2010年12月29日 15:44

杉浦日向子「東のエデン」。読後感の爽やかなお勧め漫画です。漫画の読後感について。

東のエデン (ちくま文庫)

前回、読後感の良くない傑作として、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」同人誌「俺と妹の200日戦争」や湊かなえの「告白」をご紹介しましたが、年の暮れに読後感が良くない作品で締めくくるというのも気分がよくないことですので、今回は、前回とは一転して、読後感の良い漫画、僕の大好きな漫画、杉浦日向子さんの「東のエデン」をご紹介致します。

この漫画は、明治初期を舞台に、江戸風俗を描く達人、杉浦日向子さんが伸び伸びと当時の人々の暮らしを描いた漫画です。どの漫画も読んでいると心からほっと柔かな気分になってくる優れた好短編ですが、中でも「閑中忘あり」という、明治初期の、四民平等で同じ下宿に一緒に住むことになった「元若殿様」「元侍」「商人出」「農民出」の友誼に熱い学生達と、学生達に助け出された元洋妾の女中さんや「元若殿様」の許婚の可愛らしいけど芯の強い「元お姫様」などの彼らの周囲の人々の、穏やかでゆっくりした生活を描いた連作短編が非常に傑出。漫画の中でも僕の最高に好きな作品ですね…。読後感はとても良いです。

この漫画の読後感が良いのは、登場人物たちが、明治初期という激動期に生きながら、江戸時代の倫理と、明治になって入ってきた西欧文化を和洋折衷して、独自の倫理を持って、ちゃんと生きているところが、とても伸びやかに生き生きと描かれているところですね…。倫理道徳や内面の規範は、現代では敬遠され、遠ざけられることが多く、漫画にもそれは影響して、現代の漫画はアノミー漫画がとても多いですが、杉浦日向子さんの漫画は、江戸や明治初期のような、人心一人ひとりの内面規範と、人々が折り合いをつけて生きていた姿を、とても優しく丹念に丁寧に描き、他者・社会・外部を思いやることで、自分を律するということの生活を深く感じさせてくれますね…。作品から滲み出るユーモアも美しい。裸婦のモデルスケッチをしていた画学生が裸婦を洋妾として囲っていた英国人に間男と間違えられて揉め事になるシーンで、画学生の友達の学生(元若殿)が日本語で謝罪するシーンの描写(このイギリス人には日本語は分からない)とか、漫画として本当に上手です。言葉だと上手く説明できないのが歯がゆい…。

「朋輩の不調法、ひらにおゆるしを。間男の儀は、まったくの冤罪、彼はまこと実直なる男にて、悪を働く所存なく。ただ絵の稽古熱心がすぎて。何卒。ご海容の程を」
(杉浦日向子「東のエデン」)

明治の廃仏令で、近隣の人々が大切にしていたお地蔵さんが壊されそうになったり、フランス人に身請けされて外国に行くことになった遊郭の遊女と貧乏な画学生との僅かな切ない交流とか、悲しさ、哀愁を感じさせる題材もありながら、切ないけれど決して読後感は悪くないのですね…。登場人物たちが、みんな、好感を持てる登場人物、他者や未来のために自らを律することを知っている人々であるというところが大きいのかなと思います。徳川慶喜から元若殿様が授かった葵の御紋の懐中時計を、みんなの生活費のために売ってしまった元若殿と、それを買い戻そうとする友人達の話とか、とても良いです…。

「トノサン、すまん!!金時計が売れてしまった。でも必ず探し出して…」

「いや、構わぬ」

「そうじゃない。トノサンが良くたって、ダメなんだ。…あれは子や孫に見せなけりゃ…そうしなけりゃ江戸のことが夢になってしまう」
(杉浦日向子「東のエデン」)

外部(他者や社会)のために自らを律する心が生み出す行動の美、こういう美もあるんだということを、漫画を読むお方々にはぜひ知って欲しいですね…。自分の欲望だけに生き、他者などは最初から無視するアノミー(無道徳・無規範)こそ、ニヒル(虚無的)でカッコイイみたいな風潮は、僕から見ると底が浅くて馬鹿げているようにしか見えず、好まないので…。

