2010年06月07日 02:41

小林研一郎指揮「チャイコフスキー交響曲全集」。「バレンボイム音楽論」。自ら聴くことについて。

チャイコフスキー:交響曲全集
バレンボイム音楽論──対話と共存のフーガ

炎のマエストロ、世界のコバケンとして有名な日本人指揮者小林研一郎さん指揮、日本フィルハーモニー演奏のチャイコフスキー交響曲全集を図書館で借りて聴きました。素晴らしく良かったです。重厚かつ派手な感じで、ずっしりとした聴き応えがあります。ライナーノーツで語られているように、第5番はとても良かったですが、僕は、交響曲第1番・第2番、あまり演奏されることがないチャイコフスキーの前半交響曲の出来に感銘を受けましたね。前半の交響曲もこんなに良かったのかと、嬉しい驚きでした。ライナーノーツから引用しますね。

「1番」では第一楽章の生命力に富んだリズムと熱っぽいひびき、第二楽章の意味深くも苦いハーモニー、第三楽章の…
(宇野功芳。チャイコフスキー交響曲全集ライナーノーツより)

流石は音楽評論家の宇野功芳さんだけあって、ライナーノーツには解説文が色々書いてありますが…う〜ん…なんかここに書かれていることと、実際に聴いて感じた感銘は違うんですよね。凄く良かったんですけど、それを言葉にできないんですね…。ダニエル・バレンボイムが、『音楽は言葉にできない内容である』と述べていますけど、まさにその通りと感じました。

私はベートーヴェンの交響曲を言葉で説明することはできない。もし言葉で説明できるのならばその交響曲は不要なものである。というより、そもそもそんなもの(言葉で説明可能な音楽)はあるはずがない。しかし、だからといって、音楽に内容がないわけではない。今の時代に欠けているのは、この音楽の内容の探求である。私達ははなばなしい瞬間や無機質な構造、あるいは歴史的真実ばかりを追い求める。だが、そんなふうにすることで多くのものを失っているのだ。
(ダニエル・バレンボイム「バレンボイム音楽論」)

ここでバレンボイムは「言葉に出来ぬ音楽というものを、音楽として純粋に聴き、純粋に演奏する」ということについて語っていまして(その具現者としてフルトヴェングラーを挙げています)、まさにその通りで、言葉に出来ぬ音楽というものから受ける純粋な感銘はあると僕も感じます。

ただ、他の人に音楽の素晴らしさを伝えようと思うと、どうしても言葉に頼らざるを得ませんから、ここは、大きな問題、解決不可能なジレンマですね…。自分が聴いた音楽の良さを伝えようとするとき、客観的に判定する音楽の技術的な評価の部分では伝えられない、なにか、言葉に出来ぬ良いものがこの音楽にはあったというしかないものがある。それは聴き手の言語化不可能な領域の主観性の判断なので、他の人にはどうしても良さを具体的に伝えることができない…。

ただ、この限界性は、音楽にとって、寧ろとても良いことなのかもしれないなとも思います。ダニエル・バレンボイムは標題音楽を嫌う、純然たる純粋音楽派で、音楽は先に刷り込まれる音楽の外にあるイメージに惑わされることなく、純粋に、その音楽自体を聴くべきだと主張していまして、僕も同感です。ユダヤ人のバレンボイムがワーグナーの音楽をイスラエルで演奏して論議を呼んだ(ワーグナーの音楽はヒトラーを連想させるとしてイスラエルでは実質上の禁制音楽となっている)のも、彼の「『音楽』それ自体は純粋に音楽であって道徳的でも反道徳的でもない、ただ音楽として在るのだ」という信念の上にありました。バレンボイム音楽論より引用致します。

こんにち、とくに合衆国では、説明的な宣伝広告(宣伝音楽)に異常なまでの関心がもたれていて、これがしばしば、抗しがたい力で音楽を単なる背景のノイズと化してしまうだけでなく、誤った連想を生み出している。いうまでもなく、ベートーヴェンの交響曲第五番は、アメリカのあるチョコレート・メーカーがおそらく信じ込ませたがってるように、チョコレートを連想させるために作られたわけではない。

純粋無垢な音楽(純粋音楽、それ自体が音楽として独立している音楽)に押し付けられた種々のイメージのせいで、耳を澄まして聴き、集中することの必要性が忘れられてしまう。その結果、能動的に音楽を聴くことなく、ただ音楽が演奏される場所にいるだけで充分だと考えるようになってしまうのも無理はない。それどころか、聴き手はいろいろな連想が自分の心に生まれることさえ期待するかもしれないが、実は、(先に音楽の外の固定的なイメージありきの)そんな連想は音楽とはなんの関係もなく、とうぜん、その連想のせいで本当の音楽的体験ができなくなるのである。

