話がモラルを超えているという意味ではありません。その話には全然重点を置く必要がないのです。女の話でも、童話でも、なにを持って来ても構わぬでしょう。とにかく一つの話があって、芥川の想像もできないような、事実でもあり、大地に根の下りた生活でもあった。芥川はその根の下りた生活に、突き放されたのでしょう。いわば、彼自身の生活が、根が下りていないためであったかも知れません。けれども、彼の生活に根が下りていないにしても、根の下りた生活に突き放されたという事実自体は立派に根の下りた生活であります。

もし、作家というものが、芥川の場合のように突き放される生活を知らなければ「赤頭巾」だの、さっきの狂言のようなものを創りだすことはないでしょう。モラルがないこと、突き放すこと、私はこれを文学の否定的な態度だとは思いません。むしろ、文学の建設的なもの、モラルとか社会性というようなものは、この「ふるさと」の上に立たなければならないものだと思うものです。
(坂口安吾「文学のふるさと」「日本文化私観」より)

さきほどヒカリエンドを迎えたのですが、もう、本当に、心の底から驚いたとしか…。このテーマ、フィクションで扱われることは、ほぼ全くないテーマですので…。手塚治虫さんがブラックジャックの「その子を殺すな!」(ブラック・ジャック 2新装版に収録 )の回で取り上げてるのが、僅かな例外ですね…。生まれつき生存能力のない障害児の問題です。生命倫理の非常に難しい問題で、極めてデリケートな扱いを要するため、多くの商業作品は相対することを避けるテーマです…。他にも統合失調症の問題(マボロシエンド)、医学的人体実験の問題(ヤクソクエンド)など、物凄く重い、難しい問題について、極めて真摯に、そしてゲームとして上手に描いている本作、物凄くエッジ(先鋭的)な傑作です。

なんといいますか…、取り上げられているテーマがあまりに重いので、一概に語ることはできませんが、こういった重大な、そして世間からは常に隠蔽され、誰もが判断それ自体を避けていることの多い難しいテーマを果敢に取り上げて、真摯な物語(フリーゲーム)として提起した、そのこと自体が、この作品の価値を、他の作品とは同列に並べることのできない存在としていると思います。物凄くエッジな傑作です。ゲーム好きの皆様方に、ぜひプレイして欲しい作品ですね…。極めて難しい倫理的問題、『生命とは何か』『人間とは何か』『人権とは何か』という根源的な問いについて、ガチガチの学問のように堅苦しくはならずに、それでいてきちんと、プレイヤーに真剣に考えさせてくれる、真に貴重な傑作だと思います。プレイしていて、マイケル・サンデルの生命倫理についてのテキスト「完全な人間を目指さなくてよい理由」を思い出しました…。

世界(現在の人間社会)に合わせるために人間の本性(生命の在り方そのもの)を変更することは、実際にはもっとも深刻な形態の人間の無力化をもたらす。それは、我々の目を世界(現在の人間社会)に対する批判的な反省から逸らし、社会的・政治的改良へと向かう衝動を弱めてしまう。
(マイケル・サンデル「完全な人間を目指さなくてもよい理由」)

余談ですが、ガンダムSEEDシリーズを見ていたお方々にも「完全な人間を目指さなくてもよい理由」はお勧めです。本書で大きくテーマとされていることは、コーディネーターとナチュラルの問題ですので。ガンダムSEEDシリーズのコーディネート(人間の遺伝子デザイン)のような生命改造技術において、リバタリアン達(自由至上主義者)が、子供(胎児)の遺伝子デザインを自由にどんどんやって人間の能力を強化改良すればいい、それが人類の進歩と自由だと述べることに対して、マイケル・サンデルは疑義を呈しています。それは単に社会にとって、遺伝子デザインを行える富裕層が能力面で圧倒的有利に立つというだけではなく、その現社会構造に適合する(現社会に都合の良い)遺伝子デザインが行われるため、生命の偶発的所与の自由性を剥奪し、社会に抵抗する権利を最初から奪うことになるのだと…。極めて重大な問題提起だと僕は思いましたね…。胎児の所与の権利、生命の所与の権利というテーマは、本作「4Fやすら科病棟」に連なっています…。

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