余談ですが、最近のアノミー漫画ですと、「惑星のさみだれ」がとてつもなく凄かったですね…。この漫画、評判が良かったので読んでみましたが、登場人物達が、わがままとかアノミーを超えて、もうこれは「無差別通り魔」と何も変わらないメンタリティの持ち主、読んでいて気分が悪くなりました…。なんだかよく分からない超人的な力を手に入れた超人達が良く分からない理由でバトルするという、大筋はありがちな展開ですが、このバトルの理由が…。この作品のメインヒロイン、超人の首領格のメインヒロインの「さみだれ」は、『自分は病気で長くないので、自分が死ぬときに地球を破壊して地球全ての生命を自分の道連れにする』という目的を達成するために動いている超凶悪な地球規模の無差別通り魔なんですね…。男性主人公の方も、そんな彼女に狂信的に従い、彼女の為なら周囲の人々の命など顧みない男で、なんじゃこりゃと読んでいて呆然としましたよ…。メインヒロインと主人公の、自分(もしくは忠誠を誓う主君)のためなら他の人間の命、あらゆる生命などどうでもいいという感性が、読んでいて心底寒気がしました。読了後、これほど返品したいと思った漫画は始めてです…。

「惑星のさみだれ」のメインヒロイン、ぶっちゃけ、手塚治虫さんのピカレスク・ロマン漫画「MW」の主人公のテロリスト結城美知夫と全く同じメンタリティです。結城美知夫もさみだれも、自分が長くないので、自分以外の全世界の全生命全てを自分の死の道連れにすることを望んでいる。ただ、さみだれの方は結城美知夫を外見は美少女にした形ですね…。結城美知夫という悪をまごうことなき悪として描いていた「MW」と違い、さみだれは結城と全く同じメンタリティのキャラクターにも関わらず、「惑星のさみだれ」では、さみだれを悪として描いていないアノミーさが、実に強烈でした…。道連れ無差別テロのメンタリティは、僕は悪以外の何者でもないと思いますよ…。外見が美少女なら、どんなに邪悪でも、その邪悪さはないことにされる世界・そのような世界の読まれ方というのは、一体どうなんだろうと、思うところはありますね…。しかも、最後まで徹底して悪を貫いた結城と違い、さみだれは、ラストでは平然と健康体になって全世界道連れ破壊計画をまるで最初から無かったことのように放棄しますし…。なんだこの薄っぺらな終わり方…と驚愕を禁じえませんでした。この漫画、ハッピーエンドと解釈されているようですが、さみだれの根幹的に結城と同じ部分・極端に自己中心的で他者の生命に一切共感できない部分は、全く変わっておらず、さみだれは再度死期が迫ることあれば再びの道連れ世界破壊をもくろむかも知れず、全生命にとっての危機は何も去っていないのかも知れませんよ…。

結城美知夫
「僕の命も長くは持たないだろう。僕が死んでしまえばもうこの地球なんざ用がないよ。だから全人類に僕につきあって死んでもらうんだ。六大州の人間を殺すには約五十万トンのMWガスが必要だ。材料を買いこみMWを作り続け貯蔵をし続ける。僕がいよいよ死を感じとった時、スイッチをおして貯蔵庫のMWを放出すればいいんだ。悪徳と虚栄にみちた人類の歴史は、僕の手で永遠に閉じるのだ。アハハハハハハハ」
(手塚治虫「MW」)

夕日
「姫はなぜ、地球を壊したいんですか?」

さみだれ
「んー。愛してるから、この惑星が欲しいねん。でも惑星と人間の寿命ってちゃうやろ?あたしが死んだ後、あたしが居ないままの地球が在り続けたら、それはあたしの所有物とはいえない。だから自らの拳で砕く。それで永遠にあたしのものにするねん」(中略)

さみだれ
「あたしが地球を壊すのをやめてもあたしにだけは未来はないねんな。昔は病弱やったって言うたことあるよなあ。なんで今こんな元気かわかる?今のあたしを生かしているのは(さみだれに超人としての能力を与えている)精霊アニマや。戦いが終わってアニマが消えたらあたしはまた余命幾ばくかって状態に戻る。だから戦いの決着がついたらアニマが消える前にすぐさまやらねばあかんのや、地球と無理心中。なあ、ゆーくん、一緒に死んで」

夕日
「喜んで」
(水上悟志「惑星のさみだれ」)

