2010年08月24日 19:14
うみねこのなく頃に散 Episode7クリア。竜騎士07さんはちゃんと謎解きする気あるのだろうか…。
江戸川乱歩全集 第26巻 幻影城 (光文社文庫)
江戸川乱歩全集 第27巻 続・幻影城 (光文社文庫)
メタフィクションの思想 (ちくま学芸文庫)
昨日更新出来ず申し訳ありません。昨日・今日と「うみねこのなく頃に散 Episode7」をプレイし、クリアしました。なんだかどんどんメタ階層からのファンタジー要素ばかりが増えて、ひどく不安になる出来でしたね…。本作は、これまでの謎をきちんと解くという、ミステリの論理的な謎解きの要素に対し、「この謎が解けない奴は自分で考えることを放棄したバカ」とだけ作者の竜騎士07さんが読者に対し言い放って、作中でこれまで出されてきた謎を解かずに放棄することを宣言しているようにも読めて、Episode1からずっと読んできた読者としては、非常に不安になる出来であるとしか云い様がないです…。
竜騎士07さんは本作を売り出すとき、散々「この究極トリックを愚劣な読者ども、解けるか!挑戦せよ!!」みたいなことを売りにして売り出したのですから、様々な謎を謎解きすることなく、放置して物語を終わらせるということになったら、これはもう、物語作者としてアンフェアの極み、最悪の終わり方だと思いますよ。どうも、Episode7を読む限り、謎解きを放置したまま、ミステリーの本筋の物語に対するメタ階層の物語をドタバタやった挙句、適当に終わらせるような最悪の終わりの予感がして、ずっと読んできた読者として、不安になりますね…。
Episode7のティーパーティで明かされたとんでもなく陳腐な「真実シナリオ」とか読むと、作者の竜騎士07さんに、ミステリトリックをきちんと時系列に沿って論理的に組み上げる、ミステリ作家としての才能は果たしてあるのだろうか、疑問に思うんですね…。自分のミステリ作家としての能力の欠如を誤魔化すために、散々「超ミステリ」ということで売り出したうみねこを、最後は「謎解きは自分で考えろ。分からない奴はバカ」で、何も謎解きをしないまま終わらせたら、うみねこは、まさに史上最低最悪の酷いミステリ未満であるということになると思います。
これまでに提出された様々な謎(トリック)に対して、きちんと具体的な謎解きをEpisode8以降行うなら良いですが、もし、具体的な謎解きを何もせずに、物語はメタ階層の話で適当に起承転結で盛り上げて終わらせるなどという手法でうみねこシリーズを終わらせるなら、それは作者として一番やってはいけないこと、これまで読んできた読者に対する最大の侮辱でしょう。もしこんなことになれば、これまでずっとうみねこの物語に真摯に取り組み、知性を持って物語を読んできたほとんどの読者の人々は、非常に不幸です。このような終わり方をしたら、竜騎士07さんは最低最悪の手法で読者を騙したペテン師作者になってしまうと思います。
どうか、そうならないように願いますね…。今回発表されたEpisode7、竜騎士07さん自身にミステリの謎解きをきちんと物語としてロジカルに描く能力がないから、メタ階層の物語で適当に誤魔化しているようにしか読めないようなところがあるんですよね…。Episode7のティーパーティーの「真実」で描かれた物語は、トリックも何も無い、いきあたりばったりな、それこそフーダニット、ハウダニット、ホワイダニット全てがとんでもなく適当な、いい加減な犯行が描かれていますし…。竜騎士07さん自身に、これまで出してきた謎(トリック)に対し、謎解き(トリックの謎明かし)をきちんとするミステリ作家としての能力が本当にあるのか、根本的に疑わずにはおれませんでした…。
僕は、竜騎士07さんが紡ぐメタ階層の物語にあまり魅力は感じないので(ベルンカステルとか、いつまでひぐらしの二次創作的セルフパロディをひきずっているのだと思う)、僕のような古典的なミステリ好きが読んでも納得できる、これまでの連続殺人事件のトリックを物理的に解き明かす、きちんとした謎解きを求めたいですね。ミステリにおいて、きちんと謎解きされるというのは、最低限満たさねばならぬ一番最低のラインですが、それさえも果たしてできるのかどうか、うみねこEpisode7は不安になる出来でした。現状だと、動機の解釈どころか、どのようにその犯行が行われたのかという、ミステリとして最低限明かすべき謎解きすら、満足にできないままぐだぐだで終わる予感がして、不安です。
