2010年08月28日 02:34
哀川譲「俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長」読了。なんという書割…。
数万部を売り上げながら、別の小説からの盗作発覚により、回収・絶版となり、今現在は希少図書となった電撃小説大賞最終選考作「俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長」をたった今、読了。運良く、昨日立ち寄った古本屋さんで定価の半額で買うことが出来て、買えた時は「やった!」と思ったのですが、読了した今は…「特に買う必要はない本であった…」という気持ちで一杯です。この本の内容は、出来の良くない書割としか云い様がありません…。あまり出来の良くない萌え系18禁ゲームを、やる気のない作家が適当にノベライズ(小説化)したような作品ですね…。
僕は、本作の盗作元とされる小説は読んでいないので、盗作云々の件については分からないのですが、純粋に、本作を小説としてみた場合、極めて魅力のない小説であるということは云えると思います。物語も登場人物も、ぺらっぺらなんですね…。特に登場人物にそれが顕著で、本作の際立った特徴は、小説にも関わらず、登場人物の深い内面描写が一切ないことなんですが、何といいますか、登場人物達全員、「ツンデレ」とか「主人公を慕っている盲目的に献身的な幼馴染」とか、量産型18禁ゲーム的なパターン化された萌えキャラクターであって、語るべき内面たるものは何も無い人物ばかりという…。例えばツンデレな登場人物は、ただ「ツンデレ」なだけで、それ以上の人物造形をされていないんですよ。登場人物がことごとくぺらっぺらです…。ゆえに会話のシーンなど、まるで、一つの属性だけを付与された人工無能同士の会話のようです…。
物語は、一つの高校の中にある二つの生徒会同士が遊びっぽく戯れながら適当に戦っているという、特に語ることもないどうでもいい感じの話が適当に語られます。最初にパターン化された萌えキャラクターありの小説で、萌えキャラクターを全面に出す為に物語が適当に組み立てられているのを感じます。登場人物がペラペラすぎて、まるで人形が動かされているのを見ているみたいな感覚で物語を読了しましたね…。先にも書きましたが、出来の良くない18禁ゲームを、物凄く適当にノベライズしたような出来なので、希少図書ですが、無理して入手して読む必要は全く皆無であると云える出来です。読了後、「ああ…この本を買うくらいなら、別の本を買えばよかった…」と心から思いました…。
人間というのは一つの分かりやすい属性の塊で出来ているのではない、複雑に多面的なものであって、そういう人間存在の謎に満ちた多面性(個々のそれぞれ独立した内面性)を描きやすい(小説は外見から隔絶した内面性を描写することに最も適した媒体)というところに、小説の大きな利点、特色があるのだと、僕は思いますよ…。一つの分かりやすい属性の単なる塊として人物を描くと、その人物は作者の操り人形にしか見えず、物語世界への没入は物凄く阻害されます…。登場人物を作者の操り人形ではなく、一個の意志と存在を持った人物として描くことは、小説として、最低限為すべきことかと…。多面性・内面性があってこそ、始めてヒロイックな描写も生きて胸に迫ってくるのです。
参考作品(amazon)
俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長 (電撃文庫)
アムリタ〈上〉 (新潮文庫)
アムリタ〈下〉 (新潮文庫)
ポケットモンスター ブラック ホワイト
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ウィキペディア「背景画」
比喩的に予め役割が決められた駒のような人間像をも書き割りと呼ぶ
僕は、本作の盗作元とされる小説は読んでいないので、盗作云々の件については分からないのですが、純粋に、本作を小説としてみた場合、極めて魅力のない小説であるということは云えると思います。物語も登場人物も、ぺらっぺらなんですね…。特に登場人物にそれが顕著で、本作の際立った特徴は、小説にも関わらず、登場人物の深い内面描写が一切ないことなんですが、何といいますか、登場人物達全員、「ツンデレ」とか「主人公を慕っている盲目的に献身的な幼馴染」とか、量産型18禁ゲーム的なパターン化された萌えキャラクターであって、語るべき内面たるものは何も無い人物ばかりという…。例えばツンデレな登場人物は、ただ「ツンデレ」なだけで、それ以上の人物造形をされていないんですよ。登場人物がことごとくぺらっぺらです…。ゆえに会話のシーンなど、まるで、一つの属性だけを付与された人工無能同士の会話のようです…。
物語は、一つの高校の中にある二つの生徒会同士が遊びっぽく戯れながら適当に戦っているという、特に語ることもないどうでもいい感じの話が適当に語られます。最初にパターン化された萌えキャラクターありの小説で、萌えキャラクターを全面に出す為に物語が適当に組み立てられているのを感じます。登場人物がペラペラすぎて、まるで人形が動かされているのを見ているみたいな感覚で物語を読了しましたね…。先にも書きましたが、出来の良くない18禁ゲームを、物凄く適当にノベライズしたような出来なので、希少図書ですが、無理して入手して読む必要は全く皆無であると云える出来です。読了後、「ああ…この本を買うくらいなら、別の本を買えばよかった…」と心から思いました…。
人間というのは一つの分かりやすい属性の塊で出来ているのではない、複雑に多面的なものであって、そういう人間存在の謎に満ちた多面性(個々のそれぞれ独立した内面性)を描きやすい(小説は外見から隔絶した内面性を描写することに最も適した媒体)というところに、小説の大きな利点、特色があるのだと、僕は思いますよ…。一つの分かりやすい属性の単なる塊として人物を描くと、その人物は作者の操り人形にしか見えず、物語世界への没入は物凄く阻害されます…。登場人物を作者の操り人形ではなく、一個の意志と存在を持った人物として描くことは、小説として、最低限為すべきことかと…。多面性・内面性があってこそ、始めてヒロイックな描写も生きて胸に迫ってくるのです。
http://www.ne.jp/asahi/village/good/deleuze.htm
ドゥルーズは、健全な「欲望」の姿と本当の「私」のあり方を、語っている。以下は、二十代の女性が酔って書く日記の一節。
「私の心と私の言葉の間には、決してうめられない溝がいくつもあって、それと同じくらい、私の文章と私の間にも距離があるはずだ。でも一般にみんな、日記に向かうとき素直になっているような気になっている感じがして、気持ち悪いから何となく日記は気取っていて、いやなのだ。
本当に人を救う尊い仕事をしている男が、ある朝交差点で世にもHなお姉さんの後ろ姿に勃起し、さらにその日のうちに幼い娘に八つ当たりし、妻と話しあって高次の愛に接したら、それはみんなその人で、その混沌が最高なのにみんな物語が好きだから、本人もそうだから、統一されたいと願ったり、自分をいいと思ったり悪いと思ったり、大忙しだ。変なの。」
(吉本ばなな『アムリタ』)
これは意図的に幼稚な感じの文章で書かれている(吉本自身の文章は名文だ)が、言っていることは誰でも判る。人間の経験は、多様で、「分裂病(=統合失調症)」的であるということだ。
夏目漱石「文芸とヒロイツク」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/4685_9480.html
さうして重荷を担ふて遠きを行く獣類と撰ぶ所なき現代的の人間にも、亦此種不可思議の行為があると云ふ事を知る必要がある。自然派の作物は狭い文壇の中にさへ通用すれば差支ないと云ふ自殺的態度を取らぬ限りは、彼等と雖亦自然派のみに専領されてゐない広い世界を知らなければならない。
参考作品(amazon)
俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長 (電撃文庫)
アムリタ〈上〉 (新潮文庫)
アムリタ〈下〉 (新潮文庫)
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