ある日、シカゴでテレビを見ていると、アメリカン・スタンダード社という会社のコマーシャルで、音楽がとんでもなく侮辱的な使われ方をしているのに遭遇した。このコマーシャルでは、ひどく慌てた配管工が猛スピードで走っていってトイレのドアを開け、ある便器の品質の高さを解説していた。映像の後ろではずっとモーツァルトの「レクイエム」の「ラクリモーサ」が流されていた。視聴者のなかには、最もなことだが、モーツァルトの音楽がトイレ販売のバックグラウンド・ミュージックとして使われたことに気分を害して、新聞社、そしてこの会社に宛てて手紙を書いた人たちもいた。すると、次のような手紙が送られてきた。

『現在テレビで放映しております、当社の最高級トイレの背景音楽に関しまして、アメリカン・スタンダード社にご意見をお寄せ頂きありがとうございます。(中略)当初、私どもがモーツァルトの「レクイエム」を選びましたときは、この音楽の宗教的異議については承知しておりませんでした。(中略)このたび当社では、現在使用中の音楽に替え、ワーグナーの「タンホイザー序曲」の一節を用いることと致しました。音楽の専門家の方々より、この曲に宗教的重要性はないとのお墨付きを頂いております。なお、新しい音楽は六月から放映予定となっております。』

視聴者の激しい怒りの原因として、アメリカン・スタンダード社が宗教上の冒涜という以外に何も想像できなかったのは明らかである。顧客担当係は、真の冒涜は芸術作品である曲の濫用にあるかもしれないなどとは思いもせず、顧客が気分を害した原因は、音楽上の連想ではなく、宗教上の連想にあると考えたのだ。

意図せざることではあったが、モーツァルトの音楽がテレビのコマーシャルに使われたおかげで、たしかに「レクイエム」のごく一部分が人々に広く親しまれた。ただし、作品全体の流れから切り離され、非音楽的な連想――この場合、新しい便器を買う必要性――に依存するというかたちで。

だが、このように親しまれることは、こんにちのクラシック音楽の状況にとって決して有益ではない。偉大な音楽作品の断片を用いて大衆文化にこっそり入り込むというのは、クラシック音楽の危機の解決にはならない。ポピュリズムによって音楽が身近なものになるわけではない。

音楽に対する関心や好奇心を高め、知識を深めることを通じてこそ、音楽に近づくことが容易になるのだ。ときどき、「車椅子乗り入れ可」と書かれている場所をみかけることがある。ある建物を「車椅子乗り入れ可」とするには、階段のあるところすべてにスロープかエレベーターを設置すれば充分である。クラシック音楽の場合は、教育(誰でもアクセスできる公的な音楽文化)がスロープやエレベーターであり、これによって音楽が近づきやすいものになる。音楽に対する集中力を自然に発展させるには、話し言葉に対する理解力と同様、ごく早い時期から取り組まなければならない。そうすることで、音楽はぜいたく品ではなく必需品となる。

けれども、音楽作品を理解する、つまり音楽に集中するために、必ずしも楽器を弾きこなせる必要はない。音楽を聴くことが受け身の活動になってしまわないことこそが大切なのである。
(ダニエル・バレンボイム「バレンボイム音楽論」)

『良い音楽をコマーシャリズムとは関係なく、自分から聴きに行きましょう。その為に、音楽を公共財としてアクセスできるようにし、誰にでも親しみやすくしましょう』ということをバレンボイムはずっと言ってまして、僕も同感ですね。僕がクラシック音楽に昔から親しんでいるのは、図書館にある無料で借りられる音楽アルバムの大半がクラシック音楽であるということが最大の理由です。

バレンボイムの言うとおり、自分から良い音楽を純粋に聴きに行く姿勢というものはとても大切だと思うのですね。例えばモーツァルトのレクイエムは、純粋に「モーツァルトのレクイエム」として聴くからこそ素晴らしいのであって、モーツァルトのレクイエムがトイレのイメージと結ばれている、チャイコフスキーの交響曲第5番がチョコレートのイメージと結ばれている、そのような状況にあるアメリカの人々は実にお気の毒だと思いますもの。マスメディアが流す音楽は、音楽を何かの(トイレとかチョコレートとかの)道具にしている…。

そして、ハレルヤ・コーラスを聴くとエヴァという大勢のアニメ好きの人々に対して、頼むからヘンデルのメサイア全曲を、エヴァのイメージは括弧に入れて、あくまで「音楽」として純粋に全曲聴いて欲しいと僕は思うので、上記は決してアメリカだけの問題ではないなあと思います…。

音楽を何かの道具として聴くのではなく、音楽を音楽として、それ自体を純粋に聴くということが、音楽にとって、そして聴き手にとって、一番幸せなことだと思います。僕は音楽について書くとき、皆様方が能動的に純粋に音楽を聴くということの一助になれれば、お役立てになれたら、嬉しいなと思いますね…。

参考作品(amazon)
チャイコフスキー:交響曲全集
バレンボイム音楽論──対話と共存のフーガ
モーツァルト:レクイエム(ランドン版)
ヘンデル:メサイア(全曲)

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