上記は「惑星のさみだれ」的には、感動的で素晴らしいシーンらしいのですが、僕には理解不能というか『ふざけんな!!』って感じですね。「惑星のさみだれ」は、なんでこんな糞餓鬼(メインヒロインさみだれ)の道連れテロに全世界の全生命が巻き込まれて死ななきゃならないのか、最初から最後まで全く説得力を呈示することができていない漫画だと思います。狂信的なさみだれ信奉者じゃない限り、さみだれの道連れテロに巻き込まれて死ぬなんてことは、『全力でお断りします』以外の何ものでもないですよ…。結城美知夫の方がまだしも、さみだれが持っている不気味な自己正当化のロジック(自分は死期が近い病弱な娘だからあらゆることが許されるべきという自己憐憫ロジック・自分の愛しているものはすべからく自分の所有物で自らの死と共に殉教すべきというおかしな思い込み)を使わずに、ただ世界を道連れにしたいと欲望しているだけなところが、分かりやすく、まだしもさみだれよりはマシであると感じますね…。結城もさみだれもどっちも(結城は毒ガスMWで、さみだれは超人的な能力で)地球規模の大規模破壊を目論み、自分以外の命を極端に蔑ろにしているとんでもない非道の悪党には違いないですが、それでも、結城の方が、おかしな自己正当化をしない分、いさぎよくてマシに感じます…。

水上悟志「惑星のさみだれ」

MW(ムウ) (1) (小学館文庫)
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余談が本題よりも長くなってしまいました…。「惑星のさみだれ」はあちこちで評判がよくて、面白いのかなと思って読んだら、究極的に胸がむかつき、お金なくて生活費捻出にひどく困っている僕は『ああ…書籍代数千円返して欲しい…』と心から思った漫画だったので、ストレスがたまっていたのかも…。「俺と妹の200日戦争」「告白」「闇金ウシジマくん」「MW」は、イヤな気持ちになるけど面白い傑作で、読了して満足感がありましたが、さみだれは読了して単にイヤな気持ちになっただけだったので…。閑話休題、話を戻しますね。

読後感なんですが、悲しい物語であっても、読後感は決して悪くないということもあります。先の杉浦日向子「東のエデン」にしても、悲しいテーマの短編はありますから…。それでも、読後感が爽やかなのは、人間の美、規範的な節度、自らを律する心といった、自らを自制して、外部(他者・社会)のために行動する、そういった、ある種の根源的な美徳を、描き出している。これは、良心や思いやり、慈しみと呼ばれるもので、それが、美と、美に連なる未来を感じさせてくれるというのがあるのだと思います。そういった、美と、美に連なる未来を感じさせてくれるものは、悲しい物語であっても、読後感が爽やかなのかなと…。

逆に、先に挙げた「俺と妹の200日戦争」や「告白」、「闇金ウシジマくん」「惑星のさみだれ」「MW」なんかは、完全に無規範に陥った世界を描いており、後者の4作に至っては自分の欲望のために他者を殺めることすら、何の規範の束縛も受けない勝手気ままで無軌道な自由が物語に無造作に置かれている。こういうのを読むと、不安になるのでしょうね…。それは、規範というものは、私達一人ひとりを守っているもので、それが無い世界では、死や暴力の恐怖に怯えなくてはならないから…。「告白」の無軌道で無差別な殺人者や、凄惨な暴力を振るってくる闇金融のヤクザや、結城のような世界の破滅を目論むテロリスト殺人者、そして結城と同じく世界の破滅、全生命の抹殺を目論み、超人的な力で人間をたやすく消し飛ばせるさみだれのような存在は、もし実際に身近に存在したら恐怖以外の何ものでもないでしょう。私達一人ひとりの生存という根幹に不安感を与える物語は、読後感がイヤな感じになるのだと思います。

読後感が爽やかなものも、読後感がイヤなものも、どちらも、物語としての面白さ・楽しさを追求して、結果としてそこに至った優れた作品ならば、どれも読む価値のあるものに仕上がります。その点で、杉浦日向子「東のエデン」は、読後感が爽やかな傑作、万人にお勧めできる、明治を駆け抜ける清風のような物語で、お勧めですね。「東のエデン」、僕の非常に好きな、美しい漫画です。心からお勧めできる作品ですね…。

「エフ、アア、イイ、イイ、デイ、ヲヲ、エム、フリードム Freedom
エル、アイ、ビイ、イイ、アア、チイ、ウワイ リベルチ Liberty!!」

「虫除けのまじないか?」

「理想郷のカギさ。『自由』と似ているけど、『勝手気まま』とは違うんだ。じつのところ、適当な訳語が見つからないのさ。ガス燈やテレガラフ(電報)みたいに、全く新しいんだ。フリードム、リベルチ。いいひびきだろう?何かこう、力がわいてくるような…」
(杉浦日向子「東のエデン」)