うみねこのなく頃にシリーズはEpisodeが進めば進むほど、ミステリとしての本筋よりも、メタ階層で、竜騎士07さんが得意とする、感情のままにファンタジックに適当に戦うみたいな要素が増えてきている感じで、今回も、ライトという新キャラを出してその風味をちょっと変えただけに過ぎず、根幹的な本筋に対しては、作者さんの技量に不安になるとしか云い得ない適当な出来でした。今回のティーパーティーでの「真実」とか、誰も彼も行き当たりばったりに動いて銃で殺戮を繰り返しているだけで、ミステリとしてこれが単独で発表したら、誰も相手にしないレベルですよ。今回のうみねこ、Episode8以降の先行きが不安になる不出来な作品だったとしか云い様が無いです。
竜騎士07さんは、散々「ミステリ」を売りにしてうみねこを売り出したんですから、自分が出した数々の謎に対して責任を持ち、ミステリとしてその謎(トリック)をきちんと明かして頂きたいものです。もし万が一竜騎士07さんが、「この謎が解けない奴は自分で考えることを放棄したバカ」とだけ作中で言い放って、自分が出した謎の謎解きを放置するなら、真にバカで最悪なのは読者の人々ではなく、読者の信頼をペテンに掛けた作者の竜騎士07さん自身であると思いますよ。
後、最後に、うみねこはミステリとしては現状残念な出来ですが、メタフィクションとして見ても、これまた残念な出来であると思います。メタフィクションという物語形態に対して、巽孝之氏らが口を酸っぱくして言っているのは、物語の構造を打破しているように見えるメタフィクション自体も、それ自体が「作者が語る」という大枠の構造の中にあり、作者はその特権性を自覚していなければならぬ。メタフィクションであることを利用して作者だけは特権的な見えない位置に置かれて批判から逃れているメタフィクションは、物語の仕組みを作者が特権的に利用したプロパガンダ形態であろう、ということです。
うみねこはまさに上記の批判が思いきり当てはまる代物になっているように思います。うみねこの作中でメタ階層を使って読者を散々に批判しコントロールしようとしながら、作者の竜騎士07さんの姿自体は決して出てこない。メタフィクションで読者批判がやりたいなら、ベルンカステルやライトのような傀儡を使うのではなく、作者の竜騎士07さんも物語に姿を現したらどうかと思います。読者批判のようなダイレクトなメタ・言説はまさに「作者からのダイレクト・メッセージ」なのですから。作者の姿が誤魔化されるうみねこのようなメタフィクションはプロパガンダ的な要素があると云えます。現状のうみねこは、竜騎士07さんが作者の特権性をふりかざしてやりたい放題している「物語形態を作者が特権的に利用するに過ぎない『プロパガンダ・メタ物語』」にしか見えません…。
参考作品(amazon)
江戸川乱歩全集 第26巻 幻影城 (光文社文庫)
江戸川乱歩全集 第27巻 続・幻影城 (光文社文庫)
メタフィクションの思想 (ちくま学芸文庫)
侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)
一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)
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江戸川乱歩全集 第27巻 続・幻影城 (光文社文庫)
メタフィクションの思想 (ちくま学芸文庫)
昨日更新出来ず申し訳ありません。昨日・今日と「うみねこのなく頃に散 Episode7」をプレイし、クリアしました。なんだかどんどんメタ階層からのファンタジー要素ばかりが増えて、ひどく不安になる出来でしたね…。本作は、これまでの謎をきちんと解くという、ミステリの論理的な謎解きの要素に対し、「この謎が解けない奴は自分で考えることを放棄したバカ」とだけ作者の竜騎士07さんが読者に対し言い放って、作中でこれまで出されてきた謎を解かずに放棄することを宣言しているようにも読めて、Episode1からずっと読んできた読者としては、非常に不安になる出来であるとしか云い様がないです…。