上記、フェリス和洋女子学校に通う庄屋のお嬢さんに憧れる学生の台詞です。それまでの身分制が廃止された四民平等で、この時代から自由恋愛の花が開いて行くわけですね…。それは「俺と妹の200日戦争」で描かれた性交の相手をとっかえひっかえする無軌道な乱痴気騒ぎとは全く異なるものです。それは恋愛を互いの自由意志による神聖で永続的な精神的契約として捉えるものでした。要するに「良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者によらず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、相手を想い、相手に添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」であり、この、自分の意志で互いに愛を誓うというのは、それまでの因習的結婚観を覆す全く新しい、美しい自由意志だったのです。

恋愛至上主義とは、相手を次々に替えて恋愛を楽しむことではない。そういうのは色情狂である。初めて恋愛至上主義という言葉が出てくるのは、明治大正期の英文学者厨川白村の「近代の恋愛観」である。彼はここで、「恋愛の自由」と「自由恋愛」をごっちゃにするな、とか、次々に相手を替えるのは一人の相手さえ愛しえない不幸な人だ、とか、永続性は恋愛の本質的要素である、とか、生真面目で理想主義的なことを述べている。これこそが恋愛至上主義なのである。

要するに、門閥だの家格だのによる因習的結婚ではない両性の合意のみによる結婚を恋愛至上主義と言ったのだ。
(呉智英「マンガ狂につける薬 二天一流編」)

『理想郷のカギさ。『自由』と似ているけど、『勝手気まま』とは違うんだ。』

恋愛に限らず、こういう、他者の為に自らを律する先の自由の美しさ、爽やかさもあるのだということが、漫画を読む人に伝わると嬉しいなと思いますね…。杉浦日向子さんの漫画を気に入られたお方々には、小泉八雲さんの怪談や随筆もお勧めです。あと、「東のエデン」を気に入られたお方々には杉浦日向子さんのもう一冊の明治漫画「ニッポニア・ニッポン」も、とてもいい味の漫画でして、お勧めです。最後に、この本に寄せられている杉浦日向子さんの文章をご紹介。生前は読者にずっと隠しておられましたが、この時点で免疫系の難病で闘病しておられたことを思うと、なんとも、切なく悲しくなるとともに、改めて敬意が沸いて来ますね…。

さようなら杉浦日向子さん
http://www.chikumashobo.co.jp/top/050803/index.html
九三年、「血液の免疫系の難病なんです」と告白された。骨髄移植以外に完治する方法はなく、体力的に無理が利かないのでマンガ家を引退することなどを淡々と話してくれた。それ以来、筆を折ることになったが、江戸や明治の生活風俗をていねいに描いたマンガ作品は、今でも燦然と輝いている。これだけ時代の匂いや息づかい、それに気配までをも身近に感じさせてくれるマンガは他に例がない。筑摩書房から出ている全集や文庫に収められた傑作群をぜひ味わっていただきたい。(中略)
 振り返ってみると、健康なときも、病いとつきあうようになってからも、まったく変わらずに、生きることを満喫した人だった。そういう意味では、惚れ惚れとするような、粋で格好いい江戸の女だったと思う。

杉浦日向子「たのしいくらし」

ごぶさたしています。お元気ですか。筆無精ですみません。元気にやっております。

自転車買いました。26インチ変速機なし、アルミの軽いやつです。晴れた日は、これでどこまでも行きます。初めの二、三十分はそうでもないのですが、一時間漕ぎ続けていると、とてもいい気持ちになってきます。ジョギングやマラソンをする人に、ランナーズ・ハイという快感があるそうですが、そんなのに似ている気がします。自転車は愉快です。ペダルに乗せた足を上下させているだけで、ぐんぐん前に進みます。この単純運動は、呪文のようです。えいえい漕いでいると、額の汗が、風でスースー消えるのと一緒に、色んなことを忘れてゆきます。ハッカ糖を食べた後に、水を飲んだみたいな気持ちになります。

毎日が、穏やかに過ぎていきます。朝起きて、食事して、トイレして、自転車漕いで、風呂入って、少し酒飲んで、眠ります。無事これ名馬の伝にならえば、何事もない日々こそが最良の人生なのかもしれません。惰眠の日々を、思う存分むさぼっています。生きてここにあることを忘れてしまいそうなほど、しあわせです。

近況しらせてください。声を聞かせてください。では、今日は、この辺でさようなら。
(杉浦日向子「東のエデン」より)

東のエデン (ちくま文庫)
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ニッポニア・ニッポン (ちくま文庫)
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杉浦日向子作品一覧
怪談・奇談 (講談社学術文庫―小泉八雲名作選集)
明治日本の面影 (講談社学術文庫―小泉八雲名作選集)
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