竜騎士07さんは本作を売り出すとき、散々「この究極トリックを愚劣な読者ども、解けるか!挑戦せよ!!」みたいなことを売りにして売り出したのですから、様々な謎を謎解きすることなく、放置して物語を終わらせるということになったら、これはもう、物語作者としてアンフェアの極み、最悪の終わり方だと思いますよ。どうも、Episode7を読む限り、謎解きを放置したまま、ミステリーの本筋の物語に対するメタ階層の物語をドタバタやった挙句、適当に終わらせるような最悪の終わりの予感がして、ずっと読んできた読者として、不安になりますね…。
Episode7のティーパーティで明かされたとんでもなく陳腐な「真実シナリオ」とか読むと、作者の竜騎士07さんに、ミステリトリックをきちんと時系列に沿って論理的に組み上げる、ミステリ作家としての才能は果たしてあるのだろうか、疑問に思うんですね…。自分のミステリ作家としての能力の欠如を誤魔化すために、散々「超ミステリ」ということで売り出したうみねこを、最後は「謎解きは自分で考えろ。分からない奴はバカ」で、何も謎解きをしないまま終わらせたら、うみねこは、まさに史上最低最悪の酷いミステリ未満であるということになると思います。
これまでに提出された様々な謎(トリック)に対して、きちんと具体的な謎解きをEpisode8以降行うなら良いですが、もし、具体的な謎解きを何もせずに、物語はメタ階層の話で適当に起承転結で盛り上げて終わらせるなどという手法でうみねこシリーズを終わらせるなら、それは作者として一番やってはいけないこと、これまで読んできた読者に対する最大の侮辱でしょう。もしこんなことになれば、これまでずっとうみねこの物語に真摯に取り組み、知性を持って物語を読んできたほとんどの読者の人々は、非常に不幸です。このような終わり方をしたら、竜騎士07さんは最低最悪の手法で読者を騙したペテン師作者になってしまうと思います。
どうか、そうならないように願いますね…。今回発表されたEpisode7、竜騎士07さん自身にミステリの謎解きをきちんと物語としてロジカルに描く能力がないから、メタ階層の物語で適当に誤魔化しているようにしか読めないようなところがあるんですよね…。Episode7のティーパーティーの「真実」で描かれた物語は、トリックも何も無い、いきあたりばったりな、それこそフーダニット、ハウダニット、ホワイダニット全てがとんでもなく適当な、いい加減な犯行が描かれていますし…。竜騎士07さん自身に、これまで出してきた謎(トリック)に対し、謎解き(トリックの謎明かし)をきちんとするミステリ作家としての能力が本当にあるのか、根本的に疑わずにはおれませんでした…。
僕は、竜騎士07さんが紡ぐメタ階層の物語にあまり魅力は感じないので(ベルンカステルとか、いつまでひぐらしの二次創作的セルフパロディをひきずっているのだと思う)、僕のような古典的なミステリ好きが読んでも納得できる、これまでの連続殺人事件のトリックを物理的に解き明かす、きちんとした謎解きを求めたいですね。ミステリにおいて、きちんと謎解きされるというのは、最低限満たさねばならぬ一番最低のラインですが、それさえも果たしてできるのかどうか、うみねこEpisode7は不安になる出来でした。現状だと、動機の解釈どころか、どのようにその犯行が行われたのかという、ミステリとして最低限明かすべき謎解きすら、満足にできないままぐだぐだで終わる予感がして、不安です。
うみねこのなく頃にシリーズはEpisodeが進めば進むほど、ミステリとしての本筋よりも、メタ階層で、竜騎士07さんが得意とする、感情のままにファンタジックに適当に戦うみたいな要素が増えてきている感じで、今回も、ライトという新キャラを出してその風味をちょっと変えただけに過ぎず、根幹的な本筋に対しては、作者さんの技量に不安になるとしか云い得ない適当な出来でした。今回のティーパーティーでの「真実」とか、誰も彼も行き当たりばったりに動いて銃で殺戮を繰り返しているだけで、ミステリとしてこれが単独で発表したら、誰も相手にしないレベルですよ。今回のうみねこ、Episode8以降の先行きが不安になる不出来な作品だったとしか云い様が無いです。
竜騎士07さんは、散々「ミステリ」を売りにしてうみねこを売り出したんですから、自分が出した数々の謎に対して責任を持ち、ミステリとしてその謎(トリック)をきちんと明かして頂きたいものです。もし万が一竜騎士07さんが、「この謎が解けない奴は自分で考えることを放棄したバカ」とだけ作中で言い放って、自分が出した謎の謎解きを放置するなら、真にバカで最悪なのは読者の人々ではなく、読者の信頼をペテンに掛けた作者の竜騎士07さん自身であると思いますよ。
後、最後に、うみねこはミステリとしては現状残念な出来ですが、メタフィクションとして見ても、これまた残念な出来であると思います。メタフィクションという物語形態に対して、巽孝之氏らが口を酸っぱくして言っているのは、物語の構造を打破しているように見えるメタフィクション自体も、それ自体が「作者が語る」という大枠の構造の中にあり、作者はその特権性を自覚していなければならぬ。メタフィクションであることを利用して作者だけは特権的な見えない位置に置かれて批判から逃れているメタフィクションは、物語の仕組みを作者が特権的に利用したプロパガンダ形態であろう、ということです。
うみねこはまさに上記の批判が思いきり当てはまる代物になっているように思います。うみねこの作中でメタ階層を使って読者を散々に批判しコントロールしようとしながら、作者の竜騎士07さんの姿自体は決して出てこない。メタフィクションで読者批判がやりたいなら、ベルンカステルやライトのような傀儡を使うのではなく、作者の竜騎士07さんも物語に姿を現したらどうかと思います。読者批判のようなダイレクトなメタ・言説はまさに「作者からのダイレクト・メッセージ」なのですから。作者の姿が誤魔化されるうみねこのようなメタフィクションはプロパガンダ的な要素があると云えます。現状のうみねこは、竜騎士07さんが作者の特権性をふりかざしてやりたい放題している「物語形態を作者が特権的に利用するに過ぎない『プロパガンダ・メタ物語』」にしか見えません…。
バルトによれば、言説にはつきもののイデオロギー的作用というのは、まさしく自らがイデオロギーであるどころか、最初から自然な「神話」のように偽装するところにある(バルト「神話作用」1972年)。以後、オーウェルの子供達(メタフィクション作者)が連綿と受け継いだのも、まさにそのようなメタフィクション言説のイデオロギー作用ではなかっただろうか。(中略)
(「侍女の物語」において)たとえば、昔の仲間モイラが娼婦になっているのを知った彼女は、その章をこう締めくくる――「私は彼女の物語を何か向こう見ずで劇的で暴力的な、何か彼女にぴったりな結末で終わらせたいのだ。でも、私の知る限り、そのようなことは起こっていない」
事実と夢想の語りかたそのものに、内省(メタ視線)に次ぐ内省を加える彼女。こう物語たいのに事実が許してくれない……さて、政治的なる現実を物語るその口調は、そっくりそのまま物語の全体主義を表象してはいないか。オブフレッドの口調は、異議申し立てしたいのに結局管理社会から脱出できなかったウィンストンの姿を彷彿とさせる。
(巽孝之「メタフィクションの覇権主義」「メタフィクションの思想」より)
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江戸川乱歩全集 第26巻 幻影城 (光文社文庫)
江戸川乱歩全集 第27巻 続・幻影城 (光文社文庫)
メタフィクションの思想 (ちくま学芸文庫)
侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)
一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)
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